ちょっと大人なインフィニット・ストラトス   作:たんたんたんめん@オルコッ党員

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英国への招待状

 放課後の校舎は、夏の暑さを含んだ風が吹き抜けていた。

 生徒たちの笑い声が遠ざかり、廊下には静けさが戻りつつある。

 セシリアは窓際に立ち、制服の胸元をそっと押さえた。

 心臓が落ち着かない。

 今日こそ言うと決めていたのに、いざとなると足がすくむ。

 

(……一夏さんに、ちゃんと伝えませんと)

 

 深呼吸をひとつ。

 彼の姿を探すと、ちょうど教室から出てくるところだった。

 その姿を見つけた瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。

 セシリアは小さく頷き、勇気を振り絞って声をかけた。

 

「……一夏さん。少し、お時間よろしいですか?」

 

 一夏はセシリアの思いつもめたような表情に一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに笑みを浮かべる。

 

「ん? どうしたんだ、改まって」

 

 その笑顔を見るだけで、胸がきゅっと締め付けられる。

 セシリアは制服の袖を指先でつまみ、視線を落とす。

 言葉を選ぶたびに、喉が乾いていくのを感じた。

 

「その……お願いがあるのですわ」

「お願い?」

 

 セシリアは一度だけ息を整え、顔を上げた。

 青い瞳が揺れている。

 

「夏休みに、わたくしと……一緒にわたくしの祖国へ来ていただけませんか?」

 

 一夏は一瞬だけ目を瞬かせた。

 そして、いつもの調子で肩をすくめる。

 

「ついに俺を、モルモットとして国に差し出す気になったのか?」

「違いますわ。……いえ、まあ……一夏さんが構わないのであれば、それもでも良いですけれど」

「良いのかよ!?」

 

 セシリアは思わず吹き出し、口元を押さえた。

 緊張が少しだけほどける。

 笑いがこぼれたことで、胸の重さがほんの少し軽くなった。

 

「冗談ですわ。一夏さんがそんなことを望むはずありませんもの」

「当たり前だろ。どこの世界にモルモット志望のヤツがいるんだよ」

 

 軽口の応酬が終わると、セシリアは少しだけ表情を引き締めた。

 胸の奥にある本当の理由を、そっと取り出すように。

 

「……母と父に恋人ができたと、報告したいのですわ」

 

 一夏の表情が変わった。

 驚きと、少しの照れと、そして責任の色。

 その変化を見て、セシリアの胸がまた熱くなる。

 

「……俺も、付いてっていいのか?」

「一夏さん以外に、誰がいますの?」

 

 セシリアは微笑んだ。

 その笑顔は、どこか泣き出しそうで、けれど幸せに満ちていた。

 

「ですので……一緒に来ていただけますか?」

 

 一夏は少しだけ視線をそらし、頭をかいた。

 

「……そんなの、断れるわけないだろ」

 

 その言葉に、セシリアの胸が温かく満たされていく。

 

「ありがとうございますわ、一夏さん」

 

 風が吹き、二人の間を優しく撫でていった。

 その風は、まるで新しい旅の始まりを告げるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 セシリアと別れたあと、一夏は部屋へ戻る途中でふっとため息をついた。

 胸の奥がくすぐったく、落ち着かない。歩くたびに心臓がひとつ跳ねるようで、どうにも気持ちがそわそわしていた。

 先ほどまで交わしていたセシリアとの会話が頭の中で何度もリフレインし、頬が熱くなる。

 だが、まずは伝えなければならない相手がいる。

 

(……千冬姉に言わねえと)

 

 覚悟を決めて職員室へ向かうと、ちょうど千冬が書類を抱えて廊下を歩いていた。

 背筋の伸びた姿勢はいつも通りで、周囲の空気まで引き締めるような存在感がある

 

「織斑先生、少し宜しいでしょうか」

 

 千冬は足を止め、一夏を見上げる。

 その鋭い視線に、思わず背筋が伸びた。

 

「どうした?」

「いや、今回は……その……」

 

 言い淀む一夏に、千冬の眉がわずかに動く。

 ほんの少しだけ、警戒の色が混じった。

 

「……また、面倒ごとか?」

「いや、そういう訳ではなくて。今日の夜、お時間いただけないでしょうか」

「……ほう。ついに、教師を部屋に連れ込もうと考えた訳だな?」

「すみません。今、俺シリアスな感じで来ませんでした?」

 

 ニヤっと千冬が頬を緩ませると、一夏も相好を崩す。

 緊張が少しだけほどける。

 

「今日は雑務が少し残っている。夕食を終えたら行くとしよう」

「わかりました。コーヒーを用意して待ってます」

「では、また後でな」

 

 それだけ言うと、千冬は先ほどよりも足早に歩いていく。

 もしかしたら、無理をさせてしまったかもしれない。

 そう思いながらも、一夏はどんなコーヒーを準備しようかな、と頭を動かし始めていた。

 

 さて、時は流れ夜。

 宣言をした通り、千冬が訪ねてきた。

 一夏が扉を開けると、コーヒーの香りがふわりと千冬の鼻腔をくすぐる。

 部屋の中には、どこか緊張と期待が入り混じった空気が漂っていた。

 

「ん? セシリアもいるのか」

 

 部屋に入ると、ベッドに腰を掛けているセシリアの姿が目に入る。

 千冬は一瞬だけ目を細め、なんとなく要件を察したようだったが、あえて思考の外に追いやるようにコーヒーを受け取った。

 

「……前に、ラウラが淹れてくれたのに似てるな」

「気付いた? あれをベースにちょっとブラジルの割合を変えてみたんだ」

 

 千冬はカップの縁に視線を落とし、わずかに目を細めた。

 香りを確かめるように鼻先を近づけ、もう一口含む。

 その仕草は、普段の厳しさとは違う、どこか柔らかいものだった。

 その変化に、一夏は少しだけ安心する。

 

「さて、私に話と言う事だが──なんだ、ついにセシリアと付き合う決心でもしたか」

 

 前に、シャルロットの事を相談しに行った時もこんな事を言われたな、と一夏はぼんやりと思った。

 セシリアが肩をびくっと震わせ、顔を赤くして俯く。

 スカートを掴んだ手が強張るのが自分でもわかった。

 一夏はセシリアを見て、胸の奥がきゅっと締め付けられた。

 守りたいと思った。

 その気持ちが、今日ここに千冬を呼んだ理由のすべてだった。

 

「ああ。俺は、セシリアと一緒に歩みたい」

「……ほう」

 

 千冬の眉がわずかに上がる。

 驚きというより、弟の成長を測るような、静かな興味の色だった。

 

「セシリアが最初にどんな思惑で来たのかは知っている。でも、今のセシリアはそんな事は考えてない。それに、俺は世界で唯一の男性操縦者で、セシリアはイギリスの代表候補生で──」

 

 そこで一夏は一度言葉を切り、拳を軽く握った。

 

「──だからこそ、ちゃんと向き合いたいんだ。立場とか、周りの期待とかじゃなくて……俺自身の気持ちで」

 

 セシリアは息を呑んだ。

 胸の奥が熱くなる。

 自分の手が震えているのがわかる。

 千冬はコーヒーを一口飲み、静かにカップを置いた。

 

「……それが、お前が逃げずに考えた答えなんだな」

 

 その声音は厳しいが、どこか柔らかさが混じっていた。

 その変化に、セシリアの胸がじんわりと温かくなる。

 

「セシリア」

「は、はいっ」

「お前も、それでいいんだな?」

 

 セシリアは迷わず頷いた。

 瞳に、揺るぎない光が宿っている。

 

「はい。わたくしは……一夏さんと共に歩みたいと、心から思っていますわ」

 

 千冬は二人を見比べ、ふっと息を吐いた。

 

「……まったく。弟の恋路に、どうして私が呼ばれるんだか」

「いや、千冬姉にはちゃんと伝えておきたくて……」

「わかっている。だから来たんだ」

 

 千冬は腕を組み、少しだけ視線をそらす。

 その横顔には、姉としての複雑な感情が滲んでいた。

 

「それで? 話と言うのはそれだけではないんだろう?」

「ああ。セシリアの両親に、ちゃんと挨拶したくて……」

「挨拶、か」

 

 千冬は立ち上がり、コーヒーの香りが残る空気の中で二人を見下ろした。

 

「良いだろう。外出の許可は私が取っておく。夏休み中で良いな?」

 

 その言葉に、一夏の胸が一気に軽くなる。

 セシリアもほっと息を吐き、肩の力が抜けていくのがわかった。

 部屋の空気が、さっきまでより少しだけ柔らかくなる。

 

「ただし──」

 

 その目が鋭く光った。

 

「向こうで問題を起こしたら、イギリスだろうがどこだろうが迎えに行って、引きずってでも帰ってくるとしよう」

「起こさねえよ!」

「冗談、だ」

 

 一夏の即答に、千冬はわずかに口元を緩めた。

 

「……まあ、楽しんでこい。セシリアを泣かせるなよ」

 

 セシリアは胸の前で手をぎゅっと握りしめた。

 千冬の言葉は厳しいけれど、そこには確かな信頼がある。

 その信頼が、セシリアの胸の奥に温かく広がっていく。

 

「ありがとうございます、織斑先生」

 

 言ってから、セシリアがあっと声を漏らす。

 

「わたくし、これから織斑先生の事なんてお呼びすればよろしいでしょうか……」

「仕事中でなければ好きに読んで構わない。千冬さんでも、一夏の様に千冬姉でも」

「じゃ、じゃあ──」

 

 おずおずとセシリアが口を開く。

 

「千冬姉さまで……」

 

 その言葉を口にした瞬間、セシリアの耳まで真っ赤になった。

 自分でも何を言っているのか、恥ずかしさで胸がいっぱいになる。

 その信頼が、胸の奥に温かく広がっていく。

 千冬は目を見開き、ほんの一瞬だけ固まった。

 普段なら絶対に見せないような、驚きの色。

 だがすぐに、その表情は静かなものへと戻る。

 

「……ああ。一夏をよろしくな、セシリア」

 

 短い言葉。

 けれど、その奥に込められた信頼と、弟を託す姉としての想いが、セシリアの胸にまっすぐ届いた。

 セシリアは深く頭を下げる。

 その姿は、どこか誇らしげで、そして少しだけ涙ぐんでいるようにも見えた。

 

「はい。必ず……」

 

 一夏はそんな二人を見ながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

 姉と恋人が向き合い、言葉を交わし、そして認め合う──

 それは、彼にとっても大きな一歩だった。

 この瞬間を、きっと一生忘れない。一夏は強く思った。

 千冬は最後にコーヒーを飲み干し、カップを静かに置く。

 

「……では、私は戻る。二人とも、夜更かしはするなよ。それと、学生としての節度は守るように」

 

 千冬が部屋から出るのを確認した一夏は、緊張の糸が切れたように、深く息を吐いた。

 セシリアも同じタイミングで息をつき、二人の視線が自然と重なる。

 その瞬間、張り詰めていた空気がふわりと溶けていった。

 互いの存在が、こんなにも心を軽くするのだと改めて知る。

 

「……緊張しましたわ」

 

 セシリアが胸に手を当て、ほっとしたように微笑む。

 その頬はまだ少し赤い。

 

「千冬姉にあんな話するんだから、そりゃ緊張もするよな」

 

 一夏が頭をかきながら笑うと、セシリアもつられて笑った。

 けれど、その笑顔はどこか照れくさくて、嬉しさが隠しきれていない。

 二人の距離が、またひとつ近づく。

 

「でも……良かったですわ。千冬姉さまが、認めてくださって」

「……お前、本当にその呼び方でいくのな」

「何か文句でも?」

「ないですとも、はい」

 

 セシリアはベッドの端に座り直し、スカートの裾を整える。

 その仕草はどこか落ち着かず、けれど幸せそうでもあった。

 千冬の飲み終わったカップを片付ける一夏の背中にセシリアが言葉を投げる。

 

「一夏さん」

「ん?」

 

 呼ばれた一夏が振り向くと、セシリアはまっすぐに彼を見つめていた。

 その瞳には、揺るぎない想いが宿っている。

 

「本当に……一緒に来てくださるのですね?」

「当たり前だろ。お前、俺が一度行くと言っておいて、ひっくり返すような男に見えるのか?」

 

 即答する一夏に、セシリアの胸がまたきゅっと締め付けられる。

 嬉しくて、少しだけ泣きそうになる。

 その言葉が、どれほど心強いか。

 

「……ありがとうございます」

「……まあ、俺だって、セシリアの両親にちゃんと挨拶したいし……」

 

 言いながら、一夏の耳が赤くなる。

 セシリアはその変化に気づき、思わず口元を押さえた。

 

「ふふっ……照れてますわね?」

「うるさいな……」

 

 むくれる一夏に、セシリアはそっと身を寄せる。

 距離が縮まる。

 手を伸ばせば触れられるほどに。

 心臓の鼓動が、互いに聞こえてしまいそうなほど近い。

 

「でも……嬉しいですわ」

 

 その言葉は、まるで囁きのように優しく響いた。

 一夏は少しだけ視線をそらし、けれど逃げずに言う。

 

「……お前の事が好きなんだから、当たり前だろ」

 

 言った瞬間、一夏は自分の心臓が跳ねるのを感じた。

 セシリアの頬が赤く染まり、瞳が潤む。

 その反応が嬉しくて、恥ずかしくて、どうしようもなく愛おしい。

 二人の間に流れる空気が、甘く、温かく満ちていく。

 夏の夜はまだ始まったばかり。

 けれど、その夜風は確かに──二人の未来へと続く道を、そっと照らしていた。

 

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