ORCHO-PASS PAGES of MEMORY Page.2「正義と罪」 作:マクギリシマ
刑事課フロアの大きなガラス張りの壁の外から差し込む日差しと、けたたましい蝉の声はまだ夏の続きを見せ続けている。御留我はひとり、公安局ビルの廊下の一角にある休憩スペースにいた。
あれから二日。公安局内に戻っても特にこれといった仕事はなく、残っていた書類整理をするくらいだった。
椎名の事件に関しては保育園の他の職員からとれた十分な証言と文部教育省の監査によって事実上解決へと向かった。シビュラ判定により宮内の脅迫観念も導き出され、送検と長期セラピーが決定したそうだ。
しかし御留我は未だに気持ちの整理がつかずにいた。これは紛れもなく椎名を執行したことへの自責の念。それはわかっているのだが、なぜ自分がここまで思い詰めているのか今ひとつ決定打に欠けていた。あれは職務だった。それも至極適切な。シビュラシステムが執行対象と判断した危険な潜在犯に順当に対処したのだ。冷静に考えてみればその通りなのだが、その冷静さというものは果たして今あるべきものなのかさえ疑わずにはいられなかった。
「?」
ふと視界の端に宜野座の姿を認め、御留我は小走りで駆け寄った。というのも、廊下を歩く宜野座の向かおうとする先は面会室エリアで、そこへと向かう理由がどことなく気になったからだ。ここ数日、事件は椎名の一件以外抱えておらず、宜野座が面会に向かうというのならばそれは今回の事件に何某か関係のあるものだろうと思ったのだ。
「ギノ、面会でもするのか?」
そう言って駆け寄った御留我の姿を見て、宜野座はいつものごとく少し迷惑そうな顔をした。
「まあな。椎名悠一が帰国してな。今回の事件について説明のために面会に呼んだ」
答えは予想の範疇のものだった。椎名美里の夫、悠一。たとえ潜在犯の執行とはいえ、遺族である彼への弁明は義務なのだろう。
御留我はすかさず宜野座に詰め寄って言う。
「俺も立ち会わせててくれ!執行の当事者として…」
「正気で言っているのか?!許可できるわけ無いだろ」
「頼む!邪魔はしない!」
「…お前、何かあったのか?」
御留我が必死に懇願する様子を見て、宜野座は不審そうに聞いた。
「いや…ただ、椎名がどんな人間だったのかを知りたいんだ」
何かあったかと聞かれると返すにふさわしい答えが見つからなかった。なぜここまで面会への立ち会いに執着しているのか、その理由すら自分でもよくわかっていないのだから。
宜野座は御留我の顔を見つめしばらく黙っていたが、やがて観念したようにため息をついた。
「わかった。だが、俺が話す以上の事件の詳細や、お前が執行したということは絶対に喋るなよ。いいな?」
厳しく釘を刺され、御留我は深く頷いた。本来執行官が一般人と面会をすること自体ありえない話で、今回は恐らく宜野座が目をつむってくれるのだろう。
二人が面会室の自動ドアをくぐると、木製のローテーブルの向こうに若い男性が座っていた。部屋には向かい合った革のソファが二つずつ置かれ、きれいに整えられた端整な雰囲気で、面会室というよりは応接室のほうが呼び名としては相応しそうだった。
「この度事件を担当しました。刑事課の宜野座と申します」
ソファに座る前にそう挨拶をして深々と頭を下げた宜野座にならい、御留我も頭を下げる。
「同じく刑事課の御留我です」
「椎名悠一です。今日はお時間頂きありがとうございます、刑事さん」
ソファから立ち上がり丁寧に挨拶を返した椎名悠一は黒一色のスーツに細身を包み、その顔にはやつれた表情を浮かべていた。
「お話はある程度お伺いしました。妻は職場でのストレスで、同僚の方に危害を加えて、挙げ句殺人未遂まで…」
「ええ。しかし、奥さんの犯罪係数上昇と危険行動は突発的なものだったようで、こちらとしても悔やまれるばかりです」
ある程度予想はしていたが、「椎名美里は保育園での職場関係でストレスをため込み、我慢の末暴発してしまった」事件についてはそう伝えられているらしい。嘘は一つも言っていないが、なんとも納得のいかない説明だ。宮内や虐待を受けていた理人くんの個人情報保護の観点から事件の詳細は伏せられているのだろうが、御留我は胸糞悪い気分だった。
「心の底からの本音とは言えませんが、妻が殺人犯になる前に止めてくださって、感謝しています」
椎名悠一が静かにそう言ったとき、御留我の中で何かが音を立てて崩れ始めた。
悠一は妻の美里が殺人犯にならずに済んだと言ったのだ。少しでも美里の潔白を残してくれたと。
「妻が一度検診に引っかかりセラピーを受けたあとで事情を聞いてみても、「大丈夫、気にしないで」と気を遣ってばかりで…私は海外出張ばかりで、もっと妻としっかり話せる機会を作れていれば…」
いてもたってもいられなくなった。このままでは椎名悠一の中で彼の最愛の妻は、ただストレスを暴発させて罪を犯しただけの存在になってしまう。
「違います…」
御留我がボソリと口に出した。心臓の鼓動が急に早くなる。
「奥さんは、本当は同僚の職員から虐待を受けていた園児を庇っていたんです。それでも虐待は止まらなくて、奥さん自身も嫌がらせを受けながらも必死に庇って」
御留我は止まらずに話し続けた。一度口を開いてしまえば簡単だった。次から次へと言葉が出てくるものだ。横から宜野座が止めに入ったが、聞こえない。
「たぶん、彼女の中でどうしようもなくなって殺人未遂に至ったんだと思います。奥さんは暴走したんじゃありません!」
先程交わしたばかりの宜野座との約束も覚えていない。
驚きと戸惑いを露わにしていく椎名悠一を真っ直ぐに見据え、御留我は最後にこう言った。
「奥さんを射殺したのは、俺です」
悠一の顔はみるみる悲痛に歪んでいったが、やがてその震える唇から出た言葉は、驚いたことに、怒り狂ったものでも侮蔑するものでもなかった。
「刑事さんたちにも色んな事情があるんだと思います。そしてどう繕っても妻が罪を犯したことに変わりはありません。だから僕は、あなた方を恨んだりするつもりはないです。ですが…」
下を向いて涙を溢しながら、震える声で彼はこう言った。
「妻は…美里は、本当に命を落とさなければならなかったんでしょうか」
「お前、気は確かか?!あの場であんな発言をすることが一体何を意味するか」
面会が終わり椎名悠一を見送るや否や、宜野座が御留我に詰め寄った。薄暗い廊下に鋭い声が反響する。
「椎名悠一の怒りの矛先が俺に向かなかったのが不思議だ…」
「聞いていることに答えろ!」
「椎名悠一は美里の殺人未遂を罪だと言った。だとしたらそいつを殺した俺も犯罪者だ」
「違う、俺たちが行う執行は適切な職務だ!対象の事情がどうであれ、シビュラシステムがそう判断した以上エリミネーターを使うのは当然だ」
御留我の沈み込んだ低い声を瞬時に遮り宜野座が怒鳴る。
「現場での執行は一個人の責任にはならない。それに執行者の特定と部外への開示も禁じられている!」
「執行が適正な職務だとしたら、なんでその責任の所在を曖昧にする必要がある?」
「それは…」
宜野座は不意をつかれたように言葉に詰まる。御留我は冷静だった。気が晴れたわけではないが、煙のようにモヤモヤとした自分の罪の意識のような何かを言葉に出して、それを証明できたような気分だったからだ。
御留我はただ淡々と、それこそ取り調べを行ういつもの宜野座のように、初動捜査の手順を正しく踏むようにして言い続けた。
「人を殺してることに変わりはないからじゃないのか?罪を犯しているからじゃないのか?」
御留我が静かにそう言うと、宜野座は目をそらしたまま何も言わなくなってしまった。刑事課フロアの薄暗い廊下に重苦しい空気が流れ続けた。
時計の刻む一定のリズムとエアコンの排気音が静かに響き渡る。
時刻は24時。御留我は宿舎の自室でトレーニングを終え、汗だくのスポーツウェアのまま革張りのソファにもたれていた。冷房を回しているはずだが、コンクリート剥き出しのインダストリアル調の広い部屋の中には熱気が立ち込めていた。勤務が終わってから二時間サンドバッグに向き合っていたが、どんなに強く殴ろうと、どんなに拳が痛くなろうと、微塵も気分は晴れなかった。先程簡易計測器で測った自分のサイコパス色相は、数日前より幾分か濁っていた。
腕時計端末に通知が入り、御留我はメッセージを開いた。淡々とした自動音声で内容が読み上げられる。
<申請中の外出許可は、宜野座伸元監視官により却下されました。詳細は、当直監視官へ問い合わせてください>
「やっぱりな…」
ため息混じりにそう呟いて、御留我は首にかけていたタオルを床に投げ捨てた。
執行官は公安局から外に出る際、必ず監視官に同伴してもらわなければならない。任務の際は自ずと護送車で現場まで向かうが、それ以外のときは監視官に外出許可申請をする必要がある。
あれから宜野座とは口をきいていない。面会の日から二日が経ったが大した事件も起こらず、その上御留我のデスクワークのシフトの当直日からは宜野座がちょうど外れており、3係から監視官が代理で来ていた。特にこちらから宜野座に話そうと思うことはないが、気まずいまま会わなかったのは運が良かったと言うべきかその逆か。
御留我の中では常に重くのしかかる罪悪感とやり場のない怒りに近いものとが四六時中渦巻いていた。なぜ自分がここまで思い詰めているのか。宜野座の言ったとおりあれは職務であったし、何一つ間違ってなどいなかった。これまでも同じように執行を繰り返してきたのだ。ふと冷静に考えてみるとそう思える。しかし頭では理解していても、何度そう自分に言い聞かせようと心がそれを拒んだ。
不意に脇に目をやると、ガラステーブルの上に置かれた電子説明書が目にとまった。先日局長から受け取った、バルバトスの説明書だ。一通り目は通したものの、あまり関心がわかずに置きっぱなしにしていたのだ。
御留我はそれを手に取り、薄い電子画面に映し出されたモデル図をぼんやりと眺める。部屋の淡い照明が艶消し処理が施された画面に反射する。
「犯罪係数に関わらず行動ができるか…」
そう呟いたとき、脳裏に局長の言葉が蘇る。
“君には正義を選ぶ自由がある”
途端、御留我は苛立ちに歯を食いしばり、
「罪のない奴をもっと殺せってのか!?」
と、がなりたてながら怒りに身を任せたまま説明書を放り投げた。
「っと!」
勢いよく飛んでいった電子説明書の軌道の先でちょうど部屋の自動ドアが開き、13インチの薄型ディスプレイが、立っていた狡噛の頬をかすめて外の床に落下した。ガシャンという音が耳に入る。
「そんなに俺の顔面が憎たらしいか?」
そんな皮肉めいた冗談を言いながら説明書を拾い上げ、狡噛は改めて部屋のドアをくぐった。
「わりぃ。いると思わなくて…」
「いいさ。だが、この端末はもうオジャンだな」
そう言って狡噛が掲げてみせた電子説明書の筐体は軽く反り返り、画面には大きなヒビが入っていた。
「こんな夜中になんの用だ?」
「ギノのパシりだよ。こいつを届けに来た。来月の通常出勤スケジュールだ」
そう言って狡噛は御留我の前まで歩いてきて、持っていた書類を手渡した。
今日の午後、御留我は非番だったが、どうやら入れ違いで宜野座が当直だったらしい。
生返事をしながらA4サイズの紙の書類を受け取る。だが御留我は、これが単なる口実にすぎないということをわかっていた。出勤スケジュールならばわざわざ非番の日に届けたりはしないし、第一端末に送信すれば済む話なのだ。そう察して狡噛の様子をうかがっていると、案の定彼は本題に触れ始めた。
「何かあったのか…いや、お前にだったら、“何を感じたんだ”って聞いたほうが良さそうだな」
狡噛は壁際のソファに勝手に腰を下ろし、横目で御留我を見ながらそう言った。
その言葉に御留我は内心少し驚いた。今まさにそんな心理状態だったと自覚さえしているからだ。何か特別なことが起こったわけではないのに、御留我自身の中で理由もわからないような鳴動が訪れる。ずっとそれを繰り返しては頭を悩ませていたのだ。狡噛の洞察力や理解力が高いのは周知の事実だったが、こんな場面にまで活かせるほど択一していたものだったとは。
御留我はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「椎名美里を殺したこと、なんでかは俺にもわかんねぇんだが、でっけぇ間違いだったような気がしてならなくなったんだ」
「椎名が孤児だったことを知ってから…だろ?」
やはり洞察力が並外れている。この分だと、恐らく狡噛は宮内の取り調べの時の傍聴室の時点で御留我の異変に気づいていそうだ。
「ああ。お粗末な仮説なんだが、俺もかつて孤児で、同じ境遇の椎名に同情でもしたのかもな…」
御留我は独り言のように言った。微かにそんな気がしていた。記憶喪失で執行官就任以前のことは覚えていないが、潜在意識に作用するような過去があったことは否定できないと思う。
「残念ながら俺は失われた記憶の捜査はできない。お前の過去の記憶がない以上、お前の今の感情を無理に解き明かすことはむしろ考えないほうがいい」
狡噛は宥めるような、つぶやくような口調で話す。タバコを吸おうとする素振りは見せなかった。
「俺は椎名を殺したことを悔やんでる。けどもし、椎名の執行を真っ向から否定しちまうと、これまでの任務も、俺が信じてきた正義も、積み上げてきたもんが全部無駄になっちまう気がして…!」
御留我はそこまで言うと、思わず頭を抱えてうずくまる。言葉にすればするほど、隠していた感情がこみあげてくる。
狡噛はしばらく壁を見つめて黙っていたが、やがてゆっくりと語りだした。
「俺たち刑事の仕事ってのは常に命のやり取りだ。ドミネーターの銃口を向けるその前から、相手の生き死にはすでに決められちまってる。正義だなんだとかを決める権利は俺たちにはない。だが最終的に引き金を引くのは俺たちだ。相手を殺すか自分が殺されるか、はたまた別の誰かが殺されるか…」
御留我は次第に顔を上げ、何も言わずに狡噛のほうを見た。粛々と話していた狡噛の声が次第に力強さを増していく。
「あの場で椎名の真実をすべて知っていたとしても、俺なら迷わず引き金を引いていただろう。執行官ってのは、存外そういうものなんだ」
そう語った一人の執行官の目には、明らかに執念が宿っていた。一年やそこらでは到底現れることはないであろう底知れぬ執念が。