「あなた……敵だったのね」
沖田が刀を握ると、アナスタシアは目を細めた。
「残念だわ。らーめんの話、詳しく聞きたかったのに」
ラスプーチンは一歩下がり、アナスタシアと土方が前に出る。土方の顔色は変わらない。一見すると無表情のように見えたが、沖田には分かった。諦観と戸惑い、そして小匙一杯ほどの怒りが入り混じっている。
きっと、自分が逆の立場だったら……同じ顔をしたかもしれない。
「……っ」
沖田は唇を噛んだ。
啖呵を切ったのは良いが、そう簡単にここを解放することはできない。
怪物もろとも全員切れば大勝利なのだが、三人とも手練れだ。一人一人孤立していれば話は変わってくるが、正直厳しい。
しかも、ラスプーチンの口ぶりからして、他にも仲間がいるとみた。
沖田は勝機はないかと視線を動かし、腹をくくった。
「速攻で方をつけます!」
「残念だけどそれは無理よ」
沖田が走りだせば、アナスタシアが淡々と手を振り上げる。その瞬間、身も心も凍るような吹雪が襲いかかってきた。反射的に避けたので直撃を受けずにすんだが、つい数瞬前まで自分の立っていた場所が雪の塊と化している。
「逃げても無駄よ。どうせ死ぬのだから」
アナスタシアは語るが、これ以上避けようにも退路はない。
なにせ、ここは城壁の頂面。
人がすれ違える程度の幅しかない。
前にはアナスタシアや土方、ラスプーチン。
後ろへ退却しても、さらに逃げ道のない廊下へ誘い込まれるだけ。むしろ、廊下に逃げ込んだ瞬間、怒涛の吹雪が押し寄せてくるはずだ。そうなってしまっては、元も子もない。
誰が見ても、勝敗は明らか。
沖田総司に勝機はない。
「凍りついて眠りなさい」
「そう簡単に、死にませんよ」
だが、それは人間に限っての話。
彼らは知らなかった。
この沖田総司、ただの人間ではなく人理に刻まれた英霊。生前よりも遥かに身体能力が向上し、奇跡を起こす存在だった。
沖田は一度、化け物の軍勢側に身体を寄せる。吹雪が身体を飲み込む直前、思いっきり跳ね、化け物側の城壁の上に降り立つ。そこは、到底人が立てぬとは思えぬ絶壁の今にも崩れそうな頂点。沖田総司は吹雪をかいくぐり、アナスタシアを見下す立場となった。
「なっ!?」
「これで……終わりです!」
沖田は勢いよく足を踏み込むと、アナスタシアに跳びかかる。先の足場が崩れ落ちる前に、アナスタシアと目と鼻の先まで到達した。予想外の攻撃は生前戦場にすら立ったことのない娘にとって、信じられない出来事だった。驚愕に意識を囚われ、眼前に迫る死神に対応が遅れる。
「噓……ッ!?」
しかし、それは戦素人に限りの話。
ラスプーチンとアナスタシアは理解できずに固まったが、戦玄人の男は考えるより先に動いていた。
沖田の突きがアナスタシアの脳天を貫く直前、土方がぐいっと彼女の腕をつかんで身体を引き寄せる。間一髪、沖田はアナスタシアの頭こそを取れなかったが、瞬時に刀を持ち替え、右腕に狙いを変えた。自身で避けられなかった者が防備できるはずもなく、沖田の突きはアナスタシアの右腕を貫いた。
「あ、あああああ!!」
アナスタシアの悲鳴が沖田の耳元で聞こえる。
仕留めきれなかったことに舌打ちするが、腕を奪っただけでも僥倖だと思おう。沖田はそう判断すると、床に足をつけることなく、怪物たちが商業を営む市へ落下した。
「ば、馬鹿な。ためらいなく落下するだと!?」
ラスプーチンが頭上で驚く声が聞こえてくるが、その声もだんだんと遠ざかり、代わりに怪物たちの市が迫って来る。
沖田は一言、ためいきをついた。
「うーん、悲しいです。まさか、私だけが落下することになるとは……。
理想としては、落下するのはマスターだったんですけどね。マスターが『セイバー、着地任せた!』と叫んだところに『沖田さん、参上!』と現れたかったのに……はぁ」
生前ならいざ知らず、英霊にはこの程度の落下はどうってことない。
敵を仕留めきれないと分かった以上、即時撤退、即時マスターと合流し、情報を共有するのが最善だ。そのときに、ここの惨状を伝えればいい。
そうと決めたら、怪物たちの兵が地平線の彼方まで埋め尽くした方よりも、むごたらしい市場に身を投げた方が生存率が上がる。
もしかしたら、逃走用の馬が見つかるかもしれない。
「――ッ!?」
「――、――!!」
眼下の怪物たちが騒いでいる。
落下する人間を嘲笑う。あれでは助かる見込みはない、死体を食糧にするか、どうするのか相談しているようにも見える。
「笑止!」
沖田は悪戯っぽく笑い、地表に到達。
落下の衝撃で両足が痺れたが、別段問題はない。怪物たちが「五体満足で着地した」ことに驚きを隠さず、呆然とするのを見て、彼女は怪物の街を突破する。怪物で言葉を理解できないとはいえ、兵士ではなく生活を営む民だった。
英霊が英霊なら、彼らを傷つけながら道を切り開くことなどしなかっただろう。
しかし、人間を家畜同然に扱う様を見たらどうだろう?
そもそも、戦場にことの善悪無しと割り切り、突っ走る娘であればどうだろう?
「――!!」
怪物たちが一歩遅れて追って来る。
その鈍足は俊足に敵わない。事態は沖田総司の圧倒的優勢かに見えた。
ところが、事態は転換する。
「っ、ぐはっ、こんな、ところ、で」
彼女のスキル病弱を発動してしまったのだ。
沖田の口から赤い血が噴き出し、足元が揺れる。間一髪で路地に入り、一旦は姿を隠すことができたが、こんなところで剣を振るえなくなれば、怪物に殴り殺しにされるのは必定。心は先に進もうとするのに、身体が全く動いてくれない。
「こんな、こんな、ことって……マスター……」
沖田は悔しさに呟いた、その時だった。
「静かに!」
黒鎧の二人組が、沖田の腕をつかんだ。
「あなた、がたは……?」
「僕は十月機関の者です」
「おい、いいのか。この女、廃棄物かも……いや、連中は怪物と敵対しないか」
「とりあえず、これを着てください。混乱に乗じて、兵士一人分の装備を奪ってきました」
十月機関と名乗った者たちは、自分たちおそろいの黒い鎧を渡してくる。
敵かもしれないが、この状況を助けてくれるらしい。
「か、感謝します」
沖田は装備を解き、軽装になると鎧を纏う。
軽装を解くとき、黒鎧の片方がひゅうっと口笛を吹いた。顔に十文字の刺青が彫られた青年は興味深そうに目を細めた。
「あんた、剣士のようだが、術も使えるんだな」
「じゅつ――っごほっごほっ」
「あ、すまない。落ち着け」
沖田が咳を込むと、鎧の男は少し慌てる。
「すみません、あと少し休めば……」
「休んでいる時間はありません。ドグ、すぐ逃げますよ」
「もちろんだ」
ドグと呼ばれた青年は返事をするや否や、沖田に肩を貸した。もう一人の方の線が細い黒鎧はあたりを見渡し、敵がいないかどうか確認する。ドグは彼の先に出ると、すんすんと鼻を動かした。
「よし、こっちだ」
「北壁で何が起きているのか、早く大師匠様に伝えないと……!」
「なーにを伝えるって?」
逃げようとする三人の前に、さらなる新手が登場する。
長い黒髪に細めの少年がにたりと不遜な笑いを浮かべていたのだ。腰に刀を下げているので、彼は日本人かもしれない。沖田が見据えると、日本人らしき少年の目元が更に細まった。
「いずこの国の間者かな? はたまた、偶然潜入してた十月機関とやらの者?」
「っ!」
最初に動いたのは、ドグだった。
沖田がいなければ、単身で切り込みにかかっていたかもしれないが、手負いの娘を邪険にできない。
「こいつを頼む!」
故に、沖田を十月機関の少年に託すだけの時間があった。
そのまま剣を引き抜き、切り込みにかかる。だが、その剣は日本人の少年に届かない。彼はひょいっと首を退けると、くるりと回転する。あっさりとドグの剣の上に着地し、日本刀を軽やかに引き抜いた。
「度胸あるじゃないの、君ら」
日本人の少年は一切手を緩めることなく、ドグの首元に切っ先を添え、一気に撫で切ろうとした。
ドグには何が起きたのか、わからなかったはずだ。
あまりにも実力差があり過ぎたのだ。
辛うじて、沖田の目には刀裁きが見えた。これから先、一秒後に何が起きるのかは明白。目の前で惨殺されるのを見ていることしかできない悔しさに唇を噛む。
自分が動けたら、彼を救えるのに、と。
しかし、その瞬間だった。
『沖田さん、そいつを倒して!!』
藤丸立香の声が沖田の耳に響き、身体が急激に楽になる。沖田は何が起きたのか考えるよりも早く、自分の身体が動いた。
「縮地!」
「ッ!?」
少年の切っ先がドグの首を刎ねることはなかった。
沖田が彼の背を盗ったからだ。さすがに背後から狙われたら、そちらに気を向けなければらならない。それも、自分と同等かそれ以上かもしれぬ武士の剣なら尚更である。
「なんだ、君。復活したの?」
「……」
沖田は答えない。
マスターの令呪による支援だということはすぐに理解できたが、令呪一画程度で緩和できるほど病弱スキルの低下は防げない。そもそも、近くにマスターの気配はしなかった。
どういう理屈かわからないが、今分かることは戦うこと。
沖田は荒い呼吸を繰り返し、少年に狙いを定めた。
「でも、顔色が悪いよ。今にも倒れそうだ。火事場の馬鹿力って奴かな」
「…………」
これも返答しない。
言葉に時間を割けば、戦いに支障が出る。片膝をつきそうな気持ちを必死に奮い立たせ、目の前の少年だけを睨みつけた。
「その刀、君も日本人か。なら、僕の名前も知っているだろう?
源九郎判官義経。名前くらい、聞いたことない?」
「なっ……!?」
ここで、沖田にも隙が生まれた。
自分の知るカルデアの牛若丸との差異、日本の歴史で有名な武将。
普段ならすぐに隙を閉じ、戦に集中することができたはずだが、ただでさえ弱っている彼女はすぐに隙を閉ざすことができない。
「ごめんね、死んでもらうよ」
義経の刀が、沖田の首を狙う。
今度ばかりは、幕末生粋の若武者も避けられない。辛うじて初撃を抑えたが、次は無理だと身体が叫ぶ。
(すみません、マスター)
今度こそ、一緒に最後まで駆け抜けたかったのに。
「私は……」
「沖田総司、もう大丈夫です。あなたは十分に働きました」
沖田が諦めかけた瞬間、白い札が周囲を埋め尽くす。
「ほう?」
義経は後退した。
何が起きるのか、楽しみで仕方ないとばかりに口角を上げる。
沖田が目を丸くしているうちに、白い札はたちまち集まり人の姿を形成した。
「大師匠!」
黒鎧の少年の安心した声が通りに木霊した。義経は冷やかすように口笛を吹く。
「へー、救援?」
「本当は黒王と話したかったのですが、ここが潮時でしょう。
だが、廃棄物。これだけは言っておく。
人間、舐めるなよ。人間は強い。お前のくびきを自ら千切り取ったくらいにな」
青年がそれだけ言うと、沖田の視界いっぱいを白札が覆いつくした。身体全身を張りつき、正直気味が悪い感覚が広がったが、どうすることもできない。
されるがままになっていると、別の感覚に陥った。
血と土煙にまみれた空気が一変し、すずやかな森の香りが鼻孔をくすぐった。
まるで、まったく違う場所にレイシフトしたような感覚に戸惑っていれば遠くから声が聞こえてきた。
「沖田さん、沖田さんー!」
白い札が剥がれ落ちれば、崩れた西洋風の城跡から橙色の少女が駆けてくるのが見える。
「ます、たー。よかった、無事だったんですね……」
沖田は安堵の息を零す。
それと同時に、令呪で無理やり奮い立っていた身体が限界を迎える。
「沖田さん!!」
藤丸立香の手が届く直前、沖田の意識はぷつりと落ちた。
ドクを助けたかったんだ……。犬耳亜人の彼には生きていて欲しかったんだ……。
今回シリアス多めだった分、次回(5月7日17時更新)はぐだぐだします。