天空の城の世界に憑依転生した   作:あおにさい

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「親戚?」

「はい。母方の遠い血縁の人が来たんです」

「おいおいシータ、そりゃ大丈夫なのか? 騙されていないか?」

 

 馴染みの農夫が、心配そうに顔をしかめる。僕は努めていつもどおりに気楽な口調で応じた。

 

「祖母から聞いた一族のことに、すごく詳しかったですよ。そもそも、こんな何の財産も無い子供を騙して引き取ろうなんて人、いないですって」

「世の中、人身売買だってあるんだぞ。それに初対面の親戚のところなんぞより、お前もこの村にいたいだろう?」

「実は、考古学の専門家で……その、色々教えてくれるって」

「そういうことかよ。お前さん、死んだオヤジさんと揃って歴史狂いだもんなぁ」

 

 渋っていた農夫は理由を聞くとあっさり納得し、わがままな子供を見るような呆れた目でため息をつく。亡くなった父と僕が街に行くたびに立ち読みして追い出され、歴史書を買うために節約生活を送ったことを、父の友人だった彼はよく知っているのだ。 

 

「それで家を出ることになったので、これまで面倒を見てくださったお礼に土地をお譲りしたいんです」

「うちにか? そんな金はねぇぞ」

「お金はいりません。父が亡くなってから、ずいぶんお世話になりましたし。大した家でもないし……。いらないようなら、適当に売ってください」

「さすがに無料(ただ)ではなぁ。村長んとこ相談して、村の方で買い取って貰えるように話そうか。新しい生活始めるんなら何かと入用だろ」

「全部、親戚のおじさんが面倒を見てくれるらしいので」

 

 ふるりと首を振ると、農夫はとたんに険しい顔つきになった。

 

「シータ、本当に騙されていないんだな? 親戚のくせに、婆さんや母ちゃんの葬式にだって来なかったじゃねぇか」

「軍属の、ちゃんとした人ですよ」

 

 少々野心家だが、間違いなく軍人である。嘘ではない。公的な職業というのはそれだけで信用度が高く、案の定農夫は「なんだ」と破顔した。安心しきった顔だった。

 

「軍人か。まあそれなら大丈夫だろう。なんかあったら、いやなにもなくても手紙はよこせよ。俺ァ一応、お前さんの父親代わりだと思ってんだからな」

「っはい、ありがとうございます。落ち着いたら必ず手紙を書きます」

 

 手紙を出せるようならばぜひ。

 祖母より先に父が亡くなってから、女子供しかいない我が家をこまごまと気にかけてくれた人だ。季節ごとに必要な力作業を手伝ってくれ、村の男衆の中に僕を引き入れて狩りの仕方や酒との付き合い方や女の口説き方やらと指南してくれた。僕にとっては、兄のような存在である。

 もう二度とこのように話す機会がないことを、残念に思う。

 

「とにかく、家と畑は村に買い取ってもらえ。村長んとこ行ってどんだけ金が出せるか聞いてくるわ。その軍人ってのはいつ迎えに来るんだ?」

「四日後に」

「ずいぶんとまあ性急なことだな。危ないと思うようならすぐに逃げ帰ってくるんだぞ」

 

 いい子に「はい」と答えたが、この約束はきっと守ることが出来ない。

 

 

**

 

 

 最後のラピュタ王(リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ)になると決めた時、僕は故郷(ゴンドア)の地へ帰れないことを覚悟した。

 家と土地を売り、家畜を馴染みの農夫に譲った。数日で準備をすませるのは苦労したけれど、万事丸くおさまり僕は都会の()()に引き取られたことになっている。家族を早くに亡くした可哀相な田舎小僧は、裕福で親切な都会の軍人に養われて教育され幸せに暮らすのだ。村の人達はシータという孤児が拾った幸運を、朗らかに語るだろう。

 他の誰でもなく、これは僕が始めたことだ。始めたからには、終わりがある。

 ラピュタの力の根源である巨大な飛行石の結晶が、ちゃんと最後まで自壊するのを見届けなくてはならない。どれだけ言葉を紡ごうと、呪文(ねがい)による強引な自壊指示であることに変わりはなく、手順を踏まない以上は何が起こるのかわからないのだ。

 

 ――だからといって、王族(あるじ)を守るような動作をするとは予想外だったんだよね。

 

 腕に抱えた飛行石の結晶から、細かな燐光が吹き出し制御室(聖域)内全体に広がった。それから激しく音を立てた天井が垂れ下がる根っこごとひび割れたが、落ちてくる様子はない。ぎしぎしと揺れ、不自然な形で太い木の根が空中に留まっている。

 制御盤(黒い石)から離れたことで宙に映し出したものは消えているが、映像を見なくとも振動と音からして、制御室(聖域)の外では島の崩壊が始まっているのはわかる。聖域(ここ)は島の下方部、外から見ると島を支えるような形をしている黒い半球体の中だ。天井の様子を見るに、上の層の床はすでに抜けているだろう。それらが飛行石から発せられる浮力で宙に留まり、制御室(聖域)は崩壊の影響から守られている。

 最後まで見届けたいという僕の意志が読み取られてこういう結果になったのか、飛行石の自己判断による現象なのか。

 気が緩んで腕の中に視線を落とすと、飛行石は褒めてとでも言うようにぴかぴかと点滅した。なんとはなしに撫でてみて、美しい青の端が黒ずんでいることに気がついた。角からじわじわとゆっくり変質し、色が失われて褪せていく。

 つまり、この飛行石の結晶がただの石になった時、超常じみた浮力と制御を完全に失うのだろう。そしてその時にこそ、浮遊島は海へ落ちるのだ。――望んだ結末になることに安堵した。

 再び目を閉じてうたをうたい、昔母がそうしてくれたように腕の中の飛行石を撫でる。優しく温かな手が幼い僕を眠りへ誘ったように、心安く眠れと願いながら頬を寄せた。

 

「リュシータ!」

 

 反射的に顔を上げる。

 腕の中の美しい青い石から出て室内に散っている光は、その人物をぼんやりと照らし出した。都会風の男だ。薄めのサングラス、白い肌、上等なスーツに靴。いつも整えられていた金色の髪は乱れ、珍しく焦った顔で駆け寄ってくる。

 僕が呆然としている間に距離を詰めたロミールは、僕の抱える飛行石を見て眉を寄せ、次いでこちらへ顔を向けた。根っこに乗り上げているおかげで、身長のあるロミールとも目線の高さが同じだ。

 

「パズーくんはタイガーモス号に乗った。船はすでに島から離れている。他にすることはあるかね、陛下?」

 

 小さい石を括り付けた左手を差し出し、重ねるように促した。手のひらに乗ったロミールの手ごと、腕の中の巨大な宝石に押し付ける。

 

「ついでにあなたも命令するといいよ。「バルス(閉じよ)」だ。揺るぎない意志を乗せて滅べと唱え、命令し、ラピュタを終わらせて」

「――陛下の御心のままに」

 

 震える声で応じ、小声で練習するように「ば」と繰り返してから、すうと息を大きく吸ってロミールは叫んだ。

 

閉じよ(バルス)!」

 

 とたんに、巨大な結晶からぶわりと青白い光が吹き出した。同時に空気が揺れて風を巻き起こす。

 目を見開いたロミールに僕は頷いて、握っていた彼の手を離した。左手の中の飛行石は黄金の紋章をそのままに、黒ずんで朽ちていく。時間的に限界だったのか、あるいはロミールの呪文がとどめになったのかもしれない。形こそ保ったままだが、もうこれまでのように使えないだろう。

 室内に吹き出した光はちりちりと音を立てて散っていった。

 

「僕はあなたに嘘をついた。飛行石は、あなたでも操れたよ。呪文と意味を理解してさえいれば、王家(ウル・ラピュタ)の血筋なら誰であってもね」

 

 ぱかりと口を開けてアホ面を晒しているロミールを見ることが出来るのは、たぶん今だけだろう。

 腕から巨大な結晶を離すと、定位置に戻るように木の根の繭の中へ浮かんだ。

 

「島は間もなく落ちる。古い時代の古い城もろとも、全部海の底だ。あなたが欲したものは跡形もなくなるだろうね」

 

 一拍置いて、なおも言葉を発しないロミールにとびきり悪い顔で嘲笑ってやる。

 

「ねえ()()()()()、ラピュタは滅ぶよ。あなたは自由にしていいんだ。ドーラたちの船に乗って、海賊でもすればいいんじゃないかな。ああ、それとも軍に戻ってラピュタ()()を続ける? 海に潜れば何か見つかるかもね。もちろん、全部使い物にはならないけど」

 

 心底おかしく、声を立てて嘲笑ってやるのだ。

 

「本当によく働いてくれたよ。臣下()()()は楽しんでもらえた?」

 

 ふるりとロミールの肩が揺れ、眉尻が吊り上げられ、口元が力んだように震えた。ああ、そうだ怒っていい。僕を()()()()()()()()()怒り狂え。

 憤怒の表情を浮かべたロミールは、大きく腕を振りかぶった。痛みと衝撃にそなえ顔を(そむ)けて目を閉じ、歯を食いしばる。

 しかしいくら待てどもなにもなく、代わりに物音がした。目を開くと、ロミールは水で濡れているのも構わずに床に膝をついて僕に向かい深く俯いている。いや、これは――(ひざまず)(こうべ)を垂れたと言うべきなのだろう。

 

「見くびらないで頂きたい」

 

 怒気に満ちた気配のくせに、ぴくりとも動かない姿勢は敬意と恭順を示していて混乱する。

 肌が粟立ち、背筋から震えが走った。身構えていた分の力が抜け、木の根に乗り上げて曲げていた膝がかくりと下に落ち水音が鳴る。そのまま、腰掛けるように根っこの端へ体重を預けた。

 

「私は自らの意志で()()()()に仕えることを選んだのです。手放されたとて、この心は変わりません」

 

 俯いたまま、しかしロミールの声は朗々と響く。

 飛行石からとめどなくあふれて散る燐光に照らされたその姿は、まるで忠誠の誓いを王に捧げる高貴な臣下のようだった。

 

「我が君が()と運命を共にするというのであれば、どうか私めもご一緒させて頂きたく存じます。一言、許すとだけ賜りたく」

 

 頭の芯が熱い。嬉しいのか悲しいのかわからない。きっと嬉しくて悲しくて、それ以上に僕は怒っているのだと思う。ロミールにも、自分にも。

 唇をなめる。

 

「馬鹿じゃないのか。あんたは馬鹿だ。七百年も前に滅びた国だぞ。その王家にいったい何の意味があるっていうんだよ。領土は? 国民は? 国が滅びたのに王だけが生きているなんて滑稽にもほどがある。そういうのを、世間では滅亡っていうんだ」

 

 どうして戻ってきた。なんでこれが予測できなかった。

 どうか逃げて欲しい。生きていて欲しい。どこにも属さないただのロミールとして、人生を楽しんで欲しい。

 

「なにが国だ、なにが王だ! 僕はただの農家のガキなんだよ!」

「君のような農民がいてたまるか」

 

 いつかの再現のようにロミールは言って、顔を上げた。変わらず跪いたまま、見たことのない優しい顔で笑っている。

 

「君がただの生意気なクソガキだということはとっくに知っている。王たろうと演技していたこともね」

 

 何もかもお見通しだと言わんばかりの口調で、ロミールはわざとらしく肩をすくめいつものように皮肉げに片眉を上げた。

 

「だが、どうも私はそのクソガキこそが我が王だと信じてしまったのだ。責任は取って頂かなくては」

 

 複雑な感情がふくらみ、爆発しそうだった。脈打つ音が早くなり、耳に響いてうるさい。なぜだろう、僕は怒っているはずなのに、不思議と満たされたような気分だ。

 言葉が何も出てこなくて、それでも何かを言おうとして結局声にならないまま息だけが口から漏れた。

 島が揺れている。そこかしこで崩壊の音が響き、振動している。

 ロミールは再び頭を下げ、仰々しく言葉を重ねた。

 

臣下(わたし)に生きよと仰られるのであれば、どうか陛下も「無血」と宣言された通りに生き延びてください。誰の血も流させないと仰るのなら、御自身もその内に入れてくださいますよう平にお願い申し上げます」

 

 返答を待つとばかりに沈黙し、微動だにしないロミールの頭を眺める。

 ひどい二択だ。共に生きるか、一緒に死ぬか。僕はロミールの命を人質に取られたのだ。ロミールにとっては、どちらに転んでもいいのだろう。ラピュタが滅ぶのなら生きている意味がないとさえ言いそうな人だ。

 

「あんた、やっぱり馬鹿だよ。そんなことを言うために、わざわざ戻ってきたの? 人がせっかく悲壮な覚悟を決めたっていうのに、台無しだ」

 

 熱くなった頭を少しでも冷やそうと、僕は自分の髪をかき回した。

 僕の本質はどうしたって偉大な王ではなく小市民だから、こんな風に蜘蛛の糸を垂らされてしまえばすがりたくなる。いや、これは「すがってもいい」と(ほの)めかしているのだろう。ラピュタ王としての体裁を保ったまま子供(クソガキ)に戻っていいんだと、ロミールに言われている。

 左手に括り付けた飛行石の紐を解いて、首にかける。それから腕を伸ばして浮かんでいる巨大な結晶を掴まえ、脇にどうにか抱えた。角が当たって痛いなこれ。しかし大きさに反して、驚くほど軽い。暴走気味の浮力によるものだろうか。

 座っていた根っこから立ち上がり、僕は巨大な結晶を腕に抱えてロミールに歩み寄った。未だに動かない金髪の頭を見下ろし、指先で肩をつつく。顔を上げたロミールに、手を差し出した。

 

「僕とともに来い、ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ」

 

 せいぜい自信満々に見えるよう胸を張り、尊大に告げてやる。

 

「城が陥落して王族が落ち延びるのは、まあよくある話だ」

 

 

**

 

 

 瓦礫を避け、乗り越えながら進む。抱えた飛行石は移動する僕らを保護するように光を撒き散らしながら黒ずんでいった。おかげで崩壊に巻き込まれることもなく、ロミールが入ってきたという天井に空いた穴にすんなりとたどり着くことが出来た。代わりに、制御室(聖域)は、僕らが出た途端に崩れ落ちている。

 まさかロミールに背負われることになるとは思わなかった。右腕で飛行石を抱え、左手と両足で背中にしがみつく。壁の装飾や積み上がった瓦礫を使って、ロミールは器用に僕を背負ったまま上の階へ脱出してみせた。……まじでなんでも出来すぎだろこの人。スーパーマンかな?

 背中から下ろしてもらい、飛行石を光源にして夜闇の中をうかがう。居住区だろうか。壊れたロボットと燃え盛る炎がそこかしこに見える。首を反らして見上げると高い天井は無残に崩れ、星空が広がっていた。出てきた穴から下はみるみるうちに崩れ壊れて、重力のまま落ちていく。あっという間に黒い夜の海が顔を覗かせた。

 

「それで、ここからどうするの?」

 

 ランタンに火を灯す作業をしていたロミールに問う。「生き延びろ」と言ったからには、すでに手段を整えているはず、ロミールはそういう男だ。

 案の定、ロミールは間髪入れずに移動を始めた。まだ無事な通路や、倒れた柱などを渡って上層区へ小走りに向かう。通ってきた場所は僕らが走り抜けると、しばらく間を置いてぼろぼろと崩壊した。

 やがて広い場所に出て、遠目に月光に照らされたシルエットが見えた。小型飛行機(フラップター)だ。なんでもないように置いてあるが、あそこもいつ崩れたっておかしくはない。

 

「もう少しだ」

 

 励ますようにロミールは言って、僕の背を押した。

 両手で抱えている飛行石を持ち直し、僕は足を速めた。光が弱まるに伴って浮力を徐々に失い、重くなっている。半分ほどが黒ずみ、色褪せていた。

 このあたりは上層区の庭園らしく、建造物は少ない。そのため見通しがよく、遠くに大きくそびえる建物の白い壁が剥げ落ち、中にみっしりと生えた木々がむき出しになっているのが見えた。周囲にはロボットの残骸や倒れて朽ちている柱などが転がっている。ロボット兵の熱光線から発生した火災はこの区画には延焼していないらしく、僕が飛行石を抱えていることもあり、崩壊の音は遠い。

 そして、不意に見えたそれらに体が強ばった。

 頭と胸部が内側から破裂した一体のロボット、何かを乞うように腕を伸ばした格好で力尽きた機械人形。それに群がり、心配するように寄り添う小さな動物たちの影。

 ――ああ。

 天空に長く座した浮遊島(ラピュタ)は滅ぶ。恐ろしい兵器も、空を飛び回るロボット兵も、玉座の間も、聖域も。そして植物と動物の楽園だった美しい庭園も、ラピュタ人が祀られた墓も、それらを管理し世話をしていた園丁ロボットも、彼を慕う動物も。全て等しく海の底に沈むのだ。

 こみ上げてくる何かを飲み込み胸に落とす。わかっていたことだ。()()とはそういう意味だと僕は知っていてやったのだ。

 

「どうかしたのかね?」

「……なんでもない、なんでもないんだ」

 

 僕の様子に気づいたロミールが速さを緩めて立ち止まろうとしたので、首を振って急かした。

 再び速度を上げたロミールに続きながら、僕は心のなかで祈った。どうか彼らが優しく眠りにつけますように。

 

 

 園庭を抜けて、フラップターへ走る。抱えた結晶はずしりと重く、変色が進んでいる。もう浮遊島を維持する力は少ないのだろう、そこかしこで石材が落ち、砂埃が舞い上がった。虫食いのように床には穴が空き、水しぶきを上げる海が見えている。

 フラップターにたどり着くと、ロミールは手際よくエンジンを起動させた。いつの間に、操作方法を覚えたのだろうか。

 結束バンドをベルトに引っ掛ける時間も惜しく、フラップターに足を乗せ――かくんと逆の足が落ちた。その拍子に、抱えていた巨大な飛行石がすっぽ抜けて宙を舞う。石がフラップターの足場(デッキ)に吸い込まれたのを見ながら、僕の体は沈んだ。

 

「リュシータ!」

 

 浮遊感、焦った声、絶望した顔、フラップターの羽根が羽ばたく様子。

 ひどく、ゆっくりと時間が流れた。

 またたく間に崩壊して落ちていく城の欠片や瓦礫とちぎれた植物に、ロボットの残骸。ああそうか、飛行石が島から「出て」しまったからもう島の形を保てないのだ。頭の中の妙に冷静な部分がそんなことを考えた。

 手をのばす。ぶつかった瓦礫で指先が削れたような気がする。ごつりと後ろから肩に何かがぶつかり、熱と痛みに襲われた。

 首からさげた飛行石が衝撃で跳ね、黄金の紋章が月光を反射する。もうこの石に持ち主を浮遊させるような力はない。美しかった青は黒ずみ、神秘的に光ることもなく、朽ちていくだけだ。

 砂埃の間から夜空が見える。夜明けまであとどれくらいだろう、ずいぶん長い一日だった。どっと疲れが出て脱力する。

 タイガーモス号はゴリアテから逃げ切れるだろうか。ドーラ一家に命を懸けさせた代金は島の財宝で足りただろうか。パズーは、あの作りかけの飛行機を完成させて空を飛ぶだろうか。ロミールは僕が死んだらどうするんだろう。ゴンドアの村が無関係だと政府は納得してくれるかな。……残念だけど、手紙はやっぱり書けそうにない。

 

 

 ――落ちる。

 

 

 体が叩きつけられた。

 痛い……。が、死んでもいない。落下距離があまりに短い。

 腕を掴まれて、そのぬくもりに驚いた。フラップターの虫の羽ばたきのような飛行音がすぐ傍で聞こえる。

 

「リュシー! しっかりつかまって!」

 

 声と同時に両腕を引っ張られる。でも、動かすのは無理だろう。声の主は、僕と同じ程度の体格しか無いのだ。

 

「パズー……」

 

 息を吐くと、打ち付けた肩がずきりと痛んだ。

 かすむ視界で、どうやらフラップターの鼻面にへばりついている状況だとわかる。正面に泣きそうな顔のパズーがいて、腕を掴まれている。その脇に見えるのは海賊だろうか。確認しようと視線を上げようとした矢先、ぐんとフラップターが速度を上げた。とっさに体に力を入れて、しがみつく。

 

「とにかく島から離れるぞ!」

 

 この声はドーラの次男ルイだろうか。

 

 しばらく飛んで島から距離を取ったあと、僕はロミールの操縦するフラップターへ移った。今度こそ結束バンドをベルトにつなぎ、デッキの手すりを掴んで立つ。崩れた瓦礫にぶつかったらしい左肩はズキズキと痛いし、擦れた指先からはじんわり血が滲んでいる。でも、命に関わるようなものではない。

 僕はぼんやりと、横倒しになって落下していく巨木に魅入っていた。大きく広げた枝葉は頼りなく揺れ、自重に耐えきれないように大きくしなる。途中で折れ曲がり不格好な形で倒れていった。先程まで、あの根の先が作る繭の中にいたのだ。実感が湧かない。

 転がり落ちないように足の間で粗雑に扱われている巨大な飛行石()()()()()を見下ろして、首から下げた()()をいじる。

 軍の飛行艇に対抗していたロボット兵が、唐突に力を無くして落下していく。その小さな人型の影は頭部のランプをちかちかと点滅させ、長い腕を折り曲げて胸に手を当てているように見えた。そして次の瞬間、青白い炎を吹き出して爆発する。

 鼻の奥がつんとする。彼らは僕が黒い石(制御盤)から出した指示に忠実に従って自壊したのだ。

 ロボット兵の残骸が海に落ちて水しぶきを上げたのを最後に、浮遊島の崩壊は終わった。

 夜の暗い海の上にたくさんの植物や残骸が浮かび、とりわけ巨大な木が横倒しになり波にたゆたっている。あれほど存在感を放っていた天空に浮かぶ島は、海に落ちたのだ。

 足元に転がる巨大な()()石を、どうにか押す。()()()()()()。ずりずりと押して、そうしてそのまま海へ落とした。水しぶきを上げたのを見届けて、首からさげた飛行石をはずす。その黄金の紋章を撫でて眺めてから、手を突き出し指の力を緩めた。するりと離れた古い石は、唐突に光を帯びたり浮かんだりすることもなく、ぽちゃんと音を立てて沈んでいった。

 

「――これで、ラピュタは幻になった」

 

 自分で思っていたよりも、湿った声になってしまった。顔をこすり深呼吸して、うずまく感情を鎮める。

 ふいに視界を遮ったものに驚いて、意図せずに湿気った感傷は吹っ飛んでしまったけれど。

 僕らが乗っている他に、残り二機のフラップターも飛び回っていて鮮やかな色の煙幕を撒き散らしている。みるみるうちに軍の飛行艇が見えなくなった。

 ロミールが無言でフラップターを操作し、急加速した。あっという間に、浮遊島があった空域から離れていく。並行して飛ぶパズーの乗るフラップターから、ドーラの次男ルイが叫んだ。

 

「よう、王様! 海賊に拐われてみないか?」

「ちょうど、料理番(コック)を募集してるんだ! 今度こそプディングを作ってくれよ!」

「俺はねぇ、リュシーの作るのなら何でも食う!」

「機関士見習いもいると便利だ!」

「ついでに、暗号解読ができるやつがいるといいな!」

 

 続いて、他の二機がぐるぐると周囲にまとわりつき、それに乗る海賊たちから楽しげな声が飛んでくる。

 なんだかおかしくなって、僕は笑ってしまった。海賊たちやパズー、そしてロミールの笑う声も重なる。

 東の空が白みはじめた。もうすぐ日が昇ってくるだろう。鳥のようなシルエットの海賊船が、ゆったりと羽根を回してぽつんと飛んでいる。そのデッキから人影が手を振っているのが見えた。あの特徴的な三編みは船長のドーラだろう。

 

「君が結んだドーラとの()()を、勝手ながら延長させてもらった。もうしばらく、食事の準備を頑張ってくれたまえ」

 

 ロミールがにやりと笑う。

 僕は頷いて、笑みを返した。




 ここでエンディング曲。

 前回のラピュタ語について、あとがきに追記しました。

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