GRIDMAN//CODE:Cypher 作:オンドゥル大使
駅の中を移動していると、巨大な生物の胃袋を周回しているような気分になる。
それくらい、広大でなおかつ複雑に入り組んだ地形であった。今はどこで、どこを目指しているのか、それも不明。
ところどころに点在する解読不能の古代文字が指し示すが、当てにはならない。
「……ねぇ、那由多。そろそろ休みましょう」
歩みを止めない那由多に朋枝は弱音を吐いていた。彼は立ち止まり、ふと空を仰ぐ。
「雨が降るな」
「屋根を探したほうがよさそう。この駅……踏破するだけで一日はかかりそうよ」
「複雑だが、全く指針のないわけでもない。今“シンジュクニシグチ”を超えた」
その言葉に朋枝は目を瞠る。
「あんた、古代文字が読めるの?」
その返答には那由多も驚いたらしい。
「読めないのか?」
互いに沈黙が降り立つ中、朋枝が壁に背を預けて深いため息をつく。
「……やり切れないわね。古代文字が分かるって言っても、意味するところが不明なんじゃ。でも……ここは“シンジュク”って言うの?」
那由多は壁をさすり、意味不明な幾何学文字を判読する。
「ああ。ここはシンジュク駅と言うようだ。そこいらに同じ文字が書かれている事からも判明する。だが、複雑なのは分かる。オレもどこをどう行けばどこに辿り着くのか、まるで分からない」
「村に残っていたジャンクと食べ物の備蓄はあるけれど、それでも何日持つか……それはハッキリとしないからね」
朋枝は懐からジャンクの一つである方位磁石を取り出す。昔の人々はこれを頼りにして方角を見定め、どこに向かうべきか決めていたと兄から伝え聞いた事があった。
「食べ物はトモエが食べればいい。オレには食事の必要性はないからな」
「……強がっていないで」
「本当だ。オレは嘘をつかない」
そう言われてしまうと、どこか気後れしてしまう。自分だけが空腹など、何か負けた気分になってしまうではないか。
「それって……やっぱりあの巨人に成れるから、なの?」
尋ねていい事ではないのかもしれない。それでも、無関係を決め込むのには、那由多はあまりにもあの巨人の存在に引き込まれているような気がしていた。
村を襲った怪獣を下し、今もまた、ドクロ鉄道を危機から救った。そこに流れるのはやはり、蒼銀の巨人の意志なのだろうか。
振り向けた視線に那由多は眼差しを彷徨わせる。
「……分からない。何も思い出せないんだ。ただ……このアクセプターが呼んでいる。その時、オレは行かなければならない。他の何もかもを犠牲にしても、怪獣を倒すために……」
左手首に視線を落とした那由多はまだ迷いの只中にいるのが窺えた。自分でも制御出来ない力は恐ろしいのかもしれない。
「……でも、那由多が助けてくれたんだよね。あたしを……」
村と運命を共にするはずだった自分を救ってくれたのは那由多のはずだ。そうであって欲しいと願った言葉に、彼は頷かなかった。
「……それも確証はない。あの後分かったのは、オレはこの巨人と無関係ではないという事、それに……」
「ハイパーエージェント、だっけ……。どういう意味なの?」
「オレにも不明だ。だが、無視していいわけではないのだけはハッキリしている」
「つまるところ、目下、あたし達の旅は暗雲よね……」
克明な事実が何一つない。このシンジュクのように、複雑怪奇に入り組んでいるばかり。朋枝は立ち上がろうとして、不意に那由多が目を見開いて懐より取り出した銃口に硬直していた。
「何? 脅かしっこなしで――」
「伏せろ、トモエ!」
那由多が引き金を絞る。直後、赤い高重力輻射砲撃が身を沈ませた朋枝の頭上を行き過ぎていく。
薙ぎ払われた粉塵と空間に、朋枝は小さく悲鳴を上げていた。
「何があって……」
「敵の追っ手だ。……どうしてだかこの辺りを探っているらしい」
茫然として振り返ったその時、蠅を模した人型の小型怪獣が退路を塞いでいるのが視界に入った。
蠢く羽音に朋枝は背筋を凍らせる。
「何……あれ」
「分からない。だが怪獣の手下か、あるいは一部か……。ヤツらと同じものを感じる。ここは危険だ。トモエ、奥に向かって走るぞ。オレはヤツらを――粉砕する!」
龍の意匠を象った銃口から放たれた赤い重力波が蠅の小型怪獣を吹き飛ばし、その存在を圧死させていく。半ばにはこちらが優位かに思われたが、眺めていた朋枝は小型怪獣の鳴き声が直上からも漏れ聞こえた事に面を上げる。
瞬間、舞い降りてきた小型怪獣が鎌を身体の内側からせり出させていた。
頭を押さえて蹲った朋枝の頭上に迫った小型怪獣を那由多が蹴り払い、その頭蓋へとゼロ距離で砲撃する。
粉塵が舞い上がり、青錆びの空間を満たしていた。
「止まるな、走れ!」
那由多に促されるまま、朋枝は駆け抜ける。半端な足では駄目だ。本当に逃げ切るつもりで逃げなければ。
小型怪獣がどれくらいこの場所を浸食しているのかは全くの不明。しかし、那由多が危機を感じるほど相手の戦力が強いと言うのならば、自分のようなただの人間に出来る事など何もないのだろう。
那由多の放つ砲撃の赤が照り返って青錆びの通路に瞬く。終わりのない連鎖に思えた逃走は、数十分ほどで終わりを告げていた。
さすがにもう追ってこないと判断したのか、那由多が肩を荒立たせて拳銃を下ろす。朋枝は壁に背を預けて息を切らしていた。
「……何なの。連中……」
「分からない。オレ達が目的では、もしかするとないのかもしれない」
「それって、無差別って事?」
「可能性はある。あの小型怪獣に、ほとんど意思のようなものは感じられなかった。自動機械に近いものを感じたが……そういうものなのかもしれない」
「関知に入ったから、襲われたって……?」
「相手も何かを追っている。それがオレ達なのか、それとも他の誰かなのかは分からないままだが」
那由多は龍の拳銃を中折れさせ、見た事もないジャンク部品を挿入していた。ともすればそれがエネルギー源なのかもしれない。注入した円筒型のジャンクを捨て去り構え直したところで、不意に那由多がよろめく。
覚えず朋枝はその身体を受け止めていた。
「ちょっ……ちょっと! どうしたのよ! まさか……怪我でも……」
いや、と朋枝は感じる。那由多は静かに寝息を立てていた。その様子に毒気を抜かれた気分になる。
「……何よ。食事は必要ないって言っていたくせに」
しかし、頼りの那由多が眠ってしまえばどうしようもない。ためしに那由多の銃を手に取ってみたが、あまりの重量に持ち上げる事すら困難であった。
「何これ……。こんなのを那由多は、まるで棒切れみたいに容易く……」
改めて一体何者なのだ、と問い質してしまう。高重力を放つ拳銃を巧みに扱い、ある時には怪獣を倒すために蒼銀の巨人に変身する。朋枝は眠りに落ちている那由多に、覚えず問いかけていた。
「……あなたは……怪獣……じゃないよね」
もし怪獣であったのならば、自分の仇だ。兄を殺し、村を潰した憎むべき敵であった。朋枝は兄の形見であるアクセプターに視線を落とす。
灰色のアクセプターはただ漫然と、子供だからと言う理由だけで装着を義務付けられていた代物だ。
捨て去ってもよかったが、これを捨ててしまえば兄との思い出も捨ててしまうような気がして、朋枝は躊躇っていた。
「……馬鹿みたい。あたし、お兄ちゃんに何の思い出もないくせに」
一端に人間じみた感傷に浸るものの、村の人々や兄にさしたる思いもないのは明らかなのだ。あそこで生きて死ぬつもりだったのならば、頻繁に聖域の外に出てジャンク拾いなど生業にするものか。
自分はきっと、どこか遠くに行きたかったに違いない。どこか遠く、誰も知らない場所に。それが不本意ながら叶っている事に、安堵している自分も発見して、自己嫌悪に陥るのだ。
「……嫌な女だね、あたし……」
蹲って顔を伏せる。涙もこぼれてくれないのはずるかった。涙くらいは流してもいいはずなのに、要望が叶っている事に喜んでいるとでも言うのか。
ますます自己嫌悪。朋枝が息を殺していると、ふと肩を突く気配を感じた。
「ゴメン、那由多。今は一人に――」
違う。
那由多ではない。
現れたのは村にいた時に目にしたのと同じ、青い髪を二つ結びにした少女であった。
どうしてここに、と息を呑んだ朋枝に相手は口を開く。
「……おなかすいた」
へっ、と気の抜けた返答をしたのも一瞬、少女は荷物を指差す。
「ああ、うん。確かにあの中には、食料があるけれど……」
「……たべていい?」
「うん……、いいけど……」
気後れ気味の自分に対して少女は迷う事なく、荷物から食料を取り出す。雑多に詰め込んだ食料のうち、日持ちするパンを彼女は口に運んでいた。
制する前に頬張った少女がこちらへと向き直る。
「おいしい」
「お、おいしいんだ……。そっか……。よかったね……」
完全に虚を突かれた朋枝は少女を相手に呆然と見つめる事しか出来ない。少女はパンの中でも網目の意匠を凝らしたパンに夢中らしい。そればかり食べている。
無言が降り立っていたが、食べ物に必死になっている今が好機だと、朋枝は感じていた。
「あの……あなたは何? 誰なの?」
少女は振り返り、砂の上に文字を書く。「臾尓」と書かれていたが読めない。
「これで、ユニ」
「臾尓、って言うんだ……。あなた、村にもいたよね? 那由多が消えて……その後にあの巨人になる前に。あなたがきっかけなの?」
「グリッドマンの事を言っているのならば、私ではない」
グリッドマン、と呼称された存在があの蒼銀の巨人なのだろうか。朋枝は困惑気味に質問を重ねる。
「あれって、何? 怪獣じゃないの?」
「怪獣とは、アクセスコードを用いた別種に近い。命令系統が違うからグリッドマンは怪獣じゃない」
どうにも専門用語が多くてこんがらがってしまう。当惑する中で、朋枝は聞くべき事を精査しなければ、と質問を浴びせる。
「……那由多が、グリッドマンなの?」
「その質問には応じられない。彼にはまだ、最適化が必要だから」
「最適化?」
臾尓は網目のパンを片手に地面を踏みしめる。
「この新宿駅の地下層に、最適化に必要なツールがある。恐らく、彼はそれを直感的に感じてここに降りてきたのだろう。でもそれは、相手も理解している。怪獣が追ってくるのはそのせい」
つまり、那由多と自分がこの駅に降りてきたのは偶然でもましてや金銭の問題でもないと言いたいのか。しかし、と朋枝は頭を振っていた。
「怪獣が追ってくるって……。さっきの蠅みたいなの?」
「あれなら、まだいい。反応はそれだけじゃない」
「それだけじゃないって……」
瞬間、発生した辻風が臾尓と朋枝を遮っていた。消え去る直前、臾尓はパンを掲げる。
「これ、おいしかった。なんて言うの?」
「め、メロンパンの事? そんな事より、他にも聞きたい事が……!」
粉塵を裂いて肩に手をやろうとして、その手は空を掻いていた。臾尓は跡形もなく消え失せていた。
周囲に移動したような痕跡もない。
「何だったの……。夢?」
いいや、と朋枝は首を横に振る。夢や幻にしてはあまりにハッキリしている。何よりも、食料が減っていた。
「……メロンパンが減っている。それに、あの子……何となくだけれど、どこかで……」
村で会った時だけではない。どこか別の場所で、出会った事のあるような気がしていた。だがそれは気のせいなのかもしれない。
決定的な事は何一つないまま、朋枝は呆然としていると那由多が起き上がっていた。
「那由多? さっき、女の子が――」
「トモエ? 何をしている。……食事をしていたのか」
荷物が空いているのを目にして問われた言葉に朋枝は言い返す。
「ち、違うって! よく分かんない女の子が、ここで! メロンパン食べてたの!」
沈黙が降り立つ。那由多は視線を背け、周辺警戒する。
「……敵は今のところ追ってこないな」
「無視すんな! ……本当なのよ」
「雨風がしのげる場所が欲しい。もう今日は探索を諦めたほうがよさそうだ。敵のせいで、オレでも位置情報が分からない。文字案内も……この辺りにはないようだ」
朋枝は咳払いして威厳を保ち、荷物を纏める。
「そうね。でも、どうするの? 怪獣のせいで無茶苦茶に走り抜けてしまったし……」
「ひとまずの屋根があればいい。地下に向かうぞ」
「地下層……」
先ほどの臾尓の言葉が重なる。那由多は地下層に向かわなければならないと。それは「最適化」のためだと言う。
「……どうした? 何か問題でもあるのか」
「う、ううん! ないない! 地下に向かったほうがいいかもしれないわね」
「……変だぞ、トモエ。何かあったのか」
「いや、多分、話しても信じないと思うし……」
「なら、今は先を急ごう。追っ手がどこまで迫っているのかも分からない」
歩み始めた那由多の背に続きながら、朋枝は己に問い返す。
――果たして、彼と一緒にいても平気なのだろうか。
その問いは答えを得られぬまま霧散していくのみであった。