ちょっと大人なインフィニット・ストラトス 作:たんたんたんめん@オルコッ党員
オルコット家の屋敷は、まるで歴史そのものが形を成したような重厚さを持っていた。
広大な庭園は手入れが行き届き、古い石造りの壁には蔦が絡まり、長い年月を静かに語っている。
玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、一夏は思わず息を呑んだ。
高い天井。
磨き上げられた大理石の床。
壁には古い絵画が並び、中央には大きなシャンデリアが静かに輝いている。
「……すげぇな。映画で見る貴族の家って感じだ」
ソファに腰を下ろした一夏は、落ち着かない様子で周囲を見回す。
座り心地は抜群なのに、逆に緊張して背筋が伸びてしまう。
「ふふっ、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですわ」
「飛行機や車は移動だけだったからまだ良かったけど、ここで過ごしてたら俺、絶対なんか壊しそうなんだが」
「ご安心を、壊されても大丈夫な物しか置いてないですわ。……たぶん」
「たぶんって言うなよ!」
セシリアはくすりと笑い、隣に腰を下ろす。
その笑顔は、屋敷の格式ばった空気を少しだけ柔らかくしてくれた。
そこへ、チェルシーが静かに歩み寄る。
黒いスカートの裾が揺れ、所作の一つひとつが洗練されている。
「お嬢様、織斑様。お疲れでしょう。お飲み物をご用意いたします」
「あ、ありがとうございます……」
丁寧すぎる対応に、一夏はまた背筋を伸ばす。
チェルシーは微笑みを浮かべ、控えめに頭を下げた。
「織斑様。どうか肩肘を張らずに。ゆるりとおくつろぎ下さい」
「……善処します、としか言えませんね」
チェルシーは軽く会釈し、飲み物の準備へと下がっていく。
広いホールに二人きりになると、セシリアはそっと一夏の袖をつまんだ。
「……本当に、緊張していらっしゃるのですね」
「そりゃするだろ。こんな場所、人生で初めてだし」
「あなたなら、どこへ行っても普段通り過ごせそうですのに」
「……俺の事をなんだと思ってんだお前」
「鈍感な一夏さんなら、と」
セシリアのからかう様な言葉に、一夏は口を噤むしかできなかった。
「ここは、わたくしの
「……なんか、薄々思ってたけど、お前の愛情表現なんか重くね?」
「重くて結構ですわ。わたくしの気持ちですもの」
セシリアは胸を張って言い切る。
その姿に、一夏は思わず笑ってしまった。
「……ほんと、強いよな。セシリアは」
「当然ですわ。オルコット家の当主ですもの」
そう言いながらも、彼女の横顔にはどこか照れが滲んでいた。
その時、チェルシーがトレイを手に戻ってくる。
「お待たせいたしました。紅茶と……織斑様にはコーヒーをご用意いたしました」
「あ、コーヒー……ですか?」
「お嬢様から伺っておりますので」
チェルシーは微笑みながらカップを差し出す。
一夏は受け取りながら、セシリアの方を見る。
「……お前、また余計なこと言っただろ」
「余計ではありませんわ。大事な情報ですもの」
照れからか、一夏は顔を赤くしながらも、コーヒーを一口飲んだ。
香り高く、丁寧に淹れられた味が広がる。
「……旨いな」
「それはよかったですわ」
セシリアが嬉しそうに微笑む。
その笑顔を見て、一夏の緊張は少しずつほどけていった。
温かい紅茶とコーヒーの香りが広がるホールで、しばしの静寂が流れた。
一夏がようやく落ち着き始めた頃、セシリアはそっとカップを置き、姿勢を正した。
「……一夏さん。今回の帰国ですが、実はお墓参りだけが目的ではありませんの」
セシリアが、少しだけ表情を引き締める。
「もう一つ……いえ、わたくしにとってはこちらの方が
一夏は思わず身を乗り出す。
セシリアはその反応に微笑み、しかしすぐに真剣な瞳へと戻った。
「わたくしの駆るブルー・ティアーズ──その試作二号機の立ち合いがありますの」
その言葉に、一夏は一瞬言葉を失った。
ブルー・ティアーズ。
セシリアが駆る、英国製の高性能遠距離支援型IS。
その試作二号機となれば、ただの改良機ではないだろう。
「二号機の稼働視察が、明日行われますの。わたくしはその立ち合いのために……本国へ戻ってきました」
「……そうだったのか」
「はい。もちろん、お墓参りも大切な目的ですわ。でも──」
セシリアは一夏の方へ身体を向け、まっすぐに見つめる。
「一夏さんにも……見ていただきたかったのです。わたくしが、どんな戦い方をしてきたのか。そして……これから、どこへ向かおうとしているのか」
一夏の胸が強く締めつけられる。
その瞳には、誇りと、覚悟と、そしてどこか不安の影が混じっていた。
「セシリア……」
「わたくしは、あなたに隠し事をしたくありませんの。あなたが……わたくしの隣にいてくださるのなら、なおさら」
その言葉は、静かで、しかし揺るぎないものだった。
そこへ、チェルシーが控えめに口を開く。
「ブルー・ティアーズ二号機は、英国が総力を挙げて開発したものです。織斑様にも、ぜひご覧いただきたいと、関係者も申しておりました」
「俺も……ですか?」
一瞬、狼狽えた一夏だったが、すぐにその思惑に気付く。
関係者、その中にはセシリアに命令を下した人間もいるのだろう。
セシリアの「どんな戦い方をしてきたのか」という言葉。それはきっと、ISに係わる事だけではないのだ。
一夏は深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。しっかりと見させてもらうよ」
☆☆☆
翌朝。
オルコット家の車列は、ロンドン郊外のさらに奥へと進んでいった。
街並みが途切れ、広大な草原が広がる。
その先に、まるで地平線に溶け込むように巨大な複合施設が姿を現した。
「……あれが、英国軍研究局……?」
「ええ。正式名称は“英国軍先端兵装研究局”。わたくしのブルー・ティアーズも、ここで生まれましたの」
セシリアの声は誇らしげで、どこか緊張も含んでいた。
施設は、軍事基地と研究所を合わせたような異様な規模だった。
高いフェンス、監視塔、そして厳重なゲート。
近代的なガラス張りの建物が並ぶ一方で、地下へ続く巨大なエレベーター施設も見える。
車がゲート前で止まると、武装した兵士が数名近づいてきた。
その視線は鋭く、まるで一夏の存在を一瞬で見透かすようだった。
「オルコット家ご一行、確認しました。どうぞお通りください」
ゲートがゆっくりと開く。
車列が進むと、施設内の広さに一夏は思わず息を呑んだ。
「……なんか、空気が違うな。ピリッとしてるっていうか」
「当然ですわ。ここは英国軍の中でも、最も機密性の高い場所の一つですもの」
セシリアの言葉通り、施設内には軍服姿の兵士や研究員が忙しなく行き交い、そのどれもが緊張感をまとっている。
車が中央棟の前で止まると、スーツ姿の男性たちが数名待ち構えていた。
その中には、一夏もテレビで見たことのある英国の政治家の姿もある。
「……おいおい、マジかよ。政治家まで……?」
「ブルー・ティアーズの開発・運用は、国家プロジェクトですもの。政治家の方々も視察にいらっしゃるのは当然ですわ」
セシリアは涼しい顔で答えるが、一夏の緊張は増すばかりだった。
車を降りたセシリア達にスーツの男たちが近づき、恭しく口を開く。
「オルコット嬢。本日はお越しいただき感謝いたします。あなたのご協力なくして、この計画は成り立ちませんでした」
「こちらこそ、お招きいただき光栄ですわ」
セシリアは完璧な淑女の微笑みで応じる。
その姿は、普段の学校での彼女とはまるで別人のようだった。
そして、政治家の一人が一夏に視線を向ける。
「……こちらが、例の
「は、はい。織斑一夏です」
一夏は慌てて頭を下げる。
政治家は興味深そうに一夏を見つめ、口元に微笑を浮かべた。
「日本の英雄の弟君で、あなた自身も唯一のISを動かせる操縦者であられる。こうしてお会いできて光栄ですよ」
政治家の言葉に、一夏は丁寧に頭を下げた。
だが、その視線の奥にある
セシリアの横顔は微笑を保っていたが、その指先はわずかに震えていた。
緊張ではない。
覚悟を決めた者の、静かな強張りだ。
「良い機会ですので、ここでハッキリとさせていただきます。わたくしは――一夏さんが望まない限り、彼自身を差し出すつもりはありません」
オルコット家の代表者としてのセシリアの言葉が落ちた瞬間、
広いロビーの空気が、まるで氷点下まで冷え込んだかのように張りつめた。
政治家たちの表情は一様に固まり、研究員たちでさえ、手にしていた資料をめくる動作を止める。
誰もが、セシリアの
イギリスの国家プロジェクト。
その中心にいるオルコット家の令嬢が、
国家の要求よりも──一人の少年を優先すると言い切ったのだ。
政治家の一人が、静かに、しかし明らかに圧を込めて問い返す。
「……君の家がどうなっても? 君の会社が潰れても?」
セシリアの肩がわずかに揺れた。
その揺れは恐怖ではなく、怒りを抑え込むためのものだと、一夏には分かった。
だが、それよりも先に、一夏の中で何かが弾ける。
彼は一歩、前へ出た。
その足音は、広いロビーに不釣り合いなほど大きく響く。
「セシリアを脅すのは、やめてください」
その声は震えていなかった。
むしろ、静かで、鋭く、よく通る。
政治家たちの視線が一斉に一夏へ向けられる。
その圧力は、普通の高校生なら膝が折れてもおかしくないほどの重さだった。
だが、一夏は一歩も引かない。
セシリアの横顔が、わずかに驚きに揺れた。
「彼女を傷つけるなら、俺は一切、あなた方に協力はしません。なんなら……他の国にだけ協力する事だってできますよ」
ロビーの空気がざわりと揺れた。
政治家たちの表情が、明確に変わる。
少年の言葉は、ただの反抗ではない。
唯一の男性操縦者という立場を理解した上での、明確な意思表示だった。
「俺の情報を、色んな国が欲しがってるでしょうしね。でも、俺はセシリアの家を盾にする、そんな彼女を泣かせるような国に、協力する理由なんてありませんから」
政治家の眉がぴくりと動く。
そのわずかな反応が、彼らの焦りを物語っていた。
「……脅し、のつもりかね?」
一夏はゆっくりと首を横に振った。
その動作は、まるで当然だと言わんばかりに落ち着いていた。
「いいえ。俺はただ――セシリアを守ると言っているだけです」
セシリアの瞳が大きく揺れる。
その揺れは、驚きと、喜びと、そして……救われたような安堵が混じっていた。
チェルシーでさえ、わずかにだが目を見開き、一夏を見つめている。
一夏は続けた。
「逆に言えば、俺は……セシリアのためなら協力は惜しみません。──解剖とかは御免ですけど」
場の空気が一瞬だけ緩む。
だが、一夏の声はすぐに真剣さを取り戻した。
「あなた方がセシリアの味方でい続けてくれるのであれば、俺も協力は惜しみませんよ」
政治家と一夏の視線がぶつかる。
その視線は、互いの覚悟を測り合うように鋭く、重い。
沈黙が落ちる。
その沈黙は、数秒のはずなのに、永遠にも感じられた。
そして──
先に視線を逸らしたのは、政治家の方だった。
「……オルコット嬢。先ほどまでも発言は撤回し、謝罪させていただきます。──素晴らしいパートナーを得たようで」
セシリアは胸を張り、誇らしげに微笑んだ。
その微笑みは、どこか勝ち誇ったようでもあり、同時に、一夏への深い信頼をそのまま形にしたようでもあった。
「ええ」
その一言には、揺るぎない確信と、隠しきれない幸福が滲んでいた。
そして一夏は、そんな彼女の横顔を見つめながら──
自分の胸の奥に、静かに、しかし確かに灯るものを感じていた。