ちなみに第二話からかなり時間が経っています。
〜 朝 〜
朝、僕は日の出とともに目を覚ました。
若干寝ぼけていて意識がぼんやりする中、ご主人様の眠る布団から立ち上がり数歩歩いて畳へ出て、思いっきり背を伸ばしてあくびをする。
すぐ隣で寝していたご主人様をちらりと見て確認するも、どうやらまだ寝ているらしい。昨日はレポートがどうとか会議がどうとか言って遅くまで起きていたことを思い出し、きっと疲れているだろうからちょっと起こすのもどうかと思ったので、一応そのままにしておく。戻ってきたら考えよう。
そのままスタスタと歩いていき廊下へと通じる障子に爪を引っ掛けて少しだけ開く。
遮られていた太陽の光が飛び込んできて部屋を照らした。
少し眩しいがそのまま光の差す隙間に鼻を、顔を突っ込み首の力で障子を押し広げる。
今日は見事なまでの晴れだ。見上げれば雲が少なく空が無限に広がっていた。特にこの時期は心なしか空気が澄んでいて空も一段と綺麗に見える。
廊下を出てそのまま縁側から外へと飛び降りる。外の冷たい空気と太陽の光が眠気を覚ますのに丁度いい。
庭へと出るとそのまま池の方に歩いていき、そこから少しだけ水を飲む。冬の冷たい水が寝起きの少し乾いた喉を十二分に潤した。
それからしばらくは家の中や庭を見て回る。
すでに起きて朝の準備を始めている女中の人たちと時折すれ違いながら、外の音に耳を傾けたり周囲の匂いを嗅いだりなどをして、もし不審な音や匂いがあったら吠えて教えるようにしている。これは雨の時以外はほぼ必ずやる日課という奴だった。
どうやら屋敷の中を狼が歩き回っていると『ネズミ』のような害獣が寄り付かなくなるらしい。
僕がくる前は台所や倉庫によくネズミが湧いていて、わざわざ殺鼠剤を作って置いておかなければならなかったそうなのだが、僕が来てからはそれをする必要がなくなって幾分楽になったとご主人様が喜んでいた。ご主人様に喜んでもらえると僕も嬉しいから、僕はこの屋敷の見回りという仕事には少なくないやりがいと、僕が屋敷を守っているのだという自負を感じていた。
ただし、僕よりもよっぽど強い人がこの屋敷を頻繁に訪れたり、たまに泊まり込んだりしているので、実際のところは少し微妙なのだけれど、それに関しては目をそらしておく。
今日も特に異常もなく、屋敷をほぼ一周してご主人様の部屋の近くまで戻ってきた。もう一度部屋に戻って様子を見てみようかと思っていたその時、後ろから声をかけられる。
「あ、白ちゃん!丁度よかったわ。ちょっといい?」
一旦足を止めて振り返ると、そこには一人の女中がいた。
確か何十年か前に入ってきた屋敷の中でもかなり新参の子だった。
「実はご主人様を起こしてこいって先輩に頼まれちゃったんだけどさ、私実は別の人から他の仕事も頼まれちゃってて……とにかく、ご主人様を起こすの代わりに頼んでいいかな?」
それは今どうしようか考えていたところなので本当に丁度よかった。
とりあえず「分かった」の意味を込めて一回「ワン」と軽く吠えておく。「分かった」と直接人間の言葉で言えないのは不便だ。
ちなみにこの屋敷の住人は僕が人間の言葉を多少は理解できることを知っていて割と普通に話しかけてくる。もちろんあまり難しい言葉はわからないがこの程度の言葉なら聞き取れるし理解もできる。
僕だって伊達に人間たちに囲まれて暮らしてはいない。
空いていた隙間からもう一度入って様子を見る。
やっぱりまだ寝ているらしい。昨日は夜遅くまで頑張っていたのをすぐそばで見ていたから、もう少しだけ寝かせてあげたいという気持ちもあるが、頼まれてしまった以上は起こすしかない。
とりあえず鼻先でツンツンとつついてみるが……起きない。
次は顔を数回ペロペロと舐めてみる。
「んー……。白、おはよう」
今度は起きた。
ご主人様は少し朝が弱いところがある。
「起こしてくれたのね。ありがとう」
目をこすりながら体を起こすと、僕の頭に手を乗せてそのまま何回か撫でてくれる。
僕はそれが嬉しくて、目を細めて尻尾を左右に振った。
この後はご主人様の着替えや歯磨き、髪の手入れや化粧などを近くから見守ったり、一緒にご飯を食べたりして過ごしていった。
今日の朝ご飯は野鳥の骨つき肉と馬の内蔵だった。
〜 昼 〜
ご主人様が昼食を食べ終わった頃、僕はよく使う客間の一つに入って畳の上で寝転んでいた。特に何も変わったことも、やるべきこともない日はいつもこうだ。
ちなみに僕は昼には何も食べていない。食事は毎日朝夕2回だけだ。
ご主人様は今、来週の仕事で使う資料と昨日の書きかけの論文のまとめの続きをするといって自分の部屋に引きこもってしまった。
なので、今僕は暇なのであった。
普段は一緒にいてくれる時間もあるのだが、今回は仕方ないかと思う。仕事だし。今日だって朝食を食べた後は休憩や厠以外では部屋から出てこなかった。最近は特に忙しいらしくいつも机に向かっているか、どこかに出かけてばかりだ。
それにしても人間はやることが多くて大変そうだ。自分なんて食って寝てたまに屋敷の見回りをして時々遊んだり、後たまに頼まれたものをくわえて持って行ったりといった感じだ。
これでは大した恩も返せていないどころか返さなければならない恩ばかりが増えているような気がして少しモヤモヤする。
なんと言うべきか、自分の不甲斐なさに対して。
みんながどれだけ僕のためにお金というものを使っているのか、みんながどれだけ僕のために時間や手間をかけてくれているのか、僕だって人の言葉をある程度理解できるようになってからは、知らないわけじゃない。
だからこそ何かみんなの役に立てることはないかなと時々考えたりもするのだけど、あんまり頭の良くない自分には思い浮かばなかったりする。
そんなことを考えていると、塀越しに聞こえる町の営みの音に紛れて、聞きなれた足音が3人分向かっていることに気がついた。
ゴチャゴチャとした考え事を置き去りにして部屋を出て庭へと降り、門の前に駆けていく。
その3人が門にたどり着く前に先回りして今度は「ワン!ワン!」と大きく吠える。
すると、玄関の方から一人の女中が駆け寄ってくる。
「あらあらシロちゃん、来客ですか?……今出ますからね」
黒髪にチラホラと混じる白髪と顔に刻まれたシワが重ねてきた年月の多さを物語るこの人は僕がここに来るずっと前から働いている古参の女中だった。
年も数千や数万ではきかない程なのだとか。
そうこうしているうちに足音の主も門の前に到着して立ち止まっている。
女中が閂を抜いて扉を開けると、そこに居たのは豊姫様と依姫様の綿月姉妹と月夜見様だった。
今日は仕事か何かだろうか、綿月夫妻の方はどちらも来ていないようで、代わりに月夜見様が姉妹を連れて来ていた。
これは月夜見様の屋敷と綿月家の屋敷がお互いの家がすぐ近くだからこそできることだった。
「「シローーー!」」
「シロちゃーん!」
そして3人揃って飛び込んで来る。
正面からは月夜見様が、左右からは豊姫様と依姫様が抱きついて来る。みんな好き勝手にするものだから視界が上に下に右に左に揺れるし時折塞がれもする。
門を開けてわずか5秒足らず、あっという間に人間2人と神様1柱からもみくちゃにされてしまったが、まぁ今の時期はよくあることだった。
ところで、みんなに抱きつかれるのは暖かいからこれはこれでこっちも気持ちがいいし、僕は嫌いじゃないけど……早く家に上がらなくてもいいのだろうか。
●
あの後、女中さんの助けもあって人間団子状態から解放された僕が向かったのは、やはり屋敷の客間だった。
今は電気ストーブのおかげで温まった部屋の中で、卓を囲みながら談笑している。その輪の中には仕事を一旦切り上げて休憩しに来たご主人様の姿もあり、子供同士、大人同士で盛り上がっているようだった。
「……でね、須佐男ってば酷いのよ!住吉三神が飲み比べしてる所に乱入した挙句に、お酒が足りないからって私が少しずつ、大っ切に飲んでたお酒……ワインって言うらしいんだけど、横から奪って全部飲んじゃったのよ!しかも飲んだ後に出て来た言葉が『なんだこれ』ってもうホントあり得ないんだから!せっかく他の大陸の神から譲ってもらったお酒なのに!まだ盃2杯分しか飲んでなかったのに!レア物だったのにぃぃぃぃぃぃ!!もう知らない!あんなの大っ嫌い!次またやらかしたら天照の時みたいに今度は私が引きこもってやるんだから!……それにね、天照ったら須佐男の暴走を見てて何も言わないのよあのブラコン!あの後はもう大変で……」
どうやら月夜見様の話はお酒の席での愚痴のようで、どうも酒乱の須佐男に大切にしていたお酒を飲み干されたことに怒っているようだ。
羽目を外してまくし立てるように喋る月夜見様を、ご主人様が受け流している。
これも……よくある光景だったりする。
月夜見様はここにいる時はいつもこんな調子だから困ると、ご主人様はいつもぼやいていたのを思い出す。普段の月夜見様はもっと落ち着いていて、理性的で、今よりも穏やかな話し方をするのだそうだ。
実際僕もそういった真面目な月夜見様を何回か見たことがあるが、それでも自分はこのくだけた感じの月夜見様の方を多く知っているので、逆にそっちの方がどちらかと言えば違和感があると思う。真面目な月夜見様もかっこよくて尊敬できるのだけれど、僕はこっちの方が親しみが持てて良いかもしれない。
もっとも、それを本人の前で言うつもりは無いし、そもそも言えないが。
ちなみにそうした話を聞いている間、僕は月夜見様の隣で彼女のゆったりとした白いロングコートを布団がわりにして寝転んでいた。
月夜見様はご主人様とこの屋敷の人たちの次に僕のことを気にかけていて、たまにご主人様が不在の時はよく女中たちに混じって世話をしてくれている。
だから月夜見様の近くもご主人様のそばにいる時と同じく落ち着くし、月夜見様の匂も僕は好きだった。
こういう賑やかな所にいると、たまに自分もただ横から聞いているだけではなくて、この輪の中に入っていっぱいお話ができたらなんて考えることもあるけれど、そこはやはり狼の体。無理なものは無理だし、やっぱり少し寂しい。
「……で、しかもその時一緒にいた火雷と句句廼馳も悪酔いしてて……」
そんな寂しさを忘れるように、僕は月夜見様の愚痴を聞き流しながら微睡みに任せて眠っていった。
〜 夜 〜
月夜見様と綿月姉妹を見送った後、手っ取り早く夕食を済ませ、しばらく居間でくつろいだ後、ご主人様と2人きりで寝室まで来ていた。就寝の時間だ。
布団に入ってあとは寝るだけなのだが、ご主人様はどうにも寝付けなさそうな様子だった。窓から見える朧の月を眺めるばかりで、まだ眠れていないようだ。
何かあったのだろうか?
そう思った僕はご主人様の枕元まで近づいて、そのまま伏せた。
すると、僕に気づいてこっちを向いたご主人様と目があった。
彼女は僕と視線を合わせたまま小さく微笑んだ。
いつもと変わらないはずのその笑みが、今日はどこか違って見えた。
「白……ごめんなさい、心配させちゃった?」
僕は何も言わずに、ご主人様を見つめ返す。ご主人様が見せた笑顔の影を見ようと思ったから、できればその影を、僕が晴らしてあげたかったから。
でも一瞬見せたその違和感も、次の瞬間には何事もなかったかのように霧散して、またいつも通りの優しい顔になってしまった。
「白、ちょっと……いい?」
そう言うと、ご主人様は自分の入っている布団を少しだけ持ち上げた。
一緒に入って欲しいのだろう。
そう察した僕は一度立ち上がってスルリと中へ滑り込むと、隣に寄り添うように寝転んだ。布団を持ち上げていたご主人様の腕がゆっくりと降ろされて僕を抱き寄せる。
僕は彼女と彼女の体温に温められた布団の中に包まれた。
「今日は、一緒に寝させて。……白」
僕は彼女が寝るまで、そして寝てからも隣にい続けた。
こうしていると、ここに来たばかりの頃を思い出す。
今では僕が勝手にご主人様の隣に来て、布団の上の邪魔にならなそうなところに寝ていることがほとんどだけど、昔は……保護されたばかりの頃はいつもご主人様と一緒にいた。朝起きて、一緒にご飯を食べて、時折散歩のために一緒に外に出て、彼女が机に向かってペンを走らせている時も膝の上に座らせてもらっていた。
仕事や研究で家を留守にしている時以外はほぼ毎日そんな生活をしていた。
昔は今みたいに気を使って仕事中はそっとしておくとか考えもせず、とにかく甘え放題わがまま放題だったことを思い出した。今になって考えれば、ずいぶんと迷惑をかけていたかもしれないと思う。
仕事や研究で家を留守にしている時以外はほぼ毎日そんな生活をしていた。
もちろん、こうして一緒の布団に入って彼女の腕に抱かれて眠ることも多かった。
本当に……懐かしい。
僕がここに来てから何百年経っただろうか。
ふと、そんなことを考えてしまう。
僕はあれからみんなの役に立ちたくて、みんなと一緒に居たくて、できることはなんでもやろうとしたし、教えられたことはなんでも覚えようとした。
座ったり待ったり伏せたり指示されたものを取りに行ったりもした。教えられた人間の言葉も何十何百と覚えたし、それ以外の言葉もみんなの会話から少しずつ拾って理解しようともして来た。
おかげでみんなが何を言っているのか、少しずつ理解できるようになって、それで僕は僕が思っていた以上にみんな……ご主人様や月夜見様、豊姫様、依姫様たちに大切に思われていることも知った。
だから僕も、僕を大切に思っているみんなの気持ちと同じくらい、みんなのことを大切に思っているってことを伝えたくて、吠えてみたりいっぱい尻尾を振ってみたりしたけれど、でもどんなに頑張ってみたところで僕はただの狼で、みんなは人間や神様で、そこだけはどうにもならなかった。
言葉で直接思いを伝えられないことが、何よりも悲しくて、寂しくて、悔しかった。
もちろん今だってそうだ。
僕は狼だから、人や神様であるみんなに僕の心の中の想いを伝えられないし、一緒に笑い合うこともできないし、愚痴だって聞いてもらえない。
それに僕はきっと、一緒に過ごして来た何百年もの間ずっと姿の変わらないご主人様ほど長くは生きられないような気がするから、明日か来週か来月かそれとも何年も後か、いつになるかは分からないけど、いつかは必ず別れる時だってくるのだろうと思う。
だからそうなる前に、一度だけで良いからご主人様と話してみたい。この胸の中の温かい気持ちを感謝とともに伝えたい。
それが僕の、たった一つの夢だった。
もし僕が人になれたら、なんて今まで何度も考えたけど、でも結局それは叶わない願いでしかなくて、そして後には現実に打ちのめされて虚しくなるばかりだった。
だけどみんなは僕のそんな悩みなんて知らないで、種族の違いなんて関係ないとばかりに毎日僕のことを可愛がって撫でてくれたり、抱きしめてくれたり、美味しいご飯を食べさせてくれたり、そして今みたいに一緒に寝てくれたりする。気がつけばその優しさに、暖かさに飲み込まれるように、そんな悩みはすぐに頭の片隅に追いやられてしまうのだった。
だから僕はいつしかそんな幸せな日々が永遠に続くかのように思い込んでしまっていた。
街の壁を隔ててすぐ隣にいる脅威のことを忘れてしまっていた。
結局、僕は野生を忘れてしまったただの甘えん坊だったんだ。
自分の文章にしてはかなり長くなりました。
ここまで長くなると誤字や脱字、誤植が気になります。
もしミスを見つけたら感想欄にてご報告いただけると嬉しいです。
実は次話の内容を一部こっちに持って来たので次はこれよりも文章が薄くなるかもしれません。
また、次話は急遽少し内容を変更することになったので次回の更新についてはおおよそ一週間後くらいを目指しています。