この物語は、私が歩き出す物語だ。   作:カラス野郎

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進歩、或いは変化

 高校を卒業してから、私は一応、体育学部に進学した。一応というのは、やりたいことがあったわけではなかったから。私たちの進路を、親身になって考えてくれていた彼には悪いが、本当にやりたいことがなかった。

 何をすればいいのか、分からなかった。

 思えば私は、いつからか自分のために何かをしたことがないような気がする。

 だからきっと、自分のことも分からなくなってしまったのだ。

 

***

 

 名前の知らない彼との不思議な関係が始まって、もう一月が経とうとしていた。

 私も彼も、未だに互いの名前を知らないけれど、そのことに嫌悪感はなく、むしろ心地良さすら感じていた。

 互いにただ、何も生み出さない会話を続ける。その事が、私にはどうしようもなく心地良かった。

 とは言っても。彼と会えるのは基本的に週末だけだ。彼にも彼の生活があるだろうし、その事に不満はない。私だって、平日は大学に行かなければならない。

 冷静に、客観的な目で見てみても、高校時代の生活と今の生活は、それほど差がない。

 今も昔も、私を必要としてくれる人の力になるために、走り回っている。もっとも、その意味はだいぶ変わってしまったが。

 それでも、今も昔も変わらず、その事を嫌だと思ったことはなかった。

 こんな私でも、誰かの力になれる。その事実が欲しくて、すっぽりと空いてしまった心の穴を埋めるために、私は走り続けている。

 

***

 

 大学生活にもすっかり慣れて、もう私の生活リズムは固定されつつある。

 今日は三限からの講義なので、私はちょうど正午に差し掛かった頃に、昼食を済ませようと、大学の食堂を訪れた。

 先に座る場所を決めてしまおうと、辺りを見渡す。まだ二限の講義をやっている時間だから、いつもなら人で溢れかえっている食堂は閑散としていた。

 これなら、席には困らないだろう。

 別にどの席でも良かったのだけれど、何となく目に留まった窓側の席につくことにした。

 背負っているリュックを椅子に載せた。

 それと同時に、ガシャンとトレーを置く音がした。私はその音に驚いて、視線を上げる。

 目の前にいたのは、彼だった。私も彼も、えっ、だなんて間抜けな声を上げながら、じっと互いの姿を見ていた。

 

 

 

「まさか、同じ大学だったなんてね。よく今まで会わなかったもんだ」

 いつものあの公園と同じように、私の目の前に座る彼は、苦笑を浮かべた。

 かくいう私も、きっと彼と同じ表情だっただろう。

「そうですね、本当に」

 もしかしたら、すれ違うくらいはしていたかもしれないが。

「君は何学部?」

「体育学部です!」

 それを聞いて彼は、納得したような顔をした。

「僕は経済学部なんだ。そりゃあ、会わない訳だよね」

 ちなみに、どうでもいい話ではあるけれど。初対面の時に彼は敬語だったわけだけど、私がお願いして、敬語は外してもらった。

 それなら私も敬語をやめてほしいと言われたが、それに頷くことは出来なかったので、私の主張だけを押し通した。

 閑話休題。

 彼と大学で会うのは初めてだから、柄にもなく少し緊張する。あの公園で話している時とは違って、私の言葉はスラスラ出てきてくれなかった。

 そんな私の緊張を察してくれたのか、いつもはあまり話題を振らない彼が、話題を振ってきた。

「体育学部か。体動かすの好きって言ってたもんね」

「そうなんです! 覚えててくれたんですね」

 私はかつてのように、ししし、と笑ってみせる。私のその言葉を聞いて、彼は恥ずかしさを隠すためか、コップを手に取って、水を飲んだ。

「貴方こそ、経済学部だったんですね。てっきり、運動関係のお仕事をなさっていると思っていました」

「あはは、そう思われても無理ないよね。でもバスケしてるのって週末だけなんだよね」

「そうなんですか?」

「うん。平日はいろいろあって、あんまり時間取れないんだよね」

「毎日お疲れ様です!」

「うん、ありがとう。君はこれから講義?」

「はい、今日は──」

 

 

 

 はじめの方こそ緊張していたけれど、蓋を開けてみれば普段とさして変わらなかった。

 主に話すのは私で、彼はそれに相槌を打ったり、突っ込みを入れたりする。

 彼と出会ってからまだそれほど長くはないが、彼との時間は、私の中では大切なものになっている。

 ああ、そういえば。

「お名前!」

「ん?」

「お名前、まだ教えてもらってません!」

 今までは、彼の名前を知らなくても不便はなかったが、同じ大学ということが分かったからには、知っておいた方がいいだろう。

「そうだ、まだお互いの名前も知らなかったんだよね……」

 彼も思い出したかのようにそう言った。

「僕は森谷四郎。そっちは?」

「中野四葉です! 森谷君、改めてよろしくお願いします!」

「うん。こちらこそよろしくお願いします、中野さん」

 これが進歩なのか、或いは何かの変化なのか。今はまだ分からない。でも、何かが動き出したということだけは、馬鹿な私にも感じ取れた。

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