ちょっと大人なインフィニット・ストラトス   作:たんたんたんめん@オルコッ党員

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灰色の空に寄り添って

 エプロンに停められた白い機体は、民間機とは明らかに違う存在感を放っていた。

 艶やかな曲線を描く胴体、無駄のないライン。

 そして尾翼に刻まれたオルコット家の紋章――その紋章を見た瞬間、一夏の胸に、言葉にできない圧がのしかかった。

 

(これプライベートジェットってヤツだろ? ……こいつ、やっぱガチのマジでお嬢様じゃねえか)

 

 自分の立っている場所が、急に現実味を失っていく。

 場違いだという感覚が、じわじわと背中を冷やした。

 

「……これ、俺が本当に乗っていいヤツ? 不審者として撃たれたりしないよな?」

「もちろんですわ。一応、わたくしの家の所有物ですもの」

 

 セシリアは当然のように言ったが、その横顔にはどこか誇らしさと、少しの照れが混じっていた。

 一夏はその表情を見て、胸の奥がざわつくのを感じる。自分とは違う世界に生きてきた彼女が、こうして自分を招き入れてくれている。その事実が、嬉しいような、怖いような、複雑な感情を呼び起こす。

 タラップを上がり、機内に足を踏み入れた瞬間、一夏は完全に固まった。

 広い。

 そして、豪華すぎる。

 革張りのシートはゆったりと配置され、奥には簡易キッチンまである。

 天井の間接照明が柔らかく光り、まるで高級ホテルのラウンジのようだった。

 一夏の知っている飛行機という概念が、音を立てて崩れていく。

 

「……いや、これ……俺、絶対場違いだろ」

「そんなことありませんわ。一夏さんはわたくしの大切な……その……パートナーですもの」

 

 セシリアが言い淀む。

 その頬がほんのり赤いのを見て、一夏は余計に落ち着かなくなった。

 「パートナー」という言葉が耳に残り、心臓が一瞬だけ跳ねた。

 その響きが、妙に現実味を帯びて胸に沈む。

 離陸してしばらくすると、機体は安定し、静かな時間が流れ始めた。

 窓の外には雲海が広がり、エンジン音は驚くほど静かだ。

 一夏は深く息を吐いた。

 

「こういうのも慣れてかないとかあ……」

 

 自分でも驚くほど弱々しい声が出た。

 セシリアはそんな一夏を見て、くすりと笑う。

 

「千冬姉さまが現役の時には、遠征の際にこういった移動はされていませんでしたの?」

 

 その呼び方は相変わらず慣れないな、と一夏は思ったがあえて口にはしなかった。

 

「千冬姉が代表やってた時も他のスタッフとかと専用機で移動してたけど、ここまで豪華じゃなかったぞ」

「そうですの? 千冬姉さまほどの方なら、もっと良い環境をご用意されてもよかったのに」

「いや、まあ千冬姉はそういうの興味ないからな。必要最低限で十分ってタイプだし」

「……そこはやはり、姉弟ですわね」

「まあ、幼い子供二人で生きてきたんだ。そういう考えにもなるだろ」

 

 会話を交わすうちに、一夏の緊張が少しずつほどけていく。

 しばらくして、機内前方のカーテンが静かに揺れた。

 シンプルな黒のスーツに身を包んだ男性が姿を現す。

 オルコット家専属のフライトアテンダントらしい。

 

「織斑様。お飲み物はいかがなさいますか。コーヒー、紅茶、ジュースもご用意できます」

 

 丁寧すぎる対応に、一夏は反射的に背筋を伸ばした。

 

「え、あ……じゃあ、コーヒーを……」

 

 慣れない丁寧な対応に、一夏は思わず背筋を伸ばす。

 男性は軽く会釈し、静かに準備を始めた。

 その所作の一つひとつが洗練されていて、一夏はますます落ち着かなくなる。

 

「……そういや、チェルシーさんだっけ? 彼女は一緒じゃないんだな」

 

 セシリアから一番信頼のおける使用人と一夏は聞いていた。

 年齢も、セシリアの三歳ほど年上で、実の姉の様に慕っているとも。

 故に、この迎えの飛行機にも彼女がいると一夏は思っていた。

 セシリアが少しだけ目を瞬かせる。

 

「チェルシーには基本、本国での執務も取り扱っていただいておりますので」

 

 そこへ、先ほどの男性がコーヒーを運んできた。

 香ばしい香りがふわりと漂い、一夏は深く息を吸う。

 

「どうぞ。織斑様のお口に合えばよいのですが」

 

 最後に付け加えられた一言に、一夏が苦笑いを浮かべる。

 

「ありがとうございます。──もしかして、俺の趣味のことセシリアから聞いてます?」

「ええ。人並ならぬこだわりがあるとお嬢様から伺っております」

 

 そんな大げさな、と思いつつ一夏はコーヒーを口に運ぶ。

 口の中にフルーティーな酸味が広がり、鼻の奥を華やかな香りが抜ける。

 

「キリマンジャロAAですか」

「ご明察の通りです」

 

 恭しく首を垂れる使用人に一夏は居心地が悪くなる。

 そういえば、初めてセシリアにコーヒーを振舞った際もキリマンジャロAAをベースにしたブレンドを試したっけと一夏は思い出す。

 あの時は、ただのクラスメイトに淹れただけだった。

 それがまさか、こんな関係になるとは思っていなかった。

 

「お国柄と言いましょうか。やはり我々、本国の客人には紅茶を嗜む方が多く、コーヒーのレパートリーが少ないのです。海外の客人を振舞う際にどういったコーヒーを用意すればよいか、織斑様のご見識を賜れればと」

「いや、そんな。自分のはただの趣味の様なモンですし、お力になれるとは……」

「あら? 一夏さんの振舞うコーヒーはどこに出しても恥ずかしくないと思いますわ。わたくしも、様々な場でコーヒーをいただいた事がありますが、負けてませんわ」

「……そんなに褒められるほどじゃないって。俺なんか、ただ好きで淹れてるだけだし」

 

 セシリアは一夏の反応に満足げに微笑んだ。

 

「好きだからこそ、でしょうね。一夏さんのコーヒーは、気持ちがこもっていますもの」

 

 さらりと言われ、一夏は思わず視線をそらした。

 窓の外には、夕陽を受けて金色に染まる雲海が広がっている。

 その光景は、まるで別世界のようだった。

 自分が今どこへ向かっているのか、そして誰と一緒にいるのか――その事実が胸の奥で静かに重みを増していく。

 

「お嬢様、織斑様。まもなくロンドン上空に入ります。着陸は三十分後を予定しております」

「ありがとうございます」

 

 セシリアが微笑み、一夏も軽く会釈する。

 男性が去ると、セシリアはふと一夏の方へ身体を預けた。

 

「……緊張、していらっしゃいます?」

「そりゃ、まあ……緊張しない方が無理だって」

「大丈夫ですわ。一夏さんなら、きっと」

「……根拠は?」

「わたくしが好きになった方ですもの。それ以上の理由が必要ですの?」

 

 その言葉に、一夏は返す言葉を失った。

 胸の奥が熱くなり、視線をそらすしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 ロンドンの空は、どこか重たく、それでいて荘厳な灰色をしていた。

 空港の到着ロビーに足を踏み入れた瞬間、セシリアは懐かしさと緊張が入り混じったような表情を浮かべる。

 

「……帰ってきましたわね」

 

 一夏は隣でスーツケースを引きながら、周囲を見回した。

 

「なんか……空気が日本と違うな。湿気が少ないっていうか」

「ふふ、イギリスはそういう国ですわ」

 

 そんな会話を交わしていると、メイド服に身を包んだ女性が静かに歩み寄ってきた。

 

「お嬢様。お帰りなさいませ」

「チェルシー!」

 

 セシリアがぱっと表情を明るくする。

 チェルシーは深く一礼し、次に一夏へと視線を向けた。

 

「織斑様も遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ……よろしくお願いします」

 

 丁寧に頭を下げる一夏。

 チェルシーはその様子を見て、ふっと柔らかく微笑んだ。

 

「お嬢様から、あなたのことはよく伺っております。……とても、大切な方だと」

「ありがとうございます。チェルシーさんも、セシリアから姉の様に慕っていると、聞いてます」

 

 二人のやり取りに、セシリアは思わず苦笑した。

 

「織斑様」

 

 チェルシーが一歩近づき、丁寧に頭を下げる。

 

「お嬢様が日本でどれほど楽しそうに過ごされていたか……、何度もお話を伺いました。ですから、こうしてお会いできて光栄です」

 

 チェルシーの言葉は静かで、けれど温かかった。

 その声音には、長年仕えてきた者にしか持ち得ない深い情が滲んでいる。

 チェルシーの言葉に、一夏はどう返せばいいのか分からず、ただ小さく頭を下げるしかなかった。

 その様子を見て、チェルシーはどこか安心したように微笑む。

 

「では、お嬢様。お車の方へご案内いたします」

「ええ、お願いしますわ」

 

 空港の自動ドアを抜けると、外の空気はひんやりとしていて、どこか凛とした匂いがした。

 ターミナル前の車寄せには、黒塗りの大型セダンが静かに待機している。

 その佇まいだけで、一般のタクシーとはまるで違うことが分かった。

 

「……これまた、すげぇ車だな」

「当然ですわ。お客様をお迎えするのに、粗末な車では失礼ですもの」

 

 セシリアが胸を張る。

 その横でチェルシーが控えめに補足する。

 

「お嬢様のご帰国に合わせて、特別に整備を済ませております。乗り心地は保証いたします」

 

 ドアが開けられ、一夏は恐る恐る後部座席に乗り込んだ。

 柔らかい革のシートが身体を包み込み、思わずため息が漏れる。

 

「……なんか、今日だけで人生のランクが三段階くらい上がった気がするぞ」

 

 セシリアが隣に座り、軽く肩を寄せてくる。

 その距離の近さに、一夏はまた心臓が落ち着かなくなる。

 車が静かに発進し、ロンドンの街並みが窓の外を流れていく。

 古い建物と近代的なビルが混ざり合い、どこか重厚で、歴史の匂いがした。

 

「……ここが、セシリアの生まれた街か」

「ええ。わたくしの大切な場所ですわ。そして──」

 

 セシリアは一夏の方へ視線を向ける。

 

「これからは、一夏さんの思い出の場所にもなりますわね」

 

 その言葉に、一夏は返事ができなかった。

 胸の奥がじんわりと熱くなり、喉が詰まる。

 

「……こうして帰ってこられて、本当に嬉しいですわ。一夏さんと一緒に」

 

 その小さな声は、車の静寂に溶けていくようだった。

 一夏は窓の外に視線を向けたまま、そっと答える。

 

「……俺も、来れてよかったよ。セシリアの……大事な場所に」

 

 セシリアの肩が、わずかに震えた。

 それが嬉しさなのか、安堵なのか、一夏には分からない。

 ただ一つだけ確かなのは──

 この旅が、自分にとっても大きな意味を持つものになるという予感だった。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 空港から車でしばらく走ると、ロンドン郊外の静かな丘陵地帯へと入った。

 街の喧騒が遠ざかり、代わりに深い緑と古い石壁が続く。

 曇り空から落ちる柔らかな光が、どこか時間の流れをゆっくりにしているようだった。

 

「……なんだか、落ち着く所だな」

「ええ。わたくしも、小さい頃から好きな場所ですの」

 

 セシリアの声は、普段より少しだけ落ち着いていた。

 やがて、黒い鉄柵に囲まれた古い墓地が見えてくる。

 車を降りると、柔らかな風が頬を撫でた。

 鳥の声と、木々が揺れる音だけが響く

 

 「……こちらですわ」

 

 セシリアはゆっくりと歩き、並んで建つ二つの墓石の前で足を止めた。

 一夏は自然と歩幅を落とし、彼女の後ろに立った。

 白い大理石に刻まれた名前を見て、一夏は自然と背筋を伸ばす。

 

「……お母様。そして、お父様、お久しぶりですわね」

 

 セシリアは膝をつき、そっと花束を供えた。

 その仕草は、普段の彼女からは想像できないほど慎ましく、どこか幼さすら感じさせる。

 

「……セシリア」

「はい?」

「無理してないか?」

 

 セシリアは一瞬だけ目を瞬かせ、ふっと微笑んだ。

 

「……一夏さんは、そういうところだけ鋭いですわね」

「だけは余計だっての」

「大丈夫ですわ。ここに来ると、少し胸が締めつけられるだけですもの」

 

 セシリアは墓石に触れ、優しく撫でる。

 

「お母様は……とても優しくて、強い方でした。お母様の好きなところ、素敵なところ。数えきれないほど語れますわ」

 

 でも、と続ける。

 

「お父様の事は何も知りません……でも、お母様が選んだ方ですから、良いところも沢山あったのだと思いますわ」

 

 後悔の色が声に滲む。

 もっと父の事を知りたかった。

 

「……二人とも、セシリアのことを大事にしてたと思うよ」

「ええ。そう信じていますわ」

 

 セシリアはゆっくりと立ち上がり、一夏の方へ向き直る。

 

「……一夏さん。こちらへ」

 

 一夏は頷き、墓前に立つ。

 

「織斑一夏です。セシリアには……本当に、助けられてばかりで。まだまだ頼りないですけど……」

 

 言葉を探しながら、墓石に向かって頭を下げた。

 

「……これからも、できる限り支えたいと思っています」

 

 セシリアが小さく息を呑む気配がした。

 

「……一夏さん」

「ん?」

「その……ありがとうございます。わたくし……誰かをここに連れてくるのは、初めてですの」

「そうなのか?」

「ええ。両親に……誰かを紹介するなんて、考えたこともありませんでしたわ。でも……一夏さんなら、と思えたのです」

 

 一夏は言葉を失った。

 胸の奥が熱くなる。

 

「……そんな大事な場所に、俺なんかでいいのかよ」

なんか(・・・)ではありませんわ」

 

 セシリアは一歩近づき、まっすぐに一夏を見つめた。

 

「わたくしが……連れてきたいと思ったのですもの」

 

 その瞳は揺らぎなく、真剣だった。

 一夏は照れくさくなり、視線をそらす。

 

「……そっか」

「はい。お母様も、そしてお父様も……きっと喜んでくださいますわ」

 

 風が吹き、木々がざわめく。

 まるで二人を祝福するように、柔らかな光が差し込んだ。

 

「……そろそろ行きましょうか。一夏さん」

「もういいのか?」

「ええ。両親はいつだってわたくしのそばにいてくれる。そう思いますから」

 

 セシリアは最後にもう一度墓石へ微笑みかけ、静かに頭を下げた。

 墓地を後にし、二人は並んで歩き出した。

 足元の小道には細かな砂利が敷かれ、踏みしめるたびに小さな音が響く。

 その音が、静かな丘陵地帯に心地よく溶けていった。

 セシリアは歩きながら、そっと胸元に手を添える。

 

「……不思議ですわね。毎回ここに来ると、胸がぎゅっとするのに……今日は、それだけじゃありませんの」

「そう、か」

「ええ。なんだか……軽くなった気がしますわ。心が」

 

 セシリアはそう言って、少し照れたように笑った。

 その横顔は、どこか晴れやかで、先ほどまでの緊張が嘘のようだった。

 

「一夏さんが一緒だったから、でしょうね」

「俺は何もしてないけどな」

「いてくださるだけで、十分ですわ」

 

 その言葉に、一夏は返す言葉を失う。

 ただ、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。

 駐車場へ向かう途中、少し離れた場所でチェルシーが静かに待っていた。

 彼女は二人の姿を見つけると、穏やかな微笑みを浮かべる。

 

「お嬢様。織斑様。お疲れではありませんか?」

「大丈夫ですわ、チェルシー。……ありがとう」

 

 セシリアが微笑むと、チェルシーは深く頷いた。

 

「お嬢様があの場所から帰ってこられて、穏やかな表情をされるのは初めての事ですね」

「そうかしら?」

「ええ。お嬢様が日本でどれほど変わられたか、よく分かります」

 

 チェルシーの視線が、一夏へと向けられる。

 その目は優しく、しかしどこか試すようでもあった。

 

「織斑様。……お嬢様を、どうかこれからも支えて差し上げてくださいませ」

 

 一夏は一瞬だけ戸惑ったが、すぐに真っ直ぐに頷いた。

 

「……俺にできることなら、なんでも」

 

 その言葉に、チェルシーは満足げに微笑む。

 

「ありがとうございます。お嬢様は……とても強い方ですが、同時に、とても繊細な方でもあります。どうか、そのことを忘れずに」

「チェルシー、もういいですわ」

 

 セシリアが頬を赤らめ、軽く抗議する。

 その様子に、一夏は思わず笑ってしまった。

 

「……なんですの、一夏さん」

「いや、なんか……セシリアらしいなって」

「もうっ……!」

 

 セシリアはぷいと横を向くが、その耳はほんのり赤い。

 そんな彼女の姿が、どこか愛おしく感じられた。

 車へ戻る途中、ふとセシリアが立ち止まる。

 

「……一夏さん」

「ん?」

「わたくし……今日、ここに来てよかったと思っていますわ。そして──あなたと来られて、本当に嬉しかった」

 

 一夏は少しだけ照れながらも、素直に答えた。

 

「俺もだよ。セシリアの大事な場所に、一緒に来れて」

 

 セシリアはゆっくりと微笑む。

 その笑顔は、曇り空の下でも不思議と明るく見えた。

 

「……では、帰りましょうか。お屋敷で、ゆっくりしていただきませんと」

「お屋敷……。もう何が出てきても驚かないぞ、俺は」

「ふふ、緊張なさらなくても大丈夫ですわ。一夏さんなら、きっと大丈夫ですもの」

 

 その言葉に、一夏はどこからその自信が来るんだよ、と苦笑しながらも頷いた。

 こうして二人は並んで車へと戻っていく。

 その距離は、来た時よりもさらに近く、自然なものになっていた。

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