現在、幻想郷の住民の中で射命丸 文の所在地を知る者は、本人以外に存在していない。
行動を共にしていることが多い犬走 椛や、同じ新聞業者の姫海棠 はたては勿論、白狼天狗や鴉天狗たちの長である大天狗や、幻想郷の創造主である八雲 紫ですら、文の居る場所を知らないのだ――当然、想也もその中から外れることはない。彼も、文の居場所を知らなかった。
現状、唯一の手がかりと言えるだろう血に染まった黒色の羽根も、利用方法が分からない。この羽の主を知っていますか、とでも人里辺りで聞き込めばいいのかもしれないが、如何せん、今の想也には、そんな聞き込みに割く時間すら残されてはいない。それに、聞き込んだところで「……鴉天狗の羽?」ぐらいの回答しか帰ってこないだろう――時間の無駄になるだけだと、想也は実行するまでもなく、その案を却下した。
なら、どんな方法を用いて、文を見つけ出す?
簡単である。
そもそも何故、文は突然、想也の下に現れたのか。何故、あのタイミングで現れたのか……答えは単純だ、“想也が一人になったから”
妖怪の山での一件が起こってから、想也は常に誰かと行動を共にしていた。何処に行くにしても、必ずその側には誰かが居たのだ。時に咲夜と、時に美鈴と、時にレミリアと、時にフランドールと。大半が紅魔館の者であったとはいえ、兎に角、彼は常に誰かと一緒に居た――文からすれば、『チャンス』が無かったのである。
しかし今回、想也は短い間とはいえ、一人で。幻想郷上空を飛んでしまっていた。
これは、文にとって、千載一遇の『チャンス』に他ならない。だからこそ彼女は、迷うことなく、大胆に。彼の前へ姿を現したのだ。
――そう、文は、“想也が一人に”なりさえすれば、すぐに姿を現す。
例え、想也が何処に居ようとも。射命丸 文は、彼の前に現れる。
「アハ。想也さんだぁ……!」
「……文」
想也の前に舞い降りた文は、心底嬉しそうに笑みを浮かべる。けれど、その笑みは、想也の記憶の中に居る射命丸 文の笑みとはかけ離れたものだった。
◆◆◆
「えへへ……想也さん、会いに来てくれたんですね?」
「……まぁ」
実際は、会いに来た、というより、会いに来てもらった、の方が正しいのだけれど、ここで「そうじゃない」と否定するメリットはあるまい――あるにしても、それはデメリットの方だろう。変に文を怒らせてしまう可能性のある行動を取るよりは、多少の嘘をついて流してしまう方が安全で、楽である。
その際、想也は見知らぬ他人に対してではなく、自分自身に言い訳をした――「卑怯なり最低なり、罵りたければ罵れ。今更なんだよ、そんなこと」と。
「今日は、君に用があってきたんだ」
「用、ですか? うふふ、そんな。用なんか無くたって、想也さんなら四六時中何時だって、私のところに来ていいんですよー? 食事中だって、移動中だって、仕事中だって、休憩中だって、入浴中だって、就寝中だって、それ以外の何時だって、私は貴方のための射命丸 文なんですから……えへへー、言っちゃいました! 恥ずかしいですねー!」
「入浴中だって」という発言にそういう魅力を感じない男は同性愛か枯れている奴くらいしか居ないだろう。
肉体年齢高校二年生にして精神年齢も精々高校三年生。推定年齢数億歳の少年である想也もその枠からは外れておらず、女性に対する性欲という奴は人並みにあるのだけれど、今回ばかりは本気でふざけてはいられない。そういう性欲やら食欲等の邪魔なモノは既に能力で排除済みである。
三大欲求の内の二つが、邪魔なモノ?
それらを邪魔と思えてしまっている時点で彼もまた、狂ってしまっているのだろう。
――だから、何だ?
自分が狂っている? それこそ、今更過ぎる。自分は力を得る前から、転生する前から可笑しかったのだ。本来あるべき螺が一本、二本――否、それ以上。何十本も抜けた人間だったのだ。
ならば、そんなことはなんら不自然ではあるまい。それが彼の、黒橋 想也の
「悪いけど、真面目な話だから。冗談に付き合っている訳にはいかないんだよ」
冗談ではないんですけど……と、小さく頬を膨らませた文だったが、そんなことは正直かなりどうでもよかった。彼女が気になったのは、その前――“真面目な話”という言葉。
今の文は、想也への想いだけで暴走している。博麗神社と守矢神社の騒動の際に『ボク』が起こした行動のせいで、彼女は黒橋 想也への想いを爆発させ、彼を求め始めている。そんな状態の彼女に、想いの矛先、想也から“真面目な話がある”なんてことを言われてしまえば、彼女が
「――あはっ! もしかして、私とのお付き合いに関してのお話ですか! ですよね! ふふっ、でも、聞くまでもないんですよ? そんなこと。私は想也さんがだぁい好き……いや、違いますね。だい、だい、だいだいだいだい、だぁぁぁぁい好きなんですからっ♪ そんな真面目ぶってみちゃう必要なんか、全くないんですよっ! ……あ、でも、そうですよね。想也さんは変なところで真面目ですもんね。こういうときくらい格好良くいきたいんですね! もう、想也さんったら。でも、そういうところもだぁい好きですよっ? ……ふむ、そうですね。だったら今からデートしましょう、デート! ほら、デートですよ! 好きな人と一緒に、腕を組んで、イチャイチャしながらいろんなところを回る、デートです! それで、デートの締めに愛の告白! きっと素晴らしいモノになりますよ! あ、欲を言えばロマンチックに夕焼けを見ながら告白されるのが良いですね! 勿論、想也さんからの告白ならどこでされてもロマンチックを感じざるを得ないというか、とても嬉しいのですけど、やっぱり、女の子ならそういうシチュエーションに憧れてしまうのですよ! えへへ! さて、じゃあ、最終的な予定も決まったところで、どこにデートに行きましょうか? 妖怪の山ですか? 無難に人里ですか? 湖を回ってみますか? ……あぁ、或いは、暗い森の中を二人きりで歩くというのもいいですね! それで、急に壁ドンならぬ木ドンをして、そのままにゃんにゃんとか……あぁん、野獣な想也さんも素敵! ……おぉっと、すみません! やっぱり初デートだし、普通に行きたいですよね! 想也さんは真面目ですからね! 当然、そういうはずです! いやぁ、まだまだ私、想也さんを理解してませんね! ……でも、まだまだ時間も沢山ありますからね。じっくりと愛情を培っていきましょう! あ、そうだ、恋人になったら、想也さん、なんて他人行儀な呼び方は失礼ですよね! じゃあ、……想也? いや、それも何だかあれですね。他の人と被ってしまいますから。なら、やっぱりここはあだ名呼びにしましょう。よし! じゃあ、想也さん、私はこれから想也さんのことを“そーやん”と愛情を込めて呼びますのでっ、想也さんの方からは私を“あーやん”と呼んでくださいね! じゃあ、早速練習してみましょう! 私からいきますよ! そーやん♪」
――流れるように放たれた言葉。
字数に換算すれば実に千文字以上。とても、精神状態が正常な者が放つ言葉とは思えない、ハッキリと言ってしまえば、正気を疑いたくなるレベルの言葉。
想也がいつもの精神状態だったなら、まずどこから答えれば良いのか分からず、少なくとも数十秒ほどは硬直していたのだろうが、生憎なことに、今の彼も、文と同様、まともな精神状態ではない――血も涙もない自身の裏にほぼ乗っ取られている状況のどこが異常ではないのか、寧ろ教えてほしいところだった――故に、想也は文から渡された
「どうして小傘ちゃんを襲った?」
「……アは」
文の笑顔が凍りつく。
「……理由なんて、必要ですか?」
「必要だよ。教えてくれよ、文。どうして、君は小傘ちゃんを襲ったんだよ」
本当に分からなかった訳じゃあない。
何となく、文が小傘を襲った理由は分かっていた――文が、小傘に嫉妬しているからじゃあないのかと、予想していた。文の情報収集能力なら、自分が好意を抱いている相手のことも知ることが出来たのではないか、と。自惚れと言われればそれだけのことだが、しかし紅霧異変解決後の宴会にて、文が自分に好意を抱いてくれていることは知っていたから、その線は、想也の中ではかなり可能性の高い仮説だった。
――現に、その仮説はほぼ当たっていた。
『ボク』が介入していたこと以外を除く全てが。
「……だって、あの子が居たら、想也さんは私を見てくれないじゃないですか」
けれど、これまでの行動は。
『ボク』に唆されたせいであるとはいえ、ここまでの行動を実行したのは、全て文自身の意思だった。
ここからの“言葉”も、全て、文の心の声だ。
「想也さんは、あの子が好きなんでしょう? 多々良 小傘ちゃんが、好きなんでしょう?」
正直に、想也は頷いた。
「……あの子が邪魔なんですよ! あの子の存在が、邪魔なんですよ! なんで! なんで私じゃなくて、あの子が貴方の隣に居るんですか!? 私の方が、貴方と知り合ったのは早いのに! どうして、こんなに差があるんですか!? ねぇ、想也さん!?」
想也の返答を聞いて、強く拳を握りしめながらも、文は激しく叫ぶ。
叫ぶ度に、一歩ずつ。少しずつ、少しずつ想也の下へ近づき、想也に問いかけるような言葉を発した時には、もう、文と想也の距離は、それこそくっついてしまうのではないか、と思わせるほどに縮まっていた。手を伸ばせば抱き締められるくらいの距離に、縮まっていた。
「ねぇ! 答えてくださいよ想也さん!? 私に、答えを教えてくださいよ!? どうしてこんなに差があるのか! 私とあの子の何が違うのか!?」
ぽつりと、一粒の涙が落ちる。
「どうしてあの子なんですか!? 私とあの子だったら、私の方がきっと、想也さんを満足させられます! お料理だって作れます、職業もあります、スタイルだって良いはずです! 夜の営みでも、きっと満足させられますよ!? それなのに! それなのに、どうして……!?」
文と小傘のどこが違うのか。どうして、小傘でなくちゃならないのか。
自分の方が、想也との付き合いは長いのに。自分の方が、想也のことをよく知っているはずなのに。自分の方が、想也のことが好きなはずなのに。どうして、どうして彼は、自分を選ばず、彼女を選ぶ?
どうして、あんな子を選ぶ?
――答えは、単純にして、明快だった。
「僕は、
ありふれた答えだった。
そこらの恋愛小説と比べても、対して変わらない答えだった。
「僕と一緒に居てくれて、僕の隣で笑ってくれて、僕を笑顔にしてくれる小傘ちゃんが、好きなんだよ」
けれど、これが、想也の本心だ。
くだらないと言われようと、軽い奴だと笑われようと、これが、“黒橋 想也”が心から思っていることだ。この気持ちは、この気持ちだけは、誰にどうこう言われても、笑われても、変わらない。
「小傘ちゃんと文は違う。君は確かに料理を作れるし、安定した職業もあるし、スタイルだっていいさ。魅力的な人だと思うけれど――それでも、君は“射命丸 文”だから。“多々良 小傘”じゃあ、ないから」
想也が好意を抱いているのは、小傘。
そんなこと、随分と前から知っていた――想也によく似た
小傘が居なくなれば、想也が自分を見てくれると思ったから。
だから、彼女は襲撃事件を起こした。
――なのに。
何故、なんで、どうして、彼はまだ、“小傘”を見ている?
“小傘”は消えて、今、彼の目の前には、自分が、“文”が居るのに。
分からない。
自分は、“射命丸 文”は。
彼にとって、何?
「……僕にとっての“文”は、友達だよ」
想像もしていなかった言葉が、想也の口から放たれた。
“友達”――その単語の意味が、一瞬、本気で分からなくて、文はなんとか、その単語の意味を理解しようと、思考を全力で回転させる。きゅるきゅる、とテープが回るような音が文の脳内で響いたような気がしたが、それは全くの気のせい。言わば、幻聴のようなモノに過ぎなかった。
それに気付いた文は、もしや想也から放たれた言葉も幻聴なのではないか、と疑い始める。
「……今、何か仰いましたか?」
「言った。僕にとっての君は友達だってね」
「――っ!?」
が、当然、そんな訳がない。幻聴かと思った言葉は、幻聴なんかではなく――文の問いに対し、想也はハッキリと、自分にとって“文”は友達であると答えた。
好きな人ではなく、友達。
「仮に小傘ちゃんが消えても、それは変わらない。君は、射命丸 文は、
想也を、真の意味で受け入れてくれる“友達”
幻想郷から見た外の世界で、異常だった故に自身を偽っていた想也に、本当の友達なんてものは出来やしない――そんな時、転生という偶然を経て、想也は自分の異常なんて霞んでしまうぐらい異常なモノが蔓延っている世界に来ることが出来た。
常識はずれの人間や妖怪たちが、異常な自分を受け入れてくれた。
表に出したことは無かったし、それが今までの普通だったから、自分自身の思考では、それを特別に思ったことは無かったけれど、でも、心の奥底では、それがとても嬉しかった。
無意識に、喜んでいたのだ。
「文が、皆が、僕を好きになってくれて、本当に、嬉しいよ。その気持ちに答えたいっていう気持ちも、あるけど――でも、それでも、僕は小傘ちゃんが好きだから。だから僕は、僕を好きになってくれた皆に、文に、お願いがあるんだ」
ここで、想也は。
この場に来てから、初めて笑った。
随分、久しぶりに笑った気がした。
「――僕と、ずっと、友達でいてください」
そして、大きく、頭を下げた。
黒橋 想也の、幻想郷の住民たちにする、最後の願い事。それはやっぱり、自分自身の我が儘な願いだった。
「……嫌ですッ!!」
願いは、受け入れられなかった。
「友達? そんなの嫌ですよ、私は。私は想也さんの一番になりたいんですよ、友達なんて立ち位置は望んでない。私は想也さんの一番になるんですそうじゃなくちゃ駄目なんですそれ以外は駄目なんです嫌なんです無理なんです!! ねぇ想也さん、分かってくれますよね想也さん!! ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ、答えてくださいよ、ねぇ!?」
文の呟きは止まらない。そして、想也の首を締める手も。
「私は想也さんと一緒にいたいんです、いるんです!! いつ如何なる時だってずっとずっとずっとずっとずっと!!」
文の眼は、既に狂気に染まっていた。
今の彼女には、どんな言葉も届かない。彼女は想いのままに、暴走を続ける。止まらない。
「ねぇそうですよね想也さん、想也さん想也さん想也さん想也さん想也さん!? あアあアあアアアあアあアぁぁッッ!!」
ぎりぎりと、想也の首を締める力が強まっていく。
蓬莱人の“死なない”は、どちらかというと“死んでも生き返る”の意味合いの方が強い――つまり、このまま行けば想也は一度死ぬ。いつもならこのまま死んでもいいや、と思えたが、今は状況が違う。一度死ねば、『ボク』が出てくる条件を満たし、妹紅の下に辿り着く前に、想也は身体を乗っ取られるだろう。
そんなこと、駄目だ。
妹紅と“約束”したのだから。
(……ごめんなさい)
ごめんなさい。
弱くてごめんなさい。
卑怯でごめんなさい。
……救えなくて、ごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
「――――【文が僕に恋心を抱いている事実】を、反対に」
結局、想也は文を、真の意味で救えなかった。
彼はまたしても、神から貰った自慢のチート能力で、無理やり全てを解決させた。
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