GRIDMAN//CODE:Cypher 作:オンドゥル大使
「それ! 行け!」
テレビの前で、アカネが声を張っている。そこまで大それた事が起こっているわけでもない。巨人と怪獣が舞い上がり、お互いに火花を散らしている。それぞれの戦い振りに那由多は黙っていた。
どこかで似たような事が起こっているような気がする。それもとても近い場所で。
「あーあ、今週も終わりかぁ。ねぇ、那由多君。怪獣が負けるのって、おかしいよね?」
「アカネはそう思うのか」
「違うの?」
「オレは……分からない」
その返答にアカネは自分の手を取る。
「私の味方なら、分かるはずだよ。怪獣万歳! ってね」
諸手を上げたアカネに那由多は当惑してしまう。怪獣が勝利するのが正しい、それはどうしても認識出来ない。
何か、とても重要な事を取り違えているような感覚だが、それを名言化する事は出来ない。アカネはただ無邪気に思っている事を言っているだけだ。だから、さして思いを巡らせる事はないはずなのだが。
それでも何故だか、一つ事にこの身はあるという曖昧な気持ちに囚われる事がある。何か、大事なものを自分は永久に失いつつある事実に、無力感に苛まれていく。
その手をアカネは握り締めていた。愛おしいものに触れる手つきだ。
「……那由多君の手は、あったかいね」
「そうか。そんな事はないと思うが」
「あったかいよ。お陽様みたい」
「太陽……」
那由多は窓辺より地平線を望む。もうすぐ沈んでいく斜陽の光が差し込んでいる。
この場所は安穏としていて、どこか永久とも思えない。それでも、事実としてこの世界には終わりは訪れないのだろう。
優しさや強さとは違う。無限に繰り返すかのような、小さな無力感を覚えてしまう。
『どうしたんだい? 二人とも』
「あ、《アレクシス》。那由多君がまだちょっと記憶が混乱しているみたい」
『それはいけないねぇ。今日の夕飯はシチューだ。食べていると記憶も戻るかもしれないよ』
「那由多君……。《アレクシス》の言うようにちょっとずつでいいよ。記憶も多分、戻ると思う」
二人の言う通りなのだろうか。このまま黄昏の世界にいれば、記憶も戻り安らかに過ごせるのだろうか。
「オレは……すぐに取り戻さなくてはいけない。そんな気がするんだ」
「慌てないで。だって、誰も追い立てないし、それにお医者さんはすぐ治るって言ったんでしょ?」
「それは……」
まごついた那由多にアカネは快活に言いやる。
「なら、大丈夫! 治ったら出掛けよ? そうすればきっと、よくなるから」
『那由多君はニンジンは大丈夫かい? アカネ君は野菜多めだったね』
「もうっ、子供扱いしないで、《アレクシス》。私はお肉多目がいいー」
わがままをこねるアカネに《アレクシス》は笑いかける。
『そんな子は、野菜増し増しでいこう』
「《アレクシス》ってこういうところあるんだ。私の思っている事を大体は肯定してくれるのに、たまにこうやって意地悪するの」
『意地悪じゃないとも。アカネ君の体調を気にかけているんだよ』
那由多は二人の関係に戸惑っていた。二人は、そういえば何なのだろう。
お目付け役、とも言っていたが《アレクシス》はどう見ても人間ではない。思索の表層にも浮かばなかった考えだが、よくよく考えればおかしい。
尋ねようとして、《アレクシス》が巨大なシチュー鍋より芳しい香りのホワイトシチューをすくっていた。
『さぁ、夕食だ。二人とも食卓についてくれ』
「ご馳走だね! 那由多君」
「あ、ああ。そうだな」
野暮な事は聞くまい。事情は込み入っているのかもしれない。正直なところ、何一つ分からないままなのだ。分かってからでもいいではないか。
ただ、と那由多は当惑を浮かべる。
――分かる時が来るのか、オレには。
テレビにはまた別のヒーローが映し出されていた。怪獣と戦い、激しくもつれ合う。その姿は蒼銀で、どこかで見たような姿に見入っていると不意にテレビが切られた。
『食事中にはテレビはよそうか』
《アレクシス》に制され、自分とアカネは夕食に入っていたが、案の定、味も何もしなかった。
連れ去られた那由多と《サイファーグリッドマン》を連れ戻す手立てを探さなければならない。
しかし、朋枝はこの場を容易くは離れられなかった。ジャンクの付近に寝かせているのは、前回助け出した男である。金髪にピアスをしており、容貌も決して模範的とは言えない相手であったが、どうしてだか助け出さなくてはならないような気がしていた。
それには那由多を助けた経験則もあったのかもしれない。
いずれにせよ、自分はまた一人ぼっちだ。
蹲ってため息をついていると、不意に風が吹き抜けた。
面を上げた朋枝の眼前にいたのは青い髪をなびかせる臾尓である。瞼を伏せた臾尓は少しばかり混迷の中にいるようであった。
「……臾尓」
「……グリッドマンと那由多が連れ去られた」
「それは……。あたし、何も出来なかった」
「相手は宇宙人だ。怪獣とは違う」
「宇宙人? そんなものが……いるの?」
臾尓は首肯し、静かにその視線を男へと据える。瞬間、どこか空気がささくれ立ったのを朋枝は関知していた。
「あの……重症だったから助けたの。大きな傷があって……」
「……そうか。朋枝。那由多はもう、帰ってこないかもしれない」
思わぬ言葉に朋枝は立ち上がって抗議していた。
「帰ってくるよ! これまでだってそうだった! 今回も……きっと……! だって、那由多はあたしを助けてくれた。今までも、何回も……」
搾り出すような声に臾尓は冷徹に返す。
「これまでとは敵が違う。相手の動向がまるで読めない。思想も、だ。だから、帰ってこない覚悟をしておいたほうがいい」
「……何で、臾尓はそんな事を言うの」
無言を返した相手に朋枝は縋るように声にしていた。
「あなたは、何を知っているの。グリッドマンって何? 怪獣って何なの。どうして、あたし達は狙われているの? 臾尓、全部知っていて黙っているんでしょ」
「……肯定する事も否定する事も出来ない。安易な返答は惑わせる原因になる」
「それでも! ……教えてよ。何で那由多だけがこんなに苦しまなくっちゃいけないの。彼だって……人間なんでしょう?」
那由多だけが戦い続け、もがき続けている。その事実がどうしても許せない。臾尓は静かな眼差しでこちらを見据える。
「ヒトは、真実だけで出来上がっているわけではない。朋枝、お前も。那由多、彼も。誰もが真実を直視出来るようにはなっていない。そこまで人間は強くない」
「それは……あたし達にそれを知る資格はないって言いたいの?」
黙りこくった臾尓は不意に呻いた男に振り返っていた。傷口をさすり、瞼を開いた男に朋枝は駆け寄る。
その一瞬に目を離しただけで、臾尓は消え失せていた。
一体、臾尓は何なのだ。彼女自身にも秘密があるような気がしてならない。
激痛に呻く男はジャンクを掴み上げ奥歯を噛み締めている。朋枝はその顔を覗き込んでいた。
脂汗を掻いている。布で拭ってやると、男の手が自分の襟首を掴み上げていた。強い力で引き寄せられる。
「……てめぇは、誰……だ……?」
射竦める眼光に朋枝はたじろぎつつも応じる。
「……あたしは、朋枝。あなた、酷い怪我をしていたから」
「怪我……。そうだ、俺は……。死んでねぇのか。何で……」
心底不思議そうな男に朋枝は説明する。
「ドクロ鉄道は中立だから、手当くらいはしてくれたのよ。治るかどうかは五分五分って言っていたけれど、意識が戻ったのならよかったわ」
ドクロ鉄道に駆け込んだのが結果的に功を奏した。男は朋枝から手を離す。腕で視界を覆い、ふと間違いのようにこぼす。
「……生き残っちまったのか」
「怪我はまだ酷いから。安静にしていたほうがいいと思う。鎮痛剤と薬は充分にあるから、その心配は要らなさそうだけれど」
「おい、女。俺だけか? 生き残ったのは」
その質問の意味をはかりかねて、朋枝は首を傾げていた。
「……見つけたのはあなただけよ」
「そう、か……。生き恥ってのは……この事を言うんだな」
「何を言っているの。あんな重態から持ち直しただけでも……!」
男は上体を起こし、斜に切り裂かれた傷をさする。肩口から腰までバッサリと、袈裟切りに深々と斬りつけられていた。何をどうすればそのような怪我をするのか不明なほどだ。しかし、ともすれば怪獣との戦いに巻き込まれた一般人かもしれない。朋枝はこの周辺の村の人間の可能性もある、と慎重になっていた。
「……こんなでも、生きてるんだな」
「出血は酷かったから。動かないほうがいいわ。しばらくはくらくらすると思うけれど」
その言葉に男は沈黙を浮かべてから、ああそうか、と口走っていた。
「……そういう点じゃ、殺し損ねたのか。ヤツは」
粗暴な言葉遣いに朋枝は改めて心配になる。それともこのシンジュク区内では当たり前なのだろうか。自分は村からほとんど遠くに行った事がないために判断基準は曖昧であった。
「……あなたは、ここで長いの?」
「……ああ。結構な時間生きている」
では年長者かもしれないのか。朋枝は言葉を選んでいた。
「じゃあ、あなたはここじゃ先輩なわけね。あたしは来たばっかりだし」
「先輩……。俺が、か?」
「他に誰がいるのよ。……本当に、何でこうなっちゃったんだろ……」
臾尓もいなくなってしまった。今の自分に頼れるものは何一つない。男は今しがたの言葉を噛み締めているようであった。
「先輩……か。悪くねぇ響きだ」
「怪獣が現れない代わりに、何か妙なのがグリッドマンを連れて行っちゃうし……。いつまで、こんな戦いをしなくっちゃいけないんだろう」
「そりゃ、てめぇで選んだんなら、長くても弱音は吐いちゃいけねぇな。それが戦いを選び取った側の覚悟ってヤツだ」
「分かった風な口を……。ちょっと待って。また血が出てる!」
「あン……。こんなの掠り傷――」
「駄目よ! 黴菌が入っちゃう! えっと……消毒液は……」
消毒液をガーゼに染み込ませ、朋枝は慌てて処置を行おうとする。それを男は黙って見つめていた。
「……なぁオイ。よくも分からねぇヤツを、何でそんなに庇える? 今に、俺はてめぇを襲うかもしれねぇ」
「怪我人が何言ってんだか。何かしようにも出来ないでしょ」
激痛に男が顔をしかめる。まだ縫われた傷口が酷く痛むに違いない。ドクロ鉄道は大きな怪我は処置してくれたが、その後は完全に放置のスタンスであった。だからこそ、自分が継続的に治療出来るようにかっぱらえるだけの治療用具はせしめたのであるが。
「……お前、親兄弟は」
「死んだわ。ここからはちょっと遠いけれど。……怪獣に襲われて殺された」
自分の声音が強張ったせいか。それとも、彼にも思うところがあったのか。そうか、と応じた声は少しだけ尻すぼみであった。
「……俺もこの間……みんな殺されちまった。そんなつもりはなかったんだがな。危険に晒すつもりなんて、なかった……」
「そんなの結果論でしょ。あたしは結局、……兄を見殺しにしたのと同じ。だって力さえあれば、助けられたなんて驕りなのよ。結局、行動しなかった。力がなくても、牙がなくても戦わないといけなかったのに……戦えなかった」
那由多に頼ってしまった。それも自分の弱さだろう。男はそうか、と同じ調子で返す。
「……てめぇは強いんだな。前を向けている」
「強いですって? ……そんなだったら、今頃後悔なんてしていないわよ」
「いや、後悔出来るだけ、強ぇんだ。本当の弱者は過去を顧みる事さえもしない。……俺は弱者じゃねぇつもりだったが――」
そこで不意に男が言葉を区切った。
周囲を見渡し、やがて治療に専念していた朋枝を抱え込む。思わぬ行動に朋枝は困惑していた。
「ちょ、ちょっと! どこ触って……」
「もう来やがった。怪獣だ」
何故、そんな事が分かるのだろう。瞠目した朋枝は周辺に視線を配る。だが、怪獣が現れる気配など分かるわけがない。
それこそ、那由多でもない限り……。
「あなた、怪獣が分かるの?」
「ああ、この成りでもちょっとはな。連中、何を考えてやがる……。二体……」
「二体も? どこから……」
息を詰まらせた朋枝に男は声を発する。
「離れんなよ。死にたくなきゃな」
「何言ってんのよ。あなたこそ、あたしから離れたら死んじゃっても……」
「……ったく、気の強ぇ女だ。ま、いいがな。名前は?」
「……朋枝」
「トモエ、か。呼びやすい」
「あなたは……」
「俺か。俺は……先輩とでも、呼んでくれや」