「よ、依姫様ぁ!」
『祇園様』の力により動くことができず、霊夢と魔理沙が沈黙していると、依姫の後ろから、涙目になりながら兎の耳を生やした少女が駆けてきた。
依姫の耳元でぽしょぽしょと何かを知らせると、依姫は眉間に皺を寄せる。
「……あんな小娘相手に何をやっているの?」
「小娘で悪かったわね」
依姫が少女に問い詰めると、それに答えたのは少女ではなく、依姫の言う『小娘』ーーもといレミリアだった。小娘と言われたのが気に触ったのか、少々怒気を孕んだ声色だった。
「……この子以外の月の兎はどこへ行ったのかしら?」
「少し威圧したらすぐに隠れたよ。月の兵士は弱虫だねぇ」
「……実戦経験がないものだから、ね」
……と、呟くと同時に、依姫は掌をレミリアに向ける。何か仕掛けるつもりだろう。それが分かったレミリアは、……しかし回避しようとしない。
する必要がないからだ。
「ーーーー」
依姫が何かを言いかけた瞬間、全てが止まった。……否、十六夜 咲夜以外の全てが止まった、と称した方が正確だろう。
これは彼女の能力『時間を操る程度の能力』の力。その名の通り、時間を操ることの出来る能力である。ソレを行使することで、咲夜は時を止め、依姫の攻撃らしき行動も止めた。
しかし、これだけでは彼女の攻撃は防げない。あくまでも『止めた』だけであって、『防いだ』訳ではないからだ。だから咲夜は、歩きながら依姫の背後に回り、羽交い締めにしてから時を動かす。
「……いつの間に、背後に?」
少々動揺しつつ、依姫は問う。
「瞬間移動とでも捉えて下されば結構」
と、言いながら、咲夜は砂浜に突き刺さっている刀の鍔をブーツの踵に引っ掻け、ぐいっと引っ張る(上げる?)。刀が完全に抜けきると、霊夢と魔理沙を拘束していた無数の刃は地中に引っ込んでいった。二人はほっと一息。
それを横目に見た依姫は、溜息を吐きながらレミリアに問う。
「貴女達の目的は、月の侵略だと思うのだけど、あっている?」
「その通りよ。紫に月を取られるのは、なんか癪だからね」
侵略理由を聞いて、依姫は呆れてしまう。
幼い吸血鬼が豊かの海に落ちてきて、月を征服しようとする、というのは、現在地上に居る『八意 永琳』ーー依姫というか、綿月姉妹からすれば恩師とも言える立場の彼女から知らされていたけれど、細かい理由までは知らなかった。
だから今、レミリアの行動理由を聞いて、かなり呆れたのだったーー現代のネット風に例えるならば『馬鹿じゃねーの』と思ったのだった。
なんだ癪だからって。そんな理由で月を征服されてたまるか。
「……まぁ、いいけど。私が居る限り、月の征服は絶対に不可能だから」
追求するのも面倒だった依姫は、『月の征服をさせない』と、改めて敵対の意思を示すことで、話を逸らすーーというか、俗に言う『シリアスムード』に持っていくことにしたのだ。
……いや最も、依姫自身が『そうだ、シリアスムードに持っていこう』とか、思った訳ではないのだけれど。
「……大した自信ね? でも、咲夜に羽交い締めにされている状況で言う台詞じゃないんじゃないかしら」
と、レミリアは冷静を煽るような発言をする。
勿論、この程度で冷静さを失う依姫ではない。
「試してみる?」
依姫はにこりと笑うと、何かを呟いた。
瞬間、彼女の両手は人間のソレではなく、全てを焼く神の火へと変化した。羽交い締めにしていた咲夜は、熱さにより顔をしかめ、後退する。
その様子を見て、興味深そうにレミリアは笑った。
「へぇ、やるじゃない。そのちんけな火、どういうものなの? 咲夜を引き離すなんて」
普通の火でも引き離されていたと思うんですけど……、と心の中で思った咲夜だったが、この状況で言える程の度胸は、残念ながら彼女には備わっていなかった。
「……確かに小さな火だけれど、しかしこれは『愛宕様』の火。全てを焼く神の火よ。これほど熱い火は、殆どないでしょうね」
『愛宕様』
八百万の神の中でも『火神』として最も有名な、『火之迦倶槌神』のことだ。母である『伊邪那美』を焼き殺してしまった神でもある。
『伊邪那美』を焼き殺してしまうだけあり、その火は凄まじい熱を持っている。「これほど熱い火は殆どない」という発言は、寧ろ「ない」と断言してもよかっただろう。
「……『愛宕様』だって?」
霊夢にとって、それは聞き覚えのある名前だった。彼女だって一応は巫女であり、『妖怪の賢者』八雲 紫に言われ、仕方なくとはいえ、その身に神を降ろす修行をしていた。神の名前くらい覚えていて当然である。
「さっきも『祇園様』って言ってたし……。もしかしてあんたも、私と同じ?」
「そう。私は、この身に八百万の神を降ろし、力を借りることができる」
霊夢の質問に対し、依姫は間髪入れず、隠す素振りも見せず、堂々と自らの力ーー『能力』を明かした。余程自信があるようだな、と、思う。
その考えは正解だった。彼女には自信がある。少なくとも、四百万回連戦しても勝てると思えるくらいには。
「ふぅん……奇遇ってやつかしら? 私もその力の修行、最近やったのよ」
「わかってるわ。だって、住吉さんが呼び出されていたもの」
途端、依姫は不機嫌そうに腕を組む。
「そのせいで、あらぬ疑いをかけられてたのよ? 迷惑なことこの上ない」
月の民からすれば、神を降ろすことが出来る人物は依姫のみである。だから、地上で霊夢が様々な神を降ろしていた際、同時刻に、依姫は「謀反を企んでいるのではないか」と、疑われていた。依姫からすれば、迷惑極まりない。
「……だけど」
と呟くと、依姫は足元に落ちている『祇園様』の刀を素早く拾い、そのまま、先程と同様に砂浜に突き刺す。会話中、突然だった為、四人は回避することが出来ず、あっという間に無数の刃に閉じ込められる。
「その疑いは、今日、貴女を突き出せば晴れるわ」
そう言って、依姫は不適に笑った。
……ここで魔理沙は、こっそりと懐に潜めていた『ミニ八卦炉』に手をかける。ーー逆転のタイミングは一瞬、これを逃せば、自分達はこいつに捕まるーーそう考えた魔理沙は、依姫が瞬きする一瞬を見極め、素早く『ミニ八卦炉』を取り出……!
「……っ!」
……そうとした瞬間、草むらに隠れていた月の兎達が飛び出し、魔理沙や、他の三人の動きを完全に封じた。更に厳しい状況だが……しかし魔理沙は諦めず、首筋に突きつけられた兵器ーー『剣銃』と呼ばれる物を視界の端に納めながら、ここからの逆転方法を思考する。
(……んん? あれ、これって……)
詰んでないか?
と、いう結論に辿り着いたのは、決して遅くなかった。寧ろ速すぎるくらいである。
……この場合は、遅かった方がよかったかもしれないけれど。
(戦って勝てる相手じゃない、逃げようにも『祇園様』とやらの刃、更に兵器。加えて、逃げ道は既に大破……)
もう一度考え直しても、非情にも結論は一緒だった。こりゃ駄目だ、と魔理沙は溜息を吐く。
「動かないのかしら? まぁ、仮に動いたら『祇園様』の怒りに触れるけどね……っと?」
ーーここで飛来したのは、黒色の剣。
不意を突かれたとは言え、回避出来ない程ではなかった為、依姫は屈んで回避し、剣が飛んできた方向を見る。
彼はそこに居た。
隠れる訳でもなく、堂々と、そこに居た。
「『祇園様』は女神を閉じ込めるーーんだっけ。じゃあ、男は普通に動けるじゃん」
「……生きてましたか」
「しぶとい奴なもんでね」
まるで黒い悪魔の如く、と、嫌な例え方をする彼だったが。
残念ながら(?)、月に『G』の名を持つ黒い悪魔は生息していない為、依姫には全く通じていない。黒い悪魔はしぶといのか、と、脳の片隅にインプットされた程度の反応である。
「……想也。あんた、今までどこ行ってたのよ」
唐突に消え、唐突に現れた少年を睨みながら、レミリアは問う。返答によっては殺されかねないオーラを纏っていた。
……しかし、そのオーラを向けられている当の本人は、とても軽い返答をする。まるで殺気に気付いてないかのようにーー又は、気付いていながら、それを恐れていないかのように。
「秘密でっす。自分で考えましょうよ、忠告を無視して月に来ちゃった愚か者のレミリアさん!」
寧ろ、更に挑発する始末。とうとう堪忍袋の尾が切れたレミリアは、凄まじいパワーで月の兎や『祇園様』の拘束を無理矢理に抜け出し、攻撃を仕掛けに行く。
凄まじいスピード。弾幕ごっこの枷を外した吸血鬼を、あくまでも人間の彼が止められるはずがない。
「よっと」
止めた。
人間であるはずの彼は、しかし、妖怪であるレミリアの攻撃を、軽々と止めた。
……まるで時が止まったかのような静寂が流れる。破ったのは、レミリアだ。
「……え」
小さく、か細い声だった。
今のレミリアには、それしか出せなかったのだ。どうして、という疑問しか、彼女の頭の中にはなかった。
呆然とどこかを見つめるレミリアに視線を合わせ、にっこりと微笑むと、少年は一言、発する。
「止めてくださいよレミリアさん。死んじゃうじゃないですか」
ぞくり、と。
彼の、優しいはずの笑みに。何気無い一言に。安心できるはずのソレに、しかしレミリアは、『恐怖』を感じた。
背筋が凍り、今すぐこの場から逃げ出したい衝動にかられ。情けないと思いながらもーー彼女の本能が訴えかけている。
『こいつから、逃げろ!』
「あ、……あ」
「? どうしたんですか、レミリアさん。もしかして、本当は怖くて、助けてー! なんて心の中で思ってたとか? うっわ何それ可愛い。萌える! 萌えますよレミリアさん!」
発言としては、いつもの黒橋 想也そのものである。
少しふざけていて、変態的な発言をナチュラルに組み込んでいて、それでいて他人を気遣うような優しい声色。レミリアのみでなく、霊夢も、魔理沙も、咲夜も、言動、声色に関してはいつもの想也だと、断言できる。
だけど本質は。
真っ黒だったーー否、真っ黒のように『感じた』
いつもの彼が淡く、優しい黒色だと例えるなら、言わば、今の彼は『真っ黒』。優しさもなんの欠片もない、全てを飲み込む深い闇。
彼女達は、今の彼を見て、そんな風に感じた。
「……ま、という訳で。お察しの通り、助けに来ました!」
そういう彼の目は、『真っ黒』だった。