真・恋姫†無双異聞 皇龍剣風譚     作:YTA

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すっかりご無沙汰しました。
革命以降のキャラや設定の刷新との折衷案が難しい……。
相も変わらず萌将伝をベースにして行きます。
サブスクのクラブネクストンで配信中なので、未プレイで気になる方は是非。
評価、感想、お気に入り登録など、大変励みになりますので、お気軽に宜しく願いします。


第九話 Take me home Country roads

 

 

 

 

 

 

 北郷一刀と罵苦の軍勢の激突から、はや三週間ほどの時間が経った現在、一刀は今、呂布こと恋や費禕(ひい)こと聳孤(しょうこ)たちが拠点としている巴郡の出城にほど近い野中の屋敷で、ゆったりとした時を過ごしていた。

 早く皆に会いたいという気持ちは勿論、強かったが、なにせ戦闘の規模が規模であり、魏と呉の諸将も蜀領内に軍勢を進出させる結果となった事もあって、一刀から三国の王たちに書簡を送り、更には三国の王たちの間で一刀の今後の動向をどうすべきかの遣り取りがあり、その結果が一刀に(もたら)されると言う極めて面倒な順序を辿らねばならなかったので、罵苦の出現もない以上、特に身動きするだけの大義名分もない一刀は、恋や陳宮こと音々音、魏から救救援に来ていた張遼こと霞、呉から救援に来てくれていた黄蓋こと祭らと、旧交を温めていたのである。

 

 というのも、戦後処理に多忙な蜀の将たちに代わり、霞と祭が、一刀の書簡を携えて軍勢と共に国元に帰参する事になった郭嘉こと稟、陸遜こと穏たちと別れて居残り、一刀の護衛を買って出てくれたからだ。

 で、一刀としては、自分が出城に居ると指揮系統が混乱する事を懸念していたので、かつて巴郡の豪商が自分の別荘を兼ね、自前の隊商(キャラバン)の旅の中継地点として建てた野中の屋敷を借り上げて、そこで生活する事にしたのだった。

 

「ぬぁぁぁ!八十!!」

 時刻は昼時に差し掛かろうとする頃、一刀は、中庭にある手頃な庭木に渡した棒で懸垂をしながら、腕の筋肉に溜まる乳酸と戦っていた。

 特に仕事もなく、娯楽も乏しい場所である為、仲間たちと語らう他には、トレーニング位しかやる事がない。

 

 勿論、睦み合いを除いては、だが。

「おぉい、一刀!昼餉じゃぞ!」

 カウントが百を幾らか超えた頃になって、厨房の窓から、戦場で鍛えた祭の大音声が聞こえて来た。

 一刀は地面に降り立つと、その声に返事を返して身体を拭きながら脱いで気の枝に吊るしていた上着を羽織り、足早に厨房の勝手口に向かって歩き出す。

 

「おぉ、良い匂い!祭さん、今日の主菜は?」

 一刀がワシワシと頭を手ぬぐいで拭きながら勝手口を開けてそう尋ねると、エプロン姿の祭が卓に並べながら、自慢げに笑った。

「うむ。今朝、市場で良さそうな豚肉を見かけたからの。酢豚にしてみたぞ。夜は川海老と合わせて焼売にしようかと思うておる」

 

「あぁ、そうか。今日は恋と音々音は城で晩飯なんだ」

「うむ。泊まりではないと言うとったが、遅くなるそうじゃ」

 一刀は祭の言葉を聞いて苦笑いを浮かべながら腰かけて、祭が向かいの席に座るのを待ってから手を合わせると、早速、たっぷりと餡の絡んだ豚肉を口に運び、追いかける様に白米を頬張った。

 恋が家で夕食を食べる時には、家庭用の竈でも一度に大量に調理できる献立でないと、とても満足させてやれないのだ。

 焼売などとなれば、如何な料理上手の祭でも、夕飯までの間、一日中厨房に籠らなければならなくなってしまうだろう。

 

「うんまい!あれ、そう言えば霞は?」

「お主が朝、走りに出ている間に遠乗りに出掛けたぞ。もう暫くすれば戻って来るじゃろ」

「へぇ。そう言えば、最近、霞が馬に乗ってる姿を見てなかったもんな」

 一刀が茶で白米を飲み下してそう言うと、祭はくつくつと喉を鳴らした。

「それはそうじゃろう。あれだけ朝と言わず夜と言わず、閨に籠って“励んで”おればのぉ。流石の張文遠とて足腰が言う事を聞くまいよ」

 

「い、いや、それは祭さんもだろ……」

「はっはっは!だから儂は、こうしてお主の餌やりに勤しんでおろうが」

「餌ってなぁ……」

 一刀は何とも面映ゆい気持ちで、祭の思わせぶりな視線を受け流しながら汁物の碗を啜った。

 実際、祭の言葉の通り、最初の十日ほどは、仕事の合間を縫って帰宅していた恋や音々音も含めて、彼女たちを貪る様に求め続けてしまった。

 

 正直なところ、出来合いの物でさっさと済ませていた食事の時間と、意識を失う様に眠りに落ちている以外の時間は、のべつ幕なしに誰かしらとまぐわっていた様な気もする。

 女に溺れるとはああ言う状態を言うのかも知れないと、一刀は今にして思う。

「十五年振りの人肌だったから……それに、ずっと会いたくて会いたくて仕方なかった皆だったしさ」

 

 一刀が申し訳なさげにそう言うと、祭は愛おし気な眼差しを投げて溜め息を吐いた。

「天の国とこちらとでは、時の流れが違うという話じゃったな。まぁ、お主の姿を見ればそれも納得せざるを得まいが……それにしても、あの種馬が十五年も女断ちとはの」

「別に、意識して断ってた訳じゃないけど……みんな以外の女性が欲しいと思った事もなかった気がするなぁ」

「ほ!そう言う女が顔を赤くする様な事を平気で口にするところは、相も変わらずじゃな。それにしても……」

 

「うん?にしても、なんだよ、祭さん」

 一刀が、どこか気恥ずかしそうな、それでいて愉快そうな祭の視線に耐え切れずに続きを促すと、祭はからからと笑った。

「いやまさか、この儂がお主に気を失うまで犯される日が来るとは思わんかったと思うてな!」

「本当にごめん……もう何て言うか、無我夢中で……」

 

 祭はあっけらかんとしているが、一刀にしてみれば、自分の脳みそを疑いたくもなる行いだった。

 実際は、気を失うまでどころか、気を失った祭に口づけて唾を飲ませ、無理矢理に意識を引き戻して祭の身体を貪り続けたのである。

 音々音にはまだ理性が働いて気遣ってやれていたと思うが、武闘派の三人に相手をしてもらうとなると、間違いなく箍が外れていた。

 始まったのが朝なら夜が更けるまで、始まったのが夜なら朝陽が昇るまで、我を忘れて彼女たちの身体に酔いしれていたのだ。

 

「くくっ、阿呆。そこは胸を張るところであろうが」

「いやでもさぁ。あんな事したら、普通のカップル……じゃない、恋人とかなら別れ話になってもおかしくない様な気がするし……」

「はっ!儂らが普通の恋人か?」

 

「あぁ、いや……どうだろ?」

「であろうが」

 一刀は、祭の不敵な微笑みを見ながら、どれ程に年齢が近づいても、結局はこの人には敵わないな、と苦笑いを返し、そこで祭の異変に気が付いた。

「あれ、祭さん、今日は呑まないのか?」

 

 そう、何時もならば、食事時に祭の横にどっかりと鎮座ましましている酒瓶が、今日は影も形も見当たらなかったのである。

「うん?おう、今日は午後から、久し振りにお主に稽古を付けてやろうかと思うての」

「マジで!?ありがとう!!」

 

「お……おぅ?」

「なんでそこでちょっと引くのさ?」

「いや、以前のお主は、儂が稽古を付けてやると言ったら脂汗を掻いておったではないか。そんな、明命の様な反応をされるとは思わなくての」

「別に、昔だって嫌がってた訳じゃないよ。今はほら、自分がどれだけ祭さんみたいな達人に通用する様になったか、ワクワクする気持ちの方が強いって言うかさ」

「ほほぅ、言う様になったではないか、一刀。では、加減は要らんな?」

「勿論!」

「よしよし、それでこそ孫家の婿じゃ」

 祭は一刀の言葉に歯を見せて笑うと、箸を手にして自分の食事に手を付ける。

 出会った頃から、剣の筋も悪くない、素直で気骨のある少年だとは思っていたが、こうも見事に大成するとは。

 

 鍛え上げられた肉体から匂い立つ様な凄みも、閨での情熱的で猛々しい姿も、祭が望んだ以上の男になった。

 正直な話、この精悍な青年に狂おしい程の情念を込めて閨で真名を呼ばれ続けている間、彼の顔に(かつ)ての少年の面影か重なる度に、自分の中の女の上げる歓喜の声を押さえる事が出来なかった。

 年甲斐もなく、『これ程の雄の中に、十五年ものあいだ残るほど、自分の匂いを刻み付けてやったのだ』と言う自尊心が満たされていく幸福感と、彼の舌や指や剛直が齎す終わりのない悦楽に、(したた)かに酔っていたのだ。

 

 もちろん嘗ても、自分の事を仔犬の様に慕っていた愛らしい少年との逢瀬に歓びは感じていたが、それでも今感じている様に、酔いつぶれてしまうほど強烈ではなかった気がする。

 現に、全くそんな心算(つもり)はなかったと言うのに、こんな事を考えているだけで、自分の中に熾火の様な欲情の疼きを感じてしまう程だ。

 

「―――さん。祭さん?」

「おぉう!?なんじゃ大声で」

「いや、ぼーっとしてるみたいだったからさ。俺の話、聞いてた?」

「うん?」

 

「いやだから、なんで俺に稽古付けてくれる気になったの?『暫く得物は持たんぞ!冥琳(おに)の居ぬ間にぐうたらするんじゃ~!』って言ってたのに」

「なに、大した事ではない。昨日の霞とお主の稽古を見て、気が変わったと言うだけよ」

「完敗でしたが……」

 

「莫迦を言え。あの遼来々を相手に、何十合と互角に打ち合っていたではないか」

「いや、だってさぁ」

 一刀が一人で鍛錬をしている所にふらりと顔を出した霞が相手をしてくれると言うので、起龍体となって全力で挑んだのだが、結局と言おうか当然と言おうか、最後には霞の神速の剣閃を追い切れず、首筋に刃を突き付けられてしまった。

 

 俗な言い方をすれば、これでもかとバフを盛った状態ですら完膚なきまでの敗北を喫してしまったのである。

 相手があの張遼ならば仕方ない、と言われればそうなのかも知れないが、それでもやはり良いところ無しだったのは、長年、業を磨いて来た一武術家としては屈辱だ。

 

「ふん。贅沢な悩みじゃの。この儂の武人の血が疼くような仕合をしたのじゃ、少しは自慢に思えと言うに」

「う~ん。まぁ、そう言って貰えるなら……」

 一刀が祭の言葉に渋々と頷くと、高らかな馬蹄の響きが二人の耳に届いた。

「おう、噂をすればじゃな」

 

 祭はそう言って席を立つと、米櫃の蓋を開けて茶碗に白米をよそい始めた。

 すると、からころと言う軽やかな下駄の音と共に、大きな音を立てて厨房の扉が開く。

「えらいこっちゃで、一刀!」

「遅かったの、霞。昼餉は喰うであろう?」

 

「おっ、今日は酢豚かいな!食べる食べる!—――って、そうやなくてな!」

 霞はそんな事を言いながらも卓に付くと、懐から書簡を出してグイと一刀に突き付けた。

 霞は、一刀がそれを受け取るとの同時に祭が持って来た茶碗を受け取ると、いただきますの声もそこそに、猛然と酢豚と白米を掻き込んで飲み下してから、漸く口を開いた。

 

「帰りに出城に寄ったら、ちょーど一刀宛ての書簡が届いてたんで、預かって来てん。恋や聳孤(しょうこ)たちにも撤収の指示が届いたそうやから、大方それにも、そろそろ移動せぇって書いてあると思うで」

「そりゃありがとう。どれどれ―――」

 一刀は、封を開けて手紙を広げると、暫く黙読してから顔を上げた。

 

「霞の言う通りだな。三国で話合いの結果、空丹や白湯への挨拶もあるから、一旦、成都に帰れってさ。それから改めて都に凱旋だって。二人にも、恋たちと一緒に引き続き成都まで俺の護衛を頼むそうだ」

 今や公然の秘密の様になっているが、漢の先々代、そして先代皇帝である霊帝こと空丹と献帝こと白湯への拝謁は、やはり疎かにすべきではないとの判断が、三国の王たちの総意であるらしい。

 

「まぁ、順当やろな。それに、一刀は実質、蜀漢のもう一人の国主やし、将兵もウチらと違ってみんな直臣やしな」

 霞は祭にお替りを要求しながら、独り納得してうんうんと頷いた。

「でもそんなら、ウチと祭はこれからはずっと一刀と一緒やんな!まさか、成都から一人で帰参せぇなんて、華琳も蓮華様も言わへんやろし」

「ふむ。一人旅は気楽でよいが、流石に立場もあるからな。天の遣いの帰還、都への引っ越しに人事の引継ぎと、それでなくとも人手の足らん時期に、我等の帰参の為だけにわざわざ桃香様から兵をお借りするのも申し訳ないからのぉ」

 訳知り顔でそう言う祭に、霞は不敵に笑い掛けた。

 

「そーいう大義名分が立つ、っちゅーコトやろ?」

「まぁな。競争率が高くなる前に、たんと一刀に可愛がってもらわねばの?」

「なんやぁ、ついこの前まで足腰立たんて泣き言いうてたクセに、結局、まだ足りへんのん?」

「それはそれ、これはこれじゃわい」

 祭は、気恥ずかし気に顔を赤くして黙々と食事に戻っている一刀に愛おし気な一瞥を投げてから、自分も食事に戻る事にして、椅子に腰かけた。

 

「ともあれ、一刀と霞は、出城の手伝いに行ってやれ。儂の方は、こちらの片付けをしておくでの」

「じゃあ、手伝いを寄こすよう頼んでおくよ、祭さん」

 一刀がそう言うと、祭は肩を竦めた。

「不要じゃ。荷物と言うても、どうせ買い足した服くらいしか無いしの。のう、霞?」

「せやな~、着の身着のままやったし。でも、これで一刀を独占して一軒家で一緒に暮らすんも、あとちょっとかぁ。残念やわぁ」

 

「欲を掻くと碌な事にならんぞ。佳き夢を見たとでも思って諦めい」

「わーっとるって。な、な、一刀。あと一回くらい、ウチとしてくれるやろ?」

「どこに行ったって、ちゃんと時間を作るよ。霞が傍にいてくれるならな」

「うん、そかそか……」

 

「はっはっは!すっかり種馬殿も本調子じゃな!ま、いずれにせよ、忙しくなりそうじゃし、稽古は日を改めてとするか」

「いやまぁ……ははは……」

 一刀は、本調子に戻ってきたのは自分だけではないな、と思いながらぎこちなく笑って、兎も角、食事を終わらせる事に集中するのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから更に一週間の後、都に戻ると言う聳孤と別れた一刀は、恋、祭、霞、音々音、高順こと誠心らと警護の兵士十名を連れ、成都に向かう街道をゆく馬上の人となっていた。

 都に向かう際には、早く、また大人数での移動にも適している水路を使う事になるであろうから、出来れば陸路で久し振りの蜀の国を見たいと言う一刀の願いを聞き入れてもらった形なのだが、どうせなら呂布隊の三分の二を水路で成都に帰し、残りを別々の街道を使って移動させ、街道整備によって新しく出来ている多くの宿場町に金を落としてはどうかと言う音々音からの献策もあり、一刀たちは極力目立たぬよう、少数精鋭で移動する事にしたのである。

 

「おぉ、あの辺りの山も、随分と拓けたなぁ。入蜀の時には緑しかなかったのに」

 一刀は手で庇を作って、嘗てはただの山肌だった場所に出来た小さな集落の家々の煙突から煙が立ち上る様子を眺め、そう独り言ちた。

 すると、それを聞きつけた音々音が一刀の隣に馬首を揃える。

 

「あの辺りは、斜面が急で耕作地には向かないですが、太くて肉厚の良い竹が採れるのです。なので、竹炭作りを生業にしてはどうかと入植者を募ったのですよ。大規模な宿場町も増えていますし、燃料の供給元は食いっぱぐれが無いですからな」

「いいねぇ。竹を減らしながら植林を進めれば、ゆくゆくは木炭も作れそうだな。そうなったら、質が良ければ税の代わりに納めて貰っても良いし」

 

「ほほぅ、燃料を税の代わりにですか……面白い考えなのです。国庫の燃料代を節約できますし、民の方でも、一度は銭に変えて税を払うより手間がかからず楽になるかも知れませんのー」

「まぁ、量と質が安定しないと税の代わりにってのは無理だから、集落の規模を拡張するのと併せて何年も掛かるとは思うけどな」

「それでも、今から考えておく価値はあると思うのです。業腹ですが、今度の評定に上げてやるのですよ」

 

「そりゃどうも」

 一刀は、眉間に皺を寄せて考えを整理しているらしい音々音に微笑みを向ける。

 本人は認めたがらないが、音々音は元々、軍略よりも兵站の管理や調達を最も得意とする軍師であり、転じて税制に関しては、臥龍鳳雛からも一目置かれる見地の持ち主だ。

 その彼女から一考の価値あり、との言葉を貰えるのは、素直に嬉しい。

 

「ご主人様もねねも、頭が良い……凄い」

 ゆっくりと馬首を並べた恋が誇らしげにそう言うと、音々音はぷんすかと抗議の声を上げる。

「恋殿、お褒め頂くのは嬉しいのですが、それでは、このねねの頭脳がコイツと同列に聞えてしまうのです!」

「はいはい。ねねは俺なんかよりずっと頭が良いとも」

「当然なのです!恩着せがましく言うななのです!」

 

「やれやれ。いつ見ても、蜀の主従は大らかじゃの」

 三人の遣り取りを後ろから眺めていた祭が、喉を鳴らしながらそう呟くと、霞も呆れた様に笑って頷いた。

「確かになぁ。ウチも大概、砕けた方やと思うけど、あそこまではでけへんわ」

「それどころか、蹴り倒したりもしとるしの。相手が北郷ゆえ流しておったが、よくよく考えたらとんでもない話じゃな」

 

 祭が半ば呆れた様に言うと、二人の後に続いていた誠心が、申し訳なさげに笑った。

「まったく、陛下と御大将には、どれほど頭を下げても足りませぬ。我等をありのまま受け入れて頂いて」

「しっかし、誠心の苦労も報われてよかったでほんま。アンタみたいな真っ正直な人間が馬鹿見るんは、(はた)から見てても悲しいからなぁ」

「お心遣い痛み入る、霞殿。しかし某は、苦労とは思うておらんよ。素晴らしい主を三人も得られた果報者だ」

 

「そうか。お主らは元同僚であったな。それにしても、真名まで預けておるとはの」

 祭が、はたと思い付いてそう言うと、霞は苦笑いを浮かべた。

「ただの同僚やのうて、同志っちゅうやつやからな。命預け合う覚悟が無かったら、大陸中の英雄豪傑を向こうに回して大喧嘩なんかでけへんて。都で顔合わせたら、たまに茶ぁシバいたりもしとったんよ」

 

「なに、天下に名の知れた堯将が雁首揃えて茶とな?」

「はは。恥ずかしながら、(それがし)は下戸の中の下戸でしてな。一滴でも呑むと目を回してしまうのですよ」

「ほぉ、いくらでも呑めそうな顔をしとるのにのぉ。人は見かけによらぬものよな」

「でもな、そん代わり、甘いモンにはめっちゃ詳しいねんで!洛陽と都の甘味処の事なら、季衣より詳しいかも知れんくらいや。な、誠心」

 

「さて、仲康殿とは情報交換の機会こそあれ、上下を競った事はない故な……うん?」

 四方山話に花を咲かせていた三人は、前方で一刀が手を振って呼んでいるのを見て、後続の兵士たちに合図をやると、共に駈足(かけあし)で馬を進め、一刀たちに並んだ。

「いかが致しましたか、御大将」

 

「あぁ。恋が腹を空かせたみたいでな。今日の宿場まではもう近いし、駈足で行きたいんだが」

「成程、それは一大事じゃ」

 今や恋の調子をすっかり理解している祭は、くつくつと笑って頷いた。

「ま、この辺りなら道幅も広いし、精鋭揃いやから問題ないやろ……一刀とねねを除いては、やけどな」

「ぐぬぬ、張文遠にそう言われると反論できん……正論で殴るの、よくない!」

 

「ぐぬぬ、癪に障るヤツなのです!!」

 霞の言葉に、揃って悔しそうに眉を寄せる二人を見て、兵士たちからどっと笑い声が溢れる。

「これ、お前たち、主を笑う者があるか」

 誠心は自身も笑顔を浮かべながら、そう言ってやんわりと兵士達を叱ると、咳払いを一つして、朗々と号令を掛ける。

 

「では、総員隊列を整え、一列になって駈足!間違っても民に馬を当てるなよ!」

 恋は、兵たちが声を揃えてそれに答えるのを聞くと、先導して走りだした。

 

 

 

 

 

 

 明るい闇が満ちた不気味な廊下に、荒々しく重い靴音が響いている。

 その音の主は、馬苦の軍勢の司令官を務める四凶の一角、魔獣兵団の団長、饕餮(トウテツ)であった。

 饕餮は漆黒の鎧を軋ませながら左右に開かれた禍々しい彫刻の巨大な門を抜け、不気味な緑色の炎が灯った無数の燭台が煌々と照らし出す大広間に入ると、最深部の“玉座”へと続く大階段の前に探していた人物の背中を認め、その場に足を止めた。

 

檮杌(トウコツ)

突然に背後から自分の名を呼ばれた人物が振り返ろうとした瞬間、その細い首に、漆黒に研ぎ澄まされた剣の切っ先がピタリと当てられていた。

バスタードソード。

現在のスイスに位置する地域において、ラテン系民族の刺突剣とゲルマン系民族の切斬剣の特性を併せ持つ剣として考案された、私生児(しせいじ)の名を持つその長剣の遣い手は、馬苦の中には一人しか居ない。

 

檮杌(トウコツ)は、振り向く事なく肩越しに首に当てられている黒刃に、篭手で包まれた指の腹を這わせ、真紅の紅を引いた唇に妖艶な笑みを湛えて、ゆっくりと振り向いた。

「これはこれは饕餮(トウテツ)殿……随分と荒っぽい御挨拶ですね。出会いがしらに女に剣を突き付けるなどと、騎士の名が泣きましょう」

 

「貴公、よくも抜け抜けと、俺に対してその様な口が利けたものだな」

「さて……何の事やら、私は一向に存じ上げませぬが」

(とぼ)けるな。貴公、なぜ北郷一刀を仕損じた上、奴が外史に帰還した事を俺に伝えなかった?そのおかげで、俺は危うく八魔を失うところだったのだぞ」

 饕餮(トウテツ)は感情を殺した口調でそう言うと、僅かに剣の切っ先に力を込めた。

「何をお怒りなのかと思えば、その事でしたか。どうやら、饕餮(トウテツ)殿は、大きな誤解をなされておられる様で……」

「ほう。誤解だと?」

 

 檮杌(トウコツ)は小さく頷き、刀身を押えていた指を緩やかに放すと、饕餮(トウテツ)に向かって一歩近づいた。

 目の前の偉丈夫の性格は、良く分かっている。

 この男には、剣も抜かずに対峙している者を切り捨てる事など出来はしないのだ。

 増して、それが女であれば尚の事。

 檮杌(トウコツ)は、自身の内に渦巻く暗く歪んだ感情など一欠片も表情には出さず、漆黒の兜の奥に隠された饕餮(トウテツ)の瞳を見返した。

 

「えぇ……確かに、北郷一刀を仕損じたのはこちらの落度。その一件に関しては、謹んでお詫び申し上げましょう。しかし、北郷一刀の帰還については、私も知らなかったのですよ……。何せ、黒網蟲(くろあみむし)は北郷一刀に身体を袈裟に切り裂かれ、瀕死の重傷を負って逃げ帰って来た上、暫くは口も利けない有り様のまま修復槽に浸かっておりましたのでね」

「ふん。仮にそうだとしても、黒網蟲がその様な状態で帰って来た時点で、北郷が近い内に帰還する可能性は予想出来た筈であろうが」

 檮杌(トウコツ)饕餮(トウテツ)の問いに涼やかに微笑むと、更にもう一歩、饕餮(トウテツ)に近づいた。

 漆黒の兜が無ければ、口づけが出来る程の距離まで。

 

饕餮(トウテツ)殿、先程から余りな物言いではないですか。ご自分の落度を棚に上げ、私だけを一方的にお責めになられるとは」

「何だと?」

「だって、そうでしょう?そもそも臣下に任せたりなどせず、四凶最高の剣士である饕餮(トウテツ)殿が御自(おんみずか)ら軍の指揮を執っておられれば、まだ経験の浅い北郷に遅れを取る様な事など無かった筈。その上、私が腐心して数年掛かりで用意した、大規模な転移陣まで失ってしまって……これで、蜀の地を手に入れるのはおろか、暫くは大規模な軍を動員する事もできなくなってしまったのですよ?」 

 檮杌(トウコツ)は、饕餮(トウテツ)の兜を両手で挟む様に包み込むと、そう(ささや)いた。

 

 妖艶な女騎士は、押し黙った饕餮(トウテツ)の兜の奥の顔を満足そうに覗き込む。

「いずれにせよ、謁見の間で余り礼儀知らずな真似をなさるのは、感心出来ませんね」

 檮杌(トウコツ)は、あやす様な口調でそう言って、腰まで伸びた芦色の髪を翻して饕餮(トウテツ)から離れる、と、その瞬間を待っていた様に、謁見の間の暗闇の何処かから、甲高く耳障りな声が響いた。

 

「そうだぜェ、饕餮(トウテツ)ゥ。それでなくても、蚩尤(シユウ)様は大変に御怒りだろうからなァ!!」

 

窮奇(キュウキ)か……」

 饕餮が愛剣を鞘に納めなら、そう呟いて遥か頭上のシャンデリアを睨みつけるのと同時に、今迄は緑の炎が漆出した揺らめく影であった筈のものが、ゆっくりと染みだす様に蠢いて二メートル程の大きさになったかと思うと、巨大な鷹の翼で身体を(おお)った“人間の様なもの”に変わった。

 

「ククッ。そう怖い顔するなよォ、饕餮(トウテツ)ゥ。別に、茶化した訳じゃないぜェ?」

 窮奇(キュウキ)と呼ばれた鳥人は、ふわりと空中に身を躍らせたかと思うと、身体を包んでいた巨大な鷹の翼を広げるや、滑る様に饕餮(トウテツ)檮杌(トウコツ)(そば)に着地して、獰猛な虎の顔にギラギラと光る猛禽の眼を二人に向けた。

「実際のところ、このタイミングで蚩尤様が四凶をお召し出しになられた理由なんて、それ以外に考えられねぇだろうが?」

 

 窮奇(キュウキ)が、大きな口から生えた牙を剥き出しにして威嚇するように笑うと、それを横目で見ていた檮杌(トウコツ)は溜息を吐いて、大胆に胸元の開いた藍色のドレスアーマーに包まれた豊満な胸の下で腕を組んだ。

「そのような事は、一々あなたに指摘されなくても解っています。最初からそこに居たのなら、饕餮(トウテツ)殿の暴挙を止めて下されば良かったものを」

 

「悪ぃな。放っといた方が断然おもしれぇと思ったもんでよォ」

 窮奇(キュウキ)は肩を竦めながらそう言って、悠々とした足取りで大階段まで歩いて行き、一段々々が背の高い椅子程もあるその階段の一段目に腰を下ろした。

「それによぉ、饕餮(トウテツ)が本気でお前の言うその暴挙ってヤツをやろうと思ってたんなら、今頃お前は首だけで喋ってらぁな。そうだろ、饕餮(トウテツ)?」

 

 檮杌(トウコツ)は、片足を階段に上げて愉快そうに視線を投げかける窮奇(キュウキ)と、黙してそれを受け止める饕餮(トウテツ)を交互に見遣り、一瞬、意味深に微笑んでから、芦色の長髪を靡かせて、大広間の入り口から大階段の前まで等間隔にそそり立っている巨大な西洋の神殿風の柱の一本の元までハイヒールの靴音を響かせながら歩いて行き、腕を組んだまま柱に背を預けて目を閉じた。

 

「一同、控えよ。我等が主、蚩尤様の御成(おな)りである」

 

 暫くの間続いた不穏な静寂を破ったのは、何処からかとなく聞こえてきた、くぐもった男の声だった。

 それまで思い思いの場所で休んでいた饕餮(トウテツ)檮杌(トウコツ)窮奇(キュウキ)の三人が大階段の正面に揃って並び、同時に片膝を着いて(こうべ)を垂れると、遥か頭上の天蓋で覆われた玉座に、凄まじい威圧感を放つ存在が忽然と現れるのが感じられた。

 

「一同、大義である……許す。(おもて)を上げよ」

 

 玉座の間に朗々と響き渡った青年とも老人ともつかない声に応え、三人は顔を上げて、自らの主の座る玉座を見上げる。

揺らめく天蓋(てんがい)の向こうに(しつら)えられた玉座に座す彼等の支配者の巨大な影からは、如何なる感情も読み取ることは出来なかった。

 天蓋の手前の右側には、先程の声の主である四凶の一人、混沌(コントン)が、鏡面(きょうめん)の如く磨き上げられた仮面に覆われた頭を垂れ、(ひざまず)いて控えている。

 

「さて、饕餮(トウテツ)檮杌(トウコツ)よ」

「はっ」

「はっ」

 名を呼ばれた二人は一瞬身を固くしたものの、背筋を伸ばし、改めて頭を垂れる。

「余は、うぬらの弁明などを聞く為に態々(わざわざ)、四凶を召し出した訳では無い。檮杌(トウコツ)

「はっ!」

(つまび)らかに申し述べよ」

 

 檮杌(トウコツ)は小さく息を呑んでから顔を上げ、重々しく口を開いた。

「はっ。臣檮杌(トウコツ)(おそ)れながら御注進(ごちゅうしん)申し上げます。蚩尤様の御下知(おげち)により、我が八魔たる黒網蟲に、各軍団から借り受けましたる下級種五十を預け、北郷一刀の抹殺を命じて正史に差し向けました。が、あと一歩のところまで追い詰めたものの、救世の器の覚醒を許し、惜しくも取り逃がしました。下級種は全滅、黒網蟲は瀕死の傷を負い、現在、修復槽にて治療中で御座います」

 

「―――饕餮(トウテツ)

  続いて名を呼ばれた饕餮(トウテツ)は、檮杌(トウコツ)と同様に顔を上げ、玉座の影を見詰めながら口を開く。

「はっ。臣饕餮(トウテツ)、畏れながら言上仕(ごんじょうつかまつ)りまする。蚩尤様の御下知の基づき、我が魔獣兵団の下級種から精兵二万を編成し、八魔たる黒狼にその全権を委任、同じく我が八魔の魔魅を副官として付け、外史に派遣しました。しかし、転移陣の近くに彼の飛将軍、呂布の軍勢が展開しており、これとの交戦を余儀なくされました。この際、呂布の凄まじい武働きにより二千強の下級種を失ったものの、黒狼が呂布を討ち取る寸前にまで追い詰めました。が―――」

 

 饕餮(トウテツ)はそこで一度息を吐き、兜の奥に隠された秀麗な眉を(ひそ)めた。

「途中、(かね)てより救世の器と目されていた北郷一刀が戦場に乱入。戦況を覆され、重ねて敵の増援が到着した事もあり、魔魅の判断で残存兵力を纏めて撤退。これに成功したものの、撤退完了後、北郷一刀によって転移陣は破壊されました。黒狼は呂布との一騎打ちの際に負った戦傷を治療中の為、詳細は未だ聞けておりませぬが、魔魅からの報告によれば、待伏せの様子が無かった事から、呂布軍が居合わせたのは偶然の可能性が高いであろうとの事です。また、北郷一刀は怨敵、姬軒轅(きけんえん)に酷似した具足を(まと)い、それ故か転移陣を視認出来ていたらしく、その破壊を優先しようとしていた、と」

 

「左様か……軒轅めにの。やはり、余の勘働きは図に当たっていた様であるな」

 蚩尤は、感情の読み取れない(こえ)でそう呟くと、天蓋の奥でふと顔を上げた。

「で、此度の救世の者の力の程は、如何であったのか?」

「は。魔魅と、治療に入る前の黒狼から僅かに聞き及んだ話を総合するに、中々の遣い手であるかと」

「申せ」

「は。何でも、黒狼を一太刀の元に組み伏せ、我が魔獣兵団の下級種二万を向こうに回して一歩も引かず立ち回り、ものの数分で、実に数百に及ぶマシラ級を殲滅せしめ上、魔魅に手向かいを許さず拘束した、との由」

 

 その言葉を聞いた四凶の面々の間に、驚きが走った。

 それまで黙ったまま蚩尤の横で控えていた混沌(コントン)は、鏡面に覆われた顔を初めてまともに饕餮(トウテツ)に向け、窮奇(キュウキ)はヒュウと口笛を吹く。

 既に配下の黒網蟲を退けられた檮杌(トウコツ)でさえ、目を見開いて横の饕餮(トウテツ)を見詰めている。

 それも無理のない話だった。

 

 四凶がそれぞれに有する八魔は、特に完成度の高い、言い換えれば、上級種たる四凶に最も近い存在である。

 それを、いとも容易く組み伏せるとは。

「ククク―――佳いぞ。実に佳い」

 

 大広間に落ちた静寂を破ったのは、愉悦を帯びた蚩尤の声であった。

「骨のある肯定者どもは、あらかた先の大戦で喰らい尽くし、軒轅めも永劫の(とき)の中に消えたと思うておった。しかし、中々どうして楽しませてくれる。この外史、一息に呑みこんでくれようとも思うていたが……折角だ、腰を据えて楽しませてもらうとしようぞ」

 

 蚩尤がそう言い終わるや否や、窮奇(キュウキ)が嬉しそうに立ち上がった。

「ならば、蚩尤様。次は是非、この窮奇(キュウキ)めの魔鳥兵団に、出撃の栄誉をお与えください!必ずや、御喜び頂ける結果を出してご覧に入れまする!」

「良かろう、では―――」

 その時、檮杌(トウコツ)の涼やかな声が、蚩尤の声を遮った。

「お待ち下さい。蚩尤様、窮奇(キュウキ)殿」

 

「恐れながら、私に一計が御座います。私に、汚名返上の機会をお与え下さる訳にはいかないでしょうか?」

「あん?檮杌(トウコツ)ゥ、何なんだよ、その一計ってぇのは?」

 檮杌(トウコツ)は、あからさまに不機嫌そうな顔で自分を睨みつける窮奇(キュウキ)に微笑んだ。

「蚩尤様、それに皆様。私のこの策の有用性を示す事が出来れば、我等の戦力を飛躍的に向上させる事も可能となります。さすれば、饕餮殿が失った兵力の補充にも役立ちましょう。何卒……」

 

 蚩尤は、天蓋の向こうで暫く黙考したのち、臣下達に下知を下した。

「では、檮杌(トウコツ)。やってみるが良い。饕餮(トウテツ)よ、うぬは、檮杌(トウコツ)の策の結果が出るまで軍団の再編を待っておいてやれ」

「御意に」

 頭を垂れたままそう答えた饕餮(トウテツ)は立ち上がり、蚩尤に一礼して大広間を出て行った。

 それを横目で見送った檮杌(トウコツ)も立ち上がる。

「有り難き幸せ。では早速にも」

 檮杌(トウコツ)は恭しくそう言って一礼し、大広間をあとにした。

 

「おうおう、わざわざ饕餮(トウテツ)の責任を強調たりしてよ。結局、あいつは饕餮(トウテツ)をどうしたいのかねェ?饕餮(トウテツ)の方も、突っかかる割りには本気で()心算(つもり)もなさそうだしよ」

 窮奇(キュウキ)は呆れた様にそう言って肩を竦めると、再び先程と同じ様に大階段に腰を下ろした。

「あの二人は、我々とは“違う”からな。解せぬのも、止む無き事だ」

 

「左様―――」

 

 蚩尤は、混沌の言葉に天蓋の中で頷いて、面白そうに言った。

「ああ言った感情と、それに伴う競争意識は、我々には希薄なモノ。だからこそ、面白いのだ。窮奇よ、お前も、久方振りの“変化”を愉しめ」

 「はぁ……」

 窮奇は曖昧に答えると、鷹の脚の様な肌を持つ腕から伸びた鋭い爪でポリポリと頬を掻き、饕餮と檮杌の消えた廊下を見詰めた。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待ってよ、姉様!飛ばし過ぎだってばー!!」

 馬岱こと蒲公英は、自分の前方を馬に跨って疾駆する従姉、馬超こと翠に向かって叫んだ。

「なに弱気な事言ってんだよ、たんぽぽ!早馬で来た呂布隊の兵の話じゃ、ご主人様たちは今日の朝には巴郡を発つ予定なんだろ?予定通りの経路を使ってたとしたら、もうそろそろ最初の宿場に着いてる頃だろうが!」

 

「それはそうだけど、どの道、今日中に合流するのは無理なんだよ!街道を使ってるご主人様達と違って、たんぽぽと姉様は行軍用の山道を通ってるんだから、そんなに飛ばさなくても予定してた宿場で合流出来るってば~!!」

 蒲公英は、出発してから幾度となく言ってきた台詞を、無駄だと解っていながらも、もう一度口にした。

 

 一刀たちの旅の道程を記した予定表を携えた早馬の伝令が成都に到着したのは、昨日の事。

 翠と蒲公英の二人が、もう一人の主である劉備こと桃香の勅命を受けて成都を出たのは、今朝の払暁である。

 一刀の帰還と、罵苦の軍勢撃退の報が同時に届いた段階でてんやわんやの大騒ぎだった成都は、数週間のまんじりともし難い時を過ごしていただけに、今度は天地をひっくり返した様な大騒ぎに陥った。

 今頃は、天の御遣い帰還の方を聞いた日から準備が始められていた飾り付けやら何やらが、成都の街中に溢れ返っている筈である。

 

 翠と蒲公英を含めた将達は、興奮して玉座の間で騒いでいたのだが、「あ、旗!!」と言う、珍しい龐統こと雛里の大声で、場は一瞬の沈黙に包まれた。

「旗?旗がどうしたの、雛里ちゃん?」

 桃香が、興奮でほんのり赤くなった顔で雛里に尋ねると、雛里は両手で頭のとんがり帽子を押えながら答えた。

「あわわ。ご主人様の牙門旗です、桃香様。あれ……この城の宝物庫の中ですよね?」

 

「「…………あ゛!!」」

 

 そう、丸に十文字の牙門旗。

 北郷一刀の象徴でもあるそれは、各国の王達が国表に戻る際、本来、一刀が桃香と共に治めていた蜀に持ち帰られる事になり、今日に至るまで宝物庫に保管されて来たのだった。

 

 牙門旗とは即ち、大将旗である。

 そして大将旗とは、その大将の掲げる理想そのものであり、引いては、その大将の元に集う人々の理想の具現化した物であると言っていい。

 三国同盟の盟主である北郷一刀の帰還に際して、その象徴たる牙門旗が翻っていないのは、実によろしくない。

 ましてや今回は、罵苦と言う未知の怪物の初めての大攻勢を撃退せしめた、華々しい凱旋でもある。

 凱旋帰国の際に、その軍勢の総大将でもあった北郷一刀の牙門旗が翻っていないなど、尚の事よろしくない。

 

 そんな訳で、急遽、一刀に牙門旗を届ける為に、馬術に長けた将を使者として遣わす事になり、厳正なる選考の結果、蜀の騎馬隊の中枢である西涼騎兵の長である馬家から、当主の翠と右腕の蒲公英に白羽の矢が立ったのである(因みに公孫瓚こと白蓮は、『何だか残念な事になりそう』と言う理由で選考から外れてしまい、玉座の間の隅で体育座りになっていじけていた)。

 そして今現在、騒動の元となった牙門旗は細く折り畳まれ、翠の背中の襷がけに結わえられている。

 

「くぅ~っ!!主の牙門旗を身体に結んで届けるなんて、目茶苦茶燃える展開じゃないか!今行くぜ、無事でいろよ、ご主人様!!」

「いや、無事も何も、敵とかと戦ってる訳じゃないから!ただのお届物だから!!敵陣突破とかしないよ!?」

 蒲公英は、妄想が暴走し始めた従姉にツッコミを入れながら、馬上で溜息を吐く。

 今の蒲公英の心境は、連れだって呑みに行った友人が先に泥酔してしまって、酔うに酔えないジレンマに陥っている若者のそれと、極めて似ていると言えた。

 まぁ、いくら従姉が暴走気味でも、馬を潰してしまう様な事はしないだろうし、今日の宿で一晩休めば、明日には少し落ち着いているだろう。

 蒲公英はその一時に最後の希望を託すと、再び手綱を握る手に力を込めた。

 彼女とて、早く北郷一刀に逢いたい気持ちは同じなのだ。

 しかし……。

 

「色々と溜まってたんだねぇ、姉様……」

蒲公英は、十文字の牙門旗を背負って先を往く従姉をしみじみとした眼差しで見つめながら、ポツリとそう呟いたのだった。

 

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