意識がゆっくりと浮上してくる。自分という意識と身体があるのだと認識し始めて、目覚めの時が近いと察する。
そして寝惚けた頭で寝る前の記憶を辿った。
……そういや、ズタボロになりはしたがちゃんと帰ってこれたんだったか。
昨日(?)最後に見た光景は、焚き火を囲む四人の姿だった。妙に身体が重いのは血を流しすぎたからか。とりあえず起きようと思ったその時。
べちゃっ。
冷たい水気をたっぷりと含んだ布が顔に乗せられた。水滴が顔全体を襲う。……なんだこれ。
「おいオルキス。ダメだ、タオルを乗せるならちゃんと絞ってからじゃないと」
注意するような言葉だったが聞く印象としては柔らかい。間違いなくスツルムの声ではあるか。声がしてから顔に乗ったタオルが退けられ、絞っているのか水の垂れる音が少し離れた位置で聞こえた。続いてびしょ濡れになった俺の顔を適度に絞られたタオルが拭ってくれる。
……これはあれか。オルキスが加減を知らず濡らしたタオルをそのまま乗せて、スツルムが注意したってことでいいんだよな? 良かった、新手の嫌がらせかと思ったぜ。
「……目、覚めたからもういいぞ」
俺はこれ以上なにかされる前に声を発しておく。すかさず目を開けると少し驚いたような二人の姿があった。オルキスは俺の顔を覗き込むような位置だが、スツルムは少し離れている。
「……起きていたなら最初から言え」
「起きようとしたところにびしょびしょのタオル食らったら面食らうだろうが」
憮然とした顔になるスツルムに対し、負けじと言い返す。
「……ごめんなさい」
発端が自分にあると知ったオルキスが謝った。
「オルキスが謝ることじゃない、と言いたいがオルキスのせいだな。まぁ次から気をつければいい」
上体を起こしてぽんぽんと頭を撫でてやる。あまり表情が変わっているようには見えないが、おそらく落ち込んでいるのだろうと、発言から察していた。
「お、おい。目が覚めたなら早く服を着ろ」
僅かに動揺したようなスツルムの声を聞いて、服? と自分の身体を見下ろした。そこには一糸纏わぬ裸体が。……いやパンツだけは履いているな。
「なんで脱がされてるんだ? まさかオルキスが……」
「違う。汚れてたから、ドランクのヤツが洗ったんだ。そこに干してあるだろ」
冗談交じりの発言を呆れたようなスツルムに否定されて、焚き火の近くに干してあった黒い衣服を見やる。
「ほう。ってかテントに入れてくれなかったんだな」
「元々はテントに入れていた。ただテントを片づけるのに邪魔だからと、外に移されたんだ」
なるほど。そういやテントはもう設置してないな。撤退をスムーズに行うためだろうが。
「んじゃ着替えるか」
「さっさとしろ」
俺の軽い言葉に焦られるような声が返ってくる。……? もしかしなくてもスツルムって男慣れしてない? いやでも確かドランクと一緒にいるんじゃなかったか?
不思議に思って服を着ながら本人に尋ねてみることにする。
「なんだ、スツルムってドランクと恋人じゃないのか?」
「っ!?」
俺の質問に、スツルムの顔があからさまに赤くなった。……ほう?
これは面白い発見をしたと追撃しようとする俺の首筋に、剣が突きつけられた。
「ふざけたことを言うな。お前もあいつと同じように刺されたいか?」
「怪我したばっかのヤツにそれはやめてくれ。まぁ単純な興味だ。いつも一緒にいる印象があったからな」
「ふん。……あいつとはただのコンビだ。前衛と後衛、戦闘においても相性は悪くないからな」
茶化すようなトーンじゃなかったからか、スツルムはきちんと応えてくれた。……確かにスツルムが前衛として突っ込むタイプなのに対し、ドランクが後衛で魔法による援護を行うとなればバランスがいい。あとスツルムは無愛想だがドランクは愛想いいし。色々と相性がいいのだろう。
「“も"ってことは性格面でも相性いいってことじゃね痛って! 待て俺はあいつみたいに防御できねぇんだよ!」
からかおうとした俺の腹に切っ先が刺さった。ドランクは魔法で防御して本当に刺さることはないのだが、俺はそんな技術を持っていないので普通に刺さった。
「あ、すまない」
スツルムもついやってしまったようで、剣を引いて謝った。本当に小さい傷なのですぐに治るだろう。一応自らの気を高めて身体能力、治癒能力を向上させる内功を使い塞いでおいた。
「……スツルム。ダナン苛めちゃダメ」
そんなことをしていたらオルキスが俺とスツルムの間に割って入ってきた。彼女の無機質な瞳に捉えられ、流石のスツルムも手が出せなくなったようだ。……これは使えるぞ。
俺は上下の服を着込んでからオルキスの後ろに隠れる。
「いやでも照れるってことは図星なわけだよな。そっかスツルムはドランクといるのが居心地いいかー」
「この……っ」
「ふふふ。オルキスの後ろに隠れている俺に手が出せると思うなよスツルム。徹底的にからかってやるからな」
「くっ……!」
楽しげな俺の声と悔しげなスツルムの声。さぁもっとからかってやろうと思ったのだが。
「……ダナン。スツルム苛めちゃダメ」
くるりとこちらを向いたオルキスに咎められてしまった。……チッ。庇ってもらった手前、従う他ないか。
「まぁいいや。次の機会に取っておくとするか」
「後で覚えておけ」
「ははっ。なら今少し手合わせでもするか? 昨日の件もあって身体を動かしたい」
「いい案だ、と言いたいところだが」
やる気になりそうなスツルムも鍛錬に誘うが、断られそうな雰囲気があった。
「お前がやることは別にある。飯だ。飯が最優先だ」
妙に真剣な声音で告げてくる。
「飯?」
「そうだ。お前が昨日帰ってきて早々に倒れたから、なにも食べずに今に至る。雇い主とドランクは準備を進めているが、その間にお前が飯を作れ」
「……アップルパイ」
スツルムの少し切羽詰まった言葉に続き、オルキスまでもが要求してくる。……いやパイ焼く機械ねぇから作れないけど。
「アップルパイはまた今度な。パイを焼くにはちゃんとした機械が必要だからな。まぁ飯は作ってやる。俺の担当だからな。で、材料は?」
オルキスの頭に手を置いて宥めつつ、スツルムに尋ねる。
「そこにある野菜の類いと、今朝狩ったこの魔物だな」
今朝街で買ってきたのか、袋に積まれた野菜があった。そして近くに倒れた猪のような魔物。
「しょうがねぇか。材料は全部使っていいんだな?」
「ああ。問題ない。できれば早くしてくれ。空腹だ」
「……お腹減った」
「わぁーったよ。そんじゃ作るから、スツルムは焚き火を二つ増やしておいてくれ」
「わかった。野宿する中で美味い飯を食わせる。それがお前の協力目的の一つだと忘れるな」
「はいはい。戦力にはならねぇが、できるだけはやってやるよ」
ということで、俺は調理を開始した。まず魔物を捌く。この辺の手法はナルメアと暮らした時に習ったモノだ。……あの人意外と言ったら失礼だが、ハイスペックだよな色々と。
肉は切り分けた状態で切り開いた皮の上に置いておき、一旦血塗れの手を水の魔法で洗い流した。焚き火の一つに鍋をかけ、水を熱しておく。沸騰するまでの間に野菜を刻んで下処理を済ませた。根野菜から火にかけなければならない。
沸騰した鍋の水に調味料で味つけをしいい味になってから野菜を次々と放り込み、刻んだ肉を放り込む。ぐつぐつと煮込みながら味を見て調整する。
くぅ、という可愛らしい腹の音が聞こえてきた。かなりいい匂いになってきたからな、俺も空腹を意識させられる。
「まだ食べるなよ」
スツルムとオルキスの視線が鍋に固定されているのを確認して釘を刺しつつ、余った材料で更に料理を作っていく。
肉を一口サイズに切ってタレで炒めたステーキの山と、大容量の鍋。更にはデザート、と言うかオルキス用に作ったリンゴの甘煮だ。アップルパイにも使っているモノなので喜ぶ、かもしれない。
「目が覚めて早速料理なんて、女子力高いね~。僕もうお腹減ってしょうがなかったんだよねぇ」
廃工場の方から出てきたドランクが嬉々として声をかけてくる。続いて黒騎士も出てきた。ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らしていたが、身体は素直だったようでぐぅと鎧の奥からはっきりとした腹の音が聞こえた時には、思わずドランクと同時に吹き出してしまった。……二人して脳天に一撃食らったのは言うまでもない。
そして作り終えた飯を配膳して空腹に任せがつがつと食べていると、黒騎士が器を持ったまま食べていないことに気づいた。
「兜あったら食べられないに決まってんだろ? 外したらどうだ? 腹が減っては戦はできんよ」
俺は未だ黒騎士の素顔を見たことがなかったので、いい機会だとばかりに告げる。
「それもそうか」
別段隠すつもりはなかったのか、それとも空腹に耐えかねたのか。黒騎士は大人しく器を置いて両手で兜を外す。兜の中から出てきた素顔は、妙に気が強いというか険しくはあったが整っていると言って良かった。艶やかな茶色い髪をした、女性だ。多分だが。
「黒騎士って女だったのか」
「……今更か」
くぐもっていない声を初めて聞いた。驚いたような俺に、黒騎士は呆れたような顔をする。……確かに兜を外した状態で聞くと女性の声にも聞こえるが。なんていうかどっちにも取れる声ではあるんだよなぁ。
「あんたが今まで兜取ってなかったんだろ。俺があんたの分も飯作っておいたら『外で食べてきたからいい』とか言って食わなかったじゃねぇか。どこの家庭を省みない父親だよ」
「――おい。二度と言うなよ」
普段通り軽口を叩いたつもりだったが、黒騎士の雰囲気が一変してピリついたモノになる。……おっと? なんだ、今の発言にこいつの怒りに触れるような部分があったのか?
「言われたくなきゃ家で食え。あんま個人で金持ってないのに外食とか、より金かかんだろうが。家計を考えろ家計を」
「母親か貴様は。……まぁいい。次からは外で食べない。これでいいか?」
案外あっさりと従った。……んー。どっちかっていうと「家庭を省みない父親」って部分への反応だったのか? だからそう思われそうな行動はしない、と。
俺は一旦そう予想を立てておく。
「ああ。んじゃ遠慮なく食べろ。その辺で食べるより美味いから安心しとけ」
俺の自信たっぷりな言葉を聞いてか器に口をつけて啜った。
「……ああ、美味いなこれは」
「「「……」」」
一口の後の感想を言う時、少し表情が柔らかかった気がした。そのせいでぎょっとするような顔で俺とスツルム、ドランクの三人が彼女の顔を見ることになる。……オルキスは一心不乱に食べていて気づかなかったようだが。
「なんだ? なにか私の顔についているか?」
「いんやぁ。でもボスがあんな顔するなんて、ダナン君の料理は凄いなぁと思って」
「やめとけドランク。さっきみたいにどつかれる程度じゃ済まないぞ。最悪斬られる」
「……おい貴様ら。随分好き勝手言っているようだが」
からかうようなドランクを制しようとした俺までもが黒騎士に睨まれてしまう。さっき殴られた一撃を思い出してヤバいと逃げる準備を始めるが。
「騒ぐようなら全部二人で食べ尽くすぞ」
呆れたようなスツルムの声にはっとする。見るとオルキスが鍋のお玉を手に取って器におかわりを装っていた。ここにいる全員オルキスの大食いは知っている。騒いでいる内に自分の取り分が減るのはマズいと理解した。
「チッ。ここは食後に取っておくか」
「ダナン君、ボスの機嫌取るための秘密兵器とかないの?」
「俺がそんななんでも屋みたいに見えるかよ。まぁ腹いっぱい食えば多少マシになるだろうよ」
空腹だとイライラするって聞くしな。満腹になれば黒騎士も多少穏やかになるかもしれない。
そうして五人で食事を済ませデザートを食べることに勤しむオルキスは兎も角、食休みという段階になった。
「……美味しい」
「そりゃ良かった。帰ったらちゃんとアップルパイにしてやるからな」
「……ん」
リンゴだけで食べると甘さが前面に押し出されて大人好みの味ではなくなってしまうのだが。オルキスには気に入ってもらえたようだ。アップルパイを食べさせてやる約束をして、とりあえずリンゴの甘煮を食べさせておく。
食後で腰を落ち着けたところで、俺は話しておかなければならないことがあった。
「とりあえず落ち着いたことだし、昨日俺になにがあったのかを一応話しておく」
俺が発言すると、オルキス以外の三人の注意がこちらを向くのがわかった。
「その話もあったな。貴様と会ってから二週間、多少なりとも鍛えたはずだが……かなりボロボロだったな」
「ああ。流石に二週間やそこらで黒騎士と渡り合えたり無傷で逃げ果せたりはしねぇってことだ」
「なに?」
「……相手はあの十天衆、しかもその頭目だ」
「なんだと!?」
俺の言葉に、黒騎士は腰を浮かせて驚く。
「本当だぜ。ってか考えても見ろ。服洗ったらしいドランクならわかると思うが、刃物相手であれだけ刺し傷しかないのはおかしいだろ?」
「まぁ確かにね~。普通刃物だったら“斬る”から、刺し傷は少なくなる。けどダナン君の服や鎧は剣で刺したようなモノばかりだった。つまり」
「剣を飛ばして戦える上に、その飛ばした剣であっさり胸当てを斬れるくらいの実力者とも考えられる」
「十天衆の頭目、シエテというわけか」
俺の発言をドランクが補足し、スツルムと黒騎士が答えを導き出す。これで俺が嘘を言っているとは思われなくなっただろう。
「……ふん。で、その十天衆がなぜ貴様を狙う?」
黒騎士はどっかりと座り直して腕組みし俺へ顔を向ける。とはいえ既に兜になっているので威圧感があった。言外に「もしかしてバレたのではないだろうな」と問いかけてきているようだ。
「俺が商人連中を皆殺しにして、商品を壊したからだとよ」
「……ダナン君ったらそんな極悪非道なことしてたの?」
簡潔に答えるとドランクが引いたように茶化してくる。
「その商人というのは奴隷商だろう。確かあの島の裏手にあった奴隷商館が壊滅したと噂に聞いた」
黒騎士がずばり答えを口にした。
「正解。まぁ俺の元いた島がそこと提携してたみたいでな。その運搬船を略奪してこの島まで来て、ついでに滅ぼしといたんだ」
「ついでって……。君、なんだかんだ言ってとんでもないよね」
「引くなよ」
「いや引くでしょそんなん」
割りと真面目に引いているらしく、如何に俺の感性がズレているのかを伝えてくる。
「まぁその運搬船乗っ取った時に操舵士だけ生かす必要があったんだが、最後に始末するのを忘れててな。そいつが商売内容隠した上で誰かに訴えたらしい」
「それで狙われた、と。しかし妙だな。そんな些細な案件で十天衆が動くとは思えん。いくら殺した人数の数が多かろうが、所詮は奴隷を売っていた非合法な連中だ。脅威と取るには根拠が薄い。砦にいた兵士皆殺しなら話はわかるが」
「そう、妙なんだよなぁ。人数は兎も角相手は非戦闘員ばかりで、戦えそうなヤツには不意打ちしまくってたし。わざわざ出る幕はなかったと思うんだが」
「そもそも本当に狙われていたなら、貴様がこうして生きているはずがない」
推測を述べていくと、黒騎士が断言した。悔しいことにそれは事実だ。
「そこなんだよなぁ。けど俺を捕まえたくないんなら最初から襲わなきゃいい。ってことはなんつうか……襲ったという事実が欲しかった、のか?」
顎に手を当てて考え込むが、答えは出てきそうにない。例え推論を並べ立てたとしても時間の無駄だろう。
「……ふん。まぁいい。とりあえず私達のことがバレたわけではないということか」
「ああ。だが一つ気がかりな点がある」
「なんだ?」
聞かれて、真剣な表情を作り告げた。
「十天衆は一人じゃなかった」
断言する。崖から落ちる時に見えた、空から降りてきたヤツも、シエテと同じデザインのマントを羽織っていたと思う。
「少なくとも俺が見たのはシエテと、もう一人。空飛んでた弓かなんかの使い手だ。遠目から見ただけだけどな」
「……その情報が正しければ十天衆が二人、か。しかも飛行できる弓使い、ソーンだと考えられる。どうもきな臭いな」
黒騎士も不審に思ったようだ。
「貴様一人に割く人員ではない。つまり、別の目的がある」
「そういうことだ。それが俺達なのか別でなにか動いているのかは知らねぇけどな」
一先ず俺達が今辿り着ける結論までは来たはずだ。
「どうする? もし他にもいた場合、この島で妙なことをすれば目をつけられる可能性もある」
「計画は続行する」
スツルムの懸念を一蹴する黒騎士。
「既に動き出している。今更やめるつもりはない」
「まぁ僕達としてもこれまでの苦労が無駄になるのは遠慮したいんだよね〜」
「そうと決まれば早速行こうぜ。あいつら、そろそろここを嗅ぎつけるんじゃないか?」
本人の意思が変わらないなら予定通り動くだけだ。
グラン達をこの奥に誘き寄せる作戦を決行する。
「そうだな。スツルム、ドランク。予定通り別口から来るヤツらを最奥に誘導しろ」
「はぁ〜い」
「ああ」
黒騎士の改まった指示に、二人はそれぞれ頷いた。
「人形とダナンは私と共に来い。ヤツらを先回りして待機する」
「……」
「了解」
俺は声に出して、オルキスは無言でこくりと頷いた。
「では行くぞ。気を引き締めろ」
号令があって、俺達は動き出す。今はまだ交わらぬそれぞれの目的のために。