jail   作:水原渉

1 / 12


 

 明け方の森の中は清涼感に包まれて、凛とした冷たさが、心地よく肌を刺激する。

 木々の匂いを嗅ぐように、両腕を後ろに伸ばして思い切り息を吸い込んでから、ルリアが明るい瞳を向けた。

「朝って気持ちいいですね!」

 なんとも抽象的な表現に、ジータは内心で苦笑しつつも、曇りのないルリアの笑顔につられて、頬を緩めた。

 最近のルリアはよく笑うようになった。

 と言っても、ジータは昔のルリアを知らないが、帝国の研究施設に幽閉されていた頃は、感情に乏しい女の子だったと聞く。

 ジータが何か答えるより先に、ルリアが楽しそうに続けた。

「森って、すごく私の最初の記憶なんですよね。もちろん、本当はそうじゃないんだけど、でもそういう感じなんです」

 ちょっと意味がわからなかったので、黙って頷く。ルリアは嬉しそうに「ですよね!」と言った。

「森にいると、ジータと初めて会った日を思い出します」

 懐かしむようにルリア。ジータは意味を理解した。

 ルリアには昔の記憶がない。そして、帝国に囚われていた頃の記憶は思い出したくないものなので、そこから逃げ出して、ジータと会ったその時を、「最初の記憶」と表現したのだ。少しこそばゆい。

 そういう意味では、ジータも似たようなものかもしれない。

 ずっと空に憧れていながら、故郷の村でただ日々を過ごしていた頃は、今思えば本当の自分ではなかった気がする。

 もちろん、その頃親切にしてくれた人たちとの思い出は大切だけれど、ルリアと出会ってからの日々こそ、自分の望んでいたものだったと断言できる。

 それを伝えようと思ったけれど、うまく言葉にできなかったので、黙ってルリアの手を握った。

 ルリアも嬉しそうに握り返して、二人はしばらく無言で森の中を歩いた。

 やむを得ず離れられない身となってしまったが、それがなくてもルリアとは特別な関係になっていたと思う。

 ジータはルリアが好きだ。このふわふわと掴みどころのない、元気で明るくて、正義感が強い小さな少女を、愛おしく思う。

 ルリアの方でも、随分ジータを慕ってくれているようなので、それが大変誇らしい。

 陽射しが枝葉の隙間から、光の筋を作っている。さえずっていた鳥たちが、二人の足音に驚いてか一斉に飛び立って、ルリアが足を止めた。

「そろそろ戻ろうか。みんなも起きてると思うし」

「そうだね」

 意味もなく見つめ合ってから、今来た道を振り返る。

 その瞬間だった。

 突然背中に衝撃が走って、ジータは身を仰け反らせた。ルリアと手が離れ、力なく地面に倒れ込む。

 背中が痛い。途方もなく痛い。

「あ、あぐあぁ……」

 言葉も出ず、硬く目を閉じて転げ回る。

 ナイフのようなもので刺された。そして今、その傷口から血が流れ出て、力が抜けていく。

 体ががくがくと震えた。冷たい汗が額に滲む。

 とにかく状況を把握しようと、最後の力を振り絞って目を開くと、青ざめて立ち尽くすルリアに、見たことのない男がナイフを突きつけて何か言っていた。

 大人しく……帝国に……助けたければ……。

 断片的に聞こえた言葉で、どうやら帝国の人間がルリアを連れ戻しに来たのだとわかった。

 何か言おうとしたら、急速に意識が遠のいた。

 喉が詰まって、それを吐き出すと視界が真っ赤に染まり、ジータの記憶はそこで途切れた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。