廃城の一室。
藤丸立香は右拳を握りしめていた。
「……沖田さん」
彼女の視線の先には、沖田総司の姿があった。青ざめた顔で横になっている。まる一日経つが、意識が戻らない。
「まーだ、そこにいたのか」
扉が開き、織田信長の声が聞こえてきた。
振り返ると、信長と茶々の姿があった。茶々はパンとスープが乗せられた盆を持っている。
「マスター、昼食の時間じゃ!」
「飯くらい食え、持たんぞ?」
「ありがとう。でも、ちょっとびっくりした」
立香は努めて笑う。
「他の皆は?」
「金髪の女は『しばらく魔力を蓄えます。嫌な予感がするのです』と言って、飯ばかり食ってる。
んで、勝蔵は扉の前にいる」
「男の大殿。俺の殿様になにかしでかしたら、承知しねぇからな」
開けっ放しの扉から、ひょいっと長可が顔を出す。
「森君、大丈夫だよ。なにかあったら呼ぶから。
それで、信勝君たちは?」
「金時はエルフたちに交わって遊んでおる。信勝は……まあ、晴明に押し付けた」
「押し付けた?」
「あいつ、鬱陶しすぎるんだよな」
信長は心底疲れたように頭を垂らした。
「つーか、お前たちの世界の信勝おかしくねぇ? 女の俺に執着しすぎじゃねぇ? 殺気を向けられる程度ならまだしも監視だとか言って四六時中付きまとってくるし、しまいには『姉上の偽物、少しでも姉上の至高なるお身体に傷つけたら容赦しないぞ! お前を殺したあと、僕も死ぬ!』とか言い出すんだぜ?」
「信勝君らしい」
立香が渇いた笑いを向けると、信長は笑い事じゃないと手を振った。
「だいたい、なーんで信勝が俺を慕ってんだよ。お前たちの世界の信勝は俺に謀反起こさなかったのか?」
「謀反したよ。信勝君がいうには『女だからとかくだらない理由で姉上を認めないなんて許せない。だから僕が焚きつけてやった』とか」
「俺のためかよ!?」
信長は大きくため息をついた。
「その理屈だと、俺が男なら謀反を起こさなかったってことだろ?」
「叔父上が『姉上が男だったら僕も謀反を起こさずに、仲良く暮らせたのに』とか言っておったのう。『姉上のほうが有能で跡継ぎにふさわしい』とか『僕は無能だから家を継げない』とか」
茶々が信長のつぶやきを拾うと、彼はげぇっと顔を歪めた。
「なんじゃそりゃ。羨ましいにもほどがあるぜ」
「そっちの信勝君は普通に謀反したんですか?」
「普通に謀反だよ! 本気で家督奪いに来たんだよ!」
信長はわめいていたが、立香は苦笑いを返すことしかできなかった。
どちらかといえば、本当の「織田信長と信勝の関係」より、男信長の語る「織田信長と信勝の関係」のほうが史実っぽい気がするし、ぼんやりと日本史で習ったような気がする。
「はぁ……俺のとこの信勝もな、そのくらい可愛い弟だったらなー……俺だって、弟殺したくねぇよ」
「大殿って身内に甘めぇよな」
長可が話に割り込んできた。
「返り忠だけは許せねぇよ。主君を裏切るなんてのは、武士としちゃ気合が入ってねぇ証拠だ。そんときに俺がいれば、大殿の代わりにぶち殺してやったのに」
「んな、簡単に割り切れる話じゃないってんだ。ってか、自分の手を汚すのが嫌だったわけでもねぇよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんなんだよ。一度、織田家に組した者を簡単に殺せるか。だが、光秀。あいつだけは駄目だ」
「光秀って、明智光秀?」
立香が尋ねると信長は苦い表情のまま頷いた。
「それ以外、誰がいるってんだ。……っ、まさか、カルデアには光秀がいるのか!? そっちの光秀も信勝みてぇな理由で謀反起こしたのか!?」
「召喚はしていないけど……うん、だいたいそんな感じです」
『織田信長の唯一の理解者でありたいのに、秀吉とかと天下を語り合うようになったのが嫌で謀反した』と説明すれば、信長の顔色は徐々に蒼くなり、最終的には燃え尽きた灰のような顔になってしまった。
「あのー、信長さん?」
「藤丸たちの世界、怖ぇ……歴史の流れ的には近い感じがするのに、理由が怖ぇよ……信勝も光秀も狂信者じゃねぇか。むしろ、俺の知ってる通りの人物が、勝蔵しかいねぇってのが逆に怖ぇよ。勝蔵を見て安心する日が来るとはな……」
「お! 大殿、俺を褒めてんのか!」
「褒めてるつーか、お前だけは変わってくれるなよ。たとえば、お前が従順になったら……いや、なってるのか? だが、根本的な性格は変わってねぇから……はぁ……」
信長はがっくし肩を落とすと、ぐだぐだした場を仕切り直すように手を叩いた。
「ま、そういうわけだ。
とにかく! 信勝がうっとうしいから、晴明に押し付けた。ちびノブだったか? 信勝にもそいつを操る能力がある。こちらの戦力拡大がてら、ちびノブを晴明に強化してもらう算段だ」
「叔父上が伯母上に因縁つけてるところとか、新鮮すぎて面白いのう!」
テンション低めの信長に対し、茶々は心から楽しそうに笑った。
「あ、間違えた。伯母上だけど、男の伯母上だった。伯母上は伯母上でも性別は違うとか最初は信じられなかったが、これはこれで珍しいから茶々的に大満足!
はっ!? もしかして、男の伯母上の世界の茶々って、実は男子だったり?」
「女童に決まってるだろ! というか、男の伯母上って、なんだよ。いや、合ってるけどよぉ」
「うーん、男の伯母上の世界の茶々について詳しく聞きたいところじゃ。でも、男の伯母上も本能寺以降のこと知らないみたいだし……。
んー、そっちの世界の茶々は狸と一緒に伊賀越えとかしてないと信じたい」
「いやいや、こっちの世界でもしていないでしょ」
茶々が伊賀越えとか年齢的にも設定的にも無理があり過ぎる。
どこの茶々主役の大河ドラマか、とツッコミを入れる。茶々は悪戯っぽく笑うと、盆を差し出してきた。
「とにかく! マスター、食事の時間じゃ!!」
「うん、後で食べる」
「今食えよ。そういって食わないつもりだろ?」
立香が曖昧に笑うと、信長が言葉を返してきた。
「……わかった」
立香が盆を受け取ると、信長と茶々も近くの椅子に座った。
パンを千切り、口に運ぶ。小麦だろうか、素材の味がしっかり感じるこれまでお腹がそこまで空いていなかったのに、音さえ出なかったが腹が欲しいと訴えかけてくる。立香が黙々とパンを食べ始めると、信長が問いかけてきた。
「……こいつが倒れたことに、気を病んでるのか?」
「沖田さんのこと?」
「気に病むことはねぇよ。あの場では最善の判断だった。現に誰も死なずに帰還したんだからな」
信長の言葉を聞き、立香は手を止める。
そして、昨日の出来事を思い出した。
「私、令呪を使いました。沖田さんを復活させるしか、あの場を切り抜けられないと思ったんです」
立香は二画になった令呪を見下した。
とっさの判断だった。
令呪で無理やり力を底上げすれば、病弱スキルを一時的に緩和できると踏んでの行動だった。彼女が異世界の義経の足止めをしている隙に、安倍晴明が不思議な術で空間転移し、彼女たちを連れて戻ってきた。
しかし、立香が駆け寄ったころには令呪の力が切れ、それからずっと目を覚まさない。
聖杯ですら消せないスキルを相殺するためには、令呪一画では足りなかったのだ。
「でも、もし……もう一画令呪を使えば、沖田さんを完全回復できたかもしれません。
ジャンヌや金時を令呪で転移させていれば、北壁の人たちを解放できたかもしれない。
それに、私……」
立香はそこまで呟くと、雑念を払うように頬を叩いた。
「って、考えても仕方ないですよね!」
柄にもなく弱気になっていた自分を叱責した。
これまでの自分の行動を口に出してみると、悩んでいるのはらしくないと思えてくる。
くよくよ立ち止まってはいられない。
自分にできることに専念する。しゃんと頭を上げ、前を向かなければならない。いつだって、そうしてきたではないか!
「うん! それでこそ、マスターよ!」
立香が少し自分を取り戻すと、茶々は嬉しそうに頬を緩ませる。
そして落ち着いた声色で語りかけてきた。
「この子は茶々が見ておるゆえ、ゆっくりエルフの村を見物するがよい」
「でも……」
「子どもは親の言うことを聞くものぞ」
普段の我儘で贅沢好きな一面とは打って変わり、慈母のような態度だった。
「本当に?」
「構わぬ。なに、看病なら慣れておるでな!」
訂正、慈母のようなではない。慈母である。
子を慈しむ気持ちにかけては、カルデアに召喚されたサーヴァントでも上位に入るのは間違いない。日頃の軽く明るい態度を見慣れていると、時折垣間見せる慈愛深く暗い過去に切なくなる。
だが、そういう態度を彼女は望まない。
故に、立香は笑った。
「ありがとうございます。ちょっと見てきますね。食器も返してこないといけないし」
いつのまにか、空っぽになった皿を集める。
「うむうむ。行って参れ。面白きものがいっぱいあるぞ!」
立香は茶々に見送られ、退席する。
狭い部屋にはいまだに眠りから覚めぬ娘と茶々、そして信長が残された。
※
信長は立香を見送ると、沖田に目を落とした。
「勝蔵は……行ったか。勝蔵が護衛とか不安しかねぇ……。
つーか、茶々。お前も子どもじゃねぇか。いや、さーばんとやらは見た目が年齢と比例していないんだったか」
先日、立香たちから教授された英霊やサーヴァントの基礎知識を思い出す。
ついでに、茶々が秀吉の側室になったことも聞いた。
最初こそ驚愕で目が飛び出そうになったが、豊久曰く「織田は落ちぶれ、豊臣のお茶くみ」らしいので、是非もなしだ。むしろ、落ちぶれた名家の娘を拾い上げるのは聞く話であり、秀吉が市に執着していたことを考えると、娘を側室に迎え入れるのはありえるはなしだった。
「なぁ、茶々。市はどうなった?」
想像はつく。
豊久が教えてくれた断片的な情報を頼りに、織田家の者たちがどのような選択を決断し、いかにして没落していったのか。
しかし、想像と事実は異なる。
近いが遠い世界の話を聞くことで、事実に近づけるはずだ。
「茶々の世界と男伯母上の世界だと歴史が違うかもしれぬぞ?」
「そのあたりは勝手に咀嚼する。それで、お市はどうなった?」
「……母上はね、殿下に討たれた。権六殿と一緒に」
「権六と?」
「うん」
「そうか」
信長は短く返した。
短いが、声色が重い。
市が権六こと柴田勝家と婚姻を結ぶこと自体、なにも不自然ではない。
20歳以上も年齢が離れているが、柴田勝家は織田家家老筆頭。織田家が弱っている現状を顧みれば、庇護を求める代わりに婚姻するのは珍しい話ではなかった。
問題はここからだ。
秀吉が天下を取ったことは、豊久から事前に聞いている。
つまり、筆頭家老の勝家を滅ぼしたのは間違いない。だいたい、足軽上がりの秀吉が上に立つことを古くから織田家重鎮の勝家が良しとしないのは明白。
どこかで柴田は滅ぼされただろうなとは勘付いていたが、嫁いだ市まで殺すとは思わなかった。
おまけに、秀吉は茶々を側室にいれたという。
いろいろと突っ込みたい。
質問したいし、声を荒げたい。
けれど、茶々にとっては過ぎ去りし日の出来事。
身内とはいえ、外野がとやかく言うことはできない。
「そうか」
もう一度、呟く。
見た目こそ子供だが、ちらちらと顔を覗かす穏やかで落ち着いた表情。
秀吉が死んだあと、秀吉の茶坊主と徳川家康が覇権争いをしたと聞く。
地形や戦況を知らないので断定はできないが、どちらに転んでも秀吉に嫁いだ側室が辿る未来はろくなものではない。
茶々は修羅場を幾重にも潜り抜けたからこそ、こうして英霊となってしまった。
戦国の世だとは分かっていながら、寂しい思いに駆られる。
伯父としては、たとえ政略結婚だとしても、英霊なんぞに昇華されない平穏で幸せな暮らしを送って欲しかったのだ。
「なあ、茶々。お前、今は幸せか?」
信長が尋ねる。
茶々は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに悪戯が完了した無邪気な笑顔で頷いた。
「もちろん! マスターとも気が合うし、物珍しい絢爛豪華な催しものとか起きる!
こうして、男の伯母上にも会えたしのう!」
きらびやかな笑顔で率直な気持ち。
信長は眩しそうに目を細めると、もう一度頷いた。
「……良かったな、茶々」