ちょっとずつキャラが増えてきますが、収拾がつくのか心配になったりしています。
恋って素晴らしい。
世界全ての価値観が変わるほどに、己の価値観と優先順位などその他諸々。相手の為にチューンナップされていくような、そんな改変。
ありとあらゆる理不尽への怒りが、この世全ての悪意への憎悪が、全人類に根付く不平不満への無力感が。そんな全部がどうでもよくなるような、吹き飛ぶような、嵐みたいな恋。
人間というのは素晴らしい。恋が出来るというのは最高の機能に違いない。
だがしかし……それだけに、しっぺ返しは凄まじい。
俺は、その叱咤をこの身に受けた。
「嗚呼、何故この世界はこんなにも不公平なんだろうか!」
「唐突に何わけ分かんないこと言ってるんだよ」
「やかましい、貴様にこの俺の崇高な思想が分かってたまるかよ」
迷惑そうに言う春原に切り返す。
毎度のことながら春原の部屋である。そう、俺は他に行くところがあまりないという現状、悔しさを堪え歯を食いしばってでもこの部屋にいなければならないのだ。
学校も終わり、いつものだらけ空間に俺達三人は居た。
特に約束事を交わすこともなく、自然とこうして集まることがあるというのは、存外友人には恵まれている証拠なのかもしれない。
「そういえば榊原、お前今日の学校で俺と古河を置いて勝手にどっか行きやがったな。おかげで面倒な事に巻き込まれちまったじゃないか」
「面倒って、風子はそこまで面倒な奴か? そりゃ多少ヒトデを偏愛しているところはあるが、うまく誘導すれば面白いぞきっと」
「あいつ、なんか隠してそうで怪しいんだよな」
「そうか? 俺にはただの歳不相応な体系の少女にしか見えんぞ。あ、別に俺がロリコンとかそういうわけじゃないからな勘違いするなよ?」
「しねぇよ!」
危ない危ない。余計な失言で勝手に俺の趣味趣向が杏に知れ渡った時には、きっと杏は俺を軽蔑の眼差しで見るかもしれないからな。
不安の種は残らず駆除しなくてはならない。
いや、まてよ。もしかしたら杏はこんな事を言うかも…………。
舞台は暗闇。
俺と杏のみの世界。
『幸希……あんた、小さい女の子が好きらしいわね』
『ち、違うんだ杏! これには深い、それはもう幸村のじじいの皺よりも深いわけがっ!』
ここで杏の頭上にスポットライトが点灯。
顔を上げる杏。
『あたしじゃ……あたしじゃ駄目なの!?』
『……杏』
『あたし、幸希の好みの女の子みたいに背も小さくないし、む……胸も、その……あれだけど。それに、幸希を思う気持ちだって小さくないけどっ! でもっ!』
涙を浮かべる杏は、懇願するように俺に追い縋る。
それを優しく受け止め、背中に腕を回し抱きしめる。
その瞬間、俺と杏を中心に光が広がり綿胞子のような小さな光がきらきらと宙に舞う。
『杏……俺は、そんな小さな勇気を振り絞ってくれたお前の事を……愛してる』
慈愛の眼差しを向ける俺。
杏と目が合うと、俺を映すその瞳がハートになる。
綿胞子のような光が全てハートに変わる。
世界は俺と杏を祝福している。
『幸希……好き、大好き……あたしも、愛してるっ!』
『杏……今夜は君を放さない』
そのまま抱き合い熱いキスをして倒れこむ愛し合う二人。
そこに特大のハートが…………。
「―――か、完璧だぁぁああああ!!」
「だから、静かにしろよ! またラグビー部にどやされるだろっ」
拳を突き上げ勝利を手にした喜びの雄叫びを挙げる、が春原に注意されてしまった。
本当なら反論したいところだが、珍しく正論を吐いている為俺もそこまで強く出ることが出来ない。
「悪い悪い。ちょっとシュミレーションをしてたら、つい盛り上がっちゃって」
「今のお前、最高に奇妙だったぞ。ちょっと春原と被ってしまった」
「本気で謝るからその認識は改めてくれ岡崎」
「アンタら失礼すぎるでしょっ。謝るなら、まず僕にだろ榊原っ」
だって春原……お前に似てるなんて言われたらどんな人類だって泣いて赦しを請うにきまってるだろ。あれ、もしかして春原を使えば世界平和だって夢じゃない?
凄いな、世界各国のお偉いさんを相手に春原を引き合いに出したら、みんな要求を呑むだろ。いや、それなら杏相手に春原を引き合いに出して脅しを……駄目だ、それは俺の流儀に反する。惚れた女は真正面から口説き落とすのが男の流儀であり生き様そのものだ。
これまで磨き上げた漢の勲章にクソを塗りたくるような事は出来ない。
やはり、この雑誌の教えを乞うしかないか。
手に持っている雑誌を再び開き、キラキラとしたレイアウトの項目を見てみる。なになに……。
「女の子とのデートでは、男が驕るのが常識? 割り勘なんて言った瞬間、彼女は貴方から離れちゃうよっ……だって?」
「さっきから言動がおかしいと思ったら、何読んでるんだ?」
新たな女心を獲得するために勉強を重ねている俺を訝しんで、岡崎が近づき雑誌に視線をやった。
「なになに……えーっと、女の子はみんないつでも夢見る乙女。だから、王子様なカレにドキドキ夢中! この純白スーツを着こなせば、貴方も一夜でシンデレラをゲット! 目指せシンデレラストーリーぃぃ……?」
内容を読み、後半に差し掛かるにつれ語尾がどんどんと上がっていく岡崎。
聞こえようによっては胡散臭いモノを見つけたようにも聞こえる言い方をする岡崎は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「どうした岡崎、生理か?」
「んなわけないだろっ、お前、それ女子の前で言ったら速攻で嫌われるぞ」
「マジかよ!?」
「春原まで……はぁ、たまに榊原って奴がどんな人間なのか、分からなくなる時があるぞ俺は」
心底呆れた様子で頭を抱える岡崎。とりあえず俺と声を揃えた春原の口にはポケットにあった野球ボール(硬球)を詰めておいた。
「俺はいつだって想定の範疇で行動してるぞ」
「誰の想定だよ誰の。……じゃなくて、この雑誌。明らかに胡散臭いだろ、なんだよ王子様なカレにドキドキ夢中って、純白スーツってこれ完全に売りつけようってのが見え見えじゃないか。それに、男目線なのか女目線なのかもよく分かんないし、なんでこんな怪しくない所を探した方が早そうな雑誌読んでるんだよ」
「それは……」
というか、そんなに胡散臭いのかこの雑誌は。くそぅ、千円もしたのにコレ。腹いせにこの雑誌社には抗議のはがきを書いてやる。
岡崎は今までも俺がこの系統の雑誌を読んでいたのを知っている。当然ながら、この部屋の主である春原も当然のことだ。だからこそ、今までも気になっていたんだろう俺が、こんな恋愛雑誌を読んでいる事を。
杏を振り向かせるためとはいえ、この系統の雑誌を買うのは最初は躊躇した。だけど、これで杏の心を振り向かせるなら、と思って今まで勉強を重ねてきたがまさか愛読していた雑誌が詐欺だったなんて。恋は盲目とはよく言う。
「俺だってほら、年頃な男子高校生なわけだし、少しくらい女にモテて―って思う時ぐらいあるだろ?」
「そりゃ、その気持ちは分からんでもないけど、だからって少し短絡的過ぎやしないか。春原じゃないんだ、榊原は頭良いんだからもうちょっと考えようぜ」
「ヴぉふぁヴぁぎふぃヴぉふぅをふぇはふぅほはひゃへへふえまひぇんはへぇっ(どさまぎに僕を貶すのはやめてくれませんかねぇっ)」
「そうだな、ちょっと今の俺目先の欲に目が眩んでたみたいだ」
岡崎の言うとおりだ。最近何かと色々あったから、肝心要の杏の気持ちを考えてなかった。
こんな紙切れを読んでも杏の事が分かるわけじゃない。
別れを告げよう、過去の自分に。変化を恐れず、受け入れよう。たとえ、アドバイスをしてくれた人物が恋敵であろうと。
「ありがとう岡崎。もうこんなクソ雑誌を読むのは止めよう、こんな上っ面で固めても意味は無いんだな」
「凄い掌返しだな……」
「これからは、別冊マーガリンを読むことにする!」
「……駄目だこりゃ、正気を失ってるとしか思えない」
岡崎はまたも呆れているが、気のせいだろう。これからは少女マンガに焦点を絞っていこう。
少女マンガで女心を獲得して、そしていつの日か杏をこの手に……。
「つーか、なんで榊原はこんなんになってるんだ? ……って、これ酒じゃないか」
あ? 酒? 岡崎は何を言ってるんだ。
手に持っているのはお酒と書かれた空の缶。そういえば、そんなものを飲んだような飲んでないような。
「あー、だからこんな駄目な感じになってるのか榊原は。こいつ、酒弱いもんなぁ」
「ヴぉー、ムムォォーヴァヴォーぼっ!」
「なに口の中に野球ボール入れてんだよ春原は。それがお前の晩飯なのか?」
「お前が入れたんだよ榊原……」
※
翌日、土曜日である。
最悪な事に今日の天気は生憎の雨。本来なら「雨だから」という理由で学校をサボるのだが、杏の言いつけで椋を困らせてはいけない手前そう簡単にサボる事が出来ない。まあ杏と会えるから俺は良いんだけど。
規則正しく教室に入ったら、案の定岡崎と春原の姿は無かった。
多分アイツらは春原の部屋で怠惰の限りをつくしているんだろう。
土曜だから授業は半日、いわゆる半ドンというやつだ。だからきっと今日はもう来ないかもしれない。
「榊原君、今日もちゃんと遅刻しませんでしたね」
席に着くなり話しかけてきたのは椋だった。
普通に考えればこの光景は当たり前にあるものなのだが、俺を相手となるとそれは違ってくる。
不良トリオなんて揶揄されてる俺に、こうして話しかけてくるのは椋と杏ぐらい。しかも、椋はこれまで必要以上に話しかけてくるような事はしてこなかった。精々、授業で配られたプリントを渡す時とか、それぐらいだ。
「ああ、杏にあれだけ五月蠅く言われたら従うしかないだろ。それより、珍しいな椋がこうやって積極的に話しかけてくるなんて。何かあったのか?」
「い、いえ別に何かあったわけでは……。そんなに珍しいでしょうか、私が榊原君に話かけるのは」
「珍しいな。最近はそうでもないが、少し前はそこまで交流あったわけではないだろ俺達」
「それは、その…………うぅ……」
いかん、涙目になってしまった。
どうして君はそんなにも涙もろいのだ。フランをダース買いする少年の飼い犬物語を観たら、この少女はティッシュ一箱は使うんじゃないのか。
言葉に詰まって困り顔のまま涙を堪える藤林椋。そして相対するは学校の不良トリオ榊原幸希。
完全にヤバい絵面だ、ヤツが召喚されてしまう―――!
―――地鳴りがする。
ドドドと世界の終りを告げる終局の鐘のように、着実に、確実に、迅速に俺達の下へと迫っている。
予感は的中した。ヤツが現れるのだ。驕り高ぶった盛者を地獄へ叩き落とすように、法を書き留めた分厚い鉄槌を用いてやってくるのだ。
足が震える。よくわからない汗が止めどなく流れている。恐怖から奥歯が鳴り、自然と同調するように体も小刻みに震えてくる。ヤツと会えるのは嬉しいが、それは平時の彼女であり、この状況では好ましくない。
逃げよう。そう思った瞬間、頭上に垂れ下がった蜘蛛の糸は虚しくも消え去ってしまった。
「―――こぉぉおおうぅぅきぃぃいいいーーーー!!」
「…………さらば素晴らしき日々よ」
今日まで生きられた事に後悔はない。
強いて挙げるならば、杏と精神と肉体共に合体出来なかったのは悔いだろう。
ヤツは……藤林杏は、教室のドアを勢いよく開け放ち現れた。
女性らしい体系に似つかわしくない、大きな辞典。幽鬼のようにゆらゆらと体を揺らしながら、呼吸を整える音が時々漏れて聞こえる。そして、その上にある眼光は獲物を見定めた肉食獣のような突き刺すような視線。
身の毛のよだつ瞳の中には、間違いなく俺が映っていた。
「こぉうきぃ、あんた……椋を泣かせたら許さないって言ったわよねぇあたし?」
「一つ言わせてくれ……」
「……何よ?」
「おれはむじつだ」
「被告人の証言は棄却されました」
辞典が投擲された。大リーガーも真っ青な速度で、正確に俺の頭部に向かって飛んでくる。
おかしいな、何を間違えたら学校内で死亡なんてフラグが立つんだろうか。……どう考えても椋への対応を間違えたせいか。
メシャァという肉が潰れる音が内側から聞こえて来て、狂と化した杏が視界から消え失せた瞬間、これは杏が消えたんじゃなくて俺が飛ばされたんだと他人事のように思っていた。
※
「ったく、最初から誤解だって言ってくれれば良かったのに」
「ご、ごめんなさい榊原君。私がちゃんと説明してれば……」
「だから言ったろうに、俺は無実だって……」
ギャグ補正って凄い。あれだけボロボロにされたのに、あっという間に元通りだなんて真面目に生きるのが嫌になってくる程だ。
通り魔紛いの事をしてきた杏は、俺が昏倒した後椋が懇切丁寧説明したらしくなんとか誤解を解くことに成功した。誤解だと分かった杏は申し訳なさそうに手を合わせて俺に誤っている……ように見えて、実は結構上から目線だ。
「あんたが紛らわしい事しなきゃ良かったのよ。これに懲りたら椋の事泣かせるんじゃないわよ?」
「はなっから泣かせるつもりは無かったんだが……」
不用意に椋を泣かせると杏の俺に対する好感度が下がってしまうしな。
溜息を吐いて席に座り直し杏と椋を見ると、なにやら杏が細目でニヤニヤとした視線を俺と椋の二人を行き来させていた。
「なんだよ杏、その面白いモノを見つけたような眼差しは。傍から見ると変人だぞ」
「別にぃー、そういえばなんか仲良さそうだなぁって思っただけよ」
「お、おねぇちゃん……!?」
「なんだそりゃ、ただ真面目に登校してきた俺に労いの言葉を贈っただけだぞ椋は。それほど深い意味なんか無いし、あるわけないだろ」
「ぅぅ…………」
なんで椋は落ち込むんだ、当たり前の事しか言ってないだろ俺。
「あんたねぇ、ホント女心ってのを分かってないわね」
「馬鹿言え俺ほど女心を学んでる男は早々居ないぞ。毎日勉強の為にざっ……」
「ざっ……? なによそれ、幸希みたいなデリカシーの欠けた男が何で勉強してるんだって?」
「あまり無理に訊いちゃ迷惑だよお姉ちゃん……」
興味深そうに訊いてくる杏だが、俺が恋愛雑誌を愛読しているなんて知られたら……絶対に軽蔑してくるかも、いやこれを材料に無理難題言ってくるかもしれない。
それはそれで大歓迎なんだが、いつまでも杏との仲が発展しそうな気がしない。……どうしよう。
椋は俺に悪いと思ってるのか控えめな性格だからかは知らんが、杏の事を制止してくれてるが、どうにもならないだろうな。
「あー、あれだ……その、材料、とか買い込んで料理の勉強してるんだよ。ほら、誰かから料理を出来る男はモテる! なんて話を聞いたことがあったからな」
「料理? 幸希が料理? へぇー以外ね、いつもカップ麺とか外で済ましてそうなイメージだけど。ねえ椋?」
「うん、でも……私は料理の出来る人は……その、い、かっこ……いいと思いますっ」
「ほら、椋もこう言ってるんだし。そうだっ、それなら今度お弁当作ってきてよ。あたしと椋があんたの料理の腕を見てあげるから」
思わぬ言い訳から嬉しいイベントが発生しやがった。
たまには嘘も役に立つ。いや、料理をすることに関しては嘘じゃないのだが、一応家でも俺が家事の全部をやってるわけだし……。
「えっ、お姉ちゃん急に言っても、榊原君の迷惑になるんじゃないかな」
「大丈夫でしょ? どうせいっつも陽平の部屋でだらけてるだけなんだから。でしょ、幸希」
「杏の言うとおりだが、なんかそれだと俺が春原の部屋にしか居ないみたいな言い方だな」
そんなにしょっちゅうは居ない、あいつだって家族が訪ねてきたりしたら俺は気を利かせて居なくなるし。今迄あいつの家族が訪ねてきた事なんて一度もないけど。
曰く妹が居るらしいが、春原の妹の事だ、きっと怪鳥のような鳴き声を上げる生物なんだろう。
春原の妹がどんな形状をしているのか考えを巡らせていると、杏がポンと手を叩いて口を開いた。
「じゃあ決定! 週明けの月曜日の昼休みに集まるわよ。幸希、あんたちゃんとその日も学校来るのよ? 来なかったらボタンの餌にするから」
「サラッと恐ろしい事を言いやがるなお前は。分かったよ、その日はちゃんと行く」
「ちゃんと来るのよ? 椋が腕によりをかけて作ってくるからっ」
「お、お姉ちゃんっ……」
そう言って高笑いをあげながら杏は教室を後にした。……あれっ、もしかしてこれって……昼飯を一緒に食べようって事でいいんだよな?
もしかして今までの事は夢なんじゃないかと思って、隣に居る椋の様子をうかがってみると、目が合った瞬間に逸らされてしまった。なんか嫌われるような事したっけ、あぁ泣かしかけたな。
それなのに俺が杏と一緒に飯を食べる事を許容してくれるなんて、流石は俺が惚れた女神の妹なだけあるな。
「すまんな椋。今更だけど俺が居ると迷惑になったりするんじゃないか? もしそうだったら……」
「そんな事ありませんっ……!」
椋は参加しなくても、と言おうとしたらいつもよりも大きい声量で反論してきた。
気が小さい彼女からはおよそ想像のつかない声だ。多分初めて聞いたような気がする。
だからこそ、不意を突かれた俺はしどろもどろになってしまう。
「そ、そうか……それならいいんだ。月曜、俺も楽しみにしてるから」
「はい、私も……頑張りますっ」
ぐっと拳を作って意気込んでいるが、多分見た目や性格的に椋の料理の腕は問題ないだろう。まっ、目当ては杏の手料理なんだけどな!
こうして授業開始のチャイムが鳴ったところで俺達はお互いの席に戻った。
想像通り、岡崎と春原は来なかった。
※
半ドンってこともあって、いつもより早く授業を終えた俺は外の雨が強いから弱まるまでどこかで時間を潰そうかと思って校内を彷徨っていた。
校舎には生徒の数もあまり多くない。いつもなら運動部なんかが居たりするんだが、外が雨だからそれも休みになっているんだろう。たまに意識高い部活なんかは、室内で筋トレをひたすらやったりしているが、そんな気配も感じられない。
よって俺は好きに歩き回っても面倒くさい視線を浴びせられることもなく、のんびりと散歩をすることが出来るわけだ。
とはいえ、ずっと歩き回っても何も面白くない。ここに春原でもいればおもちゃにして遊ぶんだが、それも叶わない。今頃あいつは部屋で寝てるだろ。
そんな時だった。
「お前は……確か、榊原だったよな?」
「あ? だれ……坂上……?」
後ろからかけられた声に反応して振り返ると、そこには俺が今一番会いたくない女ナンバーワンが立っていた。
この前、有耶無耶なままに逃走してしまったのもあって気まずさがとんでもないぐらいある。相手も俺を見る目が若干細く、ジト目のようになっている。
「この前は世話になった。それで、今日はあの失礼な男は居ないのか?」
「……あいつなら今日はサボりで来てねえよ。見てみろよ外の雨を、こんなんじゃあいつじゃなくても外に出たくなくなる」
「感心しないな、ズル休みを許容することは出来ない」
「どこまでも固い女だなお前。そんなんじゃ嫁の貰い手なんかいつまで経っても見つからないぞ」
鉄のような女。
一見して受ける印象はそれだ。当時、俺がこいつの姿を初めて見た時は少なくともそう感じた。
鬼のように強くて、それでいて玲瓏たる立ち振る舞い。もしかしたら、あの頃ちゃんとこいつと話をしていたら惚れていたかもしれないな。杏が一番だけど。
そんな鉄女は俺の言葉を聞いて表情を曇らせていた。
「いまのは、少し傷ついた。私だって女なんだ、お嫁さんに憧れたりする……」
「お前、頭の中に花でも咲いてるのか?」
おめでたい思考をしてるな。これが杏だったら速攻で婚姻届、もちろん俺の所は記入済みのやつを差し出すが、そうじゃないなら別だ。
「まぁ、俺には関係ない。好きに嫁なりなんなりなっちまえ、じゃあな」
これ以上坂上と会話をして余計な事を思い出してしまうと、俺としては困る。だから早々に立ち去ろうと背を向けて歩き出した……んだけど。
「待ってくれ。お前には訊きたい事があったんだ、それまで出来れば時間を作ってほしいのだが……見たところ暇そうだ。少し付き合ってくれ」
「嫌だ、じゃあな」
制止の声も即座に切り捨て、歩みを止めず俺は先を急いだ。
背後からまだ声がするが、無理やり引き止めるような強引さは持ってないらしい。無視して歩き続けると、いつしか諦めたのか声も聞こえなくなり遠ざかる足音が聞こえてきた。
昔の坂上からは考えられない。あんな生真面目な……そういえば、昔からあいつはああだったような気がするな。人様に迷惑をかけていた工業高校の連中を中心に狩りをしていたし。案外、あれが元々の性格で、性分なんだろう。
なんにせよ、今の俺とは関係の無い人物だ。あっちから来ない限り接点なんか生まれない。
「……腹、減ったな」
グゥと情けない音が腹部からして、今日はまだ何も食べていない事を思い出した。時間はもう昼を過ぎている。
購買にでも行ってなんか買うか……それとも。
「久しぶりにあそこに行ってみるか、多分まだ帰ってないだろ」
進路変更をする。購買の飯よりも五倍は上手い食べ物がある場所に向かって俺は足を進めた。
シトシトと降りしきる雨音をBGMに、段々と人通りが少なくなっていく廊下を歩き続ける。
静かな学校というのは自分の殻に籠って考えにふけるには最適だと思う。普段騒々しい空間が静謐の顔を覗かせる瞬間というのは俺の好みで、こうしていると心が落ち着いて色々と考えがまとまってくるもんだ。
帰りたくもない、けど絶対に帰らなくちゃならない家の事とか、生活の為のバイトで効率のいい仕事をするにはどうすればいいのか等、切り出せば沢山出てくる。人間ってのはいつだって悩みながらおっかなびっくり前に進み続ける生き物なんだと、哲学者めいた恥ずかしい言葉なんかを思い浮かべてみたりと、なかなかに飽きないものである。
目的地に着く途中、ふとグラウンドの状態はどうなってるんだろうと昔の癖で外を見た事を歯がゆく思いながら見ると、一人傘も差さずに立ち尽くしている人影が見えた。
「罰ゲームか何かか? あんな所に突っ立ってたらあっという間に風邪引くぞ」
強い雨のせいでハッキリと見えないせいで誰かは分からないが、分かったところで俺が知っている人物なんてかなり限定されるが、それでも口出しをしたりはしない。
望んでやっている可能性は低いが、そうじゃなくてもその内自分から引き上げるだろう。
俺が態々注意したとしても、相手だって俺には言われたくないだろう。よって、視線を外して先を急ぐことにする。お節介よりも今は食欲を満たす方が先決だ。
歩く事数分後、目的地である『資料室』に到着した俺は軽くドアに手を掛け鍵が開いている事を確認すると、躊躇いなく馴染みの店に入るように扉を開けた。
「うーッス、有紀寧ー居るかー? 飯無いかー?」
室内は軽い書庫のようになっており、壁に沿ってアルミ製の本棚が立ち並びその中央に一つのテーブルが置いてある。
そのテーブルに、目的の人物は座っていた。
「あっ、幸希さん。こんにちわ、お久しぶりです……本日はお食事ですね?」
「うん腹が減って減ってしょうがないんだ、オムライスあるか?」
「はい、オムライスですねかしこまりました」
椅子に座っていた人物『宮沢有紀寧』は持ち前のおっとりとした柔和な笑みを浮かべ、席を立っていそいそと食事の準備をし始めた。
それを後ろから観察しながら席に着く。
この有紀寧という人物は、俺より一つ年下の二年生だ。いつもおっとり温和な表情を受けべている少女で、この資料室の主でもある。どういう経緯でそうなったのかは、俺も訊いてはいないから詳しくは知らないが、ここで飲食の提供をしていたり面白い話が聞けるので気に入っている。
最近はすっかりご無沙汰だったが、これを機会にまた通いだそうと思う。
「いきなり来て悪いな。ちょうど腹が減って、購買よりは有紀寧の飯の方が美味いから」
「わたしは構いませんよ。幸希さんがいらっしゃって下さると、とても楽しい時間を過ごせますから。……お待たせしました、オムライスです」
「久し振りに見たなこのオムライス。それじゃあ、頂きます」
「はい、召し上がれ」
ホカホカの湯気が立ち上っているオムライスを早速頬張る。
ちょうど良い火加減で焼かれた卵と、下に隠れているケチャップライスがとってもマッチしていて最高に美味い。余計な小細工などしない、家庭の味がするこのオムライスは俺の大好物の一つ。デミグラスだか何だかのソースより、シンプルにケチャップだけをかけて、ご飯の所もハムとピーマン玉ねぎぐらいしか入っていないオムライスが一番なのだ。誰が何と言おうとも一番なんだ。
休憩など挟まず、一心不乱に空腹な胃袋へとオムライスを運び続けているのを、有紀寧はニコニコとした表情でずっと見ていた。
「……ふぃー、ごっそさん。相変わらず俺好みの味だったよ流石は有紀寧だ」
「お粗末様です。久し振りだったので、少し違ってしまうかもと思ってましたが、大丈夫でしたね。どうぞ、食後のコーヒーです」
「おっ、気が利くなそれじゃあ、お言葉に甘えて頂きます」
ふぅ、至れり尽くせりとはこのことだな。
食事が出てコーヒーも出る。普通に考えればありえない事なんだが、それが起きるのがこの『資料室』なのだ。
「なんかこうしていると、昔を思い出すな……」
「ええ、あの頃の幸希さんに、わたしはよく怒られてましたね」
「…………ありゃ忘れてくれ。若気の至りってやつなんだよ。そういえば、ほいっこれオムライスとコーヒーの金な」
「そんな好きでやってるんですからお金なんて……この会話、もう何回目でしょうね」
「少なくとも、十回は超えてるな、という事でほれそこの豚にでもツッコんどいてくれ」
今でも十分若造だけど、あの頃はそれ以上に馬鹿で情けない人間だった。そんな頃に、俺はこの少女と出会った。
詳しく思い起こすと長くなるから省くが、まあお陰でこうして気軽に気を抜ける場所を獲得したわけだし、損をしたなんて考えは一切湧いてこない。
オムライスとコーヒーの代金として大体の計算で700円程を有紀寧に手渡し、有紀寧は一番背が低い本棚の上にある豚の貯金箱にそれを全て入れた。
これまで俺が食べた飲んだ分の代金は全てあの中にある、これが彼女の最低限の譲れるラインだからだ。
コーヒーの残量が半分くらいになった頃、俺はとある本に視線が留まった。
「なあ有紀寧、この『とっておきのおまじない百科』ってなんだ? 前俺が来た時は無かったけど、新しく増えたのか?」
「いいえ、幸希さんが以前いらっしゃった時もありましたよ。多分、目に付かなかったんだと思います。これは沢山のおまじないが乗っている本です、効果抜群なんですよ」
「それって、占いとかの類なのか……」
信憑性は薄いが、有紀寧が言うならきっとそうなんだろう。この少女は誠実で嘘は言わない正直な子だ。時々天然ボケをかますが、それぐらいだ。
少しは、試す価値あるかもしれないな。
「それじゃあ、何か面白そうなおまじないとかあったら教えてくれ。実際に試してみるからさ」
「では、この―――」
有紀寧が楽しそうに話し始める。
どのおまじないがどんな効果を持っているのか、こんな願いを叶えるにはこんな事をしなくてはいけない等、沢山の話を続けていた。
始めはアツアツだったコーヒーが温くなり、いつしか時間は三時頃を過ぎていた。
外では相変わらずの雨だったが、この部屋の中は暖かく心安らぐひと時を得られる貴重な空間となっていた。
杏との悩みや、岡崎の事、それに……いつかは帰らなくちゃいけないあの場所の事などを忘れられる資料室は、今となっては俺には無くてはならない場所なのかもしれない。
十年来の兄妹のように無邪気に語り合う俺と有紀寧は、その日晩飯もご馳走になる事になった。
ゆきねぇ登場。
原作ではサブヒロインなのが残念な限りである。