お手伝いさんがいるとはいえ、うちの父親と言うものは滅多に家へ帰ってこない。お手伝いさんにも家があるし、母親はいたのかすら分からないくらい「存在した証拠」がない。
子供用のおもちゃ箱がある以外は寒々しい部屋にポツンと一人……そんな環境で暮らす私は魚塚花ちゃんである。
生まれてから三年と少しが過ぎたが、その間に経験した引っ越し回数はなんと七回。「お引っ越ししようね」の声かけなど何もなく家具ごと家を捨てて新しい家に連れていかれ、新しいお手伝いさんを紹介されるまでは新居で一人で放置……を七回も繰り返せば、もはや夜逃げも慣れっこだ。
夜逃げするより夜逃げさせる方にしか見えない父親だけど、私の知らない「何か」から逃げないといけないんだろう。大変そうだ。やくざかな?
父親の雰囲気や見た目はどう贔屓目に見ても日向を歩けない職業だし、夜逃げに夜逃げを重ねている夜逃げのプロだからだろう、私の外出は制限されている。幼稚園に行くとかお手伝いさんと一緒に公園に遊びにいくといったこともなく、ただひたすらに家の中でテレビ見たりおもちゃで遊んだりする生活。我が肉体は土の感触を知らぬ。
コロコロ変わるおうちとコロコロ変わるお手伝いさん、変わらないのは父親が気まぐれに帰ってくることだけ。それを寂しいとか悲しいと思わないのは私がコミュニケーション嫌いな引きこもり気質だからだろう。普通の子供なら歪んで育つこと間違いなしだ。
――そのお手伝いさんが突如として来なくなって二日。手の届く位置にある食パンもカップ麺も食べ尽くした私は、以前「もしもの時に」なんて言いながら渡された子供用ガマ口財布を手に外出を決意した。
「いざ往かん」
鍵は持った。この家に来てから外出はまだ二度目だが、こんな可愛い幼稚園児に「スーパーはどっちですか」と可愛く聞かれて案内しない人などいるはずがない。背伸びして鍵を閉め、マンションを出る際にマンションの名前も確認する。メゾン・ド・杯戸か……市街地によくある名前だ。
私はスーパーの場所など知らないけど、適当に歩いていれば親切な誰かを捕まえられるに違いない。初めてのお使いっぽく演出すれば一人で歩いていても奇妙に思われないだろう。
さあ行くぞと踏み出して、そして警察に保護された。
正義感の強い少年を道案内に捕まえてしまったのが主な原因だろう。
――当然ながら、父親は迎えに来なかった。
警察に保護されてから知ったこの世の常識……世間には男女以外に「第二性」と呼ばれる性別があり、それはオメガ、ベータ、アルファの三種類。オメガは引きこもりで、ベータはこれといった突出した特徴はなく、アルファはバリバリ社会人向きで家事労働のスキルポイントが0。
なんとここはオメガバースな世界であった。花ちゃん驚きー!
とは言っても、この世界の常識はpixivや個人サイトで良く見たオメガバースとは色々違っていた。オメガが弱者とか社会生活を送るのに性的に難があるとかそういうことはなく――なんと、オメガは拠点防衛に特化した能力を持った生き物だったのだ。
オメガは拠点、つまり自らの巣として認識したところに外敵を侵入させないことに関しては他の種であるベータやアルファの追随を許さず、特にその巣の主たるオメガが保護対象とする相手が巣の中にいる時は鉄壁の防御を誇る性だ。世間の認識ではオメガは手負いの獣、飢えた母熊。巣持ちのオメガに触れるべからず。巣を守るときオメガは血に飢えた獣よりも獣らしい。
アルファは巣から出て生活の糧を狩りに行くことに特化した種で、よって社会での適応力や外で生き延びるためのあらゆる能力が高い。金稼ぎもうまいし運動神経も良いので社会的地位を持っている者が多い性だ。
だが悲しいかな、彼らは嫉妬心も性欲も縄張り意識も強い。本人もしくは番のオメガが拠点を決めてしまったら、そこを自分の縄張りとしてしまい縄張りを犯す者に牙を剥くのだ。なにせ野獣レベルの闘争本能がプリインストールされているため何もしなくても威圧感が凄い。威嚇してくるともっと凄い。
で。そんな本能剥き出しで野性的なオメガとアルファに挟まれた一番平和な生き物、それがベータ。(アルファと比べれば)控えめな独占欲と性欲、まともで親切な威嚇、巣の固定化や縄張り意識がなくどこへでも転居できる精神的自由度の高さ……アルファにもオメガにも真似できない柔軟性がベータの持つ特徴の一つで、それゆえにこの社会に欠けてはならない「人類の緩衝材」とされている。
その(野獣どもに比べれば)柔らかい生き物であるベータと結婚したいと望むアルファやオメガも多いが、野獣アルファと雑食動物ベータの結婚に待っているのは腹上死の未来だけ。そのアルファは間違いなく殺人で捕まる。オメガの方もまた似たようなもので、全ての水分を失って死ぬという特殊な自殺を望むベータはいない。アルファに続きオメガもまた逮捕される。……そしてこれが何より高い壁なのだが、ベータはアルファにもオメガにも本能的な苦手意識を感じているため、特に幼い時分ではアルファへもオメガへもベータ自ら近寄ることはほぼない。
ほぼない、はずなのだが。
「花ちゃん、花ちゃんはどんなジュースが好きかなー?」
「花ちゃんはねぇ、ほろ○い白いサワーが好きぃ」
「はっはっはっそれはジュースみたいなお酒だなぁ。おい貴様、花ちゃんにアルコールを出したバカを探せ。お前はカルピス持ってこい」
中身が大人なせいなのか、オメガにもアルファにも悪感情が沸かなかった。それ以前にオメガやアルファという性があることも知らなかった。
警察の偉い人を名乗るおじさんの膝の上に乗せられてカルピスを飲みながら、現状に至った原因について考える。
全てはあの日、アルファだった通りすがりのお兄さんやオメガだった交番のお巡りさんににこにこ百点満点の笑顔を向けてしまったこと。それがきっかけだ……。
世間様から隠されて育つはずだった私の人生は思わぬ方へ転がり始めた。これからどうなるのかは神のみぞ知る、ってところか。