全身がずきずきと痛む。暗い底にあった意識が一気に浮上してきた。
……死後に、生前受けた怪我とかって反映されるんだな。
ズタボロの雑巾みたいな身体になっていたはずだ。マフィア達が俺を川に流すと話していたことも覚えている。記憶は問題ないようだ。
じゃあ今いるところはなんだ。寝転がっている、のか? ベッドに寝転がって布団も被せられているように思う。フカフカした寝床のことをベッドと呼ぶのは知っているが、俺の育った街にそんなモノあったか? マフィア連中のアジトならあるかもしれないが、俺の知っている場所にはないぞ。
それにいい匂いがする。料理という味のついた食べ物を作っている時に出る匂いだ。生まれてこの方、料理なんてモノの存在を疑っていたんだが。マフィアのヤツらは食べていやがったな、それを盗むとかいう依頼もあったような気がする。ただマフィアがそう言っているだけで、ほとんどの人はそんなモノを知らないと思っているのだが。いや、ベッドが存在するというだけでここは裕福なのでは? なら料理を知っていてもおかしくないのか。
確認しようと目を開けた。瞼が重い。頭は回ってくれているが、身体に力が入らない。腕も上がらず起き上がるのも難しいだろう。目を開けると見知らぬ天井が見えた。木造の小屋、か? そんなに天井が高くない。ただある程度綺麗にされていて、澄んだ空気が漂っていた。街全体がどんよりしたところにいたせいか、よりそう思う。
そうして中を観察していると、一点に目を惹かれた。そう大きくない小屋だが、俺の寝ているベッドの他にテーブルがあり入り口の扉近くには台所もあった。それなりにいい小屋だ。俺からしてみればとんでもなく裕福に見えるが、この程度なら一般家庭ぐらいだと教わっていた。
その台所に、俺に背を向ける形で向かっている人物がいたのだ。……ただまぁ、背中の大胆な見せ具合はヤバかったが。陶磁器のように透き通った背中は小さい。全体像で見ても百三十センチくらいしかないんじゃないだろうか。それもそうか。紫の長髪を掻き分けるように突き出た二本の角がいい証拠だ。ドラフの女性だろう。
ドラフ族は男女で体格に差がありすぎる。男のドラフは俺をボコ殴りにしたヤツと同様に、二メートルくらいの身長と筋肉隆々なのが特徴だ。逆に女のドラフは身長が低く変わりにと言っていいのかスタイルが飛び抜けていた。
そのせいかドラフの女性は人攫いによく遭うんだよな。多分まぁ、使い道上の問題で人気なんだろう。
俺がじっと彼女の背中を眺めていると、くるりと振り返った時に目が合った。左目を前髪で隠した童顔が見える。髪は後頭部で括ってあったので後ろからでも見えていたが、白いエプロンを装着していた。目が合うと微笑んでぱたぱたとこちらに近寄ってくる。前から見るとよりわかりやすく、グラマラスな体型をしていた。
「目が覚めたのね、良かったぁ」
ベッドの傍に屈んで、心から嬉しそうに笑っている。近づいてきたことで甘い匂いがしてきた。……もしかして、ここは死後の世界なのか? いや、どうなんだろうか。少なくとも俺のいた街でこんなに綺麗で可愛いドラフの女性が無事でいられるわけがない。そういう場所だ、あそこは。
「見つけてから三日も眠ったままだったから、もう目が覚めないかと思って心配しちゃった」
にこにこと話してくれる。つまり俺はこの人に拾われて看病されていたってことか。意識してみると薬の匂いが身体から漂っているのがわかった。布団がかかっているのも下半身の下着だけで、後は包帯が巻かれていたりガーゼが当てられていたりしている。
ってことは俺は、生きているのか。
まだ命があることに驚くしかなかった。あの時確実に死んだと思っていたのだが。
「そう、か。悪いな、助けてもらって」
「ううん。気にしないで」
「悪い。で、ここはどこなんだ?」
別の島……ってことはないよな。川を流されていたのだから、同じ島のはずだ。
「ここは名前もない小島の一つで、そこにある山の中だよ」
「山? えーっと、この島に街はあるか?」
「うん。あっちの方に治安の悪い街があるみたいだったけど、修行するなら山の方かなって思ってこっちに来ちゃった」
治安の悪い街、か。多分俺がいたところだよな? まぁ詳しくは知らないみたいだし、そう思っておくだけにしておくか。怪我が治らないことには島から逃げることもできないし。
「修行か。まぁでも、街の方に行くんじゃなくて良かった。多分そこが俺のいたとこだからな。あんたも言ってた通り治安最悪の場所だ。行かなくて正解だ。あと、あんたが山の方にいてくれたおかげで俺も拾われたんだろうしな」
偶然が重なって、というヤツだ。おかげで俺はまだ生きている。まだ生きているということは、あいつらに仕返しする機会もいずれあるはずだ。ボコボコにされた恨みはいつか晴らしてやる。俺がもっと強くなって、物資もたくさん集めればなんとかなるはずだ。
「お姉さんでも役に立てたなら良かった」
ただこの人の邪気のない笑顔を見ていると恨みが薄れてしまいそうだ。気をつけておかないと。
「いや、ホントに助かった。そういや、あんたの名前は?」
命の恩人でもある。そういえば名前を聞いてなかったかと思って尋ねた。
「私はナルメア。修行の旅の途中なの」
「ナルメアか。ありがとう、助けてくれて。俺はダナンだ。返せるもんがなくて悪いな」
「気にしないで、ダナンちゃん。あっ、そうだ」
ちゃんて……。と思っているとナルメアはぱたぱたと台所の方へ駆けていき、火をかけている鍋の中を目いっぱい背伸びして覗き込む。淵に立てかけているおたまを手に取って中身を掬うと、湯気の立つ料理に息を吹きかけて冷ますと口をつけて味見をしていた。味に満足したのかおたまで中を数回混ぜると、器を手に取り装っていく。充分器に装ったのかおたまを置いて火を止め、器とスプーンを持って戻ってきた。
「三日も寝込んでたからお腹空いてるでしょ? たくさん作ったから好きなだけ食べて」
屈んで器を近づけられると、美味しそうな匂いが強くなって腹がぐぅと鳴った。器とスプーンを受け取ろうと腕を上げようとして気づいた。そうだ、力が入らず腕が上がらないんだった。目の前に今までの人生で一番美味しそうな食べ物があるというのに、なぜ俺の身体は動かないんだ。クソッ。
「……もしかして、食べたくない?」
俺が一向に受け取らないからか、ナルメアはとても悲しそうな顔をし始めてしまう。いや、食べたい。とても食べたい。怪我さえなければ鍋一つ平らげるくらいには食べたかったんだが。
「いやその、まだ身体が動かなくてな。腕が上がらないんだ」
起き上がることもできないし、腕も足も満足に動かせない。こんな状態じゃ仕方ないと思う。
「そっか。じゃあお姉さんが食べさせてあげるね」
食べたくないわけではないとわかったからか笑顔に戻り、器からスプーンで白い料理を掬い息を吹きかけて冷ますと、俺の方へと差し出してきた。
「はい、あーん」
その行為がどういったモノであるかを、荒んだ人生を歩んできた俺には理解できなかった。ただ、その行為が非常に気恥ずかしいモノであるということだけはなんとなく理解した。
「……えっと」
まぁ確かに俺の手で食べられないのだから人に食べさせてもらうのは当然だ。でなければ飯にありつけないのだから。ただちょっと気恥ずかしさが先行して、躊躇してしまった。
「……やっぱり、お姉さんの料理食べたくない?」
そのせいでできた間に、ナルメアはしょんぼりと肩を落としてしまう。命の恩人にそんな悲しそうな表情をさせるのは申し訳ない。
「い、いや。ちょっと驚いただけだから。悪い」
「ううん。食べれる?」
「ああ、腹減ってるから、それは大丈夫」
「そっか。じゃああーん」
再度差し出されたスプーンに応じて、口を開ける。スプーンの先が口の中に入ってから閉じて食べた。ゆっくりとスプーンが引き抜かれて、液体上のそれが口の中に広がった。……美味いな。これが料理ってヤツなのか。よく煮込まれた柔らかい肉や野菜と相俟って食べやすく、優しい味つけが身体に染み渡るようだ。租借して飲み下すと、程好い温かさの料理が喉を通って胃に広がる。身体に力が戻ってくるようだった。
「……美味いな。こんなに美味いモノは初めて食べた」
心から出た言葉だ。
「ううん。全然、まだまだだよ」
「いや、間違いなく俺が食べてきた中では一番だ。なにしろ、今まで料理すら食べたことがなかったからな」
「……そっか。まだまだあるから、好きなだけ食べてね」
なぜか一口一口「あーん」をしてきたが、食べさせてもらっている身で我が儘は言えまい。とりあえずナルメアが嬉しそうだったので気にしなくていいだろう。
「今の料理はなんて言うんだ?」
料理を食べ終わって満腹になったところで、彼女に尋ねてみた。
「? シチューだけど?」
「シチューって言うのか、さっきの」
「うん。もしかして食べたことなかった?」
「ああ。さっきも言ったが、料理なんて贅沢なモノを食べたことなくてね。大抵は乾いたパンとか、腐りかけの肉を焼いたヤツとか。まぁ碌なもんじゃなかったからなぁ」
「そっか。大変だったね」
なぜか頭を撫でられてしまった。気恥ずかしいので振り払いたかったが、動けないのでどうしようもない。それに妙に傷つきやすいので、恩人への態度として拒むようなことはよろしくないらしい。
しかしこうして他人の手が優しく触れるのは何年振りだろうか。柔らかくて温かい。妙な安心感が胸の中に生まれてくる。この感覚は多分、俺が幼い頃。まだ母親が生きていた頃にはあったモノだろうか。あの頃には、まだ人との触れ合いや温もりがあったように思う。
久しく忘れていたが、まぁ、悪くはない感覚だった。
それから俺は、自力で動けるようになるまでナルメアに面倒を見てもらった。
……いやまぁ、正直言って濡れタオルで全身を拭ってもらう時ほど恥ずかしいモノはなかった。いくら動けないとはいえ、いくら下着一枚は履いていたとはいえ。ただ断ると凄く落ち込むので、申し訳なくなってくる。必要なことだと言い聞かせて気にしないようにしている。彼女も人の面倒を見るのが楽しいみたいなので、二重の意味で断りづらい。
俺が満足に動けるようになるまで、目覚めてから一週間かかった。
聞けば俺がなんとか一命を取り留めたのは、ナルメアが持っていたポーションを使ったからだそうだ。それでも治り切らなかった怪我は自然治癒に頼るしかなく、絶対安静の状態だったわけだな。それでもちょっと過保護だったような気がしなくもないが。
「お姉さんは出かけてくるから、ダナンちゃんはまだ無理しないようにね」
「わかった」
やけに子供扱いされるのにもすっかり慣れてしまった。小屋を出ていくナルメアの小さな背中を見送る。
あと、彼女についてわかったことがあった。それは、今のようにほとんどの時間を外で過ごしているということだ。世話焼きではあるのだが、早朝から朝食を作るまでの間、朝食後から昼食を作るまでの間、昼食後から夕食を作るまでの間は外に出かけている。もし俺がいなければ一日中出かけているのではないかとさえ思うほど、よく外出するのだ。
なにをしているのかは聞いていないが、修行だろう。たまに魔物を狩ってきて小屋で捌くこともあったので、食料確保も合わせて行っているはずだ。その時の手際から、ずっと前からそうして暮らしてきているように思える。更にでかい魔物をも無傷で狩ってくるので、相当に強いとは思っている。実際に見たわけではないが、とりあえず怪我をしているところは見たことがなかった。
得物は刀のようだ。立てかけてあるのを見ている。
……刀か。まだ使ったことがなかったな。
俺の性質上、できる限りの武器を扱えるようになっておいた方がいい。
俺の生まれつき持っている能力故に、武器を扱えるようになるというのは必須事項だ。今のところは一番得意としている短剣に、必要だったから使い方を覚えた銃。剣、槍、格闘も覚えるだけは覚えたか。まだまだ実戦で使えるレベルじゃない。とりあえずの、って感じだ。
……ってことはナルメアに剣を教えてもらった方がいいかもしれないな。
三日寝込んで一週間動けなかった。合わせて十日もサボってしまっている。身体が鈍って仕方がない。
そろそろ身体を動かさないと取り返しがつかなくなるかもしれない。
身体を解しがてら散歩でもしてみるか。
ナルメアには安静にしていろと言われているが、俺も俺で目的がある。ただじっとしているわけにもいかなかった。
俺はベッドから出て包帯の取れた身体に衣服を纏う。七分丈の黒いズボンと黒いフードのついた上の服だけだが。短剣も流されてなくなっているということはなく、置いてあった。服を着込むと洗濯をしてこなかった故の汚さや固さがなくなっていると肌で感じる。ナルメアが洗濯してくれたらしい。
なにからなにまで申し訳ないが、今の俺には返せるモノがない。
武器を手に取った俺は小屋を出る。久し振りに吸った外の空気が美味しい。いや、今まで淀んだ街で過ごしてきたので一層美味しい。辺りは木々の生えた穏やかな森だった。
しかしこんな森にすら山賊やら魔物がいるのだ。油断はできない。
少し身体が重いように思うが、調子は問題ないようだ。ナルメアがどこにいるかはわからないが、辺りを散策してみることにした。
そして、見つけた。
ナルメアと、対峙する魔物をだ。俺は息を潜めて経過を見守った。助けに入っていこうとか、そんなつもりは毛頭なかった。彼女が強いと予想していたというのもあるが、彼女の纏う雰囲気がそれをさせてくれなかった。
対峙している猪の魔物も鼻息荒く身構えているように見せているが、俺には怯えて動けない憐れな獲物にしか見えない。
「さようなら」
俺の聞いたことがない冷たいとも取れる声音が聞こえた。直後腰に構えた刀を振り抜き、魔物を斬り伏せる。
……なんだあれ。速すぎて見えなかったぞ。
俺の目に見えたのは、剣を構える動作と振り抜いた姿勢だけだ。途中の所作は見えなかった。つまり、少なくとも俺とはそれだけの実力差があるということだ。
実際に彼女の実力を目の当たりにして、俺は一つの決意を固める。息を潜めることをやめ、物陰から飛び出した。こちらを振り向き驚いて目を開くナルメアへ、決意を口にする。
「ナルメア。俺に剣を教えてくれないか?」
ナルメアが好きです(唐突)。
ヒロインになるかはまた別ですが。
因みにここで主人公を拾うキャラは他にも案がありました。
ナルメアがエプロン姿で出てきたところから、
温メイヤさんことアルルメイヤです。
アルルメイヤの場合はもっと主人公を導くような関わり方になると思います。