羊が一匹   作:充椎十四

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 ウォッカには目に入れても痛くない子供がいる。一人は十一歳になるアルファで、一人はまだ三歳のベータだ。アルファとオメガの間からベータは生まれにくいとはいえ、百組の夫婦がいればそのうち一組ほどには必ずベータの子供がいる。我が子から怯えられる夫婦の苦しみと嘆きは何度も本になりそして映画になり……アルファとオメガであれば涙なくして読めないし観れない。残念ながらベータの理解は全く得られないのだが、二性の間ではその系統の作品はいつも絶賛の嵐だ。

 

「枯れきった荒野に咲く一輪の花、だな」

 

 腹の子の第二性が分かってからウォッカの前で煙草を吸うのを辞めたジンの発言で、娘の名前は花に決まった。

 

 (アルファやオメガに比べれば)生存本能が薄く貧弱なベータだ。砂糖をまぶすように可愛がりたいし、どんな外敵からも自分が守ってやりたいし、共に生活したい。そう夢を語ったがしかし、ベータの産婆に「我が子を衰弱死させるつもりかえ?」と冷たい目を向けられては涙を飲んで諦めざるを得ない。実は腹を抱えて駄々を捏ねもしたのだが、老いた産婆は「じじいの駄々なんて可愛くないんだよ」と吐き捨てただけだった。

 花が生まれてから始まったのはベータのナニーに嫉妬を募らせ、怖がらせないように距離を保ちながら顔を忘れられない頻度で娘と面会し、ナニーから送られてくる写真を見ては嗚咽を漏らす日々。写真でしかまじまじと見れない娘の鋭い三白眼はジンそっくりで、他のパーツはウォッカに似ている。それがまた切ないやら愛しいやら。

 

 できるなら毎日でも可愛い娘に会いたかった。撫でてやりたいし抱き上げてやりたいしこの世で一番恵まれたお姫様にしてやりたい。だが、どうしようもない性差がその邪魔をする。

 なおジンはアルファ、オメガよりいっそうベータに怖がられる性のため生身の我が子に会ったことがない。ウォッカは泣けないジンの代わりに泣いた。

 

 ――その目に入れても全く痛くない可愛い我が子が、なんと警察により保護されたしまった。

 

 大人しい我が子を舐めくさり遊び歩いた女には鉛玉をくれてやった。娘の状況を探るため情報収集を得意とする幹部に大きすぎる貸しを作ることになったが、そいつもウォッカと同じオメガだ。ベータの我が子を奪われることがどれほど恐ろしいか分からないはずがない。

 

 考えてもみろ、警察などオメガとアルファの楽園だ。可愛いうちの子は泣いて毎日を過ごしているに違いない。ウォッカは不安で夜も眠れず、毎晩のように不機嫌な犬のごとく居間をぐるぐる回り、毎度ジンに絞め落とされて眠った。

 そして、仕事を頼んで二ヶ月半が過ぎた頃。はらはらと心臓を痛めながらウォッカが待つ無人のバーに、バーボンは眉をハの字にしながら現れた。

 

 バーボンは見た目の幼さなど感じさせずチェアに軽く座る。

 

「貴殿方、一体どういう風にあの子を育てたんですか? 生存本能が小指の爪ほどもない。あれではさあ食べてと言わんばかりのまな板の鯉じゃないですか」

「ど、どういうことだバーボン」

 

 ベータは弱い。アルファ相手では掘削され続け死ぬし、オメガ相手なら体の水分を全て絞り尽くされて死ぬ。それは世界の常識だ。

 本能が強化された性がアルファとオメガとは言えベータにももちろん生存本能はある。そしたその貧弱な本能が他の二つの性を拒絶するのだ。二性を前にすれば幼児は泣き、大人は愛想笑いで誤魔化しながら逃げていく。

 ちなみに、「二性から逃げ回るためにベータは拠点を構えないのではないか」という説を唱える生物学者もいたりする。納得したくないが説得力は多分にある。

 

「アルファとオメガに囲まれても逃げないし泣き喚きもしない? おいおいバーボン、俺は馬鹿馬鹿しい冗談なんていらねぇんだがよ」

「冗談なら良かったんですがね」

 

 彼女の護衛につけたカメラの映像です、とバーボンが差し出したスマホの画面に、小型カメラのものだろう不鮮明な映像が流れ始める。カメラは服の裾あたりに貼り付けられているのだろう、視点が全く安定していない。

 だが、それでもウォッカには分かる。動画に映る女の子は花だ。

 

『花ちゃん、お兄ちゃんと休憩しない?』

『しないよー』

『そっかぁ』

 

 自販機の横でエナジードリンクを飲んでいた男に誘われるもバッサリと断り、目的地らしい部屋に辿り着く。

 

『だてちゃんいますか』

『伊達ちゃんはお仕事に行っちゃったのでいません』

『じゃあまつもとちゃんはいますか』

『松本ちゃんはおトイレです。山田ちゃんと遊びませんか?』

『山田ちゃんは今いらない』

『幼女の言葉のナイフが俺の心を傷つける』

『残念だったな山田ちゃん』

『振られたな山田ちゃん』

 

 出入り口に一番近い机の男がぱっと立ち上がり花の前に膝を突き、ほのぼのと言葉を交わす。胸を掻きむしりながら倒れた男――山田ちゃんを助け起こす者はいない。

 

「こいつは」

「アルファです。目視で確認しました」

「だよな。……そんな」

 

 ウォッカはカウンターに両肘を突き頭を抱えた。娘が怪我もなく五体満足であることはもちろん嬉しいが、四肢よりも深刻な欠損が――義肢でも科学技術でもどうにもならない「欠け」があることが分かったからだ。

 

 ベータにも生存本能がある。二性より弱いがきちんとある。その本能が二性を拒絶するというのに、動画に映る花はぽややんとアルファの野郎に笑いかけている。

 顔から血の気が失せていく水音すら聞こえそうだ。今は幼いから愛でられているだけだが、あと十年も過ぎればこの限りではない。アルファは「笑いかけてくれたのは俺に好意があるから! 俺たちは相思相愛なんだ!」と屋外だろうがなんだろうが花を掘削しようとするだろうし、オメガなら「自分に笑いかけてくれるなんて……もう彼女しかいらない見えない欲しくない」と拠点に引きずり込んで花の水分を搾りにかかるだろう。

 

 生存本能が薄すぎる。もっと周囲を拒絶して睨みつけるべきだ。アルファとオメガが相手であれば、ベータは多少の過剰防衛をしたところで罪にならない。これは法律できちんと決められている。法律を作った奴等もその点をよくよく理解しているのだ。

 ――ベータが笑顔の安売りをすればヤり殺される。それが世間の常識だ。

 

「花が……俺の花が」

 

 何に増して問題なのは、本能が欠けているこの少女がジンとウォッカの娘だということだ。死のうが生きようがどうでも良い他人の子ではない。いくら愛ゆえだとしても腹上死など許せるわけもなく、うちの可愛い娘に手を出す奴は当然殺すし手を出しそうな奴も見つけ次第鮫のエサにする。

 花が笑いかけるのは家族だけで良いのだ。

 

「心中お察しします」

「バーボン! 警察に潜り込めるツテがあるならうちの子を連れ帰ってくれ!」

「あの危険な巣から三歳児を抱えて脱出しろと? 無理です」

 

 青い顔で頭をブンブンと横に振るバーボンにウォッカは掴みかかり、固い床に勢い良く押し倒した。重い音が響く。

 

「俺の! 娘の! 命がかかってるんだぞ!」

「そんなこと知ってますよ! でも自分がどんな無茶を言ってるか分からないんですか!? そんなことすれば僕の命はもちろん貴方の娘の命も消えますよ!」

 

 怒鳴り返すバーボンの言葉は正しい。アルファもオメガも、ベータに逃げられ続ける環境で育っている。

 ベータ夫婦から生まれた子はまだ身近なベータがいるだけマシで、二性カップルが両親の場合は悲惨だ。ベータが怖がるため二性専用の保育園や幼稚園に通い、ベータが怖がるため別の校舎を使い、大学でやっと同じ教室になったと思えば声を掛ける前に避けられる。社会に出ればベータはみんな愛想笑いで腰が引けている。

 

 二性はそんな経験を経てきた者ばかりなのだ。やっと出会った「逃げないし怖がらないベータの幼女」を奪おうとする相手に容赦などしないだろうし、「他人に奪われるくらいなら自分の手で殺してあげる」という危険な思考に陥る者が出てもおかしくない。

 

 やり場のない激情のあまり涙が溢れ、ウォッカの頬を濡らす。

 

「花……!」

 

 彼が娘の手を取れる日は、来るのだろうか。




ジンとウォッカならジン魚を推します。
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