真・恋姫†無双異聞 皇龍剣風譚     作:YTA

9 / 17
 どうも皆さま、YTAです。
 今回は、一刀が外史に帰還して初めての話だった事もあって、2010年当時も気合を入れて書いたらしく、ストーリーライン自体は結構纏まっていた感じだったので、革命の設定込みでの物語の微調整と文章表現のブラッシュアップ位で済んだ為、早めに投稿出来ました。
 楽しんで頂けたら幸いです。

 評価、お気に入り登録、感想など、大変に励みになりますので、お気軽に頂戴できれば嬉しいです。
 では、どうぞ!



第四話 星の欠片を探しに行こう

 

 

 

 

「解せぬ……」

 北郷一刀は、思わずそう呟いた。

 さもあらん。

 つい数十秒前まで悠々とフリーフォールを楽しんでいたのに、何故か今は四肢をガッチリと見えない力でホールドされており、“気を付け”の姿勢を取らされて足を下に向け、仰向けの体制のまま、対地ミサイルじみた角度で地面に向かって超高速で落下している最中ともあれば、文句の一つも出ようというものだ。

 

 一刀が冷静で居られるのは一重に、周囲を白い粒子が包んで彼を空気抵抗から守っている為、これが卑弥呼の仕業であると確信出来ているからに過ぎない。

 でなければ、不可視の棺桶に入れられた様な状態で猛スピードで落下しているなどと言う現実など、到底、受け入れられはしないだろう。

 

 なまじ、身体が自由でさえあればどうにでもなると言う自信があるだけ、その自由を奪われた時と言うのは恐ろしいものである。

 少なくとも、四度に渡る外史への転移の記憶を受け継いでいる一刀ではあるが、意識を保ったままで空中落下と言うのは初めての経験だ。

 

 逆に言えば、今まで意識が無かっただけで、今回の様な状態で外史に突入していたやも知れず、まぁ、そう考えれば――。

「いや、やっぱ怖いもんは怖いわぁぁぁぁ!!」

 ドップラー効果を伴った三十路男の悲痛な叫びは、誰に届く事も無く、排気ガスなどとは無縁の澄み渡った外史の空に掻き消えて行った……。

 

 

 

 

 

 

その部屋は、闇で満たされていた。

しかし、どう言う訳なのか、確かに明るく感じられ、視界は良好である。

してみると、生き物には闇だと感じられる光か、真実、明るい闇かのどちらかなのだろう。

部屋の中央には、滑らかに研磨された黒曜石で作られた椅子が、ポツンとあるばかりである。

建築物の定義で言うところの壁や天井に当たる部分は、呼吸をするように艶めかしく蠢いていた。

 

だと言うのに、生物としての息吹がまったく感じられないのは、やはり、生物の様でいて生物では無いからであろう。

饕餮(トウテツ)様、檮杌(トウコツ)様ヨリノ報セガ入リマシタ。転移陣ノ準備ハ、滞リナク整ッタトノ(ヨシ)

 

 独りでに開いた扉を抜けて椅子の前まで進み出た異形の影は、流れる様に(ひざまず)くと、深く(こうべ)を垂れたまま、黒曜の椅子に向かって、どこか片言を思わせる口調で語り掛ける。

 すると、黒曜の椅子が僅かに蠢いた。

 否、それは椅子が動いたのではない。

 

 椅子に腰かけた漆黒の影が、僅かに身じろぎをしたのである。

 “漆黒の”と言うのは比喩ではなく、その存在が纏っている鎧兜が、正に座している黒曜の椅子と見分けが付かぬ程の黒い輝きを纏っていたからだ。

「苦労」

 

 漆黒の男は感情のない声でそう応えると、ひじ掛けに肘を付いて首を傾げ、拳でそれを支える様にして、眼前に跪く存在を額当と面頬に挟まれた碧い眼で見下ろした。

「肯定者どもに気取(けど)られた様子は?」

「畏レナガラ、三年ノ時ヲ掛ケテ奴等ノ眼ヲ掠メ進メテ来タ大計、今ニナッテ、マサカソノ様ナ事ハ……」

 

「――つまらぬ」

「ハ?」

 異形の影は初めて頭を上げ、主を見上げた。

 その顔は、まごう事なき狼のそのものだ。

 

「捨て置け」

 漆黒の男――饕餮――は、虫でも払う様な仕草で緩々と手を振って、人狼の視線を(わずら)わしそうに受け流した。

「黒狼」

 

「ハッ」

「予定通り、二日でマシラを三万、編成しておけ。」

「御意ニ。デハ、“アカスイ”と“アンズー”ニ関シテハ、檮杌様ト窮奇(キュウキ)様ニ、如何ホド要請ヲ?」

「要らぬ」

 

「ハ?イ、イエ、シカシ……」

「要らぬと申した。此度は俺は出張らぬ故、奴等から兵を借りると後で面倒が増える。黒狼、軍勢はうぬが采配せよ」

「何ト申サレマス!?コレ程ノ大キナ戦ニ四凶タル饕餮様ガ御出馬アソバサレヌトアラバ、蚩尤様ヨリドレホドノ御叱リヲ(タマワ)ル事ニナルカ……!」

 

「蚩尤様からは、全て任せるとの御下命を賜ったのだ。俺に直接、出向いて指揮を執れとは、一言も仰せになってはおられぬ」

「ソレハ――」

「不満か?ならば、魔魅(まみ)を副官に付けて遣わす。うぬも八魔(はちま)に数えられる将であれば、功名は稼ぎたかろうが?」

 

「……我ガ双剣ハ、饕餮様ニ御捧ゲシタモノニ御座イマスレバ、我ガ功ハ饕餮様ノ功ト(オボ)()シ下サリマセ」

「忠勤、大義」

「ハッ。デハ、魔魅トノ打チ合ワセガ御座イリマスレバ、コレニテ御無礼(ツカマツ)リマスル」

 

「励め」

 饕餮は気の無い声でそう言ってから、立ち上がって一礼した後、即座に(きびす)を返して部屋を出て行く黒狼の背中が扉で遮られるまで視線を向けていたが、やがて再び肘を付いて拳を枕にすると、静かに目を閉じる。

「俺を殺せる者の居ない戦場(いくさば)になど、興味は無いわ」

 

 饕餮は、吐き捨てる様に呟いて、静かに寝息を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

「そうか、饕餮様がな」

 黒狼から経緯を聞いた魔魅は、黒い体毛で縁取られた目元に皺を寄せ、鋭い爪の付いた指でポリポリと顎の下を掻きながら考え込む素振りをみせる。

 二人は、(おびただ)しい数のマシラが誘導されるのを眺めながら、広大な広間の壁に寄りかかって話をしていた。

 

「ウム。永キ眠リヨリ目覚メテカラ初メテノ大戦デ、蚩尤様カラ直々ニ全権指揮ヲオ任セ頂イタト言ウノニ、饕餮様ノ気鬱ハ深クナラレルバカリダ――ナァ魔魅ヨ、貴公、饕餮様ノ気鬱ノ原因ニ心当タリハナイカ?」

「ふん。我が魔獣兵団の序列第二位のお主に分からぬ事が、儂に分かる訳があるまい」

「饕餮様ノ御信任厚キハ、貴公トテ同ジ事デアロウ。マッタク、ソノ立派ナ尻尾ハ飾リカ?」

 

 黒狼は鼻から溜め息を吐くと、先端に縦縞(たてじま)の入った、魔魅の身体と同じ程もある巨大な尻尾に眼を遣った。

 魔魅は、呪術戦闘に特化した狸の罵苦であり、黒狼と同じく、四凶がそれぞれの軍勢の中から八体ずつ選出する最精鋭、八魔の一員である。

 

「喧しいわ。尻尾は関係なかろうが」

 魔魅はそう言って、まるで黒狼が自分の尻尾を食おうとしているのを恐れるかの様に、自身の身体に抱え込んだ。

「しかし、そうさな。思い当たるとすれば、檮杌様の御進言で蚩尤様がお命じあそばされたと言う、“当世の救世の者”の抹殺任務ではないか?お口の端に登らせてこそおられなんだが、饕餮様は殊の外、救世の者との戦に想いを馳せておられたようであったし」

 

「フン、アノ蜘蛛メノ件カ」

 黒狼は侮蔑の感情を隠そうともせず、吐き捨てる様にそう言って黙り込んだ。

 魔蟲兵団の長、檮杌の八魔である黒網蟲は(いたずら)に獲物を弄ぶ事で知られており、自分の山気を隠そうともしない破落戸(ごろつき)の様な罵苦である。

 

 黒狼の性格上、最も相いれない類の存在であった。

「まぁ、ろくでもない奴ではあるが、肯定者どもの監視の目すら()い潜る隠形の冴えは見事なものよ。先の大戦の黄帝の様な力を与えられた後なら兎も角、未だ正史の人間のままであるならば、黒網蟲に掛かれば一堪りもあるまいな」

 

「檮杌様ノ嫌ガラセデアロウ。我ラノ主ガ救世ノ器ト戦イタイト熱望シテオラレタ事ハ、隠シ事デモ何デモ無イカラナ」

 饕餮と檮杌は黒狼たちが自我を確立した時には何故か既に犬猿の仲であったから、檮杌であれば、間違いなくそれ位の事はするであろうと想像は付く。

 

「やれやれ。炎熊(エンユウ)剛猩(ゴウショウ)たちが目覚めてくれておれば、今少し楽が出来るのだがな」

「居ナイ者ヲ当テニシテモ仕方アルマイ。ソレニ、眠ッテイルダケナラ、マダマシヨ。我ラヨリ遥カニ古参ノ金獅子(キンジシ)殿ナドハ、今ヤ修復槽ニ浮ブダケノ生キタ屍ニナッテシマッタシナ」

 

「まぁ、な。いずれにせよ、今の我らに出来るのは、饕餮様に勝利をお捧げする事のみか」

「アァ、ソノ通リダ」

 二人は、お互いに愚痴の落としどころを見つけて頷き合うと、眼前を行き交うマシラ達に視線を投げるのだった。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 巴郡を流れる長江から遠く漢水へと入り込む支流の一つにほど近い蜀の出城、その城壁の上で、亜麻色の髪を一本の太い三つ編みに結った少女が、肩から垂らしたそれを両手で弄り回しながら深い溜め息を吐いていた。

 

 彼女の名は費禕(ひい)、字は文偉(ぶんい)、真名を聳孤(しょうこ)と言った。

 彼女は、伏龍鳳雛とその名も高き諸葛亮朱里と龐統雛里の二人が見出して直弟子として育てている若手官吏の内の一人である。

 魏・呉・蜀からなる三国同盟の盟主であり、蜀の将達にとっては劉備こと桃香と並んで直接の主でもある“天の御遣い”北郷一刀が天に修行に帰ってから(聳孤たちはそう聞かされていた)、彼が三国の王たちに(もたら)したとされる予言の通り、大陸の各地で異形の怪物たちが目撃され、人を襲うと言う事件が頻発する様になった。

 

 事ここに至り、三国の王達はある決断を下す。

 今まで北郷一刀の住んでいた都に集まり、共同でその統治を行っていた王とその重臣達がそれぞれの国表に戻って各国の民の人心の安寧を維持し、今まで国表に勤めていた若手の武官、文官達に都の運営を任せる事にしたのである。

 いまだ未熟な(と、自分では思っている)聳孤にも、この政策は現状において、最も適切である事は理解出来た。

 まず何よりも、怪物の脅威に晒された各国の民草にとって、戦国乱世の間に自分達の生活を護ってくれていた王と、それを支えた英傑達の不在は、大きな心理的不安を齎すからである。

 

 これは、実際の若手の武官の実力や官吏たちの(まつりごと)の良し悪しの問題では無い。

 例えば、“蜀の軍神”と称えられる美髪公こと関雲長に護衛してもらうのと、名も知らぬ青年将校十人に護衛してもらうのとではどちらが安心と感じるか、と考えればよく分かる。

 要は、理屈ではなく人情の問題なのである。

 

 荊州の中心、即ち中原の中心に位置する北郷一刀の都は、三国中からやって来た人々で溢れる新興の都会である為、現段階に於いては良くも悪くも歴史観や土地への愛着が浅い人々が大多数であり、『最悪、故郷へ帰ればいい』と言う心理が働いている為か比較的、落ち着いていたが、各国の首都はそうは行かないのだ。

 

 政を人情のみで語るなど言語道断だが、人情を排した政など話にもならない。

 『国は人によって成り立っているのであり、国があるから人が成り立っているのでは無い』

 それは、師である諸葛亮孔明と龐統士元が一番最初に弟子達に教えた言葉であり、弟子達が師の元を巣立つ時に送った言葉でもあった。

 

 人心を疎かにすれば、それはやがて退廃思想に繋がり、一度(ひとたび)、秩序の(たが)が外れれば、国は容易に滅んでしまう。

 第二に、怪物たちの出現地域が中原中に広がっていると言う問題だ。

 怪物たちの数こそ大規模ではなかったものの、三国それぞれの領土に広範囲に渡って出没していた。

 訓練された兵士ならば十分対抗しうる、“下級種”と呼ばれるモノ達ばかりではあったが、“異形”で、しかも、“人を生きたまま貪り食う”という存在である以上、民に与える恐怖は、そこいらの山賊や野盗団の比では無い。

 

 迅速に鎮圧しなければ、瞬く間に人の流れが滞り、経済が衰退し、命知らずの無法者が街道を荒らし回るようになる、という負の連鎖が起きてしまう。

 それを解決する為には、一騎当千の武将達は元より、戦慣れしており、尚且(なおか)つ、命懸けの極限状態で国中を駆け回っていた優秀な下士官や熟練の兵士達の経験と土地勘が、どうしても必要だったのである。

 

 しかしだからと言って、三国同盟の盟主の都の民を蔑ろにしては後事に障るので、三国それぞれの幕僚達の中から将軍二名、軍師一名を選出し、一年交代で都の防衛に当たらせる事になった。

 三順目の今年は、蜀漢からは関羽将軍と厳顔将軍、右丞相の諸葛亮が都に出向いている。

 内政の司る右丞相の出向には、今までに直面した事の無い非常時と言う事もあり、選出の際に随分と反対意見が出たのだが、普段は人の意見を取り入れる事を厭わない師が、この時は頑として反対する者達の意見を聞き入れなかった。

 

「私は、この国の内政の全権をお預かりするにあたって、御主君、玄徳様とご家中の皆々様、そして蜀の民に対し、一度口にした約束は必ず履行する事を誓約と致しました。私は蜀の重臣たちのみならず、三国の王侯の前で、“都の運営と防衛は公平に選出した幕僚によって交代制で行うべき”と、献策いたしました。これを覆すのは、私の献策を受け入れて下さった皆様に対する背信に等しいと私は考えます。ですから、例え皆様が私の都への参勤を免除下さると仰って下さいましても、私自身がそれを赦せません。何としてでも、と仰せならば、御主君とご家中の皆様への誓約の不履行と言う罪に対し、罰を賜りとう存じます。つきましては、玄徳様の御名を持ちまして、右丞相の職をお取り上げの上、蟄居謹慎をお命じ下さりませ」

 

 小柄な五体に知将の覇気を滾らせた偉大な師は、幕僚達のみならず、居並ぶ百にも近い家臣一同を前に、僅かも言い淀む事無く一息にそう言切ると、深々と頭を下げたのである。

 それで、話は終わりだった。

 今日(こんにち)に至るまで、国の為、民の為に、文字の通りに寝る間を惜しみ、身を粉にして働いてきた大軍師が、己の矜持に関わるとまで言って通そうとする事に面と向かって異を差し挟める者など、その場には居なかったのだ。

 

 その当時、常に師の近くに控えて実務の基礎を教えてもらっていた聳孤は、師のその清廉な頑固さを、小さな胸がはち切れんばかりに誇らしく感じたものだった。

 後になって考えて見れば、主君である劉備こと桃香様や他の賛成派の諸将たちと示し合わせて、反対派の家臣たちを抑える為に一芝居打ったと言う可能性も思い浮かびはしたが、一方で師の言葉は、決してこけ脅しなどでは無かっただろう、とも思う。

 

 きっと、あの場にそれぞれ控えていた他の弟子たちも、自分と同じ様に誇らしかったに違いない、とも。

 そんな事があって、聳孤が師に従って都に上洛したのは、今から半年程前の事である。

 都では、魏から、覇王の両腕と謳われる夏候惇、夏侯淵の両大将軍と筆頭軍師の荀彧尚書令が、呉からは先代君主の孫策王と、水軍大将の甘寧将軍、美周郎の誉れも高い周瑜大都督がそれぞれ集うと言う、何とも豪華な顔合わせが行われ、僅かに気まずそうな表情の師に対して、一同の浮かべた優し気な微苦笑が、聳孤にとって印象深い、最初の思い出となった。

 

 同盟国の要人同士の親密な外交の場など、頭の中で想像する事し出来なかった当時の聳孤には理解の外であったが、最初に上洛する予定を組んで発表した蜀の面子が、官吏の最高位たる右丞相、五虎大将筆頭にして大将軍、百戦錬磨の熟練の勇将と余りに贅沢であった為に、他の二つの国が官位や実力が釣り合う人選をしてきた訳なのだが、実は主の桃香様が魏王曹操様と呉王孫権様に送った私信にて、重臣たちの居並ぶ中で師が切った見事な啖呵を報告していたしく、一同もそれを知らされていた為、『やってくれたな』と言う親愛を込めた皮肉が、あの微苦笑の正体と言う訳であったらしい。

 

 それからの半年間は、聳孤にとっては嵐の様に目まぐるしく過ぎて行った。

 師に『私の秘蔵っ子なんですよ』と紹介されるや、それならばと一同から真名を許され、顔を合わせる度に世間話をしてもらう内、勉学の手解きをしてもらったり、お茶に誘ってもらうようになったりした。

 それが余りに楽しく嬉しかったので、一日々々があっと言う間に過ぎて行ってしまったのである。

 

 そんな日々の中で聳孤が最も不思議で興味深かったのは、自身はまだ一度しか会った事がない、もう一人の主である北郷一刀に対する、各国の重臣達の話だった。

 聳孤にとって、一度しか会った事のない主の印象は“優しいお兄さん”である。

 (もっと)も、主の方は、自分の事など覚えてもいないかも知れないが 。

 ひょんなことから、師である諸葛亮に才能を見いだされて預けられる事になった聳孤が、主に初めて会ったのは、ちょうど主が天に帰る一月ほど前だった、と記憶している。

 例年になかった猛暑がようやく収まってきた頃だったから、多分間違い無い。

 

 師に預けられたその日に『まずはご主人様に御挨拶にいかなきゃね』と言われて、心臓が口から飛び出すのではないかと言う位に緊張しながら、とても広い城の廊下を、師に手を引かれて執務室に向かった時の事を、聳孤は昨日の事の様に思い出せた。

 折しも、もう一人の主である桃香様が成都にお戻りになっていたので、とりあえず先に主との謁見を済ませる事になったのである。

 

 部屋で拝謁するなり、緊張が極まって挨拶も出来ずに泣きじゃくってしまった幼い聳孤を優しくあやしてくれた声。

 どうにか真名を預ける所までは出来たものの、それでも嗚咽が収まらない自分の鼻水と涙で汚れた手を優しく包んでくれた、掌の温もり。

 『家臣になるより先に友達になってよ、ショウコちゃん』と、今まで呼ばれた事の無い不思議と魅力的な抑揚で自分の真名を呼び、手巾で涙を拭ってくれた時の、晴れ渡った蒼天を思わせる朗らかな微笑み。

 だからいつか、と己に誓った。

 いつか主がお戻りになられたら、その時は必ず、正式に臣下の礼を、と。

 

 そんな思いがあったからだろうか。

 聳孤は機会があれば、必ず各国の重臣達に北郷一刀との思い出を話してくれとせがんだ。

 しかし、話を聞けば聞くほど、この三年の間、常に心の中で主と仰いできた人物の実像が朧げになっていくのには、(いささ)か辟易とした。

 

 曰く『腕はからきしだが頭は切れる』だとか、また別人の曰く『いつも助平な事しか考えてない変態』、だとか、またまた別人の曰く『とっても佳い男♪』だとか。

 尚も困った事に、同じ人物の口からですら、全く異なった印象を抱かざるを得ない様な話が幾つも飛び出して来るので、人相見の大家と伝え聞く許子将ならぬ聳孤は、ますますの混乱を催してしまった。

 

 まぁ、一同、手厳しい人物評を奏する時であっても楽しそうに話してくれたので、きっと心底嫌っていたりはしないのだろうと思えた。

 いや、是非ともそう信じたい。

 しかしやはり、一番印象的だったのは、師である諸葛亮朱里の言葉であろう。

 

 都行きを決めた直後、仕事引き継ぎを終えて休憩をしていた時、聳孤はふと思い立って、師に尋ねてみた事があった。

「ねぇ、朱里師父(しーふ)。もしも北郷様が『行くな』と仰られたら、師父はどうなさいましたか?」

“自分はまだ、北郷一刀の正式な臣下では無い”、そう言う思いがあったから、聳孤はまだ『主』を表す言葉で北郷一刀を呼んだ事は無い。

 

「ぶっ!!はわわ、どうしたの?聳孤ちゃん、突然そんな事」

 師は、愛用の羽扇で口元を覆い、変なところに入ってしまったお茶で咳き込みながら言った。

「いえ、すみません!その、少し気になっただけですから……」

 慌てて師の背中を擦りながら言い訳をすると、師は『もう大丈夫』と片手で優しく聳孤を制し、呼吸を整えてから、「それは、公人としてではなく、個人的に、と言う事?」と聳孤に尋ねた。

 

「は、はい!」

 師は、聳孤の漠然とした質問からその真意を読み取って微笑むと、「そうね……」と言って、中空に視線を彷徨わせる。

「もしも、ご主人様が、私を優しく抱きしめて『行くな』と言って下さったら――」

「師父、何もそこまでは!」

 

「はわわ!?ゴホン!ごめんなさい、つい……でも、聳孤ちゃんが訊きたいは、そう言う事なんでしょう?」

「えぇと、はい……」

 師は、頬を染めて俯く聳孤を優しく見つめながら、言葉を続けた。

「そうね、もし御主人様にそう囁いて頂けたら、行かなかったかも知れないわね。それが例え、私が私でなくなる、と言う事であったとしても」

 

「そうですか……」

 ある意味、自分の中で望んでいた答えであった筈なのに、聳孤は何だかとても悲しい気持ちになったのだが、師は尚も優しく微笑んで、言葉を継いだ。

「でも、ご主人様なら、そんな事は絶対に仰らないわね」

 

「え?」

「きっと、『行っておいで』と仰るわ。あの方は、“そういう人”だから」

 複雑な顔をしている聳孤の頭をゆっくり撫でながら、師は自信に満ちた声でそう言ったものだった。

『いつか私も、あの様な優しい顔で主との思い出を後進の者達に語ってやれる時がくるのだろうか?』そんな事を思いながら日々を過ごす内、いつしか聳孤にも正式に蜀の臣下として官位が与えられ、毎日が更に忙しくなった。

 そして今から一週間前、聳孤の溜め息の原因となる事態が、降って湧いた様に訪れたのである。

 

 

 

 

 

                    辞令

 

                   費禕文偉 殿

 

          この辞令の発行を以て、貴殿に益州東部巴郡の出城におい

          て蜀漢軍将軍 呂奉先、並びに軍師 陳公台以下、呂将軍

          麾下(きか)の精鋭伍千と共に、巴郡の遊撃防衛任務を命ず。

          役職は総指揮官とし、周辺地域の治安の維持と将兵の規律、

          士気の堅持に尽力されたし。

          尚、任務の詳細は転任先にて呂将軍、陳軍師と取り決めの事。

 

                                   漢中王 劉備玄徳

 

                                   右丞相 諸葛亮孔明

 

                                   左丞相 龐統士元

 

                                   大将軍 関羽雲長

 

「師父!!これは、ど、ど、ど、ど、どう言う事ですか!?」

 師は、狼狽して執務室に飛び込んできた聳孤の大声にも動ぜず、読んでいた書簡からゆっくりと顔を上げた。

「あら、聳孤ちゃん。思ったより早かったのね?」

 表情と台詞から察するに、やはり、聳孤の行動などお見通しだったようだ。

 

「私が恋様やねね様の上官だなんて!そんなの、無茶です無理です不可能です!!」

 師は、事務机に前のめりになって捲し立てる聳孤を、両手で『まぁまぁ』と制して言った。

「でもね、聳孤ちゃん。多少の無茶なんて効くものだし、この世には覆せない(ことわり)なんかそうあるものじゃないし、不可能を可能にする事こそが軍師の仕事でしょう?」

 自分の単語のみで構成された言い訳すら完膚なきまでに粉砕され、聳孤は『うぅ……』と唸るしかなくなってしまった。

 こういう時の師は、本当に容赦が無いのだ。

 

「それにね、私や雛里ちゃんが初めてご主人様と桃香様の軍列に加えて頂いたのも、今のあなたと大して変わらない年頃だったのよ?」

 師は、聳孤の肩に手を置き、宥める様に言った。

「ここ最近、巴郡近辺で罵苦の目撃と被害の報告が相次いでいるの。巴郡は我が蜀にとって、貴重な穀倉地帯よ。対応が遅れてこの地域の民の反感を買う事は、何としても避けないと。ましてや、万が一にも罵苦に乗っ取られでもしたら、風評ばかりか、国庫に重大な損害を及ぼす事になる」

 

「で、あればこそ――!」

 師は、聳孤の口を人差し指で押さえで黙らせると、話を続けた。

「本来なら、元々あの地域を治めていた桔梗さんに行って貰いたいけれど、そういう訳にはいかないの。分かるでしょう?」

 聳孤は渋々と頷く。

 

 桔梗様は、任務で都を留守にしている愛紗様の代わりに都に駐留しなければならない。

「軍師にしたって、本来は兵站の調達と管理を得意とするねねちゃんの補佐としては、軍略を得意とする雛里ちゃんか詠さんが適任よ。でも、二人に頼めない理由も、聳孤ちゃんになら分かっているわよね?」

 分かる。

 雛里師父は、朱里師父に次ぐ左丞相。

 蜀軍本隊と、本国を離れている朱里師父の穴を埋める為に成都を留守にする訳にはいかないし、詠様はねね様との相性が悪過ぎる。

 本当はお互い大好きで喧嘩するのだろうけど。

 本心ではどう思っていようと、出城で朝から晩まで顔を突き合わせていれば、売り言葉に買い言葉の詰まらない(いさか)いが、致命的な亀裂に繋がる可能性は、否定できない。

 

 そこを敵に突かれる事にでもなれば、いかに恋様が飛将軍と謳われる程の武をお持ちでも、万が一の事態は十分起こり得る。

 他に頼りになりそうな方々と言えば、袁家の田豊こと真直さんか盧植こと風鈴先生だが、真直さんは蜀の大命題とも言える開墾事業の責任者だし、風鈴先生は、独りで内政と軍政を引き受けている雛里師父の補佐として欠かせないだろう。

 

 今は師の元を巣立った兄弟弟子達も、蜀の各地に散ってそれぞれの任務をこなしている筈である以上、蜀の官位を得ているとは言っても、事実上は師の政務の補佐を行っているだけの自分しか、“軍師”として体の空いている者は居ないのである。

「大丈夫よ。雛里ちゃんだって貴女の用兵には太鼓判を押していたし、内政や人心掌握の手腕に関しても、私が保証します。それに、あなたはこの半年、各国の名将の方々から教えを授けて頂いていたじゃないの」

「でも、私はまだ、初陣も済ませていない若輩です……」

 

 師は、自信なさげ俯く聳孤の顔を両手で包んで優しく持ち上げて視線を自分に向けさせると、にっこりと優しく微笑んだ。

「誰だって、“最初は初めて”よ。そうでしょう?」

 そう言われて、腹を括った――筈だった。

 

 最初は良かったのだ。

 気を張っていた事もあり、出城で恋様の部隊と合流してすぐに行われた大方針を決定する軍議でも、上手くやれたと思う。

 まず、情報収集が得意な者を五百を選出し、二人一組で巴郡全域に斥候として放って情報を集め、副官の高順様と、八健将と謳われた呂布隊生え抜きの小隊長を含めた残りの四千五百を二つの部隊に分ける。

 

 そしてそれを恋様と高順様がそれぞれに指揮し、恋様にはねね様が、高順様には自分がついて、二交代で各地域への巡回と城に詰めての警戒任務を持ち回る。

 もしも民や放っていた斥候からの報告、元々駐留中の警備部隊からの応援要請があった場合、敵の規模を計算して部隊を派遣し、予想よりも敵が多かった場合は決して無理をせず、速やかに援軍を要請した後、防戦に徹する。

 

 そもそも、巴郡にも本来、統治を任されている代官や城代たちはおり、駐留する正規の警備部隊が居る以上、呂布隊は遊撃を主とした助っ人部隊であるから、大方針としてはこれが最善とは行かぬまでも、上策だろう。

 そこまで決めて、一日の大休止を取った後、呂布隊は予定通りに任務を開始した。

 一緒に組む事になった高順様はとても実直かつ誠実な人物で、小隊長の面々も親しみやすい人達ばかりだったので、聳孤もすぐに打ち解け、緊張の日々は大した問題も無く、順調に過ぎて行った。

 いや、順調過ぎたのだと思う。

 不謹慎ではあるが、何だか生殺しにされて居る様な、真綿で首を絞められている様な気持ちになり、城壁の上で(くだん)の辞令を眺めながら鬱々としているところを、巡回出立の報告に来た恋様に見つかってしまったのである。

 

「聳孤、大丈夫。聳孤も、みんなも、恋が守るから」

 恋様はそう言うと、自分の頭を、仔犬にでもするようにクシャクシャと力強く撫でてくれた。

「はぁぁぁぁ……」

 聳孤は再び深い溜め息を吐いて、じき見られなくなるであろう、真っ白な夏の雲を眺めた。

 

 恋様の心遣いは身に染みて嬉しかったが、心中の不安を、名目上の事とは言え指揮下の将に悟られるようでは、指揮官としても軍師としても失格である。

 気心の知れた恋様だから良かったようなものの、新兵にでも見られていたら(尤も、主の近衛を兼ねている最精鋭の呂布隊には、新兵など殆ど居なかったが)信頼を失いかねないばかりか、良くない噂が隊内に蔓延しないとも限らないのだ。

 

 “一事が万事”とは、そう言う事である。

 あの穏やかな性格のお二人の師だって、『はわわ』とか『あわわ』とか言って慌てる事はあっても、すぐに迅速且つ正確な指示を出し、決して心中の不安をいたずらに表情に出したりはしない。

「いよっし!!」

 

 聳孤は勢い良く立ち上がり、気合を入れ直す為に両手で自分の頬を張った。

「いったぁ~い!うぅ、強くやり過ぎたぁ~」

 と、今度は涙目で頬を擦っていると、後ろから大きなドラ声が聞こえた。

「おお、此処におられましたか、軍師殿!」

 

 この声は、呂布隊の副官である、高順様だ。

 聳孤は急いで服の裾で滲んだ涙を拭うと、笑顔を浮かべて振り返った。

誠心(せいしん)様、何か御用ですか?」

「軍師殿、その“様”はおやめくだされ。軍師殿は若年とは申せ、この出城の指揮官です。たかだか副官風情に、“様”付けなどする事はありませぬぞ?呼び捨てで良いのです」

 

「いえそんな!誠心様は、洛陽の都で中郎将にまで登った御方で、御歳も遥かに上であらせられます。真名をお許し頂いだけでも畏れ多い事ですし、私は、いざ戦となったら皆さんに守ってもらうしかない若輩ですから」

 その言葉を聞いた高順こと誠心は、立派な虎髭で覆われた顎をモシャモシャと掻きながら、嬉しそうに笑った。

 

「はっはっは!軍師殿は、御大将や恋様と同じ様な事を申される!」

「え?」

「いや、お二人共、言葉遣いは軍師殿ほど丁寧では無いが」

 誠心が言う『御大将』とは北郷一刀を指し、王位にある桃香様の事は陛下と呼び分けている。

 

 誠心は聳孤の隣に並ぶと、先程、聳孤がそうしていた様に、蒼天に浮かぶ雲を眺めて少し遠い眼をしながら、口を開いた。

「恋様は、彼の虎狼関での戦の前、私達全員に真名を預けて下されたのです。『一緒に背中を預けて負け戦をするのだから、もう他人ではない』と仰って」

 

 女が男に真名を預ける、それがどれだけの事か。

 良く考えてみれば、恋様に仕えている古参の兵士達は、皆、恋様を真名で呼んでいた事に今更になって気付く。

 出会った頃からそれが当たり前だった為、なんの不思議にも思った事はなかったが、その経緯(いきさつ)は初めて聞いた。

 

「我らが参陣した初めての戦が終わった時、御大将も酒を注ぎに来て下さった折り、私らに丁寧に礼を言って下された。本来なら使い潰されても文句は言えぬ降将兵に、御大将自らに酌をして下さるだけでも、身に余る光栄でありますのになぁ」

 それだけではない。

 

 安全面から考えても、大いに危険が伴う行為だ。

 きっと、二人の師だけでなく、殆ど全ての幕僚たちが止めに入っていた筈である。

 だが、それでも主は、酒瓶を抱えて、少し前まで自分の命を狙っていた屈強な男たちの中に入って行ったのだ。

 

 恐らくきっと、あの人懐こい微笑みを浮かべて。

 聳孤は、相槌も打たずに誠心の話に耳を傾ける。

 今までの聳孤の立場では、男性の口から主の話を聞く機会は滅多に無かったからだ。

 聳孤のそんな心情を知ってか知らずか、誠心は偉容を誇る入道雲を眩しそうに見つめ、問わず語りに話し出した。

 

「ご存じの通り、私は生来の下戸でしてな。一滴でも喉を通ればもういかぬ。一呼吸もせぬ内に目を回して、醜態を晒してしまうのです。それ故、誠に心苦しかったのですが、丁重に杯をお断りしたのですよ。まぁ正直なところ、嫌なお顔をされる事を覚悟の上でした。初めてではありませんでしたから。しかし――」

 誠心はそこで言葉を止め、聳孤に向かって楽しそうに微笑んだ。

 

「あの御方は、『少し待っていてくれ』と言い残して、何処かへ走って行ってしまわれて……まさか、首刎ね役でも連れて来るのかと冗談半分に部下たちと笑っておりましたら、暫くしてから何やら瓶子(へいし)を抱えて、息を切らせてお戻りになられ、何が何やら分からぬ私の前に杯を置き、『これなら大丈夫』と中身を注いで下さったのです。『蜂蜜を水で溶いたものだよ』と仰られて……面食らいましたなぁ」

 

 聳孤は、まるで初めての恋人の自慢話でもするかの様に白い歯を見せる誠心に釣られて、笑みを零した。

「そうか。だから酒宴の時にはいつも、誠心様の前には蜂蜜水の瓶子が置かれる様になったんですね?」

「左様にこざる。『色付きの飲み物の入った瓶子が置いてあれば、差し当たり呑兵衛たちも煩くは言うまい』と、御大将が仰って。それで、酌をして下さりながら、こちらが恐縮してしまう程、何度も丁寧に礼を述べて下さるのです。『守ってくれてありがとう』、『助けてくれてありがとう』と」

 

 誠心は、目の前に北郷一刀が居て、今まさに礼を言われているかのように、照れ臭げに頭を掻いた。

「私は、この通りの武骨者でござれば、思わずこう言ってしまいました。『一軍の大将たる者が、たかが部将風情に軽々しく頭など下げてはなりませぬ。ましてや我らは降将兵なのですよ』と。すると、あの方はこう仰られた――」

 壮年の逞しい勇将は、少年の様に目を輝かせながら、(いさおし)を戴いたかの様に誇らし気に、ぐいと胸を張った。

 

「『教えてくれてどうもありがとう。でも、やっぱり自分を助けてくれた人にはきちんと礼が言いたいから、俺はこれで良いんだ』と」

 聳孤には、誠心の誇らしく思う気持ちが理解できる気がした。

 誰かを主と定めて仕えるという道を選んだ人間にとって、その主を天下に誇れるのは、どのような勲にもまして果報な事なのだと。

 

 同時に、今まで幾重にも重なって朧気だった北郷一刀と言う人物の印象が、自分の中で焦点を得てぴたりと合うのを感じ取れた。

「私が酔い潰れたのは、あの日の夜が人生で二度目の事でございました」

「へ?結局、お酒をお召しになったんですか?」

 

「いやいや、そうではなく――初めて酔ったのは、恋様の……飛将軍・呂布奉先の武を、この目にした時にございます。そしてあの夜、私は北郷一刀と言う御仁のお人柄に、足腰立たぬほど酔わされてしもうた。“男惚(おとこぼ)れ”、と言うやつだったのでしょうな。この方の為に死のう、と、心からそう思えたのですよ。しかしまぁ、あの恋様まで酔い潰してしまわれるとは思いませなんだが!」

 聳孤は、豪快な誠心の笑い声に釣られて、思わず自分も声を出して笑ってしまっている事に気が付いた。

 

 不思議と、先程までの憂鬱の虫は、何処かへ引っ込んでしまったようだった。

「北郷様は、この空の向こうで何をしておいでなのでしょう?」

 晩夏の空を眺め、聳孤はそう呟いた。

 誠心の熱が移ったのだろうか。

 

 聳孤は今、痛切に北郷一刀に会いたくて仕方が無かった。

「さて」

 誠心も同じ様にして空を仰ぐと、虎髭に覆われた顎を撫でて茶目っ気のある笑顔を見せる。

「あの、どこか底の知れぬ御方の事。もしやしたら、今こうしている瞬間にも此方(こちら)にお帰りあそばす準備の真っ最中やも――」

 

 『知れませぬ』誠心がそう言葉を締めようとした刹那、蒼穹の空を貫く矢の様な白い流星が、地平の彼方へではなく、山の向こうに消える事なく落ちて行った。

 二人は一瞬、顔を見合わせると、同時に太陽のある方向に顔を向ける。

 夏の残滓を残した日輪は、今や“流星の落ちたのと反対の方角”へと、すっかり傾ていた。

 

『天よりの御使い、乱れし世鎮めんが為、白き流星に乗りて東方の空より来たらん』

 

「―――っ、誠心様!!」

 嘗て、管輅なる占い師が齎した予言が脳内を掛け巡って硬直していた聳孤の脳は、(ようや)く送り込まれた酸素で息を吹き返し、半ば悲鳴の様な声で隣で茫然と立ち尽くす勇将の名を呼んだ。

 それを聞いた誠心も、はたと我に返るや、大きな武者震いを一つすると、戦場で鍛えた大音声(だいおんじょう)を張り上げる。

 

臧覇(ぞうは)成廉(せいれん)、疾く騎兵十を編成し、俺と軍師殿の供をせい!!」

 聳孤は、その声を聞きながら、我知らず、流星が落ちて行った山の向こうに祈りを捧げる様に、きつく両の手を組み合わせていた。

 

 

 

 

 

 

「ここで、野宿する」

 突然に馬の手綱を絞って馬脚を止めて、呟くようにそう言った主の顔を、陳宮こと音々音は驚いて見つめた。

 一度小休止を入れた事もあり、呂布こと恋の配下の将兵と馬達は、完全に日が落ちるまでにあと四十里は余裕で走れる筈である。

 

「なんですと――!?恋殿、まだ城から山を二つ程しか越えておりませんぞ?」

 音々音は、さっさと馬から降りてしまった恋を追って、ホットパンツから惜しげもなく露わにしている白い脚を揃えて馬から降りると、軽快な足取りで恋に近づき、怪訝な顔で己の主を見つめた。

 その目線は、もう恋のそれと殆ど変わらない。

 

「うん……でも……」

 恋はそう言って、深く俯いていた顔を音々音に向けると、確信に満ちた眼で続けた。

「恋は……ここに居なくちゃいけない気が……する」

「うぅ~、分かったのです。恋殿がそう仰るのであれば、それが良いのかも知れないのですよ……」

 後ろに控えた小隊長たちも、一瞬だけ苦笑いを浮かべて、各々の部下達にてきぱきと野営の指示を出し始めた。

 

 恋がこう言う顔をして話す時の言葉は不思議と的中するのを、誰もが知っていたのである。

 音々音は、腰まで伸びた美しい翡翠色の髪を先端で止めている赤い珠付きの髪留めを弄りながら、何かを恐れる様な口調で、主に尋ねた。

「あの、恋殿?その“気”は良い感じなのですか?それとも――」

 

 音々音は、何の根拠もない主の勘を恐れる自分を軍師として自己嫌悪しながらも、その精度がそこいらの易者などより余程、確かなの事を知っているが故に、尋ねずにはいられなかったのである。

 例え目に見える根拠があろうが無かろうが、主がこう言うものの言い方をする時の“勘”は、よく当たるのだから仕方がない。

 

「…………わからない」

 恋は、一部の(音々音に言わせれば)不遜な将たちが“触覚”と言って親しんでいるくせっ毛をひょこひょこと揺らしながら、広大な原野の果てを見定める様に遠くを見つめて、そう呟いた。

「わからない?」

 

「うん……良い事にみたいにも、悪い事みたいにも、感じる」

「はぁ、なるほど……」

 つまり、主が言いたいのは、『この近くで何事かが起こるのは間違いないが、それが吉事なのか凶事なのか、はたまたその両方なのかは、まったく分からない』と言ったところだろうか。

 念の為、今夜は見張りを誰かに代わってもらおう。

 音々音はそう考えて、振り返る事すらせずに原野を見つめ続ける主に断りを入れ、野営の支度を始めている小隊長達の処へ向かった。

 

 肝心な時に、寝不足で情緒不安定になりカッとなってしまっては困る。

 『あんたはすぐ頭に血が昇るんだから、出来るだけ気を付けなさいよね』と言う詠の言葉を(本人の居ない所でなら)素直に聞ける位には、音々音も成長していたのである。

 

 一人残された恋は、少しずつ朱を帯び始めた西の空を見つめて、愛しい人と手を繋いで帰った、いつかの日の夕暮れを思った。

 

 『もう、会えないかもしれない』

 

 愛しい人が故郷に帰ってからの三年余りの間、一度として感じなかった事の無かったそんな想いを、恋は今、初めて感じていた。

「ご主人様…………」

 飛将軍、紅蓮の戦神、三國無双—―大凡(おおよそ)、武人であれば、誰もが焦がれる様なありとあらゆる賛美を欲しいままにして来た深紅の髪の戦女神が、その半生で唯一人愛した男への呼び掛けは、緩やかに吹いた南風にさらわれて、やがて消えた。

 




 如何でしたでしょうか?
 少し拙い所もあるのですが、TINAMIさんでこれを書いていた当時、Wordすら入っていない中古のPCで無我夢中で書いていた時の事を思い出して、出来るだけ当時の熱と言うか、エッセンスみたいなものを残したいなと思い、こんな感じになりました。
 また、自分の物語を広げる為に、外史でのオルジナルキャラクターを登場させようと言う方向に舵を切った思い出深い回でもあります。

 蜀は特に、益州平定からラストまでのスパンが短い事もあってか、能吏として名高い益州組の人物が(今に至るまですら)殆どキャラクター化されて居ないので、正直、列伝すら立ってないお馬さんシスターズとかより、そっちの層を厚くした方が、絶対にストーリーが広がるのに、と思ったりもしております(別に、彼女たちが嫌いな訳ではないのですが……)。

 今回のサブタイ元ネタは

 星の欠片を探しに行こう/福耳

 でした。
 今みても豪華な面子のバンドでしたねぇ……。

 次回からはいよいよ、外史編の本格始動となります。
 この辺りも、当時としてはかなり頑張って書いていたので、直しがスムーズに進めば、早めに投稿できるかも知れません。
 では、また次回お会いしましょう。
 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。