その日の晩、楯無との部屋に担ぎこまれたのは気絶してボロボロになった一夏だった。
「織斑先生? 彼はどうしたんです?」
「なに、ちょっと扱いただけだ」
そう言いながら千冬はボロ雑巾のような一夏を楯無に預け、軽くなった肩をゴリゴリ鳴らしながら部屋を去る。
殆ど汚れてもいない千冬はふと立ち止まり、伝言を楯無に残した。
「そうだ。明日の晩も同じ場所に来いと伝えておけ」
「わ、わかりました」
今度こそ去っていく千冬だが、その足取りには若干の疲れが見えた。
ややあって目を覚した一夏は飛び起きたと同時に筋肉痛やら打撲やらで苦悶の表情を浮かべてのたうち回る。
目を点にしながらベッドの上であたりを見回し、アリーナの地面の上でない事を知ると一夏は乱れた呼吸を整えながら隣で寝ていた楯無に経緯を尋ねた。
「あれ、俺確か、千冬姉と試合してませんでしたっけ……?」
「気絶して担ぎこまれたわよ。昨日は何があったの?」
上から覗き込むのは同室の楯無先輩。
あの世界最強と謳われる織斑千冬と気を失うまで戦い続けたと聞けば、流石の楯無も心配が勝っていた。
一夏はその場に座り直し、昨日の事を思い出していた。
『私に勝てたら教えてやる』
その言葉を聞いて突っかかった一夏だが、いくら機体性能に差があろうと関係無いと言わんばかりに一方的な試合を繰り返し、手も足も出ないまま返り討ちにされていた。
「結局何も聞き出せませんでした……」
子供のように不貞腐れながら、一夏は正直に話す。
強くなりたいと願っても力はつかない。
学園に入ってから幾度となく戦い、時に命を危険に晒したりもしたが、それでも遥か高峰にいる姉に届きもしなかった。
自惚れていたわけではない。
少なくとも一撃ぐらいは一矢報いようと藻掻いてみたのだが、掠りもせずに叩き伏せられた事実が何よりもつらかった。
暗く俯く一夏は信じて積み上げてきたものを全否定されている気分で、すっかり意気消沈していた。
「一夏君はもっと強くなれる。焦っちゃだめだけど、時間もないのよね」
「…………」
それでも一夏の表情は変わらない。
みかねた楯無はやれやれと頭を振り、無理やり一夏の頭を胸へと抱き寄せる。
「えい」
「のわっ!?」
すぐに飛び退こうとする一夏だが、全身を痛めた状態ではさしたる抵抗もできずにされるまま楯無に抱擁されていた。
「無理しなきゃいけないのはわかるわ。けど潰れちゃったら元も子もないじゃない。どうか道を踏み外さないで」
「楯無さん……」
さながら母親のような慈しみに満ちた声に、一夏は無意識に脱力していた。思えばあの晩からずっと焦燥感に駆られて突き動かされていた気がする。思いとどまった頃にはどうどうと滾っていた血の気が収まり、肩の力が抜けていた。
「あなたの講師は織斑先生だけじゃないからね。私もビシバシ鍛えてあげるわ!」
「望むところです!」
鋼は何度も熱して、叩いて、鍛えて、刀と成り得る。
今一夏は、綽々と熱されている最中なのだ。
ならば今こそ極限まで鍛えてやるのが役目。
「それで、タッグトーナメントはどうするの?」
「へ?」
◇
窓の無い部屋で時間帯を把握するのは難しい。
機体情報から日時を知るのは難しい事ではないが、日照を浴びないのはやはり肉体的に健康とは言い難い。
それはそれとして、ひとまず外に出たいと思う反面、何処に行こうか迷う。
別にどこに行こうと構いやしないが、下手に歩き回るのは情報収集には向かない。何かいいもんはないか。
ボロ雑巾以下の布切れの中から比較的まともに形状を保っている衣服を纏いながら、亡霊は今後の活動について方針を決めあぐねていた。
サテ、暫ク結ノヤツハ出テコナイ ダロウシ、コノママ自由ヲ謳歌スルノモ アリダガ、何処マデ動ケバ イイモンカ。
別ニ ココカラ逃ゲタッテ イイガ、ダトシタラ マタ
行くあてもないがとりあえず出ようとしたところ、扉の向こうからノックの音が転がってきた。
「結、居る?」
声の主は簪だった。
一夏と買い出しから戻ってからずっと気を失っており、それからも学校に出ていないと聞いていた簪は心配が募り、こうして顔を見に足を運んだ次第である。
強固な扉の前で立ち尽くすばかりの簪は、結からの返事をじっと待つ。
「『なぁに、お姉ちゃん?』」
扉越しに返事が帰ってきて簪は安堵した。
「この前から学校来てないみたいだったから、気になってさ」
「『そっか心配かけちゃった。ごめんね?』」
普段となんら変わりない。
いや、少しばかり人懐っこいような甘い声音。
いつもの結はこんな猫なで声など出さないはず。
扉の向こうから聞こえてくる結のはいつもの少年の声のはずなのに、その話し方、その特徴から何もかもが別人のような気がしてならなかった。
「ねぇ、結。中に入っても、いいかな……?」
最初とは違う意味で少年の安否が気になった簪は、躊躇いながらも中の様子を確認したくてたまらなかった。
嫌な汗が背中を伝い、掌を湿らせる。
脳裏に虫唾が走る。
本能が何かを危険だと知らせるのに、何が危険なのかがわからない。
自分で部屋の中に入りたいと言ったが、内心断って欲しかった。
だが現実はそうもいかないらしい。
「『…………いいよ』」
間を開けて帰ってきたのは承諾の意。
がちゃんと施錠が開かれ、冷たいドアノブが回る。
重たい金属製の扉はすんなり開き、中へ通路の光が滑り込む。
「いらっしゃい、お姉ちゃん」
そこには暗く荒んだ室内が広がっていた。
散乱した雑貨や破片、破り捨てられた服や本、横転したベッドや机、よく見れば壁や床などには飛び散った血痕がこびりつき、獣が暴れたような有様の室内は明らかに心身の異常をありありと示している。
だが彼は作り物のような優しい微笑みを顔に貼り付けて、塵芥と化した日用品に囲まれながら、少年の形をしたそれは当たり前のように部屋の奥から手招きしてくる。
結であって結ではない。
あきらかに平常ではない室内で、知っている顔をした知らない誰かに見据えられながら、簪は内心の震えを抑えるのに必死だった。
二の腕に虫が這うような寒気が、扉を跨いだ瞬間からずっと絡みついてくる。
早くここから逃げ出したい。だがぬかるみに足が埋れてしまったかのように固まり、動けなかった。
目の前まで近づいてくる少年は、カメラのように無機質な瞳でじっとこちらを見上げている。そのどこまでも生気のこもっていない瞳孔はまるで監視されているかのようで、居心地の悪さや部屋の環境も相まってさながら拷問部屋にでもいる気分だった。
「わ、私、整備室にっ、用事があっ、あったんだ、った……!」
一瞬の硬直の後、痺れていた体が感覚を取り戻したと同時に簪はあからさま過ぎる言い訳を連ね、足を床から無理やり引き剥がしながら叩き壊す勢いで部屋から飛び出し、そのまま早足に去っていった。
「『あ〜あ、からかい過ぎたかな。フフフ』」
亡霊はケタケタ笑いながら、手の中で茨に巻かれたデータチップを弄る。それを首筋の挿入口に射し込むと、機体のデータベースに【打鉄弐式】の機体情報が流れ込んできた。
「『あんまり平和ボケもしてらんねぇぜ、カンザシお姉ちゃん』」
シシシ、と笑いながら亡霊は情報処理に勤しむ。
今後の根回しと下準備のために。
◆
一目散に通路を走り抜けながら、簪は関係者出入り口から飛び出して一般通路に差し掛かると、道の真ん中で壁にも足りかかりながらその場にへたり込む。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
けたたましく胸を叩く心臓に内側から耳が狂いそうになりながら、止めどなく溢れてくる滝汗を拭う。
な、なんなの、さっきの。
怖かった。
いつもの霞のような雰囲気の少年ではなかった。
叢に潜む蛇に睨まれていたような、泥臭い恐怖に駆られて硬直してしまっていた。
渡しそびれちゃった、申請用紙……。
一学期に中止になったタッグトーナメントの申請用紙。
何やら暴走事件があったとかで、大会自体が流れてしまったのが、学園側の配慮で専用機限定ではあるが再度行われることになった。
そこで簪は、完成はしたもののあまり実践が積めていない愛機を使うべく、数少ない友人である結を頼ろうと赴いたのだが、結果はさっきの通りであった。
なんたか、怖かったな……大会どうしよう。
ある程度息が落ち着いたところで、ふりだしに戻った問題にどう対処するか悩みながら、簪はとぼとぼとアリーナから学生寮へ戻る。
「あっ」
「ん?」
一年生寮に戻った簪は、通路でばったり出会ってしまった一夏を見上げているあからさまに嫌そうな顔を浮かべる。
バツが悪そうに簪は一夏から視線を逸らしながら通り抜けようとしたが、空気の読めない一夏に声をかけられて足を止めてしまった。
「それ、簪さんもタッグトーナメント出るのか?」
「わ私は、結と出るから」
「結は……多分出れないぞ」
「……それ、どういう意味?」
何やら言葉を濁しながら言いづらそうに話す一夏。
確実にあの晩何かあったに違いないと確信を持った簪だが、今から折り返して結から聞き出すほどの度胸は持ち合わせていなかった。
「あいつの機体、今は壊れて使えないはずだ。だから他のやつと組んだほうがいい」
壊れている?
キャノンボールファストの襲撃の時は殆ど戦闘に加わっていなかったし、やはりあの晩にIS戦闘があったということ?
え、市街で?
それは別の意味でやばいのでは……?
仮にもISの軍事利用は条約で禁止されている。それがゲリラ戦で日本の街中で戦闘が起きたとなれば、国際問題に発展するのだが、それをこの男はわかっているのか。まぁ世界で二人しかいない男性操縦者に保険の意味も込めて専用機を持たせているのだ。今回のことは日本国に非はない、はず……。
というかなんで結の機体だけ損壊しているのか? やはりあの日の襲撃者と結は関わりがあったのか。空の上で何か話していたようだし。となると結の存在は相当危険な目に晒されているのか?
どんどんと不安が募り、ぶつぶつと要素を呟き思考に耽る簪だが、当初の目的と今の状況を思い出して話に戻る。
「そんなこと言ったって、私、友達、いないし……」
「それじゃあさ、俺と出ようぜ」
「は、はぁっ!?」
何を言っているのだこの男は。
ナンパにしたってもうちょっと緩急をつけるべきじゃないのか。
そもそもお前は引く手数多だろうに。同級の生徒を見ろ、専用機持ちがごまんといるじゃないか。というか一組に集中し過ぎなのだ。しかも一人はあの篠ノ之束博士から直々に渡されたというじゃないか。どう考えたって私なんかよりそっちを選んだほうがいいだろうが。何考えてるんだこいつ。
「なんで、あなたなんかと、出なきゃいけないの……!」
「大会出たいけど相手いないんだろ。だったらいいじゃねえか」
痛いところを突かれて言葉に詰まる簪は、心底悔しそうな顔をしかめながら賎しく一夏を睨む。
「それに、アンタの強さをみてみたい」
「……何様のつもりよ」
一夏とは浅からぬ因縁めいたものを感じている簪。それは互いに内に秘めていたものであり、それは結を介して更に深まった。
互いに抱くのは結を助けたいと思う意思。だが一夏は少年に対抗出来る数少ない人間で、簪は一夏に恨みを、結に友情を抱いていた。
そんな拗れたままの関係を解消したいと思う一夏はこうして簪にパートナーを申し出て、仲良しとは言わずとも理解を得られたらと画策していた。
対して簪は心底嫌そうにしつつも、トーナメントに出る相方がいないのは事実だった。足元を見られているようで不服だったが、損得勘定の結果、渋々許諾することにした。
「わかった、あなたと出る。けど足引っ張ったら許さない」
「よし、タッグ成立だな」
相方となる簪に握手の手を差し出す一夏だが、簪はそれを無視して早足に去っていく。虚空に手を振りながら一夏は手持ち無沙汰の右手をポケットにしまい、去っていく簪の後ろ姿をじっと見つめる。
何処か覚束ない足取りに不安が勝った一夏は嫌味を言われるのも厭わずに簪の肩を掴む。
「きゃっ!?」
「なんかつらそうじゃねーか。パートナーなんだし頼れよ」
簪は一夏の手を振りほどこうとするが、さっきの貧血からまだ戻っていない体調に苛立ちながら、できる限り接触面を減らそうと最低限の補助をしている一夏の気遣いを買い、黙っておくことにした。
申請用紙を提出するため職員室まで歩くが、その間の会話は無く冷めきった空気が渦巻いていた。
織斑一夏、生意気……!
異性に触れられている事に意識し、しかもその相手が恨み相手で、内心めちゃくちゃに荒れている簪だが、当の一夏は晒される奇異の視線に極力目を向けないように気を配り、それどころではなかった。
どうも屍モドキです。
原作との調整とかが難しくて難航してます。
キャラの登場時期だったりが結構変わってるので、そのまま使うにはちょっと辻褄が合わなくて面倒です。
それではまた次回で。