「……え?」
森の中、魔物を一刀で倒したナルメアへ俺が剣を教えてくれと頼むと、戸惑うように眉を寄せた。
「ま、待って、ダナンちゃん。急に剣を教えて欲しいなんて言われても……。それになんで外に……?」
状況の整理が追いついていないのか、おろおろし始めてしまう。
「急な話で悪いな。だが俺にとっては大事なことなんだ。落ち着いて聞いてくれるか?」
いきなりなのは俺にもわかっている。だがここで退くわけにはいかない。
「う、うん……」
未だ戸惑いの中にはあったが、頷いてくれた。
「悪い。まぁ、なんだ。ナルメアも修行の途中だって言ってただろ? それはつまり、強くなるっていう目的があるわけだ。それと同じでな。俺にも俺の目的がある。そのためには、強くならないといけないんだ。具体的にはあんまり言えないんだけどな。少なくとも世界を旅していく必要がある」
「だから、剣を教えて欲しい……?」
そうだ、と頷く。
「外出てたのはあれだ、強くならないといけないのに、休むわけにもいかないだろ?」
「っ……」
……ナルメアが普段外でなにをしてるか探るためってのもあるんだけどな。優しくしてくれる人ほど信用するなってのはあの街での常識だ。
俺が半分本気ぐらいで口にすると、彼女はなぜか少し驚いたように目を丸くしていた。そして目を伏せると、
「……そうだね。強くならないといけないなら、いっぱい修行しないとね」
妙に実感が込められた言葉だったが、まぁナルメアにもナルメアの事情ってヤツがあるからな。そこは安易に踏み込まないようにしておくか。
「でもごめんね、ダナンちゃん。お姉さんはそんな、人に教えるほどじゃないから」
今のでかよ。とツッコみたくはなるが、多分根がネガティブなんだろうな。気持ちはわからないでもない。俺はきっとなんとかなるさ、で状況が改善するなどと甘い考えをする気はない。だから勝てるように事前に準備してからでないと戦いたくはない。そうもいってられない事態に陥るから、強くならないといけないんだよな。
そして気持ちがわかる俺だからこそ、ナルメアに必要な人間ではないとわかる。彼女に必要なのはもっと純粋で前向きな人間だ。それは俺じゃない。
ただ、教える気になってくれないと困るので、説得するとしよう。
「それは知らん。なにせ俺は、治安の悪いあの街でしか育ってこなかったからな。そしてさっきの魔物を倒した時の剣を見て、少なくともあの街の連中よりは強いってのがわかった。なら教えてもらう価値があるってもんだろ?」
「でも……」
「世の中にはあんたより強いヤツがごろごろいるのかもしれない。より強いヤツに教わった方がいいのかもしれない。だが俺にはそいつらとの伝手がない。俺より強くて、あの街の連中じゃないヤツなんて、ナルメアしか知らないんでな。教えてもらえるとしたら、あんたしかいない」
なにかを頼むなら、見返りが必要だ。それを用意できる自信はない。ただナルメアなら代わりに金や品を要求することはないだろうという、打算的な考えもあった。それでもいつかは返すつもりだ。残念ながら、それがいつになるかは不明だし、一生返せない可能性もあるんだけどな。
ナルメアは悩んでいるようで、俯いて黙り込んでしまう。だが「考えておいてくれ」じゃ多分ダメだ。少し強引にでも、今ここで答えを出してもらう必要がある。
「頼む。俺は強くならないといけないんだ。迷惑なのはわかってるが、そこをどうにか頼めないだろうか」
俺は彼女に対して深く頭を下げる。
「か、顔を上げて、ダナンちゃん」
戸惑う声は無視して頭を下げ続ける。
「……わ、わかった。わかったから。お姉さんで良ければ、剣を教えてあげるね」
「悪い、ありがとう」
了承が貰えたら頭を上げる。……我ながら酷い手口だな。人の優しさにつけ込むようなことをして。まぁでも、俺はどんな手でも使うさ。その覚悟は、もう十年前くらいに決めている。
「ううん。じゃあえっと、ダナンちゃんがどれだけできるか見たいから、ちょっと手合せしてみよっか」
「いきなりか。まぁいいけど。俺は短剣だけどいいか?」
「うん。剣術というか、動きを見るだけだから」
「わかった」
ここは先生に従っておこう。
短剣を左手に逆手持ちして構える。ナルメアも腰の刀の柄に手をかけて構えた。瞬時に彼女の放つ雰囲気が変化する。まだ刀を抜いていないのに、切っ先を向けられているような感覚だ。
相手は小柄だが、ドラフだ。ドラフは男が筋肉隆々でわかりやすいが、女も見た目に反して力が強い。実際に起き上がろうとして押さえつけられている時に思っていたが、多分俺よりも圧倒的に強いだろう。
……まぁでも実力を見るための手合せだから、小細工なしの真っ向勝負でいくか。
そう決めて、こちらから仕かけた。
真正面から突っ込むと見せかけて、一瞬間合いに入ってからすぐに後退する。刀使いによくあると耳にする、居合いという剣術を警戒しての行動だ。そして俺の読みは正しかった。ただし、俺は後ろに跳んで距離を取ったにも関わらず、ナルメアが眼前まで迫っていたのだが。
着地した瞬間に跳躍したが間に合わない。切れ味の鋭い刀でどうやったのかはよくわからないが、跳んで間に合わない脚を刀で払い、俺の身体を横に回転させ頭から地面に落とした。痛みに顔を顰めた俺に、刀の切っ先が突きつけられる。俺は負けを認め、短剣を手放し両手を挙げた。そして刀が下げられる。
「……やっぱり実力差は明確だなぁ。でもナルメアより強いヤツがいるってんなら、まだまだ頑張る余地があるってことだ」
「ダナンちゃんはポジティブだね」
「俺はポジティブじゃねぇよ。ただ、やるしかないからやるだけだ」
俺は世界を旅する必要がある。それには少なくとも、この街から出ないと始まらない。つまりこの街の流通を取り仕切っているマフィア共と事を構えなきゃいけないわけだ。俺に味方なんていない。だから、俺は一人であの連中を相手取るだけの実力を身に着けないといけなくなる。
何人かは殺ったが、あんな雑魚共を何人殺したところでたかが知れている。武器を持って一般人に勝ち誇る程度の連中なら、別に構わない。
「そっか」
「さて。とりあえず鈍った身体を戻さないといけないな。トレーニングも併行してやりつつって感じか。ナルメアはいつもこういうとこで修業してるのか?」
「うん。もっと強くならないといけないから」
その顔には、悲壮感すら漂っている。
「ま、互いのために頑張ろうぜ。上は遥か遠いことだしな」
「うん。一緒に頑張ろうね」
二人笑い合い、修行の日々が始まった。
◇◆◇◆◇◆
修行が始まってからわかったことは、ナルメアは剣に対してストイックだということだ。
毎日毎日、俺に課題を与えたり様子を見たりしながら自分の修行にも余念がない。
また、彼女は俺が思っているよりも、多分全空の中でも強い部類に入るだろうと思われた。
純粋な剣術以外にも、魔法を使う。瞬時に移動したり一度に複数の斬撃を放ったりと俺には想像もつかないようなことを、本人は当たり前のようにやっている。天才と持て囃されてもいいようなモノだが。
……そんなナルメアに劣等感を植えつけたヤツは、どんな化け物だったんだよって話だな。
そいつとは関わらないだろうが彼女の実力を知れば知るほど彼女の中で強さの基準となっている人物の遠さが見えて恐ろしい。
とはいえそんな遥か高みを見上げていても仕方がない。俺は俺のできる限りで強くなっていくしかないのだ。
魔法は割りと感覚でやっているようだが、剣に関してはきちんと型を持っていた。
彼女は主に二つの構えを使い分けているようだが、どっちも凄いとしかわからない。もっと強くなれば、彼女の剣術がどのようなことを得意としているかがわかるのかもしれない。
剣術や体術など体系化したモノには、そうなった所以が存在する。
まぁわかっても仕方ないか。
俺は最近になってから魔物との実戦を繰り返している。やっぱり素振りよりも色々と得るモノが多い。これまでは逃げ出す時にマフィアを殺したくらいだからな。戦いというモノを経験するのはいい糧になる。
命の取り合いを日頃から行うことで、戦う時の感覚が研ぎ澄まされていくような感覚を得た。これは昔、あの街での過ごし方を身に着けた時と同じ感覚だ。身体が戦うことを覚えていく。
修行を開始してから今日まで、半年くらい経っただろうか。
今日も魔物を狩って、小屋へと戻ってきた。
「あ、おかえりっ」
エプロンにポニーテル姿のナルメアが笑顔で出迎えてくれる。残念ながらと言うべきか、家事はあまり手伝わせてくれなかった。たまに俺が料理もできるようになりたいと言って教わることはあるが、基本任せて欲しいようだ。美味しいので文句はないが、別れた時になにも家事ができないのでは話にならないので少し手伝っている。
「ああ。いつも悪いな」
「ううん。お姉さんがしたくてしてることだから。もう出来てるから、座って」
机の上には既に配膳された料理が並んでいた。時間通りに帰ってこれたようだ。彼女は過保護なところがあるので、時間通りに帰ってこないとかなり動揺して探し回ってくれる。気持ちは嬉しいが、とても申し訳ないので夕食の時間には戻ってこれるように切り上げていた。
向かいの席に座って、二人「いただきます」と合掌する。ナルメアの手料理に舌鼓を打ちながら談笑した。
ふと、こんな日々も悪くないと思った。思えてしまった。
俺の人生に今までなかった温かさがあるからだろうか。こうして二人で過ごす時間が、続けばいいと思っている自分がいることに気がついた。
もちろん俺にも目的がある。彼女にも目的がある。だが、日々を重ねていく中でその目的よりも今ある日々が大切だと思えたら、それはそれで一つの幸せなのではないかと思う。
悪くない、と言うよりそれでもいい、だな。
こんな風に思っていることを自分でも意外に思う。それだけ、ナルメアの優しさが大きかったということだろう。
だが、それではダメだ。閉じた二人だけの世界に浸ってはいられない。というかこんなに長居する気はなかったのだが。ナルメアにだって目的があるし。彼女が嫌そうにしていないのも、俺が勘違いしてしまっている原因なのかもしれない。結局、優しさに甘えているだけだ。
……なんか、これ以上この生活を続けてるとダメになりそうだな。ナルメア、恐ろしい娘。
そう考え、俺は食事が終わってから切り出した。
「ああ、そうだ。思ったんだけど」
なんてことないように話し出す。俺がこの日々を大切に思っていることは、前面に出さない方がいい。それをやってしまったら、多分抜け出せなくなる。
ナルメアはにこにこと俺の次の言葉を待ってくれる。
「もうそろそろここを離れようと思うんだ」
「え……?」
彼女の笑顔が固まった。少なからずショックを受けていることがわかって、心苦しくもありまた嬉しくもあった。
「この辺の魔物も苦戦しなくなったしな。そろそろ頃合いかと思って。ナルメアも強くなるには、俺にかまけてる時間がない方がいいだろ」
我ながら卑怯な言い方だ。こう言えばナルメアが引き止め切れないとわかっての言葉だからな。
「それは……」
彼女は言い淀んでいた。困ってくれているのが嬉しい。だが、彼女は俺なんかとここでのんびり暮らしていてはいけない。
俺ではきっと、ナルメアを導けないだろうから。
「そういうわけで、明後日にここを出ようと思う」
「そ、そんなに早く?」
「ああ。急な話で悪いが、あんまり長くいてもな」
「そっか。そうだよね……」
もちろん俺としてはいつか再会したい。恩返しは全然できてないからな。貸し借りはできるだけなしにしたいというのもあるが、ナルメアのように献身的だからこそしっかり返してあげたいとも思っている。
……ホント、俺らしくねぇ話だが。
「ああ。今まで世話になってばかりで悪いが、ここを発つ。明後日にはお別れだな」
きちんと、一緒に旅をするという選択肢は潰しておく。彼女からそう言い出して欲しいという甘えは許されない。ちゃんと決別する。これが今の俺にできる精いっぱいだ。
「……」
ナルメアは暗い顔で俯いてしまった。……流石に心が痛むな。
「じゃあ、食後の運動がてら外出てくる」
「うん……」
一人にさせるために席を外し、軽く鍛錬をして戻る。一応気持ちの整理はつけたのか笑って出迎えてくれたが、少し影があるようだった。翌日も普段通り振舞っているつもりだろうが、暗かった。
そして俺が出ると告げた明後日を迎える。
支度を整え、小屋を出る準備をする。
「もう、行くの?」
「ああ。今まで世話になったな」
「ううん。お姉さんも、ダナンちゃんと会えて嬉しかった」
「そうか? 修行の邪魔してばっかだったと思うんだが」
「そんなことないよ」
見送るナルメアはなにか感情を抑えつけているようだった。
「あ、そうだ。ダナンちゃんにこれあげようと思ってたの」
そう言って一振りの刀を取り出し手渡してくる。
「これは?」
とりあえず受け取ってみたが、輝く刀身を持つ立派な刀だった。技術的なモノは素人の俺にはわからないが、刀から秀麗さが伝わってくるようだ。
「銘は丙子椒林剣。人から貰った刀だけど、売るのも申し訳ないからあげるね」
「凄ぇいい刀っぽいんだけど」
「うん。ダナンちゃんにならあげてもいいかなって。お姉さんは使わないから」
確かにナルメアにはナルメアの刀がある。それがあればいらないのかもしれないが。
「なんか申し訳ないな、貰ってばっかりで」
「いいのいいの。お姉さんがしたくてしてることだから」
気にしないでと言うが、これだけのモノを貰えば気にもする。だがそれを言っても仕方がない。俺にはまだ、なにもないのだから。
「そうか。なら有り難く貰っておくとする」
「うん」
刀を背中に負う。
「今まで、ありがとな」
なんとなく、彼女の頭に手を伸ばしてしまった。柔らかい手触りの髪に触れる。
「っ……」
ナルメアが硬直した。……自分のことを「お姉さん」と呼ぶことも含めて、あんまり子供扱いするのは良くなかったかもしれないな。
と思っていたら、ナルメアの両目から涙が流れていることに気がついた。慌てて手を放す。
「……今日は、泣かないって決めてたのに」
「ええと、なんかすまん」
「ううん、いいの。ごめんね、ダナンちゃん」
ナルメアが謝ることじゃない。
……これはどうすればいいかさっぱりわからんな。だがこうしたいというのはあった。もしかしたら今後の人生で二度とないかもしれないが、俺の持てる最大限の優しさを込めるしかない。
「あー……なんだ。俺を助けてくれたのがナルメアで良かった。ナルメアのおかげで、俺は人のままでいることができる。今までホントにありがとう」
もう一度手を伸ばして、彼女を宥めるように頭を撫でる。
そうして泣き止むまで待っていた。
「じゃあ、もう行くな」
「……うん。また会える?」
「ああ。恩も全然返してないからな、いつか、きっと」
「そっか。頑張ろうね、お互い」
「ああ。達者でな」
「うん、ダナンちゃんもね」
目元を赤く腫らしたナルメアに見送られて、俺は小屋を後にした。
――俺はきっと、今後どんなことがあっても彼女のことを忘れないだろう。
なんとか俺を育てようとして、しかし結局余裕がなくなったことで俺を捨てた母親より、最初から最後まで優しさをくれた彼女のことを。
もし優しさがあると知らなかったら、俺は獣の如きヤツになっていたかもしれない。
人として生きていくに足りるだけの心を持たなかったかもしれない。
「……あーもう。心が弱ったんかね」
たかが人との別れ程度で泣くようなヤツだっただろうか。けどまぁ、弱さはここに置いていこう。俺は目的のために、どんな手段でも使ってやる。
涙を袖で拭い、空を見上げる。青く澄んだ晴れ空だった。
「……うっし。行くか」
まずはそうだな。この島を出るとするか。
俺は今後の行動を頭の中に並べていき、街の方へ向かって歩いていく。後ろ髪を引かれ振り向きたくなる気持ちを抑えてただ前に進んだ。
ここからは俺が俺のために、突き進むだけの道のりだ。
ようやくプロローグの終了です。
次話からは本編となります。
よろしくお願いします。