暗闇を抜けるとそこは見慣れた光景、その昔、故郷で通っていた剣道場だった。
篠ノ之剣道場。篠ノ之箒の祖父方が運営していた道場で、門下生には篠ノ之箒を始めに地域の子供らや大人もちらほら。後から入ってきた織斑姉弟も入れてそこそこの人数が通っていた。
郷愁の想いに耽るのもそこそこに、一夏は自分の視界が遮られ、布服ではない格好にされている事に気がつく。
「胴着かこれ?」
面垂れに胸当て、籠手に竹刀と、あからさまに剣士の格好に包まれた自分の姿を確認する術はないが、その着心地はまさしく着なれた防具と同じものだった。
この格好で何をするのか、疑問が残るままに一夏は敷居をまたぎ、道場で談笑していた男女に気づく。
片方は長い髪を後ろで纏め、献身的に手ぬぐいを渡す女──箒だった。
もう片方は渡された手ぬぐいで汗を拭く白袴の男、偽物の一夏であった。
偽物を前に随分と色っぽい視線を注ぐ箒を目にして一夏は腹の底で虫の居所が悪くなる。
半ば邪魔するように足音を踏み鳴らしながら、二人の談笑に割って入る。
「やい、頼もう!!」
ふと箒から視線が外れた男の方は、箒の視界に顔が映らない角度に入るや否や機械のように冷たい眼差しで此方をじっと見据える。
その様に一夏は肝が冷えるのを感じながら、やはりコイツは人間では無いものだと値踏みする。
「君は、誰だ?」
「俺は……あれだ、道場破りだ!!」
自分で言ってて妙に恥ずかしいが、それはそれとして顔が見えない分正体がわからないらしく、この隔離世界の拒絶をすり抜けるものなのかと改めて自分の格好に関心を寄せる。
さておきいきなり道場破りと宣言したものの、どちらと戦う事になるのか。どちらにせよ偽物を倒さない限りこの隔離世界から逃れる手段が無いため、最悪両方と戦う事も視野に入れなければならない。
「貴様、現師範代の一夏の強さを知らんのか?」
「いいよ箒。強い弱いが全てじゃないだろ」
面白くないと言う顔をして噛み付く箒を優男気取って宥める偽物と、それを妙に艶っぽく受け入れる幼馴染の姿にいよいよ腹の虫が暴れそうになる一夏は半ば急かすように畳み掛ける。
「い、いいから俺と戦えっ!」
「わかったわかった。俺が相手をしよう」
飄々とした態度で名乗り出た偽物が防具を纏いながら敷居の縁に立つ。
離れるまで箒が潤んだ視線で見送っているのが無性に腹が立ち、一夏は地団駄を踏みたくなる感情が喉元までせり上がってくるのを感じつつ、ぐっと飲み込む。
審判に箒が立ち、お互いに一礼を払ってから場に入る。
「試合は三本勝負、先に二本取った方が勝ちとする!」
開始線に付き、抜刀した後蹲踞の姿勢に構え、また立ち上がり、中段の構えで互いに睨み合う。ここまで恐ろしい程にブレもなく同じ所作で動くものだから一夏自身偽物の精度に驚いていた。これは敵が生み出した人形なのか、それとも箒が生み出した偶像なのか。もし後者であれば少しばかり気恥ずかしくも嬉しく思ってしまう。
とは言え久しぶりに箒と剣を交えた時は殆ど負け越しばかりでまともな試合にはならなかった。そもそも全国一位の猛者を相手に碌な試合をしようと言う方が無理な話だろう。もしもこの偽物が自分自身の写し鏡なら然程強くは無いはず……。
そんな事を思案しながら構えていた一夏に、瞬きも許さない速さで強い衝撃が頭を穿いた。
は……?
よろけそうになるのを必死に堪え、何が起こったのか気付くのに時間が掛かった。
「一本!」
なんだよ今の速さ!? 俺なんかより全然速い……なんなら箒より、いや、師範と同じかもしかしたら千冬姉と同等か……!?
道場内でも過去最高の強さと謳われた当時の千冬の強さを優に超える腕前にたたらを踏んでしまう。
箒は嬉しさを隠しきれていない声音で宣言し、まずの一点は向こうに取られてしまった。
怒りを抑えていけ。感情的になるな、そんな事は相手の思う壺だ。
頭の中でそんな事を反芻させながら、面越しにじっと相手の目を見る。
格子の隙間から見える奴の目は、やはりというかこれまで蹴り飛ばしてきた他の偽物と同じ黒地に金色の瞳をしていた。確かに奴は偽物で、今箒をこの場に留めている張本人らしいが、この強さは紛れもなく箒が思い描く理想の剣士なのだろう。
生半可じゃだめだ。
本気で掛からなければ。
それこそ殺すつもりで挑まなければ。
「ダァァッッ!!」
「ッ!!」
先手を打って踏み込んできた偽物の正面打ちを斜に構えた剣で受け止める。竹刀越しの打突だが、骨にまで響くような衝撃に顔を顰める。
更に畳み掛ける偽物の打突を同じように竹刀の弦で受け止め、そのまましばしの鍔迫り合い。体面の距離は程々に離れており、もしこのまま力を抜けば面打ちが決まって二本目をとられてしまう。
向こうもそれが狙いでこの拮抗状態のまま押し切るつもりなのだろう。
そんな事はさせない。
「ゼァッ!!」
一夏は手首を捻って鍔迫り合いを解き、力の掛かりが抜けた相手の腹に目掛けて抜き胴を打ち抜く。
「……一本!」
どうやら判定は入ったようで、一安心とはいかないがやっと追い付いた。
だが勝負はここからの一本試合。
先に一本制した方が勝ちとなる。
おそらくあの偽物は、技だけなら今まで相手してきた誰よりも強いだろう。それこそ千冬姉に勝るとも劣らないような強さだ。きっと生半可な剣技や勢いでは簡単に打たれてしまう。
だから、一心に攻める。
一夏は竹刀を持ち上げ、上段の構えを取る。
しかし偽物と箒はその持ち方に目を剥いた。
「右諸手……!」
「………」
それはまさしく攻めの型。
竹刀を前方へ向ける他の構えとは違い、守りを全て捨て打ちかかる事だけに特化した構え。
だがそれは
本来であれば左手で柄頭を持ち、右手は柄に添えるような持ち上げ方をするのが上段の構えである。
だが一夏はその逆、右手で柄頭を持ち、左手を添えている。
二刀流など滅多な理由が無い限り、一般的に竹刀の持ち方は習い始めの頃に左手で持ち右手は添えるように矯正される。
「ッ………」
「………」
それに呼応するように、偽物も同じように上段のの構えで迎え撃つ。
一夏とは違い、こちらは順当な構え方であった。
奇しくも鏡合わせのような戦況。どちらも攻め一辺倒の構えで互いに睨み合い、広い間合いの中で鬩ぎ合っている。
片や偽物は凍てつくほど冷たい視線で。
片や一夏は燃え滾るほど険しい視線で。
先に動いたのは偽物だった。
絵に描いたよう模範的な片手面が糸を切ったように繰り出される。
それを予見していたかのように一夏は半歩右に逸れながら踏み込み、羅刹の如き速さにてあらん限りの片手面を一息に振り下ろす。
刹那の勝負。
一際けたたましく響いた竹刀の破裂音。
偽物の一太刀は一夏の胴をすり抜け、一夏の打突が偽物の面に直撃した。
「一本!!」
三本勝負、制したのは一夏だった。
試合が終わったと気が抜けた一夏だが、脱力して踵が地につくや否や、偽物がさっきまでの飄々とした態度から一変、なりふり構っていられないとばかりに掴みかかってきた。
「何をしている一夏ッ!?」
「この、ついに正体表したな!」
一夏は偽物の突き垂を掴んで面を引き剥がす。
そして後ろに転びながら足で蹴飛ばし、巴投げで後方へとふっ飛ばした。
偽物は着地し、ようやくその顔を一夏と箒の前に見せる。
『侵入者、排除、排除』
氷のような視線を注ぐ黒地に金色瞳孔が二人を下から睨み上げ、人の可動域を逸脱しかけている四肢で地面を這っている。
おおよそ真人間とは言い難い姿に箒は息を呑む。
「箒、下がってろ」
「貴様、誰に向かって……!」
本物の一夏に掴み掛かる箒だが、その至近距離が故にようやくその面の下にある彼の顔に気がついた。
物心付いた時から慕い続けた、本当の想い人。
「一夏……?」
その声が彼の耳に届くよりも速く、一夏は竹刀を中段に構えた姿勢で飛び出し、間合いに入るやいなや瞬く速さで剣を振るう。
一夏の剣から繰り出される九つの攻撃。
唐竹!
袈裟斬り!
右薙!
右斬上!
逆風!
左斬上!
左薙!
逆袈裟!
刺突!
円環を描くように繰り出された八つの太刀と中央を穿く刺突。これらが羅刹の如き速さから繰り出され、無手の偽物はなす術無く九つの技をその一身に受けて倒れ付した。
「一夏、今のはまさか……」
「名付けて九頭龍……」
「うるさいバカ!」
箒に小突かれながらちゃんと打てた事に内心喜ぶ一夏。
拳を落とされた頭を抑えながら立ち上がる一夏の胸に箒は惜しげも無く飛びついた。
一夏は珍しく甘える幼馴染の姿にどぎまぎしつつも、彼女の背中に手を回して同じように抱擁する。
「だが……ありがとう、迎えに来てくれて」
「いいんだ。だって俺も……」
続きを言い掛けて二人は気付く。辺りの建物や景色が崩れ出し、閉ざされていた世界が崩壊しかけている事に。
「忘れてた!」
「どうするのだこれは!」
慌てふためき箒は思わず一夏に飛びつく。
「ちょ、重いって!」
「なんだと貴様!」
カッとなり拳を振り上げる箒だが、それが振り下ろされるよりも先に二人が立っていた地面も崩れ落ちて真っ白な虚無へと消えていく虚空に仲良く投げ出された。
「きゃぁああああああ!!」
「なんだよぉぉぉまたかよぉぉおお!!」
「…………」
そんな二人を他所に、もう一人の客人が別の扉の中へ入り、一足先に箒の世界から脱出していた。
◇
二人仲良く扉の外へと投げ出された一夏と箒。熱烈に抱き合ったままお互いに顔を見合わせ、さっきまでの波乱万丈な状況から打って変わって和やかな森の景色に目を白黒させていた。
「ご無事で……」
「うわぁっ!?」
「簪さん」
またしても木陰からのそっと現れた簪の姿に肩を跳ねて驚く箒。
デジャヴなのか天丼を狙ってるのか内心怪訝に思いながらも一夏は箒を簪に預けて扉のある後ろに振り向く。
消滅していく最後の扉。
結局道案内をしてくれた結の後ろ姿を捕まえられなかった、と内心残念に思っていたら、消滅した扉の背後で仮面の少年が両手を後ろ手に組んで勿体振るように立っていた。
「結!?」
声を掛けられるなり少年はすぐにその場から駆け出し、森の茂みの中へと消えていく。
「待ってくれ!」
子供と大人の歩幅だというのにその距離は縮まる事なく、寧ろ一方的に離されている節すらある。
しばらく茂みを掻き分けながら走ると次第に木漏れ日が強くなり、またも開けた場所に飛び出した。
そこにはさっきと同じように1枚の扉が立っていた。
だがさっきの五つの扉とは全く異なる点が見受けられる。
「なんで、開いてるんだ?」
ドアノブが壊れているのか施錠はされておらず、古びた木製の扉は錆び付いた蝶番を軋ませて揺れている。扉の奥は光も呑み込む深淵が広がっており、扉枠の先にある床には古ぼけたタイルが傷を晒して張られている。
誘われているのか。
それとも関心がないのか。
どちらにせよいい予感がしないが、この先へ進まないと眠ったままの結を助けてやれない。
意を決して一歩、扉の向こうへ踏み込み、中へと進む。
『ヨクモ 入ッテ キタナ』
「ッ!?」
扉の向こう、暗黒の世界に入った瞬間に突然誰かの声が聞こえた途端に扉は瞬時に閉まり、一夏を扉の先に閉じ込める。
荒く戸を叩いてみるが、見た目よりも随分と頑丈な扉は軋む音すらさせない。
背後から近寄ってくる気配に一夏は身構えるが、そいつは暗闇のなか、一夏の腕を掴んで強引に引っ張っていく。
「お前、なんなんだ!」
『俺ガ 誰ダロウト 今ハ 構ウナ』
床があるかどうかすら怪しい真っ暗な空間を、ソイツは迷うことなく真っ直ぐに進んでいる。
やがて辿り着いた部屋の端。暗いが目の前には壁があり、壁には静かに閉ざされたもう一枚の扉があった。
少年は一夏の手を離し、扉の先に進むように促す。
一夏は恐る恐る戸を開け、奥から眩い光が差し込み思わず目を細めた。
そしてひと息に戸を開け放つと同時に、一夏の背後に回っていた少年に尻を蹴飛ばされ、一夏は意図しないタイミングで先に進む事になった。
「うぉっ!?」
『アノ馬鹿ヲ 目覚メサセテ コイ。頼ンダ ゾ 一夏』
光に吸い込まれながら、一夏は一瞬だけ光に照らされたソイツの顔を見た。
「ゆ、い⋯⋯?」
瞳の色も、話す口調も性格も違う。
だが、笑った仕草はやけに、あの少年に似ていた。
◆
光の先に出ると、一夏はごく一般的な日本の街中に立っていた。
アスファルトが敷かれ、街路樹が一定間隔で植えられ、標識やガードレールで整備された車道を車や二輪車が通りすぎている。
町行く人たちの群れは疎らに散らばって賑わい、一瞬現実の町に飛ばされたのかと思ってしまうほど普遍的な環境だった。
だがよく観察してみれば街中にいる人間だと思っていたものは全部マネキンで、頭には何のパーツもなく、そこにはクレヨンで塗りつぶしたような痕があるだけで活気ある喧騒とは裏腹に微動だにしていない。
道路を走る車も形が不定形でどれも安定しておらず、運転席には誰もいなかった。
「やっぱりここも夢か。しかもなんだか薄気味悪いな⋯⋯」
どれもこれも飾り物であるはずなのに、やたらと生活感があることが気持ち悪い。早いところ結を見つけ出してこの夢の世界を壊さなければ、自分も危うい気がしてきた。
立ち尽くしているマネキンをかき分け、おもちゃ箱の様な世界を散策すること数分、一組の家族が歩いてくるのを見つけて木陰に隠れる。
何故隠れたのかと言うと、その家族だけは他のマネキンとは違い普通の、生きている人間の姿をしていた。
だが男性と女性の顔はクレヨンで塗り潰したように陰っていて視認できず、間に挟まって二人の手を取る男の子も後ろ姿からは誰か識別ができないが、恐らくこの世界に閉じ込められてる結だろうと一夏は予想する。
すぐには手を付けず、マネキンの陰に隠れながら三人の後を追いかける。離れたところから聞こえてくる会話に耳を傾け、その内容を盗み聞きする。
「今日のご飯はなぁに?」
『ハンバーグですよ、結ちゃん』
「やったぁ! ありがとうお母さん!」
物陰に隠れながら、結の言葉を耳にした一夏はとても言い難い感情に飲み込まれる。
親、そうだ親だ。あれは父親と母親、これは結が望んだ世界だ。あれらは結が望んだ存在だ。
俺達人造人間にはいるはずのない、生みの親。
どれだけ強かろうと。どれだけ早熟していて達観しているように見えても、所詮彼は、あの子は子供だったのだ。
大人に甘えたい年頃の、ただの子供なのだ。
それなのに周囲は、大人は、俺自身が。あの子に期待を架して責任を縛り付けて、罪を擦り付けて、大罪を背負わせて。
あの子の運命を決めつけてしまった。もう手遅れなほどに。
だというのに、俺は酷いことを思ってしまった。
一夏自身、物心付いた頃には一軒家で千冬とたった二人だけでの生活に寂しさを感じて過ごしていた。
他所の家庭には父親と母親が同級生らと仲睦まじく、健やかに過ごしているのを心の何処かで羨ましく見つめていた。それを知ってか知らずか千冬は何も言わずに一夏の手を引き二人だけの家へと帰る。そんな幼少期を過ごした一夏は今、目の前で見せつけられた結の夢の内容が酷く眩しかった。
それと同時に、そんな事を考えてしまった自分を憎み、一夏は千切れそうなほど唇を噛み締め、震わせた拳を硬いアスファルトに何度も叩き付ける。
こんな、こんな事ってあるかよ……!
胸の内を渦巻く浅ましい感情に無理矢理蓋をして、一夏は暴れたくなる衝動を押し殺しながら三人の後を追う。
やがて行き着いた先は一つの一軒家。
男が扉を開き、中に女と結を家の中に通そうとしていたので、一夏は慌てて物陰から飛び出し、家族の輪に割って入る。
「待て!」
一夏の声に家族は立ち止まり、不自然に陰ったままの顔をこちらに向けた夫妻と、フードに隠れてよく見えないが、結と目が合う。
「君は、どなたかな?」
「俺は結の、友達だ」
男の方から尋ねられる。ノイズでもかけているかのような曇った声で、男が一夏に問いかける。
クレヨンで塗り潰したように顔の見えない男からの質問に真正面から答える一夏だが、当の結は理解が及ばないというふうに左右の男女の顔を見合わせて首を横に振る。
「この子は君のことを知らないと言っているが……」
「結! 俺だ、一夏だ! 早く戻ろう、嫌な感じがする!」
男女の間で手を握ったままの結に近づこうとして、一夏はその場にいたマネキン共に襲われ、道を阻まれる。
球体関節を軋ませて群がるマネキンは恐ろしいもので、これが結の自分に対する拒絶であり、現実逃避の具現化だと思うとそれ以上に悲しかった。
「結っ、戻ろう、俺だけじゃない、千冬姉も箒たちも、山田先生も待ってる!!」
一夏の必死の呼び掛けに怯え、女の影に隠れる結。
その顔は恐怖というよりも嫌悪に近い表情に曇り、困惑というより拒絶の意志が垣間見えた。
「い、いや、嫌だ……嫌だっ!!」
子供の、幼い小児の喉を震わせる絶叫が住宅街に轟く。
他の何も音が聞こえなくなった。喧騒は静まり返り、マネキンは微動だにせず、町はハリボテを並べたようにチープになっていく。
「外には、行かない……ぼくはここに居る。ここに居たい……」
「……っ! 結、正気なんだな! でもなんで……!」
今までのように認識が狂っておらず、結は結自身の意志でこの場に留まろうと言うのだ。
近づこうと一歩踏み出した一夏と、逃げるように一歩後退る結。
結は二人の大人の手を握りながら震える声で叫ぶ。
「だって、外にはもうアーネスト先生はいないんだ!!!」
言ってしまった。結はハッとなって両手で口を抑える。
『認メタナ』
何処かから声がした。一夏は振り向くと、背後に結と同じ背丈の、髑髏の仮面を被った少年が自分の首に手を回して乗っかっていた。
髑髏の少年、ファントムの姿を見るなり結は血相を変えて激昂し、二人の手を振り払って前に飛び出る。
「助けて、ガーディアン!!!」
眩い光に包まれて結は堅牢な鎧の機体に乗り込む。全てを拒絶し殻に篭る駄々っ子は過去に縋るように鎧の拳を振りかざした。
「クっ、白式……!!」
応戦しなければならないと判断した一夏は機体を展開し、振り下ろされた拳を両腕で受け止める。甲高い金属音がハリボテの世界に鳴り響き、風圧で辺りの諸々が吹き飛ばされる。
結はわかっていてこの世界に留まっていた。
連れ戻さなければ彼の生命が危うい、だが無傷で連れ返せるほど器用な真似は出来ない。ならばどうすれば。
『マッテタゼ、コノ時ヲ!!』
思案する一夏を他所に背中にいた少年は一夏の機体に手を翳すと、掻っ攫うようにその場から一夏を置き去りにして白式を持ち去る。
骸のような機体は白式を着込み、くすんだ鉄色のフレームに純白の四肢が被さっていてミスマッチな配色をしている。
『シャァッ!!』
ファトムは呆気に取られるガーディアン目掛けて拳を振りかざし、重たい金属音を響かせて張り倒す。更に畳み掛けるようににじり寄り、左腕の大型クローで横薙ぎに殴る。だがガーディアンはクローの横殴りを受け止め、大振りなラリアットでファントムを殴り飛ばした。
置き去りにされた一夏はその場にへたり込むが、目の前で三メートル近い巨躯の機体同士がハリボテの町中で取っ組み合いの喧嘩を始め出し、止める手段を横取りされた一夏には逃げるしか出来なかった。
『ジレッテェ ン ダヨォォッッ!!!!』
ファントムは大柄なガーディアンを背負い投げで投げ飛ばす。その場でファイティングポーズを構え、背部スラスターを全開に噴かして飛び出したファントム。
両親の前で体勢を起こしたガーディアンは両腕を突き出してファントムの突進を受け止め、同じように背部スラスターを全出力で稼働さして相手の勢いを殺す。
少し離れたところに置き去りにされた一夏。ただ呆然と、取っ組み合いの喧嘩に発展していく二機の争いを眺める事しかできず、力なく膝をついてしまう。
薄っぺらの町並みを破壊しながら、二人の少年の争いは続いていく。
これまでの鬱憤を晴らすように、積もり積もった怨みが形となって、台風のような暴走を引き起こす。
「やめろ、ふたりとも……もう、止めてくれ……ッ」
二人を食い止める術のない一夏はその場で涙を流す事しか出来ずにいた。その涙はどちらかに向けてではなく、両者を思ってのものだ。表裏も何もない、二人が居ての『上代 結』の二人が今互いを葬らんと拳を握る。
そんなつらい現実があっていいだろうか。
こんな自殺とも呼べるような殺意を、どうして止められるだろう。
一夏の制止の言葉は破壊音にかき消されていくのだった。