右目のあたりに古傷が目立つ白い鼠は、監視ルームのディスプレイに流れる戦闘を穴が開くほど見つめながら、相澤消太に―――――首へ巻かれた操縛布の狭い空間に陣取り、顔を除くため小さな体を前のめりにして―――――話しかける。
「どうだい、相澤くん」
同じく戦闘を気怠そうなぼんやりとした目つきで眺めながら少しばかりのため息をついて、
「どうだいも何も、俺以外にやれる人いないです」
「やっぱりそう思うかい?」
「他のヒーローじゃ、もしもの時に相性が悪い」
勝てないと棘のある言葉は使わず、輪郭のぼやけた物言いをする。生徒には厳しく要点を明確に伝えはするが、教員同士の付き合いが悪ければ軋轢が生まれかねないし、生徒へ皺寄せが行ってしまうことも有り得る。相澤の教育方針である合理性を欠いてしまうのだ。
そんな面倒毎を避ける行動をしたわけだが、実際のところは垣根を特別視しているからに他ならない。
特別枠の籍を作るかもしれない旨を校長から通達された時から何かあるとは思っていたが…プロにすら一線を画す強さの裏には、どこか暗さを感じた。実戦を経験していなければ辿り着かない、戦闘における合理性。そして、途轍もない覚悟に突き動かされている
その裏には、白雲朧があった。
相澤がまだ学生だった時のクラスメイトであり、プレゼント・マイクと並んで心の距離が近かった存在。彼はインターン中に、大型
垣根の翼と白雲の雲。二人とも白が基調の個性で、空を自由に駆け回る。
底の見えない暗さと底なしの明るさ。
そして、何かの為に殉ずる覚悟。
首元が重いのか、はたまた気が重いのか。目線が少し落ち、頭が少し垂れ下がり、先ほどよりも深く息を吸い、鈍重な息を腹の底から吐いた。
先の映像を見る限りオールマイトとの戦いで何か会話をしていたようで、精神が熟れきってないはずの少年を狂わせた『何か』を知っているがために会話は短く、深い内容を知ることは叶わない。
想像できることは、闇を知ってる心の強さがある。まだ精神が発達しきっていない。そして、相当にクレバーだということだ。
(しかしあの強さはどこから来る?この個性社会の闇から生まれたなら…あぁ、そういうことか。誑かされたり暴走したら、俺たち大人が止めなきゃいけない)
『面倒毎は消太に任せる』ってか。
「性格が悪いですよ。校長」
いつから校長をやっているのか。年齢不詳の鼠男は、当時のことを深く知っている。
しかし世間様から見たこの図式はどう見ても裏口入学だ。通常の枠に+1など、雄英高校が始まって以来の特殊な措置だし、実力を伴わない、金や権力に屈するそれを校長が許すとは思えないが、それを疑わざるを得ない。
…いや、実際に平和の象徴
が、この校長ならなんとかするだろう。
望み通りの答えを聞き終えると軽やかに相澤の首から飛び降り、この狭苦しい部屋の出口に歩みを進め。
「それじゃあ、よろしくね。相澤くん」
東京駅。空っ風に吹かれて
ただでさえ木々は切り倒されて開発地にされてしまうのに、自然とかけ離れたモノとの交流を強制される。
それらは自然に対する侮辱と言えるし、自然と科学の調和とも言える。衆愚はその景色を幻想的と称し、ある種の観光地となり―――――所謂イ○スタ映えスポット―――――流行りの黒い粒の入った甘怠い飲物を扱う小洒落た屋台が並んで、資本主義の贄となっている。
底知れぬ経済効果を齎した上、主に学生や若い社会人の些細な承認欲求を満たすための道具とつゆしらず、今日も彼らは地上の星となるのだ。
「すげー綺麗」
思わず、言葉が漏れた。
駅の出入口付近にある並木のライトアップを見た、エメラルドグリーンに染められたダブルのトレンチコートを着、キャメルのフレアパンツを靡かせて歩く橙色のサイドテールの少女も、漏れなく幻想に憧れる一人だった。身長が高くても、大人びた風貌をしていても、やはり現実離れした光景は乙女心を動かすらしい。
掌より少し大きめな技術者達の結晶を構えてカシャと音を鳴らす。
吐く息白く、視界が邪魔されて思ったアングルにはならないし、息の温かさが届いて画面が結露した。
氷点下の中に素肌で佇まうには寒すぎるからして黒い革手袋をしているのだが、スマートフォンの操作が覚束ず、何度か繰り返される。
そのアングルに納得いったのか緑色のSNSを開き、今日知り合ったばかりの少年とのトークルームを開く。通知に気づかなかったが、どうやら向こうは後10分ほどでこちらに着くらしい。
これが送られたのは7分ほど前。つまり、そろそろだ。
拳藤一佳が入力中…
18:51
「やっぱり手ぇ冷えてんのか」
その声が右後ろから聞こえ、そのまま手に向かって差し出されるのは、温かいペットボトルの飲料。白と緑のラベルの紅茶で、糖類の入っていないモノだ。
今朝知り合ったばかりなのに、もう私の好みを知っているのだろうか。ブラックの珈琲を買わせてしまっただけなのに。まぁ、欲を言えば珈琲の方が好みではあるが。
拳藤一佳は甘い飲み物が好みではない。果物の甘さはあまり嫌悪しないのだが、カ○ピスだったり、コカ○コーラだったりの自然な甘さではないものは特に苦手だ。
「…お。ありがと垣根」
また買ってもらってしまった。そんな申し訳なさそうな顔をして両手で受け取って、プチりと蓋を捩じり、その温かさを口蓋へ転がして味わってから、自らの体内へ沁み込ませて行く。何口か飲み込んだ後、体温を少し取り戻したように感じた。
持つ手が温かい。少し震えていて、両手で暖を取るようにそれを持っていた。…あぁ、もしかして缶コーヒーだとプルタブを開けられないと思って開けやすいペットボトルを選んだのだろうか。
そんな事を想像しながら、目の前にいる茶髪で強気そうな…というよりかは、心配した様子な顔の整った背丈の高い少年を、呆けた眼で見つめていた。
「おま…一佳」
呆。
「おい」
「っ!あぁなに?」
「こっちが聞きてぇよ。飲み始めたと思ったら急にこっちを見つめてきやがっ…もしかしてお前、俺のこと好きなの?」
「は?」
「そんな睨むなって。それとも、コーヒーじゃなかったのが嫌だったか?」
「嫌じゃないって!」
「悪いが、改札出てすぐの自販機には紅茶しかなかったんだよ」
やはりこの少年は彼女の好みを見抜いていたようで、初対面のくせして見透かされている気がして少し吃驚した。
…実際にそうなのだろう。揶揄うような表情を先ほどから見せている。その癖、温かい飲み物をくれる。しかも開けやすいようにペットボトルという優しさもあるのだから、どうにもその表情に文句を付けられない。
顔が良い、スタイルも良い、頭脳明晰。これだけでも惹かれる要素が客観的にあるだけでなく、恐らく金持ちであろうことも関係しているのだろうか。
本人にその気はないかもしれないが、パーソナルスペースに侵入してくる速度が異常に早い。
なんか、こう、拳藤がオンナノコ扱いをされることに慣れていないのと。
この冬の雰囲気に呑まれてるのかも、と。
閑話休題。ところで本来の目的である『でぃなあ』を忘れてはいけない。
「そろそろ冷えもマシになってきたんじゃねーの?さ、食いに行こうぜ」
「え、あ。もう場所決まってるの?」
「?あぁ、言うの忘れてたな」
「アメリカンバイクが好きなんだろ?そういう場所にした」
ラ○ンのヘッダーでも見たな…?あ、これ有無を言わせない奴だ…。
「コート、お預かりしますよ」
店に入るや否や、すぐに支配人と思われる年の落ち着いた白髪の気品ある男性の迎えがあり、拳藤の着用していたコートはすぐに新たな店内のオブジェクトとして飾られてしまった。そしてそのまま流れるように席へ案内された。あれよあれよの間にメニューを聞かれ、垣根はさも当然のように「一番うまい奴。ドリンクはノンアルコール」と答えた。
アメリカンな風情を感じる割には、どこか落ち着いた雰囲気のレストラン。照明は雑多めいた白いものではなく、暖色のランプが各テーブルと壁に何ヶ所かついている。わいわいがやがやと話し声が聞こえるものの、決して下品ではない程度で。聞き耳を立てると、今度のスクープがどうの、次の政策はどうの、あの頃の芸能界はどうの、とても学生のいる雰囲気ではなかった。
そして店内を見回してみると、大排気量のバイクがインテリアとして飾られている。どれも有名なブランドの最高級モデルだ。
少しテンションが上がってしまう。バイクは好きだし、大型ならもっと好き。ましてやそれの一番グレードの高いモノとなると…流石に興奮する。マフラーの光沢。マットな質感のシート。ハンドルの素材の良さ。
そんな興奮も束の間、気づいた。
つまり。
ここは。
おたかいおみせだと。
一気に表情が青ざめると、何度か口をパクパクとさせながら声を絞りだした。
「な、なぁ垣根。言いにくいんだけど、さ…ここのお店、絶対あたしじゃ」
垣根は遮るように、頬杖を突いて余裕そうな顔を向ける。
「朝のお礼、とでも思ってたか?残念だったな。金なんざ出させねーよ」
「え」
「…、見る?」
清潔感のある真白なテーブルにスマホを置き、拳藤が見やすいように向きを変え、チョイチョイと人差し指でスマートフォンのある部分を指示した。ディスプレイの調光機能がうまく働いてないらしく、暗くなったり明るくなったりしているが、やがて数字が映し出される。拳藤自身も慣れない光源のせいか焦点が合わず、何度か瞬きした後、元から大きい目をさらに見開いて。
「!?!???!!!!!??!?!!???!?!!!!?」
具体的に言えば、0の数字がいち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、せんまん…。ここまで数えて、もう諦めた。
文字通りに桁が違う。
親が相当の金持ち?つまりどこかの社長の息子?されど答えはこれには有らず。拳藤自身の知識にも『垣根』という姓で会社を立ち上げていて、尚且つここまでの大金持ちという存在は認識していない。
だから猶更、この男がミステリアスに感じるわけで。
「金のことは心配するな。俺だけじゃ使い切れねーよ」
磁器と鉄器がぶつかり、シャクシャクと繊維に刺す音と小さくて甲高い音がテーブルに響く。間隔は長く、急いでいるというわけではなかったが、ごつごつとした細身の美しい手は三度動いただけで動かなかくなった。今日の試験内容を、(オールマイトとのそれは話さないが)受験が終わった後の学生らしい会話を広げる。
拳藤は自身の個性を説明しながら、
その表情も刹那、やはり不安なのだろう。すぐに眉が下がる。
「一佳が落ちるなんて思わねぇけどな」
「…ありがと。私も落ちるつもりで受けてないよ。けど、不安で」
「不安になったってしょうがねぇだろ。仮に落ちても一佳はヒーローを目指すことに変わりないんじゃねーの?」
「それはそう、だけどさ…」
しばしの無言の後、ウェイターが拳藤へ付け合わせにガーリックライスを運んでくる。前菜は既に口にしたので、今は主菜のT-boneステーキを頂戴しているところだ。様々なライスと選べるらしく、このほかにも6種類ほどあるらしい。年頃の少女がガーリックを頼むのは珍しいかもしれないが、この後に予定があるわけでもないし、臭いを気にする必要もないかな、と。
垣根はそれがベースのベーコンバジルライスを大盛りで頼んだらしく、上品な皿にこんもりと敷き詰められているのはアンバランスで、少し滑稽だ。
…それにしても量が多い。一人で食べきれるのだろうか。まだデザートとかあるんじゃ?
拳藤の視線に気づいたのか、口に運ぼうとしていたそれを一度取りやめ、真正面にいる少女に皿を少し近づけた。
垣根はそれを「別の味も食べてみたーい!」な反応だと思ったのか、
「…食いてえの?」
その答えに、ううん、と首を振りながら。
「その身体のどこに入るんだろうって」
垣根はトントンと人差し指で自らのこめかみの辺りを突く。
「ここ」
そういえば、朝に計算がどうのこうの…みたいなのを言っていた気がする。頭を使うことは確かにカロリーを消費するが、この細身は羨ましい。
乙女は自分の体形に敏感なのだ!!
「女の敵だね」
「どういうことだコラ」
「細いなって」
T-boneステーキに鉄の小さい三叉を刺し、まるで紙を切るような手軽さで肉を断ち切っていく。
そういや、と前置いて。
「ダー…個性の今まで扱えなかった領域を使えるようになってたな」
「試験中に?まるでコミックだな」
「あの時は気づかなかったが、思い返すとな」
「ふーん」
「ところで拳藤はなんでヒーローになろうと思ったんだ?」
「――――――それはな」
「美味しかった。ご馳走様。会計はこれで頼む」
垣根は、両手が埋まっているウェイターの前掛けにあるポケットへ、その黒いカードをするりと入れた。
デザートまで美味しく頂いた、美しく影の濃い顔をした少年とまだあどけなさが残る美麗な少女は、ウェイターが皿を持っていくのを見守っている。
彼らは、先ほどまでと変わってドリンクしかないテーブルを囲んでいた。
先の会話で垣根の個性が成長した、という話をされたが、肝心な中身を聞けていない。
今日知り合ったとはいえ、同じ学び舎のヒーロー科を目指す者同士、個性が気にならないわけではない。
特に拳藤は『しょぼい個性』と言われる事が多く、それらを補うための個性の鍛錬や、拳法の修行だってしてきた。
むしろ、仲を深める打って付けの話題になる前に逸らされ、他の話題にすり替えられる。どうにも垣根は個性のことを話したくないらしい。
ので、自ら切り込んでいくことにした。
「垣根の個性ってさ。どういうものなの?」
「…………」
「垣根?」
目がぼーっとしてるのが見える。顔も赤いし、心なしか目線が下に感じられた。その双眸が射貫く先には服の上からでもわかるくらいに重厚で、されど柔和で、それでいてまとまった双丘が――――――――!!!
「…どこ見てんだ。えっち」
腕で豊満なソレを隠し、気持ち猫背になり、恥じらいと照れ隠しと少々の怒りの籠った声色で視線に応えた。
だが、垣根はそれに返事をすることもなく、ついには赤黒い錆ついた臭いのする液体を大粒で白いキャンバスの上に落涙させていく。
「や、やだなー。そんなイイ顔して
漫画で少年が大人のお姉さんの艶姿を見てしまった時のように、興奮して鼻血を出す。
そのように感じたから揶揄ったつもりが、やはり返事は来ない。
今日知り合ったばかりではあるものの、垣根はこういった揶揄いを「あー、はいはい」と雑に受け流したり、朝の時のように、どこかへ席を外すといった行動を取るタイプだと思っていた。
どうしたんだろう。
その考えに至る寸前に。
垣根の上半身が、二人に挟まれていたテーブルへ鈍い音を立てて沈んだ。
「―ッ!?、ウェイターさん!!」
ウェイターはバックヤードに案内して、仮眠室の私物のベットへ垣根を座らせる。「救急車をお呼びします」と一礼すると、固定電話のあるフロントへ赴いて行った。
弱々しく震え、苦しさから呻く。…さむくてあつい、酷い風邪をひいた時のような症状が垣根を蝕んでいた。
拳藤は垣根を介抱するため、彼の左に優しく座り込む。
…そして、息がしづらそうだ。浅くなっている呼吸は酸素をうまく肺へ供給できず、やがて心拍数が上がっていく。
嗅覚を鈍く突いた臭いと、血小板が空気に触れて様々な化学反応があった後に出来た塊が空気の通りを妨げている。
目が開いたり閉じたりと、彼の中で光が明滅しているのが伝わってくる。とにかく、このままでは垣根が風邪(?)ではなく、酸素欠乏症になってしまう。
だから、ゆさゆさと身体が揺らす。彼の意識を飛ばさせてはならないと。
「――――きね!垣根!」
彼は蜘蛛の糸を掴むように、人体を動かす化合物を求めて喘いでいる。実際に左手が拳藤の方へ行くわけだが、安心させるように手を重ねる。「大丈夫、大丈夫」と呟きながら、拳藤は背中を
「熱ッ!いつから無理してたんだよ、全く」
このままでは垣根が窒息してしまうと判断した拳藤は、個性を小規模ながらに発動し、座りながらも垣根の背中へ腕を構え、ドン!と力強く背中を叩く。
「口で呼吸!!」
肺にほんの僅かだけ溜まっていた空気を吐き出させて、反射的に口から酸素を取り入れさせる。
カハッと一瞬苦しそうにした後、無理に鼻呼吸をしようとしていた肩の動きは軽くなり、次第に呼吸が落ち着いた。
一先ず目先の危機が去ったと判断した拳藤は、繋いでいた手を緩やかにほどき、ベッドにあった布団を拝借して垣根の背中を包む。
口呼吸で行う深呼吸の特有な、空気を太く吸う音が、部屋に響く。先ほどまでとは違い、メトロノームのように規則正しいリズムだ。
拳藤は、元の位置にもどって、軽く優しく、赤子をあやすように背中を打つ。
しばらくすると、まだ震えるようだが、垣根の意識が浮き上がってきた。
「…わ、るい」
「良かった。今ウェイターさんが救急車を呼んで」
――――るから。
と言う前に、熱く、思っていたよりも筋肉が付いていた彼の細い身体が拳藤に投げ出される。
「寒い」
「お、おい…ちょっと」
反射的に受け止めた拳藤は、彼の脇腹へ布団越しに手を回す。身体の軸が脱力し、自分で動くことが出来なさそうだ。
「ティッシュ、ぁー、どこかにねぇか」
バックヤードを見渡すと、腕を伸ばすには遠く、歩いて取りに行くのは少し面倒な距離にある場所に、一つ箱があった。市販されているティッシュの中でも少し高めな価格帯に設定されている商品であった。そんなところでも、この店の格が伺える。
「あったけど…何枚?」
「10枚…はぁ…くらい?」
彼女はその姿勢のまま個性を発動し、しゃっしゃっとその枚数より多めにとると、個性を解除して手元にティッシュを携えた。
「どうするの?」
垣根は大きく口で息を吸い、数枚その紙の塊から捲り取ると、勢いよく鼻をかんだ。
花粉症の時や風邪をひいているときのソレとは明確に音が違う。グジュグジュという音ではなく、中途半端に固まったかさぶた―――つまるところ血餅が―――びちゃり、びちゃりと大量に出てくる音だった。両方の穴からそれらを噴出させると、残ったティッシュに”ゴミ”を丸め込み、先ほどティッシュがあった付近のゴミ箱へ投げ捨てた。
…ただでさえ鼻が苦しかった上、力を入れすぎて涙が出ている。しばらくは息も絶え絶えで、口を利くことができなかった。
呼吸が安定し始めると、やがて拳藤の方を向く。
「ぁー、だいぶ楽に、なった」
「そりゃ良かった。しばらく寝てな?」
「救急車、来るんじゃ、ねぇのか、よ」
「そーれーまーでーだ。いいから」
またもや個性を使う。今度は、先ほどまで背を温めていた布団を剥ぎ、しばし(彼にとって)寒風が周りを支配した。垣根を片手で包み込み、人肌が彼を温めた。
垣根を先にベッドへ横たわらせると、拳藤は個性を解き、垣根にふわりと布団を掛ける。
「本当、悪い。迷惑、掛けた」
「いーよ、こんくらい。でも謝罪より欲しい言葉があるんだけど?」
垣根はベッドの中から拳藤を見据える。
顔が上気し、弱り切り、鋭さが弱まった瞳に少しばかりのみずたまり。
「………………ぁり、がと」
「―――――――――。おう」
相手は調子が悪いっていうのに…。何故だか、興奮してしまった。数刻前と同じように座り、背徳感に苛まれ、誰も見ていないというのに、拳藤は顔を手で覆い隠す。
なんか、垣根ってかわ…いい?弱ると無意識に甘えたがるのかな…?
すると、サイレンがけたたましく鳴り響いた来た後に、近くで止まった。救急隊が到着したことを理解した拳藤は、ベッドから立ち、寝ている垣根を起こさないように彼を持つ。
所謂、お姫様抱っこと呼ばれる、アレで。
そのままバックヤードから出て、店の入り口の方へ歩き出す。店の半分を過ぎる辺りで、ストレッチャーを運んでいた隊員を見つけた。
お兄さんこっちです、声を出す前より先に、こちらに向かっていた。成程、彼はよく見ている。
「呼吸はあります。身体が熱く、風邪っぽい症状で急に倒れました」
「ありがとうお嬢さん。後は僕たちに任せて欲しい…と言いたいんだが、一緒に救急車に乗ってくれるかい?」
「はい」
救急車に運ばれた垣根は、都内の病院の救急外来で点滴を打っていた…というよりかは、点滴が終わり、更に眠りこけていた。
起きる。倦怠感は少しあれど、先ほどまでの重さではない。身体もまだ少し熱くて寒いが、それを認識できる程には意識を回復した。
右腕にある違和感。横目に自分の腕を見た。翼状針が刺さってる。
…本日二度目。今日は厄日か。
まぁ、そこは重要じゃな「君、今日2回も点滴を打っているよねそうだよねうんだって静脈に針を刺している形跡があるもんそうだよこれ今日やった奴なんだよな絶対お前なにしてんだよ」
「あぁ…今日は雄英の試験だったからな」
「う~ん、しゃーなし!はは」
「ノリ軽すぎじゃねぇの?医師がそんなんでいいのかよ」
「ええんやで」
「…(←とっても面倒くさそうで嫌そうな顔)」
「あっはっは。俺と喋る奴はみ~んなそんな顔をする俺だって真剣に患者のこと考えてるから説教染みてるんであってそうしたいんじゃないんだようん急病とかならこうしないけど君って予兆があったわけじゃんな~んで無理して身体動かしてたかな???????」
とても つかれる いしゃ と はなす と とても つかれる !!
あぁ、どこか救いはないかと諦めかけていると、病院の床を蹴り進む音が聞こえた。パシャンとカーテンを開ける音がすると、今日知り合ったばかりの少女がいた。
「お!おはよう垣根。よく眠れたか?」
「最悪の目覚めだよ。つーか今何時だ」
拳藤はスマートフォンをカバンから取り出し、時刻を告げる。「22時回るとこだよ」
「…マジ?帰れば良いのに」
「乗りかかった船だし、今日のお礼もまだ言えていないし」
と、言いながら、垣根に黒いカードを差し出す。あの店で使っていたすごいカード。ウェイターか支配人が持ってきてくれたのだろうか。今後、贔屓にしていくことを密かに決めた垣根はそれを受け取ろうとするも、ヒョイと取り上げられてしまった。
まだ覚醒しきっていなくてボケているのか、少し阿呆な顔をしながら口を開けて拳藤を見上げる。
「ふ、ふはっ。なんだその顔。申し訳ない気持ちがあるんなら、個性の話を聞かせてよ」
「…それは」
「急にそんな暗い顔すんなって。そんなに嫌なら、言わなくていいよ。いつか言いたくなったら言ってよ」
でも、と言いながらそれを垣根に渡す。
「垣根の個性で起きたそれだけは教えてもらうからな?」
少年は、観念して話すことにした。
「そういえば垣根くん、最後に個性が電流、身体が回路とヒューズ、脳味噌がスイッチと制御チップって言ってたよな…」
緑谷出久。今朝、個性を受け継いだばかりの少年は、今日出会った少年の言っていたことを自室のベッドで思い起こしていた。それを飲み込もうとしても、『疲れ』がドッと出ていてうまく働かない。
「僕がヒューズっていうのは多分個性を使うと壊れるからだろうなぁまだ譲渡されて一日もたっていないぶっつけ本番だったからしょうがない…と思いたいけどヒーローを目指す以上それは言い訳にはならないしでもこれからこんなんばっかじゃ助けるヒーローには成れないどころか足手まといになる可能性もあるあああどうしようどうしようどうし」
スンッ…。
もし周りに人がいたのなら、あまりにもわざとらしすぎてコントかと見紛うほどの寝落ち。
無理もない。今朝多古場海浜公園の掃除を文字通り終わらせ、水平線を蘇らせたばっかりだ。ましてや、リカバリーガールの治療を受けているのだから、体力の消耗は激しかったはずだ。
今日のことを、自分の恩師であり憧れでもあるオールマイトへ連絡・報告をし、母親と喋り、夕飯を食べ、(オーバーワークで止められていたが)不安で日課の筋トレをし、更に体力を使っていた。
受験勉強で張りつめていた緊張の糸も、試験を受け終わったことで切れてしまったのだろう。
それが寝る前だったという話だ。
閑話休題。彼はそもそも、垣根の意図していたことを解けない男ではない。元々クレバーな人間で、それを理解だってできるだろう。
だが、今日で色々あった。本当に、疲れ切っていたというだけだ。
彼がまた目を覚ました時、それを考えたら理解するだろう。
少年達の物語の歯車は、今日という日に噛み合った。
数奇な運命を辿り、
さぁ、始めよう。
さぁ、取り戻せ。
さぁ、救い出せ。
科学と英雄譚が交差する時、物語は始まる―――――――!!