幻想白狼記   作:D-Ⅸ

6 / 7
(今回は流血表現などを含む残酷で暴力的な描写を含みます。)

どうも、よく筆が暴走する作者です。
お察し(?)の通り今回もそんな感じです。

かませ臭さ漂う狂人キャラを描こうとしたらなんかよく分からないのが出来上がりました。
まぁ出番はこの章だけの名無しなので直さずそのままにしています。

また、今回は本編に三人称視点を入れていますが、あくまで部分的に一人称でしっくりこなかったために入れただけになります。
書いてみた感じでは「やっぱり三人称よりも一人称の方が楽に書けている気がするし、そっちの方がいいかなぁ」とか思っているので、今後三人称で書くシーンが多く出てくるかどうかは正直未定になります。
基本的に書きたいように書いていますので。

あと、なぜか設定考えてる時間が楽し過ぎて割と重要な箇所に独自設定をぶっこんでしまいました。
今後何か変な矛盾とか起こさなければいいんですけど……。




第六話「力と暴走」

 

 霧深い山の中、そこに二人の男がいた。

 一方は頭に猫の耳を、尻からは猫の尾を生やしている上半身裸の病的なまでに肌が白い細身の男、もう一方はその男とは対照的な浅黒い肌に、背中から黒い翼を生やした筋肉質な禿頭の男。その特徴が示す通り、彼らは妖怪だった。

 それも、それぞれが団長と副長という立場で妖怪の集団を束ねる一廉の妖怪であり、この霧の襲撃を起こした元凶でもあった。

 

「よう相棒、獲物の様子はどうだ?侵入者の方は撃退できたか?」

 

 猫耳の男がそう言うと、黒羽の男は自身の能力である『霧で惑わす程度の能力』によって生み出された、己の妖力の溶け込む霧と繋がる事で収集していた情報を伝える。

 

「霧の中の異物の反応を見る限り、護衛はあと一人だな。殺さずに追い立てろと命令しておいた標的ももちろん健在だな」

「あぁ、今さっき暇つぶしに様子を見てきたが、ありゃあ随分と怯えてたぜ。……もうそろそろいい味が付く頃合いだ。人の恐怖は蜜の味……それが染み込んだあの女の肉は最っ高に美味くなってるだろうよ!なぁ、相棒!」

 

 猫耳の男が興奮した様子で言った。普段は黒羽の男よりも寡黙な癖に、この手のこととなると途端に興奮して饒舌になるその男の目には、ギラギラと鈍く輝く狂気が宿り、口元には獰猛な笑みが浮かんでいた。隣に佇む黒羽の男も猫耳の男ほどではないがニヤリと口元を歪ませながらながら肯定する。

 

 前の縄張りの人間の集落を滅ぼしてからさまようこと一ヶ月と少し、人間が豊富にいると言う『都市』とやらを望めるこの山に拠点を移してからものの数日で特上の食材がおまけをゾロゾロ引き連れて飛び込んできた。

 それは彼らにとって、この新天地での生活の幸先のいい出だしを象徴するような、この上なく喜ばしい出来事であった。

 さらにその特上の食材である銀髪の女を捕らえ、女が自分たちに生きたまま喰われながら苦しみ踠いて死んでいく様を想像することが、それを味わう自分たちの未来を想像することが、性的な快感すら伴う興奮と悦楽を二人にもたらしていた。

 彼らの表情が狂気的で恍惚とした笑みに歪むのも無理からぬことだった。

 

 この二人は種族こそ違えど、お互い分かり合えるところがあった。

 二人は心から殺しが好きだった。殺しに特定のこだわりを持ち、それを実行して完遂することが好きだった。何より人間が大好きだった。肉の一片から骨の髄まで、全てが恐怖に染め上げられた人間の血肉が、その至上の味がこの上なく大好きだった。

 

 妖怪は人間の血肉と恐怖を糧とする。であれば全身に恐怖という感情を徹底的に刻み込まれた人間の血肉はなおのこと美味なものとなるというのは、一定の力と知恵を備える妖怪たちの中ではある程度共有されている常識であった。

 この二人はその甘美な恐怖の味が染みた肉の味をすっかり覚えてしまい、それ以外の肉をまともに食えなくなった。彼らが食べると決めた標的は適度に甚振り恐怖を存分に与えてから喰らっていた。

 一方で、適当に殺した人間の肉などは自らに付き従う妖怪にそのほとんどを譲るようになっていたし、その辺の獣の肉など口につける気すら起きなかった。そんな生活を続けてしばらく、気がついた頃にはその味だけでなく、その味を実現させるための過程の模索と探求にも彼らは深くはまっていった。

 どういう演出をすれば人間は怖がるか、どういう痛めつけ方をすればより美味しくなるか。

 彼らは荒々しく攻撃的で、なおかつ残忍なその本質とは裏腹に、そうしたことを研究する研究者としての側面すら持ち合わせるようになっていった。

 そうした探求の結果として、霧の迷宮に閉じ込めてじっくりと一人ずつ狩っていくというやり方に落ち着いたのだった。

 

 そしてその美学とも言えるほどに昇華したこだわりや思い、思想を共有する二人には、確かに同志としての絆があった。そしてその絆を持てたがために、二人は共にここまで来られたのだという信頼があった。

 

 

 

 だからこそ黒羽の男は切り出した。

 同好の士たる隣の相棒が獲物を独り占めするような器の小さな男ではないと知っていたが故に、その相棒を守ってやれるのはこの場では自分しかいないと感じていたが故に、自らが食前の害虫駆除を買って出ることにしたのだった。

 

 先刻霧の上から飛び込んで来た侵入者が、どうやら部下では太刀打ちできそうにない強者だったらしく、自分が出なければならなそうだと黒羽の男は感じ取っていた。

 その侵入者は上空から降りることなく上を取ったまま、残党狩りや侵入者への警戒を行っていた配下の妖怪たちとの戦闘を早速開始していた。真っ先に迎撃に上がった鳥系を始めとした飛行能力を持つ妖怪たちから各個撃破され、飛べない妖怪はほぼ一方的にやられている。侵入者は時折何かを探すように高度を落として地表に近づくのだが、そこが飛べない妖怪たちに与えられた数少ない反撃の機会であった。

 しかし霧を通して感知できる侵入者の動きに変化が見られないため、おそらく部下たちではまともな傷を与えられていないようだった。

 向かってくる妖怪を返り討ちにしながら何かを探している。そしてその探している何かとは、十中八九自分たちが今回襲撃した人間どもの事だろう。

 

(自分を信仰するたかだか十人少々の人間を助けるためだけに、愚かにもこの俺たちに喧嘩を売ったのか)

 

 黒羽の男の中にそんな侵入者である神をあざ笑うかのような感情が湧き上がる。

 だがそれでも自分はともかく、この分では地上での戦いを得意としている猫耳の相棒にはいささか苦しいだろうから空中戦の得意な自分が出て方がいい、というのが黒羽の男が導き出していた結論だった

 

「一緒に行きたいところだが……先に行ってくれ。忌々しいことに侵入者の方もまだ生きている。さっき迎撃に出た奴らが劣勢のようだ。……久々に俺が行こう。今回の相手はそれなりに出来る奴らしい」

 

その言葉に猫耳の男の眉がピクリと一瞬動いた。

 

「お前がそこまで言う奴なんて珍しいな。どんな奴だ」

「神だ。だがそこらにいるような下級の神じゃねぇ。それなりに力のある奴だろうな。放出されている神力で逆に俺の霧に込められた妖力が掻き乱されるほどだ」

「へぇ……標的を回収したら俺も合流した方がよさそうか?」

 

 猫耳の男のその提案を、黒羽の男は首を横に振って答えた。

 

「いや、問題ない。例え名のある神が相手だろうと心配無用だ。……それに、この俺が霧で包んでやった以上、ここはもう俺たちの城だ。負ける道理はない。まぁ、食前の準備運動だとでも思っておこう」

 

 それだけ言うと、黒羽の男はその烏色の大きな翼をばさりと広げて飛び立った。

 黒羽の男は正面からやり合えるような戦闘向きの能力ではないものの、生まれつき他の妖怪よりも妖力の伸びがよく才能に恵まれていた。その才能もあって妖力の扱いと妖術の腕はメキメキと上達し、中位の妖怪の中でも特別実力のある存在として少しは名が売れていたし、何より相棒にも恵まれていた。

 おかげでこれといった挫折もなく、今までほぼ無敗を誇っていた黒羽の男は、所詮井の中の蛙であることも知らずに己の腕に相応以上の自信を持ってしまっていた。

 今回の襲撃では能力で生み出した霧に、人間や神といった種族の五感や方向感覚を狂わせて幻覚を見やすくするなどの弱体化や撹乱の効果を与える一方で、妖怪を興奮させて攻撃性と士気を上げる効果を持たせていたため、この霧の及ぶ範囲内では同格はもちろん例え格上相手だろうが有利に戦えると、黒羽の男はそう確信していた。

 

 もちろんこの男の能力とて、万能ではない。生み出す霧は強力な特殊効果を複数付与できるが、個別に対象を選べるような器用さはない。

 また、強力であるが故に力の弱すぎる小妖怪や、まだ自身の妖力にすら慣れていない生まれたての妖怪に対しても弱体化能力が働いてしまうこともたまにある。今回の霧に付与した能力であれば、人間や神に対して発動させるつもりで付与した五感の混乱や幻覚作用などだ。

 だがその弱点に関して、男は考慮さえしていなかった。

 今自分たちの一党にいるのはある程度の場数を踏んで来たような妖怪ばかりであり、今更霧の効果に狂わされるような軟弱な奴などは一匹もいないと断言することができた。

 もし霧に当てられてしまう妖怪がいたとしてもそれは元々この山に住んでいた名前すら持たない小妖怪か、先ほど霧の中に飛び込んで来た、漁夫の利目当てと思われる野良妖怪くらいだろう。

 だが仲間や部下ですらないその辺の野良妖怪風情がどうなろうと知ったことではないというのが男の思考であり、すでにそれらの一切を切り捨てていた。

 

 そしてそんな黒羽の男の相棒たる猫耳の男もまた、彼の実力に心の底からの信頼を寄せていた。自分の不得手な空中戦を何よりも得意とし空では負け知らずで、これまた能力頼りの自分とは違い、自分が苦手な妖術を多く会得しそれらを巧みに操る相棒の頼もしい姿が容易に想像できた。

 今回だって急に飛び込んで来たと言う、無粋な闖入者であるどこぞの神を相棒が一蹴するその姿を、己が目蓋の裏に浮かべることさえできていた。

 最悪、多少手こずっているようなら戦闘向きの能力を持つ自分が敵の不意をついて参加すればいいだけだ。と、彼は相棒の勝利を信じて疑うことなどなかった。

 自分たち二人が揃っていれば、『黒い女帝』などの二つ名持ちや最古参クラスの鬼や妖獣などの圧倒的な格上の存在以外、言葉通り恐るるに足りないとすら思っていた。

 それは言い換えれば過信とも言えるものであった。

 

 猫耳の男は飛び上がって霧の中へと消えてゆく相棒の背を無言のままに一瞥すると、自身も静かに歩き出した。

 皮肉なことにこの男たちもまた、彼らが標的としていた銀髪の女と同じく己の慢心によって危機へと陥ることとなるのだが、当然彼らにそれを知る術など無かった。

 

 

 

 

 

 

 霧深い山の中、私はただがむしゃらに走り続けていた。

 足腰の骨や筋肉が悲鳴をあげ、酷使し続けている肺は軋むような苦しみを私に伝え続けていた。額には玉のような汗が浮かび、顔を伝っては飛び散っていく。着ている服は行く手を遮る藪や木の枝に切り裂かれ、岩に擦り切られてボロボロになり、汗や泥水を吸い込み重くなっていた。肌も滲み出る汗と土、そして自分や仲間の血にまみれ、私は無残なまでにみすぼらしい姿を晒していた。

 だがそんな状態になってもなお、私は走らなくてはいけなかった。私は自分がどこを走っているのか、登っているのか降っているのかさえ分からないようなこの忌々しい霧の迷宮の中にあっても、決して足だけは止めることがなかった。止めるわけにはいかなかった。

 

 すぐ後ろを振り返れば、その理由が、その元凶が目を血走らせ、涎を垂らしながら迫っていた。

 緑の肌をした四つ腕の巨人に三つ首の黒い蛇、毒々しい色をした巨大なカマキリや電気を纏う赤い目をした大鷲……あらゆる異形が私の元に殺到していた。

 私の肉を、私の血を、私の魂さえも食らい尽くす為に。

 

 

 

 

 

 この襲撃も、最初のうちはなんとかなっていた。早朝のキャンプで出発の準備をしていたところを襲撃されたため、周りには十人以上も武装した護衛がいた。私には弓があったし霊力だって人並以上は持っていた。私たちには襲ってきた妖怪を跳ね返すだけの力があった。

 だから妖怪の群れを振り切って霧を出ればいずれは都市へと帰れるだろうと、その場の誰もが楽観的に考えていた。

 だがその余裕も長くは続かなかった。

 

 それは2、3回程度の小規模な妖怪の襲撃をやり過ごした後のことだった。最初に異変に気がついたのは隊列の先頭を歩く護衛の隊長だった。

 

「おかしい。同じところに戻ってきている」

 

 彼はある地点で立ち止まるとそう言った。

 次に斜め前にある木の方を指差した。そこには木の幹が弾丸に抉られた傷と、銃撃を浴びて負傷し撤退していった妖怪の血痕が残されていた。つまりそれは私たちが敵の術中にすでに嵌ってしまっていたことを示していた。

 この山全体にそうした術を仕込んだのか、それとも視界を奪うために展開されたものだとばかり思っていた、この僅かに妖力を含んだ不気味な霧にそうした効果があるのか。

 恐らくは後者なのだろうと私は考えていた。

 であればこの妖怪の襲撃をなんとかしながら霧の発生源となっていると思われる別の妖怪を倒すか、あるいは術そのものを無効化して、それから離脱しなければならない。しかしこの時は少しばかり面倒なことになったなという程度の認識だった。

 隊長は長年の勘から霧の中央、奥の方にいるのではないかと大凡あたりを付け、そこへ向かって私たちは歩き出した。

 

 だが、まさにそこからは死の行軍とでもいうべき地獄が待っていた。

 霧の発生源は次第に濃くなる妖力に阻まれ、惑わされて見つからず、かと言ってこの山の中から出る事もできない。しかし一方で異形の小妖怪がほとんどとはいえ妖怪の襲撃は止まることはなく、それが私たちに次第に出血を強いるような悪い事態へと転じていく。

 

 まず綻びが出たのは護衛の兵士たちの装備だった。予備の弾薬の一部を放棄したキャンプの中に置いてきてしまったため、弾切れが発生した隊員はどうしても戦闘のメインを霊力弾や術を中心とした戦法か、あるいはその霊力も枯渇した場合は近接戦闘へと切り替える必要に迫られることとなるのだが、当然人間と妖怪とでは身体能力がまるで違う。鋭い牙や爪にそれを最大限に生かすだけの充分な膂力を持ち、中には毒を扱ったり地中や上空から攻めたりできる妖怪の方が圧倒的に有利となる。

 そんな中で一人ずつ倒されたり、あるいは分断されたりといったことが相次ぎ、護衛の兵士はその姿を徐々に減らしていった。

 その分、今まで負傷者の応急手当てや弓での一時的な援護射撃など、最低限の戦闘以外は補助に徹していた私が戦う事も多くなるのだが、その私もいずれは限界がくる。当然ながら私の霊力も体力も有限であるし、もちろん持参した矢だってそれほど多くはない。

 初日に護身用として拳銃を一丁渡されていたが、それも焼け石に水程度にしかならず、すぐに弾が切れて使い物にならなくなってしまった。

 何せ、元よりこんな数の妖怪の襲撃を予測していなかったのだから。

 

 

 

 弾薬が尽き、霊力も尽き、刃は砕け、負傷者が出て、医療器具も尽きて応急処置すらままならなくなり、そして負傷者は死者となった。私たちは一向に減る気配のない妖怪に少しずつすり潰されていき、最後まで戦った隊長も今さっき死んでしまった。

 

 この地獄の中、ついには私一人になった。

 

 後ろに迫る異形の群れはこの時を待っていたかのように勢いを増し、私を追い回し続けていた。少しずつ間を詰めてくるその妖怪の津波から、精も根も尽き果てる寸前で満身創痍だった私は逃げられる気がしなかった。

 弦の切れてしまった弓も、矢を打ち尽くした矢筒も、道中で拾った素材の草やキノコが入った袋も、使い切った薬の注射器や空き瓶が詰まっていたバッグも、持ち物のほぼ全てを捨ててきてしまった。

 私にはもう何も無かった。

 

 

 

 私は、このとき初めて心の奥深くから湧き上がる恐怖というものを感じていた。

 それと同時にその恐怖も、湧き上がってくる絶望も、そして『死』という終わりさえも受け入れつつある自分にも気がついていた。その思考にチラつく諦めが、心が折れる寸前になっている証しであることにも気がついていた。

 だが恐怖や絶望や諦めを跳ね除けるだけの気力も私からは無くなりかけていた。

 

 自分がここまで追い詰められているのも、護衛の兵士たちが妖怪にやられてみんな散って逝ったのも、全部この愚かな私のせいなのだから。

 「都市の頭脳」だの、「天才」だのと持て囃されていたのは所詮私の本質を知らない他人の過大評価に過ぎず、私はそれにただ気を良くして増長しただけの凡愚でしかなかった。

 もしも最初に上から「護衛をつけろ」と言われた時に、「私一人に大げさ」「落ち着かない」と言って護衛の人数を減らさなかったら。もしも山に行くと聞いた後に心配して付いてくるとアピールしてきた、鼻のよく効く白を連れてきていたら。他にももっと違う選択肢を取っていたら、もう少しマシな状況になったのではないか、死なずに済んだ人もいたのではないかという後悔が頭の中に浮かんでは消えていく。

 

 

 

「あっ……!」

 

 そんな現実逃避にも似た自虐と後悔の念に駆られていたせいか、次の瞬間、私は地面を転がっていた。

 痛みに顔をしかめながら振り向くと、私の足で巻き上げられた枯葉の中から突き出た石が覗いていた。枯葉に隠された自然のトラップがこの最悪のタイミングで私の足を払ったのだという事実を思い知ると同時に、その躓いた足に鈍く響き続ける痛みが、私に起きていることを教えていた。

 それは私が医者であったからこそ、なおさら私を深く絶望の谷に叩き落としていった。

 

 私は躓いた方の足を、左足を捻挫してしまっていた。

 普段なら命に別状はない、特別重症でもなんでもないはずのその怪我も、今この状況においては死の宣告にも等しいほどの致命傷であると言えた。

 

 追いついた妖怪たちが、じりじりと間合いを詰めながら私を取り囲むように広がっていく。

その大地を踏みしめる大きな足音が、その荒々しい息遣いと唸り声が、私の死期が刻一刻と迫っていることを残酷に告げていた。

 

 

 

 もう駄目だ。

 

 

 

 直感的にそう思った。

 もう抗えない、もう逃げられない。その事実が心を支配する恐怖をより一層と強め、どす黒い絶望として降り掛かり私を苛んだ。

 息が苦しい、胸が締め付けられる、手が震える、痛む足にはもう力が入らない。

 私は次の瞬間には私の命を刈り取らんと目前に迫るだろうその腕を、爪を、顎門を幻視して目を瞑り、覚悟を決めようとした。

 

 その時だった。

 

「よぉ……。こんなところでどうしたのかなぁ、お嬢さん?」

 

 後ろからそんな声が聞こえた。

恐る恐る目を開けて後ろを振り向くと、そこには痩身の猫耳を生やした獣人がいた。男の口元は醜く歪み、その眼にはギラギラとした獰猛で嗜虐的な、冷たい光が宿っていた。

 

 

 

 そしてその目を見た瞬間、私は自分の心臓がグシャリと握りつぶされるようなおぞましい感覚に襲われた。

 

 

 

 

 

 

(ここだ、この先だ!ついに追いついた!)

 

 僕はそんな確信を抱きながら、この濃密な霧の中を走っていた。

 真新しい匂い、真新しい足跡。そしてそれが続く先へとひた走り、ついにその姿を捉えた。もう20メートル先だって見えないこの霧の中でうっすらと浮かび上がる妖怪たちの影だ。

 僕は速度を落とし、近くにある木の陰から様子を伺った。この妖怪たちの影になっているのかその姿は見えないが、見えないだけで匂いはする。

 僕は必死にご主人様の姿を探すため、どういうわけか退屈そうに棒立ちしている小鬼の集団を迂回しながら回り込んだ。

 そしてそこにある光景を見たその時、今まで感じていた熱が一気に冷めていく。全ての感情が消え失せ、その代わりに今の状況を理解しようとする不気味なほど鮮明で冷静な思考だけが残った。

 

 そこには猫のような耳と尻尾を生やした男と、その男の前にうつ伏せに倒れたご主人様の姿があった。

 あんなに美しかった銀の髪はところどころが血に汚れ、ここから見える彼女の手首はありえない方向へと捻じ曲げられていた。その痛々しい姿から、彼女がどれほど痛めつけられていたのかを察することができた。

 

 動かないご主人様を見て、次にそこに立つ猫耳の男を見る。

 次に湧いて来たのはとても純粋な感情だった。怒りもなく、絶望もなく、そして悲嘆も無い、とても純粋な殺意だった。

 

(お前は誰だ……何をした……。僕のご主人様に、僕の大切な人に……僕の母さんに何をした!) 

 

 男は狂気を孕んだ眼差しで何かを独り言のように話しているのが耳に入ったが、そんなものは今の僕には関係なかった。聞く気すら起きなかった。

 

(絶対に許さない。……殺す、殺す!……こいつだけは絶対に殺してやる!)

 

 魂の奥底から濁流のように押し寄せるその暗く激しい殺意に飲み込まれるように、僕の視界と意識は闇のような黒色に塗りつぶされた。

 

 

 

 

 

 そして飲まれるその寸前に、『力の強弱を操る程度の能力』という言葉が浮かんで来た。

 

 

 

 




はい、遅れてしまい大変申し訳ございませんでした。
言い訳に関しては後日活動報告に記載いたします。

また、文字数があまりにも増えすぎたため、一部書き直した上で急遽二つに分割しました。
最後の方に至っては若干力尽きています。
ちなみに後半部分はまだ執筆途中ですが、上下合わせて15000字は超えると思います。
サクッと終わらせるつもりだったのにどうしてこうなった……。
これにより難関である戦闘描写は次回に持ち越しになりました。

いよいよこの辺から主人公の設定がどんどん追加されていきます。

(2019年11月11日 サブタイトルと内容の一部を修正。本筋に影響なし)
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