天空の城の世界に憑依転生した 作:あおにさい
緑の軍服をまとい小銃を抱えた兵士が四人、黒スーツに黒眼鏡の紳士風の男が二人――、目の良いパズーが言うには、こちらに向かってくる集団はそれで全部だという。海賊船を襲った飛行艇自体がそれほど大きいものではなく、人数も限られているのだろう。
隊列を組んで走ってくる姿がようやく僕の目にもわかるようになった頃、僕とパズーは大きく手を振って声を上げた。
「おーい、おーい!」
両腕をブンブンと振り、存在を主張する。しばらくそうしてから、僕たちは軍隊に向かって走り出した。心臓はうるさく脈打ち、緊張で手汗がにじみ出ているが、表情は努めて笑顔に保ち続けた。
互いの距離が縮まってくると、兵士らは小銃を構えてその先端に付けられた剣先をこちらに向ける。僕は肩を跳ねさせて足を止め、「怪しいものじゃありません!」と大きな声で言った。強張った顔が
「あの、僕たち海賊から逃げていて!」
「この子が狙われているんです! 助けてください!」
パズーが僕を示して請うと、向けられていた剣先がわずかに下がった。
「シータくん。よもや、このようなところで出会うとは思いもしていなかった」
兵士らの後ろから声をかけてきた、見覚えのある口ひげをはやした黒眼鏡の紳士に視線を移し、僕は「ああ」と息をつく。
「良かった、助けに来てくれたんですね」
「もちろん、君は我々にとって
兵士の後ろから動かない紳士は淡々としている。陽光に反射する黒い眼鏡は表情を読ませてくれない。
「それで、そちらの少年は? お友達かな?」
「拐われた先で色々助けてくれたんです」
黒眼鏡はこくりと頷いて、「そっちの少年は捕縛しろ」と告げた。
僕は慌ててパズーの前に出る。
「待ってください!
言っている間に、兵士たちは後ろに回り込んでパズーを拘束してしまった。「離せ! 僕は海賊じゃない!」と叫ぶパズーを振り返り、ゆっくり瞬きをする。
「君は自分の立場をわかっていないようだが」
黒眼鏡は言いながら近寄ってきて、僕の腕を掴んだ。すごく痛いわけでもないが、振り払えそうにもない。
「貴重な
「パーシーに乱暴なことをするなら、もう協力はしませんよ」
言い返すと、黒眼鏡の口元が笑みを描いた。
「疑いが晴れるまでの辛抱だ。そう悪いようにはしないとも」
パズーは後手に縛られてその傍には兵士が一人ついている。他の三人は黒眼鏡の二人と一緒に僕を取り囲むようにして立った。
「少々尋ねたいことがあってね。ムスカ大佐はどこにいる?」
「え……?」
僕は目を見開いて、
「どういうことですか?」
「君と一緒に飛行客船から落ちたのではないのか?」
黒眼鏡は口ひげをさすって問いかけてきたのを、僕は首を横に振り否定する。
「僕は確かに落ちましたが、近くを飛んでいた海賊の小型機に拾われました。その時、ムスカさんは部屋にいたと思います」
そこまで言ってから、僕は「まさか」と小さく呟き黒眼鏡に詰め寄った。
「ムスカさんが、飛行船から落ちたんですか!?」
黒眼鏡の紳士は、勢いに押されたのか一歩後ずさる。
僕は「そんな」と悲痛な声で
「……飛行石は君が持っているのかね?」
ムスカさんのことをひとまず置いておくことにしたのか、上から質問が降ってくる。声音には冷たいほどに感情が乗っていない。
「っはい、ここに――」
僕は言いながらズボンのポケットに手をつっこみ「あれ?」と首を傾げてみせた。反対側のポケットや鞄を開けたりして探すが、石は
「転んだ時に落としたんじゃない?」
「あ……!」
僕はようやく
「その少年の所持品を調べろ」
……ムカつく野郎だな! 最初に僕の家に来たムスカさんはもうちょっと可愛げが……いや、可愛くはないな。ひたすら怖かっただけだわ。
おっと失礼。僕は海賊に拐われた可哀相な田舎小僧である。そしてその指示は残念ながら想定内である。そもそも僕は例えパズーでも石を預けたりはしない。
パズーは「痛い、やめろ」だの「僕は何も盗んでない!」など言って
パズーが飛行石を持っていないことがわかると、今度は僕が調べられたが、石は見つからなかった。――ちょっと冷や冷やしたが。
「転んだのは、海に気を取られた時だったのであっちの方です」
指差したのは、草の深いあたりだ。ついさっきまで僕とパズーが踏み荒らしていたので、さほど不自然ではないはずだ。
黒眼鏡の紳士は胡乱げに口を歪めたが、掴んだままの僕の腕をぐいと引っ張って、僕が示した方へ歩き出した。引きずられて、僕も足を踏み出す。ちらりと振り返ると、後ろからもうひとりの
「あの、ムスカさんは無事なんですか?」
「それこそ我らの知りたいところだ。本当に大佐が落ちるところは見ていないのか?」
素知らぬ顔で首を振り、「すぐに飛行船から離れたので」と答える。
ぴたりと足を止めた黒眼鏡は、僕の腕を離さないまま兵士たちへあごをしゃくった。
「周辺を探せ。金の紋章のある青い石だ。見つけたら触れずに報告したまえ」
パズーを後手に拘束している一人を除き、三人の兵士が草の根をかき分けてかがみ込む。僕の腕を掴んでいる口ひげの黒眼鏡は、もうひとりの諜報員に「お前もだ」と言い放った。命じられた方は不満げにため息をついたが、兵士らに指示をして効率よく探す場所を配分し、自らも地面に膝をつく。
この口ひげをはやした元ムスカさんの側近が、この場では一番地位が高いのだろう。
「さて、シータくん。靴を脱いでもらえるかな」
「えっ?」
素で驚いて声を上げる僕に、口ひげは「なにかやましいことでも?」と笑う。
僕は渋々靴を脱いで、草を薙ぎ倒した上に足を置いた。
黒眼鏡は靴を片方ずつひっくり返したり、内側に手を突っ込んで探ったあと、再び地面の上に揃えて戻した。もういい、という意味だと思ったので僕はそれを履いて、息をつく。
「疑ってすまなかったね」
まったくすまないという感情の乗っていない顔と声で黒眼鏡は言った。
腕は変わらずに掴まれたまま、離してくれそうにない。ロープで縛らないのは、僕の言っていることが本当だった場合の僕の心情を気にしているのだろう。
だが、
十数分ほどそうしていただろうか、口ひげの黒眼鏡はじっと待つだけで何かの感情を見出すことは出来ないが、探している方の四人は苛立ってきている。「やっぱりクソガキが盗んだんだろう」と言い出してパズーの身体検査がもう一度行われたが、
――そろそろ限界が近い。
願うように耳をすませる。ここで来てくれないなら、僕は作戦を別の方向へ向けるしか無い。海の上に浮かぶ巨大な積乱雲を見て、僕は一度ぎゅっと目を閉じた。
ぶーんという虫の羽ばたく独特の音が聞こえたのは、いよいよ呪文を口にしようとしていた時だった。
「海賊だ!」
小銃を構える兵士らの視線の先、西の空からフラップターが二機こちらに向かって飛んでくる。
乗っているのはそれぞれ二人、計四人の海賊たちだ。頭まで覆う独特の飛行服とゴーグルで顔を隠した姿は、飛行客船を襲った時と同じ出で立ちである。
またたく間に距離を詰めてくるフラップターに向けて、小銃から弾丸が放たれたが、当たった様子はない。
僕は掴まれた腕をさらに強く握られて、引っ張られた。黒眼鏡に左右を挟まれているので、簡単には逃げ出せない。黒眼鏡も、まだ僕が「海賊と手を組んでいるのか否か」が不明のままでは、人質足り得ないと思ったのか、それ以上は何もしてこなかった。
二機のフラップターからそれぞれ一人ずつ飛び降りて、そのまま兵士に掴みかかって殴っている。ぶんぶんと頭上を飛ぶフラップターからは、ロケットランチャーのようなものが地上へ向けられて放たれると、煙があたりに充満し始めた。
「催涙弾だ! 吸い込むな!」
僕の腕を掴んでいる口ひげがくぐもった声で言うが、兵士らはもう聞こえているのかいないのか、咳き込みながら海賊と戦っている。僕は素早く掴まれていない方の手で頭上に乗っていた飛行用ゴーグルを引き下ろした。
その時、「このガキ!」という焦った男の声が聞こえて振り向くと、パズーが後手に縛られたまま、兵士のみぞおちに頭突きをしているところだった。……めっちゃ痛そう。
頭を上げたパズーと目が合った瞬間、パズーは叫びながら黒眼鏡に突っ込んでくる。いや待って危ない、と僕が言う間もなく、頭突きが見事に決まった。
口ひげの手が腰に伸びたのが見えて、僕は体をひねりその腕を掴んだ。手の先には、拳銃が収まったホルスターがある。
ほっと息をついたのもつかの間、顔にひどい衝撃が走り、熱と激痛で一瞬何がなんだかわからなくなった。
「クソガキどもめ!」
ぐわんぐわん揺れる頭で、ようやく殴られたのだと理解する。しかし掴まれた腕は依然として離されていない。それどころか、ねじるようにして関節を極められ、後ろで固められてしまった。
痛みで呻きながらもパズーを視線で探すと、彼も殴られたのか縛られたまま膝をついている。パズーの頭突きアタックを食らった黒眼鏡は大した負傷でもなかったようで、膝をついたパズーの頭髪を掴んで顔を上げさせた。
「そっちのガキも一緒だ、行くぞ」
海賊らにいいようにされている兵士たちには目もくれず、黒眼鏡は冷酷に言って僕を引きずる。
銃撃音が草原に響いた。
うぐ、と呻いたのは僕の腕を掴んでいた口ひげの黒眼鏡だ。痛みに耐えかねたのだろうか、力が緩んだので僕は強引にそれを振り払った。
そうしているうちに二発目。パズーを立たせようとしていたもうひとりの諜報員が、腕を押さえてうずくまる。
僕はパズーに駆け寄って、安否を確かめた。意識はあるようだから、ひとまずは安心していいだろう。
「どこへ行こうというのかね?」
聞こえた声は、海側からだった。催涙ガスはすでに潮風で散ってしまっている。長い草の間から姿を見せたムスカさんは、支え合ってどうにか立っている僕とパズーを見て眉をしかめた。
「遅れてすまなかった。こちらへ来たまえ」
「ムスカ大佐!」
怒りに満ちた声に、何の感情も見えなかった口ひげでも怒るのかと変な感慨を抱いた。
僕はパズーと一緒にムスカさんの後ろまで駆け、着陸した三機目のフラップターから降りたドーラの次男ルイの手で、さらに後方へ押しやられる。
その間に、ムスカさんと
「ムスカ大佐、国を裏切るおつもりか!」
「もともと国に忠義を誓ってなどいない。その名は捨てた」
「っこの行いがどういう意味か、わかっているのでしょうね」
「私は君たちよりよほど優秀だと自負するがね。君たちがわかっていることを、私が理解していないとでも?」
嫌な予感がして、僕は催涙ガスを吸い込んで痛む喉や殴られた頬を無視し、思い切り叫んだ。
「殺すな!」
げほ、と咳き込む。ゴーグルを押し上げて広くなった視界に、ムスカさんの後ろ姿があった。
頭の中で映像が高速で流れていっていた。ムスカさんに付き従っていた二人の黒眼鏡、ラピュタの中枢半ばに置き去りにされた者たち。海の藻屑になった多数の兵隊を見て、高笑いをする
――彼に、人殺しをさせてはいけない。
「誇りを汚すなロムスカ!」
喉が痛くて、長く話せない。咳き込む僕の背中を、ルイが「おいおい」と言いながらもさすってくれている。水が欲しいが、そんなものはないので唾を飲み込んで代わりとした。
動きの止まっているムスカさん――、ロミールの背中に命令する。
「拘束するだけでいい」
声は掠れたが、ちゃんと聞こえていたのだろう。ロミールがなにかするより先に、海賊たちが手際よく兵士と黒眼鏡を縛り上げていく。
ロミールがこちらを振り返って、渋い顔をした。
じっと視線を薄い色素の目に据える。喉も痛いし頬もズキズキするし、腕も変な感じだが、今はそんなことを気にしている場合じゃなかった。
「生かしておいても、害になるだけではないかね」
ロミールの言っていることは間違っていない。彼らを生かしておけば、いずれ手痛いしっぺ返しがくるだろう。
僕が今から言うことはただの論点のすり替えだけれど、論理的にロミールを説得するのは諦めている。
「諜報員だった
痛む喉からは掠れた声しか出なかった。再び咳き込んでしまって、続きが言えない。
ひゅう、と口笛を吹いたのはドーラの次男ルイだった。
「王様かっこいいぜ! 自分のために人殺しはさせないってか!」
茶化すようにそう笑った彼は、ぐしゃりと僕の頭を乱暴に撫でる。そして声のトーンが静かに落とされた。
「見直した。お前、いい男になるよ」
ルイの様子に毒気を抜かれたのか、ロミールはため息をついて肩の力を抜いた。
もう一度唾を飲み込んで痛みを誤魔化した僕は、ロミールに告げる。
「僕は、そんなことをさせる為に、あなたに人生を捨てさせたのではないんだよ」
ルイの茶々のせいで格好がつかないけれども、ロミールは仕方なさそうに笑ってくれた。悪そうな笑みでも皮肉げなものでもなく実に柔らかい表情で、僕とルイ、そして事の成り行きを見守っていたパズーと海賊たちはそろって目をむいたのだった。
**
夕焼けに照らされる海賊船タイガーモス号。船は砲撃を受けたものの、大した損傷ではなく、航行に問題はないという。
その船室で、僕とパズーは怪我の手当を受けていた。幸いなことに骨も折れていないし、内臓にも異常はなさそうだ。
「馬鹿どもが。飛行船から落ちりゃ普通死ぬんだよ、このグズ」
腕を組んでこちらを見下ろす海賊の女首領は、ぎゅうと顔をしかめた。
「おまけになんだいその怪我は! ええ? おとなしく待ってられないのかい!」
彼女とてわかってはいるのだろうが、言いたいことを我慢するような人ではない。僕とパズーは怪我の手当をされながら、黙って優しい海賊の説教を聞き続けた。
治療が終わる頃、一通り吐き出して満足したのか、ドーラはふんと鼻を鳴らしてくるりと踵を返した。船室のドアノブに手をかけながら、「まあよく戻った」と言ってドアを開けて出ていってしまう。
なんとも
「しっかし、ロミールの予測がピタリで驚いたなぁ! 落ちたところから東に向かっているだの、軍隊相手に時間稼ぎをしているだろう、だのさ!」
ドーラの末息子アンリが、ケラケラと笑う。壁に背を預けて立っていたロミールが嫌そうに「仕事はいいのかね」と問うが、アンリは明るく「俺は事情聴取係だからさぁ!」と答えた。僕らの傷の手当をしてくれたのは彼である。
でもたぶん、事情聴取云々は今思いついた役割で体の良いサボりの言い訳だろうな。他の船員らは手当の間、入れ替わり立ち替わり顔を出してはドーラの怒鳴り声で追い出されていた。
ロミールがここにいるのは、僕らの監視を兼ねた看護役なのだろう。二人でデッキを歩いていて落ちたのだから、さもありなん。
「でさぁ、二人に聞きたいんだけど。なんか軍隊が散らばってたけど、何があったわけ?」
アンリが首を傾げる。僕はさっきの今でまだ喉が痛いので、パズーが飛行石を落としたことにしたのだと答えた。
それを聞いていて思い出し、僕は腰の鞄から包みを取り出した。広げると、非常食用に持ち歩いていた焼き締めたクッキーが五枚ほど入っている。間に挟まった三枚を抜き出して、内側をくり抜いた中に押し込めた飛行石を取り出した。実のところ、喉が痛いのはこの中身を食べて乾いてしまっていたのも原因なのではと思っている。
「へぇ、考えたね」
クッキーのカスを払って飛行石を首に下げていると、アンリが感心したように頷きながら自然な動作でクッキーをつまみ、自分の口に放り込んだ。遠慮もなにもあったもんじゃないな本当に。
僕はため息をついて、クッキーをロミールにも勧めた。日持ちするようにものすごく固いが、頑張ればどうにかなる。味は悪くないのだ、味は。パズーにも勧めたが、僕と一緒にくり抜いた中身を食べているので、引きつった顔で断られた。
アンリが渋い顔でクッキーを飲み込むと、ごそごそと懐から水筒を取り出してあおった。
「なにこれぇ、口の中の水分が消えたんだけどリュシー! 美味しいけどもういらない!」
叫ぶアンリの手から水筒を奪い、ロミールが勢いよく中身を飲む。うーん、やっぱり何も飲まないでいるとそうなるよね。結局くり抜いたものは食べ切れなくて、目立たないように地面に埋めたのである。
ついでに僕も喉が乾いていたので、ロミールに手を差し出して水筒を要求した。だいぶ中身が減っているようだ。念の為に匂いを嗅いだけれど、酒ではなさそう。パズーも飲みたいだろうから、飲みすぎないように気をつけて水筒を傾けた。
「一休みしたら操舵室へ行く。
ロミールの言葉に僕は顔を引き締めた。パズーと見たあの積乱雲がそうなのだと、ロミールも半ば確信しているのが伝わってくる。
パズーも水筒の中身を飲み干すと、勢いよく頷いた。
「いよいよだね!」
アンリは「財宝かー」と嬉しそうに言っている。
服の下に入れた飛行石を握り、僕は深く息を吸って吐いた。故郷を離れてそれほど経っていないのに、ずいぶん遠くまで来たものだ。
こちらをじっと見ているロミールに、自然と笑みが浮かび、頬が引きつって押さえた。どうも今日は格好がつかない。