真・恋姫†無双異聞 皇龍剣風譚     作:YTA

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今回は分量的にはちょっと短めですが、きりが良かったのでこのまま投稿する事にしました。
楽しんで頂けたら幸いです。
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第十一話 天馬幻想 後篇

 

 

 

 

 

 

 風の如く、とはよく聞く比喩であるが、今現在、北郷一刀の置かれている状況は、比喩表現の域を超えていた。

 実際の話、この一対の枝角と鱗を有する異様な白馬のスピードは、馬のそれとは比較にもならない。

 品種改良が進んだ競走馬―――そのトップクラスでさえ、時速7~80kmを数分間、維持するのが精々の筈であるのに、少なくとも既に十五分以上は背に乗っている筈の一刀が感じている体感速度は、明らかに時速100kmを優に超えている。

 しかも、鬱蒼(うっそう)と茂る森の中で、だ。

 

「ひぇっ!あっぶねぇ!!?」

 一刀は、もう何度目になるか覚えていない台詞を吐いて、風を切って迫ってきた木の枝を(かわ)して頭を下げた。

 一体、この馬の姿をした存在がどんな理屈で、この森林の中を岩に蹴躓(けつまず)く事もなく疾走できているのかは皆目と分からないが、確信できている事が一つだけあった。

 それは、この白馬は、明確な意思を以って自分を試していると言う事だ。

 

 その証拠に、と言えるのかは判然としないが、少なくとも馬が本当に背に乗った人間を拒絶するのなら、棹立ちになったりその場で飛び上がるなどして、まず人間を背から振り落とそうとする筈だが、白馬はそれをしていない。

 急制動を掛けたり、張り出した木の枝の下を潜ってみたりと、あくまでも“乗り手側の過失(ミス)”で背から落ちる様に仕向けている節がある。

 

 まぁそもそも、自ら背に乗れと言う意志表示をして来たのだから、それだけの知性があれば、乗り手を試す位の事はしても決しておかしくはない。

 おかしくはないのだが、耐久レースでもあるまいに、超が付くほど高速で移動しながら常に神経を張り詰めていなければならず、しかもそれが、いつ果てるとも知れないと言うのは、精神的に相当辛いものがある。

 

 それに加えて、尻の皮が何時まで持つのか、と言う物理的な恐怖も結構なものだ。

 一日と言わず、半日もこんな事をやっていたら、桃の様にぺろりと綺麗に剥けてしまうのは間違いない。こちらにやって来てからまだ間もない頃に味わった屈辱と苦痛が頭を(かす)めるたけでも、三十路の男心が軋みを上げるには十分な圧力ではある。

 

 一刀が、いよいよとなったら、酷い打ち身を覚悟で迫りくる枝に衝突ついでにしがみ付こうかと本気で考えだした時、剣帯に収められている通信機が、けたたましいビープ音を鳴らし始めた。

 通常通信の時とは明らかに違う、聞く人間を不安にさせる様なその音は、緊急通信の証拠だ。

「チッ!間の悪い!!」

 

 一刀は、おっかなびっくり白馬の焔色の(たてがみ)から右手を放すと、どうにか通信機を取り出してプレスボタンを押し込んで、激しい風切り音の中でも聞こえるよう大声を出す。

「卑弥呼、今は立て込んでるんだけどな!?」

「それは此方(こちら)もだ。罵苦の反応がある。近いぞ」

 

 漢女(おとめ)らしからぬ、一切の余裕も冗談も差し挟まない卑弥呼の簡潔な言葉に、一刀は小さく舌打ちをした。

 どうやら、本当に差し迫った状況であるらしい。

「どうしてこんな近くになるまで分からなったんだ?」

 

「恐らく、隠形(おんぎょう)の得意な種なのだろう。今になって、個体ではなく軍勢を動かした為に感知できたのだ」

「じゃあ、ホントにギリギリかよ―――って、おっとぉ!?」

 一刀は、またも際どい高さで迫り来た枝をリンボーダンスよろしくブリッジで躱して、慌てて鬣を握り直すと、兎に角、必要な情報を聞こうと再びプレスボタンを押した。

 

「それで、敵の数は!?」

大凡(おおよそ)、百に足りるかどうか、と言ったところだろう」

「それだけの数を山の中で動かしてるとなると、目的は―――」

「うむ。十中八九、人間の集落であろうな。急ぎ、その近くにある規模の大きい集落に向かってくれ」

 

「いや、そうしたいのは山々なんだけど―――は!?」

 一刀が、思わず通信機に向けていた意識を前方に引き戻すと、森の木々がぽっかりと消失し、明るい空が開けているのが見て取れた。

 どうやら気付かぬ内に、切り立った山の上まで来ていたらしい。

 だが、問題はそこではなく。

 

「いやいやいや!!お前それは無理だろって!羽とか生えてないし―――うぉぉぉ!!?」

 白馬が僅かもその速度を落とす事をせず、その中空に向かって奔走している事だった。

 そして、今までもそうだった様に、白馬は一刀の言葉など意に介す様子もなく、断崖に身を躍らせる。

「くっ……!?て……いや、もう何なの、お前……」

 覚悟を決めた一刀が、馬の背から飛び降りて鎧を身に着け、着地できる時間はあるかと逡巡したのは、ほんの刹那。

 次の瞬間、白馬は一刀を乗せたまま、60度にもなろうかと言う切り立った山肌を、先程と変わらぬ速さで疾走していたのである。

 

 一刀が恐々(こわごわ)と、それでも見ずには居られなかったので、白馬の足元に視線を遣ると、白馬が地面に(ひづめ)を打ち付ける度に、枝角を纏った時に似た光の粒子が飛び散っているのが見て取れた。

 それどころか、身体には遥か眼下の地面に向けての重力すら感じられず、体感としては、普通に大地を駆けているのとなんら変わりは無い程だ。

 

 不幸中の幸いと言えば、遠目に今日、宿を取る予定の集落が見えて位置関係がはっきりした事と、白馬がそこまで見当違いの方向に向かっている訳ではない、という事だろう。

 (もっと)も、一刀に御される事を良しとしている訳でもないのだから、手放しで喜べる状況ではない事も確かだ。

「ったく、種馬がじゃじゃ馬()らしなんて、洒落にもなってないっての……」

 一刀は、いよいよとなったら飛び降りる覚悟を決めて、盛大に溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

「なんだよ。じゃあ、ご主人様は一緒じゃないのか……」

 馬超こと翠は、高順こと誠心に経緯(いきさつ)を聞いて、がっくりと肩を落とした。

「はい。一刻半(約3時間)ほど前に別れまして。この辺りで合流の予定ではあるのですが」

 誠心は、『ご主人様はどこだ!』と、まるで主の危機に馳せ参じたかの如き気迫を(たぎ)らせた先程とは打って変わって酷く落胆した様子の翠に対し、何とも申し訳ない気持ちになりつつも、そう言葉を結んだ。

 

「だから、大袈裟過ぎなんだって、翠姉様は。こんなトコでがっかりしてる暇があるなら、先に村まで戻って、宿でお湯でも使ってようよ。そしたら、ご主人様が来る頃には準備ばんた―――あ痛ッ!!?」

 馬岱こと蒲公英は、高速で振り下ろされた翠のゲンコツを頭頂部に受け、両手で頭を押さえて(うずく)まる。

「いった~い!もう、何すんのよ、他国の人も居る前で!!」

 

「それはこっちの台詞だ!はしたない事を言うな、このバカ!」

「なによカマトトぶって!翠姉様だって、恋がご主人様からご褒美もらったって聞いた時、『良いなぁ……』って言ってたじゃん!」

「バッ!?だから、そういう事をこんな大人数の前で言うなってば!!」

 

「あの件、誰が成都に?」

 誠心が、拳が霞む程の速さでゲンコツを繰り出す翠と、それを華麗に避けながらケラケラを笑う蒲公英を困った様な顔で眺めながら、後ろに控えていた兵士にそう尋ねると、兵士も上官と同じような顔をしてそれに応える。

費禕(ひい)殿の筈です。あの方のことですから、悪気は無かったのでしょうが……」

 

「で、あろうなぁ」

 如何な諸葛亮孔明の秘蔵っ子とは言え、初陣の報告―――しかも、山ほどの想定外を纏めた上でのそれである。

 『兎に角、(つまび)らかにしなければ』という意識が高過ぎたのであろう事は、容易に推察できようというものだ。

 

「そんな顔しぃなや、誠心。ウチかて、キッチリ報告しといたで!」

「応、儂もじゃぞ」

 翠と蒲公英の某ネコとネズミも()くやの追いかけっこを、やんやと(はや)し立てていた霞こと張遼と祭こと黄蓋が、誠心の様子を横目で見て、揃って愉快そうに声を掛けた。

 

「ご両人まで……何でまた……」

「そんなん、そっちのがオモロそうやん?」

「そんなもの、そっちの方が面白そうだからに決まっておろう」

 誠心も呆れた様子の問いに、二人はまたも声を揃えて屈託なく笑う。

 

「ちゅーか、ぶっちゃけウチらはダメ押ししただけやしな」

「うむ。どうせ、奉孝(稟)や伯言(穏)が嬉々として報告していようしな」

 

 誠心は、さも当然の事の様な二人の言葉に、なぜ北郷一刀が男連中から羨望よりも(むし)ろ尊敬を集めているのかを思い出して、やれやれと溜め息を吐いた。

 自分がこんな事が毎日の様に続く状況に置かれていたら、ひと月と持たずに胃に穴が開いてしまうだろう。

 差し当たっては、流石に馬家の従姉妹たちの追走劇をいい加減に止めねばならないのだが、思慕する主にもう直ぐ再会できる喜びで猛っている二人の勇将の間に割って入って、果たして自分は無事でいられるのかと考え、やはりもう一度、深い溜め息を吐いて、生暖かい眼差しで二人を見遣るしかないのだった。

 

「コラ待て蒲公英!」

「や~だよっ!待てって言われて待つヤツなんか居る訳ないでしょ。大体、翠姉様がそんなんだったら、蒲公英が先にご主人様に可愛がって貰っちゃうんだから。もうおっぱいだって負けてないし~!」

「だから、どうしてお前はそういう―――!?」

 

 翠は何かに気を取られる様に、成長した自分の乳房を下から両手で押し上げて逃げ回る蒲公英を捕まえようとして走り出すのを止め、その場に立ち止まった。

 それを見た蒲公英が、不思議そうな顔をして翠の元に近づいて来る。

 直情型を絵に書いた様なこの従姉が、策を弄して自分を捕まえるような真似をする筈がない。

 だから、彼女が不審そうな顔をしている時は、本当に不審がっているのだと知っているのである。

 

「どしたの、姉様?そんな変な顔して」

「シッ!聞こえないか?」

「へ?」

 蒲公英は、武人の眼差しになってそう言う従姉に(なら)って聞き耳を立ててみる。

 

「あれ、これって馬蹄の……でも、こんなのって……」

 首が座って直ぐに裸馬に乗せられて育つ、とまで言われる西涼の民である二人にとっては、それこそ母親の腹の中にいた時から肌で感じ、また聞いて来た筈の馬蹄の響き。

 だがしかし、今、耳にしているそれは、馬と言う生き物を知り尽くしている二人にだからこそ、際立って異様に感じられた。

 

「速すぎる……?」

 そう口に出してしまってから、蒲公英は黙り込む。

 馬蹄の間隔と、こちらに迫って来る速度が、明らかに釣り合っていないのだ。

 その現象は、現代人の感覚で例えるなら、()わば、(まず)い編集で音ズレを起こした動画を見せられてでもいる様な、実に何とも言えない不快感を伴なっていた。

 

 しかもあろう事か、その馬蹄は、自分たちの居る街道を望む、急勾配の切り立った山の側面の辺りから木霊を伴って迫って来ていた。

 羚羊(れいよう)の類ならばいざ知らず、本来は馬が高速で疾走できる様な場所ではありえない。

「翠姉様、もしかして罵苦……かな?」

 

「情けない声を出すな、蒲公英。姿が見えりゃ、嫌でも分かるさ」

 翠は、蒲公英の不安げな声を、自分の感情を殺した声で上塗りする様にそう答え、背に負っていた愛槍、銀閃を手に持つと、穂鞘(ほざや)の紐をするりと(ほど)き、柄を振るって引き抜く。

 すっと細められた瞳から放たれる眼光には、最早、従妹の下世話な冗談に頬を染めていた少女の面影は無く、数多の戦場で、更に数多の敵を屠って来た騎馬の申し子、錦馬超のそれになっていた。

 

 蒲公英も、自分の影閃の穂鞘の紐を解いて鈍色の穂先を引き抜きながら、わき目に自分達の追い掛けっこを見物していた人々に向ける。

 すると、既に彼等は自分の得物を手に臨戦態勢を整えて、馬蹄が響く方へと鋭い視線を投げていた。

「さっすが、三国でも指折りの精鋭だよね」

 

 蒲公英の呟く様な言葉に、翠も僅かに口の端を歪めて答える。

「あぁ。頼りになるよな、全く―――来るぞ!」

 翠が鋭い一言を言い終えるのと、山肌を猛然と駆け抜けいていた“それ”が山肌を蹴って天高く舞い上がり、次いで麓の山林の中へと落下して姿を消したのは、ほぼ同時。

 

 次の瞬間、腰を落として穂先を下に下げた構えのまま、二人は同じ台詞を口にしていた。

「ご主人様!?」

 と。超人的な動体視力を持った二人には、馬とよく似た、しかし明らかに馬では有り得ない生物の上にしがみ付く、白い外套(ロングコート)を纏った男の姿が、しっかりと視認できていた。

 

 尤も、馬の首と焔色の鬣に隠れた顔までは流石に見えず、この大陸では北郷一刀以外に掲げる事を許されていない丸に十文字をあしらった黄金の記章が、その男の外套の肩口に縫い付けられているのを確認して、反射的にそう思ったに過ぎない。

 それでも、二人の確信は揺るがなかったが。

 

「おい、こっちに来るぞ!みんな気を付けろ!」

 翠の大音声に、その場の止まっていた時間が再び動き出す。

 すると森の中から、翠と蒲公英が覚えのあるよりも僅かに太くなった、それでも酷く懐かしい男の声が、ドップラー効果を供なって聞こえて来た。

 

「おぉい、みんなぁぁ!!敵が来てる!急いで宿場に向かってくれ!俺も直ぐに行くからぁぁ!!」

 声の主を乗せた何かは、そんな残響を残し、轟音を伴って翠たちから五丈(約10m)程の場所を横切って、街道の反対側の森の中へと消えてしまった。

「何だったんだ、あれ……」

 

 翠が、脳の理解が追い付かず、茫然と“それ”が走り去った方角を見遣っていると、数瞬ほど早く我に返っていた蒲公英が、従姉の袖を引いた。

「姉様!もう一つ何か来るよ!今度は街道の方!」

「なにッ!?」

 

 翠が慌てて蒲公英の指さす方向に視線を向けると、確かに何かが濛々(もうもう)と土煙を上げて、此方へと向かって来ていた。

 翠は一瞬、馬かとも思ったが、直ぐに明らかに馬蹄とは違う足音に気が付いて、土煙の大本に目を凝らして、あんぐりと口を開けた。

 

「れ……恋!?」

 まぁ、天下の飛将軍と呼ばれる程の武の持ち主であるし、その規格外の身体能力を何度と無く見せつけられて来た翠からすれば、『こいつなら馬並の速度で走れてもおかしくない』と思っていたし、冗談の種に何度か口にした事すらある。

 だがしかし―――。

 

「現実に目にすると、流石にビビるよなぁ……」

 問わず語りにそう呟いて蒲公英の方を見ると、どうやら従妹は既に溜め息すら出ない境地らしく、頭痛に悩まされている人間のように、(しき)りに指で蟀谷(こめかみ)を揉むばかりだった。

 程なくして、一行の前で大地を抉りながら急制動を掛けた恋は、馬家の二人の姿を認め、青い顔をして背中に負ぶわれていた音々音を降ろすと、不思議そうに呟いた。

 

「翠、たんぽぽ……どうして居るの?」

「いや、あたし等は、ご主人様の牙門旗を届けに来たんだよ。そう言う恋こそ、なんで音々音を背負って走ってたんだ?」

「恋、ご主人様を追い掛けてた……でも、嫌な感じがしたから……みんなの所に戻った」

 

「なんやて!?恋、それってもしかして―――」

 近づいて来た霞が全てを言い終わる前に、地面が揺れる程の轟音が山間に響き渡る。

「おい、あれを見よ!」

 一行が、真剣な眼差しの祭が指さす方角―――宿場のある集落に視線を注ぐと、太い黒煙が何条にもなって、晩夏の赤くなり出した空へと立ち昇っていた。

 

「間に合わなかった……急ぐ!」

 恋は、珍しく焦りを滲ませた声でそう呟くと、誠心に預けていた自分の馬の元に歩み寄ってひらりと跨るや、すぐさま襲歩となって猛然と集落に向かって駆けだした。

 翠も、誠心の「総員、具足を正して騎乗!恋様の後を追うぞ!」と言う号令を背中に聞きながら自分の馬に(またが)ると、恋に劣らぬ手綱捌きで馬脚を早め、その後を追い掛ける。

 

「ちょっと、ねね!蒲公英たちも行かなきゃだよ!自分で馬に乗れる?」

 蒲公英は、誠心や霞、祭ばかりか、具足を着なおした兵たちまでも、自分たちを追い抜いて行くのを横目に眺めて焦りを滲ませながら、未だに青い顔をして(うずくま)っている音々音に、そう声を掛けた。

「無理なのです……うぷっ……お花……相乗りさせて欲しいのです……」

 

「えぇ……良いけど、蒲公英の馬の上でゲロゲロしないでよね……」

 蒲公英は口を押えてコクコクと頷く音々音を疑り深く見つめてから、渋々と指笛で自分の馬を呼ぶのだった。

 

 

 

 

 

 

「ああそうかい、どうしても止まる気はないってか!」

 一刀は、未だ森の中を疾走しながら、こちらが鬣を引こうと脇腹を絞ろうと一切、反応しようとしない白馬に向かってそう言うと、臍下丹田(せいかたんでん)に意識を集中した。

 やがて、“石”の埋まっているそこから白金色の龍が現れて一刀の身体に巻き付き沈む様に消えて、一刀を英雄の幻想を纏うに相応しい超人へと変える。

 

 次に、全身に満ちた氣を、これから酷使する事になるであろう背中を中心にして更に練り上げた。

 硬気功と言われるそれは、楽進こと凪が最も得意とする、戦う為に氣を用いて肉体を強化する術だ。

 彼女ほど得手かはさておき、今、必要十分の氣は練れたと確信した一刀は、死に物狂いで掴んでいた鬣から両手を放し、跳び箱の上で手だけを使って身体をずらす要領で、掌のバネを使ってポンと身体を中空に浮かせた。

 

 当然の事ながら、白馬の身体に置いて行かれた形になった一刀は、間髪入れずに後頭部の後ろで両手を組んで身体を丸め、どうにか背中から地面に落ちれる様にと身をよじり、姿勢制御を試みる。

 甲斐あってか、如何にか狙いの通りに着地した一刀は、盛大な土埃を上げて10m以上も地面を転がり続け、(実にありがたい事に)木に衝突する事もなく制止した。

 

「いててて……いやもうホント死ぬかと思った……」

 一刀は、多少、痛む箇所を触って確認しながら身を起こし、外套の埃を払う。

 (ほつ)れ一つない所をみると、別に疑っていた訳ではないにしても、これを下賜してくれた師の龍の皮で出来ているとの言は本当で、今も一刀の身体を守ってくれたに違いないと改めて思える。

 

 

「やれやれ、あとで師匠にもちゃんと礼を言わないとな……」

 一刀が、そう独り言ちて顔を上げると、既に走り去ってしまったろうと思っていた白馬はしかし、ゆったりとした足取りで一刀から15m程の位置にまで戻って来ていて、僅かも息を切らせる様子すらなく静かにこちらを見つめていた。

 

「申し訳ない」

 一刀はそう言って姿勢を正し、頭を下げた。

「俺は、どうしても行かなきゃならないんだ」

 言葉を解するわけでもない生物に、何故こんな事をしているのかという考えが頭を(かす)める一方で、目の前の存在に対して、決して礼節を疎かにするべきではない、とも理解していた。

 

 千の獣の王の眷属の証たる黄金の鹿角と輝く鱗を持ち、あらゆる悪路を疾風の如く走破してみせる。

 正確な正体こそ不明だが、この獣は世に瑞獣と呼ばれる、大いなる存在である事は間違い様がない。

 瑞獣は、天の奇跡の具現ともいえる生物であり、当然ながら、彼らが人間を背に乗せるなどと言うのは、(ただ)それだけで、背に乗った人物が歴史に名を遺す事になる程に稀な事なのだ。

 

「お前が、俺を試してくれてたのは理解してる。それを途中で投げ出す事が、どれほど不遜で罰当(ばちあ)たりな事なのかも。でも俺には、護ると誓った人たちが居るんだ……その誓いを、破る訳にはいかない。本当にすまない。お前の背に乗せて貰えて、光栄だった」

 一刀が、神妙な口調でそう言い終えて頭を上げ(きびす)を返すと、不意に背中に、朗々と響くバリトンの声が響いた。

 

「それでよい。其方(そなた)が我が力欲しさに、本来、救うべき者たちの命を(ないがし)ろにする様な人間であったなら、この場で背骨を蹴り折ってやろうと思っていたぞ」

「あ……え、お前、喋れる……のか?」

「厳密には“喋っている”のではない」

 白馬は、一刀の間の抜けた顔が可笑しかったのか、どこか微笑んでいる様に思わせる声音でそう答えた。

 

「見てみるがいい。我の口は、其方らの様に動いてはおるまい」

 そう言われてみれば確かに、白馬の口は先程から全く動いていない。

 勿論、馬の口は元々、人間の言葉を使う様に出来ている訳ではないから、当然と言えば当然ではあるのだが。

「じゃあ、なんで……」

 

「我等は元より、“その様な存在”であるからだ」

「はぁ……」

「我等は人間(ヒト)の為に、人間に求められて生れた。瑞獣やら神獣やらと申せば聞こえは良いが、正しき人間、正しき治世の元に現れる存在などと言うものは、逆に言えば人間が存在しなければ必要とされないと言う事だ。なれば、そもそもの存在理由である人間と意思の疎通が出来るのは、当然至極であろう」

 

 一刀は、この馬の姿をした存在の声を聞きながら、(かつ)て卑弥呼が教えてくれた、“幻想を扱う事の意味”という言葉を鮮明に思い出していた。

「さて、本来ならばゆっくりと其方を見定める心算(つもり)であったが、今の其方には刻が惜しかろう。故に、我が問いに答えよ、外史に選ばれし者」

 

「あ、あぁ……」

「其方は真実、この世界の救済を望むや?」

「―――無論だ」

「誠なりや?我は、其方に“戦う覚悟”を問うているのではない。その身が果て血が枯れるまで、この造られた朧げな世界の為に“戦い続ける覚悟”を問うているのだぞ」

 

「この世界が、俺が産まれた世界にとって架空だろうと虚構だろうと、今この世界に生きている俺には関係ない。この世界の美しさも醜さも、俺が愛する人たちの肌の温もりも、笑顔や笑い声も、俺にとっては全て真実だから」

 一刀は、ゆっくりと咀嚼(そしゃく)する様に、己の言葉を噛み締めながら口に出した。

「それを奪おうって言うなら、相手が神様だって知ったこっちゃない。俺は、この世界を護る為なら、鬼にでも悪魔にでもなってみせる」

 

 白馬は(しば)しの間、深い知性を湛えた黒い瞳で一刀をじっと覗き込んでいたが、不意に深く鼻から息を吐いて馬首を(もた)げた。

「よかろう。其方が答え、しかと聞き届けた―――」

 白馬はそう言って一刀の元まで近づくと、優雅に横腹を見せて、顔を向けた。

「さぁ、背に乗るがいい、我が主。龍馬の一族の名に懸けて、其方が望むならば、地が果て海の尽きる場所までとても、雷鳴よりも尚早く、その身を運んでくれようぞ」

 




 如何でしたでしょうか?
 これのオリジナルを投稿していた時には、まだまだ勢い任せに書いていた時期だったので、矛盾していたり説明が足りなかったり、はたまた後に生かし辛い設定だったりを入れていて、自分でも反省していたのですが、リライトに当たって大分、解消できたと思います。
 次回こそは戦闘シーン。
 前回より動かすキャラクターが増えているので悩みなら書き進めていますが、なんとか楽しんで頂けるものにしたいです。

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