ちょっと大人なインフィニット・ストラトス   作:たんたんたんめん@オルコッ党員

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手を繋いだ少女

 白式の光が完全に消え、一夏の身体が地面に降り立つ。

 熱を帯びていた空気が一瞬で冷え込んだように感じられ、焦げた金属の匂いが風に混じって漂う。

 その瞬間、周囲の空気が一気に張り詰めた。

 セシリアが駆け寄り、震える声で問いかける。

 

「一夏さん……! 大丈夫ですか!?」

 

 一夏が、セシリアの言葉に返事をするよりも早く、ハリントン准将が鋭い視線を向ける。

 

「君は交戦距離にいた。パイロットの姿を見た(・・)のではないかね?」

 

 一夏は息を呑む。

 胸の奥がざわりと波立ち、呼吸が浅くなる。

 視界の端で、黒式の一夏が破壊したバイザーの破片が落ちているのが見えた。

 誤魔化すことが出来ないのを一夏は自覚する。

 

(……見た。でも……言っていいのか……?)

 

 脳裏に焼き付いて離れない、あの顔。

 黒式のバイザーが割れた瞬間に見えた少女の素顔。

 

──千冬に、あまりにもよく似た顔。

 

 心臓が強く脈打ち、手のひらに汗が滲む。 

 胸がざわつく。

 言葉にした瞬間、何かが壊れてしまう気がした。

 セシリアが不安そうに覗き込む。

 

「一夏さん……? どうかされたのですか……?」

 

 一夏は視線を落とし、拳を握りしめる。

 握った拳が震えているのを自覚し、抑え込むようにさらに強く力を込めた。

 

(言えば……千冬姉はどう思う? あの子は……マドカは……何者なんだ?)

 

 千冬が横に立っている。

 その存在が、余計に言葉を詰まらせた。

 まるで背中に重しを乗せられたような圧力となって一夏を縛りつける。

 ハリントン准将が一歩踏み出す。

 靴底が地面を踏む音が、やけに大きく響いた。

 

「これは軍事的に重大な情報だ。見たのであれば、報告してもらわねば困る」

 

 一夏の喉がひりつく。

 口の中が乾き、言葉が砂のように崩れて出てこない。

 

(……言えない。千冬姉の顔をした少女がいましたなんて……どう説明すればいいんだよ……)

 

 沈黙が重くのしかかる。

 千冬が静かに口を開いた。

 

「……一夏。答えられない理由でもあるのか?」

 

 その声は責めるものではなく、ただ真っ直ぐだった。

 だからこそ、その優しさが刃のように胸に刺さる。

 一夏は唇を噛み、ようやく絞り出す。

 

「……見たよ。でも……俺にも、よく分からないんだ」

 

 セシリアが息を呑む。

 

「分からない……?」

 

 一夏は視線を逸らし、曖昧に続ける。

 

「顔は……はっきり見えたわけじゃない。ただ……なんていうか……」

 

(千冬姉に似ていたなんて……言えない……)

 

「……どこか、哀しい目をしていた。それだけは、確かだよ」

 

 ハリントン准将は眉をひそめるが、それ以上追及はしなかった。

 その判断に、場の緊張がわずかに緩むが、一夏の胸の重さは消えない。

 だが──千冬だけは、一夏の表情を見逃さなかった。

 

「……一夏。本当は、何を見た?」

 

 その問いに、一夏の心臓が跳ねる。

 胸の奥で、冷たい指先に触れられたような感覚が走った。

 胸の奥で、マドカの言葉が蘇る。

 

──私は、貴様の影なのだから。

 

 一夏は答えられず、ただ視線を落とした。

 乾いた地面のひび割れが、まるで自分の心のように見えた。

 千冬はその沈黙を見つめ、わずかに目を細める。

 

「……そうか」

 

 その声は、どこか寂しげで、その響きが、一夏の胸に深く沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 その夜も一夏は深い眠りの底で──夢を見た。

 暗闇。

 湿った空気。

 機械が規則的に脈打つような低い音が、どこか遠くで響いている。

 紫色の光が、壁を淡く照らしていた。

 光源は分からない。ただ、脈動するたびに影が揺れ、部屋全体が呼吸しているように見えた。

 その中央で──幼い子供が泣いていた。

 

「……こわいよ……」

 

 小さな肩が震えている。

 その子は、暗闇の中で何かを探すように手を伸ばし──

 次の瞬間、一夏はその手を握っていた。

 温かい。

 震えている。

 必死に縋るような、小さな力。

 

「いちか……いちか……」

 

 幼い少女の声。

 涙で濡れた頬を、震える指で拭いながら、それでも笑おうとしている。

 その顔は──幼いはずなのに、どこかで見たことがある。

 

「だいじょうぶ……おれがいるから……」

 

 そう言った自分の声が、幼い頃の声と現在(いま)の声とで二重に響く。

 

「いちか……ずっと……いっしょに……」

 

 少女は一夏の手を握り返し、震える唇を動かした。

 

「……だって……わたしたち……」

 

 幼い少女の瞳が、現在(いま)のマドカと重なる。

 

「そうやってつくられたんだもん……」

 

 言葉が、冷たく胸に刺さった。

 問い返そうとした瞬間、機械音が急に大きくなる。

 

「──実験体……安定……」

「──同期率……上昇……」

「──この二人なら……きっと……」

 

 声は途切れ途切れで、意味は分からない。

 だが、その声はどこかで聞いたことがある。

 少女が泣きながら、一夏の手を握り返した。

 紫の光が爆ぜるように広がり、視界が白く染まり──夢は途切れた。

 

「……っ!」

 

 一夏は、まるで水面から引きずり上げられたように上半身を跳ね起こした。

 荒い呼吸が喉を震わせ、胸が痛いほど脈打っている。

 額には汗が滲み、シーツは湿って肌に張り付いていた。

 視界が揺れる。

 だが、夢の残滓がまだ脳裏にこびりついて離れない。

 

「……はぁ……っ……はぁ……」

 

 胸に手を当てると、心臓が暴れるように跳ねていた。

 夢の中の少女の声が、耳の奥でまだ震えている。

 

『そうやってつくられたんだもん……』

「……っ……!」

 

 一夏は思わず頭を抱えた。

 その言葉を思い出した瞬間、こめかみの奥が鋭く痛む。

 夢の内容は断片的だ。

 暗い部屋。

 泣いていた少女。

 小さな手の温もり。

 そして自分の声。

 夢──ではない。

 記憶の底から無理やり引きずり出されたような、そんな感覚。

 

「……なんなんだよ……」

 

 呟きは震えていた。

 胸の奥がざわつく。

 

(俺……あんな場所、知らないはずなのに……)

 

 だが、知らないはずの光景に、妙な懐かしさ(・・・・)があった。

 あの少女の声も。

 手の温もりも。

 そして──

 

(……マドカ……)

 

 夢の中の幼い少女の瞳が、現在のマドカと重なった瞬間を思い出し、一夏は息を呑んだ。

 

「……違う……そんなわけ……」

 

 否定しようとしたが、言葉は弱々しく空気に溶けた。

 一夏は震える手で額を押さえ、深く息を吐く。

 

「……俺は……何なんだ……」

 

 胸の奥に残るざわつきは、しばらく収まらなかった。

 呼吸を整えようと深く息を吸っても、肺の奥に冷たいものが張り付いているようで、うまく吐き出せない。

 枕元の時計を見ると、まだ夜明け前だった。

 窓の外は静まり返り、風の音すらしない。

 世界が一瞬、夢と現実の境界を見失っているように感じられた。

 

「……寝られるわけ、ないよな……」

 

 自嘲気味に呟き、額の汗を拭う。

 喉が渇く。

 水を飲もうと立ち上がった瞬間──足がふらついた。

 

「……っ」

 

 膝が笑う。

 夢の中で感じたあの場所(・・・・)の空気が、まだ体にまとわりついているようだった。

 部屋の隅に置かれた姿見に、ふと視線が吸い寄せられる。

 暗がりの中、ぼんやりと映る自分の輪郭。

 だが──その影が、ほんの一瞬だけ誰か(・・)と重なった気がした。

 幼い少女の姿。

 泣きながら手を伸ばしていた、あの子。

 

「……違う……」

 

 首を振る。

 だが、否定すればするほど、胸の奥のざわつきは強くなる。

 

(あれは……夢だろ……)

 

 思考がまとまらない。

 頭の奥がじんじんと痛む。

 そのとき──

 部屋の扉が、静かに叩かれた気がした。

 一夏は息を呑む。

 この時間に訪ねてくる者など、普通はいない。

 

「……誰だよ、こんな──」

 

 言いかけた声が、喉の奥で止まった。

 扉の向こうから、かすかな声がした。

 

「……いちか……?」

 

 その声は──

 夢の中で泣いていた少女の声と、現在のマドカの声が、重なって聞こえた。

 一夏の心臓が、再び激しく脈打ち始める。

 震える手で扉を開いた先には──誰もいなかった。

 

「……え?」

 

 一夏は思わず瞬きをした。

 確かに、声がした。

 だが、扉の前には人影ひとつない。

 静まり返った廊下に、冷たい空気だけが流れている。

 胸の鼓動が、再び速くなる。

 夢の残滓がまだ脳裏にこびりついているせいか、現実感が薄い。

 

──幻聴。

 

 そう考えるしかなかった。

 

「……落ち着け。寝不足で頭がおかしくなってるだけだ……」

 

 自分に言い聞かせるように呟く。

 だが、喉が乾いて声がうまく出ない。

 扉を閉めようとしたそのとき──

 耳の奥で、また声がした。

 

『……いちか……』

「っ……!」

 

 一夏は反射的に振り返った。

 しかし、廊下にはやはり誰もいない。

 声は、外から聞こえたのではない。

 頭の中に直接響いたような、そんな感覚。

 

(……疲れてんのかな……)

 

 額に冷たい汗が滲む。

 夢の中で聞いた声が、現実に侵食してきているようだった。

 そのとき──背後から、別の声がした。

 

「一夏? どうした、こんな時間に」

「……っ!」

 

 振り返ると、そこには千冬が立っていた。

 夜だというのに、スーツをきっちりと着こなしている。

 

「廊下に立って……誰か来たのか?」

 

 一夏は言葉を失った。

 さっき聞こえた声と、目の前の千冬の声が──似ている。

 

「……いや。ただ……ちょっと、変な夢を見てさ」

 

 千冬は心配そうに眉を寄せた。

 

「ここに来てから、事件続きだからな。無理をするな」

「無理なんか──」

 

 否定しかけて、一夏は言葉を飲み込んだ。

 自分でも、何が起きているのか分からない。

 幻聴。そう思えば説明はつく。

 だが──胸の奥のざわつきは、まるで記憶(・・)が疼いているようだった。

 

「……大丈夫。ちょっと寝不足なだけだよ」

 

 そう言うと、千冬は小さくため息をついた。

 

「ならいいが……無理はするなよ。何かあれば、頼ってくれ」

 

 千冬は一夏をじっと見つめる。

 その視線は鋭いのに、どこか迷いのようなものが混じっていた。

 

「……千冬姉」

 

 一夏は喉の奥がひりつくのを感じながら、言葉を絞り出した。

 

「なんだ」

「……あの……マドカってヤツの顔、千冬姉にそっくりじゃなかったか……?」

 

 千冬の表情が、わずかに揺れた。

 ほんの一瞬。

 だが、一夏にはそれがはっきり見えた。

 

「……さあ、な」

 

 短く、冷たく切り捨てるような声。

 その反応が逆に、一夏の胸のざわつきを強めた。

 

「俺らって……他にきょうだいっているのかな?」

 

 問いかけた瞬間、千冬の目が細くなる。

 その奥に、何かを隠すような影が走った。

 

「……興味ないな」

 

 その言葉は、拒絶というより──触れてはいけない領域を示す警告のように聞こえた。

 胸の奥のざわつきが、再び疼き始める。

 一夏が次の言葉を発するよりも早く、千冬は踵を返し、廊下の奥へ歩き出した。

 だが、数歩進んだところで立ち止まり、振り返らずに言った。

 

「……寝ろ。一夏。今は余計なことを考えるな」

 

 その声は、いつもの厳しさとは違う。

 どこか、押し殺したような響きがあった。

 千冬が去っていく足音が遠ざかる。

 廊下に残された一夏は、しばらく動けなかった。

 夢の中の少女の声が、また耳の奥で震える。

 千冬が去った廊下を見つめながら、一夏は胸の奥のざわつきを抑えられなかった。

 屋敷の角を曲がり、人の気配が完全に途切れた瞬間。

 千冬は壁に手をつき、深く息を吐いた。

 

「……隠し続けるのは、限界が近いのかもしれないな」

 

 独り言のように呟く声は、先ほどの冷静さとはまるで違う。

 苦しげで、どこか怯えているようでもあった。

 千冬は目を閉じる。

 瞼の裏に浮かぶのは──紫の光に照らされた、あの部屋。

 泣きじゃくる幼い少女。

 震える小さな手。

 そして──自分と同じ顔をした、もう一人の子供。

 

(……マドカ……)

 

 千冬の胸が、痛むように締め付けられた。

 あの研究所。

 あの実験室。

 あの冷たい声。

 幼い千冬は、あの場所から逃げ出すことしかできなかった。

 抱えられるのは、一人だけ。

 腕の中で泣いていた幼い一夏を連れて、必死に。

 

(あの時……私には、マドカを助ける力がなかった)

 

 歯を食いしばる。

 後悔は、今も消えていない。

 

(だけど……一夏には、知られたくない)

 

 自分たちが造られた存在であることも。

 自分がマドカを置き去りにしたことも。

 

「……興味ない、か」

 

 先ほど一夏に言った言葉を思い返し、苦く笑う。

 

「興味がないんじゃない……」

 

 知られたくないだけだ。

 一夏が自分と同じ苦しみを抱えることだけは、絶対に避けたかった。

 だが──その願いは、もう叶わないのかもしれない。

 一夏の中で眠っていた記憶(・・)が、目を覚まし始めている。

 そしてマドカもまた、一夏に接触しようとしている。

 

「……それでも」

 

 歩き出したその背中には、誰にも見せない決意と罪が重くのしかかっていた。

 

 

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