例え雨で流せずとも   作:杜甫kuresu

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ミラとAUGの身長差は5cm程度あります。
どちらかと言えばミラが16歳なのでまだ背が低く、これから成長期に差し掛かる時期だから。

ちなみにミラのモデルは察するならば察せなくもない、バナージ・リンクスです。


3.長雨

「指揮官さん、一旦此処を離脱しましょう。増援が来るはずです」

「…………ああ。そうだね」

 

 AUGが追いついた頃には敵の掃討は終わっていて、周りには雨粒の音ばかりが響く静かな通路が続いていた。

 ミラは力なく壁にもたれこみながら項垂れている。AUGはすぐさましゃがみ込んで彼の顔を覗く。

 

「どうかしましたか? 体調が悪いのでしたら無理をせずに仰ってくだされば」

「…………違うよ。君には多分、言っても分からない」

 

 彼の脳裏には今までの記憶が延々と再生されていた。

 

 親友が死に、人となりを知った人形が壊れ、実の父も息絶えた。どれもが呆気なく、そして彼を置いて、何よりも理不尽に死んでいった。

 不可抗力であることなど理屈では分かっている。彼が例え命を賭しても結果は変わらない、運命とは須らくそういうものだ。ハンジという青年はきっと何処かで死ぬだろうし、スプリングフィールドを救うほどの力など何処にもないし、父親の死など一体どうしろというのか。

 

 けれど死を見た側は背負う。目の前で確かに、それまで当然に喋っていた誰かが”モノ”になる。

 あの日と同じように。また、彼は何も出来ないまま喪った。

 

「これじゃあ母さんの時と一緒じゃないか…………! また、誰かの大切な人を俺は守れなかった…………!」

 

 何も守らないように見えた父を責めた自分は、一体誰を守れたのか。

 

 死体を見た。つい先程手続きに四苦八苦していた、若い女性。手袋越しには結婚指輪がはめられていて、きっと伴侶は彼女の無事を願うばかりだろう。

 今日訪ねたばかりの技師も死んでいた。油まみれで笑ってのけた彼の顔をもう忘れられない。

 誰かの”大切”が消えていくのを、見過ごせないほど見てしまった。

 

 結局こんな力では、もう元には戻らない。

 

「またこうだ。俺はいつも通り過ぎてから、その人の大切さを思い出す。こんなに痛い程に忘れられないのに、痛くなるまでどうして…………」

 

 何もしてやれなかった、等というのがチープなのは誰だって分かっている。

 

 けれどその感情は決して否定できない。どうにもならないことだからと割り切れてしまうなら、きっと世界は誰も傷つかないままで今日までやって来ただろう。

 誰もそうなることなんて出来なかった。出来なくて、痛くて、後悔する胸を抑えながら歩いてくる。

 失うものに何も感じずに居られる程、人は強くなれなかった。それはこの半世紀をもってしても。

 

 たった一人の青年に、そんな苦しみにどう立ち向かえというのか。

 

「後悔は次に活かす他有りませんわ。貴方まで死んでしまっては、彼も立つ瀬が無いでしょう?」

「分かってるよ、でももう全部投げ出したくなる! どうしてこんな事に…………!」

 

 AUGの瞳が、冷たく彼を射貫く。

 

「そうやってまた、私の大切なものまで奪うおつもりですか?」

「…………どういう事」

 

 AUGがゆっくりと彼の顔を手で掬い上げると、涙に滲む眼に真っ直ぐとした視線を返す。

 冷たく、機械のようだと彼は思ってしまう。血の通う何かの匂いがまるでしない、今しがた自分の言った言葉を飲み込んでしまいそうな。

 

 そして、息を呑むほどにその顔は凍えて、美しい。

 

「貴方の仰る大切なもの、が私には分かりません」

「ですが本日、私は貴方の父親を失いました。なのにこうやってまた、助けられるはずの貴方を置いて行けと命令するおつもりなのかと尋ねました」

 

 少しだけ瞳が震えたような気がした。

 

「私には感情などと言った高尚なものはきっと無いでしょう。これはきっと、プログラムです。そう思うように植え付けられたに違いありません、ですが――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、手の届く貴方まで。私の傍を去って欲しくはありません…………」

 

 何がプログラムだ、青年は責めた。

 その顔はプログラム仕掛けのロボットを名乗る女がするには、少しばかり芸が細かすぎはしないだろうか。それではまるで、人は本気で愛憎まで作り物にできてしまったようではないか。そんな悲しい想像は彼には出来ないし、きっとそんな訳がない。

 

――――俺の為にこんな顔をする人が居るのに、俺が諦めてどうするんだ。

 次に青年は、数秒前の自分を責めた。

 

 無力だから投げ出すのか。無駄だから終わらせるのか。悲しいから諦めるのか。

 違うはずだ。それはもうしないと誓った、母を喪ったあの日から青年はそれだけはしないと決めている。逃げているだけでは何も変わらない、また同じ悲しみを誰かに押し付けるだけだろう。

 

 例えこの足掻きが無意味でも。この悲しみだけは、背負って消えていかなくてはならない。

 誰にもこんなもの、彼は譲り渡したくなかった。

 

 涙さえ零れそうな僅かな表情に応えるように、頬に差し出された手を握り返す。

 冷たい。冷たくて、しかし人間のように柔らかい。

 

「…………ちょっと、弱音を吐きすぎた」

「無理難題でしたら、申し訳ありません」

 

 薄く不安に揺れるのを繋ぎ止めるように、彼は手を更に強く握りしめた。きっと痛いくらい、痛いくらいに温かさが伝わるように。

 

「いや、君の感情は間違ってない。俺はそれを、守るために立ち上がるべきなんだ」

「我儘ばっかり言ってごめん…………もう、大丈夫」

 

 笑いそうな膝を奮い立たせて、彼が立ち上がった。

 

「俺はこれから、凄く無茶をする。出来るだけ手を貸してくれ」

「AUGがそんな顔をしなくて良いように、俺も努力はするから」

 

 ゆっくりと立ち上がる彼女の顔にはもう、何も映っていない。

 

 けれどさっきよりずっと、そんな彼女から感情のようなものが感じられるような気がする。道具と自称する彼女の内に、それがどれ程の強さかなんてわからないけれど、確かに。

 小さな感情の炎が揺れているような気がしてならない。

 今しがた彼が分けてもらった炎は、きっと錯覚などではないのだろうから。

 

「私は貴方のための人形。望むならば、地の果てまでお供します」

 

 道具にしては、ちょっと分かりやすすぎる。

 彼は小さく笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミ――――――指揮官、準備は出来ているぞ」

 

 ストロベリーブロンドの髪が雫を吸って滑らかに光る。強まる雨の中に立つその姿は、相変わらず整然として更に鋭い。立ち居振る舞いからその堅強さが滲み出ていた。

 名前をNTW-20、通称をダネル。RF人形の一体である。

 

 ミラと以前から面識のある人形の一人で、昔「此処が二つ目」だと言っていたのが彼は印象的だ。

 急を要する事態でも彼女の瞳は以前変わりなく、AUGとは違った落ち着きに近い雰囲気が彼の焦りをゆっくりと揉み解す。

 

 AUGがするりと彼の前に出るとダネルと会話を始める。どうやら面識があるらしい。

 

「ダネルさん、車両は用意できていますか?」

「ああ。配給や弾薬も一応は詰めてある、お前が派手に暴れてくれたおかげだ」

 

 いつものように淡々と会話が進められていく、並び立つ車両の名前も知らず、積み込まれる荷物が何ともしれない。ただ運び込んでいるのが大抵人形であることだけが彼にははっきり分かった。

 きっとAUGの指示だ、直感めいた確信。

 

 もうこの基地に人間など、居ないのだ。

 悲しむこともない。流すべき涙は、今は雨が代わってくれている。

 

「えっと、ダネルさん」

「呼び捨てで構わない、もうあなたは指揮官だ」

 

 指揮官。父が遺した名前。

 少し言葉を支えさせて、もう一度。

 

「――――――ダネル」

「それで良い。どうした、指揮官」

「これからどうする予定かな」

 

 予定、予定とダネルが噛みしめるように呟きながら顎に手を当てる。

 

「予定はない。ただ逃げる、勿論出来るだけ避難民を運んでだ」

「鉄血の方角は分かってる?」

「当たり前だ、私達の視力を舐めないでもらおうか。真逆に走る――――――――」

 

 そう言い切る前に誰かに呼ばれ、ダネルが奥の方へと歩いていった。飛ばす指示は暗号のようで、ミラの頭に上手く入ってこない。

 

 結局言われるままにミラは車両の後ろにAUGと乗り込み、冷え込んだ身体を暖めるように毛布だけを寄越されて彼女の隣に座り込む形となる。

 外ではまだ野次にも似た張り上げるようなダネルの声、きっとまだ慌ただしいのだ、場合によっては銃弾の音も聞こえる。

 

 雨粒の天井にぶつかる音をBGMに、AUGにミラが話しかける。

 

「…………その、AUGはさ。父さんの事を、どういう人だと思ってるの」

「ファラン・リンクスですか」

「ああ。俺はあの人のことがもうよく分からない」

 

 言葉尻は暗く、面持ちも暗い。

 

 ミラが物心ついた少し後、母親が実験の失敗で死んでから父は随分と変わってしまった。

 それまでよく笑っていた顔つきがとても険しくなった。基地に泊まり込みがちになるなり、ミラを置いたまま仕事に没頭するようになった。

 いつも何かに追い立てられるような重い表情ばかりで、ミラの仔細をまるで気にも掛けず。それはもう、父親としては甚だ最悪だったとしか言いようがないだろう。

 

 だからこそ、今日の一件で彼は見えなくなった。今まで見ていた物は、恐らく現実とは全く異なるもの。

 ミラ・リンクスが忌避した男は一体、何であったのか。

 

 彼女なら、知っている気がしたのだ。

 琥珀が揺蕩う。

 

「…………どういう人。端的に言えば、恐らく弱い方です」

「弱い?」

「はい。彼はいつも何かに唸り声を上げていました」

 

 唸り声を上げる姿など、ミラは知らない。目を剥いた。

 

「作戦を見る度に犠牲者の数に唸り、私達の負傷を見る毎に耐えかねるように唸り、貴方の写真を見ては唸り、私が何かを言う度に唸っているような、そんな方です」

「文句が多いんじゃないの?」

「彼は…………そういう方では有りませんでしたよ」

 

 AUGが表情もなく縮こまって頭を擦る。その動作は何時にもまして子供のようで、何だか誰かに励まされているような姿にも感じた。

 

 少しだけ綻ぶ表情が、父を支えたあの手付きをフラッシュバックさせていく。

 

「とても優しい方で、何度も私に仰るんですよ。”お前は確かに感じてるはずなのに、どうして認めてくれないんだ”と」

「おかしいでしょう?」

 

 薄く笑ってミラの顔を見る彼女に、曇りのない眼差しが返された。

 

 予想外の反応にAUGの肩が少しだけ力む。

 

「おかしくないよ。父さんはきっと俺よりもずっと近く、長く君を見て真剣に考えてたんだ」

「父さんは子供一人育てきれない駄目な父親かもしれないけど、人形一体の本質も見抜けないような間抜けな指揮官だったなんて――――――AUG。君は本当に、父さんのことをそんな風に思った?」

 

 思うものか、思えるはずが無い。その質問が無意味なのは、きっと彼だって知っている。

 

 ただ命令に従うだけだった彼女に、男は考える事を教えた。モノクロだった世界に、雫一粒でも色を垂らそうと足掻いた。矛盾を抱える苦しみに本気で怒って、机を叩き、手元のライト一つで夜を明かしたあの姿を見て、一体どんな人形が無能であったと笑うことが出来る。それは道具ですら無い、木偶だ。

 

 見透かすように燃える鋼の瞳が今でも彼女を見ている気がしてならない。それは不快感などでは決して無く、男は死して尚青年を遺していった故に。

 彼女に向けられるミラのひたむきな視線が、いつも彼女の論理的な思考回路にヒビを入れてしまう。

 

 時折恐ろしく。

 時折頼もしく。

 時折思い出す。

 

 その眼は、くだらない道具だった自分に”感情が有る”などと嘯いたあの大人のものと何ら変わらない。

 もう去ってしまった筈だろうに、意味もなく重ねてしまう程にだ。そう感じる度に、無いはずの心臓が大きく脈打つ気がして落ち着かない。

 

 薪もない伽藍堂の自分が、壊れるように燃え上がりそうになるような気がしてしまう。触ったらきっと、炎が消えてしまうだけ。

 きっと彼はそれを知らない。自分がどれだけ彼女に手を伸ばそうとし、何度自分で抑えつけたか。

 

 とても意地悪な質問だった。

 その全てが紛れもなく、人形と向き合うべき指揮官の資質に他ならないだろう。

 

「思えませんよ。思えるものですか――――――貴方だって、分かってるでしょう」

 

 眩しくて、思わず目を逸らす。言葉が熱を帯びてしまう。

 

「いじわるな人」

「それが答えだよ。君が信じるファラン・リンクスがそういったんだ、君の持ち主だった男がね。それを君が違うと宣おうなんて、それこそ”道具”が何て出過ぎた口をって話さ」

 

 違う、今彼女がそう思えない理由はそれだけではない。

 

 まだそれを言葉にすることは出来ない。彼女は知らないし、彼は気付かないし、時期はまだ遠いから。

 そんな言葉の余韻に浸ってる内に、ダネル達の用意が済んだらしい。声と同時並行で続いていたネットワーク上の通信も同時に鳴り止み、車が歪な道に揺れ始める。

 

 がたり、ごとりと何度も横に揺れる。時折肩が当たると、彼は少しぎこちなく謝って余所余所しく距離を取る。別に気にしてなど居ないのに。

 

 むしろ彼の身体は温かくて、AUGはそれほど嫌いではない。

 人間の温かさに触れると、何だか少しだけ心が柔らかくなるような気がする。気のせいなのかもしれないけれど、そうやって近づいたつもりになることが嫌いなわけではない。

 彼はとても温かくて、ついつい横に居たくなる。その不器用さを嫌う人も居るだろうけど、その姿をどうしてもAUGは切って捨てれない。初めてのことだった。

 

 だからこそ。

 

 また、ぶつかる。

 

「ごめん」

「平気です」

 

 近づくのが怖いのは、他ならぬ彼のせいだった。

 きっと、近づくほどに彼はAUGという存在を受け止めようと藻掻くようになる。こうやって否定しているのにまだ言い張って、あんな風に言葉を掛けてくる青年だ。

 

 彼女がそうであると認めてしまったら、また背負ってしまう。

 誰が見ても分かるほどに、今の彼は辛いはずなのに。道具の彼女が、また新しい重みになるなんて贅沢が過ぎることだ。

 

 その役割は、担い手に便益を齎すことである筈だろうに。

 雨粒の音が止まない。突然に止まる車に、雪崩れるように人が運び込まれてきた。

 

 どうやら通信を聞くには新しい避難民のようだ。新しい来客は人形の定義からして喜ばしいはずなのだが、AUGは少しだけ

 

”邪魔だな”

 

 と思ってしまう。理由は、分からない。

 誰も居なかった席が懐かしくて仕方なかった。

 

 走り出す頃、またこつりと彼の頭がAUGの肩に当たる。今度は何を言うのだろうかと、図らずも期待じみた気持ちを視線に込めて、首だけで振り向く。

 今度は返事がなくて、思わず彼女が首だけで彼の横顔を覗く。

 

「…………寝てしまいましたか」

 

 張り詰めていた表情が嘘のように穏やかな寝息を立てて眠る彼の頭を、片手でそっと撫でてみる。

 どうしてそんな事をしようと思ったのかは彼女自身にも分からない。ただ、肩を伝う彼の体温は今までよりもずっと熱くて、暫くそのままで居たいということだけがはっきりしていた。

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