DIOの娘がSCに混ざってお父様に会いに行く話 作:チョモランマ
18th May 1972
このディオは吸血鬼であり、これより永き時を生きる上で、様々な事物を目にするはずである。その情報量は莫大であり、いずれ記憶の中から失われていくものもあるはずだ。ゆえに、備忘録として、あった事柄とその時の私の考えをこのノートに記しておく。気が向けばもっとさかのぼった過去のことを書いてもいいし、思索を書き付けてもいいだろう。
まずは、現在に至るまでの大まかな経緯を書くとしよう。
ジョジョとの戦いに終止符が打たれ、私が棺の中に入ったのが1889年。棺が大西洋を漂った末、ついにアメリカのデラウェアの海岸に漂着し私が目覚めたのが1969年のことだった。その間、実に80年。80年の時を経て私はアメリカの地で復活を遂げた。
最初にこのことについて記していこう。
強い嵐の夜だった。それ故に、それなりの重量がある棺も海岸まで運ばれたのだろう。雷鳴と風と雨と波の音を聞きながら私は目覚めた。
そして私は、それらのことから己の置かれたおおよその状況を理解していた。
太陽の光から逃れる手段を得るため、そして空腹を満たすために、私はさっそく海岸付近を探索した。そして幸運にも近場にあった民家をいくつか見繕って、その家屋を住人の生命ごと奪った。この時私は、安易に屍生人(ゾンビ)を作ったりはせず、住人は痕跡の残らないように始末し、然る後に、己の入っていた棺を破壊して、荒れる海に流した。
私は慎重だった。80年の時間が流れていようとも、このときの私にとってジョジョに「してやられた」のはつい昨日の出来事だった。
後にわかったことであるが、この時の私の判断は正しかった。
各家庭に一つずつ電話があり、そして何よりテレビジョンがある。1800年台では想像すら難しいレベルの文明が現在のアメリカには展開されていた。移動にも馬車よりはるかに高速で安定している自動車が用いられており、情報の伝達スピードとその正確性が私の常識とは全く異なっていた。仮に私が棺を海岸に残したままゾンビの群を生産などしていたとしたら、後の私の活動は全く異なるものになっていただろう。
さておき、私はそれからしばらく情報収集を続けながらアメリカ国内を移動していった。先述の、この時代の情報伝達の特性もその中で気づいたものだ。
そして、「協力者」の必要性を私が強く意識し始めた頃。
私はフィラデルフィア郊外の小さな町で、アンジェリカ・一条という一人の女と出会った。
アンジェリカは、いち協力者として見れば、あまり上等な存在ではなかった。
父親の家系が日本の名家の血筋を引くらしく、それなりに金持ちの部類ではあった。だが、少なくともアメリカにおいて貴族のような特権階級に属している程ではなかった。その日本の家との繋がりも、私と出会う少し前に両親を交通事故で亡くしたのを境にほとんど途絶えていたという。
(ところで、この交通事故というのも80年前にはなかった概念だ。当時の交通にまつわる事故といえば、馬車に轢かれるとか、海難とか、汽車の脱線のような、稀にあるものであって、現代の「いわゆる交通事故」はもはやそれらとは別種のかなりメジャーなものだ)
話を戻そう。当時まだ20歳そこそこだった彼女は、仕事も無く、遺産の整理を終えたばかりでぼんやりと日々を過ごしていた。そこに、私が現れたわけだ。
当初、血液を搾取する対象として、という以外に私は彼女に何も期待していなかった。
吸血鬼として考える時、協力者を得るために最も安全で効率的な手段は、悪党…より具体的に言うならばギャングやマフィアのような犯罪集団を恐怖と暴力と利益で支配することだろう。それを思えば、彼女は善良で無力な一個人でしかない。私の有力な協力者になりえるとは考えもしなかった。
さらに言えば、私はその頃すでにアメリカから離れることを検討していた。国土こそ広大で潜む場所には事欠かなかったが、アメリカは最も先進的な国家の一つであり、国民も国内での犯罪も緻密に管理されていることが薄々わかり始めていた。アメリカは目覚めたばかりの私にとっては「やりづらい」国だったのだ。
その夜もいつもと同じように、私は食事のために、適当に見繕った家屋を訪れた。そこがアンジェリカの家だった。日暮れから数時間後、夕飯時が終わり道に人気が少なくなって来た頃を狙う。インターホンを鳴らし、顔を出した相手に吸血鬼の催眠術をかけて家屋に侵入し、ことを成す。それが私のやり方だった。
独り身のアンジェリカはさすがに全く無警戒ではなかったが、インターホンに答えて扉の小窓から顔を覗かせた。私は親しげに語りかけながらアンジェリカの目を見据え、催眠術をかけた。本来であれば、獲物はすぐに無条件で私を歓待してくれるようになる…はずだった。
しかし、この時のアンジェリカはそうではなかった。彼女は私の催眠術を受けておきながら、平然と会話を続行した。
これまで私の催眠術がはねのけられたことは一度としてなかったが、波紋戦士などのような特別の存在にまで通用するかは未知数だ。まさか間抜けにもこんなところでそれを引き当ててしまったのかと思い、私は焦りを感じた。
玄関先の問答として不信ではない程度の短い間だったが、私はとっさにかなりの神経を注いで言葉を繋げるはめになった。その上で彼女に念入りに催眠術をかけ直したところで、やっとアンジェリカは扉を開いた。
アンジェリカは丁寧に私をもてなした。だが、警戒心を忘れていなかった私は、表面上、友好的かつ紳士的な態度を維持した。催眠術はちょっとした刺激で解けることがあるからだ。
そして私はアンジェリカの血を吸う前に、戯れに彼女と会話に興じることにした。多少手こずらせられた記念というと妙な話だが、もし彼女が催眠術に対する抵抗力を持っているのだとしたら、その原因が何なのかを知りたかったというのもある。
アンジェリカと話していく中で、彼女がこのディオと十分に会話が成り立つインテリジェンスを有していることはすぐにわかった。私が海中にて過ごした80年間のブランクは非常に大きく、危険だった。それを埋めるために、それなりの学や見識を持っていそうな相手と出くわした場合には血をいただく前に対話することにしていたのだが、いつの間にか私はそれをアンジェリカ相手にしていた。
会話は弾み……そして次第に私は気づいた。彼女のそのインテリジェンスは、十分な理性に基づいているものだと。
そしていい加減時間が経過し、ようやく私は彼女が催眠術の隷下にないことに気づいた。
私は確信した。彼女には催眠術の効果がない。これは私にとっては非常に由々しき事態だった。
しかし翻って、十分な知能と警戒心を持っているはずのアンジェリカは、現に私という見知らぬ怪しい男を家の中に入れている。それが催眠術によってではないとするならば、いったいなぜ?
思わず尋ねた私に、彼女はこう答えた。
「だって、あなたが困っているように見えたから」
このとき、私はアンジェリカが「聖なる女」であることを直感的に察した。
聖なる女。…すなわち聖女である。
危機に瀕した時、他者を踏み台にして我が身を救うような狡さを持たず、何かのために己の命を擲つことのできる女のことを、私は密かにそう称している。例えばエリナ・ペンドルトンがそうだった。…ジョジョと結婚したから、エリナ・ジョースターと呼ぶべきか。
私がジョジョに致命傷を与えた時、今際の言葉でジョジョはエリナに逃げるようにと伝えた。しかし、エリナはそれを拒み、伴に死ぬことを選んだ。
彼女にとってジョジョとはそれほどまでに絶対的な存在だっただろうか?自らの「思し召し」とやらのままに殉教者を生み出す無責任な神、あるいは強烈なカリスマのもと生命すら差し出すことを他者に決断させる支配者のように。私にはそうは思えない。
一緒に死ぬという事に一体なんの利点があろうか。夫の死に際だ。後ろ髪も引かれよう。だが、なぜ一緒に死ぬという発想に至る? しかもエリナはあまりの事態に生還を諦めたわけでも、訳がわからなくなって錯乱したわけでもなく、悲鳴もあげず、うろたえもしていなかった。ただ当然のように、ジョジョと伴に死ぬことを選んだ。
その選択の正当性を私は理解できない。できないのだが、否定することもできない。
私の母もまた、聖なる女だった。
母の口癖は「善行を積めば天国に行ける」だったが、彼女はそうしきりに口にしながら、飲んだくれのろくでなしの夫、ダリオの面倒を献身的にみていた。そしてただでさえ飢えている彼女の食料を、より飢えている隣人たちに分け与えていた。そしてその挙句に死んだ。
彼女が何を考えていたのか私には全く理解できない。あれが本当に善性の発露だったのか疑問を感じるくらいだ。エリナと違ってこれに関しては断言できる。母は愚か者である。明らかに間違っていた。狂気に陥っていたと言ってもいいだろう。
しかし…彼女が最期の瞬間まで他者を貶めず悪徳に浸ることなく気高く生きたということもまた事実だった。
エリナはジョジョに寄り添う聖女だった。母は、私以外のなにかを見ていた。少なくとも私自身にはそう感じられた。
そして、アンジェリカ。
アンジェリカは、初めて現れた、私に寄り添う聖なる女だった。
アンジェリカが聖なる女であることを察した時、彼女をただ食料として消費しようという選択肢は私の中には無くなった。
不思議な問答は夜更けまで続いた。夜明けが迫る時間になってからその事に気づいた私は、彼女に一晩泊めてほしいと申し出ていた。
「太陽アレルギー」だから、今から外には出たくないのだと説明した。
彼女はしばし、きょとんとした後
「そう、それは大変ね」
と言って私を、ゲストルームへと案内した。
私はそうなることを予期していながらも、驚いた。彼女が何の躊躇もなく私の言うことを真に受けたことはもちろんだし、一見憐れむような彼女の言葉に、私が怒りを覚えなかったことにも。
私は憐れまれたわけではなかった。アンジェリカはただ、私の現状に関して感想を述べただけで、その上で、不便をかこつ私に対して自分なりの協力をしてくれたのだった。
そして、彼女の後ろ姿を眺めているうちに、私は気づいた。彼女の右手が、常に一定の範囲から出ないように動いていることを。
そして気づいた。彼女が羽織ったジャケットの内側に、密かにピストルが隠されていたことを!
後に私は確信するが、やはりアンジェリカは私の言うところの聖なる女であった。しかし、単なる善性の塊でもなかった。
彼女は、私を歓迎し、私の言うことを信用した。その態度には少しも疑念やゆらぎが見えなかった。本当に私の言う事を鵜呑みにしていた。それはひとえに彼女の善性の為したことだろう。だが、同時に、もし私が彼女に嘘をついていて、あるいは途中で心変わりして彼女に無体を働こうとするようなことがあれば、その瞬間に懐に隠し持ったピストルで返り討ちにするつもりでもあったのだ!
最初からだ。私が彼女の家を訪れたその最初のときからずっとそうだったのだ!!
なんて面白い娘だろうと思った。
彼女は聖なる女である。しかし、どこか現実主義者で虚無的なところがあった。
今更ながら思うが、だからこそ、彼女がこのディオにふさわしいと私は思ったのかもしれない。
私はそれから、アンジェリカの家にたびたび訪れるようになった。そのうちに私が吸血鬼であることは彼女にも知れたが、この事実もアンジェリカはためらいなく受け入れた。それどころか、私に血を提供することを提案してきた。まあ、もちろん女ひとりを殺さないで済ませる程度の血液では、私の生命を維持するくらいの効果しか見込めないので、依然、私の「夜の散策」は続いたが。
彼女は私が人を手にかけていることに不満を感じているらしかった。
ある日、彼女は憂鬱そうに、吸血行為そのものは仕方ないにしても、人を殺すのはやめてほしいと言ってきた、
もちろん私は依然として吸血の際に人を殺すことをやめるつもりは無かった。当然だ。状況が許せば命までは取らないでやるのもいいだろう。それは可能だったし、私にとって利点もある。しかし、必要ならばやはり殺すことに躊躇はない。
そんなことを考えながらも、私はなんとなく、アンジェリカの要望に言葉の上では了承した。当然、馬鹿ではないアンジェリカは私のこの考えを察しているはずだった。それからしばらくののち、改めて私はアンジェリカに、私の殺人についての思いを尋ねた。
アンジェリカは言った。
「仕方がないのでしょう?」
不思議な気持ちだった。このときの私の気持ちは言葉では言い表せない。
そう。実際、仕方がなかった。実際、私は悪意や野心などとは別のところで切実に血を必要としていた。
首だけとなり弱り果てていたところに、やっとジョジョの肉体を手に入れたかと思いきやその直後に80年間の絶食だ。手下も居ない状況で私自身が身の安全を確保するためには、まだまだ大量の活力に満ちた血が必要だった。
彼女は重ねて言った。一字一句違えず思い出せる。
「仕方がないのなら、私はあなたを責められないわ。責める相手がいるとしたら…神様か誰かかしらね」
ただ、やっぱりあまり人を傷つけるようなことはして欲しくないわ。彼女はそう言った。
決して、絶対に、このように紙に記すことさえ不愉快で許しがたいことであるが、あえて書く。
その姿はまるで、悪徳の権化であった私の父ダリオを、それでも無条件に許し愛した、善性の権化であった私の母のようであった。
その日以来、私は本格的にアンジェリカを手放したくなくなり、完全に彼女の家に住み着いた。そしてしばらくの後に、ドリスが生まれたのだった。
…少し文章が乱れたので、続きはページを改めよう。