私が凪であること   作:キルメド

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日付を越えた深夜、フジタは目的地へと急いでいた。それでも運命は彼女の前に石ころを転がす。躓くことはないが無視はできない。彼女が受けたミッション、その後始末のようなものだった
一方、飛粋とゆらは自分達の部屋に戻っていた。ゆらの心の中に残った僅かな不安を取り払うために。


最終話:胸に刻む拠り所

飛粋達と別れたフジタ。彼女があくまでヨモギに呼ばれた場所へ向かっていただけで、二人と会うのは完全にイレギュラーだった。出来る限り当たり障りのないように避けるつもりだが、無視をするのもそれはそれで気にかかるのが彼女の心理構造。声をかけてしまった。

「………………」

そして同じようなイレギュラーがもう一つフジタを待ち受けていた。

(あれは、詩宮さん?)

公園のベンチで外灯の光を浴びながら項垂れるジャージ姿の女性。山風部隊の詩宮だ。その小さな体はまるで親と喧嘩して家出した女子のようにも見える。

(流石に声かけないとかなぁ)

しかし彼女はしぶきと同じくフジタの数少ない一面を知っている人間だ。スタンガンでどれだけ意識を保っていたかは分からないが、フジタを見る印象は変わっているはず。

「何してるんですか?」

敢えて作り笑いをせずに声をかけた。このまま放置しておくのはいけないような気がした。

「なんでこんなところにいるんですか?」

「通り道だったもので……この時間は寝床にいるべきだと思いますが」

寝床とは彼女と照見が住んでいるシェアハウスのこと。山風部隊は自分の家のことをそう呼んでいる。

時間は深夜の0時を過ぎていて、諸々のことを考えると彼女の状態を心配した山風部隊が捜索に出ている可能性も高い。

「別に。声かけてくる浮浪者は何人か警察に送り届けましたし」

「それでイライラは晴れましたか?」

「全っ然。それにイライラじゃなくてもっと違うもの……」

フジタの言葉に受け答えはするが顔をあげてはくれない。呉田に裏切られたことが相当ショックだったと思われる。そしてあっさりと騙されていた不甲斐なさも。

「私達、これからどうなると思います?No.2でみんなが信頼していた人が実はスパイで、それが部隊外の人間に見つかって捕縛されて」

「逮捕したのは詩宮さんでしょう。記録としてはそう残ります。ですから、あなたはむしろ胸を張って前に進むべきかと」

「ふざけないでください!!それも嘘じゃないですか!!」

確かに呉田を手錠をかけたのは詩宮だ。しかし彼女が何をしたかと言えば、呉田に騙されて地下に誘導され人質にされただけ。己の醜悪な姿を輝かしい嘘の功績で塗り潰すことが、今の彼女には解せなかった。

「嘘でも記録にわたくしや薩摩さんが残らない以上、そうなるんです」

「なんでそんな事平気で言えるんですか!私が何もできなかったことを知ってるくせに!そうやって嘲笑うんだ!私を……うああああ!」

いきなり飛び出してきた。小柄ながらそのスピードと力は段違い。顔面に目掛けて拳が伸びる。寸前で受け止めてバックステップを踏む。

「……何してるんですか。こんなことしても」

「うるさい!!見下すな!!」

突如として詩宮が暴走した。おそらく近づいてきた浮浪者達にもこうやってキレていたのだろう。自業自得ではあるが少しばかりその理不尽さに同情する。

的確に人間の急所を狙うパンチとキック。それを膝や腕の部分で丁寧にブロックした。もしも掌で受け止めたり流したりすれば、その勢いや体勢を活かして投げやサブミッションに切り替えてくるだろう。

「たあ!」

「ちっ……面倒だなぁ」

フジタが痺れを切らした。胸への攻撃を右腕で防ぐと同時にコートの懐に手を入れる。

「させない!」

その様子を見て殴っていた左手を開き即座に防いだ肘の部分を掴み引っ張り上げた。これで武器を使うことができず、胴がガラ空きになった。あとは右ストレートを打ち込むのみ。

「いいえ、もうしてます」

フジタの手を引っ張り上げたことが敗因となった。近づいた上に右手を警戒したその視界には完全に左腕が抜けていた。こめかみに向けられた左手には小さな銃がある。すぐに取り出せる様にコートの袖に仕込んだ物なのだろう。対して上にある右手には何もない。

「右手のあれはフェイク?」

「懐から取り出すフリをして左袖に仕込んだストッパーを外したんです。それで左腕を下ろせば拳銃が手に降りてくるという構図です。とはいえ基本的に降りてくるまでに半秒〜数秒かかるので右腕で抑えつけたりとかするんですが、捻りあげられると何もできませんね」

フジタは小さな拳銃を仕舞った。それは頭に血が上った詩宮を落ち着かせたということだ。しかし決して良い方向に進んだわけではない。詩宮はまた自分の無力さを噛み締めていた。

「落ち着きましたか。今はその感情を埋めれるだけのことをしてください。無力なら力をつければいい。騙されたなら騙されなくなればいい。寂しくなったなら仲間のところにいればいい。そうすればいいんですよ」

あまりにも現実的で冷たい言葉。詩宮は打ちひしがれるようにまたベンチに腰を落とした。

(ここまで懐かれてるなら、こんなタイミングで裏切らずにもっと有用な手で陥れることができただろうに……やはり大八洲周辺の動きが活発化してることが他の闇組織にも強い影響を与えているのか)

今回そうさせたのは間違いなくキリの首領格の判断だろう。キリも小規模な闇組織として他勢力に飲まれそうなところに安全に大八洲の傘下に入れると予里の話が来たのだ。乗らない手はなかった。

しかし仮に武装を持ち帰ることに成功してもその立場はやはり危ういだろう。予里が捕縛された場合はなんとか大八洲達に取り入る手段を見つけなければならない。だからフジタの話にも簡単に乗ってきたのだろう。

仮に予里が凪の部隊を手に入れることに拘らなければ、こちらの潜入前にキリとその同盟組織が待ち伏せし完璧な武装拠点になる。だがそうなれば大八洲達は欲しがらない。目立ちすぎた存在が今更大八洲に戻れるはずもない。

(結局はより良い立場に収まろうとした奴らの共倒れでどうあっても大八洲は無傷か。おまけに潜入者とはいえ山風の戦力も信頼も削がれた。やれやれ、表向きはミッション成功だけど想像以上に傷が深い)

こうなってくると警視庁も多くの味方を作る必要があるのだが組織の規模を考えると難しい。だからこそ少数精鋭部隊である凪の部隊や山風部隊が役に立つのだ。それだけにここでのダメージは乗り切らねばならないものだった。

「本当に帰った方がいいですよ。流石に正当防衛貫き続けるのも無理があるかと」

「分かってます……分かってますけど」

なんとか立ち上がるがその足取りも表情も重い。簡単に断ち切ることができれば損はしないだろう。一応フジタは臨戦態勢を取った。

「もう少し憂さ晴らしでもしますか?」

「いいです。色々考えたらテルミちゃんが心配するかなって」

「分かってるなら早く帰ってこい」

不意に書き慣れた声が詩宮の耳に届いた。ちょうどその方向を見ると腕を組んだ照見が立っていた。Tシャツにショートパンツと機動隊服を着ている時とはまた印象が異なる出立だった。

「テルミちゃん!なんでここに」

「そりゃ探したからに決まってるでしょ。あの沈んだ顔見た後にいなくなったんだからな」

小柄な詩宮に視線を合わせると彼女が泣いていたことを知る。予想通りといった顔で立ち上がり今度はフジタの方を見た。

「あんたは何をしてるんだい?」

「寄り道ってところですかね。学校からの帰り道に突如現れた猫と少しだけじゃれ合うような、そんな感じです」

「そっか、ありがとう」

詩宮の相手をしたことか、或いは彼女に道を示したことか、何に対しての礼かは分からないが照見は頭を下げた。彼女の手を握り詩宮も少し表情が明るくなる。

「詩宮、帰るよ。洗濯物がいっぱいなんだ」

「うん……ごめんなさい」

照見に引っ張られるがまま詩宮は帰る。傷は完全に癒えた訳ではないが、彼女の周りにいる仲間がなんとかしてくれるだろう。フジタにはそれに賭けることしかできなかった。

「そうだ。フジタって言ったよね」

「はい」

不意に照見が振り返った。まだその場を離れず背中を見つめていたフジタに声をかける。

「あんた、一人なの?なんなら山風部隊に正式に所属してもいいんじゃない?穴埋めって形になるし、呉田さんと同じスパイだけど……あんたはそんなに悪い人な気がしない」

「嬉しい提案ですが、遠慮させてもらいます」

部隊側の人間から誘われるのは初めてだった。今までフジタには情報を貪る虫以外のイメージは存在しなかった。邪険に扱われ続ける一方だった。それでも動揺することなく即返した。

「わたくしのやり方は、おそらく山風部隊とは合いません。これからも飛び飛びでやらせてもらいます」

何より彼女自身のやり方として今の立場があっていた。警視庁所属、それこそ警視庁のどこにでもいてどこにもいない存在であることこそ彼女に与えられた使命なのだ。

「ですが、一人ではありません。わたくしにも仲間はいます。師もいます。一人ではありません」

胸に手を当てた彼女の脳裏に浮かぶ人の姿。その正体を知っている者は少ない。それでもその人がいることを誰かに伝えたかった。

「そっか……じゃ、また会おう。今度も山風部隊としてね」

「暇になったら訓練に参加してもいいですよ?その時は負けませんからね」

二人は手を振った。それに応えてフジタも手を振る。少し強い風が吹いて季節外れなコートがはためいた。

 

予定された時間よりも遥かに遅くフジタは約束の場所に辿り着いた。この時間は本来なら誰も入ることできない東京タワー、その展望台にてヨモギは待っていた。

「遅いぞ。また寄り道食ったか」

「まぁそんなところです。あとここに来るのも久しぶりだったもので」

ヨモギに呼び出された誰もいない東京タワーの展望台。フジタがヨモギと初めて顔を合わせたのもこの場所だった。

「それで何の用ですか?一応ぼくは忙しい身で通してるのですが」

「お前にミッションを与えたい」

文句を言おうとした口が止まった。ヨモギから任務を受ける、立場からしたらありえない気がした。

「とは言ってもオレからの個人的なお願いってところだ。形式上ミッションではあるが、別に断ってもらっても構わない」

「はぁ〜、あなたからそう言われると断ろうとする意欲がなくなるのは何故でしょう?」

ヨモギの目から断らないだろうという強い信頼感を持った光が見える。実際その通りだからどうしようもない。

「内容はなんですか?上から何か言われる前に済ませたいんですが」

結局頭を掻きながら了承した。その奥には僅かな期待を膨らませながらヨモギの言葉を待つ。

「お前には空崎に飛んでもらう!」

「…………マジで言ってるんです?」

「大マジだ!ここ数日間お前は山風の任務に付きっきりで他の情報が入ってなかっただろうが、向こうもだいぶ動きがあってな」

空崎市、そこは過去にモウリョウが拠点にしようと何度も手を伸ばした場所だ。工業としては日本のパイプライン的存在でもあり漁業も盛ん、そして空崎には少女達による独立した少数精鋭スパイ部隊「ツキカゲ」がある。モウリョウの怪しい香りが漂う空崎を日夜彼女達が守っている。

「大幹部であり首領格の天童久良羅が空崎市の支配を目論んだが計画は阻止された。おまけに天童は倒されてモウリョウは事実上撲滅された」

「モウリョウが撲滅!?」

つい声を荒らげてしまった。薬物の研究やその成果において抜きんでた力を誇っていたモウリョウが、傭兵にも名のある殺し屋がいたはずのモウリョウが撲滅された。おそらくツキカゲによるものだろう。

「でも待ってください!モウリョウが撲滅されたとして、あの文鳥の女が消えたとしたら……空崎はいずれターゲットに」

「大八洲とリザード社と倶楽部トリムヘイムのトップが談合したという情報もある。既に次の波が来ているのかも知れねえな」

ヨモギもそれを分かっているからこそ動きたいのだろうが、今回の件で凪の部隊とヨモギは思うように動くことができない。まずは上からの信頼回復、ついで空崎へと向かうだろう。

「そこでぼくに下見して来いというわけですね。よくもまぁ、こんな酷なことをさせるもんだ」

「オレだって空崎と袂を分かった身だがそんなこと言ってられる状況じゃねえ!こちらの方が済んでから情報を集めて向かうじゃ間に合わねえかもしれねえんだ!何より今の空崎には嵐が去った後だっていうのに何か臭って仕方がねえ!」

ヨモギが嗅ぎつけた臭い。老齢になっても目と鼻と勘の鋭さは全く衰えていない。

「臭う?モウリョウの残党ですか?あれが再び徒党を組むような奴らとは思えませんが……ヨモギさんがそう言うなら何かあるんですね」

フジタも長い付き合いからそれを信用した。既に脳内は空崎に向けてシフトし始めていた。

「では今回の作戦は凪の部隊が向かうまでの間、空崎市内の偵察ということでいいですか?」

「ああ。ツキカゲと接触するかはお前に任せる。向こうは代替わりをしているはずだからお前の顔を覚えてる奴がいるかもかもしれないしな」

「…………状況によります」

ケースバイケース、口にするには便利な言葉だ。それを実行しなければならないのがスパイの難しいところでもある。

「凪の部隊の方はどうなりますか?」

「珍しいな。気にかけてるのか」

「色が違うとはいえ同業者ですからね。ぼくとしては次の任務のことも考えると早いところ再始動してもらいたいところなんですが」

飛粋とゆらの様子を偶然見てしまった。あの状態なら数日間は任務に出ない方が良いというのがフジタの見解だ。何気なしにゆらに任せたが飛粋の洗脳の傷は深い。

「その辺りはまぁなんとかするさ。オレはあいつらを不幸にするために凪の部隊を作ったわけじゃねえからな」

その頼もしい姿を見て胸を撫で下ろす。安心して空崎に向かえそうだ。

「お前も随分と成長したんだ。胸を張って凱旋しな」

「凱旋って……単なる里帰りみたいなものですよ。その言葉はぼくなんかよりあなたが使うべきだ」

「その時が来たらな」

フジタが出入口へと向かう。これにてヨモギからのミッション通達は終了。任務というよりは依頼に近いものだろうが彼女には関係なかった。すぐに空崎市へと向かう準備をする。あの街で何が起きているのかをいち早く調べなければならない。

「報告待ってるぞ」

「はい。そちらも頭の硬い連中の相手、頑張ってください」

二人は最初に言葉を交わして以降物理的に距離を縮めることはなかった。それが二人の立場の適切な距離感だった。

 

一方、寮の自分の部屋に戻ったゆらと飛粋は任務の強い疲労感が襲ってきた。ようやく安心することができたからだろうか。自然と力が抜けて布団の上に倒れ込む。

「あー、ただいまアタシ様達の部屋。アタシ様の布団!」

スパイとして鍛え上げた忍足で門限外の帰宅を見つからないようにしていたこともあるのだろうか。全身を受け止めるクッション性が心地よかった。

「あぁ、明日の午前の授業サボろっかなぁ〜なんて」

ここで普段の飛粋ならツッコミを入れるはずだが、今回はそうではなかった。自分の背中にベッタリくっついた飛粋が同じ布団で横になっているのだ。

「んへへ、ゆらと一緒なら授業サボってもいいかな〜。きっと素敵なんだろうなぁ」

ツッコミを入れない上に全く離れる気がしなかった。力強く抱きしめられて飛粋の豊満な胸がゆらの体に背中から圧力をかける。フジタからはこの状態も明日の朝には治っていると言われたが、それも怪しくなってきた。

「なぁ飛粋。もしもアタシ様が裏切ったら、飛粋は一緒に裏切るのか?」

「え?」

「いや、あの呉田ってやつの動きを見るとどうしてもな。アタシ様だって見方によってはあいつと一緒だし」

「ナンバー2ってこと?」

「そこじゃねえよ。いや実質ナンバー2だけどさ」

自ら望んで大八洲師団を裏切りから凪の部隊に入ったゆら。飛粋に誘われたという経緯があるとはいえ体制上は呉田と重なるところがある。

「私はゆらのこと大好きだよ。ずっと友達だもん」

「ああ」

「でもしぶき隊長のことも大好きだし、葉栖美先輩のことも大好き。ヨモギさんのことも大好きなんだ」

「そう言うと思った」

だとすると彼女が取る行動はただ一つだろう。

「だから何があってもゆらのこと取り戻すよ。私が操られた時にゆらがそうしたみたいに」

想像通りだった。あの時に己の身を捨ててでも飛粋を助けようとしたゆらの様に、飛粋もゆらを助けるために己の身を捧げるだろう。

「それはありがたいが……もしアタシ様が洗脳とかじゃなくて自分の意思で凪を裏切ったらどうする?」

少し苦しませることになることも予想した上でゆらは自分の話を押し通す。答えに安心を求めるのではなく、答えに意味を求めた。飛粋の意思を確かめることが第一だった。

「それでも連れ戻すよ。ちょっとだけ後戻りしちゃったかもしれないけど、その分一気に前に進んでゆらと友達になる。友達になって一緒に遊んで、また裏切られても私はゆらを連れ戻してゆらと友達になる」

飛粋の言葉は延々と続きそうだった。何度裏切っても飛粋はゆらのことを、仲間のことを諦めはしないだろう。それが飛粋なりの答えだった。スパイとしてそれは決して正解とは言えないが、飛粋はそれを正しいと思って胸に刻んだ。

「そっか。ありがとな飛粋……飛粋?」

抱きしめられた体を反転して飛粋と向き合う。前髪に隠れた飛粋の瞳が僅かに潤っている。涙が鼻を跨いで耳の方へと駆けていった。

「ゆら……何度も連れ戻すから。何度も裏切っても、連れ戻すから。だから、もうそんな話しないで」

仲間に手をかけてしまう寸前まで行った飛粋にとって、やはりその想像は酷だった。それでも涙を堪えてゆらに意思を伝えた。また少し抱きしめる力が強くなった気がした。

「悪かったな飛粋。アタシ様は裏切らない。アタシ様も正義の味方だ」

胸に顔を擦り付けながら泣く飛粋の頭を撫でてそっと抱きしめる。本来なら決してこんなことはありえないのだが、飛粋は体を丸くしてまるで母に泣きつく赤子の様だった。

「素敵……うん!うん!!ゆら!!!私も正義の味方だよ!」

飛粋もその行為に応える様に名前を呼んだ。

「うん……でも、そろそろ眠くなってきちゃった。ごめんね、お喋りにはあんまり付き合えないかも」

そして徐々に力が抜けてゆく。精神の起伏の激しさからくる消耗が限界にまで達していた。

「ああ、今度うんっと面白い話を用意しとくからな」

飛粋が大きなあくびをするとゆらも釣られてあくびを一つ。そして緩く抱きついたまま飛粋の意識は落ちていった。

「飛粋、おやすみ」

「ゆらと……ともだちぃ」

「寝言まで友達か。本当にお前は面白い奴だな」

やっと眠りについた飛粋の頭を再度撫でる。飛粋の無邪気な寝言がゆらにははっきりと聞こえる。その体の温もりが蒸し暑い夏の夜でも心地よい気がした。

 

潜入作戦から一夜明けた朝、時計はすでに8時を回っている。しかしゆらと飛粋の姿が見えなかった。

「ゆら!飛粋!何をしている!遅刻するぞ!」

制服を着た葉栖美としぶきは二人の部屋のドアを叩いていた。昨晩は確かに二人がこの部屋に帰ったのを確認した。しかし中からは一向に応答はない。

「鳩たちから聞いたけど2人は中にいるってさ」

「おのれゆらめぇ!昨晩は飛粋のためを思って大目に見たが遅刻を許すわけにはいかぬ!無理やり開けるか!」

「ちゃんとピッキングしてよ〜間違えてもドア壊しちゃダメだかんね」

「何を言っているのだはっすー。しぶきにかかればこれくらい力を使わずともお茶の子さいさいじゃ!」

もちろんそれはしぶきも理解している。当たり前のことなのだが、些細な怒りが時折爆発してしまうしぶきなら可能性が無いわけではなかった。

ドアノブに触れてほんの二秒。簡単にドアの鍵は開かれた。そのまま突入する。ゆらと飛粋はベッドの上で座していた。表情は下を向いているためよく見えない。着ている服には大量の汗をかいた痕跡がいくつもある。

「なんじゃ起きておるのか。いい加減に動かんと遅刻するぞ!」

「ん?ああ、しぶきちとはっすーか。おはよっす」

なんと二人が中に入っていたことに気付いていなかったようだ。しぶきの怒りの足音が聞こえなかったとは相当なことだろう。

「どしたの?というか、何してんの?」

「ええっと、なんて言えばいいかなゆら」

「アタシ様に聞くな」

二人とも元気がない。そもそも二人が同じベッドに座っているのもどこかおかしかった。段々と空気が重たくなってゆく。

「えっと……アレだ。酒に酔った次の日に『なんで昨晩あんなことしちゃったんだろう』って感じのアレに近い。というかまんまそれだわ」

フジタから言葉を借りたが、それが引き金となった。

「ヒューッ」

立ち位置、雰囲気、言葉、全てをもって察した葉栖美は口笛を鳴らした。そして面白いもの見たさに意味深な言葉を発した。

「つまり一緒に寝たんだねぇ。あはは、同じベッドでそんなに汗だくになっちゃってさ」

「あぁ、まぁそんなところだ。大体合ってる」

ゆらもあまり思考がついてきていないため認めてしまった。感性が鈍っているのかしぶきの怒りのオーラにも全く気付かない。

「何ぃ!ゆら、飛粋、貴様ら!や、や、ヤりおったのか?」

「えっと……とりあえず私の方からギューっと」

「ギューっとじゃと!?」

「ぷっふふ」

普段なら絶対に見ることのできないしぶきの動揺ぶりに思わず隣にいた葉栖美は笑いを堪えた。

「あぁしぶきち。あんたが思ってるのとはぜってえ違うからな。アタシ様と飛粋は夜を同じ布団で寝ただけで」

「き、貴様、さも当然のように!この破廉恥めが!!」

「は、ハレンチ!?」

「あっはははははははははははははははは!」

すでに堪えられなくなった葉栖美が笑い転げる。しかししぶきにそんなことを気にする余裕はなく、真っ直ぐ二人に歩み寄った。

「良いか!こういうことを不純というのじゃ!」

「誤解だってしぶきち!」

身の危険を感じたゆらは思わず飛粋に寄りかかる。その行為が逆効果になるとも知らずに。

「私とゆらの間は不純じゃありません!いくら隊長相手でもそこだけは譲れません!いたっ」

「余計なこと言うな!ますます勘違いされるじゃねえか!」

状況は更に悪化する。こういう時に葉栖美が抑えてくれるのだが、今の彼女にその力はないだろう。

「そもそも日本の乙女たるもの、純潔というのはその身を捧ぐと決めた相手にじゃな」

「じゃあ私がゆらに捧げると言った場合はどうするんですか?」

「早すぎるのじゃ!順序というものがあるじゃろう!確かにお主らは苦楽を共にし深い繋がりがあることは認めておる!じゃがそれとこれとは話が違う!」

「あー、誰かこの二人止めてくれぇ」

時間が経つごとに二人のやり取りはエスカレートしていき、飛粋がどんどん力を込めて引き込んでくる。何がなんでも離れないという強い意思を感じた。

(こいつも無意識なんだろうけどなぁ)

話の内容もあって引き込まれながらゆらの腕が飛粋の胸に強く押し込まれていることが気になってしまい、ゆらも満足に動けなかった。

「それでも私はゆらと一緒にいるんです!約束しましたもん!どんな事があっても私とゆらは繋がってるんです!」

「じゃからと言ってやっていいことと悪い事がある!今のお主らがやっていることは清純な女子高生とはかけ離れていることを自覚しろ!」

「あっはははは、げほっ、えっほ。いやぁ笑った笑った」

ようやく葉栖美が体勢を立て直した。しぶきの両肩を持って無理やり引き剥がす。珍しく飛粋のムッとする顔も見れた。

「しぶきち、多分だけど二人はしぶきちが思う不純なことはやってないと思うよ」

「だってはっすー!さっきは一緒に寝たと!」

「だから、あれは本当に一緒に寝ただけだって。飛粋ちゃんが寂しかってピッタリくっついてたからあんなに汗まみれなんじゃない?」

葉栖美の洞察力が的確に物事を見抜いた。もっとも見抜いた上でしばらくスルーしていたのであるが、それはそれで面白いものが見れたと満足気だ。

「そ、そうか、そうなのか?」

「だから誤解だって言ったじゃねえか」

呆れたゆらの表情を見てようやくしぶきは停止した。少しだけその顔が赤くなっているのは間違いなく怒りのせいではないだろう。

「それは悪いことをした。早く制服に着替えろ」

「はーい」

飛粋も何事もなく普段の状態に戻った。先ほどの反応を見る限り洗脳の影響がまだ残っているようだが、実戦に立って少しずつ治していくのがベストだろう。そのためにゆらが隣にいる必要がある。

「そういえば先輩。なんで私達の部屋に来たんですか?」

「ああ。すでに8時を過ぎているものじゃから遅刻せぬように起こして……しまった!」

壁にかけられた時計の長身は6と7の間を指している。飛粋達を起こしに来てからすでに30分が立っていた。

「お主ら早く着替えぬか!遅刻するぞ!」

「あ、本当だ!ゆら急いで急いで!」

「脱がしにかかるな!ってかお前自分が脱ぎながら脱がすとか器用なことやってんじゃねえ!!」

先ほどの勘違い騒ぎと動揺、またバタバタと騒ぎ始める。脱ぎ捨てられた服がベッドの上に不規則に叩きつけられて、仕舞ってあった制服を取り出す。

「あ、でもみんなと一緒に遅刻ならいいかな?隊長もどうですか?」

「呑気なことを言っておる場合か!」

「いいんじゃね?確か今月の生徒指導ばあさんだろ?事情察してなんとかしてくれるだろうし」

ヨモギがそんなに甘くない性格なのは百も承知だが、何せ昨日のことがある。今回は特例として見逃してくれるかもという甘えが少し見えた。

「まぁ四人で遅刻というのも珍しいしな。たまには良い物か。のぉ、はっすー」

その言葉に返事はない。葉栖美の姿が見えなかった。

「あれ?はっすー!?どこじゃ?」

不意にしぶきの携帯が振動する。メールが届いたというバイブレーションだった。それは葉栖美からの物で内容は

『さき行ってるよ〜。』

とだけ書かれていた。それを覗き込んだ飛粋とゆらは思わずしぶきから距離を取る。なんとか携帯を握った手の握力を抑えてしぶきは叫んだ。

「この、裏切り者めええええ!!」

しぶきの叫びが葉栖美に届くことはなかった。

 

黒百合学園の門の前に仁王立ちする高齢の女教師。その鋭い目付きはスパイの時代から全く衰えていない。

「やっべ……アタシ様達を入れる気ないぜ」

「いやむしろ堂々と通るのじゃ。オドオドしていると逆に怒られてしまうからな」

「なるほど!わかりました!不動!進発します!」

時間はすでに1時間目の授業が始まるところまで来ていた。だというのにヨモギはそこから一歩も退く様子はない。

「あ、馬鹿!」

「堂々と、堂々と、おはようございます!」

言葉を鵜呑みにした飛粋が真っ先に校門に向かいヨモギに挨拶をした。追いかける形でゆらとしぶきも追いつく。

「お、おはっす!ばあさん!」

「おはようございます」

なんとか飛粋に続いて挨拶をするが鋭いヨモギの視線を向けられると自然と罪悪感が引き摺り出される。

「おはようございますじゃねえだろうが!!」

「いたー!」

「あだー!」

「ぐむっ!」

綺麗に縦に並んだ三人目掛けて拳骨が飛んできた。しぶきの物ほどではないが乾いた拳から繰り出される威力は相当な物だ。

「お前はなんでこんな時間で堂々とやって来てるんだ!たるんでるにも程があるぞ!」

「なんだよケチババア!昨日のこと考えたらこれくらいの遅刻許してくれよ!1時間目には間に合ってるんだって!」

「それとこれとは話が別だ!第一に言うのは『遅れてしまってすみませんでした』だろうが!」

口答えをしたゆらに向かってもう一つ拳骨が飛んでくる。強烈な一撃に二、三歩退がった。

「分かりました。遅れてすみませんでした!」

また飛粋が鵜呑みにしてヨモギの言葉通りに声を上げた。もちろんそれで許されるはずもない。

「笑顔でそれを言うな!」

「す、すみません」

拳骨が一発ぶつけられてゆらと同じように飛粋もよろけた。しぶきも覚悟をして歯を食いしばった。

「葉栖美が大体のことは知らせてくれている。さっさと授業に行け!」

「す、すみませんでしたー!」

ゆらと飛粋が頭を抑えながら駆けてゆく。少しだけ拍子抜けしていたしぶきはその二人の姿を見送ってしまった。

「どうしたしぶき?」

「あ、いえ、なんでもありません。しぶきもすぐに教室に向かいます」

背筋を伸ばして一礼するとそのまま教室へと駆けた。この場に留まっていることは賢い判断とはいえない。

「これからも頼むぞ」

すれ違い様にしぶきにそう言葉をかけた。普段とは何か違う様子を感じ取ったが、しぶきは敢えて振り返ることをしなかった。




次のエピローグで完結となります。
スパイとして難しい立場に居続ける飛粋達。心中に生まれた僅かな綻びも致命傷となり得る世界で彼女達は生きていくことになる。それでも欠点を互いに埋め合うように結束を強めて、更に成長し続ける彼女達が日本を守り続ける。そんな未来があることを願うばかりです

次回、エピローグ。その後の山風部隊と凪の部隊……

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