GRIDMAN//CODE:Cypher 作:オンドゥル大使
自分を呼ぶ声が聞こえて、那由多はハッとする。
「……この声は……」
「外の荒事に気を取られるな。君はもう、逃げる手立てはない。このままわたしの一部になるといい」
敷島万里の意識の汚泥に半分以上浸っていた那由多はしかし、確かに自分の名を呼ぶ声を聞いていた。
「これは……トモエ?」
瞬間、光が像を結び、朋枝の姿が構築される。
「……外で迴紫は何をやっている。余計な小娘を引き入れて……」
浮かび上がった朋枝の手を那由多は取っていた。朋枝が静かに舞い降りる。
「トモエ……どうやってここまで……」
「説明は後! それに釈明もね! ……記憶、戻ったんだね、那由多」
「……ああ。オレは敷島万里の一部。ただの外付けの、仮想人格に過ぎなかった……」
「違うよ。あたしの知っている那由多は、違う。仮想人格なんかじゃない。生きている人間だった」
「惑わすのは! やめてもらおうか、お嬢さん! いいや、幾度となく見て来たとも。彼の目から、君の姿を。朋枝……村娘の分際で……」
「村娘で何が悪いのよ! あたしはねぇ! 那由多を助けに来た! あんたなんかに、那由多は渡さない! 絶対に取り戻してみせる!」
「吼えろ、弱者が! これを見るといい! 那由多はもうほとんどわたしの一部だ!」
敷島万里と自分は溶け合い、重なり合って境目さえも分からなくなっている。それに、と彼は付け加えた。
「《サイファーグリッドマン》に希望を見ているのか? 愚かだ! あれはわたしなのだからね!」
「……臾尓から聞いてきた。グリッドマンの真実も、この世界の事も。……確かに、那由多は一人で突っ走るところもある。身勝手で、それでいて強情で……。でも、何度もあたしを助けてくれた。それは、確かでしょ? それも、敷島万里の意思だったわけじゃないはず。あなたの意思なのよ! 那由多!」
手を握り締め、何度も朋枝は訴えかける。だが、と那由多は頭を振っていた。
「……オレは誰にも胸を張れない。これまでやって来た事、これまでのオレは全部、敷島万里の掌の上だった。なら、もう何も……」
朋枝はそう言い淀んだ自分の顔を両手で上げる。
大写しになった相貌に、彼女は手を払っていた。
滲む、じんとした痛みに朋枝が声を張り上げる。
「馬鹿じゃないの! だったら、今、こうしてあたしと話しているあなたは何? あたしの事を覚えてくれているあなたは! きっとただ一人の人間なのよ。そう、那由多、あなたはこの世でたった一人なの。だから……帰ってきていいのよ。この世界に」
「オレが、この世界に帰っても、いい……」
「世迷言だ! 耳を貸すな、那由多。彼女はただの人間、ただの一個人だ。セクターの意思を代弁しなければならないグリッドマンの苦しみは一生かかっても分からないだろう」
「……あんたねぇ、そう言って、自分と他人は違うって線を引いて……それで何が残るって言うの? グリッドマンだから? 他と違うから? だからって、ここで叫んでいる那由多を、放っておけるわけないでしょうが!」
敷島万里相手に啖呵を切った朋枝に那由多は呆然とする。彼もそこまでは意外であったのか口を空けて呆けていた。
「……わたし相手に口ごたえを……」
「わたし相手? 誰が相手だって構いはしない! だってあたしは、那由多に帰ってきて欲しいんだもの! そのためなら何だってなるわ! それの何がいけないの!」
「愚かしい……人間風情が!」
敷島万里の汚泥が跳ね上がり、朋枝へとかかろうとする。那由多は咄嗟に手を伸ばしかけて、逆に彼女に手を引かれていた。
「……忘れないで、那由多。アクセス・フラッシュ……光あれの言葉はいつだって、あなたの中にある。あなたが光なら、どんな闇だって吹き飛ばせるわ。だってあたしは……それで救われたんだもの」
その笑顔を完全に認識する前に――汚泥は朋枝の存在を拭い去っていた。
ここにいたと言う証明すら残らない。何もない、空虚。何もない、ただの虚無。
「……那由多。つまらない人間が割って入った。だが統合は今に成される。もう迷う事はないはずだ。俗世より別れを告げ、わたしと共にハイパーエージェントとして、覚醒する時が来たのだ。さぁ、進化するぞ! 次なる領域へ!」
「……さい」
敷島万里が陶酔した声音より一転、疑念に眉をひそませる。
「……何だと?」
「……うるさいと、そう言ったんだ。敷島万里。お前の意思が、たとえグリッドマンの意思であっても、オレはここで……拒否する」
「……意味を分かって言っているのかな? 君は仮想人格だ。わたし、主人格の都合で簡単に消去出来る代物さ。選択権なんてありはしないんだよ?」
「……だが、オレは選択してきた。これまでも、これからもそうだ。オレの道は、オレが決める。たとえグリッドマンでなくともいい。誰でもない、那由多と言う一個人として! オレは声を張り上げる! 生きていていいのだと、そう確信して!」
左手には失ったはずのアクセプターが顕現していた。最後の最後、朋枝が託してくれた、灰色のアクセプターだ。掲げたそれに、敷島万里は哄笑を上げる。
「それは形骸上の代物だ! 玩具以下のアクセプターで何が出来る! 君に、本来のアクセプターはもう宿らない! わたしが、グリッドマンだからだ!」
敷島万里の右手には赤いアクセプターが輝いている。その力に比すれば、弱小もいいところ。ほんの小さな、ただの希望の灯火。
――光あれ、とそう願えるだけの心。
「……人間は、どんな境遇であっても願えるんだ、失わずに祈れるんだ。光を、彼らは失わない、損なわない! たった一つの命でも……この世界に光を見出せるはずだ!」
「だから、無駄だと言っているだろう! 《サイファーグリッドマン》はわたしなのだから!」
汚泥が溢れ出し、那由多の身を押し包む。窒息寸前、溺れ死ぬその前に、那由多は己に問い返していた。
――本当にそうか? 本当に、《サイファーグリッドマン》は敷島万里の意志だけだったのか? 彼に宿った信念は、正義は、そして人を愛し信じる心は、本当にただの一個人の怨嗟に塗り替えられてしまうのか?
左手を中天に伸ばす。灰色のアクセプターが、その劣化した装甲面より亀裂を走らせていた。
生まれ変わったアクセプターより、光が顕現する。
その光の連鎖に敷島万里と、彼の操る汚泥が一瞬だけ剥がれていた。
光の中で、那由多は対峙する。
これまで幾度となく助けられ、幾度となく一心同体となってきた蒼銀の巨人と。
「……お前は本当に敷島万里の心なのか? 奴の意思なのか?」
(那由多。その本当の意味を、君はもう知っているはずだ。だからアクセプターは応えた。今一度、この世界に……)
蒼銀の人影は左手を翳す。蒼いアクセプターの光を、同じ姿勢を取った那由多も引き写していた。
「光あれと、もう一度だけ願えるのならば……」
光の靄の向こう側に彼は消えてゆく。
既に答えは得た。
那由多は頭を振る敷島万里に、真正面から問い質す。
「オレは仮想人格、オレは仮初めの、ただの殻だと、そう言ったな?」
「それ以外に何が……」
「ならば! この光もまた、仮初めか? これもまた、本当になかったものなのか? それをお前は思い知る。そう! たとえ仮初めでも! 生きているのならばそれは! とても素晴らしい事なのだと!」
那由多の左手に溢れんばかりの輝きが宿る。アクセプターが可変し、翼を展開していた。新たなる形へと変容したアクセプターに敷島万里は絶句する。
「まさか……その形は……」
那由多は左手を掲げ、右腕で十字を形作り、叫んでいた。
「アクセェ――ス! フラッシュ!」
《サイファーグリッドマンシン》が身じろぎする。
「……何が起こってるの?」
《ゴッドゼノン》より生気が失せていた。光を失い、ただの残骸と化した《ゴッドゼノン》を《サイファーグリッドマンシン》は突き飛ばす。
「……ねぇ、何を――」
その言葉尻を、左腕より発振した光刃が引き裂いていた。迴紫は咄嗟に防御皮膜を張ったが、それでも驚愕に目を見開く。
「死んだはずの……グラン・アクセプターに、光が……」
左手のグラン・アクセプターに亀裂が走り、次の瞬間、光の塊が飛び出していた。
直上で拡散し、その光が降り注ぐ。光の持つ熱に迴紫は頭を抱えていた。
「何これぇ……。嫌な光……こんなの……っ!」
迴紫の自律兵装の一部が空間を突っ切って中空の光へと貫通する。
瞬間、光は流転し形状を伴わせていた。
地表に膝をつく形で蒼銀の巨人が構築されていく。
「まさか……ここに《サイファーグリッドマン》はもういるのに?」
見比べる迴紫に光より発した存在は応じる。
(……光あれと、人がそう呼ぶのならば、わたしは何度でも応えよう。それが、ハイパーエージェント、グリッドマンだ)
光を払い、蒼銀の巨人が形状を得る。
左手に蒼いアクセプターを。右手に赤いアクセプターを。
両方保持した新たなるグリッドマンは産声を上げていた。赤と蒼の入り混じった色彩を誇り、彼の者は佇む。
(電光超人、《真サイファーグリッドマン》!)
構えを取った蒼銀の巨人――《真サイファーグリッドマン》に、赤い災厄の巨人と迴紫は漠然とその姿を見据える。
「新しい……グリッドマン……」
(行くぞ、迴紫! そして敷島万里! 最後の――戦いだ)
【《ゴッドゼノン》】
【《カンフーシノビラー》】
【電光超人《真サイファーグリッドマン》】登場
第六話 了