ちょっと大人なインフィニット・ストラトス 作:たんたんたんめん@オルコッ党員
翌朝。
ロンドン郊外にあるオルコット家の屋敷は、普段の優雅さとは違う、どこか張り詰めた空気に包まれていた。
セシリアは紅茶を前にしても落ち着かず、何度もカップを持ち上げては置き直す。
昨夜の戦闘の余韻が、まだ胸の奥に残っている。
指先には微かな震えが残り、紅茶の香りすら緊張を和らげてはくれなかった。
と、玄関ホールから重い足音が響いた。
「オルコット嬢、織斑殿。急な訪問、失礼する」
ハリントン准将が護衛を伴って現れた。
軍服を纏う彼の表情には、昨日の混乱を象徴するように深い疲労が滲んでいる。
その目の奥には、軍人としての覚悟と、事態の重さを理解している者だけが持つ陰りがあった。
セシリアは立ち上がり、礼を取る。
「准将……昨夜の件で、何か進展が?」
セシリアが立ち上がり、応接室へ案内する。
一夏も席を立ち、軽く頭を下げた。
「まず最初に伝えねばならんことがある」
ハリントンは書類を机に置き、重々しく言った。
「今回のサイレント・ゼフィルス強奪事件はアラスカ条約に基づき、外部への公開が義務付けられた」
セシリアの表情が強張る。
IS学園内で起きた事件であれば、隠匿する事は可能だが、ここは学園の外。隠匿することは許されない。
セシリアの胸に冷たいものが落ちる。
「公開……ということは、各国にも?」
「軍事機密ではあるが、条約上IS関連の重大事案は隠せん。特に今回は、軍施設への侵入、ISの強奪、そして……織斑殿が標的になった」
一夏は眉をひそめた。
となると、公開される情報は強奪された事だけにはとどまらない。
自分が世界規模の問題の中心に立たされているという現実が、じわじわと胸にのしかかってくる。
「俺が狙われた理由も、ですね」
「そうだ。各国は必ず
ハリントンは続けた。
「そしてもう一つ。この件を受けて──君の姉君が、イギリスに来たいと言っている」
「千冬姉が……?」
「彼女は調べたいことがあると言っていた。篠ノ之束が関与している事、そしてゼフィルスの操縦者について」
セシリアは驚きつつも、どこか納得したように頷いた。
ただの強奪事件なら千冬が出張ることはなかっただろうが、敵の目的は一夏に合った様に思う。
目的が一夏に会う為で、その為の手段として強奪事件を起こした様にセシリアは思う。
胸の奥に、説明のつかない不安が渦巻く。だが同時に、千冬が来るという事実が心強くもあった。
「千冬姉さまなら……当然ですわね。一夏さんが狙われたのですもの」
ハリントンは腕を組み、低い声で続けた。
「織斑殿。昨日の戦闘で、少女があなたを知っているようだったと」
一夏は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。
「……わかりません。でも……あいつの声を聞いた時、胸がざわついた。まるで……昔、どこかで会ったことがあるみたいで」
その感覚は曖昧で、霧の中に手を伸ばすような不確かさだったが、確かに心の奥を揺さぶった。
ハリントンは目を細める。
「失礼ながら、我々は貴殿の過去を調べさせてもらった。──貴殿の幼少期には不自然な空白がある。それは姉君も同様だ」
一夏は息を呑んだ。
(やはり……そうなのか)
胸の奥に沈んでいた疑念が、形を持って浮かび上がる。
知らないはずの過去が、自分の足元を揺らすような感覚に襲われた。
ハリントンは立ち上がり、二人を見渡した。
「アラスカ条約に基づき、我々は各国と情報共有を行う。だが、ゼフィルスを強奪した彼女の正体は依然不明なままだ」
セシリアが拳を握る。
「彼女……一夏さんを狙っていました。理由がわからないままでは……また襲われるかもしれませんわ」
「その通りだ。だからこそ、織斑千冬の協力は大きい」
ハリントンは一夏に視線を向けた。
「織斑殿、オルコット嬢。これからの数日間は、軍の護衛を増やす。特に織斑殿は、単独行動を控えてもらう」
異論はありませんな? と続けた准将に、セシリアは頷きを返す。
セシリアとて、その重要性は痛いほどわかっている。
昨日、要求を跳ね除けた時とは状況が変わり過ぎている。
「織斑殿。あなた自身が、この事件の鍵だ。覚悟しておいてくれ」
一夏はゆっくりと頷いた。
「……わかりました」
応接室に静寂が落ちた。
外では護衛の兵士たちが配置につく気配があり、屋敷全体がまるで要塞のように緊張を帯びていく。
その音ひとつひとつが、一夏の胸に重く響いた。
一夏は拳を握りしめ、胸の奥に渦巻く不安を押し込める。
「……俺が鍵、か」
呟きは小さかったが、セシリアにははっきり聞こえた。
彼女はそっと一夏の隣に立ち、迷いのない瞳で見上げる。
「一夏さん。あなたが狙われた理由……必ず突き止めましょう。わたくしも、全力でお力になりますわ」
一夏は驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、セシリア。でも……巻き込みたくないんだ」
セシリアは肩をすくめると、やれやれと言わんばかりに笑みを浮かべる。
「巻き込んだのはこちら側でしてよ」
その言葉は、静かに一夏の心を支える温もりを持っていた。
ハリントン准将は二人のやり取りを見守り、やがて咳払いを一つ。
「織斑殿。姉君は明日にはロンドン入りする。到着次第、我々と合流し、情報の照合を行う予定だ」
「千冬姉が……」
「彼女は篠ノ之博士が動いた理由を知りたがっていた。今回の件は、単なる強奪事件では済まん可能性がある」
セシリアの表情が曇る。
「ゼフィルスを操っていた少女……彼女は一夏さんを知っているようでした。もし本当に過去に関係があるのだとしたら……」
「その過去が、意図的に隠されている可能性があるということだ」
ハリントンの言葉に、一夏の胸がざわつく。
──幼少期の空白。
──少女の声に覚えた既視感。
「……俺の過去に、何があったんだ」
思わず漏れた呟きに、セシリアがそっと手を伸ばした。
その手は震えていたが、温かかった。
「一夏さん。どんな過去でも……わたくしはあなたの味方ですわ」
一夏はその手を見つめ、ゆっくりと握り返した。
そのぬくもりが、混乱する心に小さな明かりを灯す。
ハリントンは静かに頷く。
「オルコット嬢はともかく、覚悟を決めておいてくれ。これから先は、ただの学生ではいられん」
その言葉が落ちた瞬間、屋敷の外でヘリの音が響いた。
軍の増援だろう。
世界が動き始めている──そんな予感が、一夏の胸に重くのしかかった。
ヘリの音が遠ざかっていく頃、オルコット家の屋敷には再び静けさが戻っていた。
だがその静けさは、嵐の前のそれに近い。
セシリアと一夏がハリントンの見送りの為、応接室を出ようとした時、そのハリントンの通信端末が震えた。
画面を確認した彼は、わずかに眉を上げる。
「……織斑千冬殿が、予定より早く到着した」
「えっ、もう?」
一夏が驚きの声を上げる。
「軍の専用機を使ったらしい。こちらに向かっているとのことだ」
☆☆☆
数十分後。
屋敷の前庭に黒塗りの軍用車が滑り込む。
ドアが開き、織斑千冬その人が降りる。
その姿を見た瞬間、一夏の表情が緩む。
「千冬姉!」
だが千冬は、弟の顔を見るなり一瞬だけ表情を曇らせた。
すぐにいつもの冷静な仮面に戻るが、その一瞬をセシリアは見逃さなかった。
その曇りは、千冬の胸に秘めた葛藤の影だった。
(……千冬姉さまは、何かを知っている……?)
千冬はハリントンと短く挨拶を交わし、すぐに本題へ入る。
一夏を見るその目は、昨夜の戦闘の余韻を探るように冷たく、しかしどこか焦りを含んでいる。
その視線は、弟を守りたいという強い意志と、避けられない現実への覚悟が入り混じっていた。
一夏が駆け寄ろうとした瞬間、千冬は手を軽く上げて制した。
「状況はハリントン准将から聞いた。……お前が無事で何よりだ」
千冬は応接室に入り、机の上に置かれた資料に目を通す。
ページをめくる指先は迷いなく、しかしその瞳の奥には深い葛藤が揺れていた。
──ゼフィルスを操っていた少女。
──織斑一夏を狙った謎の存在。
千冬はその正体を知っている。
織斑マドカ──自分と一夏の
だが千冬は、その名を口にしなかった。
一夏の記憶には空白がある。
その空白に触れれば、彼の心に余計な負担を与えるだけだと知っていた。
(……今はまだ言えん。あの子の名も、過去も)
千冬の胸に、重い決断が沈んでいた。
守るために隠す──その選択が正しいのかどうか、答えは出ないままだ。
千冬は資料を閉じ、ハリントンへ向き直る。
「サイレント・ゼフィルスを強奪した操縦者については、私の方でも調べている。だが……まだ確証はない」
一夏が不安げに千冬を見る。
「千冬姉……俺、あいつの声を聞いた時……」
「一夏」
千冬は弟の言葉を遮り、静かに首を振った。
「今は余計なことを考えるな。今のお前は守る側ではなく、守られる側の立場だ」
その言葉は優しさと厳しさが同居していた。
一夏はそれ以上踏み込めず、唇を噛む。
千冬の言葉の裏にある
セシリアは胸の奥がざわつくのを感じた。
千冬の態度は明らかに何かを隠しているモノのそれだった。
その時──
応接室の扉が勢いよく開き、英国軍の将校が駆け込んできた。
「准将! 緊急連絡です!」
ハリントンが眉をひそめる。
「どうした」
「サイレント・ゼフィルスの反応を確認! ロンドン北部の空域に微弱な反応が……!」
室内の空気が一瞬で凍りつく。
「サイレント・ゼフィルス……!?」
一夏が思わず立ち上がる。
セシリアも息を呑んだ。
胸が強く脈打ち、全身が冷たくなる。
将校は続ける。
「まだ距離はありますが、こちらの監視網に引っかかりました! 進行方向は……オルコット家方面の可能性があります!」
千冬の瞳が鋭く光った。
「来たか……」
その声には、覚悟と怒り、そして焦燥が混じっていた。
千冬の中で、過去と現在が激しく衝突していた。
ハリントンは即座に指示を飛ばす。
「全軍に通達! 対空監視を厳に! 織斑殿とオルコット嬢は至急避難を──」
だが千冬がその言葉を遮った。
「待て。標的は一夏だ。動けば逆に危険だ」
千冬は一夏の肩に手を置き、真っ直ぐに見つめる。
「一夏。落ち着け。……いいな?」
一夏は息を呑み、震える声で答えた。
「……ああ」
セシリアは拳を握りしめ、一夏の隣に立つ。
「一夏さんは……わたくしが守りますわ」
千冬は一瞬だけセシリアを見つめ、わずかに頷いた。
「頼む。……お前なら任せられる」
その言葉には、姉としての信頼が込められていた。
セシリアの胸に、強い決意が燃え上がる。
外ではすでにヘリが再び飛び立ち、兵士たちが慌ただしく動き始めている。
嵐は、もうすぐそこまで迫っていた。
☆☆☆
英国軍の報告を聞きながら、千冬は表情一つ変えずに立っていた。
冷静さを装おう程に、胸の内は嵐の様に荒れている。
弟の前では決して見せない焦りが、心の奥で渦巻いていた。
サイレント・ゼフィルス反応──その操縦者は、ほぼ間違いなくマドカだ。
千冬はその事実を知っている。
だが、一夏には言えない。言わない。
(あの子の存在を伝えれば……一夏は……)
一夏の記憶の空白。
その空白に触れれば、彼の心は崩れてしまうかもしれない。
だから千冬は、あえて何も言わない。
一夏を守るために。
胸の奥に沈んだ決意は、鋼のように固く、しかし同時に痛みを伴っていた。
家族を守るために──否、
(私が背負えばいい。あの子のことも、一夏のことも)
千冬は拳を握りしめた。
その指先が白くなるほど強く。
(……マドカ。お前が何を望んでいるのか、私はわかっている)
だが、それを叶えることはできない。私が、させない。
一夏を守るために。
千冬は深く息を吸い、冷静な仮面を再びかぶる。
(……来るなら来い。だが、一夏には指一本触れさせん)
その決意は鋼のように固かった。