GRIDMAN//CODE:Cypher 作:オンドゥル大使
地下層は天井が広く取られた巨大な空洞であった。
思わぬ場所へと歩み出した朋枝は那由多が周辺警戒を怠らないのを視野に入れる。
「……さすがにここまでは追ってこないんじゃ?」
「分からないだろう。そうだと願うばかりだが」
那由多は龍の意匠の拳銃を仕舞い、地下空間を仰いで茫然と口にする。
「……大聖堂」
「大聖堂? ここはそういう名前なの?」
「いや……分からない。何でそんな言葉が出たんだ?」
自分でも迷いの胸中にいる那由多に朋枝は地下空間に降り立つ青い月影を見やる。外界から完全に隔たれたわけではない。ステンドグラスが月明りを映し出している。
青と赤の光が落ち、静かな時を刻んでいた。
「……でも、大聖堂、か。まさしくそうなのかもね。とても静かな場所……」
長い間静謐にあったかのような場所に自分達が踏み込んでよかったのか、という逡巡さえもある。しかし、ここを目指すように言ったのは他ならぬ臾尓だ。彼女が何者なのかも不明だが、那由多に関係のある人間なのは間違いないだろう。
「敵がどこから来るのかは分からない。とっとと目的だけを遂行し――」
そこで那由多は不意に言葉を切り、鏡に向かって拳銃を構えていた。敵意を剥き出しにした眼差しに朋枝は息を呑む。
「……どうしたの?」
「また奴だ。蒼い怪人……。何だ、何が言いたい……」
「……那由多にしか、見えていないんだよね……?」
覗き込んでも朋枝には影さえも見受けられない。那由多は首肯し、銃口を向けて叫んでいた。
「何者なんだ……。オレに何が言いたい!」
引き金に指をかけた那由多がその眼差しで問い返す。どれほどの時間、どれほどの感覚でその蒼い怪人が現れて来たのか朋枝には分からない。しかし、ここまで那由多を苛立たせた存在となれば、それはきっと幾度となく彼に問いかけて来たに違いないのだけははっきりしていた。
「……その蒼い怪人って……もしかして……」
紡ごうとした言葉に、那由多がハッとこちらに銃口を向ける。朋枝は慌てて手を上げていた。
「な、何? どうしたの?」
「……この感じ……。ジャンクが近い」
「ジャンク? こんな場所にもあるの?」
那由多は彷徨うように歩み出し、そして月明りの反射するジャンクの集合体へと近づいていた。
朋枝は無数のモニターから成り立つジャンクを目にする。
「こういう形のジャンクもあるのね……。でも、どうして? どうしてどこにでもジャンクはあるの?」
「分からない。だが、このジャンクは……」
手を伸ばした刹那、那由多は空を仰ぎ見ていた。
瞬間、ステンドグラスが砕け散る。現れたのは羽音を散らす先ほどの蠅の怪獣だ。
群れを成し、蠅型怪獣が降下してくる。
「逃げないと!」
「逃げる必要はない。ここで迎撃する」
龍の拳銃を突き出し、那由多は赤い高重力波の砲撃を見舞っていた。蠅の怪獣が何匹か駆逐されるが、それでも相手の駆動速度のほうが遥かに速い。回り込んできた相手に那由多が銃撃を浴びせかけようとして、自分の存在に引き金にかけた指を止めていた。
「……那由多」
「トモエ……伏せていろ。ここで奴らを潰さなければ……」
そこまで口にして、那由多は言葉を困惑の中に埋没させる。
「……潰さなければ、何なんだ? オレは……何だ?」
一瞬の迷いの隙を突き、蠅の怪獣が那由多の肩口へと食らいついていた。那由多はゼロ距離で砲撃をぶつけて迎撃するが、引きずられたダメージは大きい。肩から滴った血潮が外套を濡らしていく。
「オレは……何者なんだ……」
「那由多ぁっ!」
その痛ましい姿に朋枝は駆け出す。那由多が目を見開いていた。自分の背後に、蠅の怪獣が迫る。
「伏せろ!」
那由多の声が迸り、朋枝は咄嗟に身を突っ伏させる。頭上を行き過ぎる高重力の赤い光軸に、朋枝はびくついていた。
ようやく過ぎ去ったかと思えば、那由多は完全に脱力している。歩み寄った朋枝は、那由多の身体からしみ出した鮮血が自分の手を染め上げているのを目にして驚愕する。
「……那由多」
返事はない。那由多は大量出血のショックで失神してしまったのか、瞼を閉じている。
「……あなたに何があったの。何が、あなたなの……」
困惑の只中で咆哮がその思案を遮っていた。地下層から仰いだ空の中に屹立するのは巨大なる影である。
「怪獣。嘘、こんな時に……」
那由多を引っ張り、少しでも安全圏に運ぼうとするが、怪獣の白い眼球がこちらを睥睨する。
――見つかった、と心臓を収縮させた時には、怪獣の特異な腕が空間を裂いていた。
針の鋭さを伴わせ、地下層へと怪獣の破壊の手が突き刺さる。崩れゆく階層の中で朋枝は悲鳴を上げつつ、那由多の名前を呼んでいた。
「那由多……。起きて! お願いよ! ……那由多ぁっ!」
誰かが呼んでいる。
自分の名前だと規定した名称を、必死に。それを意識の表層で拾い上げた自分は、頭を振って身を起こしていた。
光の連鎖する空間の中で、一人の怪人がこちらを見下ろしている。咄嗟に拳銃を取り出しかけて、所持していない事に自分は困惑を浮かべていた。
(那由多。思い出してくれ。君の使命を)
「使命……。お前は、どうしてオレの前に何度も現れる……? 何者なんだ……」
いつもならば一方的な会話になってしまうこの問いかけに、今回は相手は答えていた。
(わたしはハイパーエージェント、グリッドマン。那由多、思い出すんだ。君の使命を)
「ハイパー、エージェント……」
その名称に那由多は左手首の疼痛に目をやる。青白い光が明滅し、左手首に浮かび上がっていた。
「そうだ、オレも、ハイパーエージェントだ……」
(ならば、答えは決まっている。那由多、わたしと最適化するんだ。そうすれば君はさらなる力を得る事が出来る。そして、救い出すんだ。君の大切なものを)
「大切な……もの……」
連鎖する光の渦の中に、不意に浮かび上がったのは怪獣に襲われる朋枝の姿であった。那由多は茫漠としていた意識が統一されていくのを感じ取る。
――救わなければ、助けなければならない。
何が使命なのか、何のために自分はこの力を手にしたのかは分からずとも、目の前にいる誰かを助けられる力がここにあるのならば、それに従おう。
「……戦おう」
(最適化するぞ、那由多)
互いの頭蓋に向けて、情報が行き交う。赤い線で交換されていく記憶の瀑布に、那由多はグリッドマンを見据えていた。
彼もまた、自分を真っ直ぐに見据えている。この世でまるで、お互い以外に自分達を知っている人間がいないかのように。
唯一の理解者に向けての眼差しのように――。
その双眸に那由多は問うていた。
――オレは何者なんだ?
しかし問いかけの答えは得られない。グリッドマンもまた、何かを問いかけているようであった。
しかし、それが分からない。グリッドマンの意思が伝わってこないのだ。
一方的とも言えるこの情報交換の連鎖は終わりを告げていた。
やがてお互いの瞳を見据え、言い放つ。
(怪獣が出た。変身するぞ、那由多)
「……ああ。オレに出来る事がそれならば、変身しよう」
左手首に青い脈動が走り、アクセプターを呼び起こす。
左腕を掲げ、アクセプターの前で十字を描き、押し込んでいた。
「アクセス・フラッシュ!」
瞬間、那由多の意識は途絶え、光となってグリッドマンと共に螺旋を描いて天へと昇っていく。
その途上で、那由多は何かを知覚していた。
――遠い昔に見放した何か。手から滑り落ちた何かが、明瞭な言葉を結ぶ前に霧散していく。
手を伸ばそうとして、思惟の感覚は消え失せ、残っていたのは、現実空間で怪獣と相対する己の意識であった。