IS【小さな少年は盾を構える】   作:屍モドキ

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五十七話 二人の距離

 福音討伐を終え旅館に帰った結達を待っていたのは冷たい迎えだった。

 

 空を青く照らす太陽は貫徹で戦闘続きだった八人には相当堪えているようで、旅館の玄関前で立たされている皆々は平然を気取っている者もいれば初の戦闘で倒れそうになっている者や罪悪感からずっと俯いている者など、様々だった。

 

「さて、福音討伐。よくやったと言いたいところだが……」

 

 織斑先生が言葉を発したと同時に旅館の戸口から素足で出てきた山田先生が無言のまま結のところまでずかずかとやってきてそのまま結の目の前で立ち止まる。

 

 誰もが心配のあまり抱き締めるものだと思っていた。

 

 だが真耶は結の頬を打った。

 

 卵が潰れるような不格好な音がしたが、それでも結は少しだけ体勢が崩れてよろける。

 対して真耶も大粒の涙を流し、肩で息をしながら震えていた。

 

 いつもはおっとりとしている真耶だが、そんな彼女の突然の行動にまわりは驚きのあまり何も言うことができず、しかし誰一人として止めに入りはしなかった。

 

 否、できなかった。

 

「約束、したじゃないですか」

「…………」

 

 結は何も言わない。

 打たれた頬を手で抑えながら俯く姿は更にに小さく見えた。

 

「無茶なことしないって言ったじゃないですか、危ないことしないって約束したじゃないですか……なのにどうして……!」

「……ごめん、なさい」

 

 泣き腫らし、それでも止めどなく涙を流す真耶は上擦って震えている声音で子供に言い聞かせるように、結の目の前で膝を付き肩に手を置いて濡れた双眸で結をじっと見つめている。

 

「どうしてあなたは、私との約束破って! 危ないことしてッ! 自分のことなんて何も考えずに誰かのために、そこまで必死になれるんですかぁ! どうして、私の言うこと聞いてくれないの………?」

 

 真耶は力無く結にもたれ掛かってしがみつき、二度と離さないと言わんばかりに力いっぱいの抱擁をして泣きじゃくる。

 

「まやせんせい、痛いよぉ……」

 

 ずっと堪えていたらしい結も堪らずぼろぼろと涙を流し、おいおいと声を上げて真耶に泣きついていた。

 

 今まで他人にあまり感情をみせることが無かった結が今、弱音を吐き、号泣し、年相応の感情をありのままに出している。

 皆々初めて見る結の感情に面食らって動けずにいたが、千冬は他の者に目配せして気を引き、号令をかける。

 

「帰ったらたっぷり罰則課題を出してやる。それと今回の事件は他言無用、喋れば厳罰だ。以上解散」

 

 

 

 その後は身体検査を受け、結は一夏に抱えられ朝風呂で汗を流す。

 目を離せばすぐに湯船に沈んでいく結を一夏が逐一引き上げ、おちおち温もることもままならず一夏は早々に風呂から上がる。

 

 そして部屋に戻ると結は真耶の折檻を食らっていた。

 

 お互いずっと泣き散らして誰が説教をしているのかわからない状態だったが。

 

 

 ◇

 

 

 林間合宿で泊まれる最後の日でもあって自由行動となっていたが、福音討伐作戦に参加した面々は当然のごとく部屋での待機命令が下され、抜け出しても良いことは無いので仕方なく夏日の日陰で各々の時間を潰していた。

 

 最後に海を楽しみに行くものや散歩に出るもの、部屋でのんびりしたり、各々の時間を有意義に過ごす者達を一夏達は部屋の外から羨ましそうに眺めていた。

 

 

 

 その日の晩は一層豪華な食事が出され、これまで以上に気分が高揚している一般生徒は討伐メンバーにここぞとばかりに作戦の顛末を聞くため群がっていた。

 

「ねーぇー教えてよう〜」

「だーめ。もし聞いたらそっちだって厳罰の対象なんだよ?」

 

 それでもそこは一国の代表候補生、簡単には口を割らず一貫して黙秘を続けており消して口外することはなかった。

 

「ところで上代君は?」

「朝からずっと寝ています。相当疲れていたのでしょう」

 

 あの戦闘で一番奮闘していたであろう少年。

 その日初めて使う思考操作武器計八つを難なく操り、挙げ句の果てに形態移行に近い何かまで発現させた彼に掛かった負荷はけして軽いものではないはずだ。

 

 真耶の説教の末終わったと同時に前のめりに蹲り、そのままなきべそが寝息に変わった結は泥のように眠ったらしい。

 流石に布団へ運ばれたが、運んだ真耶の服の裾を握ったまま離さなかったので真耶も道連れにされていた。

 

 その姿を千冬がここぞとばかりに携帯電話を取り出して嬉しそうに激写している姿を見て一夏を始めとした面子が冷めた目で見ていたとか。

 

「へぇ、それで織斑君は?」

「いないな……大体察しはつくが」

 

 視線だけ窓の向こうへ送ってお吸い物を啜るラウラはため息を吐いて知らないなと吐き捨てる。

 

 私も色恋沙汰には疎いが、あれらの恋路は知っているさ。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 誰もいない夜のビーチ。

 

 一夏は食後の運動がてら旅館を抜け出して海で一人泳いでいた。

 暫くそうして波に持を任せて泳いだ後、海から上がってって耳の中の水を抜き、傍の岩場に腰かけて決戦に赴く直前に見た夢の内容をぼんやり、思い出していた。

 

 そういえば、何か夢を見てたんだ。

 どんな夢だったっけ⋯⋯。

 

 起きた直前はしっかり覚えていたはずなのに、今ではその内容すら朧気になっていた。

 唯一さざなみの音だけははっきりとしていて、それだけが現実と重なって余計にもどかしさが胸にわだかまりを作ってもいた。

 

「い、一夏」

 

 名前を呼ばれて振り返る。

 

 そこには先日見た白いビキニを纏った箒が恥ずかしそうに、体面を腕で隠すように手を組みながら立っていた。

 夜とは言え満月が昇っている月下で夜目が利くこの状況では箒の姿が良く見えてしまい、数秒じっくり眺めた後イケナイ気分になって、慌てて目線を反らす一夏。

 

「あ、あまり見ないでくれ、恥ずかしいのだ⋯⋯」

「お、おう、すまん⋯⋯」

 

 そこで会話は途切れる。

 箒は何も言わず一夏から少し離れたところに座り込み、何か話そうとはするがうまく言葉は口から出ずに無為に時間だけが過ぎる。

 

「そういえばさ、髪、大丈夫だったか? 少しは焼けただろ」

「あぁ、それなら問題は無い。新しいリボンだってその、もらったしな⋯⋯」

「改めて、誕生日おめでとうな」

「あ、あぁ⋯⋯ありが、とぅ⋯⋯」

 

 自分の髪を撫でながら箒は少しだけ気恥ずかしそうに照れながらも、優しく微笑んでそ礼を言う。

 

 またしても沈黙が走る。

 

「お前こそ、大丈夫だったのか? その⋯⋯その、怪我をしていただろう」

「あー、なんか起きたら治ってた」

「そんな馬鹿なことがあるわけがないだろう!?」

 

 箒は見せてみろと声を荒げながら一夏の肩を掴んで背中をむけさせる。そして広い背中をまじまじと触れ、撫で、摘まんで隅々までよく観察してみるがどこにも外傷はなく健康そのものの背中しかなかった。

 

「消えている⋯⋯本当に何もないのか?」

「あぁうん。治った。あれじゃないか? ISの操縦者保護機能ってやつ」

「あれはただ保護するだけだろう。治すなんて聞いたことが無いぞ⋯⋯」

 

 あっけらかんとしたままの一夏は何一つとして気にしていない様子だったが、それを箒は気に食わないと言うように話を終わらせなかった。

 

「それでは駄目なのだ、そんな簡単に許されると、困るのだ⋯⋯」

 

 目に見えて落ち込む箒をみて一夏は困ったふうに顔を顰めるが、彼女の心象をくみ取ってみることにした。

 

「それじゃあ、俺が今から箒に罰をやる。それでいいか?」

「わかった⋯⋯」

 

 けして本意ではない。

 だがけじめをつけなければ彼女は自分んを許すことはしないだろう。

 

「よし、目を瞑ってくれ」

「う、うむ」

 

 決心した面構えでぎゅっと目を瞑る箒の額に一発、いい音を弾かせてデコピンをくれてやった。

 

「あだっ」

「はい終わり。これに懲りたら自意識過剰と独断先行は控えろよ」

 

 ぽかんとしていた箒だが、見る見るうちに顔を赤くして一夏に突っかかる。

 

「ふ、ふざけているのか!? あんなデコピンくらいで、そんな⋯⋯!」

「まぁ落ち着けよ、その、当たってる⋯⋯」

 

 一夏は気まずくなって目を反らしながら箒の肩をもってどうにか宥めるが、そんなことをお構いなく詰め寄ってくる箒のただでさえ豊満な胸が心許ない布地一枚隔てて一夏の胸板に押し当てられ、簡単に形を崩して潰れる。

 

 それに気づいて慌てて離れる箒は自分の胸を抱え、抗議の目をじとー、と一夏にぶつける。

 

「人が真面目な話をしている時に、お前と言う奴は⋯⋯⋯」

「すまん、すみませんでした⋯⋯」

 

 鋭い眼差しは変わらないが、その中に熱を持った目線を感じてもう一度箒の方を向くと知らぬ間に手を取られ、彼女の胸に添えられる。

 手に収まりきらない柔肌の奥から伝わってくる熱く、速い動脈の音が箒の内に秘めた感情を表しているようで、釣られて自分もどくどくと脈拍が上がっていくのが分かる。

 

「その、お前は、私のことを異性として、意識するのか⋯⋯?」

「う、ん⋯⋯」

 

 今にも消え入りそうなかぼそい小声でぽそぽそと呟く箒の言葉が一言一句鼓膜に響いてくる。

 満月の優しい月明かりに照らされた麗しい水着を纏った幼馴染が、いつにもましてきれいに映った。

 

 密着した状態で互いの鼓動の音が交じり合い、時間の感覚がどんどんと狂ってしまうなか、どうどうと頭がこんがらがる中で箒の潤んだ瞳と目が合い、しばらく動けないまま互いを見つめ合う。

 

 熱い視線はずっと目を見あったまま、やがてどちらともなく距離が縮まり、そして唇が触れ⋯⋯⋯

 

 

 ⋯⋯ることは無かった。

 

 

「⋯⋯箒?」

 

 箒が手で遮ったことにより互いの口が触れることはなく、一夏は箒の突き出された掌と熱いキスをしていた。

 なんとも言えない感触に何を感じていいのか分からず困惑していたが、箒は切ない表情のまま名残惜しそうにも『今以上の関係』を拒んだ。

 

「今の私にそんな資格はない、こんな体たらくではお前の隣には立つことなどできない⋯⋯」

「そんな、そこまで言わなくたって⋯⋯」

 

 一夏は気にしていないと伝えるが箒は必死に頭を振ってそれを拒む。

 

「これは私自身へのけじめだ、お前が許しても私は許せないのだ。だが⋯⋯」

 

 涙は見せない。

 手に入る愛を彼女は受け取らなかった。

 

 もしもそれを手にすればこの事件で起きた事が全て妥協で収まってしまうから。

 

 それが箒は許せなかった。

 

「いまにきっと、一夏の隣に居られるような人間になる。それまで、待ってもらえないか?」

「そうか⋯⋯わかった。けどな」

 

 一夏は言い切らずに身を乗り出して箒を抱き寄せ、彼女の額に口づけをする。

 

「なっ⋯⋯!?」

「このぐらいならいいだろ?」

 

 何か言いたげな箒はぱくぱくと口を開閉させながら震えていたが、一夏に頭を撫でられて否応なく黙り込んでしまった。 

 

 そんなじゃれ合いをしていればそろそろ時間もいい頃合いになってきたので旅館に戻ることにした二人。

 

 

 旅館に戻る短い時間、会話は無かったが、二人はずっと手を繋いでいた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「紅椿の稼働率は絢爛舞踏を含めても四十二%かー、ま、こんなところかな? そしてゆーくんは初めて使う兵装をああも簡単に使いこなすなんて、やっぱり人間じゃねーぜ」

 

 空中投影ディスプレイに浮かび上がった各種パラメーターや記録映像を見ながら、篠ノ之 束その人は子供のように、天使のように無邪気に笑う。

 

 峠の柵の上に腰かけて崖の向こうに投げ出した足を当てもなく揺らす姿は年端も行かない無邪気さを感じさせるが、場所が場所なだけに可愛らしさは薄れていた。

 

「それにしたって白式には驚かされるなぁ。まさか搭乗者の生体再生まで可能なんて。まるで⋯⋯」

「まるで『白騎士』のようだな。お前が心血を注いで作り上げたコアナンバー〇〇一にして初の実践投入機、一番目の機体にな」

 

 音もなく表れたのは漆黒のスーツに身を包む千冬。

 

「やぁ、ちーちゃん」

「おう」

 

 二人は互いの顔を見ない。

 

「ところで、その白騎士はどこへ行ったんだろうね?」

「白式を『しろしき』と呼べば、それが答えなんだろう?」

 

 かつて『白騎士』と呼ばれた機体はコアを残して解体され、第一世代開発に大きく貢献したものの、とある検挙襲撃事件を皮切りにその行方をくらませていたが、いつしか『白式』と呼ばれる機体に組み込まれていた。

 

「あっはは、せいかーい。それで例えばの話、コア・ネットワークでやり取りしていたとするよね? ちーちゃんの一番目の機体『白騎士』と二番目の機体『暮桜』が。もしそうなら同じ単一仕様を開発したとしても不思議じゃないよねぇ」

 

「不思議だよね、あのコアは確かに初期化したはずなんだけどね」

「あぁ、不思議なものだ」

 

 

「不思議と言うならゆーくんもさ。まさかISのコアとあれだけシンクロできるなんて」  

「コアの人格とも言うべき核か」

「そうさ」

 

 あれは私が作ったんじゃない。

 ()()()()()()()()()()()

 そこにある人格とも呼べるものを核として確立し、コアと呼べるものに昇華させたに過ぎないんだ。

 

 それを人が乗れるようにしたのは確かだけど、ゆーくんのあれは人がISに乗られてる感じだよね。

 

「でもあのISに身体を奪われることなく均衡を保っているのはきっとあの盾のおかげだよ」

「やはりそうなのか」

 

 あの盾はISの力を封じ込める。

 それは全てのISに置いて天敵ともなる禁忌のような力を有してい居るはずなのに、その力は己に向けて発動させ、決して誰も傷つけず、誰からにも傷つけられない強固な要塞の中に閉じこもっていた()()()()がISの核と共鳴し、先日の全く別の形態移行を可能にした。

 

「わかんない事だらけだよ。でも、それでいい」

 

 そう、それは問題ではない。

 束にとっては分からなくても問題ではなかった。

 

「そうだな、私も一つたとえ話をしてやろう」

「珍しいね、ちーちゃんが」

 

 例えばとある天災が一人の男子の高校受験場所を意図的に間違えさせたとする。そこで使われるISをその時だけ動かせるようにする。そうすると、本来男が動かせないはずのISが使える。と言う事になる。

 

「ふ~ん? でもそれじゃあ継続的には動かせないよね?」

「そうだな、お前は長い事同じものに手を加えることはしないからな」

 

 言われて嬉しそうに笑う束を他所に千冬はまあいいと切り上げて次の話に移る。

 

「とある天才が妹の晴れ舞台で華々しくデビューさせたいと企てる。そこで用意するのは専用機とISの暴走事件だ」

 

 束は何も答えない。それでも千冬は言葉を続ける。

 

「暴走事件に際して新型の高性能機を作戦に加え、妹は華々しく専用気持ちとしてデビューということろだ」

「へぇ、不思議なたとえ話だねぇ。凄い天才がいたもんだ」

「あぁ。かつて十二ヶ国の軍事コンピュータを同時にハッキングするという歴史的大事件を自作した天才がな」

 

 束は何も答えない。千冬もなにも言わない。

 

「ねぇちーちゃん。今の世界は楽しい?」

「そこそこにな」

「そっか」

 

 峠に噴き上げる風が一度強くうなりを上げた。

 

      

 

 その風の中、束は何かを呟いて姿を消した。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 千冬は深く息を吐いて寄りかかっていた木の幹に後頭部を押し当て、その場を去る。

 その口から漏れた声は潮風にながされ闇へと消えた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「んぁ……」

 

 さめざめとした憂鬱な気分で目覚めた結は暗い部屋の中、月明かりだけを頼りに起き上がってゆったりとホールドされた真耶の腕の中から這い出る。

 

 やたらと視界が良い。

 と言うよりハイパーセンサーを起動している時のような鮮明な視界情報に感動する反面、情報量の多さに吐きそうになる。

 まだ夜で良かった。これが昼間だったら日陰にいても陽光で目を焼いていたかもしれない。

 

「ん……結ちゃん……?」

「おはよ、真耶先生」

 

 胸の辺りにいた結がいなくなったことで隙間が開き、薄ら寒くなった温度感で起きた真耶が手探りで眼鏡をかけ、目をしばしばさせながら布団から出てくる。

 

 布団の上で鎮座する真耶はそばに寄ってきた結を抱え、そのまま支えにして頭が覚醒するのを待っていた。

 

「ん、起きたか」

「織斑先生、おはようございます……」

 

 隣の襖が開き、浴衣に袖を通す織斑先生が此方に気がついて声をかけてくれた。

 

「すまないが食事は下げてもらった。時間なのでな」

 

 時計を見れば午後の十時を回ったくらい。

 流石に夕食と言うには遅すぎるため、二人のために用意されていた夕餉は回収されたらしい。

 

「何か食べたいなら厨房を借りるといい。許可は取ってある」

「すみません、ありがとうございます……」

「気にするな、それに今の上代ならそっちのほうがいいだろうさ」

「それは、どういう……?」

 

 優しく微笑む織斑先生の意図がいまいちわからず二人して互いの顔を見合わせる真耶と結は首を傾げるが、二人の腹からなんとも可愛らしい鳴き声がしたので、ともかく何か口にするべく千冬に頭を下げ部屋を後にする。

 

 途中で心配になって様子を見に来ていた中居さんに会い、一連の流れを掻い摘んで教えてもらい改めてお礼を言う二人に中居さんはなんだか嬉しそうに笑いながら、厨房のあるところまで案内してくださった。

 

 こんこんと目が覚める真耶は浴衣の袖を襷で結び、冷蔵庫から食材を拝借しだだっ広い厨房の片隅で一人調理を始める。

 

 野菜を切り、肉を削ぎ、仕込みを済ませ米を炊く。

 やたらと趣のある調理器具で肉野菜に火を通し、調味料を適量まぶし簡単に味を整える。

 

「はい、出来ましたよ」

「……いただきます」

 

 結が取り出してくれた食器に盛り付け二人で手を合わせる。

 

 味がわからないのにこんなものを作ったって……。

 

 いつも思う嫌な事。

 彼は美味しいと言ってくれるが、本当に美味しく思ってくれているのかわからない。自分も同じものを食べているから味が悪いなんてことはあまり無いが、彼が本心から食事を楽しんでいるかが不安だった。

 それでもいつも残さず完食してくれる結は何を思って食事をするのか。

 聞きたくても怖くて聞けなかった。

 

 そんな結が、遅い夕飯に箸をつけて一口頬張った瞬間目を見開き、ピクリとも動かずに固まってしまったのだ。

 

 まさか味付けを失敗したか、いやそんなことに気づくのか?

 色々な不安感が綯交ぜになりながらおろおろしていると、結が咀嚼して口の中のものを飲み込んで口を開く。

 

「おい、しい……」

「結ちゃん?」

 

 何かを確かめるように結は一口、また一口食事に手を伸ばし口いっぱいに頬張ってもごもごと咀嚼をしている。

 

「おいしい!」

「は、え、え?」

 

 今までこちらが感想を聞くまでけして言葉を発することは無かった結が自分から美味しいと言い、また味を確かめるように料理をどんどんと食べすすめていった。

 

「結ちゃん、味覚が、戻って……」

 

 少し遅れてようやく結の変化に気がついたらしい真耶はさっきまで感じていた不安感が全て一掃され、今目の前で食事を必死に楽しむ結に抱きついて本日何度目かわからない大粒の涙をだばだば流す。

 

「良かった、良かったよぉぉ………!!」

「くるひぃい」

 

 その日の野菜炒めはちょっとだけしょっぱくなった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 よほど嬉しかったのか泣き疲れて眠ってしまった真耶を見下ろし、逆に夕飯を食べて目が覚めた結は物音を立てないように縁側の窓を少しだけ開き、外の空気を一身に受ける。

 

「わぁ」

 

 星々が瞬く暗い藍色の空に、昼間のときとはうってかわって影のように黒い雲が流れ、揺れる海面は月明かりに照らされて白い輪郭を揺らしながら波打っている。

 

 天高く上る満月は地上を優しく照らし、誰もいない海を彩っていた。

 

「夜の空ってきれいなんだね」

 

 熱帯夜で茹だる頬を涼しい潮風が撫でて吹き去り、鼻腔に潮の香りを残していく。

 

 草木も眠る静かな夜、遠くから聞こえるさざなみの音を子守唄代わりに布団に潜る結は真耶の懐に寄り添って彼女の人肌に安心感を懐きながらまた、夢に落ちる。

 

 

 ◇

 

 

 翌朝朝食を摂り、すぐにIS及び専用装備の撤収作業に当たる。

 その後すぐに各クラスのバスに乗り込み、昼はサービスエリアで摂るらしい。

 

 粗方の作業が終了してバスに乗り込んだところで、一人の女性がバスに乗車してきた。

 

「織斑一夏くんはいるかしら?」

「はい?」

 

 サングラスでよく分からないが、金髪の女性は一夏をみつけるとずかずかと近づいてきて身をかがめ、サングラス越しからじいと見つめてくる。

 

「へぇ、君が⋯⋯それじゃあ隣の男の子が、あの時の盾の子かしら」

 

 一夏と隣の結を交互に見やりながら謎の女性は品定めをするように楽しそうに、まじまじと観察をしてくるので落ち着かずに目線を反らしてしまう。

 かくいう結は逆に女性の事をじぃ、と見つめていて鼻をひくひくと揺らしながら無遠慮に匂いを嗅いでいた。

 

「オレンジのにおい」

「コロンよ、良い香りでしょ?」

「それと、血と消毒液の匂い、やっぱり怪我してる、の⋯⋯?」

「⋯⋯⋯」

 

 椅子から飛び降りて女性の元に駆け寄る結は泣きそうになりながら彼女の前に出て深々と頭を下げた。

 あまりの光景にバスの中は騒然となるが、事の顛末を知っている一夏や箒、教師陣は何も言えずに様子を見ていた。

 

「ごめんなさい、ぼくが、あの子を⋯⋯お姉さんを⋯⋯ぼくのせいで⋯⋯」

「いいの、あの子はずっと私を守ってくれてたから」

 

 その様を見て一夏たちはこの女性があの福音の搭乗者だと言う事を悟る。

 

「そう、私が『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』のパイロット。ナターシャ・ファイルス」

 

 ナターシャと名乗った女性は結に顔を上げさせ涙を払い、少年の頬にキスをする。

 度肝を抜かれて呆けている周囲をよそに一夏にも同じように頬へ口づけをした後ウインクを飛ばしてさっそうとバスを降りて行った。

 

「なっ⋯⋯!?」

「ありがとう。じゃあね、二人のナイトさん!」

 

 颯爽と去って行くナターシャを見送る二人は呆けたまま動けなかったが、それ以上に真耶と箒は雷にでも打たれたかのように硬直していた。

 そして声にならない悲鳴がバスの中に木魂し、世迷言を連ねる真耶に結がもみくちゃにされたり何処からともなく飛んできたペットボトルに一夏が頭部を狙われたりと大騒ぎになっていた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 バスから降りたナターシャは千冬の元に行く。

 

「あまり火種を残してくれるな、ガキの相手は面倒なんだ」

「うふふ、あまりに可愛い男の子がいたから、ついね」

 

 悪戯っぽく笑うナターシャだが嫌な汗がつたっているのを千冬は見過ごさなかったが、あえて何も言わなかった。

 

「体は大丈夫なのか」

「えぇ、ずっとあの子が守ってくれていたから」

 

 全てのISを敵としか認識できない様にされ、強引な形態移行にコアネットワークの遮断。 自分を孤独に晒してまで搭乗者であるナターシャを、己の身を極限まで酷使して守り抜いた福音はそのコアこそ無事だったものの、この暴走事件を招いたことから今日未明にコアを凍結処理されることが決定した。

 

「⋯⋯何よりも飛ぶことが好きだったあの子が翼を奪われた。相手が誰であろうと、私は許せない」

「あまり無茶はするな。この後も査問委員会があるのだろう? 今は大人しくしておいたほうがいい」

「それは忠告ですか、ブリュンヒルデ」

 

 IS世界大会の総合優勝者に授けられる最強の称号。

 千冬はそれの第一回受賞者ではあったが、その名で呼ばれることは好きではなかった。

 

「アドバイスさ」

「そうですか、ならば今は大人しくしていましょう⋯⋯今はね」

 

 鋭い視線を躱して互いの帰路に着く。

 その背中には再会を誓う言葉があった。

 

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