ちょっと大人なインフィニット・ストラトス 作:たんたんたんめん@オルコッ党員
朝食の大広間は、すでに食事を終えた生徒たちの談笑で賑わっていた。
湯気の残る味噌汁の香りと、片付けの音が混ざり合う中――
セシリアはそっとフォークを置いた。
(……おかしいですわね)
周囲を見渡す。
箒もシャルロットもラウラも席に着いている。
鈴はすでに食べ終えて出ていった。
けれど――
「……一夏さんが、いませんわね」
ぽつりと漏れた声に、隣のシャルロットが首を傾げる。
「え? 一夏ならもう食べ終わって部屋に戻ってるんじゃないの?」
「いえ。わたくし、ずっと見ていましたもの。一度もここに来ていませんわ」
声は落ち着いていたが、指先がわずかに震えていた。
シャルロットはその揺れに気づき、眉を寄せる。
「……心配?」
「心配というか……その……」
胸の奥がざわつく。
帰還してから、一夏とまともに話せていない。
その事実が、思いのほか自分を不安にさせていた。
「セシリア、大丈夫?」
「……ええ。ただ……」
セシリアは立ち上がった。
椅子が小さく軋む。
「少し、探してきますわ」
「えっ、今から?」
「はい。朝食を抜くなんて、よろしくありませんもの」
シャルロットは一瞬だけ何かを言いかけて――微笑んだ。
「……分かった。一夏が来たら連絡するね」
「お願いしますわ」
浴衣姿のまま大広間を出る。
廊下には旅館特有の静けさが広がり、足音だけが規則正しく響いた。
(……どこにいらっしゃるのかしら)
角を曲がった瞬間、セシリアは息を呑む。
そこに、一夏がいた。
湯上がりのタオルを肩にかけ、どこか思いつめた表情で。
「一夏さん。こんな時間に入浴ですか?」
一夏が顔を上げる。
「ああ……ちょっと飯を食う気分じゃなくて、女将さんに頼んで風呂を開けてもらったんだ」
「食欲がないなんて……体調が悪いのですか?」
思えば、一夏は福音に撃墜され、意識を失って一度運び込まれていた。
突然の復活に、その後の動きから完治したとばかり思ったが、そんな簡単に治るはずがない。
そう言った意味で、セシリアは気遣わしげに一夏を見る。
「いや、そういうんじゃない」
一夏は少しだけ目を伏せ、息を整えるように深呼吸した。
「セシリア……話したいことがあるんだ」
セシリアの胸が、強く脈打つ。
「……はい」
二人の視線が重なる。
廊下に差し込む朝の光が、二人の間に淡く揺れていた。
「……ここじゃ落ち着かないな。少し、場所を変えよう」
「ええ……」
セシリアの声は震えていた。
けれど、その震えは恐怖ではなく――期待と、不安と、覚悟が混ざったものだった。
二人は旅館の裏手にある、静かな縁側へ向かった。
竹林が風に揺れ、さらさらと優しい音を立てている。
朝の光が木漏れ日となって降り注ぎ、まるで二人を包み込むようだった。
縁側に腰を下ろすと、セシリアは膝の上で指を絡め、視線を落とす。
「………………………………」
「………………………………」
沈黙が落ちる。
竹林の音だけが、二人の間を満たしていた。
やがて――
一夏が静かに口を開いた。
「……俺たちの関係の話なんだけど」
セシリアの肩がびくりと震える。
「わたくし……覚悟はできていますわ」
一夏は深く息を吸い、まっすぐにセシリアを見つめた。
「俺……昨日、福音に落とされて、海に沈む瞬間に……セシリアの顔が浮かんだんだ」
セシリアの瞳が大きく揺れる。
「……わたくしの……?」
「ああ。なんでか分からない。でも……その時、はっきり思ったんだ。俺は……セシリアのことが好きなんだって」
呼吸が止まる。
視界が滲む。
「……そんな……」
「セシリアの笑顔も、怒った顔も、泣きそうな顔も……全部、頭から離れなかった。守りたいって心から思ったんだ」
セシリアの頬を、一筋の涙が伝い落ちた。
「……一夏さん……」
「だから……ちゃんと伝えたかった。俺は……セシリアが好きだ」
その言葉は、まっすぐで、嘘がなくて、温かかった。
セシリアは震える手で口元を押さえ、涙をこぼしながら首を振る。
「いち……かさん……」
一夏はそっとセシリアの手を取った。
「ずっと、待たせちまったな……」
セシリアの瞳が揺れる。
その奥にあるのは、喜びと、罪悪感と、愛しさ。
「……わたくし……わたくしで……いいのですか……?」
一夏は迷わず答えた。
「……セシリア、お前がいいんだ」
その瞬間――
セシリアの表情が崩れた。
「……っ……一夏さん……っ……!」
涙が溢れ、頬を伝い、膝の上に落ちる。
セシリアは震える声で、必死に言葉を紡いだ。
「わたくし……あなたを愛してました……! ずっと……ずっと……国からの命令もあったけど……それでも……あなたが好きで……!」
一夏はその手を強く握り返す。
「ありがとう、セシリア」
竹林が揺れ、朝の光が二人を包む。
その光の中で、セシリアは涙を流しながら微笑んだ。
「……一夏さん。わたくし……あなたを選びますわ。あなたが……わたくしを選んでくれたのなら……」
一夏は静かに頷いた。
「俺も、もう迷わない」
セシリアは胸に手を当て、震える声で呟いた。
「……こんなにも……嬉しいものなのですのね……」
その言葉は、朝の光よりも眩しく、
そして、誰よりも真っ直ぐだった。
木の葉を揺らす風が、二人の間を優しく撫でていく。
朝の光が差し込み、縁側の木目が柔らかく輝いた。
「……一夏さん」
「ん?」
「手……離したくありませんわ」
一夏は照れくさそうに笑いながら、セシリアの手を握り直した。
「離さないよ」
その瞬間、セシリアは胸に溜め込んでいた不安がすっと消えていくのを感じた。
昨日の恐怖も、今日までの迷いも、すべてが溶けていく。
(……ああ……こんなにも……)
胸が満たされる。
恋とは、こんなにも人を強く、そして弱くするものなのか。
セシリアはそっと一夏の肩に頭を預けた。
「……少しだけ……このままで、よろしいですか……?」
「ああ」
一夏は優しく答えた。
その声が、セシリアの心をさらに温める。
しばらくの間、二人は何も言わずに寄り添っていた。
竹林の音と、遠くから聞こえる生徒たちの笑い声だけが、静かに流れていく。
セシリアは胸に手を当てたまま、しばらく動けなかった。
涙はようやく落ち着いたものの、胸の奥はまだ熱く、鼓動は落ち着く気配を見せない。
(……夢では、ありませんわよね)
そっと指先で頬を触れる。
涙の跡がまだ温かい。
その温度が、現実であることを静かに教えてくれる。
一夏は隣に座ったまま、セシリアの様子を見守っていた。
その視線が優しくて、胸が震える。
「セシリア、大丈夫か?」
「……はい。少し……胸がいっぱいで……」
言葉にすると、また胸が熱くなる。
セシリアは思わず視線を落とし、浴衣の袖をぎゅっと握った。
(わたくし……選ばれたのですわ……)
その事実が、信じられないほど嬉しい。
けれど同時に、胸の奥に小さな痛みが走る。
(……箒さんのこと……)
彼女がどれほど一夏を想っていたか、セシリアは知っている。
昨日の戦いの後、否、入学してから今日まで、箒が一夏を見つめる目は、痛いほど真剣だった。
自分が幸せを手にした瞬間、誰かが涙を流したかもしれない。
その可能性が、胸を締め付ける。
だが――
一夏の手が、そっとセシリアの手を包んだ。
「セシリア。……そんな顔するなよ」
「え……?」
「お前が笑ってくれるのが、一番嬉しいんだ」
その言葉に、胸の痛みがふっと和らぐ。
まるで、一夏の手が心の奥まで触れてくれたようだった。
「……一夏さん。わたくし……」
言葉が続かない。
嬉しさと、安堵と、愛しさが混ざり合って、胸がいっぱいになる。
一夏は少し照れたように笑った。
「俺も……まだ実感が湧かないけどさ。セシリアとこうして話してると……なんか、落ち着くんだ」
「……一夏さん……」
セシリアは思わず口元を押さえた。
頬が熱い。
けれど、嫌ではない。
むしろ、胸の奥が甘く満たされていく。
(……ああ……これが……恋というものなのですわね)
風が竹林を揺らし、木漏れ日が二人の間に降り注ぐ。
その光の中で、セシリアはそっと目を閉じた。
(わたくし……幸せですわ……)
その想いが胸に満ちていく。
けれど――
その幸福の裏側に、ほんの少しだけ影が差す。
(……でも、これから……どうなるのでしょう)
一夏と結ばれた喜び。
箒への罪悪感。
そして、本国から与えられている命令。
胸の奥に、静かな不安が残っていた。
それでも――
セシリアは一夏の手を握り返す。
(大丈夫ですわ。わたくしは……もう逃げません)
恋をはじめた少女の瞳には、確かな強さが宿っていた。
☆☆☆
縁側で一夏と別れたあと、セシリアは静かに廊下を歩いていた。
足取りは軽いはずなのに、胸の奥はまだ熱く、落ち着かない。
浴衣の袖を握る指先が、かすかに震えている。
先ほどまでのやり取りを思い返すだけで、胸が甘く締め付けられる。
一夏の声。
手の温もり。
自分を選んでくれた言葉。
すべてが、夢のようだった。
部屋に戻ると、セシリアはそっと襖を閉め、背中を預けるようにして座り込んだ。
胸に手を当て、深く息を吸う。
「……嬉しい……本当に……」
ぽつりと漏れた声は、震えていた。
頬が熱い。
涙がまたこぼれそうになる。
(わたくし……こんなにも……一夏さんのことを……)
恋を知った少女の胸は、幸福で満たされていた。
けれど――
その幸福の裏側に、静かに影が差す。
(……でも……わたくし……)
セシリアは唇を噛みしめた。
英国政府からの命令。
──織斑一夏に接触し、好意を抱かせ、情報を引き出せ。
それは、彼女がIS学園に来た当初から課せられていた任務だった。
ハニートラップ――
その言葉を思い出すだけで、胸が痛む。
「……最低ですわ……わたくし……」
自嘲の笑みが漏れる。
あの頃の自分は、任務のために微笑み、距離を詰め、優しくした。
もちろん、すべてが嘘だったわけではない。
けれど、最初の一歩は
(……そんなわたくしが……一夏さんに選ばれるなんて……)
胸が痛む。
嬉しさと罪悪感が、同時に押し寄せる。
セシリアは両手で顔を覆った。
「……ごめんなさい……」
涙が指の隙間からこぼれ落ちる。
けれど、その涙は弱さだけのものではなかった。
(もう……任務なんてどうでもいいですわ)
一夏の手の温もりが、胸の奥に残っている。
あの温もりを裏切ることなど、もうできない。
(わたくしは……あなたを守りますわ)
英国の命令よりも、国益よりも、政治よりも――
一夏の命が、心が、何よりも大切だ。
セシリアは涙を拭い、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、先ほどまでの揺らぎはない。
「……わたくしは……あなたの味方ですわ、一夏さん」
たとえ国を敵に回しても。
たとえ世界が否定しても。
たとえ自分が傷つくことになっても。
(あなたを守ると……決めましたもの)
胸に宿った決意は、恋の余韻よりも強く、静かに燃えていた。
この話のタイトルは、連載開始前、プロットの段階から用意していました。
これで、3巻までの内容は終了となります。
原作再構築モノとしてここまで来ましたが、71話からは原作の流れとだいぶ変わる予定です。
詳しくは活動報告に書きましたので、覗いていただければと思います。