ヤンデレギア   作:ゴマ醤油

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後編

 夢とは一体何だろうか。

 願望の象徴か、遙か遠くに聳える目標のことか、あるいは自分にとっての生きる意味なのか。

 辞書に書いてある意味など己の心を満たすに不十分。あまりにも言葉も納得も足りていない。

 

 だが確かに一つ、言えることが存在する。

 不格好だが取り繕い様がない真実の言葉。例え自身のすべてが間違っていてこれだけは正しいと胸を張って言える。

 

 ──夢とは叶わないもの。残酷だが、それが今の俺の結論なのだろう。

 

 

 

 

 というわけでナンパは失敗に終わり、まったくもって成果はなかったのである。

 ちょっと何かあった風に心の中でかっこつけてみたがそれでこの虚しさが晴れることなどあるわけがない。

 

 失敗することが確定的に明らかであったのに、あの輝く友のノリに乗せられつい日が変わるまで街を突き進んでしまっていた。

 

 そんなわけで道の違う友とはすでに別れ、ただ今帰り道をとぼとぼと歩いている最中である。

 最後に見た時間は十二時過ぎ。十年近く見慣れた近所の通りなのだが、なんだか深夜は少し別の場所にも感じられるほど明るさがない。

 まあでも、この静けさと暗さが今の自分にはお似合いであろう。

 

 大体何だ。どうしてあそこから友のノリに乗ってしまっていたのか。学生服で深夜に女性を誘っても断られることは当たり前すぎて俺の凡庸な脳みそでもすぐに予想できただろうに。

 

 別にお酒は飲んでいなかったはずなのに、なんだか酔っていた様な昂ぶりであった。

 あそこまで赤裸々に夢を、理想を語る友に魅せられてしまっていたのか。

 

 まったく、なんと情けない話だ。すっかり馬鹿高校生である。

 おかげで随分と無駄な時間を過ごしてしまった。いやまあ、最後に誘った金髪の美人に抱きつかれたりと、楽しいイベントはあるにはあったのだが。

 

 ……うん、やっぱ楽しかったわ。あいつがチャレンジする人皆美人な大人の女性ばっかだったし。

 歓楽街でもなかったのに夜の街ってすごいね。少し世界が広がった気がする。

 

 少し気分も持ち直せてきた。

 早く帰ろう。そしてこの思い出を眠りと共に脳に焼き付けておこう。

 

 さっきまでの夢のように流れた時間を思い返しながら、家の前に到着する。

 なんだか長い旅を終えたような気持ちで我が家を確認する。特に変わることのない──。

 

「……あれ?」

 

 ──それに気づくのは当たり前であった。

 誰もいないはずの自宅。そこは人の気配などあるはずもない場。

 けれど、けれど確かに明かりが一つ。点いているはずのない光が見えてしまっていた。

 

 どうしてリビングから明かりが見えるのでしょうか。

 もしかして消し忘れ? それならまあいいのだがそうでないならどうしよう。

 

 多少大きくなっていた呼吸を整え思考を続ける。

 どうするか。どうしたって最終的には入るしかないのだが、それでも多少恐怖もあるものだ。

 

 ……まあいいか。多分消し忘れだろう。

 そう思い、扉を開けようと鍵穴に鍵を挿し開けようとする。……開いてる。

 

「……どうしよう」

 

 開いてるんだけど。……開いてるんだけど。

 どうしよう。これ本当にやばいんじゃないんだろうか。開けたらぐさっと一刺しで天国まで一直線とかなきにしもあらずな危機なのかもしれない。

 

 ……まあでも行くしかないか。確信がないこの状況で通報したりすると面倒くさいし。

 自分の思い過ごしだろうと気持ちを改め、ゆっくりと音を立てないように扉を開く。

 

 ──その刹那、開くはずのないその扉が勢いよく開き、何かがこちら目掛けて飛び出てくる。

 俺に飛びついてくるそれの衝撃を頑張って耐え、それが一体何なのかを目で確かめる。

 

「◯◯ッ! 良かった無事でっ!」

 

 家から出てきたそれは見知った人物であった。

 この明かりの少ない暗闇でもわかる茶色の髪をした少女。幼馴染の立花響が家の中にいた人物の正体であった。

 

 ……そうだ。考えてみたら鍵預けてる人いたわ。

 響や未来にはもちろん、最近は翼さんと調ちゃんにも渡した記憶がある。いつでも来て良いよと言ったしいることも念頭に置いておくべきであった。

 

「……響?」

「心配したんだよっ!! 全然帰ってこないしずっと連絡付かないし!!」

 

 響はまるで割れ物を確かめるようにこちらの体を触りながら、とても心配したようにこちらを見ながら言ってくる。

 いや、そこまで心配されなくとも夜遅かったのなんてたまにあることだと知っているはずなのだが。

 

「──怪我はなさそうだね。よかったー! 携帯はまったく出ないし、前みたいに何かの事故に巻き込まれたりしたらどうしようかと……」

「……悪い。充電忘れてたから」

「そっかー。……うん! でも無事なら大丈夫! 皆で心配してたんだよぉー!」 

 

 少し経って、ようやく落ち着いた響がほっと息を吐きながら笑顔を見せてくる。

 ああそうか、響は何年か前のあれを想像して心配してくれてちたのか。そうだとするとなんだか少し申し訳ない気持ちが湧いてくる。……ん? 

 

「響。皆って?」

「未来とか翼さんとかマリアさんとか! 皆◯◯と連絡付かないって待ってたんだよ?」

 

 そうなのか。それは随分と悪いことをした。うちで待つ意味はこれっぽちもわからないがそれなら別に気にしなくてもいいか。 

 響に手を掴まれたまま自宅に入り、靴を脱ぎ鍵を閉める。

 そうしてリビングまでの廊下を歩き、扉に手を掛け開く。すると、少し広めの部屋に何人かの人がいるのがわかった。

 

「◯◯っ! 無事だったか!?」

 

 その中の一人──翼先輩を皮切りにそこにいた人が次々とこちらに押し寄せる。

 未来、クリス、マリアさん、切歌ちゃんに調ちゃん。……響と翼先輩抜いても多くね? 今大分深夜なんだけど。

 

「まったくよぉ、下手に心配掛けるんじゃねえよ」

「お帰り◯◯。もう少しで探しに出るとこだったわ」

「……よかった。帰ってきてくれて」

 

 どうやら全員に相当の心配を掛けてしまったらしい。

 携帯の充電がなかったことを伝える。それを聞いて各々で納得してくれたのか特に文句が出ることもなかった。

 

「まったく、相変わらずだめだめすぎデスね◯◯は」

「本当にもう。◯◯は変わらないよね」

 

 約二名ほどに呆れられてしまった感がすごいがそこはいつもなので気にしなくてもいいだろう。

 というか未来はともかく切歌ちゃんも心配してくれたのは意外だった。正直普段の態度的にそこまで好かれていないと思っていたし。

 なんでか切歌ちゃんにはつっけんどんな態度をされることの方が多いのだ。……どうしてだろうか。

 

 ……ま、いいや。別にそこまで気にする問題ではないし。

 とりあえず今日はもうお風呂入って寝たい。瞼を閉じてしまえば今にも夢の世界に突入できるコンディションなのだ。皆には泊まってもらうなり帰るなりしてもらえばいいし。

 とりあえずシャワーを浴びようと浴室に向かおうと皆に背を向け足を動かす──。

 

 

 ──そんな時である。始まりのその一言が告げられたのは。

 

 

「……ねえ、ちょっといい?」

 

 響がぽつりと呟くようにこちらに何かを尋ねてくる。

 いつもの元気がないのに違和感を覚えつつ、足を止め響の方を向く。

 

「どうした?」

「なんか、いつもの匂いじゃない。なんで?」

 

 場を静寂に変えた響の言葉を飲み込むのには少し時間が掛かってしまった。

 ……匂い? 匂いってなんの匂いだ。制服もいつもと変わらず俺のだし特に変化があるとは思えないのだが。

 もしかして街中で煙草の臭いでも付いてしまっていたか。

 

「……がう」

「??」

「いつもの、匂いじゃない!! いつもの◯◯のじゃないっ!!」

 

 響の声が抑えきれないかのように震えた叫びに変わり、この空間に緊張が走っている様に感じる。 

 欠けてはいけない物がなくなってしまったかのような動揺に少し戸惑う。どうしたというのか。

 

「何処、行ってたの? 何してたの?」

 

 響が勢いのままにこちらに詰め寄ってくる。

 その圧に押され下がってしまい後ろにあった椅子にへたり込んでしまう。しかし響は止まることなく俺のすぐ目前まで近づいてきて、すぐ近くのテーブルを叩く。

 

「ちょっと響──」

「答えてっ!!」

 

 マリアさんの制止も聞かないほど、もう今にも爆発してしまいそうに震える響。

 その勢いに押され、今日一日の流れをぽつぽつと話し始める。正直言いたくないほど恥ずかしいのだが、己の恥より響の方が心配だ。

 

 追試をして友と適当に街をぶらついて、言いたくないけどナンパに失敗して。そんな感じにざっくりと伝える。

 それを言えば響は落ち着くと思っていた。不安にさせすぎてこうも強く言ってくるのなら聞けば興奮も冷めるだろうと考えていた。

 

 ──しかし、その予想はあまりにも想像力に欠けていた。

 周囲の空気は既に死んでいると言わんばかりに暗くなっているのを感じてしまう。先程まで響を止めようとしていたマリアさんや未来、切歌ちゃんまでも恐ろしいほどの感情の見えない表情でこっちを凝視してくる。

 

「──なんで?」

 

 響が口を開く。さっきまでの癇癪とは違う、本当に心からの疑問であるかのように。

 

「なんで、なの?」

 

 恐ろしいほどの無機質な目。響には決して似合わない亡者の様な瞳でこっちを見つめてくる。

 

「……ひび、き?」

「どうしてナンパなんてする必要があるの。なんで道で知らない女の人と仲良くなる必要があるのどうして私から離れようとするの──」

 

 呪詛のように言葉を羅列する響。壊れた機械のようにただ、呟く。

 

「つまり、◯◯は彼女が欲しかったってこと?」

 

 未来がこちらに問いかけてくる。いつもと変わりないようで、少し鋭い音の刃。誤魔化すことなど許さぬという意志を感じ取れる。

 

「……まあ、そうだけど」

「ふーん。そう、……そうなんだ」

 

 怖い。どうしてだろうか。話しているのはいつもと変わらぬ未来のはずなのに、中身がまるで違うと思える程に頷きの質が違う。

 藁にも縋る思いで他の誰かに助けを求めようと目を向けるが意味をなさない。皆違って皆怖い。自身の凡庸な語彙力ではそんな言葉でしか言い表せないが。

 

「──そう、あなたが恋人がほしいのはわかったわ。けど酷いわね。そういうことなら私に相談してくれれば良かったのに」

「え、えっ?」

「あなたがそれを望むのなら私が応えてあげたのに。どうして言ってくれなかったのかしら」

 

 本当に疑問そうにこちらに尋ねてくるが、今の言葉に関しては俺の方が聞きたいぐらいだ。

 だってそう、その言い方だとマリアさんは俺を好きみたいな──。

 

「──なあ、もうあたしは見てくれないのか?」

 

 今度はクリスだ。もうどうして良いかわからない。

 クリスはどうしてそう、捨てられた猫のような恨みがましい目をこっちに向けてくる。泣きそうに憎悪を声色に乗せてくるんだ。

 

 状況が全く掴めない。理解できない。

 一体どうして俺のリア充問題ごときで皆目の色を変えるのか。そこまでの問題では無いと思うのだけれど。

 ああっ助けて。翼さん、調ちゃん。誰かこの籠のような閉鎖感から連れ出してほしい。

 

「──彼女なら、私がなりたかったのに」

「なぜ、相談してくれなかったの……」

 

 ダメだ。あの二人なんだか今すぐにも死にそうな顔でへこたれている。

 いつも落ち着いた二人がこうなってしまうのなら、もうどうすればいいのか見当も付かない。

 

 何だろう。もう自分の家のくせにまったく心が休まらない。

 

「──はあーっ。まったく、これだから◯◯は◯◯なんデスよ」

「き、切歌ちゃ──」

「せっかく調が好いてくれているというのにこれだから。……やっぱり私がきっちりさせるしかないんデスかねぇ?」

 

 後半が聞き取りにくかったがそれでも決して俺の望んでいる言葉ではないことだけは何となくわかる。

 

 ……全員こんな感じだとどうすれば良いかがもう全くもって見当が付かない。

 何か、間違ったことをしてしまったのだろうか。

 

 胃がいよいよ悲鳴をあげようとしていると錯覚するぐらいには収拾のつかないこの事態。

 ──それでも、やはりと言うべきか。最初に動いたのは響であった。

 

「──そうだよね。……うん、そうだよね。こうするしか、ないよね?」

 

 それが、この瞬間において覚えている限りの最後の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 次に目が覚めたのは見覚えのある天井が見える場所であった。

 感覚もどこか心地良い。なんというか、違和感がない。というか自室であった。

 帰ってきてからそのまま寝てしまったのか。なんか凄い夢を見ていたような気がする。

 

 窓から見える空は未だ真っ暗。ここが海外でなければ変わらずに深夜であるはずである。

 少し背中が痒いので手を動かそうとした。動かない。なにやら繋がれている。……え、何これ? 手錠? 

 

「あ、起きた?」

 

 己一人であるはずの空間で突如湧いた声に、困惑と寝起きのふわふわしたものが全部吹き飛んでいた。

 

「ごめんね。ちょっと強めにいっちゃったけど痛くなかった?」

 

 電気が消えており若干暗い中、申し訳なさそうな声色で響が謝ってくる。

 響、ひびき。ひび、き。──思い出した。思い出してしまった。

 

 俺はさっき響に気絶させられたのだ。我ながら情けないことに一撃で。

 ということはあれか。今手に付いているこの手錠もコイツが付けたのか。なんで? 

 

「でも◯◯も悪いんだからね! 私から勝手に離れようとしたんだし」

 

 離れようとした? そんなことはしていないが何のことだ。

 だめだ。思考がまとまらない。体が、熱い。何これ、一体どうなって──。

 

「本当はもうちょっと経ったらって未来と相談していたんだけどね。◯◯があんまりにも節操ないとこっちも考え物だよね。でも良かった。おかげで皆が納得する形になったんだよ?」

 

 いつものようにえへへと笑いながら響が俺に覆い被さってくる。互いの額と唇がくっつく寸前の距離まで顔が近づいている。

 

「──初めてはね。みんな別々が良いんだって。だから頑張ってね◯◯。明日も皆お休みだから時間はいっぱいだよ」

 

 唇と唇が絡め合わされる。とても甘くて脳を焼いて、どうしてか心が震え上がる。

 恐怖なのか、快感なのか。わからない。考える頭すら、今は回ろうとしない。

 

「えへへ。大好き、大好きだよ◯◯。──ずっと、ずーっと一緒にいようね」

 

 空の色が変わってもなお続く長い長い夜の幕開け。

 蜘蛛の巣に絡められた羽虫の如く。もはや逃げることも抗う気さえ起きはしなかった。




 お久しぶりです。お待たせして申し訳ございません。
 

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