ORCHO-PASS PAGES of MEMORY Page.2「正義と罪」 作:マクギリシマ
「宮内紗季子がサイコパス検診に引っかかった?」
宜野座から告げられた事実に狡噛がオウム返しをした。先月の椎名美里の事件で暴行と殺人未遂の被害者になった同僚の保育士女性だ。事件後はショックによる犯罪係数上昇があるため一定期間セラピーを受診することになっているが、その期間はとっくに終了しており彼女は退院していたはずだ。
「事件のストレスフラッシュバックか?」
御留我がそう聞くと、
「それだったらわざわざお前らを呼んでいない」
と不機嫌そうに宜野座が答える。
「宮内は半年前からサイコパスの定期検診を受けていなかったことがわかった」
「けど宮内のオバサンの定期検診データは提出されてたはずだぞ。記録に残ってる」
「あの保育園では管轄の自治体がまとめてサイコパス検診を行っている。検診の結果を自治体が集約して厚生省に提出する方式をとっているが、その穴を利用された。宮内は、検診のたびにそれ以前の検診データを繰り返し提出させていたんだ」
そんな姑息な手段を用いていたことになんとなく彼女の人物像から納得がいった反面、それを可能にしてしまった事実には驚いた。シビュラが完全統治している完璧な社会と謳われながら、その裏では未だにシステムの不完全性が露呈しているのだ。事実、公安局刑事課が存在している意義はそこにあるのだが。
「園内での上下関係を利用したんだろうな。検診の担当はおそらく宮内に強要されていたんだろう。やはり今回の事件、一筋縄じゃ終わらせてくれないらしい」
狡噛が顔をしかめてそう言った。
宮内がサイコパス検診を滞らせていたということは、長らく潜在犯だった可能性が高い。そして彼女自身それを自覚していたはずだ。
「とりあえず取り調べに行くぞ。お前たち二人は隣の傍聴室で聴取だ」
六畳ほどの薄暗い取調室で小さいデスクをはさみ、宜野座と宮内が対面している。
御留我と狡噛はその様子を傍聴室の窓から見ていた。狡噛はお気に入りの古臭い紙巻きタバコをふかしている。タバコの煙に対して御留我はなぜだか平気だったが、今どきこんな堂々と人前でタバコを吸うというのは世間からは良い目をされない。潜在犯だからといってなんでも好き勝手していいわけではないぞと言いたい。
「なぜ半年間もの間サイコパス検診を拒否し、犯罪係数を偽っていたのかお聞かせ願えますか?」
「違うのよ!私はたまたま検診の日に用事があって保留にしてただけ。今犯罪係数が高くなってるのは先月の事件のせいよ!」
「理由がどうであれ犯罪係数詐称は立派な犯罪行為にあたります。失礼ですが、この場は聞き込みではなく取り調べですよ。宮内紗季子さん」
慌てたように取り繕う宮内に宜野座が冷静に言い放つ。これには流石に応えたようで、宮内は口籠り目線をそらしてしまった。
「あの女のせいよ…きっと椎名の汚染したサイコパスが伝染したのよ!」
再び口を開いたかと思えば根も葉もないことを言う。隣で狡噛が呆れたため息を漏らしたのがわかった。
「犯罪係数は伝染する」とはよく言われるが、それはこの社会においてストレスに耐性のない人間が潜在犯から大きなストレス衝動を与えられてしまった際の話だ。そのため短期のセラピーで退院した椎名程度の影響力ならば、周囲のサイコパス上昇にはそうそう発展しない。
「職場で以前から何かトラブルがあったのですか?」
宜野座はあくまで冷静、手順通りに着々と取り調べを進める。
「ち、違うわよ…けど絶対あの女のせい。現に処刑したじゃない?やっぱり孤児は精神も汚染してるのよ…」
御留我は思わず身を乗り出した。隣の狡噛も同様に驚きを隠せなかった様子で目を見開いた。
「孤児?宮内さん、それはどういうことですか?」
宜野座がそう問うと、宮内はギクリとした素振りを見せ、苦虫を噛んだように顔をしかめた。口を滑らせてしまったといったところか。宮内は渋々と話した。
「あの女は孤児だったのよ。私もよく知らないけど。そういう人間って危険思想持ってるんでしょう?」
椎名が孤児?
そんな話は聞いていなかったし、現に家族がいたのだ。そんなことがあり得るのだろうか。
理解に苦しむ御留我の様子を汲んだのか、狡噛が咥えていたタバコを手に持ち替えて話し始めた。
「今の時代、孤児は養子として引き取られるか成人すると、その時点で正式に戸籍が登録される。社会的差別を避けるため、孤児であったという記録は一般には秘匿されるようになっているんだ。児童養護施設では細心の配慮をもって育児がなされるから、孤児であったことそのものと犯罪係数には因果関係はないとされている。だが孤児という存在そのものを不可視化したことで、公な見解が世に出ないまま間違った認識が横行するようになった。どこかしらで情報が漏れたか椎名本人が語ったか…そのせいで椎名は宮内に偏見を持たれたんだろう」
「行き届いた配慮が裏目に出た例ってわけか…」
なるほど。宮内は自分側が椎名に対して何らかの行動を取っていたことをひた隠しにするため、孤児だということを伏せておきたかったのだろう。
「どのみち再捜査だ。厚生省の詳細な市民データベースを漁れば、椎名の孤児としての記録も見つかる」
狡噛はそう言うとさっと立ち上がり、足早に傍聴室を出ていった。
一人取り残された御留我は、何かが心に引っかかるような思いのまま傍聴の記録を続けた。
「孤児だったのか…」
ポツリとそう呟いた。
狭く薄暗い部屋の中には、タバコの煙がいつまでも漂い続けていた。
「詳細を調べた結果、椎名美里はやはり孤児だったことがわかった。三歳まで児童養護施設にいたが、里親の霜月家に引き取られ養子になり、二十歳で今の夫、椎名悠一と結婚したそうだ」
高速道路を走る車中、助手席に座る狡噛が報告した。
時刻はすでに午後6時を回っており、夏終盤だからだろうか、心なしか日が短くなったような気がするほど空と高層ビルたちは夕日に赤く染め上げられていた。
御留我と宜野座、狡噛の三人は聞き込み調査のため保育園へと向かっていた。宮内が勾留中ということもあり、他の職員たちから正確な情報を得るには丁度よい。
「宮内が言っていたことは本当だったらしいな。だが椎名が孤児であったことをなぜ宮内が知ったのか…それを含めて職員に話を聞こう」
宜野座がそう答えた後も御留我は何も言わなかった。
やがて保育園に着いて三人が車を降りると、園舎の方で保育士とスーツ姿の二人組が、何やら神妙な面持ちで話をしているのが目に入った。
「公安局刑事課の宜野座です。失礼ですが、あなた方は?」
そう言いながら宜野座が映像投影型の電子警察手帳を見せると、保育士と話していた初老の男性二人が会釈をした。
「これはどうも、刑事さん。我々、文部教育省の監査官です。この保育園の職員の宮内紗季子さんが犯罪係数詐称、そして園児への継続的な虐待を行っていたことが明らかになりまして、懲戒免職処分の措置をご報告に上がりました」
淑やかに話す職員の言葉に、宜野座をはじめ三人の刑事が目を見開いた。
「園児への虐待?!」
「ええ、そうです。詳しいお話は、こちらの保育士の方々にお尋ねください。それでは我々はこれで失礼いたします」
そう言って再び会釈をすると二人の初老の男性は園舎を後にし、代わりに玄関から別の保育士が二人出てきた。
「何度も色んな方にお話されていることかもしれませんが、宮内さんの件と先月の事件のこと、今一度我々にお話していただけますか?」
宜野座が丁寧にそう聞くと、不安そうな表情を浮かべた若い女性保育士が口を開く。
「宮内さんによる虐待があったのは、半年前くらいです。うちでは児童養護施設から孤児の子を数名預かって一緒に保育してるんです。大抵はすぐに里親が見つかるんですけど、一人だけちょっと長く残っていた
また孤児か。嫌な響きだ。
宮内園児にまで偏見をぶつけていたのだと知り、御留我は怒りがこみ上げてくるのを感じた。
「ある日椎名さんがその子を庇って宮内さんと口論になって…」
「それで椎名の犯罪係数が一時的に上昇し、セラピーを受診したわけか」
「はい。それで椎名さんが園に復帰すると、嫌がらせの矛先は椎名さんにも向くようになりました」
パズルのピースがはまっていくように、事件の全貌が明らかになっていく。聞いてしまえば単純なものだった。だが一つ疑問が残る、宮内は一体どうやって椎名が孤児であるということを知ったのだろうか。聞こうかとも思ったが、今の御留我にそんなことをする気力はなかった。
「暴行事件の日は、何が?」
「その日もいつもみたいに理人くんへの嫌がらせがあったんですけど、どんどんエスカレートしていって平手打ちまでし始めて…椎名さんはそれを見て、宮内さんを椅子で殴ったんです」
「あなた方が宮内の虐待行為とサイコパス詐称を黙っていたのは…」
宜野座が言いかけると、全員が暗い顔でうつむいて口を閉ざしたものだから、狡噛が言わずもがな察することのできる当時の状況を汲んで言った。
「宮内からの圧力…だな?」
下を向いた保育士たちが重々しく頷いた。中には涙ぐむ職員もいた。
狡噛と宜野座は深いため息をつく。
その間御留我はずっと黙り込んだまま下を向いていた。どうにもやるせない気持ちで頭が重く、さらに背中にのしかかってきた大きな罪悪感のようなものがみるみるうちに重さを増していき、押し潰されそうな錯覚に陥る。
椎名が宮内を誘拐したときに言っていた「この人は生かしておけない」という言葉を思い出す。彼女は自分と同じ境遇の子どもが虐待されるのに耐えきれなかった。解決しようとしてもできなかった。椎名は“そう”するしかなかったのだ。少なくとも当時の彼女には、それ以外の手が思いつくほどの精神的余裕などなかったのだろう。
そんな彼女を殺してしまった。何も知らないまま。今さら悔やんだところで、あの時自分が目の前で粉々に処刑した彼女は戻ってこないのだと思うと、あの日の自分を撃ち殺してやりたいと余計に悔やむことしかできなかった。
ほとんど沈み切っていた夕日が完全に地平線へと姿を隠し、夜の藍色空が園舎を呑み込んだ。