高校を卒業してから、それなりの時間が経った。いつも一緒だった私達は、それぞれの道を歩き始めた。
一人は、女優として。
一人は、自分の店を持つために。
一人は、料理の勉強をするために。
一人は、教師になるために。
みんな、前に進んでいる。私は、どこに向かってるのだろう。
***
携帯のアラームの音で、目が覚める。今日は休日なので、本来ならまだ寝ていてもいい時間だが、体に染み付いた習慣が、それを許してくれなかった。もっとも、いつまでも寝てるつもりもないけれど。
ベッドから出て、大きく伸びをする。必要最低限のものしか置いていない自分の部屋を出て、洗面所に行く。冷たい水で顔を洗うと、一気に目が覚める。そしてそのまま、鏡に映った自分の顔を見る。
────酷い顔だ。
思わず笑ってしまう。
高校の同級生がこの顔をみたら、別人と間違えられてしまうかもしれない。
そのまま軽く歯を磨いて、台所で昨日の夕食の余りを、食べる。二乃と三玖には劣るだろうが、なかなか悪くない味だ。
テレビをつけて、適当にチャンネルを回す。すっかり売れっ子女優になった姉は、今やテレビで見かけないことの方が珍しい。
ちょうど今つけているチャンネルにも姉が出ている。この番組は確か、生放送だったはずだ。朝に弱い姉が朝の生放送に出演しているなんて、昔を知っている身としては、何だか笑ってしまいそうになる。
────彼に、起こしてもらったのだろうか。
一瞬頭に浮かんだその黒い考えを、私はすぐに搔き消す。そんなこと、私が考えて何になるって言うんだ。そうなることを望んでいたのは、私自身なのだから。
私はその番組を見ていられなくなって、テレビを消した。
***
朝食も食べ終わったし、歯も磨いた。朝にやらなければいけないことは大体片付いた。これからどうしようか。家でじっとしているのは、憚られた。
彼のことを思い出してしまうから。
散歩でもしよう。私は頭をすっきりさせるために、外へ繰り出すことにした。
***
結論から言うと。私は選ばれなかった。
当然の結果だ。私がそうなることを望んでいたし、選ばれないように動いていたから。私なんかが、彼に選ばれていいはずがない。実を言うと、彼にこの気持ちをぶつけてしまいたい衝動に駆られる時もあった。
でも、堪えた。必死に、必死に。
彼のことを考えなくてもいい時間を増やして。彼との距離も、少しづつだけど、離していった。
その努力の甲斐あって、私は見事に選ばれなかった。
私は最後まで、上杉風太郎の良き友人であり続けたのだ。
***
どこかに行こうとしたけれど、どこに行けばいいのか分からなくて、そこらをぐるぐるした後、私は近所の公園で足を止めてしまった。
中に足を踏み入れると、シューズが地面を鳴らす音と、ドン、ドンとボールが地面を揺らす音がした。こんな時間に人がいるなんて、珍しい。
──そういえば、ここにはバスケットコートがあったっけ。
そんなことを頭の片隅に思い浮かべながら、私はさらに足を進める。
四阿で少し休憩しようかなと思い、そこにあった小洒落た形の、木製ベンチに腰掛ける。近くのベンチには、あの人のものと思われるエナメルバッグが置かれていた。
ここからだと、彼の姿が良く見えた。普段ならこの公園で、誰が何をしてようと気に留めない。
でも私は、彼から視線を外すことが出来なかった。
綺麗だった。彼がリングに向かうその姿が。何者にも邪魔されずに、ただボールを放り続けるその姿が。
ただただ、綺麗だった。
***
「……あの、すみません」
気づいたら、彼に声をかけられていた。じっと彼を眺めているうちに、私の意識はどこかに飛んでいってしまったみたいだ。眠っていたわけではないと思うけれど。
彼が私に声をかけた理由は、すぐに分かった。
彼の姿をいい位置で見ようとして、私は彼のバッグの横に移動してしまっていた。
彼がバスケをやめたら早急に立ち去ろうと思っていたのだが、今となってはそれも叶わない。
「あ、いえ、こちらこそすみません!」
私はそう言って、足早に位置を変えた。
そのまま公園から離れたら良かったのに、私は何故か、彼の向かい側に座ってしまった。
彼はバッグの中からタオルを取り出して、汗をぬぐっている。
どうしよう、と思考する前に、私の口は勝手に動いていた。
「いつもここでバスケしてるんですか?」
言葉を発してしまってから、今度こそ私はどうしよう、と思った。こんなことを聞いて、私はどうするつもりだったのだろう。
しかし1度言ってしまったことを取り消せるはずもなく、私に出来るのは、彼の返事を待つことだけだった。
彼は私の言葉を聞いて、ほんの一瞬だけ驚愕の表情を浮かべ、けれども、恐らくは強ばった顔をしていたであろう私のことを案じたのか、にこやかに答えた。
「いつもではないですけど、暇な時とか、じっとしていられない時はしてますね」
私はその言葉を聞いて、顔には出さないように、ほっと安心した。
「そうなんですね! 私もなんだが、じっとしていられなくて」
「あはは、分かります。じっとしてると、いろいろ余計なこととか考えちゃいますもんね」
────同じだ。
それほど長くもない言葉だったけれど、それだけで私は、彼は私と同じなのだと思った。
こんな私と同じだなんて、失礼極まりないことを考えてしまったが。
それでも、彼は私と同じなのだという、言葉にはできない確信があった。
***
気がついたら、随分長いこと彼と話し込んでいた。お互いに余り干渉し過ぎす、他愛のない話ばかりだったが、疲れきった私の心には、それだけでも十分だった。
もしかしたら私は、話し相手が欲しかったのかもしれない。互いのことを深く知り過ぎずに、ただどうでもいい話ができる相手が。
「すみません、こんなに長い時間お話して頂いて……」
「いえいえ、気にしないで下さい。ちょうど暇を持て余していたところですから」
と彼は言うものの、私の心は申し訳なさでいっぱいだった。
「今日は本当にありがとうございました」
私は深々と頭を下げて、そうお礼をした。
「こちらこそ、ありがとうございました。楽しかったです」
彼もまた、頭を下げた。
そんな互いの様子が面白可笑しくて、二人で笑いあった。
彼はこれから用事があるらしく、荷物を持って立ち上がった。
「今日は楽しかったです。本当にありがとうございました。それじゃあ、また今度」
そこまで言って、彼はあっ、という顔になった。きっと、また今度なんて、言うつもりはなかったのだろう。でも、私にとっては嬉しい言葉だった。
だから、思わず笑ってしまった。こんなふうに笑ったのは、いつ以来だろう。
「はい、また今度会いましょうね!」
***
それから私は、適当な店でお昼を済ませて、家に帰ってきた。
少し、疲れてしまった。肉体的ではなく、精神的に。街ゆく人はみなカップルばかりで。今の私の心には、耐え難いものがあった。
でも、悪いことばかりでもなかった。名前も知らない彼との出会い。彼と話せたことは、間違いなくいいことだった。
────お昼寝でもしようかな。
そう考えた私は、シャワーを浴び、寝巻きに着替えて、ベットの中に潜り込んだ。
でも、こうしていると、どうしてもかつてのことを思い出してしまう。
忘れもしない、あの輝かしい思い出を。
今となっては、私を縛り付ける、呪いのような記憶を。
────また、今度。
彼と交わした曖昧な約束を抱きしめながら、私は過去から逃れるように、眠りについた。