GRIDMAN//CODE:Cypher 作:オンドゥル大使
♯5‐1
青錆びの街を駆け抜けるのは辻風。
何もない場所から風圧が発生し、高層建築物を薙ぎ払っていく。次々に将棋倒しになる街並みより砂礫が発生し、暴風が世界を震わせる。
だが、視界では何も捉えられない。
「何もない」はずなのに「何か」が蠢動する。その奇妙なる符合に濃霧が吹き荒れ、風が無人の街を叩き伏せる。
蒼銀の輝きが中天を貫き、次の瞬間、実体化した巨人が風の行方を探して周囲に視線を巡らせていた。
その眼差しの先には青錆びの街の只中にある銀盤の聖地が入っている。
そう――前回の戦い。《アレクシス》との最終局面で《サイファーグリッドマン》が編み出した新たなる技、フィクサービームの作用した謎の異空間だ。
朽ちたはずの街の中央で、その場所だけが生者の春を謳歌している。《サイファーグリッドマン》とその内奥に収まる那由多はやはり、不可思議な感覚を拭えずにいたが、今はこの街を襲う怪獣を倒すのが先決。
(グリッドライト、セイバー!)
光刃を発し、敵のいるであろう地点に打ち込むが、やはりと言うべきか当てずっぽうで命中するはずがない。だが、風と存在は感じる。
そう、風と存在だけなのだ。
それ以外は一切関知出来ない。
熱源も、脈動も、生物には付き物なあらゆる生体反応が消え失せ、敵はどこから来るのかも不明なままである。
《サイファーグリッドマン》は光刃を発振させたまま構えていた。
どこからでも来い、という意思表示に不意打ち気味に横合いから突撃がかかる。完全に意識の外からの攻撃によろめいたが、《サイファーグリッドマン》はその手で対象を捕まえていた。
離すものか、と握り締めた瞬間、するりと滑り落ちる。
握っていたはずの敵が、今まさに「存在ごと」消失する。
先ほどまで感じていた存在でさえも掻き消した相手に、《サイファーグリッドマン》は戸惑いを浮かべていた。
(……何も関知出来ない……。わたしの五感をもってしても。本当に怪獣はいるのか?)
その疑念に応じるように下段より突き上げの攻撃がかかった。返す刀の一閃を見舞うが、敵に届いた様子はない。
影も形もない相手をどうやって捉えろと言うのか。《サイファーグリッドマン》は刃を振り回したが、その切っ先が何かに触れる事もない。
まさしく――透明人間を相手取っているかのようだ。
(……だがいるはずだ。どこにいる! わたしは逃げも隠れもしない!)
言葉にした《サイファーグリッドマン》に風圧が咲き、眼前を風の壁面が覆う。殴りつけるが何かを捉えた感触はない。それどころか今度は背面から蹴りつけられた。振り返り様の一閃をぶつけるも、効果はない。
(……どうしてわたしの関知網に入らない……。この怪獣は……)
鳴き声の一つも上げなければ、存在感さえも消し去った相手。証明する手立ては先ほどからの連撃でしかない。だがそれもともすれば何かしらの暗示かも知れないのだ。
怪獣は、実はいないのではないか。そのような疑念に駆られた《サイファーグリッドマン》を嘲笑うかのように、腹腔に一撃が見舞われる。確かに重い一打であった。やはり相手はいるのだ。しかし、証明出来ない敵など、それは悪魔の実証よりも困難だ。
そこらかしこに向けて、光刃を放てば一打くらいは効果があるかもしれない。だがそんな事をすればいたずらに被害を増やすだけ。何よりも、復活した区画までも巻き込んでしまう。
今の《サイファーグリッドマン》には、これまでのような無計画な戦いは出来なかった。
復活した聖地――それを守りながらの戦いはこれまでよりもずっと苛烈だ。しかも敵は不可視の怪獣。
目に見えない、耳朶でも捉えられない相手に、何が通用するのか。
《サイファーグリッドマン》は己の中に対処法を見出そうとするが、こちらの編み出す手など児戯だとでも言うように横合いからの攻撃が入る。すかさず足が払われ、その巨躯が青錆びの街に沈んだ。
どう足掻いても、敵は全く関知出来ない。それどころか、本当に実在するのかも怪しい。ここでの消耗は抑え、次なる手を講じてから戦いを再開すべきだ。そう冷静に判断するも、変身解除の隙を敵は与えてくれない。
背筋に体重をかけられ、《サイファーグリッドマン》は呻いた。
(……お、重い……。実在する重さだ。これは暗示なんかではない……!)
今ここで、倒すと判じた神経がグラン・アクセプターにエネルギーを充填させていた。ほとんど接地した状態で、《サイファーグリッドマン》は叫ぶ。
(これならばどうだ。グリッド、ビーム!)
自身を巻き添えにする形での必殺技は砂礫と粉塵を高空まで巻き上げさせる。その瓦礫と煙に揉まれた空間を掻っ切ったのは一陣の風だ。
今の一瞬だけでありながら、敵はその存在を「見せた」。
立ち上がった《サイファーグリッドマン》は敵の位置を把握し、グラン・アクセプターより光刃を発射する。
(グリッドライト、セイバー!)
三翼の光の刃が滑空し、空間を引き裂いていた。敵もその刃には触れざるを得なかったらしい。
今ここに、ようやく敵はその存在を察知させる。
一瞬だけながら透明の皮膜も剥がれていた。
皮膜状の翼を広げた爬虫類を想起させる怪獣だ。敵怪獣はすぐさま透明の皮膜に身を包んだが、それでも一度見えてしまえば、手は打てる。
《サイファーグリッドマン》は左腕を突き出し、グラン・アクセプターに火球のエネルギーを溜め込み、連射した。
(スパークビーム!)
速射された攻撃はグリッドビームのような威力こそないものの、連射性能に優れる。敵の位置がある程度把握出来たのならば撃つべき空域も分かる。
《サイファーグリッドマン》の読みはこの時、敵の腹腔を捉えていた。思った通り、攻撃を受けると皮膜が弱体化するらしい。
《サイファーグリッドマン》は躍り上がり、光刃を発振させて透明な怪獣へと一閃を浴びせかける。敵怪獣の肩口が抉れ飛び、血潮で透明化の効果が解かれていた。
爬虫類のような敵怪獣が吼えて威嚇するも、その時には《サイファーグリッドマン》は敵の懐に入っている。
(スパークビーム!)
拳に火球を溜め込み、赤く煮え滾るアッパーが怪獣の顎に突き刺さっていた。よろめいた敵へと翻った勢いで光刃を発し、その眉間を切り裂く。
怪獣が悲鳴を迸らせる。
《サイファーグリッドマン》は両腕を交差させ、蒼銀のエネルギーをグラン・アクセプターに集中させ、腕を突き上げていた。
(グリッド、ビーム!)
放たれた渾身の必殺技が透明な怪獣を突き破り、その身体を分散させる。敵怪獣の消滅に伴い、《サイファーグリッドマン》の身体は光へと還元されていた。
高層建築の屋上で那由多が眼下の街並みを見下ろす。
青錆びの朽ちた大地の中で、唯一のオアシス。その街並みには人影も見られる。
「……本当に、復活したのか。あの部分だけ……。だとすればオレは……」
「――命を、弄んだんですね」
放たれた声に那由多は拳銃を突きつける。相手は丸眼鏡の少女であった。頭頂部から伸びた特徴的な癖毛が触角のように揺れている。
「あわわわ……。別に喧嘩を売るつもりはないんですよ……。グリッドマンさん」
困惑した少女に一見すれば敵意はないようであったが、その手に携えたモニュメントは明らかに怪獣のものであった。
しかも今しがた倒したはずの怪獣の形状を模している。何故、と息を呑んだ那由多に、丸眼鏡の少女は応じる。
「その、困らないでくださいよ。私だって困っちゃってるんですから。グリッドマンさん。あなた、街を復活させましたね? あれ、迴紫様がとっても興味があるって言っているんです」
「……迴紫が」
「ええ。あなたをナイトウィザードに迎えたいと仰って――」
その言葉尻を高重力波の赤い砲撃が遮っていた。少女の脇を突き抜け、高層建築の壁へと突き刺さる。
「……もう一度言ってみろ。今度は当てる」
「……ぶっそうですねぇ、もう」
少女は最早取り繕う必要もないと感じているのか、落ち着き払って眼鏡のブリッジを上げていた。
「ナイトウィザードの仲間にはならない。貴様らはオレが……倒す」
「グリッドマンとして、ですか? でも記憶は相変わらずなんでしょう? 迴紫様はその点も心配されているんですよ。新しいグリッドマンとして、何一つとしてなっちゃいないはずのあなたが、どうしてだかあの技だけは顕現させてみせた。その……ちぐはぐさとでも言うのですかねぇ」
「……あの技」
「隠す事でもないでしょう。《アレクシス・ケルヴ》を倒した、あの輝き……フィクサービームですよ。あれは正確には攻撃技じゃないんです。破壊され、崩壊したプログラムや、あるいは人間の心のような不確かなものを、再生させる技なんです」
放たれた言葉に那由多は目を戦慄かせる。そのような技であった事など知る由もない。否、知っていたとして、ではどうして自分が。
その考えを読み取ったように、眼鏡の少女は告げる。
「私達なら、そのあるべき使い方を教えられる、と言っても、ついて来られませんか? グリッドマンさん。あなたを買うと言っているんですよ?」
それは迴紫との停戦を意味しているのか。だが、と那由多は照準を据え直す。
「迴紫をオレは許せない。この世界をオモチャのように扱う、奴を……」
「それも一方的じゃないですか? 迴紫様はこの世界を愛しておられます」
思わぬ言葉に那由多は困惑していた。
「迴紫が? この世界を?」
「答え、気になりますよね?」
そこから先は付いて来いと言う事か。今考えてみても不確かな事実は多い。この眼前の少女も、先ほど倒した怪獣も、何一つとして実感がない。透明化と言う強大な能力を有していたにしてはその力、まだまだ隠されているものがありそうであった。
しかし自分のスタンスを曲げる気はない。引き金に指をかけ、那由多は言い放つ。
「ナイトウィザードは敵だ。オレは、迴紫を倒す」
「それで世界が救われなくってもですか? あなたは救いの道を持っているのに、その力を闇雲に使うだけ。私の《ステルガン》にあんなに時間がかかったんですから。救済なんて出来はしないんですよ」
睨みを利かせると少女は頭を振っていた。
「……ここまで、みたいですね。また勧誘はしますので。……こういうの、私は得意じゃないんですけれど迴紫様に絶対服従しているナイトウィザード、もう私だけみたいなので。だから私は怖くない方向に行きますよ。臆病者と言われても、ね」
高重力砲撃を浴びせかけようとして、少女は手すりより飛び降りていた。
慌ててその姿へと追いすがるがやはりと言うべきか、少女は落下したわけでも、ましてや死んだわけでもない。
どこからか、声が残響する。
「気が変わったら、いつでも仰ってください。迴紫様は待っていらっしゃいますので」
周囲を見渡すが、その姿は捉えられそうになかった。恐らくは怪獣の能力の一部であろう。ナイトウィザードは人間の姿でも怪獣の力を使えるらしい。
「……オレは、何を信じれば……」
「那由多!」
声の主へと振り返る。朋枝が息を切らし、高層建築の屋上に至っていた。
「もう……変身を解除したならすぐ降りて来てよ。何かあったんだと思うじゃない」
「すまない、トモエ。……ナイトウィザードが接触してきた」
その事実に朋枝が絶句する。
「それって……宣戦布告って事?」
「分からない。だが、オレがこの間に発現させた技を、迴紫が欲しがっていると言う」
「……それって、やっぱりあれだよね?」
朋枝の指差した先には復活した生者の街がある。思えばこれまで朽ちた死者の街を彷徨い歩いてきたのだ。突然に生まれた聖地は、まるで手を伸ばしても届かない楽園のようであった。
その楽園を生んだのが自分の力の一部だとは、やはり信じ難い。
「……今日中に、行くんだよね」
「ああ。あの街には生きている人間がいる。それもオレ達の理とは違う、別種の人間達が」
確かめなければならない。あの場所にいる者達が本当に「生きている」のかどうか。あるいは、こうも言い換えられる。
――オレは、命を生み出したのか? だとすればグリッドマンの力は……。
そこから先を紡げずに、那由多は拳を握り締めていた。
「あの場所までの距離はさほどない。ドクロ鉄道の邪魔立ては?」
「今のところ、何にも。でも、何も言わないはずがないよね。だって、今まで中立を貫いてきたんだもん」
「……あの場所にも一家言ある、か。どちらにせよ、阻む者は全て敵だ。ドクロ鉄道でさえも、オレの……」
だが、その理屈で行けばともすればナイトウィザードと敵対する理由はないのか。
堂々巡りの思考に打ち止めをかけるべく、那由多は朋枝に問いかけていた。
「トモエはどう思う? あれを……」
「うん……。あたしのいたような村とも違うし、それに見た事もない感じ。何だか、今まで当たり前のように見てきた景色を否定されたみたいで……」
「否定、か」
だがどちらが間違いかなど誰も判ずる事は出来まい。何をどうまかり間違ったところで存在するという事実だけは消せないのだ。
蒼く煙った視界の中で、そこだけが晴れた異様な空間。銀色に照り返る街並みは本当に「再生された」街だと言うのか。
だとすれば、この朽ちた街は何なのだ。何のために、自分達は今までこの街で生きてきたのか。朋枝は、この世界が当たり前だと信じて疑わなかった。ゆえにこそ、亀裂を奔らせているのは明るい場所のほうなのだ。
手招くのは真実か、それとも残酷なる現実なのか。
それは自分にも分からない。フィクサービームが本当は何なのか、それさえも。
「……オレは、グリッドマンの力を引き出した……。それは本当に、正しい事なのか」
――分からない。何もかも。