真・恋姫†無双異聞 皇龍剣風譚     作:YTA

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どうも皆さま、YTAです。
いやぁ、戦闘シーンのリライトって、こんなに疲れるんですね……。
お気に入り登録、評価、感想など、とても励みになりますので、お気軽に頂ければと思います。
では、どうぞ!


第弐話 覚醒

 

 

 

 

 

 北郷一刀は、呼吸が乱れない様に意識して走りながらワルサーP99をヒップホルスターから引き抜き、ポケットに予備の弾倉(マガジン)を突っ込んで銃口(マズル)減音機(サプレッサー)をねじ込むと、コッキング・インジケーターが赤く迫り出しているのを確認して、銃口を腰の左側に向ける様にして構えながら、雑木林に足を踏み入れた。

 

 既に気付かれているかも知れないが、待ち伏せには警戒すべきだろうと判断して、呼吸を整えて息を殺し、踏み出す足と逆の方向に体重を掛け、踏み出した方の足をゆっくりと踵から地面に降ろして、じわじわと体重を移しながらつま先まで接地させる。

 ストーキングと言われる、足音を殺して敵に近づく際の兵士の歩き方だ。

 

 悲鳴の主の命の心配をしたがる良心を叱咤して、手綱を引き絞る。

 生きているなら聴覚や視覚に予兆となる情報が入って来る筈で、その時になってから迅速に動けばいい。間に合わなかった、(ある)いは間に合いそうにない状況なら、無暗に正体も規模も分からない敵のテリトリーに突っ込んで行ってやるのは、命の無駄遣いになる。

 

 落ち葉の季節でないのは僥倖(ぎょうこう)だ。

 一刀は、全神経を暗闇に集中して、じわじわと悲鳴の聴こえて来た方向へと歩みを進める。と、街灯の光も届かない雑木林の奥の茂みに、薄っすらと蠢く影が見えて来る。

 そのシルエットからして、複数の“何か”が這いつくばっている様に思えた。

 

 と、風向きが変わった事で、一刀の鼻に、少年の頃に何度となく戦場で嗅いだ濃密な血の鉄じみた臭いが伝わって来る。それと共に、びちゃびちゃ、ぞぶり、ぞぶり、くちゃくちゃ、という、生物として原始的な嫌悪感を催す様な音が耳に届いて、全身が総毛立つ。

 一刀は、唾を飲み込みたい衝動を殴り付ける様にして抑え込むと、ストーキングを維持しながら、更に数歩、蠢く影の群れに近づいた。

 

 そうして、その蠢きの隙間から、人間の男のものと(おぼ)しき垢じみた腕がのぞいているのを確認した――してしまった。

 大体にして、人間の腕などという特殊な形状のものを、何かと見間違える事などあり得るだろうか?

「喰って……る!?」

 

 自分が目にしたものを拒絶したいと言う思考が一刀の口を突いて漏れ出た瞬間、影の蠢きがピタリと止まって、異様な光を帯びた何かが一斉にこちらに向けられた、その瞬間。

躲貓貓(さぷらぁ~いず)!」

 耳元で怖気を振るう様な耳障りな声が響いたのと同時に一刀の身体は宙を舞い、木の幹に強かに叩き付けられていた。

 

「かっ、は――!?」

 肺の中の酸素を全て外に押し出されながらも反射的に膝を突いて起き上がったのは、理性などではなかった。『敵の前で倒れたら殺される。決して寝転ぶな』という、十代の少年の頃から現在に至るまで、多くの師と呼べる人々からまず最初に叩き込まれた戦場の大原則を、身体が覚えていたが故の条件反射に過ぎない。ワルサーを落とさなかったのは至上の幸運、暴発させなかったのは奇跡の領域だった。

 

「ハッ!ハッ!ハッ!――グゥ―――!!」

 痙攣して胃液を吐き出そうとする食道を気合でねじ伏せ、酸素を求めて犬の様にだらしなく舌を垂らしたがる口に鞭を入れ、一刀はワルサーを構えて、トリガーガードの脇から迫り出したレーザーサイトのスイッチをオンにする。

 

 すると、暗闇に赤い焦点を結んだ暗闇から、ゆっくりと“それ”が染み出して来た。“それ”の放つ威圧感に比べれば、“それ”の後ろで、口の周りをタンパク質の塊と鉄臭い液体で汚した巨大な蟲や、猿と猪の私生児(あいのこ)や、ラヴクロフトの世界から這い出て来たかの様な手足の付いた鱒など、ちゃちな子供騙しにすら見える程だ。

 

「ククッ!正史デ人間ドモガ増エタ事モ、アナガチ面倒バカリデハ無イナ。コウシテ人避ケノ結界ヲ張ッテイテモ、鈍イ餌ガ迷イ込ンデ来テクレル」

 “それ”は、どう考えても人間の言語を使える様に出来ているとは思えない、鋭い牙の生えた大顎を左右に振るわせて、そう言った。

 

 剛毛に覆われた体躯の上、頭部と思わしき場所から、白目の無い八つの黒い瞳が、まるで嘲笑うかの様に一刀をねめつけている。

 人間に似た腕の下から腰と呼べるのであろう位置までには、三本の骨じみた鋭い腕が、左右に二対ずつ生えていて、臀部と思わしき場所からは、毛の生えた巨大な風船の様な肉塊が突き出ていた。

 その姿はまるで――。

「喋る――クモ!!?」

 そう、その異形の姿は、正しく蜘蛛だった。

 尤も、大柄な人間ほどの大きさで二足歩行の蜘蛛などと言う生物が存在し得るのならば、だが。

 

「中級……罵苦……」

 一刀は、管理者たちから聞かされた情報を刻から手繰り寄せて、そう結論を出した。と、蜘蛛は、嘲笑しているかの様な雰囲気をふと消して、昆虫じみた仕草で首を傾げた。

「ホホゥ、正史ノ人間ガ、我ラノ名ヲ知ルトハ――ンン?貴様、僅カニ臭ウナ。旨ソウナ幻想ノ匂イガ――」

 

 異形の蜘蛛は、尚も暫く首をカクカクと左右に振って一刀を凝視した後、道化じみた動きでピョンと飛び上がった。

「ハッハァ!貴様、此度ノ世ノ“救世ノ器”ダロウ!!」

 一刀は、未だ酸素が足りずに震えの走る足で、どうにか立ち上がった。蜘蛛の言葉は最早、警告のサイレンに近い意味を持っていると察したからだ。

 

「キヒヒヒヒ!マサカ、自分カラ出向イテクレルトハナァ!“奴等”ノ目ヲ盗ミ、痕跡ヲ追ッテ正史クンダリマデ忍ンデ来タ手前、糞不味イ餌ヲ喰ライナガラ長丁場デ探シ出サネバナラヌカト腹ヲ括ッテイタモノヲ、イヤハヤ――ヌッ!!」

 一刀は、蜘蛛に最後まで喋る間を与える事なく、背を向けて駆け出した。異形の怪物を相手に戦術も何もあったものではないだろうが、怪物たちの見た目を――昆虫や動物を模した姿――を鑑みれば、木々の生い茂る林の中で相対するなど、生身の人間にとっては自殺行為以外の何物でもあるまい。

 

 そんな真似をする位ならば、例え囲まれる事になっても、何もない開けた場所で戦った方がまだ幾分かマシと言うものだろう。

 一刀は、木々の間を縫う様にして追っ手の視界を遮る様に走りながら、芝生広場までの最短距離を移動していく。途中でワルサーをヒップホルスターに仕舞い、肩に担いだアジャスターケースの蓋を開けて祖父伝来の井上真改の打ち刀を取り出すと、ケースを投げ捨てて鞘をベルトに差し挟んだ。

 

「ったく、酷い夜になるな、こりゃ……!」

 一刀はそう独り言ちると、背後の気配に全神経を傾ける。頭上からは枝が大きく(たわ)む葉擦れの音。地面からは、怪物どもの強靭な脚と鋭い爪が大地を穿つ鈍い音――しかも、それぞれが、かなりの数である様だ。

 

 

 十中八九、一刀の前に姿を見せていたのは順番待ちの列に最初に並ぶ幸運に与った連中だったのだろう。

「冗談キツいんだよ、ったく――うわっ!?」

 一刀の後ろ、僅か0,1秒前に頭のあった辺りの空間に、バットをフルスイングした様な音を伴った何かが振り下ろされたのが、風圧と共に感じられた。

 

 まさか、何十メートルも距離を稼げるとは思っていなかったが、想像以上に肉薄されているらしい。

「もうちょっと待ってろって!」

 一刀は、端から聞いてなど貰えない事を承知でそう叫ぶと、更に速度を上げる。視線には、既に街灯の薄明かりが見えていた。

 

 

 

 

 

 

「だぁぁぁぁ!!」

 林を抜けて芝生広場に出た一刀は、即座に急制動を掛けて反転すると、上半身を思い切り屈め、勢いに任せて踏み込みながら、真改を抜き打ちに振り払った。

 頭上を掠める轟音と刃が肉を裂く感触は、ほぼ同時。

 

 一刀は即座にもう一度、振り向いて、気合いの声と共に右袈裟に新改を振り下ろす。そこは、脇腹から黒い血を滴らせて呻く、例の猪と猿の私生児(管理者たちは、マシラと呼んでいたと一刀は思い出した)の肩口に、ドンピシャの位置だった。

 断末魔を上げるマシラを蹴り倒し、素早く真改を左手に移して逆手に持ってピップホルスターに仕舞っていたワルサーを抜き、左腕を下にして十字を作る様に腕を組み合わせながら照準を付けると、林の方へと意識を集中する。

 

 そうして、ジリジリと摺り足で後退しながら街灯の明かりに目を慣れされつつ、視界の確保に努める。

 居た。それも、十やそこらの数ではない。視界に入る雑木林のあらゆる場所から、マシラが、魚人が、蟲――明かりの下で見ると、蚤と人を掛け合わせた様な見た目だった――が、殺意と捕食欲求に満ちた双眸をギラギラと輝かせて、一刀をねめつけていた。

 

 二匹のマシラが自分に向かって跳び掛かって来た瞬間、一刀は腹を括った。一匹目の大振りの爪を最小の動きで躱し、同時に一瞬、続く二匹目の視界を惑わせる様に一匹目の身体を障害物にしてフェイントを交えながら踏み込んで、中空で静止していた獣の腕の下に潜り込む様にして密着、自分の左手で持った真改の柄頭を獣の首に打ち付けて酸素の供給を奪うと同時に噛み付かれるのを防ぎ、剛毛に覆われた脇の下に減音機の先端を押し当て、心臓があると思わしき位置に角度を調整すると、引き金を二度引いた。

 

 更に、擦り抜ける形になっていた一匹目の背を横蹴りで強かに打ち据える。極至近距離から9mmパラベラム弾で胸部を撃ち抜かれたマシラが(くずお)れるのと同時に、蹴り倒された方の個体が地面にもんどりうちながら、苦悶のうめき声を上げた。

 一刀は、少なくともマシラと呼ばれる種には痛覚がある事を確信して、起き上がろうと藻掻くマシラの後頭部に向かって引き金を引くと、直ぐに横に飛び退いた。

 

 すると、一刀が立っていた位置に、上空から飛来した何かが土煙を上げて衝突する。

「うわぁ、やっぱ跳ぶんだ、お前ら……」

 一刀は乾いた笑みを浮かべて、特大の注射針の様な口吻をギチギチと不気味に蠢かせて、自分の方に向き直った複眼の持ち主にそう呟く。

 

「チッ、動くなよ!!」

 また跳ばれては面倒だ。一刀は膝立ち体勢(ニーリング・ポジション)のまま、ワルサーの引き金を絞ると、減音機のくぐもった音が立て続けに二発響いた――と、次の瞬間、一刀は茫然として、前方を凝視していた。

 

 蟲は、対の複眼の中央から僅かに黒い体液を滴らせて二・三歩後退こそしたものの、苛立たし気に身体を震わせただけだったのだ。

「全身が天然の防弾チョッキとか、バカじゃねぇの!?」

 一刀は、まるで滑稽な幽霊の物真似でもしているかの様な形の前腕から繰り出される攻撃を間髪で躱すと、素早くワルサーをホルスターに戻して右手に真改を持ち替え、幽霊じみた腕の付け根辺りを目掛けて、刃を振り下ろした。

 

 確かな手ごたえと共に、ビチャっと言う不気味な音がして、硬い感覚毛が生えた巨大な蟲の腕が地面に落ちる。

一刀はその隙を見逃さず、蟲の身体に出来た切り口に、渾身の突きを放った。

「関節か傷口狙いしか無いのか。ったく、ホント良く出来てるよ、虫ってのは!!」

 

 至近距離で巨大な蟲の顔を見せつけられて萎えそうになる自分を叱咤するつもりで、大きな声で叫びながら、蟲の胴に靴底を掛け、思い切り良く刀身を引き抜く。

 本来ならば、刀身が曲がる心配がある為、絶対にしない行為ではあるが、今は贅沢を言える精神的な余裕も時間もない。

 

 それからも、一刀は、絶えず動き回って囲い込まれない様に注意を払いながら、異形たちの攻撃をいなしては反撃し、自身に深追いを禁じてヒット&アウェイを心がけて、少しでも敵の数を減らそうと試みていた。しかし、時を追うごとに身体に刻まれていく切り傷や打撲以上に、身体中を蝕む乳酸と、目まぐるしく動き回る異形たちの動きを絶えず警戒し続けている視神経と脳が、『限界だ』と悲鳴を上げ始めていた。

 

 脳は必死にアドレナリンやエンドルフィンを分泌して事態の打開を図ってはいるものの、それすらも追い付かなくなっている。

「―――っ、はぁ、はぁ、情けねぇな、ったく」

 一刀は、頬の切り傷から滴る血を拭って、小さく呟く。

 

 軍神、万夫不当、魏武の大剣、江東の小覇王――戦国乱世に名を轟かせた猛将たちならば、『まだこんなにも屠れる敵が残っている』と、不敵に笑って見せるだろう。雄々しく得物を構えて、些かの迷いも見せず異形の群れに突っ込んで行くだろう。

 だと言うのに、彼女たちの背中を見てきた筈の自分と来たら、こんなにも無様な喘ぎ声を漏らして、死の牙に怯えながら恐る恐る刃を振るしか出来ないとは。

 

「だけど、な――!」

 魚人の鋭いヒレの付いた腕を躱して抜き胴で脇腹を裂き、真改を地面に突き刺すと、素早くワルサーに持ち替えて、魚人の影から跳び掛かって来たマシラの眼球に向けて引き金を絞る。銃を構えたままイジェクト・ボタンを押して弾倉が排出されるのと同時に、ポケットから取り出していた予備の弾倉を装填して、後脚を引き絞って一刀に襲い掛かろうとしていた蟲を足止めする為に、続けざまに引き金を引く。

 

「おぉぉぉ!!」

 一刀は、怯んだ蟲の複眼目掛けて、脇を締め真改を突き出した。粘膜に剣が沈んでいく感触に嫌悪感を催しながらも、眉を顰める時間すら惜しんで銃と剣を両手に構え、未だ数十は居るであろう異形たちを牽制する。

 

「(情けなかろうと弱かろうと、一度やると言ったからには逃げる気はないんだよ!)」

 死に物狂いで自分を鼓舞する。自分はまだ、誓いのとば口にも立っていないのだ。

 ジリジリと張りつめた空気が周囲を包んでいる。

 敵味方が呼吸を整えるタイミングが重なって、一瞬の空白を作り出す事があるのは、相手が化け物でも同じ様だった。

 

 

 

 

「一刀!!」

 そして、双方の予想外の出来事で均衡が破られる事に於いておや。

 一刀は、異形たちの視線が、自分の後方から聴こえた声の主に一斉に注がれるのを感じて総毛立つと、思わず後ろを振り向いた。

 

 

 

 

 

 

「バカ!逃げろ!!」

 そう叫んだ瞬間、一刀の横を、質量を持った何かが凄まじい速さで通り過ぎた。と、及川は状況を理解できていない困惑の表情のまま、後方5mはあろうかと言う距離を、身体を“くの字”にして吹き飛ばされ、地面に投げ出される。

 一瞬、思考が停止した一刀が、慌てて視線を戻すと、口から水滴を滴らせた魚人が、鱒の様なぽってりとした腹をポンポンと叩きながら、ぶるぶると身体を震わせていた。

 

「この――」

「駄目ジャアナイカ」

一刀の意識が魚人に集中したその刹那、耳障りな声が、一刀の顔の横で愉快そうに囁いた。

「っ!?がっ!!?」

 

 頭部に受けた衝撃に身体ごと引っ張られる様にして宙を舞った一刀は、幾度となく地面に打ち付けられてから木の幹に激突し、盛大な枝揺れの音と共に目まぐるしく回転する世界から漸く解放された。

「痛ってぇ……」

 と言ってはみるものの、それは取り敢えず意識がある事を自己認識したいだけの言葉に過ぎず、最早どこが痛くてどこが痛くないのかなど判断も付かない。

 

「悪イ怪物相手ニ、油断ナンテシチャア、ナァ?」

 本来は、表情や感情を移す機能など備わってもいないであろう黒い四対の目が、嘲りの笑みを込めて、一刀を見下ろしていた。

「この……節足動物が……舐め……やがっ……て……」

 

 

 

 そう口を動かしたは良いが、正直な所、この蜘蛛が自分を侮っていてくれるからこそ、まだ息をしていられるのだと言う事くらいは、一刀にも分かっている。

「オォ、ソウ言エバ、マダ名乗ッテモイナカッタ――ナァ!!」

「ごぉッ……!!」

 

 蜘蛛は、一刀の腹を蹴り上げて異形の群れの中央に押し戻すと、大顎を震わせて愉快そうに笑った。

「我ガ名ハ黒網蟲(くろあみむし)魔蟲兵団(まちゅうへいだん)ヲ司ル四凶ガ一、檮杌(トウコツ)様ノ僕ヨ。サテ――」

 黒網蟲と名乗った蜘蛛は、道化師が子供を揶揄う様にピョンピョンと飛び跳ねながら一刀に近づくと、立ち上がろうとしていた一刀の背中を鋭い爪の付いた足で踏み抜き、そのまま足を使って仰向けにさせる。

 

「ククッ!サテサテ――救世ノ者ノ肉ハ、ドンナ味ガスルノヤラ。少々、下品デハアルガ、“吸収”ガ出来ヌトアラバ、久々ニコノ牙ヲ使ウヨリ他アルマイテ。モシヤスルト貴様の肉ハ、我ニ上級種並ミノ“力”ヲ与エテクレルカモ知レヌナ?」

 黒網蟲は、どこまで本気で言っているのか読み切れない口調でそう言うと、六本の長く鋭い腕を、一斉に振り上げた。

 

「サァ、我ガ贄トナレ、救世ノ者ォォ!!」

 

 

 

 

 

 

「ギィィィィ!!?」

 異形の叫び声が響いたのは、その六本の腕が大地に穴を穿ったのと、ほぼ同時だった。

 渾身の力を振り絞った一刀が、黒網蟲の方へと身体を横に回転させ様に、真改を黒網蟲の顔目掛けて突き出したのだ。

 

「キ、貴様ァァァ!!」

 刀身を目に突き刺されながら、ボタボタと黒い血が流れ出る顔を抑えてヨロヨロと後退(あとずさ)る黒網蟲に、一刀は精一杯の意地を込めて笑顔を返す。

「手負いの獲物を相手にベラベラと喋ってるからだろうが、クソ蜘蛛」

 

 

「コノ――人間風情ガァァァ!!」

 黒網蟲は、振り向くと同時に巨大な臀部を使って、一刀の身体を横薙ぎに打ち据えた。

「ガッ!グ――ゴハッ!!」

 何度となく地面に叩き付けられながら地を滑り、土煙を上げて身体が停止する。まだ意識が途切れていないのは奇跡だろう。

 

 だが――。

「ゴフッ――あ、やべ……」

 元々、怪しいと思っていた肋骨は、今や確実に三本以上は折れていると確信できる。受け身も取れずに地面を転がる間、変な方向に曲がっていた左腕と右脚は感覚がない。

 口に滲む血の味は、明らかに口腔内を切って出たものとは違う粘着性を帯びていた。十中八九は内臓だろう。

 

 額から流れ出た血が入ったからか、右目の視界は赤く染まっていて、それでなくても宵闇に包まれいる世界を、殆ど認識できなくなっている。

 一刀は、ワルサーを引き抜こうとホルスターを探って、直ぐに諦めた。指の骨が折れていて、指を掛ける事すら出来ないのが直ぐに分かったからだった。

 

 仕方がないので、掌底を支えにして、どうにか起き上がってみる。決して無事とは言えない左脚だけが支えではあるが、どうにか立っているという体裁だけは整えられそうだったので、黒網蟲に視線を向けた。

「ガァァ、フゥゥゥ、殺ス……殺シテヤルゾ貴様ァァァ」

 黒網蟲は、今度こそ道化の様な態度をかなぐり捨てると、唸る様な声で大顎を震わせる。

 

「ハッ、霊長類様を相手に上等だ。やってみろや、節足動物」

 一刀は、どこにそんな力が残っているのかと自分でも訝しく思いながら、狭まった視界で黒網蟲の動向に注意を集中を戻した。

 身体が、もう限界だと悲鳴を上げている。

 

 脳が、もう脳内麻薬も在庫切れだと苦悶に唸る。

 だが、心が。

 誓っただろう、とそれらを叱咤していた。

 折れる事を拒んでいた。

 

 何の為に、十五年もの歳月を費やして、力を蓄えたのか。

 決まっている。誓いを――必ず帰ると、きっとまた抱き締めてみせるという言葉と共に覗き込んだ、あの美しい瞳たちへの誓いを守る為だ。

 たかが人間サイズの蜘蛛如きに、あの温もりを奪われて堪るものか。

 

「約束したんだ――」

「死ネェェェェ!!」

 一刀は、凄まじい跳躍力で肉薄する黒網蟲の顔に向かって右手を叩き込む準備をする。

 例え指は動かなくとも、真改が穿った傷口に突き立てる位は出来る筈だ。

 

「守ると、誓ったんだぁぁぁ!!」

 遥かに長いリーチを誇る黒網蟲の爪が、一刀の右手よりも数瞬早くその眼球を抉らんとした刹那、そこに居た全ての存在の視界は、光に蹂躙され消滅した。

 

 

 

 

 

 

薄っすらと白み掛かった視界に、黒網蟲が弾き飛ばされ、地面を転がっていくのが見えた。何がそれを成したのか、と言えば、金色に輝く帯の様な物だ。

 金色の帯は、緩々と中空を舞っている様でいて、そのくせ、目で追えない程に早い様にも思える。そもそも、音が伝わる振動や時間の流れが定かであるかすら怪しい。

 

 金色の帯は、一刀を取り囲んでいた異形たちの身体に風穴を開けて蹴散らしながら、何度か一刀の周りを周回すると、不意に一刀の面前に来て、ピタリと静止した。

「り……龍?」

 そう、金色の帯と見えたのは、白と金の境目の様な色合いの光に包まれた、全長にして10mほどの小さな龍だった。龍は、知性を湛えた瞳で暫く一刀を見詰めると、おもむろに身体を(しな)らせ、一刀の腹部に頭から突っ込んだ。

 

「あ――」

 『死んだな、これ』一刀がそう思考した瞬間、光の奔流は最高潮に達し、宵闇の中央公園だけが、まるで日光を独りいじめにしてるかの様な光の渦に巻き込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グゥゥゥ、何ガ……!!?」

 黒網蟲の複眼は、納まり出した光の中心に立っている存在を捉えて、驚愕の色を浮かべた。

「ソンナ……筈ハ……貴様ハ、二度ト、ソノ姿ニハ……」

 全ての言葉を口から出す前に、黒網蟲は気付いた。“アイツ”ではないと。

 

 見える人影はただ一つ。“アイツ”が何らかの方法で援軍に来たのであれば、つい先ほどまで、だらしなく喘いでいた救世の者と、二つの影が見えなければ道理に合わない。

 ならば、答えは一つだけだ。

「莫迦ナ――“ヤツラ”ハ、新ニ作リ出シタト言ウノカ!!」

 

 痛みが消えていた。五体も満足の様だ。しかし――。

「何なんだ、これ……」

 一刀は自分の両手――黄金の甲冑で覆われた両手を、ためすがめつして見詰めてみる事しか出来なかった。と、視界に丸い光の輪が出現して右の前腕を指して止まるのと同時に、中空に『虎王甲 生成完了 調整確認』という文字が出現する。

 

「は?」

 理解の追い付かない一刀が、何気なく視線を左手に移すと、今度は一刀の視線を追いかける様に光の輪も移動して、『武王甲 生成完了 調整確認』という文字が浮かび上がる。

「これは――」

 一刀が顔に触れてみると、金属の硬質な感触が伝わってきた。

 

 推測するに、自分は拡張現実(AR)機能の付いたヘルメットの様な物を被っているらしい。

 してみると、この光の輪は照準(レティクル)機能なのだろう。そう思い至ったのと同時に、視界の真下辺りに人型のシルエットが浮かび上がり、その身体の各部位を指し示すラインの先に、目では追えない程の早さで文字を映し出されていく。

 

 

 

 どれもに『生成完了』やら『起動確認』という言葉が付いているところを鑑みるに、どうやらシステムチェックを行っているらしい。

 『初期設定 最終確認』

 『音声認識登録 要復唱』

 

「は?音声認識だぁ?」

 一刀が視界に映し出された文字にポカンと口を開けていると、獰猛な唸り声が聞こえたのと同時に、画面が赤い色の警告表示に染まる。

 レティクルが示す先を追うと、立ち上がった黒網蟲が、全身の毛を逆立てている所だった。

 

「やべ!?」

 一刀が飛び退こうとした瞬間、黒網蟲の全身から無数の毛が針となって放たれる。一刀が思わず両椀で顔を覆うと、一刀の身体を覆った甲冑から、数多の火花が上がった。

「ヒ、ヒヒャ!油断ヲスルナト言ッタロウガ!ヒャヒャヒャ……!!?」

 

 一刀の周辺の大地ごと穿った針の群れが舞い上げた土埃を眼前に、黒網蟲が上げた嘲笑の声はしかし、その中から現れた金色の姿に掻き消される。

「びっくりした……」

 一刀自身すら、その事実に驚愕する事しか出来ないでいると、視界に再び文字が躍る。

 

日緋色金(ヒヒイロカネ) 通常密度維持 損傷軽微』

「日緋色金……生きた金属だって……この鎧が?」

『初期設定 続行 音声認識 再開 要復唱』

「あぁ、もう!何でも良いから、早くしてくれ!」

 

 一刀は、黒網蟲がジリジリと後退しながら、右の腕の一本を掲げるのを見て独り言ちる。周囲の異形たちが、黒網蟲の腕の動きに呼応して臨戦態勢を取るのが見えていた。

『音声認識 言語入力形式 日本語 確認』

『合紋入力』 

 

『一、皇』

「すめらぎ?違う、“こう”か!」

振り下ろされた蜘蛛の腕に従って、異形たちが脚を引き絞る。

『二、龍』

 

 

「“りゅう”!」

『三、王』

「おう!――うぉ!!?」

 

 一刀は、全ての言葉を言い終えたのと同時に飛び掛かって来たマシラの顔に、反射的に右手を突き出す。と、と、ビシャ!!っと言う、巨大な水風船を割った様な音と共に、マシラの頭部が消滅して、周囲に肉片と黒い血をまき散らした。

その有様はまるで、極至近距離から散弾を浴びせられたかのようだ。

 

「マジかよ……」

 怖気づいたかの様に一斉に動きを止めた異形に囲まれた一刀が、頭部を失ったマシラの身体が解けていく様と自分の右の拳を交互に見詰めていると、視界に『音声認識 確認 了承 賢者之石 臨界輪転』という文字が現れて、緑色に点滅する。

 

 瞬間、一刀は、自分の腹部で輝く紅い石から、膨大な質量が身体全体に流れ込むのを感じた。同時に甲冑に覆われた全身の関節部から、金箔でも含まれているかの様な輝きを帯びた粒子が噴出する。

『余剰神気 放出完了』

『対魔性殲滅用兵装 全機構 起動最終確認』

 

『皇龍王 来迎現臨』

 その文字を最後に、視界が一瞬クリアになると、レティクルが目まぐるしく動き回り、ピップ音を伴って罵苦たちを認識していく。

『敵残存戦力 認識』

『蟲型中級罵苦、一』

 

『下級罵苦獣人型マシラ、十五』

『下級罵苦蟲人型アカスイ、十七』

『下級罵苦魚人型トラウト、五』

『計三十八』

 

「随分、殺った心算(つもり)だったが、まだそんなに居たのか。でもまぁ――」

 一刀は拳を握って、異形たちを睥睨する。

「もう、負ける気がしないね!」

 跳躍とともに蟲人型アカスイとARに呼称された巨大な蚤に肉薄して右手で横面を殴り付け、近くに居たトラウトの不気味な白い腹に、蹴りを入れる。

 

二匹は、打撃を受けた部分を消失させて、もんどりうちながら地面に倒れ込んだ。

「さぁ、じゃんじゃん行くぞ――ん?」

 一刀が、黒い血が付いた右腕を振るって腰を落とすと、視界に再び文字が躍った。

『武装起動推奨 続行許可要求』

「良いね!続けろ!」

 

 一刀が、マシラの爪を手甲で受け止め、その顎を肘で打ち上げながらそう言うと、視界に文字が続けさまに浮かび上がる。

『武装起動認証 虎王甲 神気収束開始 要音声認識』

『輝光拳』

 

「きこうけん!!」

『確認 起動』

 文字が消えるのと同時に右手に力の収束を感じた一刀が、襲い掛かって来たアカスイの前腕を右の手刀で払う――と、白い光が一刀の右前腕を包み込み、銃弾すら弾き返したアカスイの外骨格を、熱したナイフでバターでも切るかの様に易々と切り裂いた。

 

「おぉ、こりゃ凄ぇ!」

 一刀は、パチパチと火花を上げ続ける右手を眺めてから怪物の中に飛び込むと、小太刀を扱う要領で、その間をすり抜ける様に右手の手刀を振るう。

「ゲェ!!」

 

「ギッ!!」

「ゴゴァ!?」

 異形たちは奇声を上げながら成す術もなく輝く手刀に屠られ、両断された。それを見ていた黒網蟲が、口惜しそうに唸り声を上げると、一刀を囲んでいた中で、アカスイ達だけが一斉に距離を取る。

 

「ん?」

 一刀が、訝しそうに警戒を露わにするのと同時に、アカスイ達は一斉に後脚に力を籠め、空中高くに跳躍する。その距離たるや、30mは優に超えているであろう。

「ちっ!いくらデカい蚤ったって、跳び過ぎなんだよお前らは!」

 

『相対距離算出 武装起動推奨――』

「良いぞ、早く!」

 一刀が浮かんできた文字にそう答えると、すぐさま新たな文字が浮かび上がる。

『右掌 照準準備 要音声認証 天縛鎖』

「右手で狙えって事か?ままよ!――“天縛鎖”!!」

 一刀が、中空のアカスイに向かって右手を掲げて叫ぶと、手首の裏の辺りの装甲が僅かに開き、そこから、黄金に輝く鎖が射出されて、アカスイの胴を撃ち抜いた。

「おぉっとぉ!よし、これなら!!」

 

 一刀は、瞬時にアカスイを重しにしたまま、砲丸投げの要領で、身体をその場で回転させると、自分に向かって落下しようとしていたアカスイ達を纏めて薙ぎ払う。

「ソンナ……コンナ事ガ……!!」

 黒網蟲は、みるみる数を減らされていく配下と、白味を帯びた金色の鎧を纏うの魔人の姿を、茫然と眺めている事しか出来なかった。

 

 罵苦と言う生物としての本能は、魔人を自分達の天敵だと認識して『逃げろ』と悲鳴を上げている。だが黒網蟲に備わった知性は、今ここでおめおめと逃げ帰れば、魔人は更に大きな障害となり得るだけでなく、主たる蚩尤や檮杌の逆鱗に触れて、死よりも尚、恐ろしい責め苦を与えられるであろうと確信してもいた。

 

「最早、是非モナシ!!」

 黒網蟲の逡巡は、最後のマシラが輝く拳で撃ち抜かれ、泥となって地面に消えるのを見た瞬間に終わりを告げる。

 『必ず、ここで殺さなければ』と、結論を弾き出して。

 

 

 

 

 

 

「さて、残るは――」

 一刀が、右手の手甲に付いた泥の血糊を振り落として視線を遣ると、黒網蟲は、警戒の色も露わに姿勢を低く落とし、正に蜘蛛そのものの格好で、じりじりと横に移動する。

 一刀も、地に足の裏をしっかりと押し付け、黒網蟲の動きに合わせて、正対を崩さぬよう摺り足で動きを追う。と、暫くの重い沈黙の後、先に動いたのは黒網蟲だった。

 

 全身から針を撃ち出して一刀を牽制するや、不規則な動きで間合いを乱し、空中に跳ね上がると、一刀目掛けて、臀部から白い糸を放出する。

 一刀が天縛鎖でそれを中空で絡めとる事が出来たのは(ひとえ)に、蜘蛛という生物が何を最大の武器としているかを知り、(あらかじ)め警戒できるだけの心の余裕が出来ていたからに過ぎなかった。

 

 自然界に於ける蜘蛛の糸は、ナイロンの二倍の伸縮性と、同じ太さの鋼鉄の五倍の強度を誇り、約7mmほどの直径にまで編み上げる事が出来れば、理論上はジャンボジェットの機体を受け止める事すら可能であるとまで言われる超繊維である。

鎧を纏う前の段階であの糸を使われていたら、抵抗の手段など皆無だった筈だ。

 

「(とは言え――)」

 古の超金属の鎖と、自然界が生み出した超繊維の糸。着地した黒網蟲と一刀の間を繋ぐ視覚化した力の均衡は、完全に拮抗していた。

 であれば、長引けば長引くほど、いずれ戦闘経験で上を行く黒網蟲に均衡の天秤が揺れるのは自明の理だ。それならば、黒網蟲が黄金の鎧の力を推し量っている今の段階で、一気呵成に攻め切らねばならない。

 

 一刀にもそれは分かっていたが、皮肉な事に、一刀自身も、未だに自分を護る鎧の力を完全に理解しているとは言い難いのが実情なのだから。

「(何か無いのか。何か、もう一手……!!)」

 一刀が、顔を動かさずに視線を動かすと、レティクルが追従して動き回り、直ぐに点滅して、痘痕(あばた)の様に地面を穿たれている芝生の一点を自動拡大(オートフォーカス)する。

 

 そこには、黒網蟲が投げ捨てた一刀の井上真改が突き刺さっていた。 

『武器種 日本刀』

『強度 神気剣仕様規定値 適合』

『神気剣 使用推奨』

「上等――!!」

 

 一刀は均衡を保つ鎖を即座に切り離すと、黒網蟲が後ろによろめいた隙を突いて、真改の元へと駆け出した。黒網蟲が慌てて放った新たな糸は、まともな人間の挙動であれば、間違いなく動きを捉えていたであろう位置の地面を毟り取る。

 その時には既に、一刀は100m以上の距離を一瞬で跳躍し、真改を手にしていた。

 

『要音声認証』

「さあ、クソ蜘蛛。泥に帰る覚悟はいいか!」

『光刃剣』

(こう)(じん)(けん)!!」

 

 

 一刀の声に応えて、示現流の蜻蛉に構えた井上真改の(はばき)から刀身へと光が満ちていく。

 鎧の背部が展開し、肩甲骨に沿う様に二基の推進器(スラスター)生成されて、光輪を描いてエネルギーが収束を始める。

「ギィィィ!小癪ナァァ!!」

 

 黒網蟲が振り向き様に放った無数の針を受けて全身から火花を散らしながら、一刀は黒網蟲目掛けて推進力の全てを解き放った。

「雲燿の極み、その身で受けろ!チェストォォォ!!」

 人知を超えた黒網蟲の目にさえ、それは消失としか認識出来なかった。

 

 黄金の鎧武者が存在していた場所の地面に二つの穴が穿たれ、轟音を伴って存在が消失した、と。

 だが――。

「成敗」

 背後から聴こえた静かな声に振り返ろうとして、異形の蜘蛛は悟る。

 

 己の身体が袈裟に切り裂かれ、そこに打ち込まれた膨大なエネルギーが、自分を内側から破壊しようとしている事を。

「オノレ……オノレェェェ!!!」

 一刀は、爆発音と共の中に消えた異形の叫び声を背に、静かに血振りをした。

 

 

 

 

 

 

 パキン、と言う乾いた音を聴いたのは、その時だ。

 見ると、真改の刀身が中程から綺麗に折れて、芝生の上に落ちていた。

「ありがとうな。俺を守ってくれて」

 一刀はそう語りかけると、地面に落ちた刀身を優しく鞘の中に落とし込み、次いで、柄と刀身の下半分を納刀すると一つ息を吐き、及川の元へと駆け寄った。

 

「おい、大丈夫か及川!」

 一刀が及川の横に屈み込むと、視界のレティクルが忙しなく動き出す。

どうやら、及川の身体をスキャンしてくれているらしい。

「脈拍・呼吸正常。軽い打ち身に脳震盪――そうか。良かった」

 一刀は漸く安堵の息を吐くと、友人が抱きかかえたまま、先程の魚人の水鉄砲(と形容していいだろう)を受けて水浸しのなった豚革のアタッシュケースを取り上げて振り向く。と、視線の先50m程の場所に、中空で小さく光る“何か”が浮かんでいた。

「あぁ、長かった……」

 

 一刀は、その光がなんであるかを悟って、万感の想いを込めて新宿のくすんだ夜空に見上げると、そのまま歩き出し掛けて踵を返した。

「おい、起きろ。及川」

 その場にしゃがみ込んで旧友の名を呼び、肩を揺らす。何度かそれを繰り返すしていると、及川の瞼がゆっくりと開いた。

 

「おう、一刀か。おはよ――って、はぁ?」

 及川は、気の抜けた様な声を上げて黄金の鎧の人物を見遣ると、慌てて周囲を見回した。

「あれ、化け物が消えて――いや、いやいやいやいや。まさか、お前が?」

「まぁ、そうだ」

 

「もう訳わかんねぇよ……」

「それは俺もだが、もう時間が無いんだ。話を聞いてくれ」

「だから、何の――」

 

「頼む」

「分かったよ。ったく」

 及川が黙ると、一刀はアタッシュケースから黒革の飾り気のないキーケースを取り出して、及川に放った。

「事務所の本棚の裏に、金庫がある。そこに、お前宛てと家族宛て、二通の手紙が入ってるから、自分の分に目を通して、家族にはお前が渡してくれ。朝、事務所においてあったとでも言えば問題ないだろ。信じてらえるかどうか分からないが、説明出来る限りの事情は、そこに書いてある。扉の番号は、そのキーケースのポケットだ。帰りは、俺の車を使え」

 

「は?お前はどするんだよ」

「俺は――」

 一刀は、及川の問いに答えるのを躊躇う様に黙したまま立ち上がると、一つ息を吐き、顎で光を指し示す。

「俺には、行かなきゃいけない場所がある」

 

 

「――なんかもう、訳わかんな過ぎて頭痛くなってきた……で、いつ帰って来るんだ?」

「―――いや、もう帰らないし、お前と会うのも最後だろう」

「…………」

 一刀は、言葉を忘れた様に口を開けては閉めてを繰り返す及川の顔を、仮面の中で申し訳なさそうに見詰めてから、今度こそ踵を返した。

 

「じゃあ、な」

「あ―――」

 及川は、光に向かって歩いていく鎧姿の背中を、茫然と見詰めていた。何か、言わなければと思う。

 たった今、今生の別れを口にされたのだから、間違いないのだろう。

 

 だが、何を?

 ほんの短い時間に多くの事があり過ぎて、頭から煙が出そうだと言うのに、チャンドラーの小説の登場人物の様な気の利いた別れの台詞など出てくるものか。

 しかし、せめて。

 

 自分たちらしい、別れの挨拶くらいは。

「なぁ!!」

 まだ纏まりの付かない思考を遮って、口が動くと、鎧武者は立ち止まって、ゆっくりと振り返った。

 及川は、どうにか笑顔を作って、軽く手を上げる。

 

 彼と会った時、別れた時、学生時代から何百と繰り返してきたであろう仕草だった。

「またな、かずぴー!」

 そして、自然と口が動いた。

彼の反応を面白がって何百と口にして来た、揶揄い文句が。

 

「ばぁか。その名前で呼ぶなって、何時も何時も言ってるだろうが」

 そう言って自分と同じ様に手を上げた友人は、強くなった光に及川が目を瞑ってから開くまでの数秒の内に、影も残さず消失していた。

 及川は思う。

 

 あの仮面の中で、北郷一刀は笑っていてくれただろう。

青い空を思わせる朗らかな笑顔を、きっと自分に向けていてくれた筈だ、と。

 




 今回のお話は如何でしたか?
 今回もオリジナル版から倍ほどの文章量になっているのですが、戦闘シーンでは、一刀の心理描写以外の部分は出来るだけ単調に、状況を伝える事を優先した感じで書いてみました。
 初戦闘と言う事もあって、擬音などを使うのは極力避けてシリアスを目指したのですが、まだまだ理想に筆力が追い付かないという悲しみ……。
精進しますです。

 さて、今回のサブタイ元ネタは、仮面ライダー剣第一期ED

 覚醒/Ricky

 でした。
 特ファンには『カモシェキナ!』のフレーズでも有名です。
 RickyさんがライダーCIPSに加入するきっかけになった曲でもあり、今回の一刀の心情と歌詞もとてもマッチしていたので、迷わずチョイスさせて頂きました。
 興味が湧いた方は、YouTubeなどで是非、聴いてみて下さいね!

 では、またお会いしましょう!
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