もしもハンコックがルフィと同い年で幼馴染だったら   作:夏月

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9月11日昼頃に一部内容を変更致しました。


9話

 睨み合いの硬直状態――と言うにはやや一方的。ルフィがヒグマを押しており優勢を保っていた。

 

 見守る村長とマキノ。ルフィのような7歳の小さな少年が場を支配し始めたことに、現実味を感じない。

 

 ただしハンコックだけがルフィの持つ無限の可能性を確信していた。彼ならば、いかなる巨悪であっても打倒し()ると。

 

 

「いまのおれは、おまえに負ける気がしねェっ!」

 

「っちィ……! 減らず口を叩きやがってっ……!」

 

 

 舌戦と呼ぶにはあまりに(つたな)いが、それでもなおヒグマの苛立ちを引き出すには事足りる。

 

 とはいえヒグマは元々、機嫌の良い時を除いて怒りの沸点が低い。殺害してきた56人という人数も、そのキレ易さが招いた被害の程度である。

 

 しかし、ルフィはそんな脅しには屈しないし(おく)さない。その身に宿した力は、何者にも負けぬ頑強さを武器としているのだ。

 

 小さき体が地面を蹴る。決して速いとは言えない。されど燃え上がった感情がルフィの体表を覆い、あたかも銃から放たれた弾丸の如く鋭さへと昇華させた。

 

 その勢いときたら舶刀(カットラス)等という武具を、ものともせぬ迫力。力任せに振り回された刃など、恐れ知らずのルフィにとっては避けるも容易い。体へ触れる直前に風のようにすり抜けた。

 

 その身のこなしはハンコックとの特訓の賜物。先程まで恐怖感によって抑圧されていたたソレは、守る意思をトリガーとして遺憾なく発揮される。

 

 

「速いわけじゃねェんだ! このガキ、ギリギリで避けたァ……!?」

 

 

 ヒグマの指摘の叫び声が示した通り、ルフィは子ども特有の身軽さで条件反射のみで避けたに過ぎない。既にルフィは凡人ではない。非才の身へと転じつつある。

 

 ハンコックという類稀(たぐいまれ)な友だちと共に競いあった末に、ルフィはひとつ上の世界へと至った。その片鱗は目の前の大敵のみへと振るわれる。

 

「ゴムゴムのォーー(ピストル)っ!」

 

 

 未だ特訓最中の秘奥義を躊躇無く発動する。後方へ引いた右腕はゴムの特性に従い、反動で前方へと射出された。単なる拳ではない。伸びた腕の長さだけ威力を加算し、標的を打ち砕く強力な技。

 

 驚愕すべきは威力だけにあらず。着目すべきはその速さ。身のこなし自体は鈍足、されど空気をも押し退けて進む拳は只人(ただびと)の動体視力など置き去りにする。

 

 凶悪さだけで山賊としてのし上がって来たヒグマは、飛び抜けた身体能力や技術技能など持ち合わせてはいない。

 

 こと戦闘において凡人の域で足踏みするヒグマには捉えられぬ凶弾。防御など取りようもなく、ルフィによる怒りの鉄槌はヒグマの顔面を貫いた。

 

 

「ぐあァっ……!!」

 

 

 鼻を(したた)かに殴り付けられたヒグマは鼻血を噴き出しながらのけ反る。後頭部をまともに地面へと打ち付けて脳震盪まで引き起こした。

 

 

「すごいっ! ルフィ、そなたはフーシャ村の期待の星じゃ!」

 

 

 ハンコックは称賛を叫ぶ。本心では「自分だけのルフィ」という強い感情で彼を独占したい。が、その傲慢を必死に押さえつける。

 

 いまはただ、彼の活躍を応援する立場に甘んじるのだ。ルフィの男としての矜持を傷つけるのは野暮というもの。

 

 

「ぐっ! このガキ……化け物かっ……!」

 

「なんだ、おまえ。山賊(クズ)のくせに頑丈だな」

 

 

 ヒグマの意外な耐久力に驚くルフィだが、冷めた反応だ。関心が薄いのか局面への影響は軽微。倒れないのなら更に殴るだけだ。

 

 

「フザけたゴム野郎がっ……!」

 

 

 ルフィのゴム体質はヒグマへと異形に対する激しい怯えを生じさせる。ガタガタと歯を鳴らして顎が安定していない。

 

 

「そのフザけたゴム野郎にビビってるお前はカッコ悪いっ!」

 

 

 ここぞとばかりにヒグマを(けな)すルフィの幼児性。殺伐とした空気にユーモアを与える。ただしバカにされたヒグマは笑っていない。ハンコックだけが、その発言に同感とばかりに微笑を浮かべていた。

 

 

「もう一発、殴ってやるっ! それで終わりだっ!」

 

 

 再度、拳を打つ予備動作へと入る。1度見た程度ではヒグマの力量では避けられまい。ゆえに具体的な作戦なども不要。ルフィは既に自身の必殺技として確立した『ゴムゴムの(ピストル)』なる攻撃を、ヒグマ目掛けて一切の容赦なく放った。

 

 目をこじ開けて見極めようとしたヒグマの健闘むなしく、綺麗な直線を辿った固く握られた拳を、またもや顔に受ける。その衝撃はヒグマの意識を貪り尽くし、今度こそ地の底へと沈める。

 

 

「ししし! ハンコックっ! おれ、勝ったぞ!」

 

「ルフィ……。わらわは見届けた。そなたの勇姿を。そなたの強さを。そなたのカッコ良さを――」

 

 

 勝者たるルフィへと駆け寄るハンコック。友だち(シャンクス)を侮辱した男への仕返しは遂げられた。一時は自分らの身まで危害を加えられたが、その悪夢はもはや過去のもの。祝勝の歓喜はハンコックだけに留まらず、村長やマキノにまで波及する。他にも見物に集ったフーシャ村の人々。

 

 

「うそ、あのルフィが山賊を倒しちゃったの?」

 

 

 マキノは戸惑いを隠せない。縁起でも無いが、山賊の手に掛かれば子ども(ルフィ)の命など助かる見込みなどなかった。それが蓋を開けていれば、まさかの圧倒。「男子三日会わざれば刮目してみよ」という言葉もあるとはいえ、成長著しいにも程がある。

 

 まぁ、正確にはルフィはハンコックと共にマキノの酒場に入り浸っており、毎日顔を合わせてはいたのだが。それはマキノのご愛嬌ということで見逃される事柄だ。

 

 宴でも始まりかねない空気――。しかし騒動の序盤でハンコックの覇王色の覇気によって意識を手離したヒグマの手下達。そんな彼らが次々と息を吹き返した。自分らの頭領が地面で無様に倒れている有り様を目にして状況の一端を察する。

 

 誰が手にかけたのかまでは特定に至らずとも、8百万ベリーもの賞金首を倒し得る用心棒がフーシャ村には存在するのだと解釈する。手下の1人が気付けのつもりなのか、ヒグマの肩に手を当てて揺さぶる。

 

 

「う、うう……。くそっ……なにがなんだかワケが分からねェ」

 

 

 意識を取り戻したヒグマは手下に対して心中を吐露する。耳にした手下の男も困惑しながらも、ヒグマの指示を待つ。

 

 

「はァはァ……。あのガキ共は……おれに恥を掻かせやがった。なんとしてもブッ殺せっ!」

 

 

 手下達に指示を出した当人は、ルフィに殴られた後遺症で満足に身動きを取れないのか、その場でぐったりとしている。だが刃物も携えた手下達が十数名もの群れとなってルフィとハンコックを殺さんとして復讐に走った。

 

 

「ルフィっ! これは……まずいっ……!」

 

「わ、分かってるけど! あんなにいっぺんに相手はムリだっ!」

 

 

 予想外にも立場は逆転し、優位からは転げ落ちてしまった。怒涛の勢いで迫る山賊。せめてもの抵抗としてルフィは十八番となったゴムゴムの(ピストル)を撃ち込むが、たった1人分しか戦力は削れなかった。

 

 ハンコックとて抵抗の灯火は途絶えていない。鍛えに鍛え上げた足技を披露することで奮戦とする。身長こそ7歳でしかない女児ゆえに低いが、比較的脚の長い彼女だ。脚が鞭のようにしなりを持って山賊らの脛を殴打する。

 

 人間の急所たる脛を蹴られたとあってか、その場で飛び跳ねて酷く痛がる数人の山賊。さりとて残存する山賊の数は10人を超える。

 

 

「あのガキィ……。無駄な抵抗なんぞしやがってっ……!」

 

 

 ヒグマが悔しげに戦況を観察している。観察対象たるハンコック達。この戦局を覆す手立てが無い。これ以上の抗戦にどれほどの意味があるのか。そんな弱気にまで陥っていた。

 

 

「だがもう終わりだっ……。へへ、このガキ共を始末したら、死体をあの海賊共に送りつけてやるっ!」

 

 

 見せしめにしても残虐に過ぎる。ヒグマという男が8百万ベリーもの懸賞金を懸けられた由縁とも言えよう。このままヒグマが野放しとなっては、いずれは懸賞金を更に上げて陸だけでなく海にまで名を轟かせかねない。

 

 やがて体力の尽きたルフィとハンコックは背中合わせとなって地面へと座り込む。まだ諦めたくはない。大事な物を守る為、大切な人を守る為。そんな理由から始まった戦い――。

 

 しかし、世界は非情に非道。悪辣こそが栄え、志を持つ無垢な子どもを滅ぼす。なんたる無情――。

 

 

「ルフィっ! ハンコックちゃんっ!」

 

 

 マキノの悲鳴染みた叫び声が飛ぶ。

 

 

「た……頼む! その子たちを見逃してくれっ! 金なら払うっ! 酒だっていくらでも用意するっ!」

 

 

 村長が子どもらに代わって命乞いをする。

 

 だが山賊は止まらない。殺す事でしか事態は解決しないとばかりにニヤつきながら、2人の幼子の首を()ねんとしている。刻限は近い。残り数秒もすれば、この世から夢を持って生きる若い命が消える……。

 

 

 そして山賊たちは舶刀(カットラス)をルフィとハンコックの命を切り落とし――

 

 

 パンッ……!

 

 

 ひとつの銃声が鳴り響く。合図も無ければ前兆も無い。しかしてもたらした結果は、大いなる可能性を持つ命を救う奇跡。

 

 山賊の1人が死んでいる。頭部を銃弾で貫かれての即死だ。体から力の抜けた亡骸は山賊たちへの警告だ。それ以後の動作ひとつとして許さない。死を用いた宣告である。

 

 

「覇王色の覇気を近海で感じたもんで何事かと思えば……」

 

 

 その男――赤髪のシャンクスは堂々たる行進で、仲間共々救世主が如く姿を現した。彼の隣には銃の名手ヤソップが、山賊へ向けて不敵な笑みを浮かべている。次は――無い。そう告げているかのようだ。

 

 

「ハンコックだけでなくルフィまでもが王者の資質を持っているとはな」

 

「か、海賊っ……! て、てめェ! いったい何の用があって来やがったっ……!」

 

 

 ヒグマが吠える。

 

 

「お前はあの時の山賊か……。なるほどな、ルフィに殴られて鼻血を流してんのか」

 

「うるせェっ……! ガキ相手だから油断しただけだっ……!」

 

 

 実際のところは油断などしていない状況で殴打を許したのだが、見栄を張ったヒグマはそれを認めない。

 

 

「しかし山賊……。おれは怒っているんだ。この状況にな……」

 

 

 静かなる烈火――。見かけ上からでは読み取れないものの、彼の中では行き場のない怒りが込みあがっている。

 

 

「ルフィ、ハンコック。2人とも無事か?」

 

「シャンクスっ!」

 

 

 ルフィは長らく不在であった友だち(シャンクス)の突然の登場に心臓が高鳴る。嬉しさと驚きの同居した熱い感情が生じたのだ。

 

 

「シャンクス……!」

 

 

 ハンコックが安堵の息を漏らす。彼ならば、この絶望を覆してくれる。信頼が希望を手繰り寄せる。

 

 

「少しケガはしているようだが、良かった。生きていてくれて。待ってろ、いま助けてやる」

 

 

 その言葉に2人の心がどれほど救われた事か。これまでに蓄積した恐怖など一瞬で霧散した。自分達の友だちは、きっと助けてくれる。いかなる悪鬼であっても打ち倒すのだと信じているのだ。

 

 

「おれはな山賊。酒をかけられようが唾を吐きかけられようが、べつにどうでもいいんだ。むしろ笑いのネタとして宴の足しにでもするさ」

 

 

 ヒグマへと語るその口調は空気を凍りつかせるほどに冷たい。いまのシャンクスは蛇だ。睨まれた(ヒグマ)など命を諦めたかのように固まっている。不動の極みである。

 

 

「だがな!! どんな理由があろうと!! おれは友達を傷つける奴は許さない!!!!」

 

 

 その語りの直後、シャンクスより放たれたのは殺気ではない。けれど稲妻を彷彿とさせる爆音が波動となって山賊らを襲撃する。

 背筋をピンッと伸ばして天を仰いでから意識を手離す山賊ら。その場で意識を保っている者はヒグマただ1人。手足を地面へと着いて呼吸すらままならない。

 

 

「お前の手下は今日いっぱいは意識を取り戻さない。だが……山賊、お前は割と丈夫だな?」

 

「てめ、えェ……。ガキ共と同じトリックを使いやがってっ……!!」

 

「今の()()に耐えたのは正直なところ意外だった。さすがは8百万ベリーの首。この東の海(イーストブルー)でも陸ともなれば猛者が居るらしい」

 

 

 覇王色の覇気――。ハンコックやルフィのソレとは桁違いに強力で練度の高さ。心の弱い者では意識を保つことさえ困難を窮める。だがゴア王国における山賊界の王とも呼ばれるヒグマは、惨めを晒しながらも意識を捨てず耐え切ってみせた。

 

 この事実はシャンクスをして感嘆させるほどの価値を持つ。だがシャンクスはヒグマを許さない。逃しもしないし、ケジメを取らせるのだ。

 

 

「おれを……殺すのか……?」

 

「ケジメのつけ方は、お前が決めることじゃないだろう?」

 

「ま、待てっ……! 先に仕掛けて来たのは、このガキ達だぜっ!!」

 

 

 必死に弁明するヒグマ。冷や汗は止まらず、目の前の海賊がルフィやハンコック以上の化物へ見えてきた。

 

 

「どの道……賞金首だろう。おれの友だちに手を出しておいて助かると思うな」

 

「ぐっ…………」

 

 

 それは命への決別を勧める言葉。シャンクスは海賊としてヒグマを殺す――。

 

 

「スゲェ……。言葉だけで山賊を……」

 

 

 ――追い詰めている。ルフィでは成し得ない海賊としての力。強い海賊はこんな芸当まで出来るのかと、俄然憧れを強める。 

 

 

「わらわもいつか……」

 

 

 ハンコックはシャンクスの強さを羨む。自分も彼の域に到達し、海賊としての高みへと駆け上がりたい。未来の好敵手(ライバル)として勝手に定める。

 

 

「っち……! 山賊王(おれ様)をナメたことを後悔させてやるっ……!」

 

 

 負け惜しみ染みた発言の直後のこと。懐からなにやら取り出したヒグマは、それを地面へと叩き付ける。モクモクと一帯へと広まる白煙。瞬く間にヒグマの姿を覆い隠し、シャンクスの視界から逃れる。

 

 

「来いガキ共!!」

 

「うわっ! なにすんだっ!」

 

「離せっ! 薄汚い手で触れるなっ!」

 

 

 疲弊しきった子ども2人の首根っこはヒグマによって掴まれ、何処(いずこ)へと連れ去れる。ルフィとハンコックはわけも分からぬまま引き摺られ、遠くにシャンクスの慌てる声が聴こえた。

 

 

「へへ、海へ逃げるんだっ……! いつかあの海賊共に報復してやるっ……!」

 

 

 独り言だけは一丁前。復讐を誓う口上はルフィの心をざわつかせる。

 

 ヒグマは港につけられたボートに勝手に乗り込んで海へと出る。奇しくもそれはルフィとハンコックにとって初めての船出。こんな最悪な形での夢の実現に、2人からは涙が溢れる。

 

 視界の端にレッド・フォース号が遠ざかってゆくのが見える。あの船ならば――こんなに悲しい気持ちにはならなかったのに……。

 

 

「おい、ガキ共。お前らはもうスタミナ切れで動けねェようだな?」

 

「うるせェ! 1回、おれに負けたくせに生意気だっ!」

 

「そうじゃっ! 貴様など雑魚じゃっ!」

 

「言ってくれるねェ……。だがおれを悪く言うのも大概にしとけ」

 

 

 ハンコックの言う様にヒグマは雑魚だ。しかし、それはあくまでもシャンクスと比べてのこと。比較する対象の相手が悪かっただけなのだ。それに加えて、ヒグマは体のタフさにかけては自信がある。身体能力こそ並だが、回復力に関してはゴア王国限定とはいえ山賊王を名乗るだけのことはある。

 

 

「さて……。テメェらはもうここで終わりだ。あばよ、57人目と58人目の犠牲者」

 

「なにをするつもりじゃっ……!」

 

 

 もう用は済んだとして、ヒグマはハンコックを蹴り飛ばしてしまう。宙を舞うハンコックは自身を襲う悲劇を認識出来ていなかった。あまりの非現実さに理解が置いてきぼりにされる。

 

 

「ハ、ハンコーーーーーック……!」

 

 

 ルフィが名前を呼ぶ。いつも傍に居てくれた愛おしい男の子。彼と出会ってからの日々は、ハンコックの人生に幸せをくれた。

 

 恩人であり、友だちであり、大好きな人であり、愛している人――。

 

 

「ルフィ……貴方と出会えて……わたしは幸せだったよ……」

 

 

 別れ――。海面へと叩きつけられた後に沈むハンコックは直前に遺言を残す。きっと彼も山賊の手によって命を落とす。後を追ってくるのだろう。

 

 けれど死後の行く先が同じなのかは分からない。辿り着く先が不明な以上、今生にて別れを告げるしかないのだろう。

 

 

「フザけんなっ! お前が死ぬことは、おれが許さねェ……!」

 

 

 だがルフィは一味違った。悪魔の実の能力者である彼は泳げぬ身のはず。だというのに彼はボートから海へ飛び込み、沈みゆくハンコックを追う。

 

 

「ははははははは!!!! あーはっはっはっは!! おれが手を下すまでもなく、あのガキ自殺しやがったよっ! これじゃぁおれは57人殺し止まりだなっ! はははははははっ!」

 

 

 山賊のおぞましい笑いが海へ響く。それは悪魔の如し、悪辣の象徴、悪意の塊――。

 

 

 

 

 そして海中――ルフィはハンコックの下へ辿り着く。死後の世界で離ればなれになるかもしれない不安を消し飛ばすべく、力の入らない体なりに精一杯ハンコックを抱き締める。

 

 

「(ルフィ……。どうして……。ううん、わたしは嬉しいよ……)」

 

「(ハンコックを1人にはしねェ……。死んでもずっと一緒だ。放さないっ……!)」

 

 

 死へと向かうなかでの抱擁は、たしかに2人の間を繋いだ。死ぬことは怖い……。されど、心細さなどない。この不条理には悲しみながらも、それでもルフィとハンコックは――共に在った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてとガキは始末したんだ。頃合を見て陸へ戻るとするか……。っち、体が痛ェな」

 

 

 奪った命のことなど早々に忘れたヒグマは海賊への復讐の算段を立てる。手下はどうせ海賊共に殺されたか、良くてゴア王国の牢獄へ収監されている頃だろう。だが生きてさえいる限りは何度だって這い上がってみせる。

 

 

「ん……? やけに海が騒いでやがる」

 

 

 違和感を覚える。波の揺らめきが大きい。時より海中に巨大な影が動きをみせ、不気味な様相。数秒ほど経過を観ていると――。

 

 海水を巻き上げながらソレは現れた――。

 

 

「な……なんだこの怪物はっ……!」

 

 

 刺々しい牙を口内に揃えた大型の海洋生物がヒグマの前に突如として姿を見せる。ギラついた眼光がヒグマをエサとして捉え、有無を言わさずにボートごと飲み込んだ。

 

 

「ぎゃああああああああああーーーーーっ!!!!!」

 

 

 咀嚼の最中に四肢を噛み砕かれるヒグマの断末魔――。因果応報といった具合で、ルフィとハンコックの命を奪った悪党は滅された。

 

 

 その獰猛な海洋生物――偉大なる航路(グランドライン)より東の海(イーストブルー)へと迷い込んだ海王類と呼ばれる生物。次なるエサを海中へと見出す。

 

 人間の子どもが2人――接吻をしたまま海底へと沈む最中(さなか)である。みすみすエサを逃すまいと海王類は大口を開けて――。

 

 ルフィとハンコックを呑み込んだ。小さな体は海王類の鋭利な牙をすり抜け、舌の上へと転がる。

 

 満足げに海面へと顔を出した海王類。されど次なるエサをまたもや見つける。赤髪の海賊風の男が時間に追われるように必死に泳いでいた。

 

 海賊にしてルフィとハンコックの友だちであるシャンクスだ。海王類の眼前で止まったかと思えば口を開いた。

 

 

「ルフィとハンコックは……あの中か。まだ聴こえる……。あいつらの声が」

 

 

 生命の反応を感じるのだ。物理的な音ではない。感覚的なもの。見聞色と呼ばれる覇気が、ルフィとハンコックの生存を知らせるのだ。

 

 

「何故ここに偉大なる航路(グランドライン)の海王類が……。いや、そんなことはどうでもいい。おれの友だちを……返してもらおう」

 

 

 直後、シャンクスは拳を海王類の鼻先へと押し当て――衝撃が波打ちながら顎を破壊する。とある国では流桜(りゅうおう)と呼称される技術だ。

 

 そして痛みのあまり口をだらりと開けた海王類は、舌の上のルフィとハンコックを海へと投げ出す。

 

 反動で散り散りに海面へと飛んだルフィとハンコックの身を保護するべく、シャンクスは海面を進むが――危害を加えられたことで激昂した海王類が満足に動かない顎にも関わらず、再びエサを回収すべく本能に従い動く。

 

 

「しまった……! ルフィが危ねェ……!」

 

 

 ハンコックは既に腕の中に抱いている。だが、残るルフィの身は海を漂ったまま。沈むのも時間の問題だが、それよりも早く海王類が捕食してしまうことだろう。

 

 

「おれはルフィに――新しい時代に懸ける――」

 

 

 その真意は如何様なものか――。開かれた口が閉じる間際に左腕を突き出してルフィの前へと躍り出る。シャンクスの左腕に牙が突き刺さり、今にも切断されかねない。

 

 

「あ、あれ……シャンクス……」

 

 

 左腕に海王類を噛みつかせたままのシャンクスを目覚め際に見るルフィ。ルフィと共に右腕に一緒くたに抱かれているハンコックの姿を発見する。

 

 

「少しジッとしててくれ、いまコイツを追い払う」

 

 

 中々、噛み千切れない人間の腕に躍起になった海王類は顎の状態など無視して、(つい)ぞ――シャンクスの左腕を切り離して喰らう。

 

 されど痛みすらも友だち(ルフィとハンコック)の為ならば(いと)わないシャンクス。ただ一言だけ発するのだ。

 

 

「失せろ――」

 

 

 シャンクスの瞳は殺意をも超えた死そのものを視線に乗せて海王類を突き殺す。覇王色の覇気に乗算されたのは友だちを傷つけられた人間の感情。

 

 神罰をも凌駕する裁きが海王類の生存本能を弄り(なぶり)上げ、やがて深い海の中へと消失させた。シャンクスから受けた流桜による深いダメージを負って――。

 

 

「恩にきるよ、ルフィ。ハンコックと一緒におれのことを庇ってくれたんだってな? マキノさんから全部聞いてる」

 

 

 平穏を取り戻した近海。涙ぐむルフィはシャンクスの顔を見つめているだけで心が張り裂けそうになる。

 

 

「おれ達の為に戦ってくれたんだろ? ハンコックと一緒に良く頑張ったもんだよ」

 

 

 ルフィは言いたいことが山ほどある。気持ちが暴れて落ち着かない。

 

 

「それにハンコックが生きているのはルフィの頑張りのお陰だ」

 

 

 ルフィがハンコックを放さずにいたからこそ、その命はこの世界に保たれた。意図しての行為というよりは、本能で動いたようなもの。けれど結果として深い愛情が命を拾ったことになる。

 

 

「おい泣くな。男だろ? ハンコックの前なんだ、我慢しろって」

 

 

 ハンコックは眠っている。命に別状は無い模様だが、目まぐるしい状況の変化による疲労が頂点に達しているのだろう。まだ目覚めるまでに時間を要する。

 

 

「……だってよ……!!」

 

 

 もう我慢など出来るものか。ルフィの涙腺は決壊し大声と共に落涙を始めた。

 

 

「腕がっ!!!!」

 

 

 ルフィの憧れる友だちの左腕が無くなっている。それも自分達を助ける為の犠牲だ。

 

 

「安いもんだ。腕の一本くらい……。それよりも――ルフィとハンコックが無事で良かった」

 

 

 それはシャンクスの本心だ。後悔など無い。だから悲しみも無いし、腕よりも大切な者を守り通せた。この至福こそ宴を開くに相応しい。そう笑うシャンクス。

 

 

「うわああああああああああああああああ」

 

 

 そしてルフィは慟哭する。1度は死んだはずの命を拾われた。感謝もするが、それ以上に押し潰されそうなほどの罪の意識が(さいな)んでくる。しかし――そんな罪さえも、あろうことかシャンクスは許してくれると言った。

 

 もうルフィは――返しきれない恩をシャンクスから受けてしまった。

 

 

「ルフィ……どうして泣いているの……?」

 

 

 ハンコックが目覚める。泣き叫ぶルフィの姿が、あまりに痛々しい。

 

 

「ルフィが……わたしを助けてくれたんだよね……?」

 

 

 その言葉を受け取らないルフィ。頭を横に振って否定した。しかし、あの時……ルフィがハンコックを抱き締めていてくれなかったら、きっと今頃は本当に死んでいた。

 

 

「おれはっ……!! なにもできなかったっ……!!」

 

 

 ハンコックには理由が分からない。助かったというのに悲しみに暮れるルフィの身について――。

 

 

「あれ、シャンクス……?」

 

「おお、ハンコック。目覚めたか! 良かった、ルフィ共々元気そうでな」

 

「うん……」

 

 

 ただ頷く。何故、この場にシャンクスが居るのかは分からない。けれどきっと友だちだから助けに来てくれたのだろう。

 

 ハンコックだけが真実を知らない。だからルフィを慰める。

 

 

「ルフィ、わたしは……わらわは――そなたに命を救われた」

 

「うう……」

 

 

 泣きじゃくるルフィ。

 

 

「だから……感謝をしておる。礼としてはささやかではあるが、帰ったらわらわの胸の中で存分に泣くが良い……」

 

 

 海賊女帝に相応しい風格がハンコックを包む。母性染みた優しい声がルフィの心へ染み渡るのだ。

 

 

「ハン……コックゥ……!!」

 

「村に帰ろう、ルフィ……。皆が待っておる」

 

「…………うんっ……!」

 

 

 

 すぐに事実を知る事になるハンコック。しかし今は帰るのだ。マキノが居て、村長が居て、村の皆が居て――。当たり前の日常へと戻るべく。

 

 そしてルフィ――真の意味での海を知った。苛酷さであったり、己の非力さであったり――。

 

 一番に感じることがある。シャンクスという偉大な男についてだ。彼のような強い男に成りたい。いや、成りたいのではない。絶対になるのだと心に誓うのだった――。


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