CLANNAD~終わりなき坂道~   作:琥珀兎

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第十一回:卑怯者でいこう

 榊原幸希の停学期間は一週間に決まったのは、杏が気落ちしている椋を連れて放課後に職員室へと赴き教師に聞いた時だった。

 その日、昼休みを待って授業を真面目に受けていた杏は、四時間目を前にした休み時間にクラスメイトから伝えられた一つの伝言を聞いた。怯えた様子のクラスメイトの女子は視線を泳がせながらも、しっかりとその伝言を伝えた。それは幸希から杏への、昼食会の不参加をシンプルに伝えた内容だった。

 一方的な幸希の伝言に対する杏の反応は非常にシンプルだった。

 

「あの馬鹿野郎!」

 

 怒りである。純粋な、約束を破ったことに対する謝罪も無い伝言に対する怒りだった。

 杏の怒号を聞いて驚いたクラスメイトを余所に、心意を問い詰めるべく教室を飛び出した杏は幸希と椋、そして朋也が居るクラスへと真っ先に走った。

 しかし、椋の口からきいたのは幸希の不在。居るはずがないのだ。この時、既に彼は悶着を起こして職員室へと連行されていたのだから。杏が知らないところで一人。

 四時間目のチャイムが鳴り、杏は仕方なく教室へと戻り、先程伝言を伝えてくれたクラスメイトに一言お礼を言って席に着いた。授業内容は、まったくと言っていいほどに頭の中に入らなかった。

 受験のためと割り切った勉強というのは、杏には欠片も楽しさを感じられない。大学へ行く為には必要だから、そう割り切る事で勉強が退屈になるのなら、いっそ割り切らずに挑めばいいのか、と言えばそうではない。どっちにしろ、学ぶという終わりのない積み重ねは心から好きだと言い張れる人間しか楽しめない。それはひたすらに一滴一滴落ち続ける点滴を眺める行為に等しい。

 退屈な授業を耐える事五十分。待ちかねたように杏は再び椋のクラスへと向かった。これほど早く行けば、流石に幸希も居るだろうと踏んでの行動だった。

 

「幸希いるっ!?」

 

 教室に侵入しすぐさま標的の名前を言った。応える声も、それらしい動きを見せた者も誰も居なかった。ただ、教室内の空気が重くなったのは感じられた。

 気にした様子もなく杏は幸希が居ないのを確認し落胆した。仕方ないので椋に幸希が姿を見せたのか聞く為、いつもの椋の席へと向かった。視界に映るのは生徒同士が内緒話をするように身を寄せ合う姿と、机で蹲った椋の背中だった。

 

「ちょっと椋どうしたのっ? 具合悪いの? それとも陽平のボンクラに何かされたの? されたのね、したんだわ、覚悟しなさい陽平!」

「わけも聞かないで討伐宣言するのはやめてくれませんかねぇ!」

「何言ってんのよ、椋がこんなに弱ってるんだから幸希が居ないならあんたか朋也しか居ないでしょうが!」

「あんたホント理不尽っすねえっ」

 

 杏の脳内では、椋を泣かせる第一人者が幸希、そして順に陽平、朋也、その他とランク分けされている。これは過去に椋が泣いた回数と原因を作った人間を数え、統計的に算出した確率に基づいたランキングである。ちなみに何故幸希が一番かと言うと、椋が幸希に想いを寄せており、それによって幸希の些細なひと言でよく涙していたからである。

 この杏と陽平の言い合いに反応して、ようやく椋が重くなった頭を机から離した。

 

「違うよお姉ちゃん……春原君は悪くないよ」

「椋っ、よかったどこも悪くないのね? どうしたの、あそこにいる猿が関係ないなら具合でも悪いの?」

「猿って、言うに事欠いて猿とは……僕にも堪忍袋の緒が切れるっていうのを、知らないのかな」

「良かったじゃないか春原、これで晴れてお前も霊長類の仲間入りだ」

「嬉しくないよっ」

 

 顔を上げたものの椋の顔色は優れない。杏から見てそれは病気の可能性を考えてしまう程だった。顔面蒼白で生気も感じられず、己を制止した声すら掠れていた。何より、顔を上げた椋の目の周りは泣き腫らしたようになっていた。

 妹が泣いた―――杏の中にある堪忍袋が緒が切れてしまう前に、袋自体が爆散した。紛れも無くそれは憤怒だった。体中の血液が熱く沸騰し、視界が白くぼやけ、力を溜めるように喰いしばった歯が軋む。

 杏の変容に気が付いた朋也と陽平は戦慄で肌が粟立った。此処に居る全員が既にどこからか出し手に持った辞典で殴殺される。そんな映像(ビジョン)が鮮明に浮かび上がったのか、朋也は額に冷や汗を流し、陽平は情けない小物のような悲鳴を短く上げた。

 

「………誰? 椋を泣かせたのは」

「ち、ちがうよお姉ちゃん……泣いてないよっ」

 

 もはや椋の声も届かない。地獄の釜茹でがあるとするなら、沸騰音はきっと彼女が出したような声をしているのだろう。クラスの全員がそう思った瞬間だった。

 鬼の形相の人の形をした何かは、片手じゃ足りないのか両手に辞典を装備した。これで攻撃力はさらに倍。怒り補正をプラスしてさらに倍の四倍にまで膨れ上がっている。

 ゆらり、と幽鬼のように杏の体が揺れる。

 

「早く白状しないと、ギャグ補正がかからないくらいに恐ろしい攻撃を与えるわよ」

「だから違うってお姉ちゃん。……私が勝手に泣いただけで、クラスのみんなは誰も悪くないよ」

 

 いつもならこの言葉で正気を取り戻しただろう。しかし、今の杏は怒りのあまり正しく物事を理解する思考能力が五歳児前後まで退行している。椋を庇わせている誰かが居る。そうとしか思えなかった。

 この時、誰もが発言をするものなら即座にあの手に持った鈍器で殺されると思い、恐ろしくて何も言えなかった。が、このままでは片っ端から杏がクラスメイトという屍を積み重ねてしまう。意を決して、杏の前に朋也が無防備な身を晒した。

 

「まてまてまてっ、俺が説明する、だからちょっと落ち着け杏!」

「なによ朋也、あたしはいたって冷静よ。だからそこどきなさい」

「経緯を、こうなった経緯を説明するから一旦その辞典を降ろせぇ!」

「……仕方ないわね。さぁ、疾く説明しなさい。じゃなきゃ、あんたが酷い事になるかもしれないわよ」

「随分物騒な仮定もあったもんだ」

 

 どうにか怒りを収めた杏は辞典を何処かへ仕舞い朋也が話すのを待った。

 溜息を吐いた朋也は、気を取り直して事のあらましを語った。

 話は簡単に済んだ。要は朋也の口から幸希の停学を知った椋が、突然涙を流し始めたのだ。驚いた朋也と陽平は椋を慰めようと必死になった。それはもう必死に。陽平の生傷が増えたぐらい必死に慰め笑わそうと努力した。しかし、すっかり塞ぎ込んでしまった椋には届かず、見かねたクラスメイトの女子に連れられ手も足も出なくなった。時間も経ち、粗方落ち着いた椋は泣きやんだのだが、今度は机にうつぶせになり視界を閉ざしてしまった。その後に、杏が姿を現したのだ。

 

「どうだ、これでわかったか? 俺達は何もしていないし、寧ろ何とかしようとした。これでわかったろ、藤林は勝手に泣いたんだ」

「そう言われると、なんだか私が悪いみたいです岡崎くん……」

「朋也、死刑」

「なんでだっ!?」

 

 理不尽に嘆く朋也。視線を朋也から外し、僅かに下降させ杏は幸希の姿を思う。

 いつも笑ったり泣いたり怒ったり、どんな事にも全力で、なのに変なところでいい加減で―――椋が好きになった親友と呼べる男。

 杏にとっての幸希とはそういう風に出来上がっていた。親友ならばどんな悩みも相談してほしいと彼女は思う。しかし、突然の停学は流石に驚いた。同時に、椋についての顛末を知り、怒りの矛先をどこに向ければもわかった。昼食会の約束を破ったのも加算して、与えるべき罰は凄まじい高さまで上り詰めていた。

 自然と、空手に力が入る。悔しいのだろうか、それとも怒っているのだろうか。杏本人にも、それは良く分からなかった。

 

「……とりあえず、幸希は一回死なす」

「お、お姉ちゃん」

 

 剣呑な物言いの杏の表情は真剣そのものだった。双子として長い時間付き合ってきた椋だからこそ、その本気さがわかったのだろうか制止の声を上げ幸希の行く末を本気で心配した。これを抜きにしても既に心配はしているのだが。

 ひとまず杏の怒りは収まった。幸希がここに居ないのであれば、いつまでも臍を曲げていてはしょうがない。気持ちを切り替える為に嘆息したちょうどその時、教室に新たな来客者が現れた。

 

「失礼します。あの、岡崎さん……」

 

 来訪したのは、肩身を限界まで縮めおどおどと挙動のおかしい渚だった。

 渚は今日の昼食会に幸希の悪巧みによって朋也を使って呼ばれていたのだった。朋也自信、もう昼食会どころではなくなったのを察しているらしく、渚の姿を見た瞬間、あちゃぁと己のミスに気が付き頭を抑えた。

 

「すまない古河、唐突なんだが今日の昼は無くなっちまったんだ」

「あ、そだったんですか、すいません。そうとも知らずわたしったら勝手に……すいませんでした」

「いや、俺(幸希の方)が悪いんだ。お前が謝る必要はないさ、本当にすまなかった」

 

 心の副音声が漏れないように注意しつつ、しょげた顔をして頭を下げている渚に朋也は誤った。元凶は、全てを引っ掻き回したのは幸希だが、それを態々渚に言う必要もないと判断したのだろう。我慢を重ねた朋也の表情は鎮痛さと不満が混在した、言いようもない表情をしていた。

 突然の渚の来訪を、杏は訝しげな表情で観察していた。束の間二人がどんな関係なのかを考察し、話してみなくてはわからないと結論を出し、接触を図った。

 近くで見ると渚は思った以上に可愛らしい表情をしており、杏の男性的な感覚をくすぐり、何かがこみ上げる感覚を感じた。杏の存在に気が付いた渚は、意図が掴めない様子で小首を傾げていた。

 

「ねえ朋也、この子あんたの知り合い?」

「えっとその……は、初めまして、3年B組の古河渚です」

「……というわけだ、ちょっとした知り合いでな」

「ふーん」

「岡崎さんには演劇部の再建を手伝っていただいてます」

「部活の……?」

 

 目の前の小心な渚は演劇部を再建すると、その手伝いを朋也がしていると言った。杏は嘘のような朋也の殊勝さを疑ったが、渚を見る限り嘘を言っているようにも思えなかった。

 “部活動”という足枷を引きずる朋也達不良トリオは、訳あって部活と名のつくものからはわざと遠ざかってきた。それが今になって朋也が部活に関わり始めた。こうなっては二人の関係を邪推せずにはいられなかった。

 確認として挙げるが、杏は朋也に惚れている。幸希はこの事実を度々もしかしたら勘違いかもしれない、と持ち前のポジティブで乗り切っているが、彼も本心では分かっている。だからこの渚と朋也の構図は、本来杏にとっては非常に不都合なのだが、性格的にそれをあからさまに表には出せなかった。

 竹を割ったような快活でサッパリとした男勝りの性格である杏だが、先入観を取り払えば一人の乙女に過ぎない。何より杏は、人の恋愛は相談を乗ったり策を講じるのが得意だが、こと己の話となると打って変わって臆病になってしまう。

 だから、杏はとりあえずいつも通りの自分であろうと決めた。自分の不都合を取り払えば、渚は非常に人が良いのが見目から滲み出ている。仲良くなりたい。そう思った。

 

「渚って言うのね、あたしは藤林杏、っでこっちが双子の妹の椋よ、よろしくね。あたしの事は好きに呼んでちょうだい、こっちも渚って呼ばせてもらうから」

「藤林椋です、よろしくおねがいします。私も、好きに呼んでくれて構いません」

「よろしくおねがします、えっと、杏……ちゃん、と椋、ちゃんって呼んでも良いでしょうか?」

「ええ、いいわよ」

「はいっ」

「……男前な奴」

 

 あっという間に女三人の集団が出来上がった。横目でそれを見ていた朋也が、杏に対する思ったままの言葉を言った。同性にモテる理由が、わかった気がした。

 男性陣が蚊帳の外に追いやられた事で、朋也は仕方なく一人で手持無沙汰になっていた陽平の方へ向かった。自分も混ざろうか、混ざるまいか右往左往していた陽平に軽く蹴りをお見舞いした。

 

「痛っ、いきなりなんだよっ」

「別に、拳ぐらいの大きさの蚊が止まってたから殺してやったんだよ」

「それ完全に僕手遅れになってますよねえっ……ったく、それで、どうすんだよ岡崎」

 

 造形を崩した表情のリアクションをとったと思えば途端にシリアスになる。陽平は朋也の行動が単なる切っ掛け作りだった事を察したのだ。現に、朋也の表情は優れない。

 教室に幸希が停学処分を受けたのをいち早く持ってきたのは朋也だった。始めの部分は聞いていなかった陽平だったが、大体のいきさつをなんとなくではあるが自分なりに予想がついていた。

 

「榊原が他校の連中と校舎外の敷地内で喧嘩したって言ってたけど、それ、もしかしたら岡崎も居たんじゃないの?」

「……ああ……俺も、あの場に居たさ」

 

 それなのに自分は無罪、幸希は停学。あまりにも処分に差があり過ぎる所業に何も出来なかった朋也は、忸怩たる思いを捨てきれないでいた。

 朋也は幸希が停学になった瞬間を見届けた。だからいち早くその情報をリークする事が出来たのだ。やっぱりね、と珍しく感の鋭い陽平が呟いた。

 

「あいつ、岡崎がピンチになると余計なおせっかいをするクセがあるからね。なんとなくそうなんじゃないかなぁって思ったんだよ。で、何があったのさ?」

「思い込みの激しい奴だからな、俺にとっては“悪い”クセだよ。そのせいであいつがいつも損してるんだ。あの時も―――」

 

 苦々しい思いを噛み潰し、朋也は語り始めた。

 後方から女性人の姦しい会話が聞こえてくるが、今はそれにいちいち反応をするつもりもなかった。

 

 

 ※

 

 

 時は僅かに遡る―――。

 朋也の姿を探して図書室に来たもののあえなく見つからず、本を裁断しようとしていたことみを無視し後にした時だった。

 いつでも杏の声を聞きつけピンチの時は都合よく現れ救い出す、という理想的即惚れシチュエーションの為に鍛え上げた幸希の広範囲型高性能聴力が、普段の学校では聞きなれない音がしたのを聴きとった。

 野太い男性の荒い罵声と、鈍い打撃音、少女の声、ガラス製品かそれに近い陶器などが割れたような破砕音。想像もしたくない最悪の状況を振り切るように、幸希は持ち前の過去にサッカーで鍛え上げ、その後に喧嘩で搾った脚力を全力で解放した。

 場所の特定は既に済んでいた。少女の声を聞いた瞬間、それが誰の声なのかを幸希は知っていた。ついさっきまで一緒に珈琲を飲んでいた少女の……有紀寧の声に違いなかったのだから。当然騒ぎの渦中は資料室付近だろうと踏んだ。

 

「(なんで急に……もしかして、有紀寧の“外客”が連れてきたのかっ? だとしたら、最悪だ)」

 

 幸希の予想が正しければ。騒動を収める方法は、誰かが犠牲になる事しかなかった。

 無人の廊下を掛ける足が更に早くなる。自分の限界を振り絞るように走るが、足は思った通りの速度では動いてくれなかった。心なしか幸希の呼吸は荒くなっていた。さっきまで鼻呼吸だったのが、いまは大きく口を開いて酸素を少しでも多く吸入しようとしていた。

 部活動を投げ出し、堕落に身を堕として年単位の時間を重ねていた幸希は、明らかに全盛期よりも体力が落ちていたのだ。不良は体力が無い。この偏見はいまの幸希には言い返す自信がなかった。

 資料室に繋がる最後の曲がり角を折れた時には、もう肩で息をするほどになっていた。息が上がる速度は早くなったが、それでも走る速度は衰えてなかった。お陰で、幸希は間に合う事が出来た。

 不幸中の幸いか、資料室の周りは空き教室が多く、確信を持てるほど大きな音を出しているにもかかわらず、幸希以外に人の姿は無かった。けど、それも時間の問題だろう。もたもたしていたら確実に教師の耳に留まり、大騒ぎに発展してしまう。逸る動機を抑え、一瞬の躊躇いすらも持たずに扉を開け放ち、資料室の中へと侵入した。

 

「有紀寧っ、大丈夫か!?」

「―――幸希さんっ」

 

 視界に映るものを脳が解析するより早く帰って来た有紀寧の返事に、とりあえずは大事に至らなかったと安堵した幸希。

 

「良かった、怪我は無い……」

「わたしは大丈夫ですが、わたしを庇ってくださった岡崎さんという方が……」

 

 有紀寧に外傷は見当たらなかった。割れて飛び散ったカップの破片のなかへたり込んでいる有紀寧には確かに怪我は無かった。そして、有紀寧の膝に頭を置いたまま目を覚まさない人物―――幸希が探していた朋也にも外傷は見当たらなかった。

 なぜここに朋也が居るのか幸希にはわからない。だが恐らく朋也もまた有紀寧の“客”の一人だったのだろう、と思った。窓の外ではいまだに争う声と音がするが、幸希は膝を曲げて屈み、眠る朋也の頭を慎重に触った。頭皮を掠める触れるか触れないかの優しさで万遍なく触れ、後頭部に膨らみがあるのを触れ、これが頭部への衝撃によっての気絶と理解した。

 立ち上がる。有紀寧が不安そうな顔をして視線を追う。一瞥すると、有紀寧の目端に真珠のような雫が浮かび上がっているのを見つけた。

 ついに、幸希の中で溶岩の如く煮えたぎる感情が爆発した。

 

「いけません幸希さん。落ち着いて下さい、卑怯な言い方になってしまいますが、あなたには暴力を振るっては欲しくありません。きっと、後でご自分を傷つけてしまいますっ」

「有紀寧。朋也の頭はそのままの状態で冷やしてくれ、その内目を覚ます。…………ごめんな」

「幸希さんっ」

 

 幸希は逃げるように正面の割れた窓を器用に飛びこえた。瞬間、室内にさっきまで自分が使っていた珈琲のカップが半分に割れているのを見かけた気がした。自分の心もまた、同じように怒りで二つに引き裂けそうだった。

 窓を乗り越えた先は、何もない広いとは言えない通路のようになっていた。校舎と生垣を挟んで一本の道のようになっているこの場には、幸希以外に四人の強面な男が居た。誰もが少しは傷ついていたが、一際傷が目立ったのは一人だけだった。疲労が積み重なっているのか、座り込んでしまっている。

 という事は、この仲間外れが有紀寧の“外客”で友達なのだろう。幸希は瞬時にそう判断して、他の三人を敵と見做し立ちふさがった。見るからに他校の男共の目つきが鋭くなった。

 

「んだ手前ぇはっ! 邪魔だ、どかねぇと……ぶへっ」

 

 枯れた声で啖呵を切ってきた男を、幸希は途中で遮るように思いっきり顔面に右フックをお見舞いした。見事に顎を打ち抜かれた男は殴られて強制的に右へ顔を向けた状態で固まり、やがて膝から崩れ落ちた。

 唐突に始まった奇襲に、残り二人の男共が怒りを露わにした。

 

「おい! いきなりなにしやがんだ!」

「何も言わずに殴るとか、卑怯だぞお前!」

 

 いくら喧嘩だろうと、最低限のルールは守るべきだと、そう主張し幸希に詰め寄る二人。有紀寧の友達だろう座り込んで立てない男が、幸希の危険を感じ二人が収まるように声を上げたが届かなかった。しかし、幸希は怯まなかった。進学校に在籍しているのだ、いくらまぐれで一発でノせたとしても、この状況をひっくり返す事は出来ないだろうとそう思った。

 しかし男の想像とは裏腹に、幸希はむしろ諧謔の笑みを携え二人の男に向かった。

 

「そりゃどうも、卑怯は俺の専売特許なんだよ。手前ぇらなんかにくれてやるもんか」

「お前っ! 上等だよ、そこまで吠えるんならやってみろや!」

「坊ちゃんが舐めた口きいてんじゃねぇよ!」

 

 激昂した二人は同時に左右から躍りかかった。

 幸希は相手の愚かさを笑いながら、懐に手を伸ばした。そこから出てきたのは、幸希が愛用しているマグネシウムテープとライター。それと自分用のサングラスだった。

 ある程度の大きさに切ったソレに火を点け、二人の前に放り投げた。すると眩い閃光が走り、二人の視界をあっという間に真っ白に塞いだ。突然の光量に焼けた瞳の痛みに二人は呻いた。サングラスを付けた事で予防した幸希が反撃に出る。

 

「ボケがっ! 俺相手に! 複数! ってのは! むしろ! 愚策だってんだ!」

 

 目を抑えてしゃがみ込んだ二人に、怒りの頂点に達している幸希が容赦なく蹴りを浴びせ続けた。罵倒を一言一言乗せながら、一発づつ。

 

「誰だかしらねえが! 次来たら! もっと痛い目に遭うからな! 覚悟しろ!」

「…………」

 

 返事は帰ってこない。雨のように繰り出された踏みつけるような蹴りの前に、とうとう意識を手放してしまったからだ。それでも幸希は攻撃をやめない。有紀寧の居場所を荒らし、泣かせ、あまつさえ朋也を手にかけた事が許せないのだ。

 蹴り続けても反応を返さない者を蹴り続けても痛覚は感じるのだろうか、と幸希は思い、いったん攻撃の手を休めた。既にボロボロになった男共は見るからに哀れな事になっているが、それでも幸希の怒りは収まらない。再び懐に手が伸びたのを見た有紀寧の友人が回復した体力を全力でつかいきって立ち上がった。

 

「おいそいつらもう気絶してるんだっ、もういいだろ!」

「アホ。それじゃあこいつらは次も来るに決まってる。此処でもっと恐ろしい目に遭ってもらう」

「なっ……」

 

 酷薄な笑みを刻んだ幸希に、思わず止めようとした心がたじろいだ。果たして懐から現れるは、市販で販売されているバリカンだった。有紀寧の友人は、開いた口がふさがらなかった。

 

「ケケケケ……覚悟しろよ」

 

 どんな凄惨な事をするのかと思えば、幸希は昏倒した男二人の頭を掴み、その髪をバリカンで狩り始めあるマークを描き始めた。

 その時、有紀寧の献身的な介護が実を結び、朋也が目を覚ました。

 

「っつう、ここは……? そうか、俺は……」

「良かった、目を覚ましたのですね岡崎さん」

「宮沢……そうか、資料室で茶を飲んでたら」

 

 さっきまでの事を思い出し、朋也は部屋が荒れている事、なのに静かになっている事に疑問を持ちまだ鈍痛のする後頭部を抑えながら起き上った。

 苦痛に顔を歪めるのを見た有紀寧がまだ寝ているように言うが、朋也はそれを振り払い、割れた窓の外に向かった。慌てるように有紀寧もその後に続いた。

 

「なっ、なんだこりゃ……!」

「幸希さん、いけませんもうそれ以上はっ」

 

 朋也が見たのは物言わぬ男二人に未だ何やら責め苦を繰り返しているのだろうと見える幸希の背中と、この状況を作った原因の一人である有紀寧の客人の傷ついた姿だった。あまりの光景に有紀寧も息を呑んだ。

 どうして幸希がこの場に居るのか、有紀寧と知り合いなのか、いろんな疑問が朋也のなかに浮かび上がったが、とにかくこれ以上はマズイ。止めなければと思い朋也は幸希の肩を掴んだ。

 

「おい榊原っ、もう止めろ! これ以上やったら教師が来るかもしれないぞっ」

「んだよ邪魔すんなよ……って、岡崎、もう頭は大丈夫なのか?」

 

 水を差され怒りを見せて振り返った幸希だったが、相手が岡崎とわかるなりそれも霧散しいつもの表情を覗かせた。

 

「頭はまだ少し痛いが、まあ大丈夫だ。それより、随分と酷く……っ!? お前、これはやられた俺でも同情するぞ」

「イカす頭してるだろこいつら。カリスマ美容師俺の腕が良いからな。もうアレにしか見えないだろ」

「幸希さん無事ですか?」

「おお有紀寧、もう平気か」

 

 平常時の幸希である事を安心したのか、有紀寧は安堵からホッとし胸を撫で下ろしていた。その時、苦い表情をしている朋也が見ていたものが有紀寧の目にも入った。他でもない、幸希によって不良共の頭髪から生み出されたマークだった。

 

「ん? 幸希さん、このマークはなんでしょうか何かの地図記号ですか?」

「あーっとそれはな有紀寧……」

「待て言うなよお前。流石にそれを言ったら俺は引くぞ」

「わかってるよ。あれだ、特に意味は無いが、なんか描かなくては気が済まなかったからな、それだけだ」

「そうでしたか、ですがやりすぎですよ幸希さん」

「すまんつい」

 

 項垂れ反省の意を示した幸希。有紀寧はそれで満足したのか、ぽんぽんと二度頭を優しく撫でそれで許した。

 傍からそれを見ていた有紀寧の友人が、ばつの悪い顔をして近づいてきた。幸希はそれを見るなり電光石火の如き攻撃を男に喰らわせた。朋也は目にも留まらぬ速さの幸希の攻撃に驚愕した。なぜなら男と幸希の間の距離は十歩以上あるのだ。それをどうやって縮めたのか、それが分からなかった。

 攻撃が当たった男の方を見ると、それがどんな方法なのかすぐにわかった。パンッと炸裂する音と、小さな筒状の物、明らかにロケット花火だった。

 

「いきなりなにしてんだよ榊原、お前あの人に恨みでもあんのか?」

「いけません、あの方はわたしのお友達なんです」

「あいつがこうなった原因を作ったんだから悪いに決まってんだろ、これは然るべき制裁だ。そうだろ、老け顔のオッサン」

「ああ……すまねえゆきねぇ! 俺のせいであんたの、俺達の聖域を穢しちまった!」

 

 謝れば許されるとは思っては無いが、それでも謝らずにはいられないのだろう。男は有紀寧に向かって深々と額に地を擦りつけ土下座をした。同時に、資料室に慌てた様子の教師たちが現れた。

 室内の惨状を目の当たりにした教師は顔を青くし、幸希と朋也の姿を見るなりすぐに顔を赤くした。怒りがこみ上げたのだろう。

 

「またお前らか岡崎に榊原! それとそこの部外者! 一体なんだこれは」

「見りゃわかるだろ。気に食わなかったから暴れたんだよ俺一人でな。ここで気絶してる以外の他の連中は俺を止めようとしたんだよ」

「おい榊原っ、それは」

「黙ってろ岡崎」

 

 反論しようとする朋也を止め幸希は教師陣の方へ向かった。実際、朋也はやられただけで何もしていない。広い視野をもって見れば、彼も被害者の一人なのだ。同然有紀寧もその一人だ。

 教師は幸希の気性と過去の事案をしっている事から、状況を判断しそれが事実として受け入れた。有紀寧と朋也は最後まで幸希を庇い立てするように発言を繰り返したが、決定が覆る事は無かった。

 こうして、幸希の停学が決定した。

 

 

 ※

 

 

「…………そんなわけで、榊原は停学になっちまった。俺があの時気絶さえしなければ、なんとかなったかもしれないのに」

「なるほどね。それにしても、相変わらず榊原は卑怯な手をすき好んで使うね。僕だってそこまではしないのに」

 

 事件のあらましを最後まで聞き、陽平は感想を述べた。

 

「あいつ曰く、卑怯は俺の専売特許らしいからな」

「それ僕も聞いたことあるよあれでしょ、何をしてでも勝ったもん勝ちだ、って言ってたね。まっその意見には僕も賛成だけどね」

「お前はそれでも負けるから恥ずかしいな」

「よけいなお世話だよっ」

 

 ふと陽平にある疑問が浮かびあった。大して重要ではないのだが、個人的にどうしても気になった事だ。

 その場を見ていただろう朋也は覚えているだろうか、と思いつつ疑問を投げかけてみた。

 

「結局、榊原がバリカンで刈ったマークってなんだったの? ウンコでも描いてたの?」

「そんな単純なもんじゃねえよ。……言いにくいが、口頭で伝えるぞ」

「うんうん」

 

 非常に遺憾だという表情で朋也は口を開きずらそうにしていた。それほどに言いづらいマークだったのだろう。しかし、朋也一人で背負うのもなんだか嫌だったので、陽平を巻き込むことを決めた。

 

「……二重丸に*を重ねたものだ」

「えっ? 二重丸に……えっと、*を……こうやって、こうか……ん? げっ、これって」

 

 脳内でイメージするのが難しかったのか陽平はノートの端に、朋也が言った通りのマークを描き、それがなんなのか知り絶句した。この時陽平は、いつぞやの幸希が言った生理ネタを思い出した。デリカシーのかけらもない発現だったが、これはそれに匹敵する程の下品さだった。これを悪い顔をしながら、喜んで実行している幸希の表情が鮮明に再生され陽平は何も言えなくなった。

 そっとノートを閉じる。勿論、これが女子の目に二度と入らないように消しゴムで消すのも忘れない。万が一にでも見られたら、意味は解らないだろうが、知られた時が陽平の学校生活が終わってしまう。女子に軽蔑されたまま。

 

「……悪だなあいつ」

「ああ、悪だな。それも、とんでもなく下劣な」

 

 陽平と朋也が静かに呟いた。

 

 

 ※

 

 

 放課後。結局あの後昼食は男子と女子に別れ、すっかり仲が良くなった渚と藤林姉妹が一緒に、朋也と陽平が共にとり、図らずも幸希が望んだ結果に終わった。

 職員室を後にした杏は、椋と共に昇降口へと向かう道中どうやって幸希と会おうか考えていた。教師の話を聞く限り、停学を言い渡された幸希はその後、職員室で生活指導担当の幸村と話をして帰ったらしい。なら幸希の手掛かりは幸村だろうと思って杏が訊いてみれば、

 

「そりゃ、他の生徒には言えんことだからのう。すまんが教えるわけにはいかんのだ」

 

 と門前払いをくらってしまった。

 どの道学校に居ないのでは、杏から幸希に会う事は叶わない。二年からの付き合いではあるものの、幸希の事に関して杏は知らない事の方が多かった。自宅がどこにあるのかも、親が何をしているのかも、どうしていつも傷を作っているのか。杏にはわからず仕舞いだった。

 停学期間は一週間。少なくともその間、幸希に会う事は叶わない。そう思うと、どうしてだか寂寥感のようなものが湧いてくるのを感じ、杏は己の感情を不思議に思った。思い起こせばいつだって近くに居た幸希が、突然連絡もつかない場所に消えてしまったのがそんなにも心乱す事なのか。最後まで杏にはわからなかった。

 隣を歩く椋も、また杏とにた寂寥感を感じていた。椋の場合それに加え、無力を嘆く悲しみも混じっていた。こんな時に何もできない自分が、悔しいと。

 

「もしかして朋也と陽平なら幸希の場所知ってるんじゃないかしら。ねえ椋、そう思わない?」

「今は、それしか可能性がないと思うよ」

「よしっ、それじゃあ陽平の住んでる学生寮にでも行ってみますか。どうせ朋也も一緒に居るでしょ」

「うん、それじゃあ急ごうお姉ちゃん」

 

 可能性の出てきた手段に、それまで暗い表情だった椋が花を咲かせた。

 わが妹ながら現金な娘の態度に微笑ましいものを感じながら、杏は陽平と朋也が居るだろう学生寮へと足を向け始めた。

 西に沈みゆく夕焼けが、時折杏の視界を遮るが、同時にこんなにもちゃんと夕焼けを見たのはいつだっただろう、とノスタルジックに浸りながら、隣を歩く椋と共に歩き続ける。

 途上、何か気の利いた物でも買っていこうと思った椋が杏に提案し、商店街によることにした。椋は食べ物を、杏はどうせ陽平の部屋だし、と思ってゴキブリホ〇ホイを購入していた。妹にその暴挙を止める力は無かった。

 

「あの~、すいません。少し道を聞きたいんですが良いですか?」

 

 買い物も済まし、店を出てしばらくした頃だった。駅の近くを歩いていてしばらく遠出をしていないな、などと思っていた矢先、姉妹は声を掛けられた。

 ナンパだったら容赦なく辞典で撃退するのだが、声の主は少女だった。しかも可愛らしい。

 

「どうしたの? あたし達にわかる場所なら良いんだけど」

 

 振り返ってみれば、少女は黒髪を両サイドで縛り短い尻尾のようにしていた。小さな体躯から年齢に相応した可愛らしい髪型だと、内心思った杏の頬が思わず緩む。

 目線を合わせるように椋が屈んだ。

 

「どこに行きたいんですか?」

「お二人の通ってる学校の、学生寮に行きたいんです。わかりますか?」

「それなら、あたし達もちょうどこれから行こうとしてた所よ。それなら一緒に行かない?」

「わぁ、良いんですか? ありがとうございます、助かりました」

 

 向日葵を連想させる満面の笑みを浮かべる少女は大きく頭を下げた。そして、あっ、と小さく漏らして慌てて頭を挙げた。

 一挙手一投足に至る全てが愛らしい、と杏は思った。

 少女は笑顔のまま、小さな口を開いた。

 

「自己紹介を忘れてました。わたし―――春原芽衣と言いますっ」




芽衣ちゃん登場。
電話した翌日の夕方にはもう来ているとは、お兄ちゃん思いな子だ。
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