天空の城の世界に憑依転生した   作:あおにさい

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 雲の上に出た海賊船タイガーモス号は、低気圧の塊である巨大積乱雲(竜の巣)に引き込まれない距離を取り飛行している。いわく、これ以上近づくとなすすべなく危険空域に入り、戻ることが困難となる。

 ぴりぴりとした緊張感が船を包んでいた。すっかり日は沈みきり、月光と星だけが頼りの夜闇に座る巨大な雲が、操舵室の横窓いっぱいを支配している。

 操縦士と副操縦士の他、ドーラ、パズー、ロミール、そして僕とで操舵室はとても狭苦しい。

 僕が服の下から取り出した飛行石は、その美しい光を真っ直ぐに雲の中に向けていた。丸い横窓の向こうに伸びる光を視線で追って、僕は手のひらの上の飛行石を軽く握った。

 

「<失せしもの汝、姿を現せ(シス・テアル・ロト・リーフェリン)>」

 

 飛行石に灯る青白い光が点滅し、燐光が散る。

 洞窟で「聖なる呪文」を唱えた時ほど、劇的な変化は何もなかった。飛行石が少々反応したものの、溢れかえるような光はなく、あからさまに空気が揺れたりもしない。身構えていた僕たちは少々拍子抜けし、誰かがふうと息をつく。

 

「ママ、雲が……」

 

 最初に口を開いたのは、操縦桿を握るドーラの長男シャルルだった。積乱雲(竜の巣)が陣取る横窓を見ていた僕やロミールと違い、いつでも離脱出来るように気を張っていた彼こそが最初に変化に気がついたのだろう。

 少しずつ、時間をかけながら雲が散っていく。じりじりと焦れったい時間だった。操舵室の外から、デッキで様子を見ていたのであろう他の船員らの騒ぎが聞こえてくる。窓越しで見るよりも、肌で感じ取っているだろう彼らが少し羨ましい。

 

「ああ!」

 

 ロミールが声を上げ、窓にへばりついた。パズーがほぼ同時に同じ窓の半分に顔を突っ込み、二人の後ろ姿だけで何も見えなくなってしまう。一瞬ちらりと見えたのは、城の端っこだったかもしれない。

 しまった出遅れた、と僕は思ったが、二人がドーラに首根っこ掴まれて乱暴に引き剥がされるのを見て、出遅れた自分を褒めた。

 

「窓からおどき、はしゃぐのはあとだ!」

 

 障害物が退かされた窓の向こうに、月明かりに浮かぶ浮遊島が雲の合間から見え隠れしている。

 

「おお、ラピュタだ!」

 

 こちら側の窓へよそ見をしている副操縦士が声を弾ませ、それにシャルルが「すげぇ!」と応じて再びドーラが一喝するのを聞きながら、僕はそれに魅入っていた。

 植物と思わしきシルエットを頭に乗せ、白い壁にひび割れのように蔦が這っている上部、円を描いてカーブしていく城壁らしき下部。

 夜空に浮かぶ幻想的な浮遊島が、雲が晴れて姿を現していく。

 あれがラピュタ。天空の城。遠い遠い先祖が空に浮かべた島。

 手のひらに乗せたままだった飛行石の紋章を撫でる。

 

「……美しい」

 

 ぽつりと言ったのはロミールだった。見上げると、食い入るように窓の外を凝視している。

 

「うん、綺麗だ」

 

 パズーが続いてきらきらと目を輝かせた。

 外のデッキでは船員らがはしゃぐ声がしていたが、操舵室は伝説の浮遊島を前に、感嘆するように沈黙した。

 

「っ船長、軍の暗号通信です!」

 

 ヘッドセットを付けている副操縦士の船員が声を上げる。ドーラが奪うようにしてヘッドフォンを耳にあてた。どこから出したのか、手帳をめくって通信に聞き入るのを、僕らはただ固唾を呑んで見ているしか無い。

 軍の通信ならロミールの方が詳しいだろうに、彼はじっとドーラが口を開くのを待っている。

 ドーラの目が見開かれて口がへの字に曲がっていくので、僕たちにはあまり良い知らせではないのだろうことはわかった。

 ドーラはヘッドフォンをロミールに渡し、ロミールがそれを耳に当てる。それを横目に、ドーラが苦い顔で言った。

 

「奴ら、飛行船艦で追ってくる気だ」

「……ああ、飛行船艦ゴリアテを夜明けと共に発たせるつもりだな」

 

 ロミールが応えて、ヘッドフォンを船員へ返した。パズーが青い顔で「船艦」と呟く。

 僕はそのあたりの知識が乏しいが、船艦ともなると昼間襲撃してきた飛行艇とは比べ物にもならない戦力を有しているのではないだろうか。前世の映像を思い返すと、確かにゴリアテというとんでもなく巨大な船が在る。アレが相手では、飛行艇を翻弄したタイガーモス号とてひとたまりもない。

 

「ラピュタ探索のため、もとより申請はしていた。ティディス要塞への()()で遅延していたが、準備が整ったのだろう」

 

 ロミールはそこまで言って、窓の外へ視線をやった。雲が散って全容を現しつつある浮遊島を眺め、眩しそうに目を細める。

 

「いかが致しましょう、リュシータ陛下?」

 

 からかうような文言だったが、その口調は真面目くさっていた。

 僕は肩をすくめて、ドーラを見上げた。

 

「どこか上陸できそうな場所を探そう、船長」

「ゴリアテはどうするんだい」

 

 ドーラが低い声で問うのを受け、僕は窓の外を凝視して浮遊島に見とれているロミールに声をかけた。

 

「ロミール、()()はありそう?」

「場所が古文書の通りであるならば間違いなく」

 

 淀みない返事だ。どこか熱っぽいのは、もう仕方がない。僕も許されるなら、喜びに身を任せてはしゃぎたいのだ。気持ちはわかり過ぎるくらいにわかる。

 僕は頷いて、ドーラに向き直った。

 

「夜明けまでに雲で再び浮遊島を隠せれば、ひとまず僕たちの勝ちだよ船長。上陸したあとは、僕とロミールでどうにかする。間に合わないようなら、あなた方は持てるだけ財宝を持って逃げていい」

 

 さすがに船艦と戦えとは言えない。

 ラピュタの中枢、ロミールいわく「聖域」には浮遊島のあらゆる機能を操作する制御装置があるはずだ。積乱雲を浮遊島が操っていたのなら、もう一度発生させることも不可能ではない。

 ドーラは呆れたような怒りだすような微妙な顔だったが、舌打ちをひとつして「上陸準備」と声を張り上げた。彼女が伝声管を使って指示を出すと、外で海賊たちが忙しく働く音が聞こえてくる。

 

「接岸するのは下方部のほうが好ましい」

 

 ようやく窓から目を離したロミールは、懐から手帳を取り出してページをめくる。

 

「見たところ、ずいぶん崩落が進んでいる。上から下りるより、上部が崩れている箇所から入り口を探すほうが早いだろうね」

 

 ドーラがにやりと笑い、船が向きを変えたことで正面に見えるようになった浮遊島を見やった。

 

「聞いていたね、シャルル。上が崩れているあたりを目指しな。丈夫そうなところで船を固定する」

 

 

**

 

 

 係留した海賊船から渡した橋の先、古い城へ一歩足を踏み入れる。気分が高揚しているが、これが緊張からくるものなのか、歓喜からくるものなのか、もうわからなくなっていた。頭に熱がのぼり、知らずに深い息が漏れ出る。

 ロミールが言うように、上部が派手に崩壊している一角があったので船はその下層部に上手く停泊することが出来た。係留の際には崩れ落ちるのではないかとはらはらしたものだが、海賊たちはよく働いて手際よく浮遊島へ上陸する手はずを整えてくれた。

 

 ロミールはかがみ込んで地面――古い石材らしきものを撫で、パズーは上にそびえる建造物を見上げて感嘆の声を上げている。

 海賊たちはわあわあと叫び興奮して抱き合いながら、早くも金目の物を探そうと石柱や中へ続く通路へ目をやっていた。

 僕もまた、崩壊を免れた石柱に触れて口元が緩んでしまう。治療を受けてガーゼを貼られた頬はまだ少し違和感があるが、我慢できないほどではない。

 探索してみたい、古代人の暮らしや思いを探ってみたい、おとぎ話のような空飛ぶ島でどんな風に日々を過ごし、どのように考え、何を信仰して生きたのだろうか。どんな時代だったのだろう、政治はどんな形態で、国民はどのくらいいたのだろう。どのような仕事や職種があったのか、何を食べていたのだろう、どういった料理があったのだろう。家畜はいたのだろうか、動物たちと寄り添ったのだろうか。家の広さは? 貧富の差は? 貨幣の種類は?

 考えれば考えるだけ、好奇心も疑問も湧き出てくる。

 

 とは言え、月光と星明りが頼りの夜闇だ。ランタンの数には限りがあり、飛行石も光るのをやめている。廃墟といって差し支えないほどに古びた建造物は静謐で不気味だ。柱と柱の間のぽっかりとした暗闇など、興奮が覚めてしまえば恐怖心が湧き上がるだろう。

 胸元の飛行石をいじりながら、僕は闇の先に目をやっているうち、急速に頭の中が冷えていくのを感じていた。

 

 ああ――時間が足りない。

 

「ロミール」

 

 パズーと並んでぼんやりと城のような建造物を見上げていたロミールに声をかけるが、返事はない。

 しばし待ってみたが、反応がないので仕方なく僕は歩み寄り、その腕を叩いた。

 

「ロミール、仕事だ」

「……ああ」

 

 緩慢にこちらに向いた惚けた顔に視線を合わせると、ロミールの表情はまたたく間に引き締まった。

 

「すまない。聖域のことだね?」

「この夜闇での探索は安全とはいえないけど、僕たちには時間がない。入り口の見当はつくの?」

 

 ロミールは頷いて、手帳を取り出した。話が聞こえていたのか、パズーが気を利かせてランタンを手元に持ち上げて照らしてくれる。

 それに短く礼を言ったロミールは、目当てのページを開いた。背伸びをして覗き込んでみたが、ラピュタ語と現代語の走り書きが入り乱れていてとても読みづらい。かろうじてわかるのは、絵図のようなものだ。

 

「このあたりのような石材ではないもので造られた領域がある。材質は石に近いが、金属めいている」

 

 いつの間にか騒いでいた海賊たちも静まり返り、こちらの話に耳を傾けているようだった。

 ロミールは絵図を指でなぞり、続けた。

 

「入り口には、飛行石の紋章と同じものが刻まれている。それさえ見つけることが出来れば……」

 

 ロミールはパズーに断ってランタンを受け取ると、周囲を探るようにあちらこちらへ向けながら慎重に足を進め始めた。

 明かりに置いていかれないように僕はあとを追いかける。パズーと、その後ろに海賊らがゾロゾロと列をなした。ちょっと予想外のことだったけれど、ロミールも特に何も言わないし、入り口までなら僕も構わないと思っている。

 大所帯で夜闇の古城をウロウロと歩き回った。やがて狭い通路らしき場所から回廊なのか、外縁に沿って弧を描く広い場所に出る。左手側は崩れていて床も壁もなく、下の海まで見えている。右手にはロミールの言うところの金属めいた――、僕の感覚としてはプラスチックのようなつるりとした黒っぽい壁が緩やかなカーブで続いていた。手でなぞると、よく磨かれた石材の感触のような気もする。

 僕やパズーがペタペタと壁を触るのを、ロミールが呆れたようなため息をついていたけれど、彼だってちょっと嬉しそうに撫でていたのを僕は見た。

 そのまま壁沿いに、落ちないように足元に気をつけながら進んでいくと、ピタリとロミールの足が止まる。

 

「あったぞ、これだ」

 

 落ち着いた声の中に、確かな興奮の色があった。

 ちょうどロミールの胸くらいの高さに、何かが彫り込まれている――というよりも埋め込まれている。僕には見上げなければならない高さだったが、ロミールがそっと正面をあけてくれたのでよく見ることが出来た。

 人型のようなものが植物のように腕を伸ばし、その両端が三つずつに割れた金の紋章。それが刻まれた美しい石が壁に埋め込まれている。飛行石だろうか。ロミールが傍らでランタンを持って照らしてくれるが、夜闇のせいかよくわからない。反対側の隣でパズーが紋章を見て、「リュシーの石のとよく似ている」と言う。

 手を伸ばしてその表面に触れてみる。ただの石と思えばそのように感じるだけの感触だ。

 

「リュシータ、飛行石を」

 

 ロミールに促され、僕は首から飛行石を外した。ネックレスの紐を左手にぐるぐると巻きつけて縛り、そのまま左手に飛行石を乗せる。

 そして、鏡写しのようにそっくりな紋章を向き合わせるようにして、飛行石を埋め込まれた石にかざした。

 呼応するように双方の石が淡く光る。間もなく、壁だったはずのものがぽかりと口を開けた。ドアのように開くでもなく、鉄格子のように上がっていくわけでなく、ただ壁だけが消え去り、同時に埋め込まれていたはずの石も消えてしまう。穴の形は直線的で、六角形。これまで歩いてきた通路ではアーチ状の出入り口だったが、ここだけが妙に機械的だ。

 ぞくりと背筋がおののいた。

 

「聖域への道は開かれた」

 

 ロミールは言いながら、ランタンを穴の中を照らすように掲げた。月とランタンの光に照らされた暗闇の奥は、奇妙な模様で満たされた壁と天井と床とで覆い尽くされている。先は通路のようで、これまでと同様、二、三人が並んで歩けるくらいの幅しか無い。

 ごくりと音を出したのは、後ろの方で見ていた海賊の誰かだろうか。

 僕は左手の飛行石を握り、彼らの方へ向き直った。

 

「ここから先は、僕とロミールで行きます」

 

 口調を改めた僕に変化を感じたのか、ランタンや自前の光源でついてきた海賊たちは黙ったままこちらを注視してくれている。ならず者のはずなのに、彼らのこういうところは本当に優しくて気のいい性分がにじみ出ている。

 

「財宝をお渡しすると言いながら、このような形になってしまってごめんなさい。あなた方が探索して得た財宝は、好きにお持ち帰りください」

 

 言いながら考えて、僕は付け加えた。

 

「文字が書かれたものなどは、そのままにしておいたほうが安全だと思います。……何がどう作用してこの島が動くのかわからないので」

 

 部外者がラピュタの紋章に触れたら迎撃する、などという物騒なものがあってもおかしくはないと思うのだ。少なくとも、僕がラピュタの超技術を用いて要塞を作るならそうする。

 実に素直にどこか怯えたような様子で頷く海賊たちの一番前、女首領ドーラは不機嫌そうに黙り込んで反応が薄い。

 僕は彼女を意図的に無視しながら話を続けた。

 

「夜明けまでに僕たちが戻らなかったら、すぐにこの空域から逃げてください」

 

 あとは僕がわざわざ告げなくともわかるだろう。

 僕は深く頭を下げた。

 

「ご助力に、心からの感謝を。ここまで連れてきて下さって、ありがとうございました」

 

 がしりと、肩を掴まれる。そのまま強引に頭を上げさせられ、僕は同じ目線にいる少年と視線を交わした。

 

「パズー、君もドーラたちと一緒に――」

「僕も行く」

 

 有無を言わさない目であり、声だった。とっさに言い返すことが出来ず、飛行石を持つ左手を強く握る。

 

「僕はこの目で見たいから、君についていく。ラピュタのことを知るために行く」

 

 彼は馬鹿ではない。この先に進むことがどれだけ危険なのかを、夜明けと共に退路が無くなることを、理解していないはずがない。

 でも、その口から「死」も「危険」も「友情」も出てこなかったから、僕は何も言えなかった。パズーの意志であり好奇心であり、探究心だと言われてしまえば、僕はそれに反論できない。

 

「決まりだな。パズーくんは私たちと行動を共にする」

 

 背後からロミールの声がして、僕の肩に置かれたパズーの手がするりとはずれた。

 つい振り返るが、ロミールはこちらを見ておらず、「これを」と言って何かを海賊たちの方へ投げた。視線で追いかけると、ドーラが受け取ったものを眺めている。紙、だろうか。

 

「報酬が足りないようなら、ほとぼりが冷めた頃にそこへ連絡をしたまえ。話はつけてある」

 

 ロミールの声はいつもどおり皮肉めいていた。ドーラは不機嫌そうに鼻を鳴らし、紙をしまい込んだ。

 

「夜明けまでは待つ」

 

 吐き捨てたドーラは、くるりと踵を返して海賊らを押しのけ、来た道を戻って行く。僕はその背中に向けて、もう一度頭を下げた。

 

 ロミールが片手に持ったランタンを、壁に開いた入り口へ差し向ける。反対の腕は僕の背に回り、軽く押された。入り口の正面に立たされて、逆隣でパズーが小さく頷いた。彼もロミールも強引に進むでもなく、ただそうして僕が踏み出すのを待っている。

 僕は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出して口を開いた。

 

「行こう」




 調べて出てきた原作裏設定(準備稿)を都合よく使っていくスタイル。原作ラピュタ語(呪文)が完全にオリジナル言語のようで、「語源があるだろうから適当に捏造しよ」と思っていた作者、頭を悩ませるの巻。

 録画したロードショーを何度も見ているうちに、そういやおっさんと少年が手をつないで落っこちてくる様子を見ていたパズー少年は何を思ったんだろうと考えました。
「親方、空からおじさんと男の子が!」
 女の子が落ちてきたのは天使かもしれないという感想を抱いたようだけど、おっさんと少年だったパズーくんはちょっとかわいそうな気がしなくもない。

▼09/28 追記
※飛行船艦という表記は、原作に準拠しています。「戦艦」ではなく「船艦」というのが原作表記のようです。

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