真・恋姫†無双異聞 皇龍剣風譚     作:YTA

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どうも、YTAです。
オリジナルを書いた当時は、(ようや)く一刀と恋姫を絡ませる事が出来て嬉しかった思い出があります。

感想、評価、お気に入り登録など、大変励みになりますので、お気軽に頂戴いただければと思います。
では、どうぞ!


第六話 深紅 前篇

 

 

 

 魑魅魍魎(ちみもうりょう)の群れ。

 目の前の光景を言い表す言葉があるとしたら、音々音にはこれしか思いつかない。

 (そび)え立つ峡間の入口から際限なく湧き出て来て、二千余りの呂布隊を取り囲んでいる異形の軍勢が既にどれ程の数に上っているのか、想像するのも恐ろしい。

 不幸中の幸いだったのは、奴らこちらを見つけるより先に、こちらが奴らを見つけられた事だ。

 

 その日の夜明け前、陳宮こと音々音が目を覚ました時、同じ天幕の中で寝ていた筈の主の姿は、既に無かった。

 寝惚け(なまこ)を擦りながら、主である呂布こと恋を探して外に出た音々音が見たものは、三十里(約10km)ほど先の大地に空から“降って来た”、異形の怪物の群れだった。

 茫然とその光景を見守る不寝番の兵達の中に主の姿を認めた音々音は、その背中に駆け寄った。

「三万は、いない……」

 音々音が口を開こうとするより早く、恋はそう言うと、ゆっくりと音々音の顔に視線を移した。

 

「何ですと――――!?では、二万は確実に居るのですか!?」

 恋は、音々音の叫びにコクンと頷いた。

 それが、答えである。

「それに、将が、居る……」

「は?罵苦に、ですか!?」

 恋は再びコクンと頷くと、すらりとした美しい右手で、怪物達が降り立った辺りを指差した。

 

 音々音がその指先を辿って視線を動かすと、そこには信じられない、いや、信じたくない光景が広がっていた。

 大地を埋め尽くさんばかりの数の怪物たちは、地上に降り立った順に整然と隊列を組み、“陣形”を形成し始めていたのである。

 音々音は、戦慄しなから自分の喉が唾を呑む音を聞いた。

 

 だが、真に恐れ、警戒するべきはその点ではない。

 いみじくも恋が言った通り、怪物が陣形を用いていると言う事は、それは最早“群れ”ではなく、れっきとした“軍勢”であり、軍勢には、それを指揮する“将”が居るのは、自明の理である。

 罵苦の将、それは即ち、近づくだけで相手を消滅させる事が出来る、“中級種”か、更に上の存在、と言う事になる。

 

 未だ組織化された罵苦と戦った経験の無い音々音には、二万と言う規模の軍勢を指揮するのが中級種なのか、それとも更に高位の種なのかは分からない。

 しかし、自分達が今、罵苦による初めての本格的な攻勢を受けようとしている事だけは、間違いなく分かっていた。

 

「ねね、どうしようか?」

 恋の何時もと何ら変わらない調子の声で、音々音は我に返った。

 恋がこう言う時に音々音に聞く『どうしよう?』は、退くの進むのと言った事ではない。

 それはつまり、『どう戦ったら良いのか?』と尋ねているのである。

 

 音々音は、大きく深呼吸を一つして、着々と原野に集結しつつある敵を見据えた。

 例え賈詡こと詠に将棋で勝てた事がなくても、朱里や雛里のように天下に鳴り響く二つ名が無くても、自分は飛将軍、呂布奉先の軍師である。

 今この時、彼女を知略で支えられるのは、自分しか居ないのだ。

 

「行軍予定の峡間に奴等を誘い込みましょう。幸い、こちらは全員が騎兵なのです。奴らに一当てして挑発し、一気に駆け抜けるのですよ。峡間を抜けた先で態勢を整えて迎え撃てば、少なくとも、当面は完全に包囲される事は防げる筈なのです。後は、援軍が来るまでもたせられるかどうか、ですね……」

「分かった……援軍は、お願い」

 

 恋はそれだけ言うと、襟巻(えりまき)をたなびかせて、自分の馬の所に向かって行った。

 音々音は暫くの間、じっとその後ろ姿を見つめていたが、やがて、大きく息を吸い込んで叫む。

「誰かある!大至急、高順殿と費禕に伝令を!!」

 音々音は、恐怖にカチカチと鳴りそうになる歯を気力で押さえ付け、伝令の兵士に要件を伝えて送り出すと、今一度、異形の群れに目を遣った。

 

「恋殿もねねも、こんな所で死ぬ訳にはいかないのです。アイツに、新技を喰らわせてやるまでは――!」

その言葉は、物騒な内容とは裏腹に、限りない親しみを込めて音々音の口から零れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 狼の中級罵苦、黒狼は焦っていた。

 まさか、転移陣の真下に、これ程の手練れが率いる部隊が居ようとは、想像もしていなかったからである。

 奇襲を受けた時も、峡間に誘い込むつもりだと察した時も、まさか、こんなにも粘られるとは思ってもみなかった。小癪な、踏み潰してやる、と。

 だが彼らは寡兵ながらも善戦し、未だに殆ど死傷者を出していない。

「(シクジッタカモ知レヌナ……)」

 

 黒狼は内心で独り言ちると、峡間の出口に陣取って、たった一人で殆ど全ての下級種を屠っている紅蓮の髪をした人間の少女を見据えた。

 既に二千に届く下級種を(たお)しながらも尚、その覇気が衰えを見せる気配は無い。

 この分では、撤退しようにも、背を見せたが最後、喉元に喰らい付かれるのは目に見えている。

 

 つまりこの戦は最早、どれ程の損害を出そうとも決着を付けるしかない総力戦、と言う事だ。

 どうにか少女の巻き起こす死の旋風を逃れた者たちも、少女の後方で堅牢な方円陣を敷いた兵士たちに討ち取られてしまっている。

 峡間に誘い込まれている以上、数に頼んで一気に押し潰してしまえないこの状況で、ジリジリと戦力が削られて行くこの状況は、間違いなく『多寡が人間』と相手を侮った、黒狼の過失であった。

 

魔魅(まみ)

 黒狼は、自分と同じく、骸骨を纏った様な異形の黒馬に跨って隣りに控える狸の中級罵苦、魔魅に話し掛けた。

「如何した、黒狼?」

「アノ女ハ、俺ガ抑エル。オ前ハソノ隙ニ、本隊ノ半数ヲ率イテ、後ロノ部隊ヲ潰シテクレ」 

 

 魔魅は目を見開いて驚くと、諌める様な口調になって言う。

「黒狼、焦れるな。如何な剛の者とて、所詮は人間、すぐに疲れて隙を見せる。さすれば、そこで一気に――」

「一気ニ畳ミカケラレル、カ?峡間ニ誘イ込マレ、既ニ戦力ヲ二割近クモ削ラレタ、コノ状況デ?」

「むぅ・・・・・・」

 

 魔魅は、静かな黒狼の言葉に唸るしかなかった。

「今デスラ手ガ付ケラレヌノニ、半端ニ手負イニシテオイテ楽ニ討チ取レルトハ、俺ニハ思エンナ。コノ上ハ、俺ガ往クシカアルマイ?」

「しかし……」

 

饕餮(トウテツ)様カラオ預カリシタ兵ヲ、ココマデ失ッタノハ、間違イ無ク敵ヲ侮ッタ俺ノ責ダ。始末ハ、自分デ着ケル」

 黒狼はそう言うと、異形の只中で鋼の旋風と化している紅蓮の少女に向かって、ゆっくりと馬を進めた。

 

 

 

 

 

 

 轟音を伴って方天画戟が振るわれる度、二十体にも及ぼうかという数の化生の身体が真っ二つに両断され、黒い泥に還っていく。

一体どれ程の敵を屠ったのか、既に恋にも分からない。

 千辺りまでは数えていたのだが、そのうち面倒になってやめてしまった。

 ただ、人間を相手にするよりは随分と気が楽だ、とはずっと感じていた。

 それは、敵の外見が化け物だからでは無い。

 奴らは、“屍体(したい)にならない”からだ。

 

 恋に限らず、豪傑が一つの場所に踏み止まって、多数の敵を相手にする場合、最も注意しなければならないのは、数に呑まれる事ではない。

 そもそも、数に勝る程の武を誇るからこそ、その様な状況に自らを置くのだから、当然と言えば当然であろうが。

 

 そんな時、本当に注意しなけれはならないのは、既に記した通り、敵の屍体なのである。

 積み重なった(かばね)は、自由に身動きするだけの足場を奪うばかりか、やがては退路すら塞いでしまう。

 そうなると、圧倒的な強者によっても(もたら)される生命の危機という極限の恐怖によって、半狂乱になった敵は恐ろしい。

 

 そこに転がっているのが、例え竹馬の友であろうが、長年の戦友であろうが、(つまず)こうが、つんのめろうが、数に任せてお構いなしに吶喊(とっかん)して来るからだ。

 だから、様子を見ながら場所を変えたり、屍を吹き飛ばしたりしなければならないのだが、そのいずれも、恋は好きではなかった。

 つまり、場所を変えるという事は屍を踏み付ける事になるし、屍を吹き飛ばす事も同様に、勇敢に戦った者を侮辱している様な気がした為である。

 だから恋は、そういった状況の妥協案として、“生きている内に吹き飛ばす”という方法を採用していた。

 これならば少なくとも、勇敢に戦って散った者の屍を辱める事にはならない。

 

 (もっと)も今度は、及ばないと分かっていながらも向かって来る相手の勇気を穢している様な気分になるのだが、こちらも命が懸かっている以上、そうそう殺さねばならない者の事ばかり考えてばかりはいられない。

 その点、捕食欲と悪意の塊の様な、この異形の怪物達を殺す事に心を煩わせるのはそもそも無いにしても、一々足場を気にしなくて良いのはありがたかった。

 

 思い切り吹き飛ばす必要もないから、無駄な力を使わずに済むのも大きな利点だ。

 おかげで、まだ体力は十分に残っている。

「ふっ――!!」

 方天画戟は、恋の小さな気合を掻き消す程の唸り声を上げ、飛びかかって来ようとしていた猿の化け物を空中で縦に両断すると、地面に届く寸前にその軌道を変え、距離を取って機を窺っていた者達の胴を薙ぎ払った。

 

 黒い泥の血が円を描く様に大地を穢し、その上を再び新たな怪物達が埋める。

 恋は方天画戟を担ぎ直して体勢を整えると、次に飛びかかって来る気配に神経を集中させた。

 しかし、今の今まで間断なく四方八方から襲いかかって来ていた怪物達は、方天画戟がギリギリ届かない所で足を止めて不気味に蠢くばかりで、攻めてくる気配がまるで感じられない。

 

 かと言って怯えている様にも見えず、恋は小さく首を傾げた。

 と、罵苦達が湧き出て来ている峡間から、今まで聞いた事もない様な不気味な馬蹄の音が、はっきりと聞えて来た。

 その不気味さを言葉で表すならば、“生気が感じられない”と言うところだろうか。

 

 生き物の足音を、こんなにも不気味に感じた事は、恋の生涯で一度として無かった。

 恋は、周りを取り囲んでいる怪物達から、注意力の比重を、その馬蹄の音のする方へと移した。

 暫く見ていると、大地を埋め尽くしていた化け物の群れが、まるで海を割るかの様に二つに別れ、そこから、身体の上に更にもう一つ骨格を纏った様な、異形の黒馬に跨った漆黒の鎧武者が姿を現した。

 

「大シタモノダナ、娘。我ガ魔獣兵団ノ精兵(セイビョウ)ヲ、ココマデ圧倒スルトハ……コノ黒狼、心カラ称賛ノヲ送ラセテモラウ」

 

「犬が、喋った……」

「狼ダ」

 恋の、そのものずばりの言葉を、黒狼は間髪入れずに訂正した。

「そう、ごめん」

 

「構ワヌ。時タマ、間違ワレル故ナ」

「うん……お前が、将?」

「ソウダ、黒狼、黒イ狼ト書ク。見知リ置キ願イタイ」

「恋は、呂布。よろしく…………」

 

 恋と黒狼は酒家の席で隣り合わせた客同士がそうする様な気軽さで、互いの名を名乗り合う。

「呂布――ソウカ、貴公ガ、“コノ時代最強”を謳ワレル武人デアッタカ。コレハマタ何トモ、喜ブベキカ悲シムベキカ」

 黒狼は、どこかおどけた口調でそう言うと、悠然と黒馬の背から降りた。

 

「イズレニセヨ、コウシテ将同士ガ戦場デ顔ヲ合セタカラニハ、スルベキ事ハ、唯一ツ。マサカ、嫌トハ申スマイ?」

 恋は黒狼の問いに頷いて答えると、ゆるりと得物を肩に担ぎ直した。

それを見た黒狼は、ニヤリと口を歪める。

 

「獲物ノ重量ヲ身体デ殺ス―――カ。貴公モ、“独リデ戦場ニ立ツ事”ニ慣レテイルト見エル」

 黒狼の見立ては、正しかった。

 方天画戟を持った恋の立ち姿を見た者は、まずそれを、圧倒的な力量差から来る余裕と取るだろう。

 (ある)いは、その武が既に、“型”を必要としないまでの高みにあるのだろう、と。

 だが、それはある意味で正しく、またある意味では間違いであった。

 

 初めて戟を握ったその日から、恋は常に多くの敵の只中に、独りその身を置いて戦ってきた。

 それは、長時間に渡って数十キロにも及ぶ重量の武器を休む事なく振り続けなければならない、と言う事をも意味する。

 如何な呂奉先とはいえ、その体力は無限ではない。

 

 ましてや、その間に一兵卒より数段上の強さを持った敵将とも戦わねばならないのだ。

 握力の低下と過度の筋疲労は、致命的な隙を生みかねない。

 巨大な戟をゆったりと肩に乗せて構えるその立ち姿は、特定の師に教えを乞うた事のない恋が、独力で その経験から編み出した、自身の疲労を最小限に抑える為の、唯一の“型”と言っても過言ではないのである。

 

 即ち、(はな)から独りで大軍を相手にする腹積もりである、と言う点に於いては“余裕”であると言えるし、殆ど独力でその境地に到達した、と言う点では、その武は既に、当代一流の武人達ですらも考えの及ばぬ“高み”にある、とも言えた。

 ある意味で正解、ある意味で間違いとは、そう言う事である。

 

 恋は戟の柄を握り直し、その茫洋とした紅い瞳に確かな警戒の色を浮かべて、黒狼を見返した。

 黒狼が指摘した事は、彼女が今までに干戈(かんか)を交えて来た名だたる勇将猛将ですら看破した事の無い事実だったからである。

 

 尤も、師に教えを乞い、一挙手一投足に意味の存在する、“武を学んだ“者達が、その獣の如く峻烈な、“生まれついて武を識る者”の理論を見抜けなかったからと言って、それは当然と言えば当然だ。

 

 恋が黒狼を警戒したのは、黒狼が彼女の“型”を正確に見抜いたという事の意味を、瞬間的に理解したから。

 即ち、今対峙しているのは自分と同じく、“生まれついて武を識る者”であると悟ったからだった。

 

「ムンッ!!」

 黒狼が気合を込めて右手を強く握ると、黒い輝きと共に、その掌中に彼の得物が姿を現した。

 持ち主の牙にも似た形の、漆黒の二振りの片刃剣。

 その柄頭は、それぞれの刃が反対を向く形で接着されている。

 

 黒狼は、異形の双刀を肩にゆるりと乗せて構えた。

 まるで、恋の歪な合わせ鏡のように。

 存在すべてが異形の戦士は、隙を見せる事なく背筋の凍る様な遠吠えを上げるや、疾風の如き素早さで恋に吶喊した。

 

 金属同士がぶつかり合う、鋭い剣戟の音が戦場の響き渡った次の瞬間、黒狼の後方に居た怪物たちが、恋と黒狼を囲んだ怪物たちの外側をすり抜け、呂布隊の兵士たちが防戦を繰り広げている方角へと駆け出して行く。

「済マヌナ、コレモ務メダ」

 

 方天画戟で双刀の初太刀を受け止めた恋が、僅かに目線を切って走り去る怪物たちを確認したのを見た黒狼は、呟く様に言った。

「将は、そう言うもの。気にしない……」

 恋はそう答え、黒狼の身体を、その獲物ごと押し返そうと渾身の力を込める。

 

「!?」

 しかし、彼女の強靭な四肢は常の力を発揮する事はなく、逆に力を込めて双剣を押し込んだ黒狼の膂力(りょりょく)に負け、体勢を崩したところに蹴りを喰らって、宙を舞った。

 

「くっ…………!!」

 

「重ネテ詫ビル、呂布ヨ。出来得ルナラバ、“コノ様ナ真似”ヲセズニ、貴公ト死合イタカッタノダガ―――コレモ、一軍ヲ任サレタ者ノ宿命ダ」

 恋がどうにか空中で体勢を立て直して着地すると、黒狼は間を詰めるでもなく再び武器を構え直し、心の底から残念そうに、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 恋は、異形の双刀を受け止めるその度に、黒狼に向かって引きつけられる様な、不可思議な感覚に戸惑っていた。

 もしも彼女が海辺の砂浜に立った事があったなら、こう表現するだろう。

『まるで、波打ち際にじっと立っている様だ』、と。

 自分は確かにそこに立っているだけの筈なのに、海に向かって引き込まれて行く様な、そんな感覚に、“吸収”される事は良く似ていたのだ。

 

 黒狼の“吸収”は、その感覚に肉体的な疲労感を伴って、恋の体力を確実に削っていたのである。

 しかし、戸惑っていたのは恋だけではなかった。

 黒狼もまた、今までに遭遇した事の無い事態に、言い知れない不安を抱いていた。

何故なら、彼は既に“満腹”だったのだ。

 

 罵苦の“吸収”が一種の捕食行為である以上、“吸収”を行う個体にその上限があるのは、至極当然の事である。

 しかし、四凶に次ぐ八魔である黒狼の“吸収”許容量は、そこいらの中級種の比ではない。

 その力を全て注ぎ込んで目前に居る一人の少女に向けたにも拘らず、少女は、その動きが鈍くなってはいるものの、未だ影を落として存在し、黒狼の刃を受け止め続けていた。

 

「(ヨモヤ、コレ程マデトハ……)」

 黒狼は、心中で独り言ちながら、双刀を振るい続ける。

 本来であれば跡形の無く消滅するか、少なくとも、実像が朧気になる程の“幻想”を吸収されながら、ここまでその存在を維持していられる様な英傑を相手にするのは、初めてだった。

 

 この時代から、遥か二千年近くの未来にまで語り継がれる三国志と言う物語の中で最強を誇った武人に注がれていた“幻想”は、それ程に膨大であったのである。

「(勝テルノカ……?)」

 圧倒的に有利な状況であるにも関わらず、己の刃を受け止められる度に、黒狼の心の隅に芽生えたその疑念は彼を苛んでいた。

 

「(本当ニ勝テルノカ?コノ、真ナル英傑ニ―――否!!)」

黒狼は、恋を弾き飛ばして距離を取ると、猛虎でも身体を竦ませる様な凄まじい雄叫びを放った。

 勝てるかどうかではなく、勝たねばならない。

 それが、彼が己の主と定めた人物の心の(おり)(すく)い取る為に己が出来る、唯一の事だと信じるが故に。

 

 黒狼は、圧倒的に不利な状況に追い込まれても尚、静かな光を(たた)えた瞳で彼を見つめる美しい敵に向かって、再び疾駆する。

 甲高い金属音と共に、恋は大地に踏ん張った体勢のまま、地面に砂埃を上げながら吹き飛ばされ、方天画戟がその手を離れて地面に突き刺さった。

 既に体力は底を尽き、最早、立っている事もままならない。

 

 こと白兵戦に限るなら、相手が英雄と言わず兵卒と言わず、一騎打ちと言わず一対多と言わず、戦場に於いて一度たりと負けを知らぬ無双の飛将軍は、その生涯で初めて、一騎打ちの相手に膝を着いた。

「素晴ラシイ武働キデアッタゾ、呂布」

 そう言って近づいて来る黒狼の足音をただ聞く事しか出来ずにいる恋の胸に去来していたのは、初めての敗北を喫した屈辱ではなく、死への恐怖でもなかった。

 

「(ごめん……)」

 それは、後方で自分を信じて戦っている音々音と部下達に対して、出城に残してきた部下たちと聳孤(しょうこ)に対して、護ると誓った、全ての人々に対しての、謝罪の言葉だった。

 黒狼の双刀が頭上に振り上げられた瞬間、恋は、この世界で最も愛しい人の笑顔を想った。

 己の武に、ただ生き残る為の(すべ)以上意味を、どんなに苦しい時でも立ち上がる勇気をくれた、あの笑顔を。

 

「ご主人様……」

 そうして静かに目を閉じ、最後にもう一度、その名を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

「あいよ!」

 聞える筈のないその声は、空から降って来た。

次に聞えたのは、一合の剣戟の音と、それに被さる様な、黒狼の唸り声。

きっと、夢だ。

 

 そうに決まっている。

 でなければ、死に際に聴こえる幻聴か。

「貴様、何者ダ!?」

「何者、ってお前、今のやり取り聞いてなかったのか?呂布に“ご主人様”って呼ばれて返事したんだから、俺は呂布の主に決まってるだろう」

 

 その会話を聞いて、恋は(ようや)く、恐る恐る目を開けた。

 さっき迄ですら、こんなに怖いとは思っていなかった。

 もしも、そこに声の主などおらず、本当にただの幻聴だったら、まだ命があったとしても、悲しみで心が壊れてしまう。

 

 恋の開けた視界に映ったのは、真っ白な袖付きの外套を着た男の後ろ姿だった。

 その、大きな背中を。

 黄金に輝く記章に描かれている紋章の元で、仲間たちと共に駆け抜けた、戦いの日々を。

 

「よぉ、恋。待たせたな」

 

 いつでも、恋の心に温かな灯りを燈してくれた、その声を。

 一日たりとて、忘れた事はない。

「ご主人……さま?」

 

 北郷一刀は、恋の呼び掛けに振り向いて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「呂布ノ主、ダト?—――マサカ貴様、北郷一刀カ!?」

 黒狼の驚愕の声に、一刀は視線を戻す。

 それと同時に、今まで黒狼にその切っ先を向けていた美しい刀身の刃を、悠然と降ろした。

「おぉ、まさかしなくても、その北郷一刀さ。どうだ、驚いたか?」

 

「馬鹿ナ!貴様ハ、正史デ黒網蟲ニ!!」

「あんな腐れ外道に(タマ)取られたんじゃ、あの世でご先祖様に合わす顔が無いもんでね。それより―――」

 一刀はそこで、場違いとも言える朗らかな微笑みを引っ込め、射抜く様な視線で黒狼を見返した。

 

「俺の女を弄んでくれた礼は高く付くぞ、犬っころ……!!」

 

 黒狼が、全身が総毛立つ程の殺気に呑みこまれたその刹那、一刀の腹部から輝く小さな龍が出現し、瞬く間に上半身に巻き付いて、吸い込まれる様に消える。

「―――鎧装!!」

 一刀の言の葉と共に溢れ出した激しい光の奔流に思わず目を背けた黒狼は、次の瞬間、そこから出現した黄金の右腕によって、怪物で作られた醜悪な円形闘技場(コロッセオ)の壁を突き破っていた。

 

「ナ……ニ……!!?」

 怪物達の身体がクッションになったのが幸いして、どうにか意識を手放す事を免れた黒狼が、半ば本能的に起き上がり様、後転して体勢を立て直すと、その眼前に、黄金の鎧を纏った魔人が、紅蓮の戦神を護る様に立ちはだかっていた。 

 

「さぁ、泥に還る覚悟はいいか?」

魔人は仮面の下で静かにそう言うと、黒狼に向かって、ゆっくりと足を踏み出した。




如何でしたでしょうか?
今回からの恋・音々音編はテンポ重視で少し短めですが、その分、出来るだけ早目に投稿したいと思っています。
最後の一刀の台詞は、元は『恋』と真名で呼んでいたんですが、革命で‟例え真名を預かった間柄でも、そうではない第三者に対して三人称で呼んではいけない、第三者が居る場で二人称に使ってもいけない”と言う設定が加わったので改変したんですが、どうなんだろうと今でもちょっと迷ってるんですよね……。

さて、今回のサブタイ元ネタは

深紅/島谷ひとみ

でした。
当時から、私の中で恋のテーマソングの様に感じていた曲です。
格好良い曲なので、是非、聴いてみて下さい。
では、またお会いしましょう!
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