もしも、あの時に戻れたら。
最近は、そんな意味の無い仮定をしてしまう。
ゲームのように、一つ前のセーブデータに戻れたなら。
そんなことを考えたって、どうにもならないことは分かっている。
でも、でもね。考えずにはいられないんだ。
君と一緒にいれたかもしれない未来のことを。
君と一緒にいるのが彼女ではなくて、私だったかもしれないという事実を。
***
ある雨の日。今日は陸上サークルのお手伝いをする予定があったのだけれど、あいにくの天気で、それが潰れてしまった。
すっかり暇になってしまった私は、何もしていない時間を少しでも減らすために、いつもの公園を訪れた。
彼の名前を教えてもらってから、ちょっとだけ時間が経った。森谷くんと同じ大学だということが分かっても、彼と学内で会うことはそう多くはなかった。
今までだって会わなかったのだから、別におかしなことではないが。
彼と会うのはやはり、週末のあの公園だった。
公園につくと、彼は東屋に入ってスマホを見ていた。彼の服装を見ると、どうやら今日もバスケをするつもりだったらしい。
この大雨なので、それは叶わなそうだ。
私はビニール傘を畳んで、東屋に入る。
「森谷くん、おはようございます」
「あ、中野さん。おはよ」
彼は目線をスマホから私に移した。
「今日はひどい雨ですね。気が滅入っちゃいます」
雨に濡れる街は風情があって、嫌いではないのだけれど、流石にこれでは気分が沈む。
「だね。バスケも出来そうにないし」
彼は恨めしげに外を流し見た。傘を持っていないところを見ると、ここに来てから降り始めたのだろう。或いは、来る途中で。
私は彼の向かい側に腰掛ける。
「そういえば。森谷くんは体育館を借りたりしないんですか?」
彼は外に向けていた視線を、私に戻した。
「それも悪くないんだけど、外で打つのが一番好き。わざわざ体育館を借りてまでやるほど、熱心なわけでもないし」
「バスケ、好きじゃないんですか?」
「好きだけど、これは趣味」
きっぱりと言い切った。
「中野さんは、好きなスポーツはある?」
彼のその問いに、私は頭を抱えた。
「うーん……。そうですねえ……」
腕を組んで目を閉じ、考えてみる。私は体を動かすことは好きだが、特定のスポーツに愛着があるわけではなかった。
過去の私は、ただ誰かに認めて欲しかっただけだ。勉強がてんで駄目だったから、その逃げ道に、スポーツを選んでいただけだった。
馬鹿なヤツ。自業自得だ、全部。
彼に選ばれなかったことも。彼に、気づいてもらえなかったことも。
「お恥ずかしいことなんですけど……」
私は一旦思考を切り替えて、そう前置きした。
「特に好きなスポーツがあるわけではないんです。体を動かすのは好きなんですけどね」
ししし、と笑みを浮かべる。
「そうなんだね。じゃあ高校の時も、今みたいにいろんなところのお手伝いを?」
「そうですね。……ああ、でも」
高校の時、と聞いて。いろいろな思い出が湧いてきた。そのほとんどが、今となっては苦い思い出だが。
「好きなスポーツ。強いて言うなら、陸上ですね」
こんなどうしようもない私に、随分と熱心な人がいた事を、ふと思い出した。
***
もうすぐ正午に差し掛かるが、雨脚は一向に弱まる気配を見せなかった。それどころかむしろ、より勢いを増しているような。
「止まないですね、雨」
「だね……。こんなことなら、傘持ってくれば良かった」
私は傘を持ってきているけれど、この雨の中、外に出る気にはなれなかった。
「いっそのこと、走って帰ろうかなあ……。お腹も減ってきたし」
確かに言われてみれば、私も空腹感を覚えていた。
だが、こんなこともあろうかと、今日の私はお弁当を用意してきたのだ。これは彼が言っていた事だが、彼は休日は、外で食べることが多いらしい。だから、
「森谷くん、実は私、お弁当を持ってきたんです! もちろん、森谷くんの分もありますよ!」
彼は目を丸くした。その反応が見れただけでも、作った甲斐がある。
「えっ、ほんとに?」
「ホントですよ!」
ほら、と私は持ってきたトートバックから2つの包みを取り出す。
「こっちが森谷くんの分です! どうぞ!」
私は右手に持った、赤の弁当箱を彼に手渡した。
「うわ、本当だ。わざわざありがとう、中野さん」
「ししし。お気になさらず。あ、これおしぼりです。どうぞ!」
「うん、ありがとう」
私も、自分用の緑の弁当箱を手に取り、食べる準備をする。
「それじゃあ」
私と彼の声が重なる。
「いただきます」
***
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした〜」
彼は私よりも食べるスピードは早いはずだが、私に合わせてくれたのか、ほぼ同じタイミングで食べ終わった。
「本当にありがとう、中野さん。今度、食堂で奢るよ」
「いえいえ、本当にお気になさらないで下さい」
「それにめちゃくちゃ美味しかったし。中野さん、料理上手なんだね」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
二乃や三玖には到底及ばないだろうが、人並みには料理はできると思いたい私にとって、彼の言葉は嬉しかった。
「でも、僕がいなかったらどうするつもりだったの?」
彼にそう言われて、私は初めてその場合のことを考えた。
「あ、あはは……。考えてなかったです……」
彼の視線が少しずつ、呆れを含むものに変化するのを感じる。
「そ、そんなもしもの話をしたってどうしようもないじゃないですか!」
そうだ。もしも、だなんて。
そんな仮定には何の意味もない。
そんなことは分かっている。分かっているけれど、どうしても考えてしまう。
彼は私の言葉に一応納得してくれたのか、それ以上は何も言わなかった。
外を見る。雨はまだ、降り続いている。
「森谷くんは、今日は何も無いんですか?」
「うん。今日は1日暇かな」
「それなら」
「もしもの話をしませんか?」
「もしもなんて、話してもどうしようないって言ってなかった?」
当然、彼は怪訝な目を向けてくる。
でも、話したくなってしまった。私の後悔を。
知りたくなってしまった。彼の過去を。
「気が変わりました!」
もしも、あの時に戻れたなら。誰もが1度は考えたことがあるだろう。きっと、目の前の彼も。
「森谷くんは考えたことありますか? もしもこうだったら、とか」
「あるよ、たくさん」
彼はどこか、遠くを見ていた。私ではない誰かを。
「例えばほら、今日とか。家を出る前に戻って、傘を持っていくようにする。それか、家で大人しくしてる」
彼が本当に言いたいことは、彼の本当の後悔は。
そんな些細なことではないのだろう。
彼は笑っている。その笑顔の裏にあるものが、私には何となく分かった。
「中野さんは?」
「私は……」
できることなら、最初からやり直したい。全てが始まったあの日から。
いっそのこと、彼に出会わないように。
「私もありますよ、たくさん」
ある雨の日。自分たちの後悔を、雨と一緒に流し出した。