グ=ビンネン商業ギルド連合。
7つの巨大ギルドが運営する海洋疑似国家。
それらを主導しているのが、シャイロック商会及びシャイロック銀行である。
「つまり、堺の連中が国を興したってことか」
信長は長い廊下を歩きながら、先導する晴明に語りかけた。
「堺は存じませんが、概ね一致していると思います」
晴明は振り返ることなく言い切った。
「我ら十月機関を挟んだオルテとの和平交渉。相手は、ナイゼル・ブリガンテ。序列二位の重鎮です。彼らにしても、オルテと和平をしたいという表れでしょう」
「オルテなんざ奪っても、うまみなんざねぇからな」
広大な領地と膨大な民は魅力的かもしれないが、首都に住まう者ですら貧しさに憂いている。他国まで知れ渡った特別な産物もない斜陽国家を奪ったところで、余計な労力と維持費ばかりかかってしまう。
商業国家なら断言するだろう。「不経済この上ない」と。
だが、これは和睦であり、交渉の場。
一見すればうまみのない斜陽国家であれど、うまみを生じることもできるのだ。
(本来ならオカマに任せるつもりだったんだがなぁ……)
信長は歩調を緩めることなく嘆息する。
サンジェルミがいれば、彼が名実ともに「オルテの代表、大使」として交渉にあたっていたはずだった。しかし、オルテの首都に入れない以上、自身で交渉をするしかない。
もともとグ=ビンネンとの知古のあった晴明が間に入り、信長は一人、商会の建物に乗り込んだのである。
否、訂正。
一人ではない。
信長の後ろには、不機嫌絶頂の顔をした信勝が歩んでいる。
本来であれば、彼は同行をしない予定だった。たとえ、今回の旅路に同行が許されたとしても、立香たちと一緒に海に
しかし、彼は頑として譲らなかった。
『僕が傍にいれば、姉上の御髪が焦げることはなかったのだ。今回こそ、命に代えても姉上の御身体を守り抜かなければならない。ついていくことが許可されなければ、お前を殺して僕も死ぬ!』
と、ここまで言い切ったこと、そして、こんな危険な奴は逆に近くにおいて見張った方がいいのではないかということになり、カルデアの者のうち彼だけがここにいる。
ただ、傍に控えさせていくにはつまらないので、彼には今回の交渉に使う物を持たせていた。
「さあ、こちらです」
商会の男は信長たちを豪勢な趣向を凝らした扉の前に誘導すると、そっと扉を開けた。
「やあ、十月機関」
信長と晴明が扉を抜けると、そこにいたのは褐色肌の優男だった。
「貴方は……バンゼルマシン・シャイロック8世!?」
「おい、晴明。ブリガンテって奴じゃなかったのか?」
「物事は単純に素早く、そして単純に。我が商会の社訓でね、この方が話が早いだろ? 久しぶり、ハルアキ」
シャイロックは人のよさそうな微笑みを浮かべていた。
信長は目を細め、事前情報を呼び起こしながら男を観察する。
「バンゼルマシン・シャイロック8世。序列筆頭シャイロック商会だったか?」
「ハルアキ、そちらの御仁は漂流者かな?」
「放蕩」「なれど出来息子」と謳われる男は晴明に視線を向ける。
「はい。オルテの漂流者です」
「オルテはずるいな。漂流者が次々に流れ着く。まるで、意志を感じるよ」
「それはつまりだ、俺らが負けたら終わりってことよ。この世界のな」
信長はシャイロックの前に腰を降ろした。
いくら十月機関が間に入っているとはいえ、これは戦争中の二国の交渉である。いきなり、序列筆頭が来るのは極めて効率的だが、危害を加えてくるとは思わないのだろうか。日本の歴史を紐解いても、敵対関係の者に「交渉したい」と持ち掛け、のこのこ出向いたところを狙うなんて話は五万と転がっている。
だが、戦況自体は圧倒的にグ=ビンネン側にある。
(大方、「自分を傷つけたが最後、交渉は決裂。徹底的に殺る」ってことだろうな)
信長は内心、ため息をついた。
「ふむ、君は新しいオルテの首脳陣ってことかな。名前は?」
「織田前右府信長。和平を結びに来た」
「和平か。だが、簡単にはいかない。オルテの頭が変わったにしろ、そっちが吹っかけてきた戦だ。それに、ウチはずっと勝ってる。圧倒的にね」
「だが、これ以上の戦争を続けるだけの
信長もシャイロックのように、にたりと笑って見せた。
「戦争なんざやるより、半手商売が儲かるだろ。この戦、お前たちは、どれだけ武器に出費した? 兵糧の確保は? 兵の調達は? 海戦だと聞いたが、船はどうした? 造船の費用は? それとも、自前の船を軍船にまわしたか?」
「……」
「略奪ってのもありだが、んなことをするより、オルテと
信長は断言した。一度、呼吸を置き、相手が口を挟まないかどうか確認してから、続けて言葉を重ねる。
「さっき、和平と言ったが、俺たちが結びに来たのは、ただの和平じゃねぇ。要求賠償一切なしの
「正気で言ってるのか? 我々は戦争をしているのだぞ」
信長の言葉に反応したのは、シャイロックではなく、彼の後ろに控えた男だった。
「正気も正気。どうせ、オルテの海軍も廻船商人も壊滅してんだ。今のオルテには港もねぇ。海はあんたらのもんだろ?」
「だが――」
「よくまあ、可愛い顔で言い切るものだ」
シャイロックは部下の言葉を遮り、口端をあげたまま話した。
「好きでこの顔をしてんじゃねぇっての」
「ふむ……それで、商談というのは?」
「当面の食糧物資諸々と銭を貸せ」
「ふざけてるのか?」
再び、部下が眉間に皺を寄せながら声を上げる。
「殺し合いをしていた相手に、『飯を出せ』『金を貸せ』と?」
「さっき、言っただろ。俺たち漂流者がオルテに集結している理由を」
「……だいたい理解した」
シャイロックはテーブルの上に肘を乗せ、指を絡ませた。
「世界が破壊されてしまえば、商業など成り立たん。だから、『
「気張って俺らを助けろ。上げ膳に据え膳でうまいもん食わせて小遣いもたっぷりくれて、疲れ切った国を全力で一刻も早く癒せ」
「先行投資とは、面白いことを言う。しかしだな、お嬢さん。我らは慈善団体ではない」
シャイロックの目が一瞬だけ、信長の背後で難しい顔をしてたたずむ晴明へと向けられた。
「なに、質ならあるさ」
信長は笑みを深めると、信勝に目で合図をした。信勝は頷くと、自身の手にしていた
唐突に取り出された武器に、シャイロックの眉がぴくりと動く。
「それは……?」
「鉄砲ってもんだ。その筒で火薬を爆ぜさせて鉛の球を撃ちだす武器で、この間、黒王の先遣隊もあっと言う間に撃滅した」
信長が手を上げると、信勝が火縄銃をテーブルに置いた。
シャイロックと信長以外、ここに集ったすべての者の視線が火縄銃に注がれた。
「ドワーフの力とエルフの技術、それから俺ら漂流者の頭脳が生み出した武器だ。こいつの生産をある程度までは行っている。あんたたちに特別に卸してやる。そいつを販売して儲けろ」
「我々もそれを生産してしまうとは考えないのかな? 君たちを介さずとも済んでしまうとは?」
「割にあわねぇ」
信長は即答した。
「あんたらにも作ることはできる。凄腕の鍛冶に調べさせれば、真似ることくらいできるだろうよ。だが、量産するには時間がかかりすぎる」
天文12年、鉄砲は種子島に伝わった。
信長自身が500艇の鉄砲を発注したのは、その5年後だ。ポルトガルからの輸入ではなく、既に鉄砲生産技術を得ていた国友村に注文したのである。
これだけ聞くと、仕組みさえわかればあっという間に量産できるように思えるが、この世界においては別だ。
信長は銃の各部位を指で叩きながら話しを続けた。
「銃身はドワーフの治金技術、銃床と落とし鉄はエルフの細工木工。これを上回る技術がなけりゃ、すぐに量産はできない」
この世界において、ドワーフとエルフは専門的に卓越した技術を持っている。その点においては、この世界の人間の技術を凌駕しているのだ。
仮に、ドワーフやエルフに匹敵するほどの職人が総出で量産に漕ぎ出したとしても、これを使うことは不可能である。
「これだけじゃ、ただの長い筒だ。この兵器は火薬で鉛の球を撃ちだすことで効力を発揮する。火薬ってのは、木炭と硫黄、それから硝石から作られる。だが、この硝石ってのが厄介でな」
信長は言葉を口にしながら三つの指を立てた。
「いくら調べても、この世界に硝石が見つかっていない。だから、硝石を造る。うんこと畜生で」
「ふざけてるのかい?」
「うんこと畜生からできんだよ。鉱床がねぇ以上、家畜小屋や人家の床下、便所の土からしか採れねぇんだ。大人口と農村と家畜の大小便を営々と抱え込んだ――オルテ人間帝国にしか生み出せねぇもんだ。新興の海洋国家に、長年の積み重ねられたうんこがあるか?」
うんこの買取を始めたところで、黒王軍の侵攻までの量産は不可能だ。
その事実を突きつける。信長が目の前の青年を見据えていると、彼は目尻を緩めてうむっと頷いた。
「商談成立だ。飲もう、和平を」
「大番頭!」
「利子はきっちり取り立てる。黒王がやってくる、
「食料や銭も貸すのも忘れずにな」
信長が念を押す。
シャイロックは笑みを崩さずに、まっすぐ信長を見ていた。
「しかし、我々もタダで援助するものつまらない。一緒に商売をしないか?」
「商売?」
「オルテにはエルフがいるな? とても美しい種の人々だ」
ずいっと彼は前に身体をのめらせながら、商談を始めた。
「グ=ビンネンの金持ちのなかにはエルフ好きが多くてな、そこでだ」
「おい、まさか売れとでもぬかす気か?」
「エルフ娘たちが可愛い制服で劇場を開いて歌って踊って、入れあげた若者たちが関連商品をバンバン買うという」
「アリやな」
「駄目に決まっているでしょう」
信長の目が光るのと同時に、晴明がびしっと言い放った。
「エルフの件は考えておいてほしい。それから……
彼は口元だけ綻ばせたまま、目を鋭く光らせた。
「空を飛べる手段があるって聞いたが、それを貸してくれないか?」
「航空部隊のことかな?」
信長は頷き返すと、現状を簡単に説明した。
オルテの首都が黒王以外の敵によって占拠され、突入する手段は上空からの降下しかないと。シャイロックは口を挟むことなく聞き入っていた。
「理解はできた。だが、君たちの総大将たちが敗北している可能性もあるだろう?」
「ない。こうして身体が入れ替わっている以上、俺の肉体に危機が迫れば、気づかぬはずがねぇ。なにもないってことは、本当の俺は無事ってことだ」
実際のところは分からないが、そうして誤魔化す。
「俺が無事なら、他の連中も無事だ。
「ふむ……まあいい。どちらにせよ、君たちは我らの客だ。ただし、部隊を貸すのは考えさせてもらいたい」
「考える時間が必要なのか?」
「オルテ軍は壊滅しているが、生き残りがいないわけではない。兵の配備や手の空いている部隊を確認しないといけないからね」
シャイロックはそれ以上、話すつもりはないとばかりに手を挙げた。
信長も深く踏み込むことなく了承すると、その場を辞した。
「良い結果に終わって、よかったですね」
商会を出ると、晴明が安堵したように息を吐いた。
「どうかしましたか?」
「気になることがあってな」
信長は難しい顔のまま答える。
「あっさり過ぎる」
「なにもおかしいところはなかったと思いますが……」
「……」
晴明は首を傾げている。
信長は表情を崩すことなく商会を振り返った。
「和平を結びたがっていたのは事実だ。だが、こうも簡単に
サンジェルミであれば、この交渉の流れに納得がいく。
オルテの領主として名も顔も知られている大貴族だ。交渉の席につくにふさわしく、発言に説得力が産まれる。
しかし、今回……織田信長はオルテに来た漂流者でしかない。否、オルテを国盗りした簒奪者であり、新たな支配者の一味である。和平まで結ぶことはできたとしても、その先の支援まで確約するのは、サンジェルミ伯爵であればこそ容易に言質をとることができる。
ぽっと出の漂流者には、サンジェルミほど商人が質を受け入れるに値する
十月機関が後ろ盾でいたとしても、交渉のテーブルに着くのがやっとのはずなのだ。
「我ら漂流者が負け、世界が滅ぶことになれば商売もできません」
「晴明の言う通りです、姉上の偽者」
「根っからの商売人ってことか」
信長は頭の片隅に釣り針が引っかかったような違和感を抱いたまま、商館に背を向けた。
さすがは、グ=ビンネンの心臓部。信長のあとも、この国特有の褐色肌の男たちが入れ代わり立ち代わり。
あまり長くここに留まっていては、邪魔になるだけだ。
「それで、俺らは宿に戻るってことでいいのか?」
「はい。ですが、宿に戻る前に、港を見に行く余裕くらいはありますよ。カルデアの者たちが戻ってくるまでには時間がありますから」
「あれ、そういえば……
信勝が思い出したかのように呟いた。
「お前なぁ、しっかり話は聞いとけよ」
ジャンヌ・茶々・金時は、エルフの村に留守番。
立香は沖田と長可と一緒に港まで来たが、商会の前で別れたのである。
「南蛮人二人は別のところへ向かったんだろ」
「キッドたちはスキピオたちの元へ行きました。グ=ビンネンの漂流者からの手紙を持って」
「そういえば、どんな漂流者なんだ? 日本人とは聞いていたが」
信長は先の会合を思い出す。
鉄砲に関する理解が早いとは思ったが、グ=ビンネンに属する漂流者が話していたに違いない。もっとも、製造に至るまでの知識はないようだが。
「我々と同郷、日ノ本の漂流者。その名も――」
※
「ぐ、軍艦だー!!」
小舟に揺られ、しばらく。
立香は突然目の前に現れた座礁中の軍艦を見上げ、感嘆の声を上げた。
あちらこちら被弾痕があり、甲板など半分以上壊れ朽ちてしまっていたが、左舷中央に艦橋が高らかにそびえ立っているのは間違いない。
大日本帝国海軍の航空母艦「飛龍」。
山口多聞率いる第二航空戦隊旗艦にして、ミッドウェーで沈んだと伝わる空母であった。