GRIDMAN//CODE:Cypher 作:オンドゥル大使
朋枝はアンドロイドに引き連れられていく銀色の廊下を歩んでいく中で、前を行く臾尓によく似た女性へと声を投げていた。
「……ここは、どこなの? シンジュクから離れてしまったの?」
「朋枝。それは違う。いいえ、もっと言えばあの場所は違う、と言ったほうが正しいかしら。あそこで起こった事、全てが現実だと、思い込んでいる?」
「思い込んでいるって……当たり前じゃない! グリッドマンが……那由多が戦ってきたのよ! それを嘘だなんて……」
思えるはずがないではないか。そう言葉を濁した朋枝に、彼女は指を弾いていた。
「記憶の混濁がないだけマシ、か。あなたのこれまでの世界を、その眼に映してあげましょう」
鋼鉄の扉を潜った先にあったのは、巨大な管制室であった。無数のオペレーターが常にキーを打って作業している。
目を凝らせば、彼らは全員アンドロイドであった。それもただのアンドロイドではない。
「……ドクロ鉄道の、連絡員……」
そう、彼らの形状はまさしくドクロ鉄道の連絡員や添乗員そのものであったのだ。仰天の事実に困惑していると、彼女が手招く。
「その程度で驚かないで。こっちよ」
「ちょっと待ってよ……、えっと……」
「臾尓でいい。名前は別だけれど、それが分かりやすい記号のはず」
「じゃあ、臾尓……。これは何なの? どうして、ドクロ鉄道の社員が……」
「そう、あの世界では彼らはあのアバターで認識されている。中立地帯を守る運送会社、ドクロ鉄道。その末端構成員として」
「……どういう事を……」
招かれたのは白く滅菌されたかのような一室である。丸机の対面へと朋枝は促されていた。
「座って。話しやすさを考えましょう。アロマでもどう? 人工アロマだけれど」
「……随分と饒舌じゃない。あそこでは、あなたは寡黙だったけれど」
その皮肉に臾尓はフッと笑みを浮かべる。その行動すら、自分からしてみれば意外であった。
「そう、だったわね。でも仕方ないのよ。あのセクターには、私が介入するのには制限がかけられていた。だから、那由多との合同アバターとして自己設定し、那由多の意識レベルが低下した時を見計らって出るしかなかった」
「ちょ、ちょっと待って! ……何を言っているの? アバター? 意識レベル? あなたは……何」
「そう、その答えを保留にしていたわね。朋枝、いいから座って。落ち着いて話しましょう」
「あたしは落ち着いている!」
いきり立って反発したこちらに臾尓は涼しげに返していた。
「興奮度が高いわ。鎮静剤でも持ってきたほうがいいかしら」
「何を言っているの、臾尓! まだ那由多は戦っているはずよ! あたしだけ……こんな場所に連れ出して……何のつもりなの?」
詰め寄って白状させるはずであった。しかし、臾尓はどこか寂しげに瞼を伏せる。
「そう……まだあの場所が、現実だと思っているのね。これを」
臾尓が手を翳すと、空間の一部分に映像が投射されていた。
そこには地獄の炎に包まれてゆく新宿区内が映し出されている。建築物を破壊し、炎を撒き散らしているのは他でもない。
「《サイファーグリッドマン》が……赤く……」
「そう、既に《サイファーグリッドマン》は私達の管轄域を超えた。いいえ、最初から、こう仕組まれていた、と言うべきなのでしょうね。那由多の中に仮想人格として紛れ込んでいたなんて思わなかったけれど、でも彼へと接触していたこちらの覚醒プログラムに、まさか自身の人格補正プログラムを混じらせていたなんて思いも寄らないわ。彼は、最初からそのつもりだったのよ」
「臾尓……今ここは、シンジュクじゃないの?」
その問いかけに臾尓は投射画面をいくつかスライドさせる。
燃え盛る新宿区を俯瞰するのは青白い地平線をも視野に入れる人工衛星であった。だが、そこから克明に映し出された空間は、どこか奇妙に浮いている。
惑星一つがあるはずなのに、新宿区以外は光さえもない。全てを飲み込む暗礁の闇が茫漠と広がっているのみであった。
闇に沈んだ惑星は一部区域を覗いて、人が住むようには見えない。
まるで出来損ないの地球儀だ。
「これ、は……」
「あなたが世界だと思っていた全てよ。これでも、管理者権限で最大値までの設定にしてあるけれど、実際には、新宿区内を中心とした、半径七十キロ圏内でしかない。それ以外の領域は虚数に沈んでいる。つまり、何もないのよ」
「何も……ない? 世界が、あのシンジュク区以外に……」
臾尓は迷いもせずに応じる。
「そう、何もない。あなた達が世界だと思い込んでいたあの青錆びの街は、実は世界なんかではなかった。シミュレーテッドリアリティ、仮想現実空間よ。私達はそれを、セクターと呼んでいるけれどね」
「セクター……? あたし達の生きていた世界に、何も、ない……?」
処理し切れずに朋枝はよろめき椅子に座り込んでいた。それを目にして、臾尓は説明を始める。
「まずは基本から。あなた達が生きていた、と錯覚していたのは仮想現実空間、セクター。そこに人類が到達したのは、今より何百年も前。新たなるフロンティアの開拓のため、ヒトは遂に仮想現実に没入した。……でもそれは大いなる間違いへの始まりでもあった」
無数の人型が一つの巨大なる球へと接続する図が描かれた矢先に、その球体がいくつも分裂していった。
「元々、人類は一つに成り切れていないのに、仮想現実は発明されるべきではなかったのよ。一つに成れない人類同士の諍いは加速し、そして様々なセクターが生まれた。セクターごとに管理者……つまりセクターと言う一つの宇宙の支配者が必要になった。そこに人類を置くと、それこそ戦争の火種になりかねない。人類は、自分達の行いを客観的に俯瞰する、神のような存在を求めた。それが、彼ら」
球体へと組み込まれていくのは赤い巨人達である。意匠や細かい差異はあれどそれらは間違いなく――。
「グリッドマン……」
「そう。ハイパーワールドより来たりし超常生命体、グリッドマン。彼らに管理者権限を与え、人類を監視してもらう事にしたのよ。セクターという一種の電脳空間を見張るのに、彼らは適任であった。元々彼らには実体はないの。遠い昔に、誰かが形を与え、それを嚆矢としてハイパーワールドより彼らは人類の前に降り立った。人類に希望を見出し、そして自らの自己進化の促進のために。ハイパーワールドの超常生命体は、それだけでは進化の頭打ちに来ていた。しかし人類と交わり、そして新しい限界を超える事によって、グリッドマンにもメリットはあった。互いに共依存の関係として、グリッドマンと人類はセクターを使い、進化の途上に赴こうとした」
「……まるで、失敗したみたいな言い草ね」
その言葉に臾尓は静かに首肯していた。
「ええ、そう……。失敗したのよ。グリッドマンは己の進化の臨界点に早々に達した。人類との共依存では、超常生命体は進化どころか退化してしまったのよ。人類の視点に切り替えた彼らは、すぐに見切りをつけるべきであった。ハイパーワールドにいくつかのグリッドマンは帰ったけれど、でも帰れなかったグリッドマンもいた。彼らはまだ人類には希望があると信じ、セクターの監視を続けた。そのうち、セクターごとにばらつきのある、いわば固有種とも呼べるグリッドマンが生まれ始めた。セクターごとの神は違う。その神がどのような姿を取るのかも。セクターの守護神たるグリッドマンは独自進化を遂げ、やがて人類は、生まれながらにセクターに繋がれるようになっていった。胎児レベルからのセクターへの接続。それは完全にセクター内と現実だと信じ込み、この管制室を含む、真の現実世界を全く知らない世代が登場し始めた。彼らはセクターの中で永遠に失われた現実世界の風景に興じ、そして誰一人として不幸な人間の居ない、理想世界を作り上げた……と思い込んでいた。たった一人、神として彼らを監視し続ける存在を無視して」
臾尓の論調には全てへの諦めがあった。まるでもう起こってしまった事、どうしようもない事を回顧しているかのような。
「……グリッドマンと言う神のような存在は、どうして……」
「超常生命体にも、限界はあるという事を、人類は一ミリも理解していなかったのよ。ハイパーワールドに帰らなかった彼らは人類の行いに絶望した。深い後悔を刻んだの。それは、人類が進化どころか退化の道ばかり辿るから。かつての栄光ばかりを追い求め、かつての娯楽や文化に酔いしれる人類に、超常存在は呆れ果て、そして見切りをつけた。グリッドマンの力はかつて全ての人類に等価として与えられていたけれど、その本体であるグリッドマンは消え去るか、もしくは自ら命を絶った。そうしなければ耐えられなかったのでしょう。多くのグリッドマン達は人類に絶望し、もう監視の役目を投げ捨てていた。その結果として、人類には永久の罰の証が与えられた。それが、左手の」
朋枝は左手に装着された灰色のアクセプターを見やる。
「アクセプター……。でもっ、これはあたしが、あの村で兄から受け継いだもののはず! だったら、現実じゃないなんておかしい!」
「あなたはこう言われたはずよ。子供のうちはアクセプターを付けておけ、と」
ハッと硬直した朋枝に臾尓は言葉を重ねる。
「ある一定年齢になるとね、アクセプターは自動損壊するようになっているの。だから、その齟齬をなくすために、仮想世界ではアクセプターを子供は付けておくように躾けられていた。そして、あなたのアクセプターはそのままに、あの世界での死を迎えた。だから、ここに来たのもあるのだけれど……」
アクセプターを視野に入れて話を聴き入っていた朋枝は、ある可能性に行き着く。
「じゃあ、じゃあ村のみんなも……生きているの? こっち側で……。そのはずよね? 臾尓! あたしが死んでこっちに来たって言うのなら他の村のみんなだって……!」
立ち上がって声にした朋枝に、臾尓は頭を振っていた。
「アクセプターは仲立ちなの。こちらの世界と仮想世界を結ぶ、ね。ある一定年齢になるとアクセプターは損壊する。それはつまり、もう現実世界に戻ってきても、生きていく意味はないと言う自己判断なのよ」
まさか、と朋枝は視界を戦慄かせる。臾尓は冷酷に言い放っていた。
「村のみんなは……」
「死んだわ。そう考えるのが筋でしょうね」
脱力して、椅子に倒れるように座り込む。死んだ、と言うのか。兄も、村のみんなも。この世界でも、既に死んでいると。
「生きていく意味なんて……そんなの誰が決めるって言うの! 神様でもないのに……」
「そう、神様が決めるんじゃない。人類が既にそうあるべきとして決めたのよ。私達よりも何世代も前の結論だもの。今さら取り繕って変えられる代物じゃない」
「怪獣が殺した! そうよ! ナイトウィザードが村のみんなを殺したの! そんな事がなければ……今も……」
「朋枝。否定するわけじゃないけれど、あの区画で生きている人間は、あなた達の村人くらいなものだった。もう、あのセクターには生存している人間のほうが少なかったのよ。だからって気休めにもならないかもしれないけれど……」
朋枝は臾尓へと掴みかかっていた。身のうちを焼きかねない怒りに駆られ、怒声を飛ばす。
「だから、死んだほうが幸福だったって? 臾尓、あたし達は、死んだほうがよかったって……そう言いたいの、あなたは!」
「……落ち着いて。今ここで興奮すると、後できついわよ。あなたは現実世界には生まれ落ちたばかりなのだから」
その言葉を証明するように、朋枝は眩暈を覚えていた。力が入らず、指先が震え出す。臾尓が呼び出したアンドロイドが即座に診察し、こちらの抵抗も虚しく薬品を打たれていた。
「何、を……」
「鎮静剤よ。悪いものじゃないから安心して。栄養剤も混ざっているから少しずつなら元気になると思うわ」
「……臾尓。あなた、地獄に落ちるわよ。こんな所業、誰が許すもんですか!」
こちらの憤怒に臾尓は、地獄ね、とどこか諦観の口調で応じていた。
「本当の地獄は、でも人間はここに棲まわせているのよ。そう、誰しも地獄を飼っている。それが分かりやすく、セクターとして設定されるようになっただけ」
「答えになってない! あんな風にしたのは……怪獣に殺されたのは、あなたも同罪よ! 臾尓!」
そこまで捲し立てて息を切らしていた。呼吸器も弱っているのだろう。声にする度に命を削るかのようだ。
それでも、自分の命の精一杯の叫びに、臾尓は僅かに目を伏せる。
「そう、同罪。それは分かっているわ。だからこそ、だったつもりなんだけれどね。……朋枝、あなたはあそこでグリッドマンと出会い、そしてこの現実に行き着いた。だから知る権利がある。あの新宿区内で何が起こっているのか。そしてどうして、グリッドマンはあなたの前に現れたのかを」
「グリッドマン……那由多、なのよね……。でもさっきの話だと、それはおかしい。だって、グリッドマンは管理者……つまり神様みたいな存在なんでしょ? それに何で那由多が……」
食い違う証言に臾尓は一つずつ解きほぐそうとしていた。