ちょっと大人なインフィニット・ストラトス 作:たんたんたんめん@オルコッ党員
紫の残光が完全に消え、格納庫にはようやく静寂が戻った。
白式の装甲が軋む音だけが、まだ戦闘の余韻を伝えている。
一夏は深く息を吐き、雪片を下ろした。
「……逃げられた、か」
セシリアが駆け寄り、一夏の腕を掴む。
「一夏さん! お怪我は……?」
「俺は大丈夫だ。白式が守ってくれたし」
そう言いながらも、一夏の表情には明らかな動揺があった。
あの少女──ゼフィルスのパイロットが残した言葉が、頭から離れない。
(俺を知ってるみたいな……)
そこへ、ハリントンが部下を率いて駆け寄ってきた。
格納庫の惨状を見て、彼は苦々しい表情を浮かべる。
「……織斑殿、オルコット嬢。無事で何よりだ」
「准将、ゼフィルスは……?」
「完全に消えた。追跡信号も反応なしだ。あれは……通常のISではない。軍のセンサーを欺くなど、あり得ん」
ハリントンは拳を握りしめた。
「それに……あの女。軍のセキュリティを突破し、ゼフィルスを起動させた」
一夏とセシリアは顔を見合わせる。
「……束さん、ですよね」
一夏が呟くと、ハリントンは渋い顔で頷いた。
「篠ノ之束……あの女の関与は、ほぼ確実だ。だが、目的が読めん。なぜゼフィルスを……わざわざ我が軍の機体を強奪しなくとも、好きなだけ作れるだろう?」
一夏は答えられなかった。
少女の言葉が、胸の奥に刺さったままだ。
ハリントンは一夏の沈黙に気づき、わずかに眉を寄せた。
「……織斑殿。何か心当たりが?」
「い、いえ……ただ、妙なことを言われて……」
「妙なこと?」
セシリアが不安げに覗き込む。
一夏は言葉を飲み込んだ。あの少女の声が、まだ耳の奥に残っている。
その時だった。
──格納庫の照明が一瞬だけ明滅した。
「……またか?」
ハリントンが──否、全ての人間が警戒態勢に入る。
だが、次の瞬間、格納庫全体に柔らかい電子音が響いた。
聞き覚えのある、軽い調子の声。
『──あー、もしもーし。聞こえてるー?』
「っ……束さん!?」
天井のスピーカーから、束の声が流れた。
姿は見えない。だが、確実に
『いやぁ、びっくりしたでしょ? あの子、可愛いでしょ? ちょっと不器用だけど、頑張り屋さんなの』
セシリアが怒りを露わにする。
「あなた……何を企んでいますの!? なぜあの少女を使って、一夏さんを攫わせようとしたのですか!」
『攫わせる? そんな乱暴な言い方しないでよぉ。
「会いたがってた……?」
一夏が眉をひそめる。
「束さん、あいつは……俺の何を知ってるんだ?」
束はくすくすと笑った。
『さぁ? それは本人に聞いてみなよ。あの子、ずっといっくん達のことを探してたんだから』
「探して……?」
『うん。ずっと、ずーっとね。あなたが忘れてても、あの子は忘れてないよ』
一夏の心臓が跳ねた。
(忘れて……? 俺が……何を?)
束の声は、どこか優しく、しかし底知れない響きを帯びていた。
『今日は顔見せだけ。でもね、いっくん──
「束さん、あの少女は──」
『あの子のことは、いずれ分かるよ。だって……あなたたちは
その言葉を最後に、通信はぷつりと途切れた。
格納庫に再び静寂が訪れる。
一夏は拳を握りしめた。
胸の奥には、消えない不安と、奇妙な既視感が渦巻く。
(あの少女……俺を
答えはまだ、闇の中だった。
☆☆☆
紫の光が収束し、空間転移の揺らぎが消える。
少女──マドカはサイレント・ゼフィルスを纏ったまま、荒い息を吐いた。
「……っ、はぁ……はぁ……」
装甲に刻まれた白い裂傷が、じりじりと熱を帯びている。
痛みはない。
「……触れられた……」
震える指先で、裂傷の位置をなぞる。
一夏の雪片が刻んだ傷跡。
「やはり……あの力は特別だ……」
その言葉は、敗北の悔しさではなく、確信の震えだった。
と、柔らかな電子音が響く。
『お疲れさま、まーちゃん。初陣にしては上出来だったよぉ』
束の声だ。
マドカは顔を上げることなく、淡々と答えた。
「……邪魔が入った。あの女……セシリア・オルコット。あれがいなければ……連れていけた」
『ふふっ、嫉妬?』
「違う」
即答だった。
だが、そのセリフとは裏腹にその声にはわずかな棘があった。
「……あの女は、織斑一夏の
『それを嫉妬って言うんだけどねぇ』
束は楽しそうに笑う。
マドカはバイザーを外し、額に手を当てた。
現れた素顔は、織斑千冬がそのまま若返ったかのような。
「……うるさい。私はただ……願いを叶えたいだけだ」
『うん、知ってるよ。だからこそ、私は手を貸してるんだもん』
束の声は軽い。
だが、その奥には底知れない何かが潜んでいる。
「……織斑一夏は、一夏は、私を見てくれる存在」
マドカの声が震えた。
「なのに……どうして……どうして
束は少しだけ声の調子を落とした。
『まーちゃん。人はね、忘れる生き物なんだよ』
「……忘れない。私は忘れてない」
『うん。だからこそ、あなたは強い。でもね──いっくんは、まだ
マドカは目を閉じた。
胸の奥に、熱いものが込み上げる。
「……思い出させる。次は……必ず」
『うんうん、その意気だよ。その子も、あなたの気持ちに応えてるしねぇ』
ゼフィルスの装甲が、微かに紫の光を脈動させた。
まるでマドカの感情に寄り添うように。
「……織斑一夏。次は……逃がさない」
マドカは静かに目を開けた。
その瞳には、狂気ではなく──切実な
『じゃあ、帰ろっか。次の準備もしなきゃいけないし』
「……ああ。次こそ……」
ゼフィルスが静かに浮上し、闇の中へと消えていった。
☆☆☆
シャワーを浴びても、ベッドに横になっても、一夏の胸のざわつきは消えなかった。
(……なんなんだよ)
少女の声。
束の言葉。
『あなたが忘れてても、あの子は忘れてないよ』
その一言が、頭の奥で何度も反響していた。
(忘れてる……? 俺が……何を? それに──)
一夏は天井を見つめながら、ゆっくりと目を閉じた。
──暗闇。
──泣き声。
──小さな手。
「……っ!」
一夏は跳ね起きた。
心臓が早鐘のように打っている。
だが、そこから先がどうしても思い出せない。
まるで
「……おかしいよな」
自分でも気づかないうちに、声が漏れていた。
「俺……小さい頃の記憶が──」
気づけば、拳を握りしめていた。
(普通、こんなに覚えてないモンか? 小学校に入る前の事を何も覚えてないなんて……)
胸の奥が、妙に冷たくなる。
「……なんでだよ」
思い出そうとすると、頭の奥がじんと痛む。
まるで
(俺は……何かを忘れてる? あの少女は……その何かを知ってる?)
答えは出ない。
だが、確かに
一夏は深く息を吐き、額に手を当てた。
「……俺の記憶……本当に、俺のものなのか?」
その呟きは、誰に向けたものでもなかった。
ただ、胸の奥に渦巻く不安が、言葉になって漏れただけだった。
☆☆☆
その日、夢を見た。
暗い部屋。
機械の音。
紫色の光が、壁を淡く照らしている。
幼い子供が、泣いていた。
「……こわいよ……」
小さな手が、自分の手を握っていた。
温かくて、震えていて──必死に縋るような力。
「いちか……いちか……」
幼い少女の声。
泣きながら、それでも笑おうとしている。
「だいじょうぶ……おれがいるから……」
少女──マドカは、涙を拭いながら自分を見上げた。
「いちか……ずっと、いっしょ……」
目を覚ました彼は、何も覚えていない。